第3話 ぺぺさんの龍華王国での日常
珈琲の香りが鼻腔をくすぐり、落ち着いた店内の雰囲気も相まって心がまるで夏の青空の様に澄んでいくのを感じる。
サンドイッチを頬張りながらカウンター席に座る俺は、新聞を広げて読む。ふむふむ、迷宮都市で三人組のアイドルユニット誕生か……。
「ぺぺさん、なんだか久しぶりですねぇ」
ぼんやりとした声で話しかけてくるのは、今俺が居る喫茶店のマスター。成人した女性であるがその身体はとても小さい、小学生女児並みの背丈だ。しかし彼女の持つ胸部装甲はメロン……いやスイカのよう、腰もしっかりとくびれているのがわかる。更には幼い顔付きだがどこか色気を放つ唇。ごくり、相変わらずだが何という恐ろしい程の性癖の詰め合わせ……。
桃色の髪は腰程まであり、その瞳の虹彩の色は金色である。ニッコリとした笑顔からチラリと見える鋭い犬歯もまたチャーミングだ。
俺が思わずマスターに見惚れていると、不思議に思ったのか小首を傾げるその仕草に俺のハートは迫撃砲で撃ち抜かれた。
「モモカさん、結婚しましょう」
思わず求婚してしまう。モモカさんはワタワタと可愛らしく動揺すると頬を少し赤くする。
「何を言っているんですか、女の子同士ですよ?」
ぐぅ!何故俺は女キャラメイクしてしまったんだ!いつもゲームを始める時に女キャラでプレイする癖を今ここでこれほど憎むことになるとは。
しかし、女の子同士か……、いや悪くないんじゃないか?まぁ、モモカさんは女の子という歳では……ひぃっ、ど、瞳孔がまるで爬虫類の様に鋭くなっている!
「ぺぺさん何か今失礼な事をお考えになりませんでした……?」
いえいえ、何でもありませんよぉ。ただ、女の子同士というのも、それはとても尊いのではないかなぁって。思ってるだけなんです。あ、瞳が戻った。
もぅっ、と頬を膨らませてモモカさんは先程注文を受けていた珈琲と、サンドイッチをテーブル席に座っている客に届けに行く。
俺と喋りながらもテキパキと仕事はこなす。ゆったりとした口調とのギャップがまた良い。揺れる長いスカート越しでも伝わるヒップラインの美しさを目に焼き付けながら珈琲を飲む。うむ、素晴らしい。
店内は小学校の教室程度の広さで、カウンター席とテーブル席が綺麗に配置してある。昼下がりの現在も、殆どの席が埋まっていた。この落ち着いた雰囲気と美味い珈琲、更には美貌のマスターという要素が関係しているのだろう。
女性客もそれなりにいるがそれ以上に居る男共のにやけたツラはひっ叩きたくなるが、気持ちはわかるので見逃してやっている。もしお触りでもしようものなら明日はないが。
カランカラン、小気味の良い音と共に何者かが入ってきた。男だ。龍華の軍服を綺麗に着こなし、肩章には何やらごちゃごちゃ装飾が付いていて胸元にもなにやらごちゃごちゃ着いてる。多分階級を示すものなのだろう。
腰に下げたサーベルを店に入ってすぐにある傘立ての様なものに立てて、その男は満面の笑みでマスターに挨拶をしようとし、俺に気付いて顔をしかめた。
「うわ、魔女がいる」
ラングレイ、確かそんな名だったか。30代半ばという年齢に見合った顔付きで、綺麗に剃られた髭と後ろに撫でつけられた金髪が清潔感を出している。
軍の中でもそこそこお偉いさんで、王都の女性からも人気の高い独身男性の一人だという。
しかし俺にとってはただのおっさんである。
「おいおい、仕事をサボってお茶をしばきにくるたぁ、偉くなったなぁ?あぁ?」
こいつは俺のマスターを付け狙う生ゴミ。不倶戴天の敵である。俺はカウンター席から立ち上がって肩を揺らしながらズカズカ近付いていく。
そんな俺にラングレイは左手に提げた紙袋を差し出してきた。あ?なんだ?俺様を物で懐柔しようってか?舐めてんじゃねぇぞ!俺はどこぞのクソ獣人とは違う!
「これ、東通りで話題の菓子屋のケーキなんだけど。クリームが絶品らしいんだ」
わぁ!これ今度行こうと思ってた店だぁ!
