第43話 キレイなペペロンチーノ
「いらっしゃいませ!」
龍華のとある喫茶店。
客が店内に入ると、聴くものを思わずハッとさせる鈴の様な声が響く。その声の持ち主は、緑の髪をショートカットにした……その容貌にまだ幼さを残す少女。
ニコニコと人の良い笑顔を浮かべた彼女は戸惑う客を席まで案内して、自らの仕事へ戻っていく。
先程入ってきた客……中年の騎士はカウンター席で馴染みの店員、全身を白い羽毛で包む鳥男に小さな声で話しかけた。
「え、ちょ。どうしたのあいつ?なんか、纏う空気からして別人なんですけど」
どうやら中年の騎士は少女と既知の仲だったらしい。彼の知る少女とは様子が違ったのでかなり戸惑っていた。
鳥男も小声で話す。
「いや、それが俺もよく分からなくて……」
「ワシもあんなペペロンチーノは初めて見るで」
中年の騎士の横には豊かな白髭を蓄えた長い白髪を後ろで括る老人が座っており、彼もまた少女の様子が普段と異なる事に気付いていたらしい。突然話に割り込んできた。
「うわ、こんなとこで何してんですか」
一応、この老人は立場的には中年騎士の上になる……十華仙の『千里眼』だが、彼自身がとてもラフな性格をしているためにこの様な態度でも許されている。
中年騎士は考える。ならばあと、事情を知っていそうなのは……。
キョロキョロと店内を見渡して、ムキムキなゴブリン三体と上半身裸の男が座るテーブルは無視して、常連の客達も無視して、ソファー席に座る家具屋の親方も無視して……カウンターに座る赤い髪の男とその前に立つ桃髪のロリ巨乳店主に話し掛ける。
「モモカさん、何か知ってます?」
ロリ巨乳の店主は困った様な笑顔を浮かべた。何故か天井にはここらで見ない顔の青い髪をした男が吊るされていて、なるべくそれを視界の隅に追いやり話を聞く。
「えっと、ですね。まぁ、ちょっと色々ありまして」
煮え切らない返事だ。確実に何かを知っている。
「ご注文はどうされますか?」
いつのまにか目の前に立っていた件の少女が快活な笑顔で小首を傾げている。中年騎士は大層驚いた。この少女が浮かべる普段の笑顔と言えば、何かロクでもない事を考えていることが透けて見える様なものだった。
そう、とてもこんな……中年騎士は緑髪の少女の笑顔を見て思う。こんな純粋無垢な笑顔ではなかった。
「とりあえず、コーヒーとサンドイッチでも頂こうかな」
「かしこまりましたっ!モモカさん、コーヒーとサンドイッチのセットです」
終始ニコニコしている少女を思わず中年騎士が見つめていると、少女は少し頬を染めて恥ずかしそうに視線を逸らす。
「そ、そんなに顔を見つめられると照れるから、ラングレイさんやめてよ」
誰だコイツは。心の中で強くツッコミを入れて中年騎士はごめんごめんと謝る。ささっと去って行った少女を横目に、また店主の方を見る。
「え?記憶喪失とかそういうパターンじゃないんですか?」
こういう、性格激変でお約束と言えば記憶喪失だ。しかし、少女に至っては普通に中年騎士の名前を覚えていた。どういう事だ?また何か企んでいるのか?
