勝負!②
「良野、一本ずつな」
審判を務めている国見は、口からホイッスルを外し、フロントコートへと上がっていく良野に声をかけた。
連続スリーポイントショットはさすがに動揺するだろうが、潜在的にはこっちの方がはるかに有利である。一本ずつ返していけば問題ない…………はずだが。
一抹の不安が走る。
一回目こそ、その能力を活かした奇襲だったが、二回目と三回目のオフェンスでは、それぞれがあらかじめデザインされていたように思える。
いや、一回目でドライブの鋭さを印象づけたことを布石と考えれば、すべてが計画されていたものに思えてならない。
ーーノーチェックで、二連続スリーポイントなんて打てるもんじゃないぞ。しかもこっちは、千葉が攻めることがほぼわかっていたのに。計画してのものだとしたら、見事としか言いようがない。
良野達は、前回と同じように、速いパス回しとギャップへの飛び込み、頻繁なポジションチェンジでディフェンスを揺さぶった。
右サイドのコーナーにいた伊藤が、ボールを受けた。そして、慌ててチェックしに来た、後衛のバスケ初心者である一年を、ワンドリブルで難なくかわし、ジャンプショットを沈めた。
国見は、冷静に得点を決めた伊藤のプレイに、「それでいい」という代わりに親指を立てた。オフェンスは問題ない。
ーーしかし、オフェンスの緻密さに対して、ディフェンスは最初のスティール以降はおとなしすぎるな……。
5-4
「次、もっと厳しくマークするんで、カバーお願いします」
ディフェンスに戻る途中、戸田は良野に頼んだ。抜かれたっていい、三連続スリーだけは絶対に防いでやる。
良野は、「カバーな!」と他のメンバーに伝えた。他のメンバーが真剣な面持ちでうなずいた。
ーー二連が効いたようだな。まあ、そりゃそうだよな。
千葉の次のプレイはすでに決まっていた。
やるのは簡単。
だが成功率は高くない。
さらにはこれで用意してきたプランが尽きる。
ーーま、そっからが本当の勝負だな。
千葉は、気持ちを高揚させるように、頻繁にドリブルする手を変えながらフロントコートへと進んだ。
ーー来やがれ!
戸田はスリーポイントラインを踏み、スタンスを広げ、千葉を待ち構えていた。が、
「え!?」
またしてもチェックが間に合わなかった。小走りでボールを運んできた千葉は、戸田から一・五メートルぐらいの位置までやって来ると、唐突にショットを放ったのだ。
「うおっ」「な……」「おい……」。体育館に起こったささやかなどよめきを耳に、戸田はただただ呆然とボールの行方を追った。
スリーポイントラインのはるか手前、そのために大きくなったモーションから放たれたショットが、ものすごく大きな弧を描き、一直線にリングへと向かう。
「リバンドォ!」
ショット直後、千葉がリング方向に猛然とダッシュしていくことに、最初に気づいたのは橋本だった。ボールに視線を奪われながらも、最も遠い位置から見ていた橋本には、走り出す千葉の姿が視野の隅に入っていたのだ。
橋本は声を上げながら、視線を落として千葉を探す他のプレイヤーよりも早く、リングに猛進してくる千葉の進行線上に向かった。
あわや! というボールがリングにはじかれ、高く跳ね上がった。
いち早く制限区域内、ボールの落下点に入った高岩は、一年のひとりを背中で制し、ボールと千葉の両方に注意を払った。
全力疾走の千葉は、ふたりのディフェンスを簡単に振り切り、フリースローラインを越えた。
ーーせめてタップできるくらい触れられればっ。
千葉はリングの左側から、充分過ぎる助走をもって跳んだ。右手を必死に伸ばし、ボールを迎えにいく。いいぞ! うまいこと掌の前半分にボールを乗せることができた。指先に全神経を集中させ、丁寧にボールをはじく。
ーー決まる!
