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TIP OFF  作者: なかお ゆうき
7/8

勝負!③

「ようやくお出ましか」

 タイムアウトの制限時間である一分から遅れること二分。すでにバックコートで腕を組みながら待っていた自分を倒すべく、五人のプレイヤーがコートに戻ってきた。

「このまますんなりとはいかせてくれないのかな?」

 千葉の予想に反して、バスケ部の攻め方はこれまでと同じだった。早いパス回しとギャップをつく飛び込みである。

 しかし、ひとり決定的に違う動きをする人間がいた。

「あっ!」

 ハイポストに上がった高岩をマークするため、千葉もハイポストに上がった。

 それまでも、高岩がハイポストに上がることはあった。しかし千葉が高岩の前に思い切りかぶり、ゴール下のスペースを空けていても、高岩は千葉の前にまわり込むことだけに専念して、パスを要求することはなかった。またボールマンも、ボックスの後衛がいることから、わざわざ千葉の頭を越えるようなパスはしなかった。

 そうして高岩は、所在なさげにポジションを移動する。それが今までのパターンだった。

 だが今回は違った。

「やば……」

 これまでひたすら前にまわり込もうとしていた高岩は、それを止め、そのまま後ろから千葉の体に片腕をあてがって抑えつけた。ちょうど、普段とは逆向きでスクリーンアウトをするように。

 ただ、もう一方の腕を後方に大きく上げ、パスを要求している。

ーーま、まずいっ。

 千葉は急いでまわり込もうとした。が、高岩のスクリーンアウトはうまく、なかなか成功しない。

 そしてそんな千葉を嘲笑うかのように、トップにいたプレイヤーの手を離れたボールが、ゆるやかに頭を越えていく。

 背中にかかっていた圧力が突然消えた。

 千葉はすぐに低い体勢でボールを追いかけた。

 だがそのワンステップ先では、高岩のいっぱいに伸ばした左手が、すでにボールをつかんでいた。


ーーそうだ!

 国見は思わず拳を握った。その中学生離れした体格とパワーは、中学時代、ポストに君臨する大きな助けになったことだろう。

 ゆえにおそらく、高岩にとって、一対一でまったくポジションが取れないという経験はなかったに違いない。

 だから高岩にしてみれば、ボールを受けてからどうするかということが問題であり、ボールをもらうための動きは、単純に相手の前に半分でもいいから体を入れるということだけだったのだろう。

 強さゆえに、今の千葉のディフェンスに対処できるだけのスキルが養われなかったのだ。

 そこで国見は、ディフェンスの前で体を張ることだけがポジション取りではない、あらゆる方向で(、、、、、、、)ポジションは取れるということを、簡単な身振りとともに教えたのだった。

ーーしかし、まさか初めからこんなにうまくやってしまうとはな。


「くっ……」

 ボールはすでに高岩が保持していたが、千葉は目一杯体を寄せた。まだまだチャンスはある。

ーーはたけるか!?

 そう考えている間にも、高岩が跳び上がる。

「ちっ」

 千葉は高岩に続けて思い切り跳び上がり、一か八かのブロックショットを狙った。


 横で千葉がプレッシャーをかけてきているが、高岩はあまり感じなかった。考えずとも、自然に左腕が千葉を制する。高岩の意識のほぼすべてはリングと、フックショット(リングに対して横向きに、片手で自分の頭を越えるように打つショット)を放つ右手に注がれていた。

ーー決める!

 放ったボールは、山なりに千葉の手を越え、リングへと吸い込まれた。

 8ー6



「おお!」

 コートの外から応援していた部員達は、まるで試合に勝ったかのような大きな歓声をチームに送った。タイムアウト直後の、なにより千葉を破っての得点だ。流れが一気にこちらへとひっくり返った気がする。

