その一
お察しの通り、ここは夜会です。
そして、視線の先に婚約者ターナー様と潤んだ瞳のメアリー様。
ウキウキワクワクが抑えられず、お二人がこちらに来る前に、ソソソッと横歩きで近づきます。
『さあ、早く気づいてくださいませ!』
念を送ります。
その甲斐あって、ターナー様が気づいてくれまして、メアリー様を引き連れてこちらに参りましたわ。
「エルザ! 話があ」
「お待ちしておりましたわ!」
あら、先走ってしまいました。ターナー様の台詞に被せちゃうなんてお恥ずかしいわ。
「お、お前、なぜにそんなに生き生きしている?」
「待ちに待ったターナー様にお声をかけていただきましたもの!」
ああん、もう心がウッキウキよ。この日をどんなに待ちわびたことでしょう。この日のために、血の滲むような努力をした日々が思い浮かびますわ。
「あ、ああ、そうだろうな。お前の私への執着は相当なものだな。嫉妬でメアリーに陰湿ないじめをするほど‼」
待ってました、この瞬間。いえ、これからが勝負ですわ。さあ、もっと言ってくださいまし。
「……お前、なぜそんなに嬉しそうなのだ?」
「もうっ! ターナー様、話の腰を折らずさっさと進んでくださいませ」
あれよ、あれ! 虫とかズッタズタとか、怪談とかの台詞、舞台演者のように言うあれよ。
「ターナー様」
メアリーがよよと瞳を震わせて、ターナー様に身を寄せました。でかした、メアリー様。流石です。さあターナー様、さっきの続きを。
「メアリー、そう怖がるな。今、解決してやる」
「ええ、でも……」
ちらりと私を見たメアリー様は、小さく震え出しいっそうターナー様に身を寄せましたの。
「エルザ、そんなに怖い顔で睨むな。女の嫉妬は醜いぞ」
「ええ、了解ですわ。まずは、睨むですわね。結構自信がありますのよ、睨み顔」
メアリー様を睨みますわ。
訓練に付き合ってくれた侍女から、間違っているけれど合格点をもらった睨み顔。
「お前、その奇妙な顔は何なのだ?」
「今、睨むを実行しておりますの」
「……顔のパーツを中央に寄せている変顔を、令嬢がするもんじゃない!」
「クッ、やはり落第だわ。帰宅したら、練習致しますわ、ターナー様。ですので、この顔でご容赦を」
「気色悪い、元に戻せ!」
「了解ですわ。結構この顔疲れるのでありがたいです」
顔を元に戻しまして、ドレスを摘まんで軽く一礼しました。
「お前、わざと話を逸らしているだろう! そうはいかん。お前の悪行を明るみにし、メアリーに謝罪してもらう」
「もうひと声!」
「そうだ! お前など私の婚約者に相応しくない」
「よっ! だから?」
「婚約破棄を申し入れる!」
「惜しい。申し入れても家判断。ここはもうひと声!」
「この場で婚約破棄だ!」
「ええ、了解ですわ」
ターナー様ったら、普通は一気に捲し立てるのに、微妙に中途半端なんですもの。
「ん? 妙な声が聞こえたような……」
「ターナー様! 私がどのような悪行を?」
ふぅ、危ない危ない。感づかれては今までの努力が水の泡。
「ターナー様、私のために……メアリー嬉しい」
「ああ、私はメアリーのためなら、公爵家にだって楯突けるぞ」
だーかーらー、イチャイチャは後でしてくださいませ。さっさと、話を進めましょうよおぅ。
「早く楯突いちゃってくださいませ。私エルザ受けてたちますわ!」
「いい度胸だ、エルザ! お前の悪行を明るみにしてやる!」
やっと始まりましたわ。さあ、来なさい。あなた方の思い通りになんて、いかなくってよ。いえ、違いましたわ。思い通りにしちゃってよかしら?
