第94話 神
もういい加減、俺は腹を括るべきなのだろう。
自分の立ち位置、目的……ふわっふわなそれらを、はっきりと決めなければいけない。何回かこんな感じの独白をしている様な気がするが、やはり俺は巻き込まれやれやれ系主人公だという事か……。こうあれね、俺は何もしてないけど周りがやらかす感じのね。実はそうじゃないかとずっと思ってた、うん。
ヒズミやハイリスには、何やら並々ならぬ目的があるようで……同じ目的ではない様だが。
共に歩む事は出来ても、途中からは別の道をゆく。なんかそんな感じなのかもしれない。
ハイリスの元には、帰還組とか名乗ってる連中が付いているらしい。あいつらの目的は元の世界に帰る事なのだろうが、果たしてそんな事可能なのだろうか。
そして、魔王様は魔王様で奴等を連れてなんの役に立つというのか。
勘違いしてはいけない。プレイヤーがいくら経験値を稼いでレベルを上げようが、この化け物達の戦いには全くついていけない。
だから戦闘面で考えても、ヒズミさん達が俺達プレイヤーを連れて神様とやらに挑戦しにいく理由は分からない。
つまり強さ、としては求めていないのだろう。嫌がらせ要員だろうか。
大聖堂の方でドンパチやっている音がしているが、ヒズミさんはその辺に座り込んで休憩していた。
ハンカチで額を拭きながら、ため息を吐いてなんかお婆さんみたいだ。
そんな失礼な事を考えていた事に気付かれたのか、ヒズミさんの指からレーザーみたいなのが出て俺のデコを焼いた。
ぐああああぁ! 熱い! シレッと《痛覚制御》を貫通してきた。どういう理屈だ!
俺が額を抑えてゴロゴロと転げ回る姿を見て、ヒズミさんの顔にほっこりと笑みが浮かんだ。そして、顔のヒビが少し修復される。
どういう事だコラ。
「さて、異端審問官どもはハイリスが相手している頃だ。一番鬱陶しいレックスが消えた今、目的は一つ」
俺をいじめて元気が少し戻ったヒズミさんが立ち上がる。
「聖剣を壊す」
聖剣……聖剣かぁ。あのしゃべる剣ね。
あれ、なんなの? なんで喋るの?
俺はずっと疑問だった事を聞いた。
「あれは、聖痕の勇者の中から選ばれた奴に与えられて、そいつが魔王を倒す……って筋書きの為の道具だ」
あー、ありがちなやつね。よく話に置いていかれる無限が虚空を見つめて俺に言う。
「グリーンパスタが、ソシャゲのイベント特効みたいなもんだって」
一気に陳腐になったなぁ……。
「聖剣は、聖女以上に《神》と繋がりが深い。だから壊す……そして、それが可能なのは恐らくこの世界でプレイヤーだけだ」
真剣な瞳で俺達を見つめるヒズミさん。だが俺は懐疑的だった。本当にプレイヤーにそんな力があるかぁ……?
「うるせぇ。行くぞ」
ヒズミさんは俺の扱いに慣れたものだった。首根っこを捕まえてずるずると引きずっていく。
やれやれ。俺は肩を竦めた。
*
大聖堂の中はひどく荒れていた。あちらこちらが破壊され、その辺に神官達がゴミの様に転がっている。
まだ何処かから戦闘音が響いている。
だが、それら全てを無視してヒズミさんは真っ直ぐ……女神像が鎮座する大きな礼拝堂の様なところに来た。
その頃にはもう俺は自分の足で歩いていたが、話し声が聞こえてきたので足を止める。
「聖女様、貴方もお逃げ下さい。この国にとって、いや、この世界にとって最も尊き存在が貴方なのです」
「いいえ、私には……この事態を、収束させねばならない義務があります」
ロードギルの声だ。初めて熱の篭った声を聞いた。だが、相手の聖女には聞く気がない様だ。
『そうだ、ロードギル。これら全ては、我らの失態であり聖女の失態だ』
「そんな! 聖女様は何もされていない!」
『それがいけなかったのだろう』
なんか揉めてんなぁ。
ひょこりと入り口から俺が顔を出すと、すぐ気配に気付いたロードギルが絶対零度の眼光で睨みつけてくるので一回引っ込んだ。
げしぃっとヒズミさんに蹴られてゴロゴロしながら中に突入する。
『……っ! なっ、あの、レックスが』
「よう、聖剣さん。次はお前だ」
ロードギルの反応は早かった。即座に剣を抜き放ち、刀身に白き炎を纏い出す。
『オーダー……っ!』
『災界狂域界』
ヒズミさんの魔法結界が展開された。それは初めて見るもので、視覚的な変化は何も起きなかった。
だが、ガクリとロードギルの膝が崩れる。
「無限っ!」
ヒズミさんが叫んだ。声と同時に飛び出した無限が袖から取り出した警棒みたいな武器でロードギルを殴りつける。
鈍い音が響いて、ロードギルの頭部から血が吹き出した。
馬鹿な……っ! 俺は驚愕した。プレイヤー風情が、あの現地人にダメージをっ!?