その感触から、千葉はゴールを確信した。きつい態勢だったが、フィンガーロールは完璧だ。ボールが静かにリングへと戻っていく。しかし、
「なっ!?」
悔しさで思わず顔が歪んだ。千葉よりわずかに遅く跳び上がった高岩の右手が、ボールを下からタップしたのだ。ボールをコントロールするのに要したほんのわずかの間に、高岩の手が追いつきやがった。
下から突き上げられたボールが、リングを越え、反対側に落ちていく。
そのボールは、落下点の真下に入った橋本によって確保された。
「こっちだ!」
左サイドに飛び出した良野が、大声でボールを要求した。
「上がれえ!」
パスを受けた良野はすぐさま前を向き、速攻の指示を出しながら、ドリブルを開始した。一番高い位置にいた、千葉のマークマンである戸田は、すでにセンターラインに到達している。距離が開いているが、走らないわけにはいかない。絶望的と判断する思考を無視して、千葉は脚をフル稼働させた。
しかし、いや、やはりというべきか、ハーフラインを越えた所でパスを受けた戸田は、そのままドリブルで上がっていき、フリーでレイアップショットを決めた。
千葉に当てつけるかのような歓声が上がった。
5-5
「あーあ……」
ため息が出た。ゴール下付近でリバウンドに入ったことと、人が密集していて真っ直ぐに走れなかったこと、そもそもこれだけスタート地点が離れていては、五十メートルを六秒切る脚もなんの意味もない。
ーーフリーなら、あの距離でも三、四本に一本は入るんだけどな。まだまだ俺は最初の一本が弱い)
千葉にとって、ロングレンジスリーポイントショットは、決してリバウンド勝負に持ち込むためのものではなかった。これを沈めて、7ー4にすることが本当の目的だったのだが、結果は5-5。さらには相手の裏をかけるような攻めも尽きてしまった。
「振り出しか……」
やれやれ感が半端ない。こっちのオフェンスから始められるのが、せめてもの救いだろうか。
ただ、ほんの少しだが、面白くなってきてしまった。楽に勝つよりも、接戦を制した方が楽しいに決まっている。
千葉は首を数回まわすと、呼吸を整えるために、ゆっくりとボールを受けに行った。
「よくはじいたな!」
「ありがとうございます……」
得点を見届けると、高岩は橋本にプレイを褒められた。しかし、高岩は礼こそ言いはしたものの、心の底から喜ぶことはできなかった。
ーーボールを受けられない……。
オフェンスの時、高岩は自らもボールを受けるために、毎回必死に千葉のマークを外そうとしていた。だが、完全に前にかぶられ、しかも、どう動いても千葉の巧みなフットワークでしっかりとマークされ、その都度苦汁を飲まされてしまっていた。
中学時代には、これほどまでに前にかぶることを徹底し、またそれを体現できた相手はいなかった。多くのプレイヤーが高岩のパワーとフットワークに屈し、ポストアップを許してしまうのが常だったからだ。
満足にオフェンスに参加出来ていない自分と、その打開策を見出せないでいる自分に心底腹が立つ。
「おまえは充分よくやっている。余計なことを考えずに、できることをしっかりやれ」
高岩は国見に声をかけられた。
「は、はい! すみません!」
どうやら自分の気持ちを悟られてしまったようだ。高岩は姿勢を正した。
「謝ることないさ」
国見は肩を叩いて離れていく。そうだ、余計なことを考えずに、ベストのプレイを心掛ければいいんだ。ぐじぐじ悩むのはもう終わりだ。
高岩は頭を振り、次のディフェンスに備えた。
チームのオフェンスを変える。
千葉は右手を大きく振り、味方を右サイドに行くように指示すると、今までのトップエントリーを止め、味方がいなくなった左ウイングに入った。
アイソレーション。1ON1がしやすいように、自分以外の味方を逆サイドに移動させ、攻めるスペースを確保するフォーメーションだ。
千葉がアイソレーションを展開した。
国見はすかさず人差し指を立てて腕を高く上げた。
〝ボックス・ワンに移行しろ〟
ーーなにがなんでも止めてやる。
全中屈指の点取り屋なら、アイソレーションをやるはずだという国見の予想は当たった。バスケ部は、千葉がアイソレーションできたら、他のプレイヤーは捨ててでも、千葉のカバーリングを優先するという選択肢を作っていたのだ。
戸田以外のプレイヤーが、すぐに自らのマークマンを捨てて、制限区域を囲むような正方形を作った。本来、ボックスを作るプレイヤーは、特定のひとりを無視するのだが、今回は他の四人を捨てて特定のひとりに備える。皮肉にも千葉は、アイソレーションを選択したことによって、よりいっそう厳しい警戒を受けることになってしまったというわけだ。
「ふん……」
千葉はすぐに相手の意図を察した。
だがひるまない。
パスをする気もない。
もとより覚悟の上。
相手の布陣なんか関係ない。
ただ点を取りに行くだけ。
千葉はレッグスルー(ボールを股下に突き、ドリブルする手をチェンジするプレイ)をしてタイミングを計る。
そして急加速。千葉は戸田の右側を抜きにかかった。
ーー速いっ……!
