第15話 龍華の魔女
天が震え、地が裂ける。
巨体に稲妻を這わせ、筋骨隆々な金色の巨竜が咆哮を上げた。頭部の巨大な二本角の間に一際大きな稲妻が走る。
すぐ近くに同じくらいの大きさながら、比べると幾分か細身な身体を宙に浮かべる紅色の竜もいる。周囲に巨大な炎を従わせ、まるで太陽の如く君臨している。
それぞれの頭部に一人、人間が立っていた。
金色の巨竜には、金髪金眼の少女。
紅色の巨竜には、桃髪桃眼の少女。
「この国で、この私を前に生きていられると思うなよ!」
金色の少女が叫ぶ。その瞳は爬虫類の様に鋭く、瞳孔からは巨竜と同じく稲妻を発している。
「サトリちゃん!私の獲物ですよ!」
対して、桃色の少女も同じ様に叫んだ。金色の少女……サトリよりも背が低く、その代わりに胸がでかい。桃色の少女モモカの瞳も、サトリ同様に爬虫類の如き瞳孔を光らせていた。
その二人と二体の竜が対峙するのは、パッと見ではただの人間の女。竜と比べればあまりにも矮小な存在。しかし、その女は不敵に笑う。
「ガキどもが、黙って寝ていろ」
長い茶髪に陰気な瞳、そばかすのある地味な顔立ちの女は見た目に反して強い圧を放っていた。ただ立っているだけなのに、存在感は巨竜にすら負けていない。
『サトリィ!奴は嫉妬の魔女だぁ!まだ生きていたとはなぁ!』
金色の巨竜が牙を剥いて大きな声を響かせた。
『懐かしい顔だな。モモカ、気を付けろ。奴はニンゲンのくせに、恐ろしく……強い』
紅色の巨竜も静かに語る。その言葉を聞いて、二人の少女は思わず息を飲んだ。サトリとモモカは、二人が揃えば現在の龍華王国において最大戦力とも称される。それは、二人の騎竜を加味しての評価である。つまりは、この二体の竜は龍華において最強格の竜達。彼らが警戒するほどの相手が、ただ一人の人間である事に驚愕したのだ。
「私が何者かを知っているのなら、結果がどうなるかも分からないか?」
女が天に手をかざす。それを合図に戦闘が開始された。
国家最大戦力が動員され、王都のすぐ側で大規模な戦闘が始まるとなって、街の中は避難するものや王都を囲う城壁に登って観戦するもので大変な騒ぎとなっていた。
「……何だか大変な事になってきたな」
城壁の観客の一人、緑髪の少女がぼそりと呟く。彼女の名はペペロンチーノ、今のこの事態の原因である。何故こうなったのか、それは少し前まで遡る。
「結局、焼肉行けませんでしたねぇ」
カウンターに頬杖なんてつきながら残念そうなモモカさん。この人の焼肉への執着は何なんだ?俺は背後からそわそわした空気を感じるのでチラリと振り返ると、敗北者の常連達がモモカさんを焼肉に誘おうかどうか悩んでいる。ダメだな、積極性が足りない。
俺はシッシッと手で虫を払い除ける様にその視線を遮った。すると、ヌッと目の前に羽毛の生えた鳥獣人が現れる。むーちゃんだ。この店のマスコットであり、さっきも若い女と一緒に記念撮影をしていた。余談だが、この世界にもカメラがある。
「俺も誘って欲しかったピヨ。今の身体はパワーも上がってるから活躍できるピヨ」
お前……い、いいのか?そんな安易なキャラ付けで。もうちょっと何かあっただろ。
「分かりやすくウケがいいピヨ」
意外と柔軟だな。スラムなんかに居たからもっと要領が悪いと思ってたよ。
「あれは、怪我で仕事を失ったからやさぐれてただけピヨ。今は文字通り生まれ変わったピヨ。何故か怪我も治ったピヨ」
へぇ、怪我してたんだ、そもそも前の仕事も知らないけど。回復魔法とかでなんともならなかったの?ないの?そういうの。
「俺の怪我を治そうと思ったら、金がいくらあっても足りねぇし……。龍華じゃな……聖公国にでも行かないと」