「すげえぞぺぺ! 力が湧いてくる!」
テンションが上がってロードギルに追撃をかける無限にはちょっと引くが、俺はヒズミさんを見て懇願した。
俺にも! あれヒズミさんが強化してんだろ! 俺にもしてーッ!
「やだ。勿体ないし」
勿体ないとは?
だが所詮はプレイヤー、天下は短かった様で、俺が余所見している隙に無限は吹き飛んで壁に刺さっていた。
「お前はあえて殺させなかった、分かるな? 《極光》使い」
そして次の瞬間には、ヒズミさんがロードギルを拘束している。どこからか出てきた黒い触手で簀巻きにしてその辺にポイッとした。
恐る恐る様子を見に行った俺を、親の仇でも見るような目で睨んでくる。俺なんもしてないんだけど。
ヒズミさんが聖剣と聖女の元へ歩き出す。ゆっくりと、聖女の目が開かれようとしていた。
魔、魔眼っ! 俺は相変わらず傍観者なのでとりあえず引きつる様な声で叫んでおいた。あの魔眼がどんな効果なのか知らないけど、魔眼っていうくらいだしすごいはず。
『仕方が無い。聖女よ、我を使え』
ビリビリと空気が震える錯覚があった。気色の悪い眼球を見せながら、聖女が傍に浮かぶ聖剣を手に取ろうとして……すぐ真上に転移してきたグリーンパスタとぽてぽちが聖剣を掴み取った。
『!? こちらが本命かっ!』
聖剣が剣の癖に驚いた声を出す。直後に、ヒズミさんが俺を中継にして、《プレイヤー》へ干渉した。
それを、ぽてぽちとグリーンパスタが補助をする。
聖剣が……聖剣を構成する何かが、世界に散らばるプレイヤー達に分配されていく。ぽてぽちは他のプレイヤーに干渉するのが大の得意なので、もはや押し付けるといった具合である。
そして、なんか気持ち悪いなと抵抗したくても、グリーンパスタがその抵抗全てを無にさせる。
ぽてぽちとグリーンパスタというコンビを前にすると、実はプレイヤーというのは弄ばれるだけの存在と成り果てる。
攻略組が嫌われる理由でもあった。
ピシリ、と。聖剣に大きな亀裂が走った。
プレイヤーに、経験値が入る。なるほど、聖剣をプレイヤーに破壊させるって、取り込ませる的な……。
『く、おおおっ!』
そんな断末魔の声を最後に、聖剣は呆気なく砕け散った。それを、聖女とロードギルが茫然とした顔で見つめている。
「そんな、バカな……」
ポツリと聖女が漏らした。
ふふっと俺は笑ってしまう。相変わらず状況についていけないのに、すごく深刻な事が起きているような雰囲気がこの場にあったからだ。
チラリとヒズミさんの顔を見ると、何故か寂しげな表情を浮かべていた。先程までの威勢はどこに行ったのか、聖女を見て何やら複雑そうな感情を抱えている。
「くそっ! 聖女様、お退きください!」
ロードギルが慌ててそう叫ぶが、茫然自失といった顔の聖女は身動き一つ取らない。
横に着地したグリーンパスタとぽてぽちがコソコソとしながら俺の方へ来る。途中、無限を壁から引っこ抜いてた。
「すごい経験値だったねぇ、あの剣」
ぽてぽちが空気を読まずに朗らかに言った。そして、この場を更に空気を読まない声が通っていった。
「あーっ! 喋る剣狙ってたのにぃ! 壊したぁ!」
ギャンギャン叫びながら元魔王軍幹部を乗り物にしたk子が入ってきた。遅れてポラリス、キリエとシロエのコンビが居心地悪そうに続く。
「なんだか、僕達と攻略組の向かう先が同じだというのは不思議な気分だね」
