第103話 失われた聖槍 1
俺の眼前には、テーブルの上で丸くなる青白い生き物がいる。一人がけのテーブル、その天板を丸まって尚覆い尽くす大きさにまで成長した小竜……そう、レッドが飼っている(しかし世話はしていない)生意気な竜だ。
随分デカくなったな……。珈琲を置く場所が無くて邪魔クセェなとイライラしながらそんな感想を抱いた。
「最近もう完全に、私はお飾りなんだよ。リトリの手腕には参った。文武両道とは流石私の息子だな。まっ、武の方はまだまだ青いが」
蒼白の鱗をした小竜の世話をしているのはサトリだ。そしてここはモモカさんの喫茶店。すっかり王としての仕事は生きて存在する事だけになっている暇人国王様が遊びに来ているのだ。
俺は小竜を指差し苛立ちを隠さずサトリに話しかける。
おいサトリ、コイツ邪魔だ。どかせろ。てかなんでお前が連れ歩いてんだ、レッドに世話させろ。ネグレクトかアイツは。
「アイツに任せてたら、そいつは死んじまう」
それもそうだな。俺は納得した。
「養育権をかけて決闘とかしてましたよ」
モモカさんが追加の説明をしてくれる。俺は心底から驚いた。
マジかよ。よくあの狂人に勝てたな……。ルールを決めない限り永遠に戦いが終わらない奴だ。ルールと言っても奴が納得しなければいけない。アイツの気分次第では永遠に終わらぬ闘争が始まるのだ、恐ろしい……。
「ああ、電撃結界に閉じ込めて空に浮かべてやった。驚いたよ、ほっといたらアイツずっとこっち凝視してんの。キモかった……」
相変わらず無敵の男だな。しかし、そこからよく勝利に持ち込めたな?
「リトリが説得してくれた。流石私の息子だよ。でも、代わりにその竜をタケミカヅチに勝てるレベルまで育てないといけなくなった。何年かかるんだ? ええ?」
不機嫌に俺に鋭い視線を送ってくるが、俺に文句を言われても知らない。あの男を止められるのはそれこそ……。
ひょこりと、俺の影から小さなガキンチョが顔を出した。緑の髪に俺そっくりな愛くるしいかんばせ。だがおよそ人間らしい感情は感じられない緑の瞳が俺を見つめる。
「まま……れっどを、ろうごくにぶちこむ?」
いや、構うだけ時間の無駄だ。あの男との上手い付き合い方は一つ、関わらない事だ。
「まま?」
「ママ……?」
モモカさんとサトリが目を丸くして口を開いて茫然とする。不死なるプレイヤーズギルドは消えて欲しいという俺の意図を汲んでくれたのか、まるで影に溶ける様に消えていく。
溶けていった俺の影を見ながら、俺は顔色を変えずに背筋をゾッとさせた。多分、この移動方法はプレイヤー相手なら誰にでも出来るんだろうな……。てか普段何してんのアイツ……。
俺は顔を上げて、モモカさんとサトリに真面目な顔で説明する。
「アレは、俺の実質的な親であり……しかし、娘だ」
何言ってんだコイツと、二人の顔が俺にそうはっきり告げていた。
*
まぁ、プチ子のことは良いんだ。追求してくる二人に、さして話すこともない奴との関係性を説明するのはめんどくさいので話を打ち切った。
「お前そっくりだったな。まだ可愛げがあったが」
「え、えぇ……私だけ行き遅れ……? ええ? まさかぺぺさんに……?」
あんな無感情のやつと比べてあっちのが可愛げあるってどういうこと? サトリの聞き捨てならない台詞に思わず反応してしまうが、それより横で大きくショックを受けているモモカさんに釈明しなければならない。
モモカさん。あのね、俺ってば男どもが放っておかない様な幸薄系健気な美少女だけども、神に誓って男に靡いた事なんてないんですよ。いや俺の知ってる神様で言えばどっちの神にも何かを誓いたくはないけど。まぁそもそもプレイヤーって子供産めないし。
で、アレも勝手に俺の娘を名乗ってるだけで実質プレイヤーを煮詰めたような化け物なので、外で会っても関わらない方がいいですよ。思考回路が多分普通の生き物とは違うし、どう言う基準で危害を加えてくるか分かりませんから。
「ぺぺさん! 実の娘にアレだなんて酷いですよ!」
え? 突っ込む所はそこ? 話聞いてました? 俺は龍華の人間の特徴である人の話を聞かない所に少しイラッとした。
サトリが俺の肩に手を置いてくる。
「魔女、勘違いしているぞ……モモカはお前に男が出来たことにショックを受けているのではなく、子供が出来たことにショックを受けているのだ」
……? そ、そうですか。俺は戸惑った。それは年齢的な物だろうか、あまり迂闊に触れてはいけない領域の話になってきたのでこのままなぁなぁで終わらせたい。
ま、まぁモモカさんなら捕まえようと思えば男なんてすぐでしょう?
