第67話 勃発
血礼のシャイナ。
俺が先生と呼んだ女性は、かつてそう呼ばれた異端審問官であった。由来としては、アルプラ教が異端としたものには血の洗礼を与えるとかなんとか。彼女の温厚な姿しか見たことが無い俺からすればピンとこない物騒な二つ名だ。
それはともかくとして、俺は少し気恥ずかしい思いで彼女の瞳を見つめていた。何故ならば、我ながら完璧な別れをした相手と再会してしまったからに他ならない。
あの頃は異端審問官とやらがどんな仕事かよく分からないし、とはいえ滅多に会うことが無いだろうと思っていたのだが……人の縁とは数奇なもの。それをよく分かっていなかったということだ。俺は口を開く。
私は、少し特殊な界力の持ち主でして……。シャイナさん、いえ……先生に殺されたアレもまた私ではあるのですが、今ここに存在している私もまたチノであり……。
俺は今考えた設定を語り出した。瞳にどこか懐かしさを持ち、しかしまるで自分のことでは無いかのように語る俺はまさにミステリアスな少女。
「ペペロンチーノ。貴方の真名と言うべき名前らしいわね。報告書で確認した時、驚いて心臓が止まるかと思ったわ」
……報告書? 俺が本気で疑問に思っていると、先生の横にいたグリーンパスタが懐から紙を取り出して俺に見せてくれた。
それは写真付きのレポートのようなものだった。何故俺が満面の笑みでダブルピースをしている写真なのかは分からないが、内容は取調べ調書のような……。
下の方にロードギルと署名があった。あいつか。俺はボソリと呟き舌打ちをした。人のプライバシーを侵害しやがってロリコンめが。
「プレイヤー。貴方達についてはこちらもまだ調査中です。その件で、チノ……ペペロンチーノ、貴方には少し用がありますので」
少し俯いてから、次に顔を上げた時には表情が消えて冷徹な視線を向けてくるシャイナ先生。
ちらりとグリーンパスタを見る。
「ああ、うん。僕の事もプレイヤーだと知られているよ。少なくとも、『上の人』たちはね。だからこそここに居る」
プレイヤーだとなんだと言うのだろう。存在が害悪だと言うならば、まぁそこを否定しきる事はできないが。殺そうと思っても殺せないのだし封印措置でも考えているのか?
俺が色々と深読みしていると、少し厳しい視線をした先生が目元をわずかに綻ばせた。
「チノ、ただ話を聞くだけだから」
そうですか。俺は悲しそうに言った。
いいんです。私は先生の為なら、どんな辛い拷問にも耐えてみせます。あっ虫はやめて下さい。
涙をポロリとして見せると、罪悪感を感じて先生は傷ついた瞳をする。俺は彼女にそんな思いをさせた自分に怒りを覚えた。これも全部、ロードギルとかいうロリコンのせいだ……!