ポラリスは脳天気にニコニコしながら近づいて来る。なんだこいつら……。俺が疑問に思っていると、それに答えるようにヒズミさんが声を発した。
「ハイリスと一緒にいた奴らだ。それがここにいるということは……異端審問官は、全滅の様だな」
「こ、殺してないですよ……?」
シロエがおどおどと付け足した。コイツの声は初めて聞いたかもしれない。
「さぁ、もう、滅茶苦茶だろう。このままハイリスに殺されるか?」
ヒズミさんが、すっかり普段の不機嫌そうな顔で聖女に言う。しかし、なにやら何かを待っている様な……そんな、もどかしさを感じた。
聖女が天に手を掲げる。
『《天罰》……!』
天井を突き破り、空から光の柱が落ちてきた。視界が一瞬真っ白になり、爆音と共に凄まじい衝撃波が辺りを突き抜ける。
だが、俺達は無傷だった。
恐らく障壁か何かを張って防いで見せたヒズミさんが、聖女と同じく天に掲げていた手を振り下ろす。
『《空雷》』
一筋の雷光が聖女を貫いた。
バンっ! と小さな破裂音がして、聖女の腹のあたりが吹き飛んで転がっていく。手加減したのか内臓は飛び散っていない。
いきなりグロテスクショーが始まるかとヒヤヒヤしたが、案外あっさりと聖女は立ち上がり、俺達の方へ手をかざす。
俺はここぞと言った。
やめておけ、無駄だ……もう、これ以上自分を傷つけるな。
「自分が目立ってないからって、ねじ込んできたな……」
グリーンパスタが冷静に分析してくるが無視をした。
聖女さんよ、ヒズミの目的は分からんが殺す気はないらしいんだから、とりあえず言うこと聞いておいたら?
「そーだ! そーだ!」
同じく目立ちたくなったのか、話の流れもよく分からずk子が合いの手を入れる。なんて適当な奴なんだ。俺は見下した。
「くっ、でもっ、私には、私には使命が、滞りなく、何も、何も問題なく……っ!」
泣きそうに顔を歪め、聖女は震える声で叫んだ。
「例え、私がここで殺されようと、魔王を勇者様達が討伐すればそれで良いのです……! ならば、私が今やるべきは……っ!」
そして
空気が変わった。
プツンと、聖女の目から光が消えた。真っ黒な眼球の中心から、小さく……やがて大きくなっていく光。
腹部の辺りが破れた衣装は解ける様に空気に溶けて、しかし瞬きの間に別の衣装に着替え終わっていた。
白と金糸のシンプルなワンピースだった。夜の星空の様だった瞳は、白く、ただひたすら輝く炎の様に揺らめいて、頭頂部に咲いた天使の輪が時折ブレる様に輪郭を崩す。
『その身を、私に捧げることです。聖女……えーと、おや? 名前は、ありましたかね』
聖女……ではなかった。纏う空気が全く違う。はっきり言って、俺を含めたこの場にいる全員が、気圧されていた。
畏れ。とも言うべき感情が溢れ出す。初めての感覚。いつも飄々としているグリーンパスタさえ、顔を強張らせて汗を流していた。
「《神》……」
ヒズミさんの、深く、冷たい憎しみのこもった声だけが、凍りついたような静けさの中響いた。
『今代の聖女よ、その身に余る栄誉を胸に抱きなさい。貴方は、近年で最も恵まれた存在へと、今なりました』
その気配は、ジワジワとカーペットにこぼしたジュースが染み込むように、聖女の身体を作り替えていく。
細胞一つ一つが、まるで後光を放つような……聖女は、この世界から隔絶した存在へと、宣言通り今なった。
その時を待っていた者達がいた。
神の後ろの空間が切り裂かれる。その隙間から、魔王ハイリスが強襲した。