戸田は思った。が、マッチアップしてきた体が反応した。出足は遅れたものの、千葉の低く速いドライブに体を当て、ファウルギリギリでなんとか食い下がる。
だが、あとほんの少し踏ん張っていたら、ブロッキング(オフェンスの進行を妨害する反則)になるかというところで、ついに抜かれてしまった。
ーーちっ、もう少しでダブルチームになったのに……。
良野は心の中で毒づいた。
ボックスの前衛、千葉がいる方のサイドにいた良野は、千葉がドライブを開始したのに合わせてカバーに上がっていた。
自分が着く前に戸田が後れをとってしまったため、ダブルチームができなかったことを悔やみつつも、良野は千葉の進行線上に入り、距離を詰めた。
ーーこいつ……!
良野の接近を認識しているはずなのに、千葉はまったくスピードを落とさなかった。そして、手を伸ばせば届く距離にまで近づいてくると、突然なんの前触れもなく、千葉の体が左方向に落ち込んだ。
良野は反射的に左に重心を寄せた。だが、その時には千葉のターンは開始していた。バックロールターン。スライドさせた右足と、軸足となる左足でそれまで保っていたスピードを完全に殺すと、即座に右足を引き、左足を軸にして約二百七十度回転する。
千葉が再びリング方向に向いた時、良野はその後方に置き去りにされていた。
ーー来たな……。
良野を抜いたところで、実質的には千葉とリングの間に立ちはだかる最後のひとり、千葉の目に、猛然と突っ込んでくる高岩の姿が映っていた。
千葉はすぐさまブレーキをかけ、ショット態勢に入った。沈み込んだ態勢から体を伸び上がらせる。
ーー止める!
高岩は右手を伸ばし、思い切りジャンプした。
しかし、同じように上昇してくるはずの千葉が上がってこない。
「し、しまっ……」
悟った時にはもう手遅れだった。空中では為す術なく、跳んでいなかった千葉が、自分の左脇に大きく踏み込んでいくのを、高岩は上から悔しさとともにただ感じるだけだった。
そして高岩の下降と入れ替わるように、その斜め後方で、千葉が、今度は確かに離陸するのを感じた。
高岩は無駄だろうと認識しつつも、着地した瞬間、千葉に振り向いた。
横方向に流れた体を整えようと、空中でのボール保持が長かった千葉が放ったショットは、リングに触れることなく、静かに網の中へと吸い込まれていった。悔しいが、敵ながら見入ってしまうほど、見事なボディコントロールだった。
6ー5
「橋本、伊藤」
国見は攻撃に向かうふたりを呼び止めた。三人でダメなら、五人ぶつけてやる。
「ディフェンスはゾーンが崩れてもいいから、すぐカバーに入れるようなポジションをとれ。他の四人は完全に捨てていい。パスさせたら勝ちだ」
「は、はい!」
ふたりは指示内容に一瞬目を見張ったが、国見の思いが伝わったのか、すぐに力強くうなずいた。
もちろん、不本意ではある。大学までのバスケ人生で、このような指示、出されたこともなければ、そんな練習をしたこともない。遊びですらやったことはない。
しかし、だからといって手をこまねいているわけにはいかない。千葉を止めなければ勝てないのだ。
しかも勝負の性質からいって、千葉の攻撃を止めなければ意味はないのだろう。五人ぶつける時点で、千葉の中ではもうこちらは負けているのかもしれないが……。
だがこれほどのプレイヤー、逃すには惜しすぎる。
ーーやれることはやっておきたい……。
攻撃は今のところ問題なく機能しているわけだから、無理に変える必要はない。パスを回し、ポジションを流動的に変え、ワイドオープンを作り、ショットを打つ。それが外れても、リバウンドが期待できる。取ったらまた同じことを繰り返せばいい。
問題はディフェンス。それに尽きる。
良野が右ウイングでフリーになった。そしてスリーポイントラインの二歩ほど内側でボールを受けると、ディフェンスが来る前にショットを放った。
ノーマーク、しかしショットが得意でない良野のボールは、リングとバックボードをつないでいる部分に当たり、リングの外にこぼれてしまった。
ーー…………ん?
