第80話 『人』の心は何処へ行く
人間が死ぬと、復活するまでに掛かる時間は数秒だ。
しかし、死んだ当人はその何十倍もの時間を、暗い闇の中に費やす。
まずはこれまでに得た知識や経験が吸い取られる様に絞り出されていく。次に肉体や精神がバラバラに解けていく感覚、すると剥き出しになった自分を構成する"何か"が残る。やがて、その"何か"すら、解けて……この世界からまるで弾かれる様に、どこかへ飛んでいく。いや、吸い寄せられる。
やがて、何処とも分からぬ不思議な空間……その時点では五感の全てが失われているので、空間の様な気がするとしか表現できないのだが、そこにある何か大きな塊が自分の向かう先だと知る。
自分の何もかもが分解されて散っていく感覚は、名状し難い恐怖を与えてくる。
だが、まだ終わっていないと、大きな塊を前に悟る。
まだ、消えるのだ。肉体や、精神、そして言葉にできぬ"何か"を失って尚、まだこの大きな塊に奪われる。
今まで自分を構成してきていた、あらゆる全てを失って、最後に残ったほんのカケラ。最小単位の、『自分』と言えるのか分からない程、小さな『ファルナ』。それにまた"ガワ"をつけて、プレイヤーは現世に再構築されるのだ。
果たして、そこまで失った『人間』は、例え同じ記憶を持ち越していたとしても、例え同じ肉体を得たとしても……それまでと全く同じ『人間』だと言えるのだろうか。
スキル《不死生観》が与えるのは、ただ一つの真実である。
『プレイヤー』は『人間』ではない。
*
プレイヤー『あ』は、久方振りに"死"から復帰した。彼にとってレベルダウンは非常に厄介なものだが……彼の生き甲斐である『魔法の探求』の為には、必要な事だった。
彼は、βテスターと呼ばれるプレイヤーだ。常人に比べると少し、異常な精神構造をしている。例えば、百時間机にかじりついて勉強しろと言われれば出来る。自分の興味のある事柄ならば。
そして、その勉強の為ならば、なんだって犠牲に出来る。家族、恋人、友人……残念ながら恋人などいたことがないが、彼はそれらを自身の行動によって失う事に躊躇いがない。
そんな彼でも、『プレイヤーの死』は精神に多大なダメージを与えた。いや、彼だからこそ……蓄えてきた知識が失われていく感覚が恐ろしいのかもしれない。
《不死生観》というスキルは、その恐怖を失わせるものだという。『あ』は、まだそのスキルの解放に至っていない。
『死の一週間』は噂で聞いた事がある。一部のプレイヤーによる《不死生観》の強制解放。時が経った今でさえ、解放者の殆どがかつての被害者だろう。
無謀な生活をしている……特に迷宮都市のプレイヤーなら現在は自己解放に至っているだろうが……最初の数年は二人を除き、そのスキルを自らの意志で解放できた者は居なかった。
特に、最初の解放者……『最害のペペロンチーノ』なんて、《不死生観》が存在するのかどうかも分からず何度も、『死の恐怖』を味わった事になる。
一体、どれほどの事があればその様な事になるのか……。知人から聞いた事はある。なんでも、自身を最初に殺害したゴブリン集団への強い怒りから命を賭した特攻をそれこそ数えきれぬくらい仕掛けたらしい。
最終的にそのゴブリンの集団を根絶やしにすることはできなかったので、『最狂のレッド』や『最悪のグリーンパスタ』達、攻略組への協力を要請したのだとか……。
考え事をしながら、アルカディアの学園から提供されている自身の研究室へ『あ』は戻る。セーブポイントからは大した距離ではないので、すぐに着くがそれでも自分の留守の間に客人が来ていたらしい。
表情を滅多に変えることのない、『あ』が客人の顔を見て眉をひそめた。その客人は、害の無さそうな笑みを浮かべて小さく手を挙げる。
「ああ、ごめんね? 珍しく、死んでいるものだから、勝手に入っちゃった」
「何の用だ、グリーンパスタ」
素っ気なく要件を聞きながらも自身の席に向かって座り、机の上に広げられた研究資料に鉛筆で何かを書き始める。
客人に対し、興味が無いことをまるで隠そうともしないその態度に、しかしグリーンパスタは腹をたてることも無く話を続けた。
「いや、ついこの間にペペロンチーノの元へ行ったものだから……魔法結界や、彼女の魔法についての情報をあげようかと思って」
そう言って、許可なくグリーンパスタは自身の指を触手の様に変形させて『あ』の頭に刺す。そこから流れる……《情報連携》よりも詳細な情報に『あ』は内心で喜ぶが、それを持ってきた人物があまり気に入った相手ではない為か顔には出さない。
「やはり、ペペロンチーノは『魔女』を経由する事で『魔法』の威力を上げているのか。レベルに対して効果が強いのはそういうわけだ」
「実際、君はどう思う?」
グリーンパスタの質問は主語が抜けており、何を聞きたいのか普通は分からない。だが『あ』は彼が何を言いたいのかを察しており、淡々と答える。
「初期の頃、《スキル》の影響の方が多かった時に比べると、今の方が強力だろう。しかし……『界力』が強大な相手には、『魔法結界』の展開は必須。そういう相手には、むしろかつての方が効果があるだろうな」
