マルフォント
ゼルスタン王国、王都。
宮殿内の専用執務室で、ウードの父親は机に向かって難しい顔をしていた。
ウードの父親、リンクスは王宮お抱えの魔法使いとして数々の功績を挙げ、今や国家運営の中枢にいる傑物だ。
だが、いま彼の頭を悩ませているのは政ではなく、息子のことだった。難しい年頃になったのか、最近では滅多に自分のことを話さなくなってしまった。だが、それは寂しくはあるが彼の成長と取れなくもない。
問題なのは行き先も言わず、頻繁に家を空けるようになったことだ。今のところ夕方までには戻ってきてはいる。だが、ウードが行き先を言わないのがリンクスを不安にさせている。
母親のいないことでそれを言い訳にして、ウードが間違った方向に行ってしまったらと思うと、リンクスは亡くなった妻に申し訳なくなる。
――こんなことは、やりたくないのだが。
机の抽斗から紙を取り出す。それは、液体化した魔力を染み込ませた特殊な紙で、染み込んだ魔力がなくなるまでは勝手に動き続けるため、追跡装置を作る時などに使用する。
リンクスは紙に手を乗せ、イメージを流し込む。
あっという間に紙はひらひらと舞う蝶の姿に変わった。
リンクスは蝶に指で触れ、追跡対象を伝える。
――頼んだぞ。
開けた窓から蝶は出て行く。
そのタイミングで、ドアがノックされた。
「どうぞ」
居住まいを正し迎え入れると、入ってきたのは若い兵士だった。
「何か」
「は。リンクス・フォルトッド様」
兵士は敬礼し、
「王がお呼びとのことです。至急とのことで」
「……分かった。すぐに参内する」
兵士は一礼して出て行く。
――何の用だろうか。
リンクスは礼装に着替えながら考えを巡らせるが、思い当たる用件はなかった。
王の間。
王様は普段ここに詰めていて、民の陳情を聞いたり、大臣たちと今後の政策を協議したりする。
確かに広い部屋ではあるが、あまりに華美だと他の部族が快く思わないと言う理由からこの部屋に玉座はない。
代わりにあるのは王が座る椅子と机だ。常勤している大臣にも同じような机と椅子が支給されている。王の証である金の錫杖は、王が座る机の後ろの壁に立て掛けられており、それがこの部屋で唯一の王様「らしい」ものだった。ちなみに、王は礼服こそ着ているが王冠も身に着けていない。
ただ、今は訳あって人払いがされ、部屋には王一人だ。
ゼルスタン王国の現在の王、マルフォント・マナは名君として知られている。
マルフォントは質素倹約を旨とし、国家運営にかかる経費を一から見直し、減税も行った。また、周辺国とも良好な関係を築き、ここ数十年は戦乱もない。
ただ、歴代の王と比べると迫力に欠ける、と言う意見もちらほらと聞かれた。
最近、マルフォントは自身の衰えをひしひしと感じている。かつては何日寝ないでも平気だったし、食欲も旺盛だった。頭の回転も良く、会議の議事録など見返したこともなかった――それが今年に入って急速に衰えているような気がする。
物忘れがひどくなり、昼間でも眠い時がある。加えて、少し走っただけで息が上がるようになった。
彼は今年で七十歳。年齢の所為なのだと自分でも分かっている。これは受け入れるべき老いなのだと。
それでも、とマルフォントは思う。
――まだやらなくてはならないことがあるのだ。
多民族国家であるが故に、ゼルスタンには常に内戦のおそれがある。いつ不満を溜め込んだ種族が武器を取って蜂起しないとも限らないのだ。
マルフォントの若い頃は従っていた各種族の長たちだが、こちらが老いるにつれて徐々に反抗心を見せるようになって来た気がする。
先代の王の治世ではこんなことはなかった。長たちはマルフォントの父が亡くなるまで忠実に尽くしてくれた。
なぜマルフォントの代になって各種族の統制が取れなくなってきたのか、それにはある理由があった。
――それもこれも、私に力がないからだ。
だが、弱音を吐くわけには行かない。自分の代でこの王国を終わらせる訳には行かないのだ。
種族の代表たちを、また以前のように従わせなければ。
そして、出来るだけ完全な形で次の王に引き継がなくては。
――何としても……、私の生命がある内に。
王の間のドアがノックされ、マルフォントは思考を破られた。
「リンクス・フォルトッドでございます」
ドアの向こうのくぐもった声。
「おお、入れ」
ドアが開き、リンクスが入ってくる。
マルフォントは立ち上がり、握手を求める。
部屋に王以外だれもいないことに戸惑ったようだが言葉には出さず、リンクスはマルフォントに握手を返した。
「まあ、座って」
王の対面にリンクスは腰を下ろす。
「それで、話と言うのは?」
リンクスの言葉を受け、王は頷いた。
「なあ、フォルトッド――お前に頼みがある」
その眼を見て、リンクスは少し眉根を寄せる。
――いかんな、これは。
普段は温厚な王だが、時折ひどくわがままになることがある。
今のマルフォント王は、それを言い出す時の眼をしていた。