5 軍曹は森の主
美味いチョコレートは、本当に美味い。
私がアシダカ軍曹と話し合っている時、ウィリアムたちも話し合っていた。
「ちょっ、リーダー、いきなり大丈夫かよ」
ウィリアムが戻ると、コークスが強張った顔で呻く。まさか、迷いの森を出る手段を依頼に行くとは思っていなかった。
「今のところ大丈夫だろう。グンソウが森の主ならば、今話す以外ないからな」
間に自称友達のリムがいる状態が一番安全だ。
見る限り、ごく平凡な少女だ。平凡ではないのはフォレストブラックスパイダーを友達などと言い出す豪気さだろう。
突然、友達と言われたフォレストブラックスパイダーが跳ね出したのは、嬉しかったからに違いない。
当のリムはきょとんとしていたが。
「だけど、リムってかなりお人好しだぜ、あれ大丈夫なのか? 逆の意味で」
「確かに…心配になるな」
フィッツの言葉にウィリアムはゆっくりと頷いた。
いきなり目の前に現れた、素性のわからないウィリアムたちに食料を分けてくれたのだ。
勿論、代金は払ったが、迷いの森と言う特殊な場所で食料を分けるのは、充分お人好しレベルに達する。
「ジュエル、どうした?」
そんな話をしていたら、ジュエルの顔色が変わった。
「リーダー、リムを騙したりしたら、駄目よ」
「そんなこと、するつもりはないぞ」
「そうだよ、んなこと俺らがやるかよ」
「絶対よ」
「やけに突っ掛かるな、どうかしたのか?」
全く引かないジュエルに、フィッツが首を傾げた。
ジュエルは、フォレストブラックスパイダーと何やら話しているリムをちらちら見ながら口を開く。
「私たち、糸が付けられてる」
「糸?」
コークスとフィッツが自分とその回りをキョロキョロ見回す。
しかし、糸のようなものは見えなかった。
「ないぜ」
「魔法糸だから見えないわよ」
「魔法糸? グンソウか…」
糸と聞いて、繋がるのはフォレストブラックスパイダーしかいない。
ウィリアムの言葉にジュエルは強張った顔のまま頷く。
「うん、間違いと思うわ。私たちがリムの敵だとグンソウに思われたら…」
「一瞬で締められるな」
「締められる?」
ウィリアムの呟きに、コークスとフィッツは揃って震え上がった。
「遭遇した時に攻撃しなくて助かったな…リムが止めなかったら、死んでたのは俺たちだ」
「あー喧嘩とか、気の抜けたこと言い出したよな」
「そのお陰で俺たちの気も削がれたけどな」
「グンソウも引いてくれたけど、あれで従魔じゃないなんて」
「あれは、従魔と言うより、守護獣だな」
「そんな感じする…」
従うより、守っている。確かにそんな雰囲気だ。
友達と言うのもあながち外れてはいないのかも知れない。
「俺たちだけで良かった。もし『不滅』の連中がいたら…」
「リムの言うことなんか聞かないよな」
「真っ先に攻撃を仕掛けるよ」
「で、きっと私たちも巻き添え食うのね」
不滅と言うのは、Bランクが集まったパーティーだ。気の荒い者が多く、自分たちが利益を得るためならば、平気で周囲の者を巻き込む。それどころか、囮にさえする。
実に評判の悪いパーティーだ。成績が良いため、多目に見てもらっているに過ぎない。
それが彼らを助長させているのだか、ウィリアムたちCランクのパーティーでは、口出しなどほとんどできなかった。
言ったところで聞く相手ではないのだ。
巻き込まれないように、自衛に徹するしかなかった。
しかしその『不滅』のパーティーでも、相手があのフォレストブラックスパイダーのガーディアン種では、勝ち目などないだろう。
ウィリアムたちよりもつだろうが、確実に人間側が負ける。
ウィリアムが冷静に戦力差を告げると、コークスたちの顔色は一層悪くなった。
「ちょ、マジ?」
「俺たち、大丈夫なのかよ!」
二人は慌てるが、ウィリアムは動じた様子もない。
「問題ない。俺たちは今まで通りだ」
「今まで通り…確かにそうだよな。俺たち、誰かを騙して仕事をしたことなんかない」
「フィッツの言う通りだ。そんな汚いことはやってない」
ウィリアムは力強く頷いた。
「道を外れれば命を落とす。どこの世界でも同じだ。俺たちは今まで通りやっていけばいい」
ウィリアムの性格を反映してか、このパーティーの基本は自分に恥じることのないように、だ。
そうして、他者を欺くことなく、真面目にやってきた。
そのせいか、儲けの薄い時もあるが、商人たちの信頼は厚く、移動の際の護衛など指名を受けることも少なくはない。
あいつらに任せれば、心配ない。
そう言われることは、やはり誇らしかった。
「今まで通り…」
「でも、ちょっとは世話やいた方がいいんじゃないの?」
お人好しとしか思えない少女を、さすがに放置はできないのではないかと言う、コークスの意見を否定する者はいなかった。
「俺たちができることは、しよう」
「そうだね…ああ!」
話し合いが終わり、後はフォレストブラックスパイダーとリムの話が終わるのを待つだけとなったところで、フィッツが奇声をあげた。
「どうした?」
フォレストブラックスパイダーを指差して、フィッツはわなわなと震えていた。
「フィッツ?」
