第95話 神への叛逆
例えば、神と人間……それははっきりとした上下関係にあるだろうか?
答えはある意味、否と言えるらしい。
少なくとも、神と人間の間に、『力』の上下関係というものはないように見えた。
プレイヤーは、『観測』することにリソース大半を割いている。故に貧弱なのだろう。そして、その観測能力は既に神がどのような存在なのかすら看破して見せた。
存在している位置、言うなれば次元が文字通り違うのだ。
紙に書かれた漫画のキャラクターが、書いた本人を物理的に害する事など出来ないように……神と人間の間には、絶対的な壁があった。
*
突如として、聖女の肉体を依代に現れた『神』……うん、アルプラとかいう神様なのだろう、話の流れ的に。
まぁ、そんな神様の後ろの空間を斬り裂いて現れた魔王ハイリスの一撃は、それはもう……俺がこの世界に来てから、観測してきた攻撃の中でも飛び抜けて絶大な威力を秘めていた。
単純な、技とも言えないものだ。ただただ膨大な界力を攻撃に転化して、それを超高圧縮したものをぶつける。
恐らく、聖公国を地図から消しとばして尚余る威力のそれは、しかし……神様に傷一つ作ることはできなかった。
凄まじい力の奔流が俺や周りの連中を通り過ぎ行き、余りの規格外さに皆が無口になって成り行きを見守った。
不思議な感覚だった。まるで、ゲームのバグの様だ。確かに攻撃は加えられたのに、髪の一房すら揺らすことが出来なかった。神だけに。
空間の切れ目から、ハイリスに続いて黒髪の男が顔を出す。ほれ見たことかと言いたげな顔で、淡く発光する大剣を神様に向かって振り下ろした。
しかし、大剣が神様の身体を避ける様に捻じ曲がり、地面にぶつかる頃には形が元に戻っている。
捻じ曲がったのは剣か、法則か。
『素晴らしい。どれ程の力を蓄えてきたのか……ハイリス、貴方の努力には感服致しました。何より、私の呪縛……いえ、これはまた別の』
表情を全く変えず、それどころか身動き一つ取らず神様はハイリスを褒め称えた。しかしそれを無視してハイリスはまた攻撃を開始する。
『ところでヒズミ。貴方も諦めが悪い。レックスの様に物分かりが良ければいいのに。そしてやり方が意地悪く、鬱陶しい。全くっ、貴方の加護神と同じ。加護神はいつも……」
後ろで地図の形を変えるレベルの力が暴れているのに、何も気にせず神様は愚痴めいたことを言っている。
なんか思ったより、人間臭い、な。無限やグリーンパスタとこそこそ話す。
神様だって、どうよ? 本当かなぁ? お前聞いてみろって。
「えーっ、でもどうすんの、流石の私達でも神様にかかっちゃ消滅しちゃうんじゃねぇ?」
「うーん、それはあり得るよね。別にまだ死にたい訳じゃないし」
三人でコソコソしていると、そこで初めて神様が動いた。と言っても首を少し曲げて俺達の方を見ただけだが、虫の様な無機質さを感じさせる不気味な瞳がジッと見つめてくる。
やだ、ちょっとこっち見てる。お前、話しかけてこいって。
「帰還組の連中に行かせようぜ」
そうだな。とか言っていたら、ポラリスが既に歩き出していた。両手を広げ、少し狂気を思わせる笑顔で神様に向かって声を張り上げる。
「神よ! 僕達の存在理由を教えてくれ! そして、あるべき所へ還してくれ!」
いつも、ニコニコふわふわしていて不気味なポラリスの、初めて見る必死な形相だった。そこで、ふと彼が求めていたものが分かった気がした。
「ああ、死にたいのか……」
グリーンパスタが、愕然と呟いた。それは、変人の代名詞である攻略組には分からない感情なのだろう。俺もわからんが。
ハイリスが、攻撃の手を止めた。無駄だと悟っているのか、憔悴した顔で息を切らし、神へ向かって歩くポラリスを見ていた。
