第37話 精神攻撃
『傾国の魔女』
そう呼ばれるプレイヤーがいる。最近になって、国を一つ滅ぼしたからそう名付けられた。掲示板でもその話題で大盛り上がりだ。
やはりというべきか、そのプレイヤーはβテスターである。この世界で頭角を現し始めるとしたらまずはβテスターだろう、とグリーンパスタは言っていたがまさにその通りになった。
そしてこれは俺の談だが、プレイヤーがこの世界の人間相手に勝るのは容姿である。つまり傾国はその名のイメージに相応しく、色仕掛けで国を滅ぼしたのだ。
美醜という概念には個人の好みや地域、時代背景など様々な要素が絡み合い千差万別だが……外見だけでなく動作や表情、その全てが男を誑かす事に長けたプレイヤーこそ……『傾国の魔女』K子。通称『ケーコ』である。
*
少し薄暗い、広い部屋の中。何十人もの男達を後ろに従えた一人の女の前に、俺達は立っている。
天井から垂れた鎖に両手を繋がれて、白い服と肉体をボロボロにされた俺はしかし気丈な態度で目の前の女を睨みつける。
「生意気ー。もっとやっちゃって!」
バシン!と横腹辺りを鞭で激しく叩かれて俺はぐうっと呻く。痛みはスキルで遮断できるものの、与えられる衝撃は防げない。
「うーん、コイツら廃人は痛みが効かないからつまんない」
おい、俺をそこの連中と一緒にするんじゃねぇ。チラリと横を見ると、同じく鎖に繋がれたレッドと怪力ハングライダーが並んでいる。なぜかレッドまで上半身裸になっていて、怪力ハングライダーと共にその肉体には幾筋も鞭の跡が痛々しく残されていた。
しかしケロっとしている。怪力ハングライダーに至っては
「今当たったところは広背筋と僧帽筋だ。俺の様にこれだけ鍛えられていると全く痛みがない、どうだ?俺の筋肉に免じてここは……」
これ以上聞く意味が無い事をベラベラ喋っている。レッドに至っては涼しい顔でケーコの方を見て感心した様に口を開いた。
「なるほど。相手によって表情や声色が微妙に異なっている。その都度相手のツボを押さえた接し方をしているのか、素晴らしい。天性のものもあるのだろうが、今はスキルの補助も受けているな?一体何というスキルだ?取得条件は?」
なんてキモい連中だ。こんな奴らと一緒にして欲しくない。な?っと傾国さんに聞くと、彼女は憮然とした顔で唾を吐きかけてきた。
何処からか「ああ、ご褒美!」と聞こえてきた辺り、この女の配下どもは闇が深い。しかし俺には最大級レベルの屈辱を与える、ビキビキと頭の血管をブチ切りそうになりながら俺は唾を吐き返す。
「うわっ!ばっち!……このくそガキっ!」
クソアマがぁ!ガッシャガッシャと鎖を振り乱して暴れていると、何やら猫背の不健康そうな男が前に出てきた。なんだぁ?てめぇ。
「ケーコ様、ここは……私めに」
ニヤニヤと不敵な笑みを浮かべるその男。そいつを見て、傾国は思い出した様な表情で俺を見下し勝ち誇った。
「私は、あんた達……特にペペロンチーノ。あんたに通用する魔法を研究したの。今、その成果を見せてあげる」
面白い、やってみな。
猫背の男が笑みを深め、ボソボソと詠唱をした。ゾゾゾ、何やら足元がかゆい……何だかカサカサと謎の音も聞こえてくる。
恐る恐る下を見ると、虫。足を覆い尽くす大量の虫。およそ人間には出す事のできない音が複雑に混ざり合う。硬質な異音が俺の耳を支配した。
地面から湧き出す様に虫の波が俺の足を這いずり上がってくる、あまりの衝撃映像に目が離せない。それが一番の不幸だった。思わず気絶しそうになった所で、それが不可能なことに気付く。なるほど……気絶防止も魔法に組み込まれているわけか。
中々面白い試みだな。確かに、俺には物理的な攻撃が《痛覚制御》の影響もあってあまり効いているとは言い難い。
しかし、ノーダメージではないのだ。自身の肉体を傷付けられるというのは精神に多少のストレスがかかる。
つまり俺には精神攻撃が通るという事だが、それに特化した攻撃ならば俺という存在に通用し得る……そう考えたわけだこの女は、なるほどな。なるほど……。
「私が悪ぅございました。どうか許してください……」
ぎゃー!だの、ひょええええ!などあらゆる悲鳴を網羅した俺は虫の群れに下半身を飲み込まれた所で大粒の涙を零して懇願した。
俺の心はアスファルトに叩きつけられた蛍光灯の様にバラバラだ。
「うふふっ。どうしよっかなぁ」
許して下さい!どうかこの通りですー!鎖に繋がれて暴れる俺をクソ女は楽しそうに見つめている。なんて悪趣味な奴なんだ、信じられない。
「まぁいいわ、ねぇ。一回止めて、他の連中にもやってやりなさい」
「へぇ、了解です」
猫背の男が俺から視線を逸らすと、まるで何事もなかった様に虫は消えた。そこには最初から何もなかった様に無事な俺の下半身がある。
幻覚だったのか?
