第90話 ズンドコドッコ、ズンドコドッコ。
聖女が、『聖女』となったのは生まれたその瞬間からだ。
ロードギルは自身がまだ幼く、話す言葉すらまともに選べなかった頃の記憶を思い出す。普通なら、大人になれば自然と覚えていない年頃の記憶。だが、彼の脳裏にはその時の記憶が鮮明に残っていた。
それは何故か、彼にとって分かりきっていてもはや口にするほどの事でもなかった。
立場の高い神官を親に持つロードギルは、聖女の誕生したその日には親に連れられて聖女を見にきていた。
生まれたての赤子、親の腕に抱かれて見た彼女が薄らと瞳を開けた時……『聖公国』を星の瞬く夜空の如き闇が包み込んだ。
『極星』
その魔眼は、神々の住む世界を映し出すと言われている。そして、それが赤子の……しかも聖女の瞳に宿るということは、すなわち……。
「おお……っ! まさか、今代で魔王が復活する……!」
つまり、そういう事だった。
周囲の大人達が騒めく中、幼いロードギルは全く別の事を考えていた。後ろから、誰かに囁かれている様な錯覚を覚えて、どこを見ているのか分からない『極星の魔眼』と『目が合った』。
その時に、彼は自身の進むべき未来を決めた。聖女を、守る剣となる未来を。
ロードギルが、聖女と再び顔を合わせる事になったのは十年余り経った後になってからだった。
少年というべき年齢の彼が、自分の親を『粛清』したのだ。彼の親は、自身の立場を悪用していた。犯罪者から金銭を受け取り、恩情だと彼らの罪を軽くしていたのだ。
それらの証拠をきっちり揃えた上で、自分の親だろうと容赦なく斬り殺した彼の対応に教会は困り果てていた。その頃、似たように腐敗した人間は多くおり、表向きはロードギルの行いを崇高だと持て囃したが……。
自分の親すら殺してみせた少年に、後ろ暗さを持つ人間達は恐れ慄いた。
「彼を、異端審問の一員にしようと思います」
腫れ物のように扱われ、暗殺もされかねない状況に陥った彼を救ったのは『血礼のシャイナ』と呼ばれる異端審問官であった。
自身の後継にと、異端審問官を辞めるつもりでいるシャイナがロードギルを拾い上げ、聖女の前に連れてきてそう宣言した。
「貴方、名を」
「***」
聖女の前に跪き、地面を見つめながら静かに自分の名を言う。『ロードギル』というのは生まれついての名ではない。
腐った親からもらった名など、本当は名乗りたくない。その心を見透かすように、聖女は魔眼を開いて彼に言う。
「その名を捨て、これからは異端審問官『ロードギル』と名乗りなさい」
首を垂れていても肌に感じる10歳とは思えない威厳。そして……思わず顔を上げたロードギルの視界には、美術品の様に整った顔を……やんわりと緩めた聖女の姿。
下界に降り立った汚れの無き天使。ロードギルが聖女に感じたのはそのような印象だった。
「貴方に、《極光》の加護を」
『信仰』と『認識』を司る《天体魔法》。異端審問官とは、それすなわち《極光》の加護者である。
ロードギルは、自身に満ちる『力』を受け止め、再び顔を伏せて自身に誓う。
我が力は、『聖女』様の為に……。これは、《極光》を得た事による効果ではなく、彼の心の奥底から溢れた本心だった。
生来の気質が潔癖の彼から見て、聖女は『白』であった。
彼が自身に課した誓いとは、『彼女を汚すものは消し去らなければならない』。
聖女がいつか、ポツリと漏らした言葉を思い出す。
「私は幸せものです。『聖女』としての役割を、本来の役割を果たせる代に生まれたのですから」
彼女が、自身の本懐を遂げるその時まで……彼女を『白』のまま……。それが、彼の願いになった。
彼が異端審問官となってからの話だ。長く権力を持った代償に一部の人間が腐っていた『アルプラ教』、その大変革が始まる。
必要なのは、清廉潔白で敬虔なる信者のみ。例え、本山である『聖公国』の『大公』だろうと、大神官や枢機卿などと言う権力者にだろうと。
異端審問の刃は、汚れたその全ての首に届いてみせた。
*
異端審問官の顔ぶれはここ数年大きく変わらない。
ロードギルが就任してすぐ、『大変革』と呼ばれる粛清で多くの異端審問官が返り討ちに遭い命を落としたが、それも今や落ち着いた。
最近の変化といえば、『血礼のシャイナ』の復権。そして彼女の弟子として二人の兄妹を迎えた事か。
十人にも満たぬ異端審問官達が、『聖女』の招集を受け彼女の前に並んでいた。
『妨害があるようですね』
聖女の口から出たのは《神》の言葉だった。
《神》自らの発言。初めての……記録ですら聞いた事のない事態に、異端審問官達は額から汗を垂らして思わず息を呑んだ。それを、彼らを全く意に介さず聖女の口は動く。