ピヨって言えよ。しかし、なるほど分かりやすいな。回復魔法といえば僧侶だもんな。この国は武闘家ばかり輩出しそうだもんな。ちなみに怪我ってなんだよ、元気に動いてたじゃん。
「こう見えて足が悪かったピヨよ、まぁこんな姿になった代わりに治ったが」
なら感謝しろよ。俺様のおかげで今元気に働けるんだからヨォ。少し悪いことをしたかと思っていたが結果オーライだった様だ。
「これでようやく帳消しか、こっちが損してるくらいだピヨ」
そうかなぁ?肌触り良いし、女にも人気が出てて良いじゃん。むしろ金払えって気分。俺とむーちゃんがそんな風に言い争っていると、新たに店内に客が入ってきた。おサボり騎士様のラングレイだ。
「よぉ」
入ってきて、何故か俺の前に立ちジロジロと頭の先からつま先までを視姦してくる変態騎士。なんだよ、お前は巨乳好きだろ。キモいぞ、見てんじゃねぇ。
「いや、なんか警備中に変な女に会ってな。呼び止められて、なんか誰かを探していたんだが……」
そう言って俺の服をジロリと見ながら、一度頷く。
「その探してる奴の特徴の中に身長とか服装もあったんだけど……なんとなくお前と条件が合う気がしたんだよな」
なんだそりゃ。服とか身長以外にも重要なところがあるだろ。顔とか髪の毛とか。
「そうだな、なんか首から上はオークの頭だったって言うし」
………。むーちゃんがチラリとこちらの顔を見てくる。俺はその視線に答え、ふりふりと首を振った。知らんぷりだ。
「いや、間違いなくあれピヨよ」
しかしむーちゃんの追及は止まらない。俺は首を傾げて不思議そうな顔をしておいた。
「何か知ってるのか?やばい雰囲気の女だったけど。街中でフード被ってるし、やたら殺気立ってたな」
間違いなく、森で会った不審な女だろうな。心当たりがありすぎた俺にはもはやそうとしか思えない。まさか、あんな陰気な森に住んでるであろう奴が普通に人里に降りてくるとは思わなかった。
「なんか恨みでも買ったピヨか?」
おいおい、俺がそんなに恨みを買う様な奴に見えるか?二人はすぐに頷いた。心外だな。
「多すぎて分からないんじゃないか?」
「それピヨね」
二人して俺を悪者にする!メソメソと泣き真似をしてモモカさんに泣きついた。よしよしと頭を撫でてくれる。
「それで?誰に何をやらかしたんですか?」
モモカさんまで……!?俺は自分の信用の無さに愕然とした。バカな、プリティーでキュートな愛されキャラで生きてきたはずなのに。
「え?誰の事だ?」
珈琲に指を突っ込んでラングレイの服にシミを作る。勿体無いのでもちろん珈琲は飲み干す。もういい!みんなの馬鹿ー!俺はぶりっ子しながら、どさくさでこの街から逃げようと店外に向かって走り出した。しかし、ちょうど入り口で入ってきた客にぶつかって吹っ飛んでしまう。相手も尻餅をついた。いてて。
「悪い悪い、ちょっと前見てなかったや」
俺は立ち上がってぶつかった相手に謝りながら近付いていく。相手もちょうど立ち上がった。長い茶髪にそばかすの地味目な顔立ち。陰気そうな目がこちらを睨む。
「おい、気を付けろよ」
不機嫌そうにその女は言って、俺の顔を見た。そのまま全身に視線を送る女、俺は後退りした。
「あ、その女だよ。さっき言ってたの」
後ろでラングレイがシミ抜きをしながら間抜けな声を上げる。女の視線が、俺の顔で再び止まった。女を中心に微弱な魔力が放たれる。
「プレイヤーか。緑の髪に緑の目、お前はまさかペペロンチーノか?」
な、なんなんだこいつは。俺の特徴は元々知っていたのだろう、だが今の一瞬でプレイヤーを見分けるだと?