「それが、本人はふざけてるわけじゃないみたいピヨ」
思い出した様にアホみたいな語尾を付ける鳥男も少し困惑気味にそう言った。そう、彼女は演技をしているわけではないらしい。一体どういう事なのか。
「この話をするには、まずは少し時を遡らなければなりませんが……」
ロリ巨乳店主がテーブルを拭く少女を、どこか遠い目で見つめながら、静かに語り始めた……。
*
それは、とある老人探索者が抱えていた問題を解決した直後の事。ランスと呼ばれている探索者がでかいカブト虫を解体している時、その彼の元にペペロンチーノという少女が向かっていった。
その後を追っていたのが、ロリ巨乳店主ことモモカだ。彼女はペペロンチーノがランスの元へたどり着く前に足を止めたのを見て、怪訝に思い横に並ぶ。
「どうしたんですか?」
その問いに対して、ペペロンチーノはいや……とかあの……とか歯切れの悪い返事を返す。彼女とはそこそこ長い付き合いだが、そんな様子を見るのはとても珍しかったのでモモカは小首を傾げる。
「モモカ姐さん、手伝ってくれー」
デカいカブト虫ことキングカブトはデカイので重い。ランス一人では中々上手くいかない所が出てきたらしい。モモカは仕方ないとばかりに彼の元へ行き手伝いをする事にした。
ペペロンチーノはと言うと、無言でその後を付いてくる。いつもは小うるさく騒いでいる彼女のいつに無い大人しさを不思議に思いながらモモカは解体作業を手伝っていく。
ふと、モモカは気付いた。ペペロンチーノが視線の先、カブト虫の腹……要は足とかの付け根が密集している部分を見て肩を震わせているのを。
おや?これはまさか。虫が苦手な人は、そういう部分に嫌悪感を抱くものだ。普段は威勢の良い彼女がやけにおとなしい理由がようやくわかった。
そして、モモカの脳裏に少しの悪戯心が生まれる。キングカブトの解体中に甲殻の隙間に潜んでいるのを見つけた……このデカイ団子虫みたいな昆虫を突き付けたら、彼女はどの様な反応を示すだろうか。
少女らしく可愛い悲鳴をあげるかも知れない。うふふと含み笑いをしたモモカは、他所を見ていてこちらに気付いていないペペロンチーノに背後から近づいて行く。
「ぺぺさーん」
モモカが呼び掛けると、ペペロンチーノがすぐに振り向く。後ろ手に持った虫には気付かず、モモカの服に付いた体液を見てウェッとした顔をして
「モモカさん、早く終わらせて服買いに行きましょう」
本気でそう言うペペロンチーノにモモカはニコニコ。満面の笑みで何も答えない。それを怪訝に思ったペペロンチーノが口を開こうとした時に
モモカは虫を眼前に突き付けた。わしゃわしゃ。元気に足を動かす虫さん。
「ぴょっ!pieeeeeeeeee!?」
一瞬の硬直後、目を見開き、後ろに飛び跳ねながら奇声を上げるペペロンチーノに想像以上の反応だとケラケラ笑うモモカ。
そのままひっくり返ったペペロンチーノ。しかしどうしたことか、起きてこない。流石に心配になり彼女の顔を覗き込むと、白目を剥いて気絶している……。そ、それほど嫌いなのか、虫。正直気絶する程とは思っていなかったので戸惑うモモカ。
(やり過ぎましたかね?)
少し反省をする、起きたら謝るとしよう。
そう、モモカはまだこの時には知らなかったのだ。彼女が目を覚まして、新たな問題が発生することになるなんて。
*
「まぁ、というわけでペペさんが気絶から覚めた時には今の様になっていまして」
モモカが事の経緯を話し終えると、場をなんとも言えない空気が支配する。ぽつりと、鳥男が呟く。
「あいつ虫苦手なんだ」
コクリと中年騎士ラングレイが頷く。
「良いこと聞いた」
「いややめてあげてくださいよ!」
弱みを握られたペペロンチーノを思わずかばうモモカ。まさか、人格が変わるほどショックを受けるとは思わなかったのだ。普段から周りに迷惑をかけている彼女だが、モモカに対してはそうでもない。
ゆえに、モモカ自身はペペロンチーノに対してかなり負い目を感じていた。流石に悪い事したなと。
いつもの常連客と笑顔で会話しているペペロンチーノを遠目に見ながら、赤い髪の男が静かに語り出した。
「俺達プレイヤーは、今の肉体が滅びてもまた新たな肉体を得て復活する。その際に記憶……それに伴う感情などはそのまま継承する事になる。その為に、俺達プレイヤーを本気で害そうと考えた場合最も有効なのが精神にダメージを残す様な攻撃をする事だ」