帰還組の仲間たちも、ちょっと引いた顔で見守っている。
ヒズミさんだけが、飢えた獣の様な目つきで、何かを待っていた。
「……なんだ、お前は」
ずっと、無機物の様だった神様の顔が一目ではわからない程度にだが、崩れた。
「《マギア》……? 待て」
訝しげに呟く神様が、ぐるりと俺達を見渡し、不思議だと言いたげに最後にヒズミさんを見る。
「ヒズミ、これは、貴方の《マギア》か? だが、私の知る力ではないな……しかし、ならば何故……」
突然話しかけられたヒズミさんも、ぶつぶつと考え込む神様の様子に眉をひそめていた。やがて、ポラリスが神様の目の前に立つと、再び両手を広げて抱擁をする様に神様へ迫る。
「我々の真実を……っ!」
神様が手を伸ばしてポラリスに触れた。
そして、プレイヤー『ポラリス』は絶命した。更に、俺達は感覚でその事実を理解する。
彼は、復活できない。
『しばらくは』
「神とやらでも、僕達を完全に殺せないのかぁ」
グリーンパスタが気の抜ける声で言う。とは言うが、今までのプレイヤーの死とは全く違う……ポラリスは、全ての界力を奪われたのだ。
故に、今までの様にすぐ復活というわけにはいかないらしい。そして、それは俺達の『本能』ともいうべきものが忌避してならないものだった。
懐かしい感覚でもあった。
《不死生観》が無い頃、特にまだ死んだ事すらない時に、漠然と感じる死の恐怖。そんな感覚に似ている。
「なるほど、そうきたか。あいつか……」
ポラリスを消して、一度停止した神様は納得したように頷いた。そしてヒズミさんの方を見ると、呆れたとでも言いたげに肩をすくめる。
「ヒズミ、何故……貴方が今尚その身を縛られているか考えた事はありますか?」
問いだった。突然の問いに、ヒズミさんは疑問符を頭に浮かべる。答えたのは別の声、黒髪の男だった。
「仕置きの一環じゃないのか」
疲れ果てたのかぐったりとしたハイリスの肩を支えながら、男がそう言うと、神様はやはり微動だにしないまま口を開く。
「別に、私は貴方達が、私に対して……私の世界に対してどうこうしようと、怒るなんて事はないのです。これで分かりますか? 『加護者』の保護が、どういう意味を持つのか」
「保護だと……?」
ヒズミさんがようやく声を出した。苛立たしげに言って、すぐにハッと何かに気付く。
「そうか……プレイヤーの正体は……」
「まさか、私達をずっと、縛り付けていたのは、私達の加護神が新たに加護者を持たない為……!?」
驚愕の事実が判明。というような雰囲気だが、相変わらず俺達は放置プレイだった。
ヒズミさんがもうちょっとで俺達の正体を明かしてくれそうだったのに、ハイリスの声で掻き消える。
横のグリーンパスタもハッとした顔でニヤリとした。
「成る程ね。だから、か」
俺達って本当に当事者なの? 俺は無限に聞いた。ぽてぽちなんて礼拝堂の建築様式の方が興味あるのか、もはや神様の方すら見ていない。
「マギアって何」
無限の脳も随分前段階で止まっていたらしい。俺は解説した。魔法の事だろう。まぁ、俺達風に言うなら、《スキル》だな……。
なんかプレイヤーってカッコよく言葉を変換するところあるから、たまによく分かんない事あるよな。
「そう。はぁ……呆れました。ヒズミ、貴方の加護神はいつもそう。いつも、私に対してこんな事ばかりしてくる。ちょーっと力が大きいからと、無理矢理に加護者をねじ込んでくるわ、それがヒズミみたいな捻くれた能力だったり……」
神様が、額を抑えてなんか疲れたOLみたいになった。すげえ人間臭い……いいのか、神性とかもう感じないんだけど。あそこで転がってるロードギルくんなんてほら、なんか死んだような眼をしてる。どんな感情だ……?
