41話
(おっも……買いすぎたな、これ)
「結斗?」
聞きなれた声に両手の重さも構わず振り向く。そこにはさっきまで見た件の彼が立っていた。
「! さっきぶり〜〜!!」
「お疲れ様。王子様役、上手だったよ」
やっぱり観てくれていたんだ。嬉しくなって表情が緩む。
「でしょでしょ?!って言うかなんで途中で帰っちゃったの?俺の出番まだあったし、それにいつも話してる友達にも王子の事紹介しようと思ったのに!」
「……その友達がいたから」
「?」
「僕、智仁君に嫌われてるみたいだからさー」
「は?いつの間に!?」
「ちょっと色々あって」
智仁と俺は昔から常に一緒だ。勿論お互いの交友関係は熟知しているし、知らない友人がいる、と言うこともあまりないと思う。
だけど、お互いもう高校生だ。知らないところで誰が何をしていても何も言う謂れは無いな、と 考え直す。
「でもアイツと知り合いなら俺とも知り合いの可能性高いけど……、俺ら昔会ったこととかないもんね?」
「……さぁ?ご想像にお任せします」
「何それ〜〜気になる〜〜」
「当たったらご褒美でもあげるよ」
「えっじゃあ当てたら付き合って」
「それは無理」
「なんで?!王子俺の事好きでし……ってぇ?!」
王子と向き合うために後ろ向きで歩いていたのがいけなかったのか、何かに躓いで転びかけてしまう。
それを彼は片手で受け止め支えてくれたおかげで食材も自分も無事で済んだ。
「あぶな」
「……ごめん、助かった」
「後ろ向きで歩くと危ないって習わなかった?」
「ごめんって!あーでも卵入ってなくて良かった〜〜」
「ごはんの買い物?」
「そ。明日のお弁当は冷凍食品……だったんだけど今日色々安かったから買いすぎちゃって」
「ふーん。……よっと」
そうすると彼は塞がった片方の袋を軽々と持ち上げる。
「……なに?持ってくれんの?」
「またぶちまけられたら困るから」
そう優しい声色で言われると、かあと顔が赤くなってしまう。
「もうさ、……もうさー!!やめようよそういうの本当こっちはチョロいんだから優しくするのやめてほしいんだけど?!」
「嫌だった?」
「全ッッ然?!」
むしろもっとして欲しいですけど!?心の中でそう叫ぶ。
「あーー、でも家は、……家まで持ってってくれるのは嬉しいんだけどさ、ウチ父さんいるかもしれないから。いいよ」
「別に気にしないよ」
「俺はするの」
「そう」
言いながらもスタスタと荷物を持って先に進んでしまう彼に呼びかける。
「えっ?!ちょっと今俺家に来るなっていったんだけど?!」
「いいから。こっちだよね」
不思議なことに王子は教えてもいないのに、自宅までの道のりを先に歩き否応無くドアの前まで来てしまう。
鍵を開け、静かに玄関を覗くと靴はまだ一つもない。一応帰宅はしていないようだ。
「着いたよ、ま、問題は外じゃないんだけど。父さんはーーどっか行ってるみたいだし折角だからお茶でも飲んでく?」
「君が良いなら。あ、コンビニでケーキとか買ってきたから一緒に食べよ」
「やった。……うん、いない。入って」
「お邪魔します」
念のためリビングも確認して誰もいないことを確かめる。
誰もいないことにホッとしてキッチンに買ったものを詰め込みながらリビングに問いかけた。
「ケーキなんのやつ?」
「いちごとチョコ。どっちがいい?」
「いちごー」
「だろうと思った。なんか可愛いから好きかなって思って」
「じゃあコーヒー淹れるね。適当に座ってって」
「それじゃあ遠慮なく」
インスタントコーヒーの粉をマグカップ2つに均等に入れていく。
「砂糖はいる?」
「いらない」
「俺と同じだ」
「意外だね。砂糖とミルクいっぱいとか言い出すかと思った」
「外ではそうだよ。その方が可愛いしヒロインっぽいもん。でも今は家の中だからそんな事する必要ない」
「王子様のオレはいるけど?」
「あ!……や、やっぱり砂糖とミルク多めで……」
「いいよ、無理しなくて」
家にいるからかどうしても素の自分が出てきてしまう。
「最初は可愛いヒロインになろうって王子の前でもいいとこ見せて頑張ってたんだけどね、なんだろ。ちょっと色々バラして気が抜けたのかな」
「ヒロイン、ね。前々から言ってるけどアンタが言うヒロイン……お姫様って何のこと?」
「いばら姫とか白雪姫とかそーいうやつかな。あ、姫って言っても人魚姫はダメだよ?」
「なんで?バッドエンドだから?」
「違う違う。……人魚姫は自分で頑張ったからだよ。声を捨てて足を手に入れた。自分の意志で大事なものを捨てたんだ。王子様と幸せになりたかったから」
典型的なお姫様と違い、人魚姫だけは自分の力で陸に上がって、そして悲惨な末路を知りながら泡になって消えて行った。
俺にはそんな勇気も度胸もない。
一生海の中で一目見た幻想を追い続けるだろう。
「俺はああはなれないって思ってた。俺だったらきっと王子様の事は諦めて普通に生きていくよ。……王子様が俺の事を陸まで引き上げてくれるなら話は別だけど」
「焦ってる?」
「え?」
「自分を陸まで引き上げてくれる人はいつまで待ってもこない、もうすぐタイムリミットが来ちゃうのに、なんて」
