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第二話:高橋美咲は母親(義理)です


「ただいまー」


 学校が終わってまっすぐ帰ってきた俺に「おかえり」の声はかからない。

 たまーにマンションの廊下ですれ違うおばさんに挨拶で言われることはあるけど、それは別として。


「とりあえず洗濯物たたむか」


 部屋にリュックを置いたら、家事の時間だ。


 母さんが死んだのは小学校一年生の時だ。

 記憶になんとなく残ってる母さんは、いつも病室にいた。

 親父とお見舞いに行って、抱きついてしばらく話して。

 行くたびに俺は「帰りたくないー!」とか「ママも一緒に帰る!」とか、駄々こねてたらしい。

 葬式のことはほとんど覚えてない。

 母さんとはもう会えないって親父に言われたことと、落ち込んでる親父のことがぼんやり記憶にあるぐらいだ。


 親父は働いてたから、母さんが死んで以来、できる限りの家事は俺の仕事になってる。


「ドラム式洗濯機は神の発明!」


 すっかり乾いた洗濯物を取り出す。

 あとは畳んで、しまうだけ、と思ったらほんと感謝しかない。

 平日は学校があるから、洗濯して干して学校行って、帰って畳んでってなるとそうとう大変だし。

 雨でも降ったらもう最悪だ。

 マンションのベランダには屋根があるんでパラパラ程度ならまだいいけど……それもいまや過去の話。

 無理言ってドラム式洗濯機を買ってよかった。


 洗濯物を畳んでちゃちゃっとアイロンがけして、掃除機をかける。

 このマンションに親父と二人暮らしになってすぐはできなかった(小一だったし)。

 でも7〜8年もやればもう手慣れたもんだ。

 ちょっとだけ、家事しなかった期間もあるけど。


「今日はなんにするかなー」


 冷蔵庫を開けて食材を確かめる。


「よし! 豚の生姜焼きだ!」


 俺が作るわけだから、D(男子)K(高校生)が好きな料理ばっかりになっちゃうのは許してほしい。

 こればっかりは仕方ない。


 ささっと作って、夕飯時になったら一人ダイニングで食べる。

 ぼっち飯ももう慣れた。

 あと美味しい。さすが俺。よくやった俺。


 洗い物をすませて、先に風呂に入るかそれとも勉強しようか、と悩んだところで。


 玄関のドアがガチャっと開いた。

 すぐ、リビングのソファから立ち上がって玄関に向かう。


「おかえりなさい」


「ただいま、優斗くん」


「ご飯にする? お風呂にする? それとも……」


「数学の補習にする?」


「げえー! なし! それはなしで!」


「じゃあ、ご飯をお願いできる?」


「りょーかい! 今日は生姜焼きだよ」


「ふふ、今日のご飯も楽しみです」


 黒いパンツスーツにスタンドカラーの白いシャツ。

 靴を脱ぐと、すぐにまとめた髪をほどいて銀縁メガネを外すと印象が変わる。

 ()()()()()()()がこれを見たら、「クールビューティーっぽい」とは言わないだろう。


 高橋先生は、帰ってくると高橋先生じゃなくなる。


 高橋先生——美咲さんがジャケットをかけて、鞄を部屋に置きに行く間に生姜焼きを温め直す。

 ご飯と味噌汁をよそってテーブルに置くと、俺は正面に座った。


「いつもありがとう、優斗くん」


「いやあ、一人分作るのも二人分作るのもたいして変わらないから」


「ホントは私が家事をするはずだったのになあ」


「美咲さんは働いてるからね、そこは役割分担ってことで」


「美咲さん……?」


「え? 家でも『高橋先生』って呼びましょうか?」


「ううん。…………『お母さん』って呼んでくれないのかなあって」


「わかったよ、ママ」


「うっ。そ、それはちょっと……」


 学校で「先生」してる時と違って、美咲さんの表情はくるくる変わる。

 おかげでついからかってしまう。


 それでも……「お母さん」とは呼べない。呼びたくない。


 親父と美咲さんが結婚したのは、俺が小学校四年の時だ。

 教師をしていた親父のところに美咲さんが教育実習に来て、それが出会いだったと。

 親父にとって早い再婚だったのは、「俺のため」でもあったんだろうか。

 いまとなってはわからない。