俺は紙袋を受け取りカウンター席に戻ると、いそいそとケーキを取り出した。お、おお、素晴らしい、ショートケーキだ。乗っているのはイチゴに似た……いやもうイチゴでいいや。イチゴのショートケーキだ。
もしかしてプレイヤーが関わってるのかなぁ、見た目が完全に日本でよく見るショートケーキだよなぁ。手掴みでパクパク食べながらぼんやりと考える。
「あ、マスター。俺珈琲とサンドイッチ。それと、もし良かったら何ですけど、今日の夜に食事とかどうですか?」
ハッ!ケーキを半分程食べてから俺は正気を取り戻す。やられた!流れる様にマスターをデートに誘う中年オヤジに俺はケーキ片手に絡む。汚い奴め!
「いや、食いながら喋るなよ、お前のが汚いよ」
確かに。俺は大人しく席に着いて残りを食べて、手についたクリームをラングレイの服で拭いた。
「おい!お前ふざけんなよ!」
何やら高そうなハンカチを取り出してクリームが付いた部分を拭き取り始めるラングレイ。もう子供がいてもいい歳なのに、喋り方がガキクセェ奴だ。
「何言ってんだ、心はいつまでも少年なんだよ。あ、マスターの前では紳士になりますが」
30半ばになる男が何を言っているんだ……。珈琲とサンドイッチを届けに来たマスターに爽やかな笑顔を浮かべるおっさんに俺は青筋を立てる。
対してマスターはニコニコとそれを受け流していた。ふむ、さすがマスター。この様な手合いには慣れているということか。
「ところでどうでしょう?今晩、中央通りの店で予約が取れたんです。あのほら、この前行ってみたいと言っていた」
いつの間にそんな話を……?あ、闘技場で闘技士紛いの事させられてた時か。数週間身動きが取れなかったからなぁ。
「ああー、いやでもぉ、今日はちょっと用事がありまして」
「そうですか……少しも時間空きませんか?是非ご馳走したいのですが……、いやほんと絶品なんですよあそこの料理」
やんわりと断るマスターに食い下がるゴミ野郎。おい!困ってんだろ!ガスガスとスネを蹴るが、ステータスの差か俺の足が痛い。
「いや邪魔すんな、くそー、最近見かけなかったから助かってたのに」
んだとぉ?まさかテメェが闘技場の件の糸引いてんのかぁ?
「いや、何の話?」
違うのか、ならいいや。
俺はその話を打ち切った。
「ところでモモカさん、今夜は私とご飯行きませんか?大衆向けの店なんですけど、美味しい所を知っているんですよー」
「うわ、急に口調変えてきた」
おい、絡んでくるな。俺は基本的に女性らしく振舞っているんだよ。
「え?どこが……?」
心底疑問だという顔をするラングレイに俺は憤慨して肩章の飾りを剥ぎ取ろうとする。やめろーと言いながら俺の顔を手で押し退け抵抗してくるおっさんにバタバタと手足を振り回して抵抗するが、ステータスには天地程の差がある為ビクともしない。
暴れる俺をモモカさんが無言で肩から椅子に押さえつけ、彼女から出る柔和な雰囲気が少し鋭くなる。ふむ、暴れすぎましたね。
ラングレイも目を逸らして珈琲を啜っている、あー美味いとかボソリと呟いているが何のアピールだ。ちなみに周囲の客も空気を察してかお金をテーブルに置いて去り始めていた。
「今日の夜は、私のお父様と食事なのですが……良ければ二人ともご一緒しますか?」
「……今日は諦めますね」
俺もラングレイとほぼ同時にやめときますと即答していた。さて、俺も用事思い出したし今日の所はお暇しましょうかね。
ニコリとモモカさんと微笑み合って、俺は席を立ち上がった。傘立てっぽいのに立てられたサーベルを手にして店を後にする。何か聞こえた様な気がするが、気のせいだろう。
ところ変わって、俺は薄暗い路地にある怪しい店に来ていた。いつぞやの黄金キノコの精力剤を作らせた店だ。見た目は完全に怪しいお薬を作っているような店だが……実際に作っている。
「俺も竜が飼いたいなぁ」
「突然来たかと思ったらなんだ?」
怪しい瓶が立ち並ぶ店内の奥、カウンターの様な所で暇そうにしているハゲ親父がキョトンとした顔を向けてくる。いや、竜だよ竜。あのトカゲが俺も欲しい。
「トカゲて……お前この国でそんな事言ってたら、またしょっぴかれるぞ」
龍華王国という名の示す通り、この国は龍を崇めている国だ。龍とは簡単に言えば神様みたいなもので、一匹の龍が子を成して地上に産み落としたのが竜だと言われている。