「それに、お前……あの時の、オーク頭のプレイヤーだろ」
俺は知らんぷりをすることにした。首を傾げて不思議そうな顔を浮かべておく。しかし、この女はほぼ確信していたのだろう。ニヤリと口角を上げた。
「いや、間違いない。てか隠す気あるのか?体格はしょうがないにしても服装も全く一緒じゃないか」
俺はこの店の裏口を思い出していた。モモカさんが、入ってきて早々に何やら不穏な空気を醸し出している女を不審に思って近付いてくる。
「お前だろ、私の家に入ったのは。盗った物を返せ」
ジロリと睨みつけてくる女。ふん、と俺は鼻を鳴らした。だったら、どうする?俺は不敵に笑う。
「あのー、一体どうされました?」
女の視線が、俺からモモカさんに移った。その瞬間を逃さず俺は裏口向けて一気に走り出した。ふん、あばよ。
もちろん簡単に逃がしてくれるはずがなかった。
「お前………!待てっ!」
バキャバキャと何やら破砕音が聞こえてくるので思わず後ろを振り返る。すると女の周囲の床から黒い手の様なものが無数に這い出てきていた。床材を破壊する音だったか。モモカさんが口をあんぐりと開けて驚いている。
黒い手が机や椅子を巻き込みながらこちらに向かってきた、俺は思わず店内を転がって回避行動を取ってしまう。当然、黒い手は俺を追いかけてさらに店内を破壊する。ぎゃああああと可愛くないモモカさんの叫び声が響く。
店内にいた客は逃げ惑い、むーちゃんとラングレイは女の近くで驚きのあまり立ち尽くすモモカさんの元へ走る。俺は窓からの脱出を試みるべく走り出した。
女は俺に追従し、自ら走り出す。
「逃すか!」
うおおおあお!俺が窓に辿り着くか着かないかという所で無数の黒い手が俺を襲う。その手は壁ごと粉砕して俺を店外へ押し出した。ガラスや壁の破片と共に、ゴロゴローと地面を転がる俺に通行人もびっくりである。
壁の穴から女が出てきた、こちらに向けて手をかざす。俺は自害の準備をした。プレイヤーの最も有効な逃走手段だ。
だが、それをする事はなかった。女が突然その場から逃げる様に宙へ浮いたのだ。女が先程まで立っていた場所には拳を振り抜いた後のモモカさんが立っている。彼女の口が開く。
『我が呼びかけに応じよ』
宙に浮く女を睨みつけ、モモカさんは爬虫類の如き瞳孔を光らせた。
『召喚・ヒノカグツチ』
突如赤い巨大な魔法陣がモモカさんの前に展開される。そこから溢れ出す炎は、店を破壊した女への怨嗟の思いと共に天を焼く。その炎と共に、紅色の鱗をした巨大な竜が天へ上った。モモカさんはいつの間にやらその巨竜の頭の上に立っている。
「あ、あれは、炎竜姫モモカの騎竜ヒノカグツチ!」
誰かがそう言った。
空中で巨大な力が衝突し、王都の外へ飛び出していく。俺はポカンと地面に転がりながら事の顛末を見ていた。一瞬の間にモモカさんと謎の女がこの場から消えていった。チラリと破壊されたモモカさんの店を見る。無残な光景だった。……これって、俺のせいかな?
ズズン、と地響きがして王都の外に火柱が立った。街の住人が悲鳴に似た声を上げて王都の中心、王城の方へ逃げ始める。半分以上の住人は何故か外に向かって走り出した。
天に雷が走る。王城の空に巨大な魔法陣が展開され、生み出された雷は一瞬の間に王都の外へ飛び出していった。
『いきなり何を暴れているんだモモカぁぁ!』
雷はそんな叫びと共に過ぎ去っていった。それを見てまた誰かが言った。
「雷竜王サトリの騎竜、タケミカヅチ……!」
ラングレイが隣に立ち、俺に言う。
「皆、城壁に登って観戦するつもりだ。俺達も行くぞ!」
俺は肩に担がれる。ええ?俺行くなんて一言も……。どうやら外に向かって走り出していた連中は王都を囲う城壁を目指していた様だ。
そして、話は冒頭に戻る。
*
『天に満ち……』
『させるカァァ!』
竜というよりはもはや筋肉ダルマの巨人の様な金色の竜……タケミカヅチが拳を嫉妬の魔女へ向け振り下ろした。
大地に突き刺さった拳は、衝撃波と共に爆発の様な轟音を響かせ、その勢いで剥がれた地面は破片を飛ばして王都の城壁にヒビを入れた。観戦者達も、巻き込まれて死ぬかもしれないのに歓声をあげて大興奮だ。アホなのこの国?