国見は視野の隅に違和感を覚えた。
ーーなんで高岩が外側に?
右のミドルポスト付近にいる高岩の後ろ姿が見えた。千葉の姿がない。おかしい、高岩がスクリーンアウトしているはずじゃ…………あ!
国見はようやく状況を理解した。
「ぎっ……!」
「ぐっ……」
リバウンド勝負を行うふたりから声が漏れた。高岩をスクリーンアウトしていた千葉が、高く跳び上がり、いっぱいに伸ばした右手でボールを引き込んだ。これまでのディフェンスから、フリーになった良野がショットを打つことを読み切ったのか。良野にボールが渡ったタイミングで、高岩の後ろにまわり込んだのだ。
「ようやく取ったぜ……」
息を切らしながらもにやりと笑った千葉の顔は、凄いを通り越して恐ろしくも感じた。
「くそっ!」
バックコートに戻った高岩は、いとも簡単にまわり込まれ、スクリーンアウトを許してしまうという失態を恥じていた。
ーー同じ過ちは二度と繰り返すまいっ!
必死に相手の前にまわり込もうとしていたところを、千葉にうまく利用されてしまったのだから、どうしようもないのだが、そんな安易な考えで自分を許すことなど到底できなかった。結果こそすべてなのだ。
ーー簡単に打たず、もっと周りを見れば良かっただろうか?
高岩から少し離れたところで、良野は自分のプレイを悔やんでいた。
ボールを手にした時、高岩はパスを受け入れることができたのではないか?
それなら自分のショットより、高岩のポストプレイの方が確実だったのでは……。
「先輩」
声に顔を向けると、ゆっくりとドリブルで上がってくる千葉を凝視したまま、戸田が続けた。
「気にすることないすっよ。たかがオフェンスリバウンド一本じゃないですか。フリーで受けたらガンガン打ちましょ」
「ん……ああ……」
ーーそうだな、悔やんでもしかたないか。
自分のショット精度の低さには毎度ながら嫌気が差すが、今は次のディフェンスだ。
良野は両手で顔を一回叩き、気合いを入れた。
「ふん、この一本、決して小さくないぜ」
たかぶった気持ちのはけ口に、千葉は自分にしか聞こえないくらいの大きさでつぶやいた。
十点先取だと、勝つための一点のウエイトが、実際のゲームに比べてはるかに大きくなる。
そうなると、自然と一本のリバウンドや一回のターンオーバー(攻守の切り替わり)の影響も大きくなる。
得点以上にそこが重要。
だから勝つために、まさに全力で、意図を読まれる前に、最初のスティールとこのリバウンドを取りにいったのだ。
バスケ部がバックコートの、攻撃側から見て左側に集まった。
右側に固まる四人のプレイヤーを無視してでも、左側にいる自分ひとりに備える。
通常の試合では見られない異様な光景だ。
しかし体育館にいる者は、もはや当然のようにそれを受け入れているようだ。
関心は1ON5の結果だけということか。
千葉はゆっくりと、もはや定位置となった左ウイングへと入った。
ーー静かだ……。
体が温まり、集中力も増すと、いつも頭が静かになる。筋肉もほぐれて体が軽い。およそ半年ぶりの感覚が戻っている。
ーー久しぶりだな、この感じ。……さて。
物思いにふけっていたのはほんの一瞬のことだった。その黙想から目覚めると、千葉は目の前のディフェンスを見据えた。
「――ッ!」
一歩バックステップ、そして声無き咆吼を発すると、千葉は右足を踏み出すと同時に、左手でドリブルしていたボールを、フロントチェンジのように右方向に押し込んだ。
ディフェンスの重心がかすかに左足に偏った。
千葉は、ボールが床に着く前に手首をひねり、外側、左方向へ大きく開いた。インサイドアウトだ。
「うっ……」
国見は、戸田が声を漏らしたのを聞いた。頭がついていっても、体がついていかない。だからこその戸田の苦渋の表情なのだろう。右側、サイドラインの方を抜かれた戸田は、またしても置き去りにされた。
だが、今回はカバーリングが早かった。
良野が、千葉をサイドラインへ追いやるようなディフェンスをした。
高岩がその先をふさぐために距離を詰める。
さらに伊藤が、良野と高岩の間を埋めるように上がってくる。
そして橋本がゴール下にポジションをとる。
国見の指示通り、これでもかというくらいの徹底的なディフェンスだ。全員が持てる力を合わせて、完璧に千葉をつぶしにかかる。さすがにこれではどうしようもないだろう。せめてストップ・ジャンプショットか? だがもう高岩が来ている。彼のブロックの最高到達点越えに挑むか? あるいはさっきのようなフェイントをしてかわすか?
