第97話 届いた拳、せめてもの願い。
「ヒ、ヒズミさん……」
「ヒズミ……」
呆然としたハイリスとドイルの声がやけに耳に残った。俺は、自分の中から消えていったヒズミさんの残滓の様な物を必死に追うが、その先にはポッカリとした虚無しか無い。
俺は、自分が思ったよりショックを受けている事に驚いた。『普通の』プレイヤーに戻った俺に、《不死生観》の解放者である俺に、その様な感傷があるとは。
『しまった』
平坦な声で神様が呟いた。
ヒズミさんを消しとばした自身の手を見つめ、先程まで彼女が立っていた場所を茫然と見ている。
俺の視界をシステムメッセージが蹂躙する。
《前任加護者ヒズミのアルプラからの消失を確認》
視界いっぱいに溢れる様々な文章。重なり過ぎてまるで読めないが、理解できた一文があった。
《不死なるプレイヤーズギルドの顕現》
待ちわびた。俺達の奥で、世界と世界の狭間でずっとこの時を待っていた《存在》が歓喜の……産声を上げた。
《スキル・《プレイヤーズギルド》の解除》
そして、世界中からプレイヤーが姿を消した。
*
ありふれた農村だった。
何百年か前……辛うじて四桁には満たない程の昔に、どこにでもある普通の村で生まれたのがヒズミさんだ。
俺は夢の様な物を見ていた。
追いかけた残滓、それが見せた幻影だろうか。
ヒズミさんは、『外』から流れてきた同じ年頃の少女の前に立っている。少女は、宝石の様に輝く艶やかな髪と宝石の様な瞳を持つ……華やかな見た目麗しい美少女だった。
対して、ヒズミさんは見窄らしかった。ガリガリに痩せており、家の手伝いで手も肌もガサガサ。顔にはそばかすもある。
だが、周りにいるのも皆そんなものだから、それまで彼女は全く気にしていなかった。でも、いざ目の前に『恵まれている』『神に愛された』存在が在ると……その瞬間から、彼女の心は嫉妬で埋め尽くされた。
『えへへ、お友達になってよ』
美少女の住んでいた街は、強大な魔物によって滅んだらしい。彼女の家族は皆死んでしまい、他に逃げ延びた人も途中で魔物に襲われて死んでしまった。
世界には、魔物という凶悪な生物が跋扈している。彼女に起きたそれはありふれた悲劇で、魔物から逃げる最中、崖から落ちて偶然ヒズミの村の者に拾われた美少女はむしろ幸運を持っていたと言っていい。
彼女の名は『アルナ』。後に聖女として、魔物を支配する魔王を討伐する運命にあった。
アルナは、不幸な身の上でありながら明るい子だった。底抜けな明るさは、ヒズミにとって自分の影を強くさせる忌まわしいものだった。
率先して村の仕事を手伝って、恵まれた容姿が汚れる事を厭わない彼女はすぐに村に馴染んでいった。彼女の世話を、任されていたのがヒズミだった。ヒズミは、彼女の事があまり好きではなかった。
『ヒズミー!』
アルナはヒズミを呼ぶ時、誰に対してよりも明るい声を出す。それはヒズミが、村の中で一番歳の近い同性だったからだろう。少なくともヒズミはそう、解釈していた。
『私も行くーっ!』
ヒズミが村の子供達と遊ぶ時、アルナも必ずその後をついて行った。栄えた街で、箱入り娘として育てられたはずのアルナにとって、田舎の身体が汚れる遊びは新鮮だったのかもしれない。
眩しい、宝石の様な笑顔に村の男の子達は皆魅了されていった。時にヒズミや他の女の子からいじめられて泣いた時なんかは、男女で対立して村を巻き込む大騒動になったりもした。
最後はヒズミが慰めてお終いだ。ヒズミも虐めた側なのに、アルナはくしゃりと顔を歪ませて皆を許した。
そんな所も、器の大きさの違いを見せつけられる様で嫌いだった。
時が経ち、成長すればするほどアルナの美貌は磨き上げられていった。
美貌を曇らせるはずの寂しい栄養状態や村の仕事も、まるで『神に愛されし』子には関係がないと言わんばかりに、美しく育つ。