だと言うのに、俺はセクハラ紛いに触れてはいけない領域へ踏み込んでしまう。
ケラケラとモモカさんが笑う。
「私、イケメンかつ強い人が良いんですよぉ」
良かった、笑いでこの話を終わらせられそうだ……!
俺もニッコリと笑う。そうですよね、男だ女だ関係ないって言っても、やっぱり強い男は魅力的ですよね。
男から見てもやっぱり強い男って惹かれるんですよ、いや、むしろ男の方がそこに拘っているかもしれない。
「お前、前世は男とか言ってたよな」
まぁね。半ば冗談で前世とか言ってたら本当に前世だったんだけど、そうなんだよね。前の身体死んじゃってるんだって、ハハッ。
「わ、笑っていいんですか? ソレ……」
モモカさんが少し引いた目で俺を見た。そんな事を言われても……笑うしかないので……。《不死生観》の解放者は生死の倫理観がイカれてくる。当然、俺も例外ではないようだ。
「精神男なのにお前割と男好きだよね」
サトリが真顔でそう言った。俺はひっくり返ってリアクションを取る。立ち上がり、頭をぽりぽり掻きながら弁解する。
それはね? ポーズですよ、別に好きじゃない。決して好きじゃない。男が女、どちらが好きかと聞かれたら女と即答しますよ。ただ、この身体は一言で言うなら少女……もしくは女児、こんな身体を持っていたらそりゃあ女に対して性的に見れないでしょう? 物理的にそれはどうしようもない事で、困った事に人間は相手を見る目に性欲が絡んでいないとその人の精神性を誤認するところがあるというか、つまり俺はどちらかと言うと女が好きだけど、肉体の問題で大人の意味では男女共にそう言う目では見れない。というわけだ。だから男が好き、という事実もない。
俺が支離滅裂な事をベラベラ喋っていると、サトリが懐から何かを取り出して投げた。テーブルの上で俺の執筆した小説が滑る。何故、コイツがこれを持っているのか。
「性的な視線無しにどうやってこんな文を書けるんだ?」
そういえば以前、ヒズミさんが性転換可能な魔道具を作成していたな。俺は不利を悟って話題を変えた。見事モモカさんがそれに食いついてくれる。
「えっ! 面白そうですね、ソレ!」
パアッと明るい笑顔で俺の書いた本を拾い、ペラペラ捲り始めるモモカさん。俺がさりげなく取り上げようとするも、彼女の身体能力に俺が敵うわけがなく空振りに終わる。
「ほぅ、ソレを使えば、私も男になれるのか?」
いや、男から女へだけだな。俺が答えるとサトリがガッカリした顔でつまらなさそうに口を尖らせた。
元々は、美少女になるってだけの魔道具なんだよ。結果、男でも美少女になってしまうってだけで。
でも中々面白い効果だなって事でやけに覚えていてなぁ……。
「一回変わったら、戻れるんですか?」
モモカさんに聞かれて、俺は顎に手で触れて思い出す。確か……ヒズミさんなら解呪出来たはず、そうそう、言うなれば呪いの一種なんだよな。
「いいなぁ、女から男へ変身できるやつも作ってもらってくれよ」
やけに食いつくサトリ。
残念だが、ヒズミさんはかなり弱体化したから以前と同じ様には無理だろうなぁ。その魔道具も、迷宮から出土した変わった奴を改造したもんだし……。
すっかり話題にでなくなった蒼白の竜を撫でながら、まさかこの一連の会話がフラグになっているとは……その時の俺は考えもしていなかった。
*
ちいっーす、ヒズミさぁん。
俺は迷宮都市に来たもののやる事が無くて暇なのでヒズミさんの魔道具店へ遊びに来た。しかし人影はなく、もしや『嫉妬の魔女の森』から帰ってきていないのかと考えた俺は、大型魔法陣が描かれた地下室へ向かう。
ちょうど、地下室の扉を開いた所で魔法陣が輝きを持った。中心から溢れ出した光の粒子が人の形を取り、やがて光が落ち着く頃にはそれがヒズミさんになっている。
頭を抑えて気分が悪そうによろめくヒズミさんは、俺をチラリと見てから部屋の隅に置いてあった椅子に腰を掛けて辛そうにため息を吐く。
「お、お前ら死ぬ時いつもこんな気持ち悪い感覚を味わっていたのか……」
え? ヒズミさん死んだの? 俺は素直に驚いて聞く。
「……今まで通りには魔法陣を使えないんだ。お前がやっていた様に、死亡からの再構築を利用して《界脈》に乗ったんだ。最悪の気分だがな」
まぁヒズミさんは言うなれば新人プレイヤーだからなぁ。そのうち慣れるよ。てか《スキル》も取れるのかな? じゃあまず《不死生観》を取らなきゃなぁ。
「それって、死んだ回数が条件だったか?」
今なら五十回くらいで良いんじゃない? 解放者が増えてるから大分条件緩くなってるんだよね。
「……お前の時は」
俺の時? 百回以上だったかな? 覚えてない。
「……きもっ」
は? 誰がキモイだ。俺はゴブリンとかいう劣等種族との死闘の果てに解放したが、本当に気持ち悪いレッドとかいう奴はそれを自殺で解放したんだぞ。流石の俺もそれは無理。そもそもプレイヤーに人間のフリさせる為に、あえて死への恐怖を刷り込まれる様に設定されてんだぞ。ガスに臭い付ける的な話ね。
つまり、例えどんな精神性をしていようが感じる恐怖や不快感は変わらないんだ。それに耐えれるかどうかが違うだけでな。
「ならアイツはなんなの?」
俺が聞きたい。
ガターン!