「どぉ?どんなの見せられたか知らないけど、あいつは幻覚魔法の使い手としては凄い実力なんだって。バーカ、これに懲りたら大人しくするんだなっ!」
べっと舌を出すケーコ。その舌を引っこ抜いてやりたい衝動に駆られるが、膝は笑っていて立っている事すらままならない。
そのまま崩れ落ちたが、天井に繋がれた鎖が邪魔をして中途半端に腕が吊り上げられた状態となる。
猫背の男が俺の隣にいた怪力ハングライダーに狙いを定めた所で俺は顔を上げた。このクソ女がぁ……よくもやってくれたな……。恨みがましくそう呟き、力強く睨む俺を見てクソ女ことケーコさんは猫背の男を呼ぼうとしたので俺は謝った。
ちょっと待ってくれ。とりあえず、ほら。そこの筋肉バカからにしよう?な?
「ぐあああああ!やめてくれー!そんなものを見せないでくれぇ!!」
突然ガクガクと震えながら涙を流す怪力ハングライダーを見て、俺もはたから見ているとあんな感じだったのかと戦慄する。これが幻覚魔法……!
ガクリと力尽きた怪力ハングライダーを見て、満足気にケーコは微笑むと何かしらを猫背の男の耳元で囁いた。
すると顔を真っ赤にして喜ぶ猫背男。俺はその様子をまるで親を殺されたかの如く血走った目で睨みつける。
「ちょっとあいつ生意気だからもう一回して」
ケーコが俺を指差した。猫背男が頷く。……ふん、俺に二度も同じ手が通ると思うなよ?こっちは幻覚だって分かってんだ。だったら何も怖い事はねえ。
しかし怖いとかそういう問題ではなかった。幻覚魔法は視覚だけで五感全てに訴えかけてくる。ワサワサと湧き出てきた地上波ならモザイク必至の衝撃映像は俺の心をゴリゴリに削っていく。
数え切れない数の触角や細い脚が俺の足を伝っていく感覚、カサカサカサカサという虫さん特有の音。そしてそれが足首、ふくらはぎ、太ももとぐいぐい上がってきた。
どうやら齧られている、実際の痛みで無いせいか《痛覚制御》が上手く機能しない。チクチクとした痛みが広がっていく。
ちなみに俺は
「ああああ!ごめんなさいごめんなさい!」
「やめてえぇ!」
「ケーコ様ぁ!もう生意気言いませんからぁ!」
と大号泣である。それも仕方ないか、だってキモいんだもんよ。
ひとしきり俺を弄んだケーコ様と猫背男は次なる標的のレッドに意識を向ける。息荒く体液を垂れ流す俺を横にいた怪力ハングライダーが心配して声を掛けてくる。
「大丈夫か?お前も身体が痩せ細っていく幻覚を見せられたんだろう?あれはキツイな……」
いや全然違うが。
クソっ……。俺は小さく悪態を吐く。このクソビッチが舐めた真似しくさりよって!覚えとけよ……!絶対ゆるさねぇぞ!この尻軽!痴女!
ちくしょうがぁ……俺に勝ったと思うなよ……!
吠える俺に横の男が真顔になる。
「おい、どんどん声が大きくなってる。またこっち来るぞ。そしたらどうすんだよ」
そりゃ、あれだよ。謝ろう。謝るしかないな。
「そうだな。あいつマジキレしてるわ。あれだろ?『死の一週間』のせいだ。なら俺も被害者だしとばっちりじゃね?」
いや、それなら俺もとばっちりだな。あれはグリーンパスタとレッドが悪いし。
「まぁ、あいつはそう思ってないみたいだし俺もそう思ってないけど」
そお?お前らの目が節穴なんじゃない?
