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その少年は、竜の少女に恋をする  作者: 滝岡尚素
第二部 話者と剣士
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マルフォント、サルク

 王都を出て三十日あまり。

 三十名ほどの兵を連れたマルフォントは、カザイアを視界に捉えるところまできていた。


 マルフォント王が留守のため、いま王都では彼の息子が政務を執り行っている。


 だが、こんなに長く王都を空けるのはやはり不安もある。言い換えればそれだけカザイアの動向はマルフォントにとって、何をおいても直接確認しなくてはならない対象だと言うことだろう。


 彼はここで陣を張り、先触れに行かせた兵士が戻るのを待っていた。


 先触れとは、王や貴族などががいきなり街へ行けば混乱を招きかねないため、(あらかじ)め人を()って連絡することを言う。先触れ(それ)を聞いて、街では貴人を出迎える準備を行うのだ。



 ――遅い。

 カザイアには何度か来たことがあるが、ここまで先触れの兵の戻りが遅いことなどなかった。マルフォントは苛立ち、テントの中を歩き回る。



 王は、カザイアでサルクと胸襟(きょうきん)を開いて話し、真意を聞き出そうと思っていた。

 (カザイア)まで行けばサルクに裏切る意思があるにせよないにせよ、一旦それは脇に置いてこちらに対応するはずだ、とも考えていた。


 サルクが人質政策に強い不満を持っているのは分かっていたが、政策が発表されてまだ二月(ふたつき)余り。

 政策(それ)が裏切りのきっかけなのだとしても、挙兵の準備がこんなに早く済むわけはなく、マルフォントにはサルクを見極める時間が残されているはずだった。


 だが、と考えて王の足が止まる。

 ――実は、ずっと以前(まえ)からだとしたら?


 と、陣が騒がしくなったのが気配で分かった。



 「申し上げます!」

 テントの外。



 「何か」

 「は。先触れに行かせたものが――」


 「おお、戻ったか」

 だが、外の兵は次の言葉を継がない。


 「そ、それが」

 「何だ。早く言わんか」

 ――じれったい。



 テントの外に出る。

 左手に人だかり。



 そちらへ歩いて行くマルフォント。

 輪になっている兵士達――中心に、うずくまる誰かが見えた。


 ――これは。

 裸にされ後ろ手に縛られた先触れがそこにいた。


 「あ……、お、王よ」

 兵士長がその傍らで呆然と立ち尽くしていた。


 「――何があった、早く縄を解いてやらんか」

 いきなり馬でやって来たオーガ兵が、兵士(さきぶれ)と書簡を渡して去って行きました――力ない兵士長の声。


 「これがその書簡(てがみ)です」

 王は無言でそれを受け取り、封を切って中身を取り出した。








 『親愛なるマルフォント・マナ王よ。

 私、サルクは本日ここに、オーガ族のゼルスタン王国離脱を宣するものである。


 故に、残念ながらカザイアの街はあなたを歓迎しない。

 怒りに任せて今からこちらに攻め込んでもらっても構わないが、たかが三十騎では全く相手にならないことを強く申し添えておく。

 我々オーガは逃げも隠れもしない。

 また、ここであなたを人質に取るような真似もしない。

 尚、私はゼルスタンと争う意思はないが、降りかかる火の粉は払う所存にて。

 どうか、王にあってはこのまま王都に戻り、オーガの離脱を内外にお知らせ頂きたく。

 そして、願わくばもう、ここへはお戻りになりませぬように。



 サルク』








 綺麗な筆跡だった。しかも、共通語でなく、人語(ひとご)――オーガ達が長い時間をかけて密かに習得したものだった。

 同時に、もう人語ではオーガに筒抜けだと言うことを警告してもいた。

 不思議と、マルフォントにさほどの驚きはなかった。予想されていたこと、少なくとも近い将来こうなるであろうと、何となく分かっていた。

 分かってはいたが、同じくらい、こうはなるまいとも思っていた。高を、(くく)っていた。


 サルクとは特別な絆があるのだと。

 それなのに離脱とは。どこで彼の心は遠くへ離れてしまったのか。

 ――今更、詮無きことか。

 マルフォントは静かに書簡を封筒に戻し、左手で宙に放り投げた。


 一閃。



 王の剣が鞘から放たれ、封筒を横一文字に切った。



 紙のような軽いものを剣風(けんぷう)で吹き飛ばすことのないように刀身の軌道を瞬時に制御し、最低限の力を切っ先に伝える――それは、およそ老いに負けそうな男の放つ斬撃ではなかった。



 その時マルフォントの瞳が短く緑に光ったのを、誰か目撃出来ただろうか。



 周囲にいた兵士がどよめく。

 ――何と見事な。

 ――居合い切りか、今のは……!

 ――あ、あのような軽い紙をっ。

 ――神業だ……!



 すぐ後ろに控えていた兵士長にさえ、剣筋はおろか、いつ納刀されたのかも全く見えなかった。



 ――王は、これほどまでに剣が使えたのか。

 彼は王に、ある種の憧れさえ抱いた。



 「急ぎ王都に戻る!」

 その一言で、一気に陣が慌ただしくなる。兵士達は自分達のテントの撤収に走って向かう。



 残った王は、その場でしばし瞑目(めいもく)する。

 ――サルク、私達は。



 酒を飲み、笑い合ったことが幾晩もあった。

 ある意味では、本当の息子のようにも思っていた。

 ――どこで間違ったのであろうな。



 サルクへの思いが胸に去来する。心のどこかで、マルフォントは(サルク)を信じていた。



 「王よ、オーガはどうしてしまったのですか?」

 「一方的に王国からの離脱を告げてきた――無論、許されることではない」

 戸惑い、困惑する兵士長の顔。

 ――私だって、同じ気持ちだよ。

 そんな兵士長の肩を叩き、王は自身のテントの撤収に取りかかる。

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