第75話 迷宮都市の天上人
俺とランスくんは、並んで正座している。高い天井に怪しく光るシャンデリア、光量は少ないしタバコの煙が充満しているため、大きな部屋の全てを照らす事が出来ておらずとても薄暗い。
上等な絨毯、そのちょっと横の硬い床の上で正座しているのだが、目の前には絨毯の上に置いてあるデカイソファーにドカリと座り込む謎の人物がいた。
その体躯はかなり大きく、三メートルくらいある。そして横幅もかなりデカイ。巨デブだ。
サイドテーブルに置かれた皿にはとても癖のある強い匂いを放う、かなりの滋養強壮効果を持った……まぁニンニクと呼称するが、ニンニクが山程積んでありソレを巨デブはデカイ手で掴み取りして口に放り込む。
バッリバッリと意味の分からない咀嚼音がやけに耳に残る。
「……またアンタらかい」
巨デブは口の中のものを飲み込むと、男性にしては高めな、しかし女性にしては低めの声で俺達に話しかけてくる。言葉と共に、強烈な鼻を付く匂いが俺達を襲う。
ランスがうっ……と呻いたが、なんとか平静を保つ。俺は心を殺して無に徹していた。
ギシ……。巨デブがソファーから立ち上がる。身体と同じくデカイ顔が俺とランスくんの目の前にズイッと近付いてきて、はぁ〜っと暖かい吐息をかけてくる。
俺は吐いた。ランスはガクガクと震えて頰を膨らませている。
ケタケタと笑う巨デブがソファーに戻った。嫌がらせだった。涙で滲む視界に散らばる俺の吐瀉物。最悪だ。まさかコイツに目をつけられるとは。
ぐうぅっ、くそがっ! 涙目でくそデブを睨みつける。横でランスが「よせっ!」と叫んだ。このく……っ!
「く、なんだい?」
俺は顔を引きつらせた。強烈な殺意が俺を襲う。ガクガクと身体が自然に震えた。横のランスがヘラヘラと笑って媚びを売る。
「へへっ。相変わらずの覇気っスね、いや更に強くなってますよっ。流石です。いよっ! 大将!」
「バカにしてるのかい?」
「すいませんでした」
人を褒める行為に慣れていないのでランスくんは凄まれた。すぐに謝って口を閉ざす。暴力的な殺意の波動が収まったので、俺は冷や汗を流しながらデブの言葉を待つ。
「まぁ、この私に対してそこまで生意気できるあんたらは珍しい。嫌いじゃないよ」
そうすか。ならいちいち威圧してくるのやめてもらえませんかね? あとその激苦口臭攻撃もやめて下さい。死なないからってあの手この手で嫌がらせしないで下さい。
俺は懇願した。しかし、くくくっと楽しそうに笑うばかりでやめてくれそうにはない。
巨デブがピンっと立てた指を口の前で横に切った。すると、部屋に立ち込めていたニンニク臭が一転、フローラルな薔薇の香りに変わっていく……。
「まぁ嫌がらせはこの辺にして、本題に入ろうか」
口から放たれるのも薔薇の香りだ。どうなってんだこいつの身体……。
「あのバカ堕犬が私達を通さず、直で『剛体根』を売りつけようとしたらしいねぇ……。仲間であるあんた達はどう落とし前をつけんだい?」
仲間じゃないです。
「仲間じゃないです」
ランスくんとハモった。
俺はベラベラと続ける。
俺はむしろだな、そういう……筋の通らねぇ事はやめろと、あのバカに言ったんだ。剛体根は、まぁ少し依存性があるので危ない人達が流通ルートを絞っているとね。
つまり、お前のやっている行為は、この迷宮都市という特殊な環境において尚……裏の世界を形成し、かつ支配している連中を敵に回す行為なのだと。それが、どれほど危険な事なのか……何度言い聞かせた事かっ!
