第119話 答えなき闘争
「久しぶりだな。ぺぺ」
「今回の私は、本気ですよ」
迷宮都市のとある喫茶店。俺が一人で珈琲を飲んでいると、突然現れた二人が我が物顔で俺と同じテーブルにつき、矢継ぎ早にそう言った。
店の奥から機械と竜を融合させたような人型のよく分からない存在が歩いてきて
『ゴ注文ヲドウゾ』
と、顔面? のモノアイを忙しく動かしながら辿々しく機械音声で言った。それに対して、蒼い髪の美少女はデリシャススーパードラゴンズフラペチーノを注文し、桃髪のロリ巨乳はペペロンチーノブレンドを注文する。
『カシコマリマシタ』と、また機械音声が流れて機械の竜人こと機竜人ムーがバシュゥゥと背中から排気しながら去っていく。その排気にアロマの香りが仄かに隠されていて、リラックス効果をもたらすとかなんとか。
「ぺぺロンチーノ、やはり……迷宮だ。迷宮にしか、私……否、俺様の戻る術は……ないっ!」
蒼い髪の美少女ことスピアちゃんであり、元男ランスくんは拳を固めそう宣言した。どうやら万能薬エリクサーは発見できなかったか、ガセ情報を掴まされたのかアルカディアから帰ってきていたらしい。
「ぺぺさん、私もそろそろ彼氏の一人や二人、作ろうかなと思ってきました。しかし私は少しだけ力が強いので……理解を得るには、やはり迷宮都市に来るしかない。そう思ったわけです」
一方、桃髪ロリ巨乳ことモモカさんは、早速わけの分からない事をツラツラと口にして、一人で意気込んでいる。
一体、急にどうしたんです? 俺の問いに、モモカさんはこほんと可愛らしく咳払いをして、理由を答えた。
「最近、ラングレイさんからのアプローチが無くなったなと思えば……あの人、ケモ耳女を連れていたんです。なんだか、悔しい気持ちになってしまいまして」
それをストレートに言えるあたりかなり図太い女だなこの人は……俺は少し引いたが、まぁ言わんとしていることは分からんでもないのでニコリと頷く。
それにしても、まだ仲良くやってたのか。モモカさん、そいつ、尻尾何本でした?
「? 一本でしたね」
まだ力は取り戻せていないのか……俺の身体を好き勝手弄ったばかりに……。
「……モモカさん、お久しぶりですね」
「誰ですか?」
俺に向かって好き勝手喋っていた二人だが、流石にこのままバラバラに喋り続けるのは良くないと感じたのか、スピアちゃんの方からモモカさんに話しかけた。
しかし、モモカさんはランスくんが美少女になっている事を知らない。故に、突然若く綺麗な女に話しかけられたことで警戒心がMAXまで引き上げられた。
モモカさん。話すと長くなるのですが……そいつはランス……覚えてますかね? 面識はあったはずですが……。
そう言って俺はランスくんが誰かを説明する。父親であるゴウカと揉めてた時期もあったので、モモカさん自身もランスのことは覚えていたようだ。
「あぁ〜。あの、あの人! 覚えてますよぉ。随分と可愛らしくなりましたねぇ」
知り合いであると分かった途端、ニコニコ笑顔になったモモカさんにスピアちゃんはホッとしていた。少し敵意を向けられてビビっていたのだろう。
モモカさん覚えてますかね? 以前、ヒズミさんが男から女への性転換アイテムを作ってた、的な話。
「なんか、そんな会話をしたこともあったような……サトリちゃんが食いついてましたね……」
それの影響なんですが、その後にヒズミさんが大幅な弱体化されたもんで、戻れなくなったんですよコイツ。