ヒズミは、彼女の横に並ぶのがとても嫌だった。自分の惨めさが、露呈する様で。卑屈で地味な自分と違い、綺麗で根も真っ直ぐな彼女は……思春期を迎えたヒズミさんにとって存在そのものが、コンプレックスだった。
だが、ヒズミには一つ、彼女に勝る才能があった。
それは、魔法。
世界の理に直接干渉し、本来なら起こり得ない現象を起こす……奇跡の御技。天賦の才を持った者しか扱えない、少なくとも村の中ではヒズミだけの力だった。
『すごいすごい! もっと見せて!』
アルナは、ヒズミの力を手放しで褒め称えた。火を操り、水を舞わせるヒズミの力をいくつになっても無邪気な子供の様に喜んだ。
ヒズミは、それがたまらなく嬉しくて、何時までも見せつけた。
『聖女アルナ。お迎えにあがりました』
だが、ヒズミの優越感は、突如村にきたアルプラ教の神官達によって霧散した。
神託。
神から選ばれし聖女は、世界に魔物を蔓延らせる魔王を倒す運命にある。そう言って神官達は、泣いてヒズミに縋るアルナを大きな街へ連れて行こうとする。
神官達は村に多くの富を与えた。まるで、それでアルナを売れ。そう言っている様だったが、まさにそうするしか小さな村に生き残る術はない。逆らえば、きっと血塗れた強硬策に出ていただろう。
それを察した村人達は、アルナを説得し……やがて決意したアルナは、泣き腫らした目で村に別れを告げた。
神に、皆に愛されていた少女アルナとの別れに村人達は涙を流した。だが彼らに出来るのは未来に幸あれと、せめてもの彼女の幸福を祈るだけ。次第にいつもの生活に帰っていく。
アルナが神に選ばれた時にヒズミが感じたのは、敗北感だった。ずっと、燻っていた嫉妬の炎がまた強く燃え上がった。
聖女には、人を癒す力があるという。ヒズミの持つ魔の力とは比べものにならない……貴重な力だ。
そして、ヒズミはアルナを追う様に村を出た。嫌われていたわけではなかったが、別に周りから気に留められる事もなく、彼女は旅に出る。
魔法の力を極める為の旅だ。アルナにはなくて、自分にあるもの……それは、魔法だけだった。
自分以外の魔法使いの元を訪ね、力の深奥へ迫る旅。魔法使い達には、人間が住むには適さない場所に居を置いている者が多い。
簡単に言うと変人ばかりだ。旅の中で、ヒズミの魔法はより洗練されていき……やがて、世界には根源たる力があり、それに干渉する力こそヒズミの魔法だと気付く。
やがてヒズミは世界でも有数な魔法使いになった。それは、他人から認められる様なものではなく、なんとなく……そう理解した。
それでも満たされない何かがあって、とりあえず自分の容姿を変えてみたりした。
憧れていた、人目を惹きつける美貌。承認欲求とも言うべきものは満たされたが、それでもどこかが満たされない自分が居た。
やがて、その旅にも飽きて彼女はのんびりと森の奥に居を構えて隠居していた。長い旅とは言っても、精々が二桁にも及ばぬ年数……それだけの年数でヒズミの領域に至れるのはまさしく天性としか言えなかったが、それは彼女にとって何も価値が無かった。
漠然と、その理由は分かっていた。
『お久しぶりです。ヒズミ』
止まっていたヒズミの時が、再び動き出したのはアルナとの再会だった。やはり美しく、神懸かった造形の彼女は三人の仲間を連れて、ヒズミの元を訪ねてきたのだ。
アルナは面影の無い、すっかり変わってしまった外見をしたヒズミを一目で見抜き、顔色を全く変えずに彼女に対して微笑んだ。
『あら、すごい美人さんだぁ。アルナの幼馴染だっけ?』
桃色の髪の少女がぼけっとした声を出していたが、まるで耳に入らずヒズミは眉を潜めて低い声で問うた。