プレイヤーの中で、最も『魔法』への造詣が深い『あ』の言葉に、ニコニコと感心した様な声を上げてグリーンパスタが合いの手を打つ。
それをジロリと睨みつけた『あ』に対し、慌てて両手を振り、悪意はないと意思表示をする。
「ごめんごめん。違うんだ……素直に感心しただけだよ。別に上から目線だとかそういうのでもない」
はぁ、と。ため息を吐いて『あ』は身体をグリーンパスタの方へ向ける。
「いつまでいる気だ? どうせその身体は『分体』の一つだろう? 私は忙しいんだ、さっさと何処かへ行ってくれないか?」
「そのストレートな所、好きだなぁ」
突き放すように言ってから、『あ』は資料への書き物を続ける。
ふと気付けば、グリーンパスタはその場を去っていた。気まぐれな奴だ……『あ』は、自身もそうである事を知ってか知らずか、内心でそう愚痴てため息を吐く。
プレイヤーの中でも、飛び抜けて『魔法』への研究に勤しみ、プレイヤーの中で最も早く『魔法』を扱ったのが『あ』だ。
第二世代……リリース組がこの世界に来た初日に『始まりの森』を脱出したいわゆる初日組であり、それ以降は思考・行動の全てを『魔法』に費やしてきた。
そんな、βテスターらしく『普通』から逸脱した彼をもって、グリーンパスタの評価は『不気味な奴』……であった。
先程ここへ来ていたのも、本体ではなく《化粧箱》と《情報連携》を利用した分体と呼ばれるものだ。
プレイヤーの思考は外器に左右される。それを利用して……更にぽてぽちによる《情報連携》の応用……思考からして限りなく『グリーンパスタ』を再現したプレイヤーという事になる。
《不死生観》を解放したプレイヤーにありがちな、『人間』らしからぬ行動。それを前提にしても……とても、『元・人間』とは思えない。
だが不気味なのはそこではない。グリーンパスタはβテスターだ。そしてその才能は、恐らく……『魂』の探求。
プレイヤーにとって……魂とは、存在するのか、そして何処にあるのか。
(どこまで、何を知っているのやら)
魔法に魅了された自分とは、きっと一生分かりあうことが出来ないだろう。何故ならば、魔法とはこの世界が為のものなのだから。
*
むむっ。
鼻がムズムズする……。どこかで俺の噂をしている奴がいるな? ちっ……人気もんはつれーぜ。
せっせと原稿を書く俺を、ジッと見ている鳥男がいい加減我慢できないとツッコミを入れてくる。
「いや、おい。働け。てかなに? なに書いてんの?」
邪魔すんな色物! 俺もなぁ……ちょっくら小説で一山当てようと思ってな。
「へぇ、どれどれ……ってお前っ! これエロじゃねーか!」
そうだよ? だって男なんてバカだからエロい話書いてたら売れるでしょ? 冴えない男に都合のいい女宛がって、そんでアハンウフン言ってたら売れるでしょ?
「お、お前、怒られるぞ……」
俺に怖いもんなんてねぇ!
「いやだからってこんなとこで書くなよ!」
外で書いてたら恥ずかしいだろ!
「自分の店で書く方が恥ずかしくない!?」
いやでも……だってなぁ……?
言い淀んで俺は小説の設定が書かれた紙を見る。主人公は、容姿にコンプレックスのある男で、バイトしている喫茶店に新しく入った巨乳の女に何故かモテて言い寄られる。
チラリと、少女店員を見ながら外見の描写をしていく。そんな様子の俺を見て、鳥男は一歩後退った。
「さ、最低すぎる……。新手のセクハラだ」
無視して、今度は少年店員を見る。そしてサラサラと書き込んでいく俺を見て、鳥男はソワソワと小声で聞いてくる。
「いや、え? 彼が主人公なのか?」
違う。主人公はこれだ。俺は設定の書かれた紙を渡す。
「じゃあなんで彼を見てた?」
アイツ……じゃなかった、彼をモデルにしたキャラも出すからだよ。主人公とヒロインがイチャコラしている脇でちょこちょこ出てくるんだ。切ない瞳でな……。
「あ、当て馬かよ」
……無視した。その後真剣に書く俺を放置して鳥男は仕事に戻る。日が暮れる頃、俺の原稿は完成した。
できたっ! 閉店準備をしている店内に、そんな俺の言葉が響く。途中チラチラと俺の方を見ていた鳥男が何事かと振り向いてくる。
そんな時、示したかの様に店内に入ってくる者がいた。男のプレイヤーだ。
「あ、すいませんもう閉店……」
いや、俺の客だ。
断りを入れようとする少女店員を手で制し、入ってきた男プレイヤーを俺は自分の前に座らせる。彼は脇に抱えた鞄から何枚かの紙を取り出した。
書かれているのはイラストだ。キャラの設定画になる。つまり俺の小説とは挿絵があるタイプなのだ。
「約束のものだ。中々、いい出来だと思う。原稿を見せてくれ、後はどの場面のイラストを書くかを決めよう」
ああ、見てくれ。ちょうど完成した。
俺の原稿を男プレイヤーがペラペラと本当に読んでいるのかというスピードで読んでいく。
「ほぉ、中々男受けしそうな濡れ場を書くな。まだ荒削りだが……! ほぉっ! え?……そうきたか……」
打ち合わせをする俺達が気になるのか、近づいて来てイラストを覗き込んだ鳥男が叫ぶ。
「俺じゃねーかっ!」
モデルにしただけだよ?