しかし、巨大な拳は魔女には直撃せず、衝撃波や地面の破片も何らかの魔法による障壁で防がれていた。
「クソっ!無詠唱でこれ程まで揺さぶるかっ!」
サトリがタケミカヅチの頭の上で驚愕の表情を浮かべている。よく分からないが何らかの魔法で狙いを外された様だ。
「判断の速さは認めるが……」
嫉妬の魔女が口を開く、言い終わる前に四方から巨大な炎が彼女を包み込んだ。紅色の竜ヒノカグツチが翼を大きく広げ魔力を解放した。
『大地を焼き尽くし、暁に昇る……』
現実世界ならばビル一つを飲み込む程の巨大な火柱が天に向けて伸びる。凄まじい熱気を持って、渦中を全て焼き尽くす炎。城壁にまで熱は伝わってくる。
「私には、届かんぞトカゲども」
サトリとモモカさんは火柱の中から聞こえてきたその声に再び驚愕する。まるで炎を意に介していない声色がしてすぐに、火柱はその形を歪ませ四散した。
『星は巡り、大地の枷はその束縛を増し……』
散った炎の中から天に手をかざし、詠唱と共に服すら無傷の魔女が現れる。瞬間、サトリとモモカさんが竜の頭から飛び出した。
直後に不可視の力が二体の巨竜を地面に縫い付けた。まるで上から押さえつけられるが如く、地に立っていたタケミカヅチはもちろんヒノカグツチも空中から叩き落とされる。重力の天体魔法……!誰かが横でそう言った。
『勝利の号砲をもって勝鬨を挙げろぉ!』
雷を伴って魔女に肉薄したサトリが叫ぶと同時、空気を震わせて巨大な雷が魔女へ向かう。しかし、魔女が何をするでもなくその雷は歪曲し、あらぬ所へ着弾した。続いてモモカさんが弾丸の如く飛んでいき魔女の目の前に派手に着地して拳を振るうが、突如身体のバランスを崩しそのまま空振ってしまう。
嫉妬の魔女が手を振るうと、地面から黒い手のような触手が無数に現れてサトリとモモカさんの二人を拘束する。サトリは周囲に雷を飛ばす事で、モモカさんは力付くでそれを振り払い後ろに飛んだ。
天から炎が降ってくる。ヒノカグツチの魔法だ。地面に押さえつけられながらも発動するが、しかしまるで解けるように炎は散って、雨のように地面に降り注ぐ。それが魔女に当たる事はない。
『うおおオラアアァ!』
火が降り注いだ直後に、重力の枷を強引に振り切ってタケミカヅチが拳を振るうがそれもまた魔女の身体を捉える事はなく、轟音と共に空を切った。
「周囲の魔力の流れを狂わせる魔法結界に重力を操る天体魔法まで……、あの人は本当に嫉妬の魔女だと言うのか……!」
横に立っていたのはカトリだった。ものすごく興奮している。いや、興奮しているのはカトリだけでなく観客全員だ。そもそも、戦ってる連中の言葉がここまで聞こえてくるのも何者かの魔法によるもの。闘技場で使われる技術らしいが、拡声器とかスピーカーの様なものだろう。
もはや怪獣大合戦に近いものになっているし、そもそも国の危機レベルの状況だと思うのだが……こんなにはしゃいでこの国の国民はみんなアホなのかな?