俺と怪力ハングライダーが話している間にレッドへの幻覚はかけ終わったらしい。
そちらに視線を向けてみると、何やら猫背の男が驚いている。
「バカなっ……!我が生涯をかけた、一度だけでも精神を壊し得る最強の幻覚魔法が通用しないだと!?」
丁寧に説明してくれる猫背男に対し、ケロリとしているレッド。キョロキョロと周りを見て
「……もう始まっているのか?」
とか言っている。
「この魔法は対象が心底から恐れる事を具現化する……まさかお前には恐ろしいものが存在しないとでも言うのかっ?」
驚愕する猫背男、後ろのクソ女もソワソワと落ち着きが無い。
「え?なになに?効かないの?」
焦った様子のクソ女。どうやら俺の様な感情豊かで人間味や良心に溢れる対象には抜群に効果を発揮する魔法も、理外の住人である廃人には効き目が悪いらしい。
「ちょっとだけ待ってくれ。少し考える……よし、こい」
仲間外れが嫌なのか、少し考えてからレッドは身構えた。
「ならば、更なる奥義を見せてやる……共に幻覚に潜り込み、自ら弱点を探ってやる!」
そうして猫背男による最狂プレイヤーの攻略が始まった。
「ふむふむ」
「ほーう」
「なんだとっ!」
なんか一人でブツブツと上半身裸の男に向かう猫背男、見た目が少し野暮ったいのでレッドに向かい合う姿は絵面がなんか凄いことになっている。
クソ女も同じ事を思っているのかちょっとずつ距離を取っているのが見える。俺は暇そうにしているクソ女に問い掛けた。
おい、アリアナちゃんはどうした?手荒な真似はしてないだろうな……?
「あ、いいこと思いついた」
俺が囚われしアリアナちゃんの話を振ると、少し忘れていたのか一瞬不思議そうな顔をした。すぐに満面の笑みになってクソ女は俺達の捕らえられた部屋を出て何処かへ行く。
そうこうしているうちに猫背男の挑戦が終わった様だ。
「ぐっ……はぁはぁ……バカな、何故そうなる?」
何やら息を切らせて汗を拭いている。結局どうなったの?
「いくら努力しても全てが無為になる長いストーリーだったくせに、最後は来世こそ頑張ろうエンド……あれ程の虚無感から何故前向きな死を迎えられるんだ」
どうやらストーリー仕立てだった様だ。レッドの方を見ると、少し満足気な顔をしている。
「最初は、努力が報われないとはとても辛い事だと感じていたが……逆に今その経験を、偽りとはいえ体験出来たことはとても有意義なものとだったと言える」
お前幸せそうだな……。コイツの恐ろしいところが今明らかになった。共に幻覚を見ていた猫背男は精神を摩耗したのか息を切らしその場にしゃがみ込んでしまう。
「ちょっとちょっと……!なになに?」
そうこうしていると部屋の外が騒がしくなってきた。随分と慌てた様子で部屋に飛び込んできたケーコの脇には口に布をかまされ両手両足を縛られたアリアナちゃんが抱えられている。
なんて……ひどい事を……!怒りが頂点に至りかけたところで俺は『感情魔法』で周囲に自身の怒りを振り撒いた。
「ムカムカしてきたぞ」
「お前腹立つ顔してんなぁ?」
「姫様の寵愛は俺のものなんだヨォ!」
増幅するまでも無く、怒りを溜め込んでいた俺の感情は容易に周囲の男どもの正気を奪いつつあった。
あらスッキリ。ストレス解消には最適ね。
「これは……感情操作か?」
しかし何故か猫背の男だけは全く影響を感じさせない様子で周囲を確認していた。事態を把握したのかすかさず詠唱し、猫背男を中心に何かしらの魔力が放たれる。
すると、俺の魔法によって怒りを押し付けられた連中が落ち着いていくではないか。バカな……やはり、魔法に関してはこの世界の人間に一日の長があるか……!
「……精神を鎮静化させる魔法といったところか」
レッドがボソリと呟く。まさしくそうなのだろう。
急に怒り出したり、と思えば賢者モードさながらに落ち着き始めた男達にケーコは手を振り乱して怒り狂う。
「あんた達!何してんの!なんかよくわかんないけど上から攻められてるんだけど!」
ムームーと呻くアリアナちゃんに視線で大丈夫だと訴える。しかし見た目は俺の方が酷い事になっているのか、アリアナちゃんは俺を見て衝撃を受けた様な顔をして、すぐに泣きそうになる。
クソ女が……俺の妹分を泣かせた罪は重いぞ。プレイヤー……はどうでもいいんだけど、汚れた大人どもとは違う、純粋な心を持つ幼女や少女は俺に母性を植え付けるのだ。
しかし何やら上の階が騒がしい。大きな物音と共に天井から砂埃が落ちてくるくらいだ。ケーコのやつは攻められているとか言っていたな。
「姫様、一体何があったのです!」
猫背男が慌ててケーコに駆け寄り事情を聞く。だがその前に扉が強く開いて何かが部屋の中に転がり込んできた。
それは、ここにいる奴らと同じ装備を着込んだ男だった。そいつを、おそらく投げ込んだのであろう存在が部屋の中に姿を現した。
肩まで伸びたウェーブかかった髪に、筋骨隆々な日焼けした肌。まるでサーファーの様な男がジロリと部屋の中を見渡して、アリアナちゃんを抱えるケーコに目を付ける。
「おい。そこの女……その子を離せ、女にはなるべく手荒な真似はしたくねぇ」
ヴァレンディ。かつて、俺をオークの魔の手から救った男が、今また救世主の如くこの場に現れた。