「メアリーに嫉妬して無視し、夜会で孤立させたな」
「了解ですわ。まずは、虫ですわね。公爵家の威信にかけて、眉目秀麗、洗練かつ強靱な虫を用意してありますわ。出よ、オーロラ蝶‼」
私の合図を受けて、公爵家の黒子が夜会場の扉をソッと開け、放ちました。
辺り一面蝶が舞っています。これで、私の悪行は実行されましたわ。ふぅ、婚約破棄ですわね。こんな悪行をしたんですから。
ちらりと壇上を窺います。
……ひどい、首を横に振っているわ。この程度では許可が下りないのね。
「他にどんな悪行を?」
「その前に、この蝶は何だぁ⁉」
ターナー様の怒鳴り声に蝶が驚いてリン粉を撒き散らしました。
「いやぁ」
なぜか、メアリー様にだけ降っていますね。ドレスがオーロラ色に発色してます。髪も肌も……人間マーブルだわ。
「メアリー大丈夫か⁉ エルザ、お前はこれが目的だったか! ドレスを汚し、ズッタズタに何度すれば気がすむんだ⁉」
「了解ですわ。まずは、ズッタズタですわね。公爵家の威信にかけて、斬新かつ繊細なズッタズタをお見せしましょう! 出よ、仕立て屋‼」
公爵家専属の仕立て屋が、私にスケッチブックを渡しました。ここは集中よ、エルザ。あなたは王国一のデザイナー。今この時、この想いを筆にのせる!
メアリーに向け、筆を縦に持ちバランスをとります。ええ、メアリーは可愛い系ね。だからって、幼すぎるデザインのドレスだから、女子に敬遠されるのよ。まさに、男ウケ的なドレスだもの。
「決まったわ!」
脳内に浮かんだドレスを描く。あの裾一杯のフリッフリはズタズタに切ってしまいましょう。そして、肩からSラインに流して腰とヒップを際立たせる。いい感じだわ。
ふんだんにつけられたリボンも要らないわ。あれをほどいてシャギーカットして、背中をパックリ開かせてからの、腰にシャギーカットのふんわり装飾で、ダンスの時の釘付けアイテムに!
スケッチにしっかりデザインし、仕立て屋に渡しましたわ。
「やっておしまい!」
メアリー様のドレスにハサミが入ります。ほーらズッタズタよ。
瞬時にメアリー様は、大人可愛いに変身しました。グッジョブ私。グッジョブ仕立て屋。
あら、メアリーったら、涙目ですわね。これで、どうかしら? 壇上を確認します。
なぜよ⁉ 頭に手を当てて首を横に振っている。これでもダメなの?
やっぱり、最終段階までいかないといけないのね。ええ、覚悟を決めましたわ。
「さあ、メアリー様。準備はよろしいかしら?」
「へ? あの、何ですの? メアリー怖いですぅ……ターナー様ぁ」
ターナー様がしかとメアリー様を抱きしめております。何気に手がパックリ開いた背を上下に動いていますわね。
「役得、役得ぅですわね、ターナー様」
「ああ、役得、役得っじゃない、エルザめ!」
のってたくせに。ターナーめ!
