6話
風が肌をくすぐる。
花の匂いが嗅覚を刺激する。
手の感触が、土を感じる。
瞑っている目が眩しく感じる。
・・・日の光が目に入っているようなそんな感覚。
眩しさで、意識が急に覚醒する。
「・・・!」
目が覚めた。
とても青い、澄み切った空が視野に広がっている。
自分は・・・どこかに寝転んでいるようだ。
「そうだ・・・!皆は!」
立ち上がり、更に周りを見渡そうとするが。
下半身に違和感がある。
重いというか、いつもより負荷を感じる。
目線を下半身に送る・・・と。
「・・・ああ」
俺の腰にしがみつくように寝ている八霧。
足を掴んでいる神威。
少し前に・・・皆を・・・すべて失ったと思っていた。
守れなかった・・・と。
だが、八霧と神威が確かにここにいる。
・・・まずいな、年を取ると涙腺が緩んでしょうがない。
ふと、1人の体が動いた。
「・・・ふぁぁ・・・あれ?」
身体を伸ばして最初に起きたのは八霧だった。
辺りを見渡すと、俺と目が合った。
「あ・・・トーマさん」
「無事で何よりだ・・・」
そう言って頭を撫でる。
くすぐったそうに成すがままになっている。
本当に、無事でよかった。
しばらく、眠気眼だった八霧を見守っていた。
こいつが本調子になってくれれば、今の状況も分かってくるだろう。
「・・・おはよう、トーマ、八霧」
聞こえた少女の声。
・・・神威が起きたようだ。
起きるなり、すぐに髪を触っている。
「・・・!」
髪の崩れが気になったのか、髪留めを解き、櫛を取り出してセットを始めた。
その様子を見て、ほっと一息ついている八霧。
「いつも通りだね、大丈夫そうだ」
「ああ・・・そうだな」
しかし・・・ここは何処だ?
メニューは開けないし、システムコマンドも打ち込めない。
コンソールすら出てこない。
「・・・」
インベントリも開けない・・・アイテムが使えないという事だ。
槍は背負っているので、武器はある。
しかし、盾はインベントリに閉まっていた状態だ・・・出せないのか?
腰に下げている道具袋に手を突っ込み、何かないか探る。
「・・・?」
頭の中に・・・インベントリの中身が流れてくる。
なんだ、これは・・・?
試しに・・・鏡の盾を思い浮かべて・・・
手に引っかかる物を引きずり出す。
袋から出てきたのは、到底小さな道具袋からは出てこないような、盾。
・・・4次元にでも通じてるのか、この袋は。
「もしかして・・・」
八霧が呟く。
自分の道具袋に手を入れると、長い杖が道具袋から生えるように出てくる。
・・・到底入らない大きさのものが、小さい袋から出ている。
「やっぱりそうだ、EOSのアイテムは、全部この中に入ってるんだよ」
「こんな小さい袋にか?」
「うん」
前は、メニューを開いてからインベントリを開いていたが。
・・・メニューが開けない以上、こうやって取り出せることが分かったのは有難い。
原理は・・・置いておこう、役に立つなら使うだけだ。
「トーマ、鏡・・・ない?」
「ん?おお」
草原に先ほど出した盾を突き立てる。
盾を展開すると、中央から磨かれた鏡が現れた。
「・・・んー」
髪を梳いている神威。
髪型に相当こだわりがあるようで、暇があったら髪をいじっていた。
鏡の盾を出してみたのも、彼女の為だ。
普段なら、ギルド内の大鏡を使うんだが・・・ここにはないからな。
こんな時になんだが、いつもの行動をしてくれる神威に、安心感を覚えていた。
「しかし・・・変な場所だね」
八霧がそう呟く。
限りなく草原が続いている。
所々に大きな石が転がっている以外は、何の変哲もない平原だ。
「EOSにこんな場所は無かったと思うんだが」
「そうだね」
・・・。
ここは何処だ?
――――――――――――――――――――
神威の準備が終わったので、3人で草原を探索する。
残りのメンバーの事、2つのギルドの事も気になったが。
とにかく、自分たちがどこにいるかを確認するのが先決だろう。
草原を歩きながら、八霧は近くの石を蹴ったり、
草を千切っては、風に流したりしていた。
「何してるんだ?」
「ここ、本当にゲームの世界なのかな・・・って」
「・・・どういうことだ?」
八霧が手に掴んだ草を、風に流す。
風で舞い上がると、草は遠くへと飛んでいった。
「異世界じゃないかって思うんだよね、僕」
「異世界?」
「うん、メニューやコンソールが開けない・・・これは、EOSの世界じゃないから。
全く知らない場所なのは・・・僕らの知らない世界だから。
そして、これが重要だよ」
重要?
ゴクリとつばを飲み込む。
こいつの事だ、とんでもない事実に気づいたのか?
「僕、お腹すいた」
「・・・は?」
空腹?
・・・いや、待て。
EOS内では、空腹は感じないはず。
ダイブ中は身体の影響を受けないはずだ。
・・・要するに、ゲームをやっている間は、腹は減らないし、トイレという感覚も無い。
その代わり、ログアウトした直後に襲われることが多いが。
「EOSでは空腹は感じないはずだ」
「うん、そうだよね。これは生理現象だし」
八霧は言葉を切ると。
「・・・コンソールやメニューが開けないのは、バグだといえば納得できる。
知らない場所も・・・僕たちが知らないEOSのどこか、かもしれない。
・・・でも、この生理現象は説明がつかないよ?」
バグで生理現象が生まれるなんてありえないだろう。
・・・頭を抱える。
じゃあ、ここは本当に何処なんだ。
俺達は一体、何の世界に迷い込んだっていうんだ。
「トーマ、トーマ」
左手を引っ張る感覚。
神威が引っ張っているようだ。
なんだ・・・考え事の最中なんだが。
とはいえ、邪険にするのは可哀そうだろう。
「・・・どうした?」
「あれ」
神威の小さな手が、草原の先を指さす。
「あれ・・・人間、かも?」
小さくしか見えないが、確かに複数の人影が動いている。
しかも、大きな何かに追われているようにも見える。
・・・襲われているのか?