しかし、たとえそうやって高岩をかわせたとしても、その間に、再び追いつけるかもしれない戸田も含めれば、三人ものディフェンスに囲まれることになる。
国見は、今度こそ千葉を止められると確信した。
眼前に高岩が立ちはだかった。
あとほんのちょっとそのまま真っ直ぐに進んだら、衝突し、こっちのチャージング(オフェンスのファウル)となるだろう。だが、
ーー止められるもんなら、止めてみやがれっ!
千葉は高岩の左、サイドライン側へ素早く大きな一歩を踏み出し、強引にその壁を抜きにかかった。もちろん高岩も、黙って抜かれるようなまねはするはずもなく、よりサイドライン方向へと追いやるような激しいディフェンスで対応してくる。とてつもない圧力だ。かなり体をあずけているのに、まったくひるまない。
「ぐっ……ぬっ……」
千葉は、倒れ込みそうなくらいの前傾、さらにいっそう高岩に体をあずけるような姿勢で、とにかく攻めた。フェイントひとつない、身体能力にものを言わせた強引なドリブルである。ドリブルのバリエーションはいくつもあるが、千葉が最も頼りにしているのがこのスタイルだった。
「ぬ、ぬう……」
ついに、といっても一秒にも満たないわずかな時間の攻防であったが、高岩が圧力に屈し、リングへの道を空けた。それでも高岩は千葉の横に張りついて必死に追いすがってくるが、前が開けたことは、千葉にとってとてつもないアドバンテージだった。
ーー絶対決める!
ゴール下まで切れ込んできた千葉が、勢いよく跳び上がった。
千葉の斜め後方につく高岩は、千葉の正面にいる橋本と同時にジャンプした。
ーーと、届け……。
指先だけでもいい。なんとかボールに触れ、ボールがリングを通過するのを防ぎたい。高岩は懸命に右腕を伸ばした。
しかしその手が触れたのは、ボールでなければ千葉の腕でもなく、目的を同とした橋本の腕であった。
千葉は、両手で持ったボールを額の少し上まで持ち上げると、すぐにそれを腹の高さまで下げた。
そして半身にした体が、橋本の左脇を通過しリングの真下にくると、再びボールを上げ、最後は左手でリバース・レイアップショット(リング下をすぎ、後方に向けてレイアップするショット)を放った。
足を開いてバランスを取っていたが、体が思い切り開き、体勢はかなり崩れていた。しかし、やわらかいタッチでスナップを利かせたボールは、きれいな角度でバックボードに当たり、リングへ沈んだ。
7ー5
言葉を失うバスケ部が作り出す重苦しい雰囲気。
その中で笛を吹いた国見も、涼しい顔ではいられなくなっていた。
千葉がシュートした時、橋本が空中で千葉に体半分を接触させてしまったために、国見は橋本のブロッキングを採ってしまった。
いや、反射的に吹いてしまうほど、議論の余地がないファウルであったが、試合状況を考えて、流せばよかったかもしれないと一瞬でも思ったことが悔しかった。
重苦しい雰囲気はたいていよい結果を生まない。
千葉チームによる、エンドラインからのスローインでの再開は、得点のショック冷めやらない戸田のマークを巧みにかわし、内から外へと動いた千葉にボールが渡ってしまった。
千葉がジャンプショットを難なく沈め、あっさりと点差を広げてしまった。
8ー5
戸田は、もはやオフェンスに上がることもせず、小さくはずむボールをただぼんやりと見つめていた。味方も、全員が戸田と同じようにその場で立ちすくんでいる。
ーーなにしてんだろ、俺……。
一年である高岩が勝手に組んだ試合。相手が一年なのに、どうやっても手も足も出ない自分。というか、練習ですらないのに、なぜこんな必死にやらなきゃいけないんだ。別に負けたって困るわけじゃないし……。
戸田は悔しさを通り越して、虚しさを感じるようにまでなっていた。
ーーこれはまずいな……。
国見はホイッスルを鳴らした。
反則があったわけでもないのに、急にホイッスルの甲高い音を響かせたせいで、全員が一斉に国見を見た。