何をしにきたと。するとアルナは、昔と変わらぬ笑顔で言い切った。
『私と魔王を倒しにいきましょう!』
ヒズミは神託で選ばれたのだと言う。『賢者』……魔王討伐を使命とした『勇者』の一人として。
魔王を倒せば、世界から魔物はいなくなるらしい。魔物の起こす悲劇はなくなるらしい。ヒズミにとって、それはどうでもいい事だったが……彼女は、仕方がないとため息を吐いて、参加することにした。
アルナは、初めて会った時の様に、眩しい笑顔でそれを喜んだ。相変わらず、顔が良すぎて憎たらしいなとヒズミは思う。
そこからは、流れる様な日々だった。
結成された魔王討伐パーティーは、強力な魔物達を倒しながら、魔王が鎮座すると言う魔王城を目指す。
旅の中で、死にかけたりした事は何度もあった。共に笑った事、喧嘩した事も数え切れない。
全員の仲が良いと言うわけでは無かった。ハイリスは無鉄砲だし、レックスは人の話を聞かずよくヒズミと喧嘩をする。それに苛立って仲裁どころか一緒に喧嘩するのがドイルだ。
アルナもあれでいて、頑固で融通が効かなかったりした。
辛く、険しい旅だった。楽しい事の方が少なかっただろう。魔王を倒すという事に強い使命感を感じていたのはアルナとハイリスくらいで、他の三人は大した目的意識も無いのでそれでよく衝突もした。しかし旅は……端から見れば順調に終わりを迎えた。
魔王城で、激戦を潜り抜けてボロボロになった一行を待っていたのは光で出来た人形のようなものだった。
『お疲れ様、思った以上に来るのが早くてまだ《魔王》は用意できてないから、コレを《魔王》にするね』
見ただけで、住む世界が違う事を感じさせる《それ》は《神》を名乗り、そしてアルナを指差して……まるで何も感じさせない声でそう言った。
直後に、アルナは『死んだ』。ヒズミの《力》は、それを彼女に直感させる。訳のわかっていない他のメンバーが戸惑う中……ヒズミは、腕を振り上げ、『魔王』へ攻撃を放った。
魔王討伐パーティーは、歴戦の戦士達だ。すぐに事態を把握し、そしてその手段しか無いことに気付いて、ハイリスは涙を流しながら戦った。
ドイルと、レックスでさえ顔を歪ませて、かつての『仲間」と同じ姿をした魔王を攻撃する。
トドメを刺したのはドイルだった。アルナの身体がチリとなって消えて、死体すら残らぬ最後にハイリスは泣き崩れた。
魔王城の玉座、大きな部屋にハイリスの嗚咽が静かに響き渡る。魔王の討伐は為したが、誰も歓喜の声は上げなかった。
神は、もう居なかった。
ヒズミは、何も言わずにその場から去って……のちに他の皆もそうしたらしく、魔王討伐パーティーは自然に解散した。
その時から、きっとヒズミさんの目的は変わっていない。
数年後、魔王討伐の後に姿を消していたヒズミが、かつての仲間達の元へ訪れて頭を下げた。
『神へ、挑戦する。手伝って欲しい』
魔王討伐までの旅で知った、《天体魔法》の存在。それらを集める事で、神の管理する『この星』へと干渉することができる。
全て、集めれば……『神』の領域にすら至れる筈だ。ヒズミには、確信があった。そして、それを為せるのが自分の《固有魔法》だと。
七つの天体魔法は、それぞれ『天体魔法使い』と呼ばれる超越者達が管理しており、それらを仲間に引き込む……もしくは、討伐して天体魔法を奪うには、ヒズミ一人では不可能だった。
その為に、暇そうなレックスはともかく、既に家庭を持っていたハイリスとドイルを巻き込んだ。
それに対しての罪悪感や、後悔は、ずっとある。それでも、それでもヒズミには……。
道中に、《始原十二星》という自分達と同じ……アルプラとは別の神から加護を受けた存在を仲間にし、ついに神へ挑む為の塔は建設された。
俺は、何もない空間でぼんやりとヒズミさんの記憶を見ていた。