竜というのは、日本人的に言えばドラゴンだ。種類が色々いるが、要はでかいトカゲである。トカゲはトカゲでこの世界にも存在しているので、竜と共に生きるこの国で俺の様な発言はとても危険である。
間違いなく遠縁の親戚みたいなものなのだろうが……知性の有無とやらで、竜はそれらとは別物扱いなのだ。この国は特に。
龍華王国と言えば、竜産業が有名である。特に物流関係において龍華の竜は他国を圧倒する。その為に竜を貸り受ける国はとても多い。空を飛べて多くの物を運べるというのはどの世界でも恐ろしい事なのだ。
他国に行けば竜という存在は縁が遠いのだが、この国では違う。ペットとして飼う事も可能だ。
竜をレースさせる競馬ならぬ競竜、戦わせて勝敗を賭ける闘竜などイベントも豊富で、俺も是非竜を飼ってそれに出竜させたいのである。
その為には一つハードルがあり、それがここに来た理由だ。
「お前の方でちょっと手に入れてくれない?出来れば可愛いのがいいなぁ」
『信用』である。文字にして二文字だがとても重い概念だ。この国に来てまだ半年近くの不正滞在者でも竜が買えるほど甘くないという事だ、それだけでなく何故か俺の評判は悪い方向に比重が大きいという不本意な事情もある。
「なんか、嫌な予感しかしないが……まぁキノコの件もあるし良いだろう。どんなのが良いんだ?」
やったぁ。俺はまるで犬を飼ってもらう子供の様にはしゃいだ。可愛い竜ちゃんと外で散歩したりボール遊びなんかしたりして遊ぶんだ!
主にペット用として飼う事が多いのは、身体が小型犬並みの大きさの小竜と呼ばれる翼を持たない種だ。大きな括りでは地竜の一種なのだが、ペット用に品種改良されているという闇が潜んでいる。
俺がハゲ親父を介して手に入れたのも、柴犬程の大きさのピンクの鱗が特徴の小竜だ。クリクリとした澄んだ瞳は俺の社会の荒波に揉まれた荒んだ心を癒してくれた。
一ヶ月後、俺はその竜を連れて王都から出てすぐの草原に来ていた。俺はチラリと横に佇む自分の飼い竜オリーブを見た。
少し成長して、大きさは大型犬程か。毒々しい紫の鱗にドブの沼の様な瞳、口からは紫の瘴気が出ている様な気すらする。
おかしいな、一ヶ月前の可愛らしい子はどこに行ったんだ?
「やっぱり主人に似るんだな」
一緒に散歩に連れ出して来たハゲ親父が妙な事を言う。待て待て、コイツはお前の店で育ててたんだから、悪影響を受けているとすればお前だろう。
「いや、強くなる筈だとか言って何でもかんでも食べさせたのはぺぺじゃないか。俺はやめといたほうがいいと言ったと思うけどな」
いや、ノリノリだったろ。途中から竜用にわざわざ調合していたじゃないか。絶対あれのせいだ。
互いに罪をなすりつけあいながら罵倒し合っていると、オリーブは興味がなさそうにこちらを一瞥してからその辺の草をもしゃもしゃ食べている。
ん?それ毒草じゃない?
そんな時、俺達の前に突然魔物が現れた。人間程のサイズがある狼型の魔物だ。その黒い体表からブラックドッグと名付けた、今俺が。
「ヒィィ」
横でハゲ親父が情けない声を出す。ちっ、大の大人が情けないと腰の抜けた俺はズリズリと後退する。
「グルルルゥ……」
ああ!オリーブ!!逃げてぇ!
ブラックドッグはのんびりと佇むオリーブに目をつけたらしい。竜とはいえ自分より一回り小さいので、与し易いとみたか。
この世界の生き物は全て、レベルを持っている。そのレベルは相手を殺すもしくは食らう事で得られる経験値によって上昇する。魔物も例外ではない。
俺のオリーブがクソ犬の経験値にされる!まるで無防備なオリーブにブラックドッグが飛びかかるのを俺は見ている事しかできなかった。
ごめん、オリーブ……。おや?
ブラックドッグはオリーブの首筋に噛み付いているが、当のオリーブは余裕の表情。鱗に歯が立っていない。しかしそれはプライドが許さなかったのか、ブラックドッグは己の牙で鱗を突き破ろうと必死の形相だ。
めき……何かが軋む音が聞こえてきて、俺は悲鳴をあげる。オリーブの喉がポコリと膨らみ、口から緑の瘴気を吐き出した。
その瘴気を吸ったブラックドッグは跳ねる様に背中からぶっ倒れると、ピクピクと痙攣してやがて血反吐を吐き動かなくなった。
あまりにも一方的な虐殺。
つ、強い……だが、なんかこう、可愛くはないな……。