 だが、千葉にボールが渡るとすぐに思い出した。彼の、すべてを蹂躙するような超攻撃的なオフェンスを止めない限り勝機はないと。

 活気に溢れた雰囲気はすぐに影を潜め、まるでピリピリと本当に音を立てそうな張りつめた空気が、体育館を再び支配した。



「そうくるか……」

 千葉はディフェンスの陣形を見て、思わず苦笑してしまった。

 トリプルチーム。千葉の前方に三人のプレイヤーが並んでいた。さらにその数歩後ろでは、残りのふたりも、カバーに入れるよう目を光らせている。

 フロントコートに入ろうとすると、さっそく先頭の三人が近づいてきた。後ろのふたりまでも、スリーポイントライン付近まで上がってきている。そのため、味方の四人がさっき以上に完全にフリーなのは言うまでもなく、ゴール下にも、ディフェンスがひとりもいないという、通常では到底考えられないような状況が起こっていた。

 そしてそのフォーメーション自体もそうだが、それよりも一番驚いたのは、高岩のポジションだった。

 トリプルチームの真ん中にいやがる。

 自分の外側片方を抜かれないことだけを注意すればいい両サイドに比べ、自分の左右どちらも抜かせないディフェンスをしなければならない中央は、フットワークの良さと高いディフェンス技術が要求される。

ーー高岩はよっぽど信頼されているらしいな。


ーー高岩なら……。

 国見はディフェンスの配置を見ながら、期待と不安を感じていた。ディフェンスの要は、やはり最後の砦としてゴール下に置いときたくなるものだ。

 だがいくらゴール下を強固にしても、千葉がそこまで来なければ意味がない。

 ならばトリプルチームの中心に置き、身体能力、基礎力の高い高岩を千葉にぶつけたい。

 今日までバスケ部を指導してきて、高岩ならこの状況を打開できると確信し、国見は、攻守ともに高岩を中心に組み立てた作戦を指示したのだ。

ーーこれでダメなら…………っと、そんな弱気でどうすんだ。選手を信じろ。

 国見は自分を戒めるようにホイッスルをかんだ。


 左に良野、戸田を従えた高岩が迫ってきた。

 千葉はハーフライン付近という非常に高い位置から、良野の外側へドライブを開始した。

 ボディコンタクトに良野の声が漏れた。それでも良野の左側を攻める強引なドリブルに対し、進行方向へしつこく体を入れて食らいついてくる。

 だがすぐに、良野が左に寄ったために、高岩との間に隙間ができた。

 千葉はすかさずレッグスルーで方向転換し、ふたりの間を抜きにかかった。

「させるか!」

 まさに間、一髪というタイミングで、高岩に先に隙間を埋められてしまった。

「ちっ!」

 しかたない。千葉は一歩ステップバックし、今度は高岩の右に立ち、フォローのためにセンターサークル付近に来ていた戸田の外側を攻めるべく、素早く体の向きを変え、ドライブを再開した。


ーーこっちはぜってぇやらせねえ!

 戸田は、猛然と切り込んでくる千葉に必死に食らいついた。国見が、負けてもいいみたいなことを言っていたが、やるからにはもう抜かれるのはごめんだ。こっち側だけにはなにがなんでも行かせねえ。

ーーは、早く、切り……切り返しやがれ……。

 一方向だけを守るのがこんなにも大変なのか。ちょっとでも気を抜いたら、体がはじかれそうだ。

 高岩が千葉の方向転換に備え、千葉の背後をふさぎにきた。良野もカバーとして、高岩の後ろを通り、こっちへ来ているだろう。

 三人でがっちり囲んでやる。

 しかし、もう少しで包囲網が完成するかという時、甲高いホイッスルの音が鳴り響いた。

ーーブロッキングか!?

 マジかよっと思いつつ、戸田は反射的にエンドライン沿いにいる国見を見た。が、国見はなんのジェスチャーもせず、こっち、というよりサイドラインの方を見ていた。

 戸田はそっちに顔を向け、同じく審判をしている山原を見て、ホイッスルの意味を理解した。

「バックパスだ!」

 良野は声を上げた。山原がバックコートとフロントコートを交互に指差している。バックコートバイオレーション。一度フロントコートに運ばれたボールを、再びバックコートに戻してはならない。高い位置でプレスをかけたことで、千葉は戸田を抜くスペースを確保できなかったのだ。