『……どうやら、またヒズミが要らぬ事をしているようですね。いや、ハイリスも……? やれやれ、相変わらずしぶとい連中だこと。《極光》の加護者よ、まず近年あった出来事を教えなさい』
直後、聖女の瞳から夜空が溢れた。
しかし、すぐにそれは引っ込んでいく。
『ふむ、『オニヤマ』が迷宮で迷子になっていたのか……全く、つまり元を正せばヒズミらのせいではないか。そのせいでそもそも数年単位で『物語』の進行が遅れている。む? なんだ、プレイヤー……?』
《極光》の加護者から世界の記録を読み取り《神》はぼやいた。抑揚の無い、感情というものを感じられない声色で淡々と話している聖女の口から、最後に初めて戸惑いの声が漏れた。
その間もずっと、異端審問官達は膝をつき礼の姿勢を崩さない。彼らは、《神》か聖女の言葉を受けて、その通りに動く存在である為だ。
『プレイヤーとはなんだ』
その言葉には、一種の強制力があった。
だが、『そもそも答えを知らない』異端審問官達は誰も答えられない。
『おや、ここまでか』
ふっ、と。《神》の気配が消えた。その瞬間、場を支配していた圧倒的な『神力』が消え去り、解放感からドッと汗が噴き出す面々。
唯一、《神》が消えてキョトンとしていた聖女の頭上から聖剣が降りてくる。
『……我が神、宜しいのですね』
聖剣の、どこからそんな声が出るのかは誰にも分からないが、それは少し戸惑い気味の声色だった。
聖剣がゆっくりと聖女の前で止まり、聖女がおもむろにそれを掴んだ瞬間……彼女の脳内に『知識』が叩き込まれた。
それは、《極星》を通じて《極光》の加護者にも与えられる。
それは、ほんの少しばかりの……『世界』の秘密と成り立ち。
そして、いかに『プレイヤー』と呼ばれる存在がこの世界にとって『異物』であるかの証明だった。
その知識は、プレイヤーが死ぬ時に発生する光の粒子から発せられる『認識阻害』を突破した。
例えばとある異端審問官は、それを使って教会にいつの間にか潜り込んでいたグリーンパスタというプレイヤーに対して正しい認識を持つ。
波打つ髪を撫でで、その異端審問の男が舌打ちをした。
「何てことでしょう……グリッパ、いやまぁそもそも死体が残らない時点で異常でしょうに」
『今回の、魔王軍の不審な動きや魔王ハイリスの異常行動は全てプレイヤーが関わったからだろう。いや、ヒズミも絡んでいるんだったな……ぺぺロンチーノと言ったか、あの女の手がかかっているのは』
聖剣が忌々しそうに呟いて、顔を上げた異端審問官達に告げる。
『お前達の存在理由は分かったな? 魔王軍や魔王は『星神』に選ばれし勇者達によって討伐されなければならない。だが……聖痕を与えても思い通りに動かぬ者もいる』
『お前らは剪定者だ。そして今回は特に……前代未聞の妨害者が存在している事になる』
プレイヤー……。誰かが呟いた。
『我が神は、まず魔王ハイリスへの《制限強化》を必要としている。そして、次にヒズミだ。奴の《固有魔法》は性質上、我が神の《縛り》を抜けやすいが……調子に乗り過ぎだ』
聖剣が、その場を仕切っている。
聖女よりも、神に近しい存在として生み出されたその『機構』。故に誰も反論するものはいなかった。
「しかし、プレイヤーをどうすれば……殺しても殺せぬ相手を」
聖女が最もな疑問を述べた。
聖剣はしばし沈黙する。
「とりあえずよぉ、ヒズミが利用してる『個体』をとっ捕まえてきたらいいんじゃねぇか?」
横合いから、野太く粗野な声が響いた。
一歩踏み締めるごとに床に振動を与える様な……そんな錯覚を与える程の圧を持った存在がひょっこりと顔をだす。
全身を巨大な筋肉に包み込んだ巨大な男。レックスと呼ばれる巨漢は不敵な笑みを浮かべて続ける。
「アイツはコソコソと何かを考えて小細工するのが得意だからなぁ……よく知ってるだろ? それで、聖剣が生まれる羽目になったし、世界に迷宮が蔓延ってる。まぁ、あれはあれで評判良いんだっけか? 俺には関係ないからどうでもいいんだがね」
ドカリとその辺の椅子にケツを下ろしたレックスが踏ん反り返った。
『……お前が、奴らの肩を持っている可能性だってある』
「持ってたらなんだ? まぁ、敵対しているつもりはねぇが、味方でもない。俺は俺だ、やりたい様にやる……本気のヒズミやハイリス、それにドイルとヤレるなら、お前らの味方になってやろうと思ってる」
レックスはかつて、彼女達と共に《神》への叛逆を行った一人だ。だが、彼の行動理念は普通の人間のソレに当て嵌められるものではない。
「神様にゃあ……何をどうしようと勝てないからな、それは言うなれば《法則》だ。俺の《固有魔法》の性質上、それは絶対だ』