「別にいいじゃないですか。もう」
俺もそう思います。
キョトンとした顔かつ軽い口調であっさりと言ってのけるモモカさんに俺が同調すると
「よ、く、ない! よくないよくない! チ○ポ要るだろ!?」
だって俺達、元々無いし……。かつて持ってた俺はともかく付いてた記憶を一秒も持っていないモモカさんは本気でどうでも良さそうだった。
「まぁ、ということで、だ。私の身体……じゃなく、俺の身体を戻す為に、私は迷宮に潜る事にした」
ということらしい。
どうやら今日はただそれを話したかっただけらしく、俺は戦力にならないのでモモカさんを誘ってスピアちゃんは迷宮探索に行く事にした。
「ぺぺ……俺が今日、お前の顔を見にきたのは、元の俺と今の事情をよく知っているやつと会話をすることで、『俺』という存在をしっかりと思い出したかったんだ」
切なげに、それだけ言ってスピアちゃんは去っていった。
肉体変容における精神汚染。それは《化粧箱》を駆使するプレイヤーにはもはや慣れ親しんだ現象だが、現地人であり、プレイヤーと違ってたった一つの命しか持たない彼女───彼にとって、自己というアイデンティティは、プレイヤーとは比べ物にならないくらい───価値のあるものなのだ。
*
そんなある日、俺は四足竜形態のオリーブに跨って迷宮の中を散歩していた。
迷宮での鍛錬を経て……オリーブは、持て余していた毒の体質を完全にコントロールできるようになったらしく、かつては近くにいるだけで俺を毒殺していたが今や背に乗せても全く問題なくなっていた。
という事を記念に、俺達二体で仲良くお散歩中というわけだ。
むむっ。魔物が現れた。正面からゴブリンが三体突撃してくる。
すかさず、オリーブは口を開いて毒液を噴射する。それは見事真ん中の一体に命中した。
「ギャアアアァァァ!」
毒液がかかったそばからゴブリンの身体は強力な酸性によって溶けていく、同時に毒煙が発生し、それを吸い込んだ左右のゴブリンは喉を抑えて苦しそうにもがき、地面に崩れ落ちていく……。
「ほぅ。中々の毒性だ。素晴らしい」
横で、何故かついてきていたレッドが腕組みなんかをして後方彼氏面をしているが無視する。俺はオリーブの首を撫で、感極まって涙をほろり。
成長したな、オリーブ……!
そんなわけで調子付いた俺とオリーブは毒液で目についたゴブリンどもを惨殺していった。
すると自然に迷宮の奥へと入り込んでいってしまう。必然的に敵は強力なものに変わっていき、今やゴツいゴブリンが出てくるようになってきていた。
しかしそれも迷宮都市で界力を高めたオリーブの敵ではなかった。溶解性の毒液で皮膚が爛れて骨を飛び出しているハイゴブリン(ゴブリンの強いやつ)を見ていると、グロい光景なのに俺の口角は自然と上がっていく。
かつてアルプラ神も言っていた。
『私のこの世界においてゴブリンはどのような殺し方をしてもよい』と……。
《言ってません》
アース神がプレイヤー達にたまに語りかけてくる回線を使って俺は神託を受けたが無視をした。
「何かこの先で揉めているな」
ふと、何かに気づいたようにレッドが呟いた。プレイヤーの五感は鋭く、意識すればするほど感覚機能は高まっていく。しかしそれを維持するには高度な集中力が必要で、レッドには聞こえるものが俺には聞こえないということは多々ある。
その口振りだと、探索者同士がか?