俺とヒズミさんがどうでもいい話をしている時に、上の魔道具店から騒がしい音が響いてくる。
なんだ? 俺達は顔を見合わせて地下室の天井を見る。もう一度顔を見合わせて、ヒズミさんの体調も少し戻った様なので上の様子を見に行く事にした。
不審者の場合、弱体化したヒズミさんでは戦闘面での不安があるのでこっそりと階段から顔を出す。
怪しい人影は一人だ。そいつは、カウンターを覗き込んだりして何かを探している様子だった。
ヒズミさんも俺の横に並び、俺を見て目で誰だ? と問うてくる。俺も知らないと首を振る。
長い、水色の髪が特徴的な女だった。少しだけ既視感を感じたが、やはり背格好を見ても思い当たる知り合いは居ない。ふと、キョロキョロしていたソイツが俺達の方を見た。かなりの美少女だった。大きな水色の瞳がぱちくりと瞬きをして、しばらく俺達は見つめ合う。
長い睫毛が震えた。感激に目を潤ませた美少女はこちらに向かって駆け出して、俺の横のヒズミさんに抱きついた。百合か? ヒズミさんは知らない女にベタベタされてすごく嫌そうに顔を顰めた。基本的に顔の良い女は嫌いなのだ。
「ヒズミさぁん! やっと帰ってきてくれたか!」
何故かヒズミさんの名前を知っている。
知り合いじゃん? と俺が呆れた目を向けると、ヒズミさんは戸惑いがちに首を傾げる。
美少女は俺の方を見て、自分の顔を指さして言う。
「俺! ランスだよ、ランス! ほら、あの女になる魔道具!」
……えっ。ランス? あのゴミ野郎の?
俺は改めて水色の美少女もといランスくんもといランスちゃんの全身を上から舐める様に見る。
うーん。俺は唸った。可愛らしい。お前このままで良いよ。ランスちゃんは憤慨した。プンプンと地団駄をしてからまたヒズミさんに泣きつく。
「もう飽きた! 飽きたんだよ! 男どものキモイ視線はもう嫌なわけ! なのにヒズミさんが全然帰ってこないからさぁ……戻るに戻れなかったんだぜ」
「お前、勝手に持ち出して使ったのか」
呆れた視線を送るヒズミさんに、ランスちゃんはテヘッと舌をぺろりと出す。男の時なら毒殺してやりたいほどムカついた顔だろうが、美少女の今ならまぁ許してやっても良いかもしれない。
「いや、楽しそうだからさ。ほら、ぺぺがたまにロリコン騙してるだろ?」
誰がロリだ。日本人基準ならギリセーフ……いやアウトくらいかもしれないけど。
「ああいうのしてみたくなったんだよな。まぁ暇つぶし? 中々、楽しかっ」
「無理だぞ」
「たんだけど、やっぱこの身体だと力も落ち……えっ?」
溜息を吐いてヒズミさんが店番用の椅子に座り込む。まだ気分が悪い様だ。鳩が豆鉄砲を食った様な顔をしているランスちゃんを睨みつけ、もう一度残酷な事実を告げる。
「今の私ではもう、戻せない」
ヒズミさんの真剣な顔は、とても嘘を言っている様な様子ではなかった。それはランスちゃんにもしっかり伝わっているのか、泣きそうな顔で彼もとい彼女は俺の方を見てくる。
俺はニコリと天使の様な笑顔を向けて、ランスちゃんの肩を叩いた。
「ようこそ、『俺達』の世界へ」