それはともかくとして俺は牢から出されて、鎖に繋がれたまま連行されていく。横目に他の罪人達が牢に捕まっている姿を見ると、皆が皆ろくな事をしていなさそうな怪しい連中ばかりだった。
その中の一人が鎖を派手に鳴らし、限界まで近付いてきて血走った目で俺を見て吠えた。
「俺達は小さな駒に過ぎない……! 大いなる存在、お前は感じないか!? 俺達ならば、分かるはずだ!」
怖いんですけど。
しかもよく見たらこいつプレイヤーじゃん。何てイカれた目をしてんだろう。思わず立ち止まっていると、ニコニコとしながらグリーンパスタが先生に話しかけた。
「シャイナさん。彼はまた気がおかしくなっているようで。僕がまた落ち着かせておきますので」
そう言って俺と先生を先に行かせようとするが、ふと思い立ったようにグリーンパスタは言い直した。
「すいません。やっぱり先で待っていてもらえませんか? 彼女の知り合いでもあるんです、彼」
どうやってそこまでの信用を得ているのかは分からないが、少し不思議そうな顔をしただけで先生は先へ進んでいった。
残された俺は、一応盗聴を警戒してパーティー用掲示板でグリーンパスタと話をする。
1.ペペロンチーノ
どういう魂胆だ? こんな奴しらねぇぞ
2.グリーンパスタ
まぁまぁ
「俺達は道化だ、何故見ないふりをする?」
ごちゃごちゃと罪人が言っている。そもそも罪人と勝手に呼んでいるこいつが何故ここに閉じ込められているのかを俺は知らない。
その謎のプレイヤーが意味深にかつ漫画だとシリアスな展開に持っていくようなフラグを立ててくる。
やだ、陰鬱だわ。気持ち悪いしなんか縁起悪そうなので、俺はレッドを真似て相手の感情を抑える様に魔力を使った。
普段は増幅する事で感情を操作しているが、今はそれを逆転させる感覚……魔法結界を経験した俺ならばその程度の事は簡単に思えた。
そして成功した。目を血走らせていたプレイヤーが今は借りてきた猫の様に大人しくなり、壁の隅っこに三角座りをする。
ふむ……。俺は顎に手をやりながら自分の成果に納得した。まぁこんなもんだな。
「……プレイヤーの中でも五指に入るレベルで魔法を扱えてるよね。精神操作だけで言えばトップクラスかもね」
グリーンパスタが少し呆れた顔で俺を褒める。何故呆れているのかは分からない。
「地味に凄い技術なんだけど、用途がなぁ」
用途だと? 今まで俺は使い所を誤った事なんて無いけどなぁ。
「ところで彼は第一世代でね。だから君達と比べて、尖った才能はあってもタフな精神を持ち合わせていない個体もいる」
突然語り出したグリーンパスタ。俺はその内容に対し、仮に盗聴されていても大丈夫なのかと口の前に指を一本立てながらキョロキョロとする。
良いのか? 周りに誰もいないか?
3.グリーンパスタ
そんな不自然な挙動の方が怪しいよ。
「才能故に、色々と深い所まで気付いてしまうプレイヤーもいるんだよね」
そう言ってグリーンパスタは牢の中のプレイヤーへ向けて手を伸ばした。届かない、と思われたがその腕がメキメキと形を変えて伸びていく。
き、きもっ。俺はドン引きした。いつの間にか知り合いが化け物になっていた事に驚いたのだ。俺の知る限りプレイヤーにこんな機能はない。
「これは《化粧箱》の応用だよ」
《化粧箱》とは、プレイヤーの外見を自由に変えるスキルだ。しかしそれの使用には大きな弊害がある。少なくともこのように腕だけを伸ばす芸当が出来る意味が俺には分からない。
伸びて届いた手が、罪人プレイヤーの頭を掴んだ。グリーンパスタの指先が光の粒子へと形を変えて、掴んだ頭にズブズブと侵入していく。
4.グリーンパスタ
詳しい話はまた今度するけど、この世界では代償を捧げる……つまり界力を捧げる事で、一時的に大きな『力』を得る事ができるシステムがあるんだけど
「まぁ、それと似たような芸当だよ」
何こいつ、掲示板と併用して喋ってくる。ここぞとばかりにプレイヤーの機能をバンバン使ってくるグリーンパスタはこちらを見ずに謎の行為を続ける。
牢の中の罪人野郎がトロンとした瞳になった。ぼんやりと俺達を見て、ややあってふわりと笑った。
「おお、同志達よ。ここはどこだろう? チュートリアルは終わったのかな?」
……これは? 俺は訝しげな目でグリーンパスタを見る。
「少し記憶を奪わせてもらった。まぁ、彼に対しては対処療法にしかなっていないけどね。いずれ良い案が浮かんだら……」
いや、そもそも何をしたくて俺に何を見せたかったのかを聞いているんだけど……このままではただのホラーだよ?