国見は右手の平に、左の人差し指を当ててTの字を作った。
「タイムアウトだ」
二十四秒の計測をしていた三島に、タイムアウトの制限時間である一分の計測を指示し、国見はバスケ部を集合させた。
「……タイムアウトあるんだ」
千葉チームのプレイヤーがぽつぽつと千葉のもとに集まってきた。バスケ部の雰囲気につられているのか、全員が神妙な顔をしている。
「まあ、今の調子で……って、ボールに触らせもしないで悪いね」
千葉は自分の理不尽な指示を省みて素直に詫びた。
「いやいや」ひとりが恐縮して応える。「メインは君だし。気にしないで」
「どうも。ちょっと休むわ」
ベンチに座わると、たった数分プレイしただけとは思えないような心臓の音が聞こえてきた。消耗がでかい。早く決めなければ。
「どうした? 元気ないじゃないか?」
国見の問いに答える者はいなかった。スタメンにいたっては、力なくうつむき、国見と目を合わせようともしない。
ーータイムアウトなんて採るつもりなかったんだけどな。だがこれはなんとかしないと、ただ負けるだけでなく、後々まで影響しかねない。
国見は諭すように続けた。
「なにをしても止められない。五人がかりでも。そして気づいたら点差が開いている。確かにきついかもしれないな。戸田、勝ち目はなさそうか?」
戸田は驚いたように顔を上げた。しかし国見の目を直視できず、すぐに視線を外してしまった。
「かもしれないっすね……」
「そうか。ずっとマッチアップしてきたおまえが言うことだ、そうなのかもしれないな。だが……」
コートで戦うプレイヤーの、試合放棄ともとれる言葉に、国見の語気が強くなる。
「なぜおまえは下を向いている? 勝ち目がないと、やる気を出さなくていいのか?」
「え……? あ、いや…………でも……」
予期していなかっただろう問いに、戸田が言葉を詰まらせた。
国見はかまわず、視線を全員に移した。
「この状況で、単に、頑張れとか、気持ちで負けるななんて指示するつもりはないし、おまえらだって、言われてもどうしようもないだろう。でもな……」
さらに語気が強くなる。ここはどうしてもわからせなければならない。
「たとえ劣勢だろうと、マッチアップの相手が自分よりはるかにレベルが高く、まったく歯が立たなかろうが、あるいは百対〇で負けていようとも、ベストを尽くすということは常にできるはずだろ? 今のこの状況は、おまえらが意気消沈してやる気を無くす理由にはならないぞ!」
「……でも」
戸田が小さく反論の声を上げた。
「でもなんだ? おまえらは、相手が強いと、大差がつくとあきらめるのか? そうして負けて、なんになる? 確かに、勝てると思えない状況でモチベーションを維持するのは大変だよ。でも、だからこそ心が鍛えられるんだ! おまえらの最終目標がこの試合だと言うのならなにも言わん。だが違うなら! おまえらが勝利を目標としてこれからも闘っていくのなら! おまえらは成長しなければならない! そのためには、負けからこそ学ばなくてはいけないんだ! そして負けを意義あるものにするためには、全力を尽くさなければならないんだよ!」
「先生……時間です……」
ブザーが鳴り、三島が控えめに一分の経過を知らせた。国見は顔すら向けず、片手でそれを制して続ける。
「きついのはわかる、だがやるだけの価値は絶対ある! 最後までベストを尽くしてみないか? なあ、戸田? 何回抜かれたっていい、何度でもくらいついていこうぜ」
戸田はまだ憮然とした表情を浮かべていた。それでもいくらか心に響いたか、否定的な言葉は出てこなかった。
「他のみんなはどうだ?」
他の部員は戸田よりもだいぶましだった。口々に肯定的な返事が飛び出してくる。
ーーこのチームは素直だな。素直なやつは伸びる。
そんなことを考えながらも、国見は本題に入った。
「よし! それじゃあ、勝つための作戦だが……」