「やったあ!」

「止めたあああ!」

「ナイスディフェェェンス!」

 またしても歓声が沸き起こった。しかも今回はさらに強く、さらに長く続いた。そしてそのあとに雰囲気が重苦しくなるということもなかった。


 オフェンスに失敗した千葉は、山原にボールを渡し、歩いてバックコートに戻った。

「ブロッキングかと思ったよ……」

 抗議しても意味ないことは重々承知しているから、変わりに小さく声に出して発散させた。過去に何度となく疑惑の判定を受けたが、十点先取なだけに、こいつはけっこう痛い部類に入る。


「やったな、戸田! よくついて行った!」

 戸田は良野と手を合わせた。

「まあ、ずっとマッチアップしてましたし。先輩が抑えて、俺が抜かれたんじゃねえ」

 まだ会心とまではいかないが、気分はいい。良野が驚いたように目を丸くした。

「それもそうだな。はは、次も止めようぜ! さあ、高岩! オフェンスだ!」

「はい!」

 高岩はすぐに返事をした。さっきまでの沈痛さはなく、いつもの高岩に戻っていた。


 活気づくバスケ部とは対照的に、国見は額ににじむ汗を静かに拭っていた。

 山原がホイッスルを吹くのがあとほんの一瞬遅かったら、自分がホイッスルを吹いていた。

 エンドライン、というよりはむしろ制限区域内まで出てきていた国見からは、もちろんセンターライン上のボールの位置は見えていなかった。

 にもかかわらずホイッスルを吹こうとしたのは、戸田によるブロッキングの反則を採るためであった。

ーーうちにしたら天と地の差だな……。

 実際、千葉が戸田の方へドライブを開始してから、国見がホイッスルを吹こうとするまでの時間は、感覚的にだがおそらく一秒そこそこ。本当に紙一重だった。

ーーが、その運も、勝負には必要な要素だ。流れが向いてきている証拠だ。



 千葉を止めた興奮を維持したまま、バスケ部のスローインからゲームが再開された。

 良野はボールを受け取り、千葉達のディフェンスを見た。

 前回、完全に高岩の前にかぶって得点を許した千葉であったが、今回も千葉はそのディフェンスを変えなかった。その代わりにミドルポスト、制限区域内の内側に、ゾーンの後衛を立たせて、裏へのパスに備えさせていた。

 高岩がハイポストに上がり、またしても後ろでポジションを取った。

 良野は、高岩の後ろに立つふたりの一年を見て、パスを躊躇した。

ーーあれだけゴール下に寄られると、さすがに裏パスはカットされるよな。でも、高岩の身長とフィジカルの強さを考えれば……いや、にしてもそれには精確なパスが要求されるか…………奥過ぎると、高岩があの一年に突っ込むことになるし、かといって手前過ぎると、千葉にカットされかねない……。

 短い間にそれだけの検討を重ねていると、「ヘイ!」という声が耳に入った。

 視線を外に向けると、右コーナーで戸田が右手を上げパスを要求しているのが見えた。

ーーなにも無理して高岩で攻めることはないか。攻め手はたくさんある。

 良野は戸田にパスをした。


 ボールを受け取った戸田は、普段よりもゆっくりショットモーションに入った。

 そんな変化があるとはつゆ知らず、後衛の、中途半端に距離を詰めていた一年が反射的にチェックしに来た。

ーー出てきやがった!

 戸田はその一年が近づくとジャンプし、シューティングフォームのまま、オーバーヘッドパスの要領で、その一年が元いたスペースへゆるいパスを放り込んだ。


「むっ」

 高岩はすぐに理解した。同じく意図を読んだであろう千葉を、背中でしっかり抑えつけながら、タイミングを見計らってゴール下に飛び込んだ。

 そして、ワンバウンドしたボールをゴール下で誰よりも早く確保し、そのまま素早くバンクショット(バックボードを利用したショット)を沈めた。

 8ー7



「うっし!」

 得点を決めたわけではないが、戸田は無意識にガッツポーズをしていた。三点差から一気に一点差。流れはすっかりバスケ部のものだ。それを象徴するように、コート外で観戦していた部員達が、今日一番の盛り上がりを見せた。