俺の質問にレッドは頷く。ふゥん。ちょっと覗いていくか。俺は野次馬根性からレッドが示す方向へ歩き出し、曲がり角から顔を出してその先を見たところで一度引き返した。
「どうした、行かないのか」
その様子を不思議に思ったのかレッドがそんなことを聞いてくる。俺はすかさず口に指を置いてシッと短く黙らせた。
厄介なところに出くわした、まぁ見てみろ。俺の言葉を素直に聞いてレッドが曲がり角から顔を出す。
「鎧姿の集団に……頭に紙袋をした集団……」
俺ももう一度顔を覗かせる。視線の先には、画一的な全身鎧で頭からつま先まで全て覆い隠した人間の集団と、服装や装備こそバラバラだが何故か首の上を紙袋で隠した人間の集団。
その二つが向かい合う様子はまるでモーゼの海割りだ。まるで深い溝に遮られているかに思わせる。
時折強い言葉が飛び交う、なにやら揉めている。そこはレッドの言った通りだ。
「知り合いか?」
あぁ……。俺は神妙に頷いた。
「クラン『武鉄の乙女達』と、『TSLA』だ……」
俺の言葉にはハッキリと絶望の色が落とされていた。何故ならフロイラインとTSLAは分かり合えるはずのない集団……この対立は下手をしたら人死にすら出すだろう。
二つの集団は互いに武器を握ってはいないものの、いつ剣を抜いてもおかしく無い空気だった。
いったい何が原因で対立しているのかはわからない。奴らは分かり合えない宿命にあるとしても、揉める程『近く』には無いはずだ。
左と右で揉めたり、メス堕ちがどうこう言っていたりと身内同士の揉め事で忙しいはず……。
ん? 俺は気付く。海溝よりも深き溝、そこに一人の人物が立っているのだ。揉めている二つの集団に挟まれオロオロと所在無さげに不安そうな顔をしている。
「ぺぺロンチーノの友人がいるな」
友人とは認めたくは無いが、確かに俺の知り合いであった。彼女は蒼く艶が綺麗な長い髪を指先でモジモジ弄りながら、どちらかと言うとフロイラインの方に寄っているようだ。
「乙女達さぁん。ランス殿は貴重なTS娘、貴方達の様な腐った連中の元には預けておれんのですよ。世からの理解が少ないからと仲間を増やそうと考えているのだろうがね」
「なんだと? 貴様らの様な異常性愛者が我らの事を知った風に語るな。尊さを知らぬ凡夫が」
どちらもすごく口が悪い。何故人間は性癖が合わない相手をまるで異教徒の様に責め立てるのだろうか。互いの尊重を忘れた醜い人の争いがそこにはあった。
「男と女。その組み合わせには生物のシステムが絡んでくる。故に、男と男の間には純粋なる愛しか存在しない」
「ふん、この世の男は全てTS娘になればいいんだよォ!」
「いや、精神男をも落とせる様な男なら残すべき」
「そもそもTSLAは女→男もあることを忘れるな」
非常に極端な意見を言うフロイラインに対しTSLAは若干仲間割れを起こしている。俺がそれを呆れて見ていると、どうやら事の原因であり渦中にあるランスくんことTS娘のスピアちゃんが戸惑いがちに声を上げた。
「え、え? TS娘が男に惚れることを良しとするならそれはもうBLと同じなのでは?」
『それは違う』
基本的に強気なスピアちゃんは双方から完全にハモった強い魂の篭った声に「ヒェッ」と引き攣った声を出して縮み上がる。
ちなみに、TSLA側にもフロイライン側にも一定数頷いている人間もいるので、双方共に一枚岩では無いらしい。
そこで、ハッとスピアちゃんが何かに気付いた。
「ぺぺ! 助けてくれ! 変人どもに絡まれているんだ!」
壁の向こうからひょっこりと顔を出す俺とレッドに向けてスピアちゃんが可愛い顔を明るくさせた。相当不安を感じていたらしい。
ランスくん時代を思えばコイツに変人扱いされる奴らはどれほどのものなのかと考えたくなるが、まぁ言う通りではある。
「これはこれは、先生!」
「ペペロンチーノ嬢ではありませんか!!」