「最終手段に出ますわ。これが最後の機会です。メアリー様お覚悟を!」
「メアリー、私の後ろに隠れろ。君には指一本触れさせはしない!」
出ましたわ! ここは舞台。恋い焦がれる恋人たちにスポットが当たる場。
クライマックスが近いわ。さあエルザ、あなたの出番よ。
「かくなる上は……メアリー様には背筋も凍る恐怖を味わっていただきますわ‼ オーッホッホッホ」
「本性を表したな、エルザ‼ お前の悪行、この私が暴こう! 嫉妬のあまり、メアリーを亡きものにしようと、階段からつき」
「ええ、それを実行しましょう! 公爵家の威信にかけて、渾身の怪談落ちをご披露致しますわ! 出よ、黒子‼」
このために、長い月日をかけて磨いてきた話術。雨の日も風の日も、晴れた日も曇天の日も、真っ暗な部屋で修行した日々が思い浮かびますわ。
「暗転を‼」
黒子たちがいっせいに動きます。私との阿吽の呼吸は、芸術の域に達していますわ。ボロ黒いカーテンが下ろされます。
ええ、お訊きになりたいことはわかっておりますわ。なぜ、シルクの黒光りするカーテンでないかと。
それでは、怪談の風情が出ませんわ。夜会場のカーテンをこっそり変えるのには、苦労しましたわ。ですが、流石公爵家の黒子たち。この日のために暗躍していただきました。
「お、お前気は確かか⁉ 何をやらかす気」
「灯りを‼」
ターナー様の言葉を遮ります。
そして、いっせいに灯りを消しますの。夜会場のあちこちで、悲鳴が聴こえてきます。そして、殿方たちの頼もしい言葉も。
「大丈夫だ、メアリー。私に掴まっていろ。決して離しはしない」
「ヒューヒュー。役得、役得ぅですわね、ターナー様」
「そうそう、役得、役得っじゃない、エルザめ! 真っ暗にしてメアリーに危害を加えるつもりだな。誰にも見られぬようにするとは、卑怯だぞ‼」
「フッフッフッフ……」
ええ、卑怯上等でございます。
「フッフッフッフ……」
夜会場に響く不気味な笑い声。そして、フッと一本のろうそくに火が灯る。
「ンギャァァーー‼」
顎から照らした顔って、綺麗なら綺麗なだけ、恐怖を与えるって本当ね。この日のために、鏡で幾度も練習し、映える髪型だって見つけたのよ。
恐怖の濁音悲鳴いただきました。ターナー様ったら、両膝がガクブルですわね。メアリー様ったら、ターナー様の背に隠れて目をギュッと閉じていますわ。私の努力が水の泡じゃない。
気づいた黒子が、メアリー様の肩に羽扇子を走らせます。パックリ背中に、羽扇子。
「ヒャァァーイヤァァーー‼」
飛び退いて、こちらに来ましたわ。ささ、どうぞ渾身の顎照らしを見て!
「メアリー様……フッフッフッフ」
「グギャァァーー‼」
腰が抜け、崩れ落ちるメアリー。
エルザ、快感!
「怪談……王宮の北の端。朽ち果てた離れ。その奥にひっそりと佇む墓石。夜な夜な聴こえる泣き声」
「や、やめろ」
ターナー様ったら、声が震えていますわ。その他も震えていますけど。
「黒子」
ひと声で、黒子は私の意を汲みます。
ボーン
「時計が零時を知らせる……」
ボーン
「一時……」
黒子、完璧なタイミングで鳴らしているわ。ひとえに努力の賜物ね。
ボーン
「ピチィの墓石……」
「やめろぉぉーー」
ターナー様ったら、叫んでしまったわ。
「……あのぉ、ピチィって?」
床から疑問が投げかけられました。
それだけでなく、ザワザワと周辺にも伝染していきます。ピチィとはなんぞや?
「ピチィ、それは」
「やめるんだ、エルザ‼」
ターナー様ったら、必死の形相ですね。
「ピチィは、ターナー様と閨を一緒にしていたものですわ」
そこかしこで、ヒソヒソザワザワ。
「やめるんだ、エルザ‼ 私はもう忘れている。今さら、蒸し返すな」
「彼女の存在をお忘れに? あれほど執着していたのに。十五歳まで離さずお傍におかれたものなのに?」
「変な言い方をするなぁぁ‼」
「了解です。言い換えますわ。愛するがあまり首を絞め、腕を振り回し、拳を腹部にのめり込ませ……あの物は……とうとう……バラバラに」
『キャァァーー』
黒子、素晴らしいタイミングでの効果音をありがとう。
「だーかーらー、誤解を招く言い方をするなぁぁ‼」
「そう、ついには五階から投げ落とされ……バラバラに……墓石に招かれ……」
『キャァァーー』