「よく反応したな!」

 嬉しさのあまり戸田は、音が響くほど強く高岩の背中を叩いた。

「ぐっ……。あ、ありがとうございます!」

 背中を反り、懸命に痛さを堪えながらも、高岩は戸田の言葉にしっかりと応じた。

「次も止めるぞ!」

「もちろんです!」


ーー戸田も楽しみだしたな。

 国見は高岩と戸田の変化をはっきりと感じ取っていた。特に戸田。いい傾向だ。

 仮に、厳しい接戦や、苦しい追う展開の中で、笑みなど出る余裕がなかったとしても、根底にバスケを楽しんでいる(、、、、、、、、、、)という状態があれば、プレイの質は保たれる。

 だが、普通手も足も出ない状態に陥ると、そのプレイヤーは、ゲームに楽しさを感じられなくなってしまう。

 簡単に言えばグレる(、、、)のだ。

 そうなってしまったら、パフォーマンスの維持など望めるはずもない。ただいたずらにプレイの質を低下させ、それゆえさらに手も足も出なくなるという悪循環にはまってしまうのだ。

 そうした悪循環を断ち切り、パフォーマンスをピークに持っていくためには、相手を攻略できるという可能性を見出し、好奇心や向上心を刺激する、あるいは一気に相手を攻略して、その楽しさや達成感を味わうしかない。   

 まさに単純明快、そのままな対策ではあるが、ただでさえ手も足も出なかったわけだから、実行するのが非常に難しいのは当然のこと。

 だが戸田は、ディフェンスにおいては、チームメイトの協力を得て千葉を止め、オフェンスにおいても、アシストという間接的にではあるが、千葉を攻略した。

 このふたつのプレイは、真っ暗闇を出口もわからず進む戸田に、小さくはあるが出口から力強い光が差し込む結果となっただろう。さっきまでの苦痛の顔が嘘であるかのように、戸田が自然と笑っている。楽しみだした証拠だ。


ーーメッキがはがれたかしら?

 中学の三年間、同じバスケ部として千葉を近くで見てきた三島は、その微妙な変化を見逃さなかった。

 試合において、数えるほどもなかった、千葉の為す術なしの状態。一見して涼しい顔にも見える千葉の表情から、その兆候がはっきりと感じられる。おそらく、この状況の打開策が見つからないのだろう。

 圧倒的能力と事前に用意していた戦略で、序盤に試合の主導権を握っていた千葉だったが、名ばかりの五対五、実際にはほとんど一対五だ。千葉はタイムアウトを境に、バスケ部のなりふりかまわない総合力に、すっかり主導権を奪い取られてしまった。 

「でも……」

 前方をぼんやりと眺め、フロントコートへゆっくりと上がって行く千葉を見ながら、三島はつぶやく。

「あいつはこのままでは終わらない」


ーーさってと……。

 ぼんやりと前方を向いていた千葉の焦点が絞られる。フロントコート、センターサークルの少し後ろで、三人の男が待ち構えている。

ーーどう突破する? やっぱ左右どっちかだよな。それには……。

 千葉はドリブルしながら、コートの中央を一直線に走り始めた。

 そして、センターサークル手前で、斜めにカットを切った。トップスピードで右サイドへと向かう。


ーー来やがったな!

 戸田は、千葉が自分の方に突っ込んでくるのを確認すると、サイド方向へと走り始めた。

ーーサイドラインに到達するまでに、俺の横を抜ける気か!?

 戸田も千葉も、お互いに自らのバックコートから、ハーフラインへと近づいていく。


ーー抜けるっ!

 できるだけカットを遅らせたため、サイドラインまでは少しだが余裕がある。千葉の全力のドリブルスピードは、戸田のスプリントより上をいっている。

ーーブロッキングすら取らせねえ―――――!

 ハーフラインにさしかかった。骨盤を激しく突き上げる強い踏み込みが、ドリブルをさらに加速させる。

前方には、抜けるべき穴がぽっかりと空いていた。

ーー勝った!