「流石に、鬱陶しいな」
空間が歪むほどの重力を受けて尚動くタケミカヅチに向け魔女が手をかざした。
『色欲・発芽』
俺の目には、何やらいかがわしいモヤがタケミカヅチの中に入り込んでいくのが見えたのだが、他の人には基本的に見えていないらしい。カトリですらキョトンとしている。
次の瞬間には魔女が立っていた場所に巨大な雷が落ちていた。
「くそっ!この私の力が届かんとはなぁっ!」
サトリが少し嬉しそうに叫んでいる。なんで楽しんでんだよ。当然の様に無傷で魔女は現れる。と、思われたが……少し髪先を弄っているところをみると、サトリの雷がかすりはしたらしい。
なぜそんな所まで見えるかと言うと、またまたどなたかの魔法らしく、虚空に何故か映像が映し出されているのだ。街頭テレビが目の前にある感じ、しかも視点が何通りかある。
「龍華一の魔法使い、『千里眼』様の魔法だね」
カトリが解説をしてくれる。千里眼、すごい魔法だ。風呂の覗きとかできそう。
「捕まえましたよぉ!」
おっと、そうこう言っているうちにモモカさんが魔女を羽交い締めにしていた。すかさずサトリが指先を向ける。
『雷鳴針!』
槍の如き稲妻がモモカさんにぶち当たった。
「ほげぇぇ!」
およそ淑女らしくない声で痺れるモモカさん。すまん!とサトリが謝るが、狙っていたはずの魔女はいつのまにか居なくなっている。俺にはもはやついていけない。
「て、転移魔法……!」
横のカトリが代わりに驚いてくれる。なるほど……分からん。てかデカイ竜どもは何してんだと視線を向けると、何故か金色が紅色に迫っていた。
『ヒノぉ、お前、そんなに色っぽかったかぁ』
『き、気色悪い!バカかお前は!』
色欲……か。俺は何となく察する。確か両方ともオスだったと思うが……一部の観客が二体の竜の絡みを見て喜んでいるので戦慄する。
タケミカヅチの重力は解かれており、ヒノカグツチの方はまだ地面に縫い付けられているのでベタベタ触ってくるタケミカヅチの手を上手く振り払えない様だ。
良く見ると、ヒノカグツチの近くに魔女が浮いている。
『憤怒・発芽』
あれは……。
ヒノカグツチの目に怒気が宿った。
『タケミカヅチぃ!いい加減にしろ!!』
嫉妬の魔女は重力魔法を解く。すると自由を取り戻したヒノカグツチが空を舞い、炎を周囲に纏う。その炎は球状に収束しタケミカヅチに向かって放たれた。
『良いじゃねぇかよちょっとくらいよぉ!』
巨大な炎弾を向けられて尚、何やらキモい発言をする金色。拳で炎を粉砕し吠えている。
「さて、あとはお前らか」
他を放っぽって内輪揉めを始めた竜どもを置いて嫉妬の魔女はサトリとモモカさんの前に立つ。一連の流れから、警戒心を高めた二人は並んで立って構えていた。
「まずいな、感情操作魔法であそこまで……」
「私達も食らえばタダではすまないでしょうね」
「来ないのか?ならば……こちらから行くとしようか」
ここで、魔女が攻勢に出る。指を上に向ける動作をしたかと思うと、地面から何本も土で出来た巨大な手が生まれ二人に襲い掛かった。サトリを中心に球状の電撃結界が発生してそれを阻む。耳障りな音を立てて衝突する両者の力。ごくり、観客達が息を呑んだ。はっ、モモカさんがいない。
突如魔女の立っていた辺りの大地が割れる。モモカさんがいつのまにかそこで拳を振り下ろしていた。更に、サトリの電撃が威力を増し、巨大な雷となって周囲を蹂躙する。
「ぐぁっ」
小さな悲鳴が上がった。宙で嫉妬の魔女が腕を抑えている。当たった?それを確認している間もなくモモカさんの右拳とその周囲の空間が歪み、熱を帯びた。彼女は大地を蹴り、飛ぶ。
「魔法結界ごと貫く気だ!」
なるほど、ゴリ押しね。
「おりゃああああ!」
矢の如く飛んで雄叫びと共に拳を振るうモモカさん、巨大な胸が震え、こちらからも歓声が上がる。サトリも勝利を悟った顔でそれを見守った。しかし、嫉妬の魔女はまだまだ本気では、ない。