「んー、そうだなぁ。とりあえず、こんな事も可能なんだよって認識して欲しかったんだよ」
お前は回りくどい。カッコいいと思ってるならまちがいだぞ。ハッキリ物を言え。
「君はいずれ僕らを頼るだろう。その時までに、僕の能力を知っておくべきなんだ」
グリーンパスタと話していると、その全てが意味深な会話となってしまう時空になる。どうせスッキリしないのでさっさと切り上げた俺はシャイナ先生の元へ急いだ。
*
天井は高く、壁や窓、その全てが絢爛で……しかし厳かな装飾で彩られた、どこか龍華の王の間にも似た空間。
入ると、すぐに目に入るのは遮蔽物の見当たらない広大な広間。綺麗な石をこれまた綺麗に切って並べてある床があり、まるで鏡のように綺麗に磨かれていた。
それを真っ直ぐ見ていくと、広い部屋の突き当たりは階段のような段差で高くなっていて、その上には白く……天窓から差し込む光で後光の様に輝く女神像があった。
シャイナ先生が跪く。横に俺を拉致ったガキンチョ兄妹異端審問官が並んで同じく跪いて、その先にもう一人、背格好からロードギルらしき男が跪いていた。
彼らの視線の先、女神像の前には一人の人間が立っていた。
その人間が着込む衣装は白にささやかながら金糸の装飾が映えて、着込む本人もまた肌、髪、その他確認できる体毛全てが白い……まだ少女と言える年齢の女だった。何故かその瞳は閉じられている。
俺のいつもは軽口を叩く口が開いたまま閉じなかった。それは、その白い女から放たれる圧の様な……存在感と言えばいいのか、ともかくその様な不思議な感覚に気圧されていたのだ。
女が口を開いた。
「プレイヤー。こちらで確認はしていますが、貴方はその中でも特殊な立ち位置な様ですね」
俺に言っているのだろうか? しかし俺は少々目立っているだけで、際だった才など持たないプレイヤーだ。だからβテスターではない。そんな俺が特殊な立場だと……?
そ、それはつまり、俺だけに秘められた力、みたいな? そんなやつかな? 俺はちょっとドキドキした。
確かに、俺ってば魔法使えるしね。グリーンパスタも凄いって言ってたし。俺って凄い子だった?
立ち尽くす俺の横で跪くグリーンパスタが淡々と言った。
「彼女の界力は通常のプレイヤーと違い、随分と手を付けられていますね。呪い、と言うのが近いでしょうか」
おい、そんなの聞いてないぞ。どういうことだ。
「……確かに。グリッパ、貴方の言う通りでしたね」
白い女がコクリと頷いた。俺はグリーンパスタを足で軽く蹴って耳元で囁く。
ああん? どういうことだ?
5.グリーンパスタ
ごめん。色々あって君の事を売ったの僕なんだ
顔色は全く変えず、地面を見つめたままグリーンパスタは掲示板で謝ってきた。
6.ペペロンチーノ
ふざけんな! つまりここに拉致られたのはてめーのせいか!?
7.グリーンパスタ
端的に言えばね
きいいっ! と俺はグリーンパスタを突き飛ばす。こてんと転がった奴に追撃をかける。
だがいつの間にか近くにいたロードギルのロリコン野郎に首根っこを掴まれて宙吊りになっていた。猫か俺は。
「『聖女』様の言葉をしっかりと聞け」
冷たい声でそんなことを言ってくるロードギル。聖女? 俺はちらりと白い女を見た。アイツのことか?