無表情で、プレイヤー自らの弱点を披露していく赤い男レッドに皆が注目する。最近認知されてきたプレイヤーという謎の存在、彼らのほとんどは普通の人間の様に痛みを感じ、死を恐れる。
死への恐れとはこの男が今語った中の、『今の肉体が滅びる』という点に対してだ。それならば、今思考している自分は、復活した時の自分と同じなのだろうか?そういう、『今の自分』が消えてしまうという事への単純な恐怖だ。
更には肉体の再構成時に、他には例えようのない……魂と言えば良いのか、よく分からないものが粘土の様にこねくり回される感覚がとても気持ち悪いのだとか。
それはさておき、プレイヤーの中には痛みを自在に操り、死をただの状態の変化くらいにしか感じない連中が少数いる。
レッドが語ったのは、そういうプレイヤーに対しての対抗手段だ。
「以前、ペペロンチーノは精神攻撃を得意とした魔法使いに何度も虫の大群に身体を食べられる幻覚を見せられたそうだ」
無表情のレッド。何となく言葉から、かなり気持ち悪い体験だったのだろうと想像できた。
「元々、虫の類は好きではなかったのだろう。だが、それ以来ペペロンチーノは少し……弱っていた様に見えた。怪力ハングライダーも同様の魔法を受けていたが、彼もまたしばらく覇気がなくなっていた」
今は筋肉愛好会のメンバーとの触れ合いにより回復しているが……それはまた別の話である。
「ペペロンチーノは、意地っ張りで強がり。他者に弱みを見せることを嫌う。他者より優位に立っていたがる。それは、性格が大きいとは思うが、貧弱なプレイヤーであり視覚的弱者の外見をした自分を守る為という側面もあるのだろう」
一度レッドは珈琲を啜る。
「さておき奴には、他者に比べて心を許している人間がいた。同性であり、高い実力を持ちながら理性も高い。なによりペペロンチーノは胸が大きい女性を好む」
モモカの頬を汗が伝う。
「そんな、精神的な壁が薄い……無意識かも知れないが、擦れた精神の回復をその女性に求めていたのだろう。そんな彼女からの、突然の攻撃に対しペペロンチーノは無防備にそれを受けてしまった」
「お、怒ってます?」
あまりにも淡々と語るので逆に恐ろしくなってきたモモカ。しかしレッドは小さく首を振る。
「いや、むしろ有り難い。良いデータが手に入った。ペペロンチーノはタフだ。事実、ゴブリンに捕まって凄惨な目にあった時ですら、幾度殺されようが奴は復讐を終えるまで一週間以上も戦い続けた。まだ痛みを感じ、死への恐怖を克服できていない時の話だ」
え……。
その場にいた全員が絶句する。今とんでもない発言が飛び出た様な……。
「しかし、そうだな。それらの全てが蓄積されていて、ついに限界を迎えたという見方も……」
スパン!饒舌なレッドの頭部にお盆が叩きつけられる。ペペロンチーノだ。少し頬を赤らめながら拗ねた様に口を尖らせる。
「ちょっとレッド。勝手に人の過去をペラペラ話さないでよ」
だから誰だよコイツ。言葉にはしないが心の中で全員がハモる。普段ならばもうちょっと粗野な口調でピーチクパーチク文句を言っているはずだ。
「いやぁあん時はびっくらこいたよな。四六時中ゴブリンを殺す為に罠張ったりやら奇襲やらして……実は俺とグリーンパスタは手伝わされたし」
話を聞いていたのか上半身裸体の男が割り込んでくる。それを聞いて黙っていないのが、黒い肌をした……ゴブリンにしてはゴツすぎる鬼の様な魔物だ。
「おいおい、俺がいたらすぐにゴブリンなんて皆殺しにしてやったのによぉ〜」
「オレモ、コロシタイ」
「ゴブリン、コロス」
近くにいる二体のやたらマッチョな浅黒い肌をしたゴブリンも続く。ちなみにこの三体のゴブリンは龍華最大の闘技大会の『人外』部門で優秀な成績を収めた猛者である。
「もー、あの時の話はやめてっ。モモカさん、ラングレイさんの分は私が淹れますよ?」
話に夢中になってラングレイに対する珈琲が出ていない事に気付いたペペロンチーノはカウンターの中に入り、ハンドミルに豆を投入してコリコリと挽き始めた。
「モモカさん、魔女って珈琲淹れるんですか?」
「一応、教えた事はありますよ」
ラングレイは、静かにハンドミルを回すペペロンチーノを見て思う。静かにしていたら、良い所のお嬢さんに見えてきた。元々、人を騙す際に女性的な所作をできる様な奴だ。
「しっかし。プレイヤーってのは不思議な存在やなぁ」
のんびりと鈍った口調の老人が手の上に眼球に似た光球を作り出してモモカのスカートの中に潜り込ませてぶん殴られ壁に叩きつけられた。
「ぐ、ぐふっ……それで?レッドくん。これは治るのか?」