フロイラインにもTSLAにも見つかってしまい、地味に縁があるせいで俺も絡まれてしまった。仕方なく彼等の方へ歩いていく。握手を求められたので何人かと握手をしながら、なぜか溝の中スピアちゃんの側に行かされた。
「で? どう思う?」
「ぺぺさぁん! ぺぺさんはこちらの味方ですよねぇ!?」
真剣な顔でそんなことを聞いてくるスピアちゃんに、なぜかフロイライン側に混じっているモモカさん。
俺はため息をついた。面倒な連中に絡まれてしまった。答えなどない、人の業と向き合うだけの苦行が俺を襲う。
仕方なく、俺は仲裁する事にした。
「ペペロンチーノ嬢、貴方はどう思われますか? TSLAと異端者、どちらが尊いのか」
TSLAの一人がそんなことを聞いてくるので、俺はまずそいつにビンタをした。
よく聞け、まずBL……同性愛とは人間だけでなく生物全体で見られる習性という捉え方もある。
それはつまり、プレイヤーの故郷である世界や、この世界でも古来より数は少なくとも当たり前の様に存在していた由緒正しく歴史的な性癖という事だ。
それに対して、性転換という性癖は少なくともこの世界においては新参と言わざるを得ない。
個人単位での性癖としては持つ者もいただろうが、TSLA程の集団がいたとは思えない。それは何故か分かるか? 何故なら性転換はこの世界においてもファンタジーだからだ。
男はその辺に転がっているが、性転換した人間は魔法を用いて尚難しい。故にこのランスくんは希少価値が高いわけだが……ここ最近に至って、その理屈は覆された。プレイヤーの存在だ。《化粧箱》の力によってプレイヤーは実に容易に姿形を変えられる様になった……という事よりは、漫画アニメ文化による脳汚染によりファンタジー世界の住人よりよっぽどファンタジーな頭の人間が多く流入してきたのだ。
故に、TSLAはプレイヤーが主体となって生まれた団体であり、実際にプレイヤーの比率はフロイラインよりも多い。
まぁBLをBLとして楽しむ様な文化もプレイヤーからの流入によって変化したところもあるが……何が言いたいかと言うと、歴史的にTSLAの方が『浅い』という意味だ。
「ぺぺぺッ、ペペロンチーノ嬢は、自身でBL本を書いているからフロイラインに肩入れしているんでしょう!?」
TSLAの一人が噛み付いてくる。
オリーブ、噛め。俺の言葉に特に抵抗することもなくオリーブは俺の代わりに物理的に噛み返してくれた。
毒の混じった唾液が流し込まれる事で身体が痺れてしまうオリーブハムハムをされているTSLAのバカを横目に、俺はもう一度ため息をつく。
「先生、先生はやはりこちら側なのですね」
お次はフロイラインの方が擦り寄ってくるが、俺は首を横に振って否定した。
しかし、だ。俺は演説を続ける。
そもそも、人の性癖、好みに歴史が関係あるのか? 人は千差万別……それはつまり、愛の形も千差万別という事だ。
男と男には純粋な愛、と言っていたが、ならばTSLAの言う精神男が男に惚れるのもまた、それは純粋ではなく肉欲だと決めつけるのか? そもそも何を持って純粋だ?
フロイライン側の奴が顔は見えないけどハッとした気がする。
お前らの愛に純粋もクソもない! あるのは性欲……ッ! 曇りなき! 性欲ッ!
綺麗な言葉で取り繕うな! 醜くたっていい! 心のままに性癖を主張しろ!
途中で俺自身も何言ってるのかわからなくなってきて、なんか適当な事を言った。敵に回すには同性愛関連は少し荷が重いので言葉を選んでいると脳がバグるのだ。
しかし分かってくれたのか、フロイライン側の奴は頷いてくれた。そして、何人かが剣を抜き始める
「分かりました……先生。つまり最初からこうすべきだったのですね」
「くくく、俺も目が覚めたぜ」
気付けばTSLA側も何人か剣を抜いていた。
俺はフッと鼻を鳴らしランスくんの方を見る。
なんでそうなる?
「俺に聞くなよ……」
注
あくまでも一際声の大きい登場人物達の考えです。