鳥男の方を向き、ニコリと言って俺は男プレイヤーに向き直す。
どうだ? 我ながら、挑戦だとは思うが……意外と筆が乗ってな。
「……いや、面白い。『その辺』も中々上手く書けてるのがちょっと気になるが、いやまぁあえてね? こういうのもいいんじゃない? 世の中なにが売れるか分かんないし」
正直、嫌がらせだから売れなくてもいいよ。
それを聞いた鳥男がギョッとした顔で俺の肩を掴む。
「お前! なんか変な事書いたんだろ! なに書いた!」
興奮している鳥男を感情操作魔法で沈静化させる。
「いや、もういいや……帰ろ」
覇気を無くして帰路につく鳥男、少女店員が追いかけていく。何事かを話しかけている。夕食でも誘ってんのか? だがもはや俺にはどうでもよかった。
そうこうしていると、男プレイヤーが俺の原稿をまとめて立ち上がった。
「さて、後は俺に任せろ。宣伝には……『堕天』の名を使わせてもらうぞ」
ああ、使えるものは使ってくれ。
俺はニヤニヤと彼の背を見送った。
*
最近視線を感じる。
バイト先で知り合った彼女と一緒にいるときなんて……殺気混じりですらある。
思わず漏らした溜息。裏口から出てすぐのコンテナへ営業中に出たゴミを入れていると、キィ……と建て付けの悪い裏口の扉が開く音がした。誰だろう、彼女だろうか……。
「ジャックさん……」
ハッ!
一瞬で間合いを詰めて、私の真後ろに立っていたのは同僚である少年店員だった。彼の声音はまるで凍土の如く冷え切っており、身体から発せられる謎の圧力に……私は震え上がって振り向く事すら出来なかった。
「気付いているんでしょう?」
その言葉の意味を、少し考えてすぐに思い至った。彼は、彼女と幼馴染だ。もしかしなくとも……私と恋仲にある彼女へ思いを寄せていたのかもしれない。
震える私から出た声もまた、情けなく震えて覚束なかった。
「かか、彼女の事か?」
「彼女……?」
ようやく口から出せたその問いに、何故か少年店員は心底不思議そうな声を返してきた。直後に、ガッ! とケツを力強く掴まれる。耳元に寄せられた口元から、生暖かい吐息が頬を撫でる。
「僕の気持ちを、分かって……ひどい、人だ」
彼の、ケツを揉みしだく手とは逆の手が肩から回って私の胸板を優しく撫でる。しかし、徐々に勢いを増す火事場の炎のように、情念の込められたその手は動きを激しくしていった。
「あぁっ!」
頂点を掴まれて、思わず上げてしまった鋭い自分の声、背に感じる彼の気配に妖艶さが増した。
振り返らずとも、口元が上がっている事が想像できた。唇を舐める音がする。
「ジャックさん……
*
「なんだよ!? コレ!」
ソファーに座りながら珈琲を飲む俺の目の前に、本を叩きつけながら鳥男が叫ぶ。店内中に響き渡るその声に、俺は耳を抑えて眉をしかめた。
叩きつけられたのは、俺の書いた本だ。それを拾い上げて、俺は「ああ、これね」と言う。自分でも、少し戸惑いながら続けた。
これがまた、意外と売れたんだよ……。
「そうじゃない! 内容だよ! な・い・よ・う!」
ん? ああ……同じバイト先の、同僚少女との純愛イチャラブものから一転して、二章からの同僚少年に堕とされる寝取られ物……その内容の話?
「そうだよ! そして何故俺っぽい主人公の名前が俺の本名なんだ!」
んなもん、前にも言ったがお前への嫌がらせに決まってんだろうがボケっ!
立ち上がって吠える。
「開き直った!? お前には人の心がないのか!?」
しかし……俺は自分で書いておいてなんだが、この内容の本がそこそこ売れている現状に背筋が凍る思いだった。
我ながらいろんな方面に喧嘩を売っているとしか思えないのだが、もしかして迷宮都市の人達って感性おかしいのかな?
喫茶店に来ている女性客からの、どこかギラついた視線を感じて身震いする少年店員を視界に入れながら、俺はこの街の未来を憂いた。
作者はちょっと疲れているのかも知れない。