「やらっせっかあああ!」

 跳ぶ。まさにそう表現した方がいいだろう。

 戸田は横方向に跳んで、千葉の進路上に無理矢理自分の体を置いた。

 半身になり、ディフェンスするには不適な体勢ではあるが、戸田とサイドラインとの間に、人が通れそうな隙間は消えていた。


「きっ!」

 千葉は頭が真っ白になった。抜けない? チャージング? あるいはブロッキングを採れるが、それでは不満? それとも単にビックリしただけ? おそらくあとで振り返ってもわからないだろう。

 だがとにかく、千葉は急ブレーキをかけてしまった。

 しかしそれは、決してあきらめを意味しない。

 千葉はほぼタイムレスにドリブルをしていた右手を後ろに引き、バックロールターンを開始した。戸田の左側を突破することに一縷の望みをかける。

 ロールに対し、体勢が完全に崩れている戸田に、もはや対応する術はないはずだ。

 懸念はただひとつ。

「……ちっきしょう」

 ターンして再び前を向いた目が、自分をにらむ高岩の姿を認めた。高岩のカバーリングが間に合ったのだ。進路が高岩によって消されてしまった。

ーーこのままいったらぶつかるっ!?

 キュッ!

 バッシュが、ここで止まるのかと抗議でもするかのように大きな音を立てた。踏み込むために着地させた右足で、とっさに急ブレーキをかけてしまった。

 戸田を抜きにかかる時、両足とボールはすでにフロントコートに入っていた。ハーフライン付近でのバックロールターンだったため、引いた右足は、いったん空中でバックコート上を旋回してから、戸田と高岩の間に着地するはずだった。だが、その着地点を高岩に奪われ、予定地点より手前での緊急着陸を強いられてしまう。

ーーまだ生きてるか!?

 幸運にも右足の不時着地点は、辛うじてハーフラインを越えたところだった。どうにかこの瞬間のバックコートバイオレーションは免れたが、今空中にあるボールはどうすればいい? 

 ボールをフロントコート内に落とす、すなわち右足より前に持ってきてしまうと、そこはもう高岩の領域であり、それは衝突を意味する。

 かといって、右足の横には着地できるスペースさえない。千葉が考えている間にも、後方を旋回している足は刻一刻と前に向かい、ボールは着地点を求めて降下してくる。

「ぐっ……」

ーーどうしようもねえ!

 千葉は回転を止めてしまった。ボールも両手で持ってしまった。左足もその場から動かせず、ハーフラインギリギリの位置で、敵に背を向けた状態となってしまった。

――ど、どうするっ!?

 こんな状態からなにができる? しかも体がバックコートの方へ傾き、今にも足を踏み出してしまいそうだ。

 絶体絶命。汗が噴き出す。危機を知らせる脳は、打開策を考えることさえしない。この状態から一人で脱出する方法を千葉は知らなかった。

「くそっ……」

 千葉は右足をバックコートの方へ大きく浮かして反転すると、手を大きく振り上げ、フックショットの要領でボールを強く投げた。一瞬遅れて、右足がバックコート内に着地した。

 ボールはゆるやかな弧を描き、フロントコートの右ウイング、千葉を逆サイドで孤立させるために集まっていた一年達が密集しているエリアに向かって飛んでいった。


「下がれえ―――!」

 国見の目がボールを追うのと同時に、良野の怒声が響いた。その声に橋本と伊藤が猛追する。だがパスを除外し、トリプルチームの少し後ろでカバーに備えていたふたりがいた場所もまた、スリーポイントラインのはるか外側だ。ふたりが懸命に追うも、ボールには間に合いそうにない。

 ボールがフリーで、千葉チームの一年山下の手に渡った。

ーー間に合わないか?

 山下はバスケ経験者だ。ドライブされたら、ノーマークでレイアップを決められる。スリーポイントショットなら試合終了だ。

 だが、国見の心配をよそに、山下は意外な行動に出た。

 動かない。

 そこで国見はようやく冷静になった。通常の試合ならば、当然ゴールに向かうところ、しかしこの試合は普通ではない。自分はここでシュートしに行っていいのだろうかという迷いが、山下の中にあるに違いない。その迷いが、体を硬直させ、その視線をリングと千葉の間を行ったり来たりさせているのだ。

ーーどうするんだ、千葉。


ーーあいつ、軽くパニクってるな。

 しかし、苦し紛れにパスをした千葉も大差なかった。リターンパスをもらいに行きたいところだが、この包囲網をかいくぐるまで彼がもつか? もったとして、ちゃんとパスを受けられるか? ならば、いっそ攻めさせるか? 

