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その少年は、竜の少女に恋をする  作者: 滝岡尚素
第三部 精霊都市へ
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脱出――カザイア

 同じ頃。

 オーガの『国』、首都カザイア。

 数ヶ月前にゼルスタン王国から脱退し、内外にサルクはそう伝達した。


 もともとオーガ族はサルクを頂点にまとまっており、さしたる混乱はなかった。カザイアの周辺でそれぞれの都市を治める諸侯は遂にこの時が来た、と一様に喜んでいる。


 その中にあって、ウードの父、リンクス・フォルトッドは未だ牢に(とら)われていた。

 そうして、怒りに震えていた。



 彼の同僚、サクヤの裏切りを知ったからだ。





 それは、ここに囚われしばらく経ったある日の、夜遅くだった。

 牢の前に立ったサクヤをリンクスは満面の笑みで迎えた。



 彼女が牢の外にいる以上、何らかの方法で牢を抜け出し、今、自分を助けに来てくれたのだ――彼は当然そう思った。



 だが、彼女(サクヤ)の開いた口からはリンクスが想像だにしていなかった言葉が(つむ)がれた。



 「あなたも(・・・・)王国(ゼルスタン)を捨てませんか? リンクスさん」

 その言葉の意味が完全に分かるまでリンクスは(ほう)けた顔をしてしまう。




 「嫌だわそんな顔をして。私の言ったこと、わかります?」

 彼女が話しているのはゼルスタン共通語だ。意味が分からぬはずはない。であるにもかかわらず、彼女の言った言葉の意味がリンクスには理解できなかった。




 「ゼルスタンを、捨てる?」

 「ええ。オーガ(サルク)に味方して、あなたの魔法(ちから)を彼のために使うの」



 「何だ? どういう意味だ――」

 するとサクヤはリンクスに見せたことのない表情(かお)をした。



 それは、長命種(ながいき)であるエルフ特有の、全他種族を見下し小馬鹿にし切った顔だ。



 「本当に理解でき(わから)ないんですか?」

 「いや、言葉の意味が分からないのではなく……」

 「王国を()けたんですよ。オーガは」



 その言葉でリンクスは更に混乱する。

 いつだったか、サルクが言っていたことを思い出すリンクス。



 我々は、こと(・・)が済むまであなた達を帰すわけには行かない――確かにそう言っていた。だが、この状況をどう捉えれば良いのだ? オーガがすでに王国を脱退したのだとすれば、今はもう「事後」なのか? それとも――。




 「オーガはこの後、どうするつもりなんだ」

 発したリンクス、サクヤ、笑って。



 「何もしないわよ。彼らはここに新たなオーガの国があると内外に宣言しただけ――ただ、王国が攻めてくるでしょうね」

 そうしたら迎え撃つわね、オーガは。と、サクヤは気軽な口調。



 「私はいつここを?」

 「……当面は無理でしょう。あなたが王国に帰ればそれだけでオーガには脅威だわ。だって、世界でも指折りの魔導師であるあなただもの」



 リンクスは何も答えない。

 当面はここを出られない――その事が彼の思考を邪魔していた。つまり、ウード(むすこ)にはまだ、会えない。



 「あなたが王国を裏切れば――出られるわよ。(もっと)も、街の外に出るのは無理でしょうけど」

 考えておいてね、そう言い残してサクヤは牢を後にした。







 以来、リンクスは怒りに満ちている。

 サクヤが裏切ったことも腹立たしかったが、何より王国屈指の魔導師がこんな魔法防壁ひとつ破れぬとは。



 改めて牢の石壁に触れるリンクス。




 魔法防壁とは、魔流、魔力を遮断する材質の壁を指して言う。



 何か呪文を掛けてあるわけではなく、この壁の材質自体が魔力を通さない性質を有しており、それがリンクスの居る牢全体に使用されている。

 だがこの壁は材質の関係で余り大きくは出来ないらしく、よく見ると一枚一枚は小さなパネルになっている。

 パネルとパネルの隙間は石膏のような目地(めじ)材で埋められていた。魔力を通さないと言う観点で言えばこれで十分なのだろう。実際、リンクスは牢の中に魔力を感じない。

 魔法使いは大気中の魔力を体内に取り込んで魔法を起動する。

 だから、魔力(それ)の一切ない環境ではただの人に成り下がる。


 ――いや、待てよ……?

 物に付着している(・・・・・・)魔力は? 外から持ち込まれた物は?

 ペンで書き物をしている時、そこから僅かな魔力を感じたリンクスは、それいらい牢番に頼んで紙やらペンやらを外部から持って来てもらってはそこに付着している僅かな魔力を集め、それを一枚の紙に染み込ませる作業をせっせと行うようになった。





 そうして今日、ようやく一枚の魔法紙が出来上がった。







 時間は夜。

 牢番も既に眠りこけている。

 リンクスは作製した魔法紙をくるくると丸め、長細く尖った棒状に成形した。


 ――上手くいってくれよ。

 眼を閉じ、針矢(ニードルアロー)の魔法を起動する。


 果たして紙の棒は淡く光り始め硬質化し、長い針に変わる。

 その針を、ゆっくりと牢の石壁、パネルとパネルの間の目地に突き立て力を込める。すると、まるでパンに刺さるようにずぶずぶと差し込まれていく。思った通り、ここはただの石膏だ。



 ――よし。

 そのまま刺し続けて、手応えのなくなった所でリンクスは紙の針を引き抜いた。開いた小さな穴は覗き込んでみると屋外にまで達しており、その穴からじわじわと、しかし確実に。



 魔力が流れ込んでくる。




 リンクスは久しぶりの魔力の感覚に喜悦(きえつ)する。

 恐らくあと数時間後には牢内に魔力が満ちるだろう。



 ――どうやって、ここを出るか。

 最も簡単なのは転移(ジャンプ)の魔法だ。

 だが、転移では呪文自体の制約で魔力を大量に使ってもせいぜい街の外までしか飛べない。その後、脱獄に気づいた追っ手からどれほど逃げられるか、リンクスは自信がない。



 ――だが、帰還(リターン)は……。

 転移よりも遥かに長距離を移動できる帰還魔法を使うには特別魔力の濃い場所でなくてはならなかった。

 ここで使うには濃度が圧倒的に足りない。

 薄い魔力を幾ら取り込んでも、転移(ジャンプ)しか使えないのだ。



 リンクスは下唇を噛む。

 着の身着のままだが、このまま、ここでじっとして居るなど。

 王国や息子のことを考えた時、自らの安全はあるていど犠牲にする他はない。

 ――仕方ない、転移(ジャンプ)で行こう。

 リンクス、覚悟を決める。

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