黒子よ、流石ですわ。この日のための修練が実りましたね。黒子たちと握手を交わします。
そこかしこで気絶した令嬢らを、殿方たちが介抱していらっしゃいます。
「ピチィ、享年十五歳。王子の一人寝に付き添いし……ぬいぐる」
「言うなぁぁーー」
ターナー様が私の口を塞ごうと迫ってきました。フッと息を吹きかけろうそくの炎を消します。
「エルザ、卑怯だぞ‼ どこにいる⁉」
「ある日は帝王学のストレスの捌け口に……またある日は弱音の相手に……そして、ベッドに地図を描いた身代わりに、『こ、これは、ピチィがおもらししたんだ! 僕じゃないぞ。さあ、ピチィ謝りなさい』」
「やめるんだぁぁーー‼ どこだ、どこにいるエルザめ!」
ターナー様ったら、メアリー様を放ったらかしですよ。
そそっと横歩きで、ターナー様から離れます。向かうは壇上のあのお方ですわ。もちろん、手土産も忘れません。
「今よ‼」
黒子、バッチリよ。壇上の椅子がパッと照らされます。
『ターニャー、ピチィですぅ。ターニャーのために、ピチィ生まれ変わったの』
椅子に座ったぬいぐるみピチィ。私が一針一針縫った最高傑作です。幼い日の記憶をたどりながら、ターニャー様が……いえターナー様がいつも右手に繋いでいたうさぎのぬいぐるみピチィ。完璧な仕上がりだわ。
椅子の背後の黒子は、ピチィの両腕を広げターニャー様を待ちます。
『おいで、ターニャー。ピチィと一緒におねんねしよっ』
「ピ、ピチィ……」
ターニャー様が、感極まって駆け寄ってきます。
『ピチィ、ターニャーとずっと一緒よ』
「ピチィ! んなわけあるかーー⁉ エルザ、その拡声器を離しやがれ!」
「まあ、バレてましたの、ターニャー様?」
「ターナーだ!」
「お前たち‼ いいかげんにしろっ!」
ピチィの横に立つ王様が一喝しちゃいました。
「すみません、王様。ピチィのために立っていただいて」
「エルザ、父上を立たせて何をしてるんだ!」
『ピチィ、だって自立できないもん』
「ピチィのふりをするな!」
ああん、拡声器を奪われました。せっかく盛り上がってきましたのに。
仕方ありませんわ。総仕上げと参りましょう。
「王様、私の悪行三昧しかとご覧いただいたと思います。身に覚えのない断罪では、いつか冤罪がはれてしまいますから、私、渾身の悪行を実行致しましたわ‼ この場には、証人の方々もおられます。どうか、どうか婚約破棄を!」
黒子が灯りををポッポッポッポッポと灯していき、夜会場は明るくなりました。
夜会場を見回し、証人の方々に同意を求めます。
「そんの前にぃ、この飛び舞う蝶をなんとかしなさい!」
「あらあら、すみません、王様」
夜会場を飛び舞うオーロラ蝶は、キラキラと輝いております。
黒子に合図して、ズタボロカーテンを回収させました。そして、一番大きな窓を開けます。
「さあ、お行き」
月明かりがオーロラ蝶を幻想へと誘いました。そこかしこで、恋人たちが手を取り合って眺めています。
「あら? 皆様、お相手が間違っておられますわ」
手を取り合っていた恋人たちが、バッと手を離します。しかし、名残惜しげに瞳が互いを見つめておりますわ。
良いことを思いつきました。
「王様! ターナー様だけ恥ずかしい婚約破棄をなさることはありませんわ!」
「なんで、俺が恥ずかしいんだ⁉ エルザの悪行のせいではないか!」
『ターニャーうるさい‼』
絶妙のタイミングのピチィですわね、黒子。
「木を隠すなら森、おもらしを隠すならピチィ、婚約破棄を隠すならオール婚約破棄ですわ!」
「エルザ、なぜにピチィが出てくるんだ⁉」
「勢いで?」
「こんな悪女とは婚約破棄だ‼」
「ええ、了解ですわ。王様、是非オール婚約破棄を了承くださいませ」
「周りを巻き込むなぁぁ‼」
ゴツン‼
王様ったら、手加減なく振り落としちゃってます。ターナー様は、白目を剥いてバッターンと倒れましたわ。
はぁ、これでは婚約破棄できないではないですか。役者が揃っていませんから。ん? 役者と言えば……メアリー様は……
「今夜の夜会はこれで解散だ! 皆、今日の出来事は他言無用。……私の独り言だが、婚約を再検討した方がいいぞ」
流石、王様ですわね。
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