俺は熱く語った。だが巨デブは少し腑に落ちないようだ。
「私はあんたとランスも便乗しようとしていた、という情報を得たんだがねぇ……」
そんなまさか。俺は真顔で嘘をついた。チラリと見られたランスくんが真剣な眼差しで頷く。
「当然だろ。俺はあんた達がただ金儲けの為に制限しているわけではないことを知っている。あんた達なりの、正義や筋があるのだと……下手な探索者どもより分かっている」
ガタリと、物陰から出てきたボロ雑巾みたいなクソ狼が地面に転がる。
「うそダ! オレをボコって剛体根をウバい、ソレを先に売りツケようとしタんだ!」
往生際の悪いっ! 俺は立ち上がって吠えた。手を大きく広げる。巨デブを始め、近くに護衛の様に並ぶ屈強な男達を順に手で指しながら叫ぶ。
「これほどの方々に迷惑をかけて! 恥ずかしくないのかっ!」
ランスくんが続く。
「そうだぞ! 俺達が止めなければ、お前は今ここに命すらないだろう!」
巨デブが、サイドテーブルをトンッと叩いた。
「お黙り」
はい。と、俺達は正座する。
「あんた達は、やたらと事を複雑化させる。大事になる。言っても聞かないのは分かるが、だからと言って見過ごすのもメンツが立たない……あとランスは早く借金を返済しなさい」
「……ちょっと待ってください、あと少しで手に入る予定なんですよ」
ランスくんのようなクズ男が、借金を踏み倒せず、迷宮都市で小銭を稼いでは身ぐるみを剥がれる羽目になるのは、この街の金貸し……その全ての上にこの巨デブがいるからだ。
金貸しだけではない。いわゆるアウトローな連中……その頂点がこの、巨デブこと『千壁』のローズマリーだ。
まるで岩山を思わせる顔面に化粧を塗ったくり、派手派手しい衣装を着込むローズマリーは男性なのかそれとも女性なのかはたまたオカマやオナベなのかも分からないくらい人間離れした容姿だが、実は迷宮都市でも三指に入る実力者である。
『仙鬼』に『断界の処女』、そして『千壁』。化け物染みた能力を持つ探索者が数多くいる迷宮都市において、その中でも更に突出した……探索者達の頂点とも言うべき三人の『超越者』。
最大深度の迷宮を越えて尚、深み……と言うよりは高みを目指すイカレた存在。
ローズマリーの顔を俺は見る、正確には瞳をだ。その目には、目の前のことが写っているようで、見えていない。見据えるは遠く……深い、高み。人生全てを、迷宮に囚われている。
迷宮に潜り、そこからより強力な迷宮を目指すことしか考えなくなる……つまり変人だと言うことだ。
「迷宮都市を成長させる為に、後ろ暗ーい事は必要さ。だがね……無節操な行いは成長を促すのでなく、ただ根を腐らせてしまう。わかるかい?」
はい。分かります。
俺は大人しく返事をした。
迷宮都市は、人が増えて大きくなると成長する。すると、不思議な事に新たな迷宮を生み出すのだ。
思考を迷宮に囚われたローズマリーが、裏社会の王なんてものをやっているのも、全ては迷宮都市の発展……つまり迷宮を育てる為だ。
「相変わらず目がイカレてやがるぜ」
ゴクリとランスくんが唾を飲んで慄いた。
一定以上の実力者は大体迷宮に心を囚われて頭がちょっとおかしくなるのだが、その一定以上に入りながらも迷宮を金稼ぎの道具にしか見ていないランスくんは、案外珍しい存在だ。
なのでこういう迷宮狂いの連中に対し苦手意識を持っている。無論、俺もだ。なんだか喋っていると不安になってくる。
「まぁ、分かれば良いんだけどね……ただ、何もなく帰す事はできないねぇ……」
深淵を覗く瞳が俺達を見据える。ゾッとしたものが背筋を流れた。もうやだ。
「なにをさせる気だ……?」
引きつった顔でランスくんが聞いた。嫌な予感がしたのだ。もしかして、俺も何かさせられるのだろうか。コイツらが悪いのに巻き込まれて理不尽だなぁと呟く。ランスは俺を無視した。
「簡単なお使いでも頼もうかね」
ニコリとローズマリーが笑みを浮かべた。それに引きつった笑顔を返す俺達。
「『仙鬼』に渡してもらいたいものがあるんだ」
*
『仙鬼』とは、迷宮都市の探索者……その中でもとびきり迷宮潜りに固執している奴だ。なにせ、街で見かけるより迷宮内で見かける方が多いときた。
いや、むしろ家が迷宮なのかもしれない。迷宮の中には、例えば一時間も居れば身体中の皮膚が爛れる様な毒気に常に晒される……そんなやばいのもある。
お宝を見つけたら、さっさと地上に戻って売りさばき、その金でしばらくゆっくりする。大半の探索者がそんな生活を送る中、より実力を高めた者ほど俗世に興味を無くしていき迷宮から出てこなくなる……だが、それにも限度というものがある。