魔女に近付くにつれてモモカさんの拳に込められた力が失われていく。ニヤリと、魔女の口角が嫌らしく上がった。
「は、れ?」
モモカさんは情けない声を出す。それでも振るうしかないと拳を魔女に向けて突き出そうとして、直後にまるで大地に引っ張られたかの様に急降下して地面に叩きつけられた。全身を打って血反吐を吐くモモカさん。サトリが慌てて駆け寄った。
「バカな!モモカがこの程度で……!」
「ええ?い、痛いですよぉ……」
何が起こったんだ?横のイケメンが説明してくれる。
「あり得ない。まさか、新たな魔法結界?先生の魔力を奪った?」
モモカさん大丈夫かなぁ?俺はそわそわした。今すぐ駆けつけたいが、近くでドンパチしている巨竜どもの余波だけで死ぬ自信がある。どうしたものか。
「認めてやろう、お前らは中々やるようだ。私に傷を与えた事もだが、この魔法結界まで使わせるとはな」
ボロボロになってようやく正気に戻った金色ホモ竜がよろよろとしながら戻ってきた。
『【なんちゃらなんちゃら界】に加え"ソレ"まで使われちまったか……いつの間に詠唱しやがったんだ……』
全然分からない。ソレだとかなんちゃらだとか、もう俺の中でバカ竜としての地位が揺るがないぞ。いや確かに新しい単語いっぱい出てきたからもう腹一杯だけどさぁ。
『まんまとしてやられた、貴様……より洗練されおったな』
紅色の被害者も戻ってきた。どうやら貞操は守り切れた様だ。なんかもう空気がアレだな、魔女さんに圧倒されちゃった。
「もう良いだろう?死ぬまでやるか?それは私も本意ではない。流石にお前ら全員は骨が折れた」
嫉妬の魔女さんが心底疲れた様にそう言った。もう終わりかな?よっしゃ帰ろ。
「そもそもが、戦いに来たわけじゃない。ペペロンチーノはどこに行った?」
ジロリとカトリや俺の名前を知っている一部の奴らが俺の方を見てくる。俺は腕組みをして目を瞑り天を仰いだ。
「あいつに用があるんだよ、あのカス。どこ行った?出せ、あいつだけは許さん」
「ペペロンチーノ?破滅の方の魔女が何かしたのか?」
心底疑問だとサトリが問う。
破滅の魔女と聞いて更に周囲からの視線が増えた。まずいな、これはまずい。また俺のせいにされる。俺のせいだが。
「あいつが私の家から色んなものを盗んで行ったんだ!その中には私の大事な物もある!それを取り返しに来たんだよ!」
皆の視線がギョッとしたものになる。いや違う、いやそうなんだけどさ。先に殺しにかかってきたのはあいつだし、その腹いせにね?ちょっと嫌がらせしてやろうかなって、さ。てかさ、そもそもあいつ何の確信を持ってそれを言ってるの?って話よ。俺認めたっけ?
「あいつはどこいった!?だせ!」
サトリがモモカさんの方を見る。
「そう言えば……最初からそう言ってましたね」
お前名乗り出ろよ……。誰かがボソリと言った。誰だ言ったのは!出てこい!お前ら……よくもそんな事を……。俺があんなとこ出て行ったら一瞬でミンチになるぞ!?いいのか?
はっ!金色ムキムキバカ竜がこっちを見ている。
『あいつあそこにいるぞ』
クソったれ!ホモ竜!俺とタケミカヅチは顔見知りだ。すぐにチクられた。
「なにぃ?」
嫉妬の魔女さんがこちらに手をかざす。これはまずいね、俺どころか周囲を巻き込むレベルで魔法を使う気だ。さすが魔女と呼ばれるだけはある、迷惑しかかけない。この厄介者め。
さすがの観客達もまずいと思ったのか、悲鳴を上げながら我先にと退散していく、まて!俺も連れてけ!
人混みに紛れて逃げようとする俺を後ろから羽交い締めにする何者かがいた。やたら肌触りがフサフサしている奴。
「まってくレ!コイツを差し出せば良いんダロウ!?煮るなり焼くなり好きにしてクレ!」
裏切りに定評のあるどこぞの狼獣人だった。このクソ野郎!犯罪奴隷風情が何様のつもりだ!お前の事だからどうせまだ闘技場で飼い慣らされてるはずだろう!