 「キープだ!」「攻めろ!」、迷いから、なかなか指示を選択できない。なにより、自分が全得点を上げるという、この試合に臨むにあたっての決意が邪魔をして、冷静な判断ができない。しかし遅れれば遅れるほど、状況は等比級数的に悪化していく。だったらなんでもいいから言うべきだ。

 理解しながらも、千葉はやはり言葉を出せなかった。迷いが完全に行動を制限してしまっていた。

 ディフェンスの接近に焦ったボールマンが、慌てて放ったジャンプショットをただ見つめる。これが、千葉にできた唯一のことだった。


「おお!」

 リバウンドに行った伊藤が、山下の外したショットをキャッチすると、コートの外で応援していた部員達から歓声が上がった。あの千葉を二連続で止めた! 勝てる気がしなかった試合に、今は負ける気がしない! 安心できるような得点状況ではなかったが、この数回の攻防の間に、バスケ部の中にはそんな雰囲気が芽生えていた。

 それは冷静を心掛けている国見も同じであった。



 リバウンドにすら間に合わなかった千葉は、盛り上がるバスケ部に見向きもせず、速やかに自陣に戻った。

その途中で、千葉はふいに昔を思い出した。

 こんなに追い詰められたことはあっただろうか?

 千葉個人に関してなら、去年の夏、都大会二回戦がそうだった。

 しかしチーム単位で考えれば、少なくともこの一年間では皆無であった。中学三年を、文字通り無敵のチームで過ごし、圧倒的ともいえる強さで全国制覇を果たしたのだから。

 自分が負けるのと、チームが負けるのでは次元が違う。チームが負けると、文字通り、終わるのだ。チーム競技を行う人間にとって、チームが負けることには、自分が負けるのと同等以上の拒否反応がある。それは千葉にとっても同じだ。

 負けたくない。

 今、千葉はただシンプルにそう思っていた。そこに、この試合に至るまでの経緯や、バスケに対するネガティブな考えはなかった。

 ポジションにつくと、千葉は無意識に笑みを浮かべていた。久しく忘れていた。燃える自分を。

ーー次で終わらす。

 久しぶりのハードワークで悲鳴を上げ、風邪でも引いているのかと思うほど熱を帯びた体とは対照的に、千葉の心は不思議と冷えていく。

 そして深く息を吐き出し、前を見据えると、さらに余計な考え、勝ちへの意欲すら消えていた。



「ハイっ!」

 高岩はこの試合で初めて、千葉を背にしてミドルポストでポジションを取った。千葉は自分の前面に覆いかぶらず、後ろに立っていたのだ。

 右サイドにいた伊藤は、すぐさまパスを入れた。

 沈黙。

 ボールを受けたが、高岩はすぐには動かなかった。

 今までとは違う状況だ。高岩はプレイの選択に思考を巡らす。妙に静かなのが不気味だ。真後ろに立たれているから、左右どちらのターンにするか決めづらい。

ーーならば!

 意を決し、高岩は攻撃を開始した。


「うっ、ぐ……」

 千葉はとてつもないパワー()にされた。背中で千葉を押しながら、リングとの距離を少しずつ縮めていく高岩に、トリプルチームを率いていた時のような俊敏さはなかった。力強いドリブルで半歩ずつ進む高岩にあるのは強引さだけ。しかしこの単純なプレイに対し、千葉ができることは驚くほど少なかった。少しずつだが、確実に後ろへと追いやられていく。

――こりゃ無理だ……。

 千葉はあきらめた。踏ん張ることを。


ーー背中が軽くなった!

 高岩はその変化をすぐに感じ取った。つい今までの背中を押し返す強力な圧力が嘘のように消えた。どうやら後ろによろけたようだ。

ーーいや、前にまわり込んでボールをはたきにくる気か!