ジッと見つめていると、聖女は閉じていた瞳をゆっくりと開く。その眼窩に収められたものに俺はギョッとした。
黒い闇夜に星々が瞬いて、まるで星空の様な眼球が姿を現したのだ。
俺の知る人間の眼球ではないので、何処を見つめているのか分からないはずなのに……俺は異質な視線をその瞳から感じていた。
『なるほど、やはりヒズミか』
聖女のおかしな瞳に気を取られていると、今度は天井からゆらりと一振りの剣が降りてくる。
その剣は、柄に綺麗な宝石が埋め込まれている以外は質素な装飾ながら、下手な財宝よりも価値がありそうな材質で出来ていた。何故わかると言われても、なんかそんな感じがするとしか言えない。
ランスくんが見たら眼球に金マークを浮かばせて、手に入れる為にどんな手でも使うだろう。
上から降りてきた剣は音もなく聖女の目の前に突き立ち、その柄に自然な仕草で両手を乗せた聖女が人間とは思えないその瞳で俺を見る。
『余計な事をするあの女には、少しお灸を据えねばならんな』
剣が喋ってる。
俺は宙吊りから解放されて床に転がる。身体を起こしながら、先程からの怒涛の展開を頭で整理した。
とりあえず……さすが剣と魔法の世界だ。喋る剣が実在するなんてな……。ところでそろそろ誰かこの状況を上手いことまとめてくれないだろうか。
新キャラに次いで謎の剣、まぁどうせ聖剣だとかそんな類なんだろ? ってのがぽんぽこ出てきて俺を置いてきぼりにしていく。
『極星』
聖女が一言、そう発する。彼女を中心に、その瞳から溢れる様に夜の星空が放射状に広がっていく。
魔法結界か? 『迷狂惑乱界』の充填はまだ少ない……解除する程の出力があるかどうか。そんな事を考えている間にも星空は俺達の足元を超えて、その瞬間に俺の脳みそにノイズが走った。
ノイズの中、部屋でくつろぐヒズミさんが苛立たしげに眉を歪めて舌打ちをした。
「『極星の魔眼』……! さぁ、ヒズミさんはどう出る!?」
横で興奮し始めたグリーンパスタ。
『なめやがって』
ノイズの中でヒズミさんがぼやいた。俺の懐中時計に刻まれた転移魔法陣に魔力が注がれる。
『天罰』
聖女が小さく呟くと、ヒズミさんの頭上へ……家の屋根を突き破って光の矢が落ちる。それを指先一本立てて、不可視の障壁で防いでみせたヒズミさんが怒りを露わにした。
『面白い。その挑発にのってやろう』
俺の懐中時計が強く輝く。視界の端……星空の向こうから一人の男がぬらりとこちらに向かって歩いてくるのが見えた。
懐中時計から魔法陣が溢れて巨大化する。そこからまるで、テレビから出てくる悪霊みたいにヒズミさんが負のオーラを纏って這い出てきた。
「聖女にクソ剣。お前らは……っ!?」
鋭い目つきで聖女を睨むヒズミさんの前に、筋肉隆々でやたらデカい男が立ち塞がる。その男を見て、明らかにヒズミさんは動揺して目を見開いた。
「て、てめっ……、チッ! クソが……!」
今までにヒズミさんの無様な醜態を散々見てきたが、そんな俺でも初めて見る狼狽え方だった。その男とヒズミさんが睨み合った瞬間、二人の魔力……いや、界力が爆発的に上昇し、空気を、空間を軋ませた。
「ヒズミよ、お前が何を企んでいるとか、そんなのはどうでもいい」
男はニヤリとそう言った。
「とりあえず、一発ヤラせろや」
言うが早いか男の拳が床を叩き割った。
俺とグリーンパスタは衝撃で吹き飛んで、俺の腕は一本どこかへ飛んでいく。しかし吹き飛ぶ俺の身体は止まらず、建物の外へ飛び出し錐揉み回転した。
「あらら、何だか大変な事になってますねぇ」
そんな俺を、空中で受け止めてくれた魔王ハイリス様が困った様に頰を掻く。その視線の先には、無傷で立つヒズミさんと、もはや突然現れて誰なのかすら分からない男が殺意を隠さず向かい合っていた。
8.グリーンパスタ
どういう状況だろう?
俺が聞きたい。