よく見ると首輪をしており、鎖で繋がれた先はなんかロリータお嬢様っぽいのが掴んでいる。お、お前……何があったんだ。ロリータはなんか俺を見て驚いている、もしやプレイヤーか?俺はプレイヤー界隈では顔が割れている。やけに顔立ちが整っているのもまた怪しい。側に立つ変態感溢れる紳士をパトロンにしているといったところか?
そんなどうでも良い事を考察しているうちに迎えがきた。いつのまにか目の前に嫉妬の魔女さんが立っている。相変わらず地味な顔をしやがって。
「……生意気な目だ。ムカつく。お前らプレイヤーは外見が整っているから尚更腹立つ」
ふん、やはりお前は外見にコンプレックスがある様だな?あの日記からも読み取れたぜ。嫉妬の……ね?昔何があったか知らんが、嫉妬と呼ばれるからには……そういう所が関係しているんだろう?
「おい、何を偉そうにペラペラ喋っている。さっさと返せ。私が本気を出せば、この街をめちゃくちゃに出来るんだぞ」
果たしてそうかな?それが出来るようなら、あんな陰気臭い森に引きこもる必要もないだろ?
「なめるなよ?お前も先程のあいつらとのじゃれ合いを見てただろ」
バチバチと火花を散らし合う俺と嫉妬の魔女さん。近くでコソコソ見ている観客達で、俺の事を知っているラングレイなんかは何でコイツ強気なの?と不思議そうな視線を送ってきている。
あの……。と、誰かが割り込んできた。カトリだ、何故かペンと色紙を持っている。
「サインもらえますか?」
え?やだ。バカなの?
「え?い、イケメン……!……い、いいぞ。特別に書いてやろう」
突然現れたイケメンに顔を赤らめながら色紙を受け取りサラサラーとサインを書く魔女さん。ふむふむ、ヒズミ?なるほど、そういう名前ですか。
「ええい、覗き込むな!」
俺を突き飛ばしてからカトリに色紙を返す赤面魔女さん。カトリなんて何がそんなに嬉しいのか色紙を掲げてありがとうございます!なんてはしゃいで離れていった。おい、助けていけよ。
「ふん、街をめちゃくちゃにするのは勘弁してやろう」
チョロいなぁ。でもあの人結婚してますよ。
「……。私が今更その程度の事で動揺するとでも?」
一瞬で顔色が暗くなり、どこか哀愁を漂わせる魔女ヒズミ。どうやってるのかは知らんが長く生きているらしいこの女は幾度もそのような経験があるのだろう。今更、ちょっと良いなと思った男性が結婚してようが関係ないと。
「そんな事はどうでも良いんだよ、早く返せ。そして死ね」
ひょこりとタケミカヅチが自慢の二本角からバチバチと電気を放ちながら城壁の上に顔を出した。
『結局何を盗られたんだ?このバカチビに』
お前から見たらみんなチビだろ、このデカブツ。
「うるさい、お前らが知る必要はない」
日記だよ。そう言った瞬間黒い手が地面からたくさん出てきて俺を絡め取った。
『見られたらそんなに不味いのか?』
お前はトカゲだから分からんだろうが、人間はテンションが上がると後々になると恥ずかしい事でも平気で何かに書き記してしまうんだよ。
俺は地面に叩きつけられた。くくく、生意気な事を。いいのか?俺は、死ねばお前の日記を持ってさっさと逃げちまうが?血だらけで瀕死になってそう告げる俺に、しかし魔女は余裕の笑みを浮かべた。
「いっそのこと、生き返ったお前が取りに行くのを見つける方が早いかもな」
お前はグリー……グリッパから掲示板の話は聞いたか?
「……?お前達は情報を共有する力を持っているとは聞いたが、何だそれが」
そこに、お前の日記を垂れ流してやるぞ。お前のお気に入りのプレイヤーの目にも入っちまうなぁ?