口から血を垂らしながらペペロンチーノを指差す老人。
「ええ、まぁ簡単に。ペペロンチーノ、ちょっと来い」
何ともなさそうにあっさりと、レッドは治ると言う。豆を挽き終わったペペロンチーノがいきなり呼びつけられて不思議そうな顔でカウンターから出てきた。
「殺せば戻るだろう」
彼女が目の前に立つと同時に剣を抜き放つレッド。ぎゃあ!とペペロンチーノが頭を抱えてしゃがみ込む。
「殺されるっ!」
「む?《スキル》も停止しているのか?まぁいいだろう」
「いや良くないですよっ!」
ビクビクしているペペロンチーノに覆い被さってモモカが叫ぶ。ウルウルとした瞳でペペロンチーノはモモカを見上げている。あら可愛い、モモカはニコリとしながらそう思った。
「怖がってるんですから無理にしなくても!」
「心配はいらない。殺せば、療養に入った人格データも戻る。俺達プレイヤーは死ねばあらゆる状態異常が治るんだ」
「いや言ってる意味がよく分からないですけど、療養に入ってるならもう少し休ませてあげたらいいじゃないですか」
「……奴の事だ。もう既に復帰していてもおかしくない。なのにまだこの状態という事は、一度死なないとリセットされないのかもしれない」
ワーワーと言い合っているレッドとモモカを放っておいて、ラングレイは脇で困惑しているペペロンチーノの元へ行く。
「珈琲淹れてよ」
「あ、うん」
戸惑いながらも、カウンターの中に戻り珈琲を淹れ始めるペペロンチーノ。小さい身体を姿勢良く、少し微笑みながら淹れている……その様子を椅子に腰掛けてぼんやりと見ていたラングレイは、呟く。
「もう、戻らなくていんじゃね?」
鳥男も続く。
「たしかに」
「ちょっと皆さん酷いですよ!」
ウンウンと頷いている連中は多く、引け目のあるモモカは強く主張したが、鳥男は自身の身体を見つめて言う。
「でもモモカさん、今のコイツなら俺はこんな姿にならなかったと思うんですよ」
それには反論できないモモカ。チラリとペペロンチーノを見る。
「はい、ラングレイさん」
コトリ……。ラングレイの目の前に珈琲を置いている。その所作は、優しく穏やかで……。やがてラングレイは珈琲を啜る。
「普通に美味い」
「ほんとっ!?」
ぱあっと花の様な笑顔を浮かべるペペロンチーノ。モモカは腕を組み、少し天井を見上げた。青い髪の男がぷらぷらとぶら下がっている。うーむと、唸る。
「たしかに悪くない……」
思わずポツリと出た本心に、少しの罪悪感を感じながら、とりあえず様子を見ましょうと問題を先送りする事になった。
*
『竜山脈』と呼ばれる大小様々な山々が連なる地域がある。その面積は、とある世界の日本という国はすっぽりと収まってしまうほど広い。
そこには、竜と呼ばれる生き物が多く住んでいる。中には龍華王国で人間と契約を交わしている竜もいるが、身体がデカくなりすぎた竜などは基本的にこの竜山脈で住んでいる。
その中で一番高い山。その頂上付近には大きな建造物がある。人間が作った物よりは、幾分雑さを感じさせるが……立派な建造物だと見た者は皆言うだろう。
まるで街の様になっているそこには、大きな竜が何体もウロウロとしている。その中に、とても小さな影があった。人間である。
『お?どうした?何処かに行くのか?』
その人間は真っ直ぐ山を降りる方向に歩いていて、それを見かけた通りすがりである金色の竜が声を掛けた。
くるりと、人間は振り返る。初老と言える歳の見た目をした男だ。そしてその瞳はまるで竜達の様に鋭い縦長の瞳孔をしており、色は真っ赤に染まっていた。
ニヤリ、と。口角を愉快そうに上げて、彼は口を開いた。
「ああ……たまには娘の顔でも見に行こうと思ってな」
すると、それが聞こえたのか何処からか金色の竜とは別の声が響く。
『おー、なら。ペペロンチーノにも宜しく言っといてくれやー。なんならお土産でも持たせようか』
「む、確かに。土産か」
それは失念していたと、人間の男は踵を返して戻っていく。しかし、ここで手に入るお土産が人間の世界で通用するのだろうか。どうしたものか、彼は娘と……あの少女の顔を思い出しながら考える。
竜山脈。そこは、竜の住む土地。そして、竜が治める国である。
龍華王国は、強い肉体を持つばかりに知性が育ちにくい竜に勉強させる為に人間と協力して作り上げた国であった。
知識と引き換えに、人間に竜の力を与え、そして共に育つ……それが竜と人間の契約であり、龍華王国の生まれた経緯でもある。