「そこのプレイヤー。私が人間の様に見えるのは、そうまでしないと貴方達と対話すらままならないからです。そして」
瞬きの間。すらなく、神様が俺の目の前に立っていた。
「貴方達は不快です。この感情というのもまた、位置を合わせたが為に生まれるものですが……一匹ずつ、確実に『消して』いきましょう」
神様が、手を振り上げた。何も、大きな力など感じないが……俺は、プレイヤーになって『初めて』、死の恐怖を感じた。《不死生観》を得る前のそれさえ、先程ポラリスにやってみせたものさえ、本物の恐怖でなかったと今知った。
神の、今まさに振り下ろされる手に触れた瞬間、俺の存在……今ここに在る全てが消え去る、そんな確信があった。
そして、神がそれを為す為に、『俺達と同じ場所』に降りてくるのをずっと待っていた者がいる。
神との間に存在する壁は、等しく神にとっても壁だったのだ。
『迷狂惑乱界!』
初めて、神が防御行動をとった。
障壁の様な不可視の力が、同じく不可視のヒズミさんの攻撃を防ぐ。思わず、と言った様子で距離を取った神へ、ヒズミさんが追い討ちをかける。
「ハイリスっ!」
名を呼びながら、ヒズミさんの生み出した黒い触手が神の周りを取り囲む。だがその全てが球状の障壁に邪魔をされる。
「できるなら……っ!」
悔しそうに、飛び上がったハイリスが叫ぶ。
「もっと高い所の神を殴りたかった!」
「散々試してきたろ!」
両手を天に掲げ、その先に生まれるのは、太陽と錯覚する程巨大な火球。何故か熱は全く感じない。周囲に放つ熱量ですら中に内包しているのだ。
ヒズミさんも連携するように手を広げて構えた。黒い触手が解けるように、その身を文字へと変換した。何の文字なのかは分からないが、幾つものそれが連なり合い、黒い稲妻を迸らせ、神の障壁を溶かす様に侵食していく。
パンッ! と、神様が手を叩いた。
瞬間に、世界が切り替わる。まるで宇宙の様な、広大で何もない空間へ俺達は投げ出された。
『貴方達の力で、私の世界が壊れるでしょうが』
子供を窘めるような声色で、神は言う。
『好きなだけ、やりなさい』
*
宇宙って、こんな感じなのだろうか。無重力を思わせる浮遊感を感じながら俺はフワフワ漂う。
「クソソンチーノ見てー、泳げるー」
小学生みたいなあだ名で俺を呼ぶk子が俺の横をスィーっと滑っていく。
「話進んだら教えて」
無限は宙に横になって目を瞑った。
コイツら……。俺はプレイヤーの相変わらずな緊張感の無さに頭が痛くなった。特にk子、お前仲間殺されてんだぞ……いや、感覚的にいずれ復活できそうだけどさぁ。
ちなみにぽてぽちは平泳ぎでその辺をスイスイしてる。
仕方がないので真面目に観戦しているグリーンパスタの元へ行く。
「ぺぺ。僕達がさ、『異邦者』ですらないと知ったら……君はどう思う?」
言ってる意味が分からんが……別に、すでにそうとは思ってないし。元々、存在が異端でしょ、俺達。
「え、あ、うん。いやまぁそうなんだけど……」
何を深刻そうに言うかと思えば……。
「……魔王復活の時、聖女が神託を受けたんだ。その神託ってシステムは、あそこの神様が関係しているのかよく分からないんだけど、とりあえずあの時の聖女は、『僕達』の事を言っているんだと思っていたんだ」
……? 何が言いたい?
「『不死なるプレイヤーズギルド』」
グリーンパスタの発した『単語』は、初めて耳にする言葉なのにどこか……懐かしい、郷愁を感じさせた。
「ヒズミさんが目的を達した時、僕達は決断を迫られるかもしれないね」
相変わらず、グリーンパスタは勿体ぶった言い方をするが……心に刺さった何かが、それ以上俺の口を開かせる事はなかった。




