上役
「ふぁぁああーーっ」
あー、眠い...
まぁ、朝からギルドにいても、そんなにやる事は無いからなぁ。
まずは、ゆったりとモーニングコーヒーでも飲んで、優雅な朝を満喫しますか。
俺は冒険者ギルドの執務室にある椅子に座りながら、手の平からマナを飛ばしてコーヒーメーカーを作動させた。
静まりかえっていた部屋に、コーヒーメーカーの作動音が鳴り響く。
ふと、俺は背後の壁にある窓から外を覗いた。
空は雲ひとつ無く晴れ渡っていて、太陽は燦々と輝いている。
動くものは何一つ無く、まるで一枚の絵を見ているかのようだ。
だが、時折聞こえる鳥の囀りは、外に広がる世界が現実の物であると証明している。
とても、とても穏やかな朝だ。
「...そろそろか...」
コーヒーメーカーがブザーを鳴らす。コーヒーが淹れ終わったようだ。
俺は椅子から立ち上がり、コーヒーメーカーの脇にあるマグカップへコーヒーを注ぐと、再び椅子へと戻ってからマグカップの中身を啜った。
「あぁ、うんめぇ。やっぱり、コーヒーはブラックに限るな...」
俺は優雅な朝を満喫した。
ドン!ドン!ドンッ!ドン!ドン!ドンッ!
こんなにも静かな朝なんだ。
だから、ギルドの正面口から響くノックの音は、疲れた俺の心が生み出す幻なのだろう。
そうか、俺はこんなにも安らぎを求めていたんだな...
なら、もう少しこの優雅な朝の一時を
ドン!ドン!ドンッ!
「マークさんッ!マークさんッ!いるなら返事してッ!マークさんッ!」
...その余裕は無さそうだ。
はぁ、俺の優雅な朝の一時は五分で終わりを迎えちまった。
この時間の用事は厄介事しかないと思い、机に立てかけていた剣を手に取ってギルドの正面口へと向かった。
「はいはいっ。今行きますよっと。」
ガラガラガラッ
「マークさんッ!!良がっだぁ!!良がっだぁ!!」
ギルド入口の引き戸を開けると、顔を涙でグチャグチャにしながら安堵しているマイケルの姿が映った。
「どうした?何かあったのか?」
「おっ、女がッ!あっ、頭のオカシイ奴でッ!追い返そうとしたらッ!剣握りだしてッ!すっ、凄まじい殺気でッ!いやっ、アレは殺気というより殺意ッスッ!はっ、早くしないとっ、エミール先輩がッ!エミール先輩が殺されちゃいますぅ!」
マジかよ。
マイケルは確かに気が小さい。だが、ここまで切羽詰まってるってのは只事じゃないな。
「おいおい、落ち着けって。つまりあれか?無理やり町に入ろうとしてる女を止めたら、女がブチ切れて刃物でエミールを刺そうとしてるって事か?いやいや、そういう力ずくな奴も武力で止めるのがお前らの仕事だろ?まぁ、お前が言うなら相手もそれなりなんだろうが、エミールの采配でもどうにもならないのか?」
「そのエミール先輩が今すぐマークさんを呼べって!!はっ、早くしてほしいッス!!」
マジかよ...
エミールはベテランの門番だ。
荒事の対処にも慣れてる。
そのエミールが初手から匙を投げたって事は。
マイケルの言うように余裕は無さそうだな。
「わかった。すぐ行こう。」
「あっ、ありがとうございやすぅ!」
「ああ、ところで、マイケル?...何か、臭わないか?」
「あぁ......俺...安心しちゃって...その...漏らしちゃいやした...」
...マジかよ。
ーーーーーーーーーー
私が門番と睨み合ってからどれくらいたっただろうか。
言われるがままに仲間を捨てて走り去ったボクちゃんは一向に帰ってくる気配がない。
それにしても、この門番。とても良い体付きだなぁ。
鎧の上からでもわかるほど、全身の筋肉が大きく発達している。
よし、肉ダルマと名付けよう。
アハッ!捌く所が多そうで楽しみだなぁ。
肉ダルマは強がっているが、たぶん私よりも弱い。
何となく、気配でわかる。
つまりコイツはただの獲物。
獲物を前にして、待て、が出来るなんて、私はとても利口な猟犬だわ。
アハッ!今のは嘘。
もう我慢できない。
もう...もう...
もう、血を見たくてしょうがない...
私は今まで以上に殺気を込めて肉ダルマを睨む。
肉ダルマは覚悟を決めたように全身へ力を入れた。
これは...もう...
いいって事ね。
私は、私をお預け状態から解放する。
アハッ!嬉しくて笑顔になっちゃうねぇ。
全身の血が沸騰する。
あぁ、興奮する...
「アハッ!死ね。」
私は腰の短剣を掴み、右足を一歩踏み出した。
「はーい。ストップ。ストップストップー。」
気の抜けた聞き覚えのない声に、私は反射的に動きを止めて声の主を睨んだ。
背丈が同じ位の、見た事が無い小綺麗な服を着た男が私に微笑みかけている。
この場の雰囲気にそぐわない表情をしているが、眠そうな垂れ目を僅かに動かして、私を観察している。
立ち姿にも隙がなく、瞬発的に動けるよう、脱力をしつつも一切の気を抜いていないのがわかる。
これは...私は勝てそうに無い。
「あんたが上の者ってやつか?」
「上の者といやぁ、まぁ、そうかもしれんが、俺にはマークって名前があるんだ。お姉さんの名前は?」
こいつは、何を考えているのか...
はぁ、また問答か...
この試練は中々にタフだ。
「...シャキラ...」
「シャキラか...いい名前だ。それで、シャキラは何処から来たんだ。」
「モンテ様をこの上無く敬うネクト村からだ。まぁ、そこの肉ダルマと走り去っていったボクちゃんは信じられない事にモンテ様をご存知でなかったようだけどね。」
「...肉ダルマって...俺の事か...」
「...モンテ様。...ネクト村。...そうか。まぁいいや、ちょっと俺についてきな。」
マークは私に手招きをしながら声をかけてきた。
一瞬、罠か?とも思ったが、多分マークの方が私より強いから、小細工をする必要は無い。
「...わかった。」
私は短く返事をした。
「マーク、済まない。ありがとう。」
「あぁ、今度エールを一杯奢ってもらうぞ。」
「ああ。それぐらいは安いさ。...はぁぁぁぁ。死ぬかと思った。」
「おう、生きてて良かったな。お前は漏らすなよ。それじゃあ行くぞ、シャキラ。」
溜息をついて地面へとへたり込む肉ダルマを横目で見ながら、私はマークの後をついて行った。