のが普通だが、その限度というものが存在しないやつがいる。それが『仙鬼』だ。
ガチャリと、迷宮ギルドの扉を開く。中にいた探索者達が入ってきた俺達を見て、舌打ちをしたり警戒心を高めたりと歓迎してくれた。
俺とランスは無言で、沈痛な面持ちにてトボトボ歩く。その様子に、何やら不穏なものを感じたのかざわつき始める探索者達。
目立つ所に立って、俺は目の前にテーブルを置く。
バン! と、強くそのテーブルを叩いて注目を集めた。しん……と、沈黙が場を支配する。俺は、少し頷きがちだった顔を上げてニコリと天使の如き笑顔を浮かべた。
「『千壁』さんからぁ、頼まれごとしたんだけどぉ……誰か手伝ってくれない?」
両手を顔の前で合わせて、小首を傾げる俺は間違いなく可愛い。いくら俺に対して警戒していようと、男は可愛い女に可愛い仕草をされると絆されてしまう生き物だ。それを俺はよく知っている。
しかしそれよりも探索者達の心を掴んだのは、『千壁』というワードだった。
「『千壁』……」
「間違いなくロクな用事じゃないが」
「でも報酬は凄いんじゃないか?」
俺の言葉を聞いて、自身のパーティメンバー達と話し合いを始める探索者達が多数いた。何故ならば『千壁』は金払いがいい。
そして、何よりもビッグネームだ。もし『千壁』に名前を覚えられる様な事があれば、それだけで探索者としての箔がつく。それほどの奴なのだ、『千壁』という奴は。
ガタリと、近くのテーブルに座っていた男数人組が立ち上がって肩を揺らしながら俺とランスの前に来た。
「良いぜ、俺達が受けてやるよ。その『依頼』をな」
ガッと俺はその男の手を掴み、両手で包み込んで顔を見上げて言う。
ありがとう……。それで早速何を頼まれたかって話なんだけど、『仙鬼』って人に届け物をしなきゃいけないんだぁ。
手を振り払われた。
「他を当たってくれ」
ランスくんがすかさずその男の肩に腕を回して、逃すものかと爽やかな笑みを浮かべる。
「おいおい、つれないこというなよ。君達が受けるって言ったんじゃないか」
ニコニコと男の仲間らしき連中にも視線を送りながら、しかしどこか焦燥感にかられたランスを振り払って男は叫ぶ。
「忘れていたが俺には用事があんだよっ!」
仲間の男達も腹を抑えたり使ってもいない手帳を取り出したり何かを思い出したかのようなそぶりを見せる。
「あいたた、腹が急に……!」
「しばらく予定は空いてないなぁ」
「いけね、家のリフォームを考えてるんだった!」
この軟弱もんどもがっ! ぺっと唾を吐いて俺は言う。
探索者たるもの、自ら死地に飛び込まんでどうするよっ!?
「勇気と無謀は別物なんだよ!」
そう吐き捨ててそそくさとこの場から退散する男達。くそっ、ビビリが……。
しかしどうしたものか。依頼内容を聞いてから、俺達と目を合わそうとしない奴がほとんどだった。
その辺の探索者の顔を抉るように覗き込んで俺は舌打ちする。使えねぇ、だから万年低級探索者なんだよ。
だが誰も煽りには乗ってこない。
それもそのはず、『仙鬼』の潜る迷宮はほとんどが高難度だからだ。つまり、下手な探索者だと入るだけで死んでしまう。文字通り死地なのだ。
そして、何より何処にいるのか分からない。分かっても自分達が迷宮に潜っているうちに、さっさと脱出して別の迷宮に潜るかもしれない。神出鬼没というやつだ。
「ちなみにだけど、どこの迷宮に潜ってるか分かっているのか?」
『武骨の刃』というパーティのリーダー剣士が挙手をして聞いてくる。俺は脳内で先程説明した事を言葉に出す。
分からん。まずは情報収集からだな。
「さっ帰ろっ」
『武骨の刃』の弓使いがにこやかに言ってその場から去った。それに続いてパーティメンバー達も去っていく。
「ちっ、どうするぺぺ。流石に俺とお前だけではアイツを探すのは無理だ。このままでは去勢されてしまう」
お前のマグナムはどうでも良いが、俺も貞操が変な虫で危うい。そうなれば俺の精神は約数十年近く立ち直れないだろう。『千壁』のデブは本気でやる。
仕方ない……。俺はため息一つ、そう呟いた。
「まさか、当てがあるのか?」
まぁな。ここの連中の様に、肉壁にしかなれん奴らとは違う……。
くるっと踵を返して迷宮ギルドの扉に向かう。
「どこに行くんだ」
ランスが慌ててついてきて、そう聞いてくる。俺は立ち止まらず言った。
そりゃ、もちろん……龍華王国だ!