「グンソウ、今なにか食べた。滅茶苦茶喜んでるから、あれ凄い美味いんだよ」
「は?」
フィッツが指差しす先で、フォレストブラックスパイダーが跳ねている。
先刻からの様子を鑑みるに、フィッツの言う通り喜んでいるのは間違いなかった。
フォレストブラックスパイダーは、リムから渡された小さな丸薬みたいなものを食べ、再び跳ねいる。
フィッツは突然、リムへと突進した。
「それなに? 食べ物? 美味いの? いや、絶対美味いんだよね?」
「フィッツ…」
「あんな人だった?」
「今までの飢えが、余程苦しかったんだな…」
ウィリアムはしみじみと呟いた。
長い飢餓感のせいで、フィッツは食べ物のこととなると人が変わるようだ。
しかも、美味い物に対しての執着がとてつもない。
飢餓の果てに美味い肉が食べられたことも、ことの一端を形成しているのだろう。
あまりの予測を越えた有り様に、誰もフィッツを止められなかった。
◇◆◇
「それなに? 食べ物? 美味いの? いや、絶対美味いんだよね?」
「ええ?」
チョコレートをアシダカ軍曹にあげてたら、フィッツが突進してきて、思わず引いた。
目が血走ってるような気がする。
っていうか、こんな小さなものが食べ物だってよく気付いたね。
「食べ物ってよくわかったね?」
「グンソウが喜んでる!」
「あー、そーかー」
一粒食べる毎にびよんびよんしてたら目立つか。
「お菓子なんだけどね…チョコレートって知ってる?」
「菓子っ!?」
「え、お菓子…?」
フィッツの声を聞きつけて、ジュエルまでかやってきた。
目がキラキラしている。女の子はお菓子に弱いよね。わかるわかる。
「それ、食べさせてくれる? 一個は銅貨何枚?」
「銅貨か…」
え、だからこちらの世界の貨幣価値がわからないんたけど。
それにこのアソート、有名ホテル監修だから、割りと高いんだよね。だから、半額になってウハウハだった訳で…
味もさすがのクオリティで…
チョコレートって多分、こちらの世界にはないお菓子だよね。
女の子のジュエルが何のお菓子か解らないってことは、存在していたとしても一般流通していないんだよね。
そんなものを、ホイホイと出回らせてよいものか…
「え、これ銀貨…何枚…?」
即答しない私に、フィッツは顔を強張らせた。
「何枚っていうか、四つで銀貨一枚くらい?」
「一つで銅貨二十五枚!」
ジュエルが悲鳴をあげた。
ほうほう、つまり銀貨は銅貨百枚か。
さっき予測で銀貨一枚七千五百円に仮定してたから、銅貨一枚七十五円?
しまった、意外と計算し辛い。
銅貨一枚百円にしておこう。
後でそこから修正していこう。
えっと、銅貨一枚百円としたら、二千五百円…一粒二千五百円? 高っ! ちょ、この考え方はあってるの?
物価の差を十分の一としたら、ちょうど良いんだけど、その辺どうなの!
脳が…ついていかない…
「そんなにするのか…?」
呆然とフィッツが呟いた。
「ま、まあ、特別なお菓子だし…軍曹にだって一日一粒しか駄目って言ってるくらいだし…」
アシダカ軍曹の制限は健康面を考えてだけどね。
「一日一粒…しか食べちゃ駄目なの? そんなに特別なの…」
ジュエルの目の色が変わってきた…
怖いんですけど!
凄い怖いんですけど!
「銀貨一枚か…我々にももらえるだろうか?」
唸るフィッツとジュエルの横から、ウィリアムが銀貨を差し出してきた。
「えっ?」
思わず受け取っちゃたよ。
受け取っちゃったら、仕方がないよね。
私はチョコレートの入った箱をウィリアムに向けて差し出した。
「好きなの四つどうぞ」
「色が違うと言うことは、味が違うのか…」
「そうだよ」
「じゃあ、これを」
ウィリアムが取ったのはマンゴー味。
「フィッツ、ジュエル。どうした? 食べたかったんだろう?」
「リーダー、食べていいのか?」
「いいぞ、コークスも来い」
「スゲー、リーダー太っ腹!」
「きゃあ、ありがとう」
ウィリアムの奢りに、フィッツたちは狂喜乱舞する。
そうして、コークスはフランボワーズ。フィッツはブルーベリー。ジュエルはパインを手に取った。
「ウィリアムとジュエルは南国の果物、コークスは木苺系、フィッツは苺系だよ。ゆっくり噛んで食べてね」
フルーツの説明は適当だ。
マンゴーとか説明できないし。フランボワーズやブルーベリーを苺で括ったらいけないんだろうけど、もう雰囲気よ雰囲気。そもそもこちらの世界にブルーベリーはあるのか? なんだもん。
私の説明では解らないのも当然で、四人は微妙な顔で、チョコレートを口にした。
ゆっくりと咀嚼して、次いで零れ落ちるんじゃないかと思うほど目を見開いた。
「なに、これ美味しい!」
「こんなフルーツ食べたことない!」
「銅貨二十五枚、わかる。それくらいする!」
「貴族の菓子か…?」
まるで魂が抜けたような四人に、こちらの方が心配になる。
「おーい、戻ってこーい!」
私の呼び声に、四人はようやく戻ってきた。
「いや…美味かった。よいものを食べさせてもらった」
感嘆しきりで、ウィリアムが頭を下げた。
いつか一粒、3000円のチョコを食べてみたいよねー。