 なにしろ親父は——


「さーて、ご飯食べたし、勉強しよっか!」


「ええー? もうちょっとゆっくりしてからでもいいんじゃない?」


「はい、そうやって問題を先送りしない!」


 ——美咲さんと再婚して、一年ちょっとで失踪したから。

 「すまん」って書き置きひとつ残して。



 それから6年。

 俺と美咲さんは、親父が残したマンションで二人暮らししてる。

 血は繋がってないけど、親子として。家族として。





「あー、数学わからん!」


「ふふ、でも問題解けてたじゃない」


「あれは公式に当てはめただけだから」


 ダイニングで勉強会——数学教師に教えてもらったわけだから補習とも言える?——を終えて、俺はソファでぐったりしていた。

 隣には、マグを片手に美咲さんが座ってる。

 ゆるい部屋着で微笑んでて、学校で見る「高橋先生」とはだいぶ違う。


「学校で数学を教えてる身でこんなこと言うのはアレだけど……受験レベルの『数学』なら、数学が苦手でもなんとかなるの」


「ホントに? 俺こんななのに?」


「公式を覚えて、問題のパターンを覚えて。あとは繰り返し練習して、あてはめて解いていけばある程度は点数取れるよ」


「……それ、普通じゃないですか?」


「優斗くんが言う『数学ができる』人は、ちょっと違うかな。このやり方だと応用や特殊な問題は解けないし」


「充分です! 数学はある程度戦えればいいんで!」


「それはそれで、先生としてはちょっと寂しいけど……」


「家では先生じゃなく美咲さんなんで! これからもよろしくお願いします!」


「ふふ。じゃあ、先生じゃなく『母親』としてがんばります」


 教育実習を終えて親父と付き合うようになって、美咲さんは卒業と同時に結婚した。

 で、「教育実習生」に手を出した親父は学校を辞めて予備校講師になって、三人の生活がはじまって。

 それなりに楽しくやってたと思うんだけど……。


 書き置きひとつで親父がいなくなった理由はいまだにわからない。

 すぐに捜索願を出したけど、この6年、親父につながる情報はない。

 親父の親戚は叔母さんぐらいで、その叔母さんにも連絡はないらしい。


 それでも美咲さんは、たった一年しか一緒に暮らしてない「連れ子」の俺の母親をしてくれてる。

 俺のことは叔母さんあたりに任せて、美咲さんは次の幸せを探せばよかったのに。


「どうしたの? ずっとこっち見て」


 6年。

 小学校を卒業して、中学の三年間を二人きりで過ごして、高校で働いているところを見て、家とのギャップにやられて。


 ずっと俺のことを考えてくれる美咲さんと二人暮らしして………………好きにならないでいる方が難しかった。


 義母(はは)じゃなく、女性として。


「美咲さん」


 そっと手を伸ばす。

 と、美咲さんは俺と手をつないでくれた。


 いまだに怖い。

 いつか、美咲さんはこの手を離してどこかに行ってしまうんじゃないかって。


 親父と同じように。

 望んでそうしたわけじゃないけど、母さんと同じように。


 ぎゅっと手を握る。

 美咲さんを引き寄せて抱きしめる。


「もー、どうしたの急に。甘えたくなった?」


「美咲さん」


 少しだけ体を離す。


 微笑む美咲さんは少しだけ目が垂れ気味になって、まつ毛が長くて、メイクは落としたはずなのにくちびるがキレイで、やわらかそうで——


「そこまで。少なくとも、高校を卒業するまではって約束でしょ?」


「………………はい」


 こらえて、頷く。


 空気を変えるように、美咲さんは「そろそろ明日の準備しないとなー」って立ち上がって、「遅くなるから先に寝ちゃっててね。おやすみなさい」とリビングを出ていった。


 美咲さんを見送ってソファにぐでっと転がる。


「はあ。何やってんだ俺」


 子供じゃないのに、「おやすみ」も返さないで。

 二人の約束を破りそうになって。


 ずーんとソファに沈み込んで、俺はしばらくそのままでいた。



 高橋美咲さんは、2-6(俺のクラス)の担任で、数学教師で、俺の義母です。



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