「そうはさせん!」

 その前に決める! 高岩はすかさず左足を軸にターンしながらジャンプし、ショット態勢に入った。

 しかし、目の前には千葉がいた。


 千葉は、前にかけていた体重をフラットに戻していた。体が密着していると、しっかり跳ぶことができないし、ファウルになる危険も高い。さらにふたりの身長差と高岩の能力からすると、高岩のショットに、ただ両手を上げて立っているだけでは、なんのプレッシャーにもならないだろう。

 千葉の読み通り、自分が踏ん張るのを止めると、高岩はすぐに振り向き、ショット態勢に入った。

 その時こそ、ブロックショットをする唯一のチャンスだ。


「なっ!」

 高岩の顔に驚きと悔しさがにじんだ。千葉にブロックされたボールが、フリースローラインの方へと飛んでいく。

 しかし良野がこぼれたボールを捕球し、すかさずショットを放った。

「リバァァァァン!」

 ブロックされたショックは意識の脇に追いやられていた。高岩はリングのほぼ真下で、千葉をエンドラインに押しやるようにがっちりとスクリーンアウトし、普段とは逆向き、フロントコートの方を向きながらリバウンドに備えた。

 リングに嫌われたボールが、少し離れた場所へと跳ねた。高岩は大きく一歩を踏み出しジャンプし、落下地点にいた相手の一年のはるか上でボールをつかみ取った。

ーーならば直接叩き込む!

 着地し、リングをにらんだ。が、その時、

ーーえ…………?

 ボールが消えた。今まさにつかんで抱き込んでいたボールの感覚が無くなった。

 リングに向けていた視線をボールに戻す。

 しかし、目より先に、耳がボールの行方を教えてくれた。


 パンッ!

 乾いた音とともに、ボールが床に叩きつけられた。そしてそのボールが、高岩の腰の高さまで跳ね上がる前に、千葉は捕球した。そのまま千葉は、捕球した時の低い体勢からドリブルを開始すると、まだ反応できずにいるプレイヤー達を置き去りにし、あっという間にゴール下の混雑を駆け抜けた。


「なっ……!?」

 仕掛けのタイミング、ボールをはたくスピードと強さ、あまりに見事なスティールを食らい唖然としていた高岩は、千葉がフリースローラインにさしかかったところで、ようやく我に返った。

 高岩は慌てて千葉を追った。


 ショットを打った良野は、数歩下がってリバウンドの行方を見守っていた。そして高岩がボールをつかんだのを見て安堵した。

 だが、そのすぐあとに、千葉が飛び出してきたのを見て、頭が真っ白になる。

 良野は慌てて下がりながら、千葉のドリブルに対応しようとした。

 しかし、最後の砦であった良野は、あっけなく追いつかれ、並ばれ、そして後れをとってしまう。

ーーや、やばい……。

 自分がイージーショットを外すからだ。このままだとフリーでショットを打たれる。

 気がついたら、良野はとっさに手を伸ばしていた。

 悪いことにその手は、ボールに向かうのではなく、千葉の肩へと伸びていた。


「やめろっ」

 国見は良野の手の意味に気づき、声を上げた。どれくらいの強さでつかむかにもよるが、あれだけのスピードドリブルの最中に肩をつかまれ、転倒でもしたら、大怪我をする可能性だってある。

ーーだめだ、良野!


ーーなんとしてでも止めないと……。

 練習、試合にかかわらず、良野は今まで故意にファウルなどしたことはなかった。

 しかしなぜか、今、なんの迷いもなく、千葉の肩をつかんでしまう。

 そして手が、千葉の肩を強く引っ張った。

「!?」

 良野は予想外の出来事に混乱した。後ろから肩を引っ張ったのだから、相手の体が後ろによろめくはず。しかし今、引っ張ったはずの良野の体が、前方に大きくよろめいている。ものすごい力だ。そして良野は、体勢を立て直すことができないところまで引っ張られ、前のめりに転倒した。

ーージャンプショット……?

 転倒から顔を上げた良野が見たのは、はるか前方で高く舞い上がっている千葉の姿だった。

 千葉のワンマン速攻ならば、ダンクなのではないのか? と、思ったがすぐに理解した。

「スリー……」

 スリーポイントラインの外、リングの真っ正面で跳び上がった千葉の体が、スリーポイントショットを打つには珍しいほどの高さまで上っていた。

 上昇が止まった時に放たれたボールは、まっすぐ伸びた肘、力強い手首の返し、リングに向いた人差し指と中指が生み出すきれいなバックスピンがかかり、長い滞空時間を経てリングの中へ落ちていった。

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