「・・・トーマさん、どうしますか?」
八霧がこちらを見る。
その目は、指示を仰ぐ目だ。
・・・そうだな。
「今の俺達には情報が必要だ。・・・助けてみるか」
――――――――――――――――――――
ミノタウロス3体に追いかけられている一行。
1人はドレスの上に鎧を着た女性。
1人は、その女性にしがみつきながら走る、少女。
そして、その女性達を庇うように走る騎士と兵士たち。
「姫様!ここは我々が・・・!」
走っていた兵士複数が一斉に足を止める。
その顔は、死を決意した表情で自分たちの姫を見ていた。
「あなたたち・・・!」
足を止めた兵士たちは、自分の隊長である騎士を見た。
「隊長!姫様をお願いしますぜ!」
「俺たちが・・・時間を稼ぐ・・・!」
「お前達・・・しかし!部下を見捨てていけるものか!」
騎士はそう叫ぶが、ミノタウロスの足音は既にそこまで迫っていた。
その顔は、焦りと後悔が混じった表情をしていた。
「隊長!早く!!」
「・・・お前達の事は・・・忘れん!」
姫の肩を掴むと、草原の奥の森の中に消えて行った。
兵士たちはそれを見送ると、眼前に迫る魔物を見据えた。
目の前に迫る、巨大な体躯の化け物。
3m程の全長、全身にびっしりと生えた、鉄の高度を持つ体毛。
短い2本の足、それに反比例するように肥大化した上半身。
頭は牛、2本の角が天に向かって雄々しく生えている・・・ミノタウロス。
手には大型のポールアクスを握り、こちらを睨みつけながら前進してくる。
「・・・お前らと一緒に戦えて、よかった」
1人の兵士が、剣を構えてミノタウロスへと突進する。
「この・・・野郎がぁーー!」
恐怖心を叫びに近い怒号でかき消し、男は体を前に出す。
しかし。
ミノタウロスの斧が水平に平原を斬る。
走っていた男の、上半身が下半身から落ちた。
「が・・・!?」
血を吐き、草原に横たわる男の上半身。
流れた血がとめどなく、大地を濡らしていく。
その様子を見た隊長代理の男が叫ぶ。
「ゼロームの意地・・・見せてやるぞ!お前ら!!」
生き残っている兵達がミノタウロスの前面に散らばる。
ある者は弓を構え、ある者は槍を構える。
全員の顔は恐怖で染まっていたが、逃げる者はいなかった。
「掛かれぇ!!」
――――――――――――――――――――
あっという間に・・・勝敗は決した。
今の目の前に広がっているのは・・・兵士の死体。
奴らは波状攻撃をものともせず、強引に・・・近づく奴から殺していった。
ダメージなんて、受けた様子も無い。
皆は・・・無駄死にしたっていうのか・・・。
8人いた仲間も・・・俺が最後。
「く、くそ・・・!」
手が震えて、持っている剣の先が振動している。
その様子を見て、ミノタウロスのうちの1体が、俺の方にゆっくりと歩きだす。
ポールアクスを振りかぶりながら。
死ぬ・・・直感した。
俺には・・・回避できない。
足が動かないんだ。
さっきから震えて・・・。
だが、死んでいった仲間を思うと。
その無念を考えると。
・・・どうせ殺されるなら。
どうせ殺されるなら!
持っていた剣を振りかぶり、ミノタウロス目掛けて投げた。
放物線を描き、ミノタウロスの肩に剣が掠る。
自分の肩を見るミノタウロスは、ニヤリと笑う。
そして兵士を見て、振り上げた手に力を籠めた。
「俺はゼローム皇国の兵士だ!」
もう一本の剣を腰から引き抜き、自分から斬りかかりに行く。
足元まで近づき、1度、2度と足を切りつける。
だが・・・血はおろか、薄皮一枚向けてはいない。
「くそ―――」
次の攻撃を仕掛けようとした身体に、ミノタウロスの左手が襲う。
殴られたと思った時には、遠くの木の根元まで身体が吹き飛んでいた。
何度かバウンドし、転がる身体。
「っげほ!」
口から血を吐き出す。
・・・口の中が鉄臭い。
意識も、遠く・・・目の前に・・・ミノタウロスが。
ビュッっと、重く風を切る音が響く。
その音に、気絶しかけていた男の意識が少し戻る。
目の前に立っている、ミノタウロス。
斧を振り上げた格好のまま、自分の前に立っている。
しかし、いつになっても動く気配が無い。
ミノタウロスの身体が、仰向けに倒れる。
「・・・な、なん・・・だ?」
痛む体に無理を言わせ、身体を起き上がらせる。
・・・力が入らないため、起き上がるのは無理だった。
「八霧、錬金術で回復薬は作れるな?」
「うん、任せてよ」
誰だ・・・誰かが、助けに来たのか・・・?
いや、そんなはずは・・・俺たち以外の兵士は・・・全滅したはず。
身体に誰かが触れる。
同時に、目の前に若い女性の顔が見える。
その顔は、とても美しいものだった。
「・・・んー、大丈夫。怪我はひどいけど、命に別条はなさそうだよ」
「そうか」
もう一人の男が、倒れたミノタウロスに近づき、何かを引き抜いた。
・・・俺は・・・。
読んで下さり、ありがとうございました。