「前はね。でも今は頑張るって決めたもん。焦ってるのは本当だけど、俺はもう待たない」
自分の夢が叶うのかはわからない。失敗するかもしれないし、チキってスタートラインにも立てないかもしれない。
でもそれは、今は考えない様にする。
「王子と二人なら頑張れる気がするから、だから頑張るよ。とりあえず目の前のことからね」
「ああいうのとか?」
王子はそうしてリビングの壁を指差した。そこには凹みがあり、こぶし大の小さな穴が空いている。
「ああ、壁のへこみはもうどうしようもないんだよね。業者呼ばないと」
「なんでもないことみたいにいうな」
「これが俺の普通ですから」
暴力と怒号が日常。それ以外は知らない。知ったところでどうにかなるわけじゃないけれど。
「母親いないんだっけ」
「うん。居なくてもあんまり不便ないけどね」
家事は自分がやっているし、父さんは十分に稼いでくれている。
「うちの母親さ、出て行ったんだよ。俺を下ろして欲しいって思ってた父さんに無理言って産んで、母親業嫌になってさよなら。父さん俺のこと苦手なのに置いてくなんて本当自分勝手だよね」
母親が居たらなんて想像したことはないけれど、居たところで現状は変わらない様な気もするし。
自分にとって母親とは、空想上の生き物に過ぎなかった。
「……父さんさ、これでも昔は俺のこと大事にしてくれてたんだよ」
だからその穴を埋める様に、父さんは俺を大事にしようとしてくれようとしていたんだと思う。
「俺が演劇始める前は……距離はあったかもしれないけど暴力振るわれたことは一回もなかった。だから一応あの人は俺のこと子供って思ってくれてるのかなとか愛そうとしてくれてんだろうなって安心してたんだけどね」
だけど、結局はこのざまだ。父さんにとって自分の存在は枷でしかない。
「なんか、やっぱり俺って父さんにとっては邪魔なだけなんだなぁって改めて最近思ってる。声が出なくなってうまく立てなくなって改めて思った、好きなことを我慢するのは酷だ」
自分が演劇ができなくなって、思ったのだ。
きっと自分は「これ」を取られたら生きていけないと。
そして自分は父さんにそれを押し付けている。それも過去の焼き増しと言う最悪の形で。
きっと自分の舞台を見せたいなんて感情は子が親に向けるそれではなく、自分が貰ったものの証明と言うエゴでしかない。
本当にいいのかと思う時もある。
でも、それを上回る様にその汚いエゴが俺の中で大きく存在するのだ。
「まあ、世の中にはもっと辛い家庭環境の人がいるんだから。暴力や不仲くらいでぴーぴー言うなんてなんだって思うかもしれないけどさ」
「……よくその理論みたいにさ、アフリカの子供たちは、とか戦争してた時よりは幸せなんだからとか言うけどさ。辛さの比べっこなんてしても意味ないよね。今死にそうなくらい辛いのは本当だし、そんな事言って自分の限界越えちゃってからじゃ遅いんだから」
「だから暴力くらいで、なんて我慢しないで。もう無理だったら辛いでいいんだよ」
「……辛い、か」
「辛いって思ってもいいのかな」
「いいよ。僕が許す」
「ふふ、ありがと」
「家は出ないの?」
「……出るよ。来年社員寮があるとこに就職する。だから時間がないんだ」
残りは半年もない。父さんは一時帰国らしいから実際は時間はもっと限られていると思う。
「子供で居られるのは高校生までだからさ、それまでに仲直り……とはいかなくても普通の家族みたいになりたかったんだ。なんだろ、大人になったら素直に甘えたりできない気がして」
来年からは社会人だ。そうなれば大人としての自覚も出てきて、この関係にも時間がうまく折り合いをつける様になるだろう。
「今でも遅いかもしれないけどね」
「そんなことないよ」
彼はケーキを一口、口に運んで笑った。
「君が期待してるような甘え方は期待できないかもしれなけど。期待してる全部は叶わないかもしれないけど。それでもその一部分くらいはきっと叶うよ」
「あはは、無責任なこというなあ」
でもきっとそれが俺が欲しかった言葉だと思う。
もう手を繋いだりは無理かもしれないけど軽口叩き合うくらいならいつかできるようになるといい。
ケーキを食べ終わると、夕方の鐘がなるくらいにはいい時間になっていて、外から流れる音楽とともに王子は席を立った。
「じゃ、僕はこの辺で」
「まだ五時だよ?もっと居てもいいのに」
「そろそろお父さん帰ってくるでしょ」
「ああ、そっか」
確かに世間一般的にこの時間帯には親が家に帰ってくる家庭も多い。
「……また来てくれたりする?」
「え?」
「い、いや、嫌だったらいいんだけど!」
自分でもそんな言葉が出てくるのが意外だった。今まで家庭の内側に入れたことは誰もいない。
一度知られてしまったのが原因か、またはそのひとが「王子」だからか。
今の自分にはわからなかった。
「アンタが良いならお父さんがいない日、遊びに来るよ。今度はそうだな、普段のお礼にご飯でもご馳走して貰おうかな。出来るんでしょ?料理」
「ーーうんっ!頑張って作るからたのしみにしてて!」
「期待してるよ。じゃあね」
そうして王子はドアの向こうへ去っていく。いつもはどうでもいいはずの明日が急に楽しみに思えた。




