きっと泣いている
怯え切り、ティアナは声も出せずその場で固まる。
元兵士のクラストだけは辛うじて斧を構え戦闘態勢をとる。
リンクスの元弟子ユーザーン、元部下ケアの二人はティアナと似たような反応だ。
ティアナの正面の獣人が腹の底から遠吠え。
そうして、満足そうに嗤うとティアナに向かって飛び上がる。
――ああ、こんな時って悲鳴も出ないんだ。
どこか他人事のようなティアナの頭上。彼女の顔に影が落ち、獣人が覆い被さ――。
「ぎゃんっ」
ティアナの背後から突き出された拳が獣人を殴りつけていた。
吹き飛ばされ、後方で仲間にキャッチされる獣人。
「下がっていなさい」
冷静で、信頼できるその声。
我に返ったティアナは何とか動いた足で声の主と位置を代わる。
声の主は剣を抜く――細身の片手剣を顔の高さに構えた。
「クラストさん、三人を頼みます」
そう言って声の主――マルドゥムは正面の獣人達に斬り込む。
一方的だった。
あっと言う間に何人かの獣人が斬り伏せられた。
マルドゥムは片手剣で相手の武器を弾き、肘を折り畳んだ最小限のモーションで斬撃を繰り出す。
それを受けた敵はいずれも致命傷でなく、だが確実に腕や脚の腱を切られ戦闘不能になる傷を一瞬で負わされていく。
クラストも奮闘して何人かの獣人を退けた。マルドゥムはその間もいっさい休むことなく敵を倒し続け、気付けばかなりの数を行動不能にしていた。
「さあどうする! これ以上やると逃げられなくなるぞ?」
もちろんマルドゥムの言葉が解ったわけではないだろうが、獣人達は悲壮な雄叫びを上げながら、まだ動けるものが怪我人を抱え逃げていく。
因みに、ただの偶然だと思われるがその時点で負傷者と動けるもの、ちょうど半々だった。
ふーっ、と長い息を吐き、まだまだ余裕のある表情。マルドゥムは剣をぱちんと鞘に戻す。
「マルドゥムさん、お怪我は」
「ああ、ご覧の通りだよ。それよりありがとうクラストさん。よく守ってくれた」
労うと、目を転じて地べたにへたり込んでいる娘の頭に手を置いた。
そのまましゃがみ込んで、ティアナの目を覗き込む。
「怪我、ないか」
ティアナにとって声は、腹の底にじんわりと滲み込むような、冬の陽のような暖かさで。
「あ、あた、あたし……」
長く声を出していなかった錯覚に捉われるティアナ。だが実際にはものの数分と経っていない。にもかかわらず、彼女の肺は新鮮な空気を求めて激しく律動した。
「ああああああああああっ」
おこりがついたように身を震わせ、マルドゥムにしがみつきぼろぼろと涙を零す。
マルドゥムは娘の背中をぽんぽんと軽く叩きながら、ただ黙ってその泣き声を聞いていた。
街道に戻って。
今日はもう休もうということになって宿屋に入った一行は、それぞれの部屋で荷解き中だ。
マルドゥムとティアナも普段は部屋を分けているが、今日はティアナが同じ部屋に泊まりたがった。ために二人部屋の片方のベッド上で、ティアナは横になって天井を見上げている。
頭の中では先程の戦闘が回り続けている。
――あたし何も、出来なかった。
獣人に取り囲まれたあの瞬間、ティアナは生と死がないまぜいなったような、水と油が混ぜ合わされるような、相反するものが同居する居心地の悪い感覚を味わった。
――よく生きてるよね。
運命の天秤は、あのままであれば傾いたのは間違いなく「死」の方であり、それを力ずくで「生」に押し込んだのはマルドゥムの存在だ。
それには感謝している。他の三人もそうだろう。
ただ。
自分ではどうにも出来なかった――それがたまらなくティアナには悔しかった。己の命運を、父親とはいえ他の人に託さなくてはならないなんて。考えるだけでひどく胸苦しくなる。
「ティアナ、大丈夫か?」
隣のベッドに、着替えを済ませたマルドゥムが腰掛ける。
声を出さず、身体も起こさず、首だけ向けてティアナはマルドゥムの顔を見た。逆光気味で下からだったが、相変わらず整った顔立ち。
子供の頃、父親が余りにクラスメイトの女子にモテるのを嫌がって、ティアナは自分の部屋に閉じこもったことがある。
あの時はどうやって部屋から出されたんだっけ、そんなことを考えた。
「ねぇ、父さん」
「何だ? まだ怖いのか? 今日だって部屋を――」
「いえ、もう大丈夫。部屋、一緒にしたのは父さんに話があるからよ」
マルドゥムは僅かに首を傾ける。
「何だ、街に帰りたくなったか? ん?」
にこりとする。無駄に爽やかなのが腹立たしい。
「どうしてあんなに強いの? ひょっとして父さんって加護持ち?」
「いや。まあ若い頃に少し、ね」
「ふうん。そうなんだ」
ティアナ、半身を上げて。
その意志、固さと揺るぎなさを持って。
決然と言い放つ。
「あたしに剣を教えて」
一瞬、何を言われたか分からなかったマルドゥム、忙しなく瞬きする。
――そうよ。
「あたし、このままじゃ嫌なの」
――だって、どこかできっと、ウードは怖くて泣いているに違いないから。
「け、剣だって? そ、そんなことしなくても俺が守るさ。もともとそのつもりで来たんだ、何も――」
――あたしがウードを助けなきゃ。
「ううん。それじゃ駄目なのよ、父さん」
――このままじゃあたしは。
「あたしを強くして」
――このままじゃウードを守れないから。
「本気なのか? ティアナ」
頷くティアナ。
――だって、そうしなきゃウードに会えないもの。
娘、父を見つめて。
マルドゥムは娘の瞳の奥、父親が知らない感情をはらんだその光を見て、思いの外たじろいだ。
だが。
「分かった」
なるべく落ち着いて声を出すマルドゥム。
「ならまず、お前に合う剣を探さないとな」
「ありがとう、父さん」
ティアナはベッドの端に腰掛け直し、父親の目をまっすぐに見まつめる。
――待っててね、ウード。
「あたし――強くなるから」
ティアナ、言い聞かせるように。
今の言葉が自分に向けたものではないと、どうしてかマルドゥムには分かった。