そう言うと、魔女はようやく表情を強張らせた。だが足りない。この世界にはネットなんてものがないから、その恐ろしさがまだ分からんようだな。
「そこに書き込んだ情報は、恐らくだが俺達が居る限り消える事がない。お前は長生きらしいが、果たして俺達とどっちが先にくたばるかな?」
ワナワナと怒りに震える魔女。プレイヤーの最も恐ろしい所がこれだ。不死の俺達が得た情報は、俺達が居る限り保存される。されてしまう。要らぬ情報は与えないのが吉だが……手遅れだな?黒歴史を後世に紡いでいってやろうか。
「ぐ、くそ……。甘く見るなよ?」
突然俺の身体が修復された。回復魔法?何のために。頭に黒い触手がぶっ刺される。瞬間に脳が弄られる。しまった、コイツ……!
「私にかかれば、お前ら対策の魔法なぞすぐに構築できるわ!」
頭に不思議な力が流し込まれて、記憶に穴が開いていく。俺はすかさず歯の裏に仕込んだオリーブ特製毒を服用し自害した。
復活。記憶の回復も確認。直後に王都全体に微弱な魔力の波動。以前、森の中でもされた様にレーダー探知をしている。ふん、王都にどれだけ人間とプレイヤーがいると思ってる。俺を特定して見つけられるのか?すぐに見つけられた。
空から竜巻を纏った魔女が急降下して俺を地面ごと削り飛ばした。死んでまた復活。物陰に隠れる。
「無駄だ!お前ほど界力が小さい奴はいない!」
ファルナ……。レベルか。それで区別されるならば、うん。どうしようもないな。俺は物陰から姿を現した。
「残念だが、一度死んだ時点で記憶は戻ったぞ。どうする?自分の寿命が尽きるまで俺を殺し続けるか?」
俺にそう言われて、ふと、考え込む魔女。キリがないイタチごっこだと気付いたのだろう。方法が一つあるとすれば俺の洗脳だが、その前に死んでやるし、自分で言うのも何だがほっといても俺はすぐに死ぬ。その度に俺を洗脳するのも大変だ。
この不毛な争いを終わらせる方法は一つ、和解しかない。
「何が欲しいんだ」
金か?と続ける魔女。ちっちっち、そんなもんじゃ満たされない。魔道具だ。
「魔道具?」
あんたの作った魔道具、一つ知っているが中々面白い物だった。だからさ、なんか他にないの?ほら、俺みたいな弱っちい娘でも魔物をポンポン殺せる様なさ。
この騒動を俺のパワーアップイベントにするべく交渉を始めた。顎に手をやって考え込む魔女。うーん、と唸って思い付いたのか手を合わせた。
「分かった、良いものがある。だがアレと引き換えだぞ、それと中身の事は絶対に口外するなよ。掲示板でもダメだぞ」
くくく、オーケー。約束だ。俺は約束を守る女。それにあんたの恨みを買うのはもうやめにしたい。魔道具をくれれば、あんたのAkeyraへの妄想日記は俺の心の奥底に封印してやるさ。
「おい!不用意な発言はやめろ!」
俺の口を塞いでキョロキョロと周囲を見る魔女。大丈夫だよ、あんたの竜巻のせいで辺り一帯爆弾が落ちたみたいになって、みんな逃げてるし。
「くそ、皆がアキラみたいに良い子だったら良かったのに……おいペペロンチーノ、そうと決まればさっさと持ってこい」
いや、先にそちらを渡してもらおうか。大丈夫だ、持ち逃げなんて出来ない。プレイヤーは死んだら装備品をその辺に落としていくからな。
「ちっ、しょうがない。私の家……森のやつでなく、迷宮都市の本邸にあるから一緒に行くぞ」
よっしゃ!ならさっさと行くぞ!俺は魔女さんと一緒にその場から立ち去った。
破滅の魔女が呼び寄せた嫉妬の魔女による龍華王都襲撃事件は、街の一部と王都周辺の戦闘地域に莫大な被害をもたらした。
後に『双魔の厄』と呼ばれる事になるこの事件。その結末は気付いたら魔女二人が居なくなっていたという何とも不完全燃焼なものだったが、王都の住民達は頂上決戦さながらのど迫力イベントに大興奮であったという。