自信満々な態度とは裏腹に自虐する様にそうぼやくレックスに、彼の事をよく知らないが強大な存在と見ている聖女や異端審問官達が目を見張る。
『だから、なんだ。何が言いたい。』
「バチバチとヤリあえて、『勝てる』アイツらとの戦いの方が楽しいって話だ」
くくっと、笑ってレックスは立ち上がる。
「まっ、良いじゃねぇかたまにはこんなのもよ……退屈してたんだ」
*
ズンドコドッコ、ズンドコドッコ。
山道を、ヒズミ教の団体が太鼓を鳴らしながら列をなして進んでいく。すると、近くの街へ行く途中だったのであろう馬車が盗賊に襲われていた。
それを、ヒズミ教の面々が助ける。
「ありがとうございます! 命の恩人です……はっ、貴方は三軒隣の!」
馬車に乗っていた人の一人が、ヒズミ教団体の奥にいた知り合いを見つけて嬉しそうに破顔する。少し前に落石で進めず途方に暮れていたところをヒズミ教が助けた連中の一人だった。
その話を、つい先程ヒズミ教に盗賊から助けられた馬車の人達が聞いて、ヒズミ教ってのは良い人たちなんだなぁとほっこりしている。
自称ヒズミ神の俺は、怪我人がいないか見回りながら天使の如き笑みとほんの少しばかりの《スキル》の力でヒズミ教ではない人達を懐柔していく。
「ヒズミ教の人達は落石で困っていた俺達を見返りもなしに助けてくれたんだ!」
まぁ、石落としたの俺達だしな。
「盗賊から助けてもらったのに、何も見返りは要らないですって!?」
まぁ、盗賊ってか、あれもヒズミ教のメンバーだしな。
そして、山を谷を越えて少し大きな街に辿り着いた俺達は街で慈善事業を行なっていく。
食中毒に苦しむ人には適切な解毒処置を行い、怪我に苦しむ人には手厚い介護を、時には街中で冤罪を被せられ大勢から暴行される人を自称ヒズミ神自ら身を挺して庇う。
時に商売に口を挟み、恋愛ごとにも口を挟み、仲違いをしている人達への仲裁なんかも行いながら、街へまるで植物の様にヒズミ教が根ざして信者を増やしていった。
それを後押しする様に不思議と、アルプラ教の悪評が広まっていく。
アルプラ教というよりは、その街にある教会勤務の神官達の悪評と言うべきか、寄付されたお金を私利私欲に使っていたり不倫してたり、裏で汚い稼業に手を染めていたりと真っ黒なお腹がどんどん公表されていった。
ついには、自称ヒズミ神を襲う不届き者まで現れた。辛くも追い返したものの、下手人は自称ヒズミ神が宿にしていた家屋に火までつけたという。
火に飲まれたが、奇跡の生還を果たしたヒズミ神は憂いた。
その件には何故か多くの目撃者がいたのだが、下手人はアルプラ神官服を着ていたという。
まぁ自作自演なのだが、悪行が続いた教会の権威は地の底まで堕ちた。そして今……ヒズミ教はアルプラ教会の前に並び立ち、神官達を取り押さえていた。
色々と溜め込んでいたものや、暇つぶしの娯楽など、向ける感情は様々だが……不祥事続きの教会は格好の餌食だったのだ。群衆の鬱憤の捌け口に。
残念な事だ。
俺は悲しげに眼を伏せた。
争いは何も生みません、皆さん仲良くしましょう?
「何を言うか! 貴様らが、貴様が後から来て……!」
ええ……ですから、皆さんでこの嫉妬神ヒズミを崇めよと言っておるのです。
俺の言葉に、噛み付いてきた神官がギョッとした。
俺は手だけで狼獣人に合図をした。コクリと頷く狼獣人。俺は言った。
「背信者には裁きを……!」
狼獣人は普通の人間が持つ良心というものをおおよそ持ち合わせていないので、涙を流しながらやめろと懇願する神官達を無視して教会に火をつけた。
まるで躊躇いも無かった。天使が悪魔かで言うとどう見ても悪魔である。だが俺は天使の笑みを浮かべているので天使だった。
ズンドコドッコ、ズンドコドッコ。
夜空を、煌々と炎が橙色に染めていく。どこか夕焼けに似たその光景に……いや似てないわ。仕切り直そう。
燃え上がる教会を背に、俺は赤く染まった夜空を見上げ達成感と少しばかりの後悔を声にのせて呟く。
「ヒズミさん……俺、やったよ。」
何をやったのかは分からないが、パチパチと天に登っていく火の粉と共に、俺の言葉は闇に溶けていった……。
ズンドコドッコ、ズンドコドッコ。
何故こんな事になったのだろう。それはきっと……人は争わずにはいられない生き物だからだろう。そう、俺の元いた世界もこちらの世界も変わらない。きっと、同じ人間だから……。
でもいつか、争いのない世界を作りたい。なんかそんな感じの方針でいこう、ヒズミ教。そのうち異端審問で邪教認定されて滅ぶだろうけど……。
俺自身何をしたいのか分からぬまま、炎で彩られた夜が更けていった。
拙作の短編がR-15指定を受けました。ほにゃららブラスターとかいうやつです。
急に運営さんからメールが来て驚いた旨を活動報告に書きました。