これは、俺に干渉し過ぎていたヒズミさんがうっかり落としていったものなのか……それとも、誰かに吐き出したかったものなのかは分からない。
ヒズミさんにはずっと目的があった。
天体魔法を集めて塔を作るが、無様にも敗北し自身の存在そのものに枷をされた。何百年も、思考すら支配されて《神》の傀儡となった。
ごく最近になって、ようやく自由を取り戻し始めて……彼女はまた、行動を開始していた。
今度は短絡的でなく、長期的な計画だった。力を蓄え、研究を重ね……いずれ目的を果たす為に。
だが、途中で……俺達が現れる。
俺達は《神》に対する餌だった。世界を荒らす……コンピュータに対するバグの様な俺達を、神自ら直接排除しに来るのを期待して、ヒズミさんは俺を介して色々とやった。
「奇しくも、お前がやった事で私は信仰を得て……少しだけ、神の位置へ近付いた」
俺の脳裏に、ヒズミさんの声で幻聴が聞こえた。
異端審問官が持つ《極光》。信仰を司るその力は、即ち神の力の一端だと言う。
彼らは普段アルプラ神を唯一教として、他の宗教を許さない。それは、あくまでも《極光》は《信仰》を司る力であって……その対象はアルプラ神で無くてもいいからだ。
ややこしい事情はともかく、元々人間の枠から外れていたヒズミさんは《信仰》を得る事で……ほんの少しだけ、拳で一回殴れる分だけ、そこまで降りてきていた神へ近付いた。
アルナが消えたその時から、せめて、と。ずっと求めていた……せめて、拳、一つ分だけでも、と。
「ケチなやつだなぁ」
俺の口から思わずそんな言葉が漏れた。
ヒズミさんは、何百年も……ただ、神を一発だけでも殴りたかった。その為だけにずっと、ずっと、生きてきた。その為だけに、戦ってきた。
存在の格が違い過ぎるからこそ、どうしても一発入れたかった。それはやはり、本来なら不可能な事だからだ。
その程度で諦めていたとも言う。
漫画に描かれたキャラが、作者を物理的にぶん殴る様なものだ。無理だ、出来る出来ないとかそういう次元の話ではない。
でも、叶った。
だからこそ俺は思う。
「一発と言わず、何発も殴ればいい」
*
「流石はペペロンチーノだ。まず、お前が来ると思っていた」
気付けば俺は先程までとは違う空間に居た。そこに在るのは、佇むレッドと、その後ろに鎮座する……『不死なるプレイヤーズギルド』だ。
だが、本体は既に世界に出ているのだろう。所詮は《スキル》で生み出された存在に過ぎない俺達は、『不死なるプレイヤーズギルド』の中でソレの為す事を見ているだけだ。
ここは、時間と空間が隔絶した位置にあるらしい。何故か、ここには俺とレッドしか居なかった。
「ここは、今は『不死なるプレイヤーズギルド』の意志に反した者が辿り着く場所だ」
レッドは言う。
「『不死なるプレイヤーズギルド』は、現世へ出た」
今、俺達の前にいるのは《無限に近しき牢獄》の蓋に過ぎないらしい。外に出たければ……コレを倒していけと。
「急がなければ、『不死なるプレイヤーズギルド』が神とやらに消されてしまう。そうなれば俺達も消滅……俺はまだ、神にも会っていないのにだ」
レッドが心底から残念そうに言う。神とはまさにゲームとかで言うラスボス的ポジション……レッドが、闘いたくてしょうがない相手だ。
「ふっ、神が、やはりラスボスか? それとも裏ボス? 流石の俺達も死んでしまうとなっては、挑むには早計かもしれんな」
ブツブツとゲーム脳が何事かを呟いているのを無視して俺は進む事にした。
「まっ、待って待って!」
だが、後ろから現れたグリーンパスタが俺を呼び止める。
「外は、ややこしいことになってる。神は世界に留まれなくなった。このままでは……」
グリーンパスタが息を整えて、深刻そうな顔で言った。
「世界が滅んでしまう」