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TIP OFF  作者: なかお ゆうき
5/8

勝負!

 日曜日。高岩が千葉に果たし状を叩きつけてから四日目。帰宅部にとっては休日であるにもかかわらず、千葉は校門の前に立っていた。しかも、平日に来るのとさほど変わらない早朝から。

「俺も律儀だな」

 そうぼやいたものの、千葉は上下スポーツウエアにスポーツバッグ、バッシュは現役の時に使っていた一番相性のいい物を用意していた。



              * * *



――来ちゃった……。

 香織は、誰もいない女バスの部室にいた。女バスの練習は午後からだが、弟から全国最優秀選手との勝負のことを聞き、どうしてもそれを見てみたくなったのだ。

 香織は部室に荷物を置き、裏からこっそりと体育館のギャラリーに上がった。周りを確認し、目立たないようカーテンの後ろに体を隠す。そのまましゃがんで、顔だけ出してフロアを見ると、部員が集まっている所から離れた、体育館の入り口に、ひとりの男子が入ってきた。

「あれ? あの人は……」

 百七十六センチある自分よりずっと高かったから印象に残っていた。何回か見たことあるし、以前階段でぶつかってしまった人だ。

―ーあの人が全国最優秀選手……?



             * * *



 体育館に入った時、千葉はふたつ感じたことがあった。ひとつは、部員に囲まれ、なにやら話していた顧問がけっこうやる気ありそう。もうひとつが、部員の目がとても排他的だということ。知り合いの高岩や三島ですらだ。しかも、三島にいたっては、おまえには関心がないとばかりに、千葉を見さえしない。まだ自分がこの勝負を受けたことを怒っているんだろうか?

――空気が重すぎる。なんだか公式戦より落ち着かねえ。

さすがにあの輪に飛び込んでいく勇気はなかった。千葉は近くのベンチにバッグを置いた。

「やあ、よく来たね」国見は笑顔で千葉に話しかける。「顧問の国見だ。話は聞いているよ。今日はよろしく」

 どう接触しようかと考える前に、国見の方から来てくれたのは、千葉にとってありがたかった。ただ、青春ドラマさながらに差し出された手に応えるのは恥ずかしかった。

「どうも。なんか、こんな本格的にやるとは……」

「日本のバスケットボール界の宝がかかっているからな」

「そんな、大袈裟ですよ」

「まあ、見ればわかるさ」

――熱そうな人だな……。

 千葉は、国見に自分のことを知られたのは痛いと思った。高岩からの勧誘がなくなっても、顧問からの勧誘攻勢が始まりそうだ。大人な分、高岩のようにはぐらかしたり丸めこんだりするのが容易ではなさそうだし。

――それにしても、顧問抜きかと思ってたら、顧問がやる気満々じゃねえか。フルタイムだったらどうしよう……。

「あの、どんな勝負をするんですか? まさか普通にゲームをするんじゃないですよね?」

 不安が言葉に出ていたのか、国見はああと笑った。

「さすがにそれはな。形式は同じで、一ゴール一点で、十点先取にしようかと思うんだけど、どうかな?」

――十点……よし、それなら想定してた。

「いいですよ、それでこっちのメンバーは?」

「スタメン以外の中から選んでくれ。おい、スタメン! ちょっと外れてくれ!」

 国見の声に従い、高岩も含めた五人が、部員の輪から外れた。

 千葉は国見とともに、残った部員の方へ行って尋ねた。

「えっと、一年は?」

 八人が手を挙げた。千葉はその中から四人を適当に選び出した。国見が驚いた顔をする。

「おいおい、もっとちゃんと選んだ方がいいんじゃないか? いくらうちでも、一年と二、三年の差はけっこうあるぞ」

「先生、いくらうちでもは余計です」

 山原が厳しい口調で指摘する。国見は、そうだなと笑ったが、部員からは笑いが起こらなかった。全員終始表情が硬い。

「いや、なめてませんよ。一応、チームの指揮官でもありますから。一年の方が気を遣わないですむんで」

「なるほど、そうか。では準備時間は何分欲しい? ……そうか、じゃあ十五分後に始めよう。山原、タイマーをセットしてくれ」

 山原と三島が、電光タイマーのもとに行き、準備を始めた。

 千葉は、選抜した四人とともに、バスケ部が陣取っているのとは反対のサイドに移動した。そしてバッシュを履き、ストレッチをするのと並行して、作戦の打ち合わせを開始した。

 その作戦会議をする時になってはじめて、千葉はひとつ重要なことを思い出した。

「この中で、中学の時、バスケやってた人はいる?」

 幸運にも、ふたりの部員がそれに応えた。



 十五分後。国見は、千葉が選んだ者以外の部員を集合させた。

「いいか、みんな。特に二、三年は、このゲームに対する思いがいろいろあるかもしれない。もちろん、ネガティブなものがな」

 国見は戸田を見た。案の定というか、目をそらされた。山原から、戸田がこの試合に乗り気じゃないことは聞いていた。おそらく千葉とのマッチアップに自信がないんだろうということも。

「しかし忘れないでくれ。すべての試合を最高の精神状態で臨めるとは限らない。緊張、不安、不調、因縁……試合ではそういったものとも付き合っていかなければならないんだ。今回のゲームをそういう練習にしよう。どんなコンディションでも、その状態でのベストを尽くす、ということはできるはずだ。それを見せてくれ」

「はい!」

 他の部員達は力強い返事をしたが、戸田の表情だけはあいかわらずさえなかった。

――まあ、試合する前にいくら言ったところで、簡単に切り替えられないよな。



「みんな」

 センターサークルを囲むように、ジャンプボールのポジションについた選手達に、ボールを持った国見は声をかけた。

「楽しんでいいんだぞ。もちろん、千葉もな」

 そう言って国見は、センターサークルの外、千葉チームの自軍リングから一番近い所に位置する千葉を見た。

 千葉は苦笑いを浮かべ、小さく肩をすくめた。生意気なやつだ。が、コートの中ではそれぐらいがちょうどいい。

「ふ、それじゃあ、いくぞ」

 国見はボールをトスした。


 ジャンプボールを制したのは高岩だった。

 高岩が千葉チームの一年のはるか上でティップしたボールが、四番の黄色いビブをつけた良野によって確保された。

 千葉はすぐに自軍へと走った。ジャンプボールの負けはしかたないと考えていた。二メートル級の高岩に跳ばれたらどうしようもない。千葉自身が跳べば、勝てた可能性も無くはないが、その確率は決して高くなかっただろう。なにより、負けて速攻を出されたら、千葉はディフェンスに間に合わない。ならば、仮に相手にボールが渡ったとしても、自分が最終ラインで迎え打てるほうがずっとましだった。


「これは……」

 良野は、トップの位置、スリーポイントラインから一メートルほど離れた所でボールをキープしながら、小さくつぶやいた。

 素早く守備に戻った千葉のチームは、千葉を除く四人が、制限区域のやや外側で正方形を作り、その中央に千葉が位置するというゾーンディフェンスを形成したのだ。

「2‐1‐2?」

 正方形を成している四人は、スリーポイントラインの少し外にいるオフェンスのことは、ほとんどマークしていない。良野に対しても、前衛のひとりが申し訳程度に出てきているが、ディフェンスと呼べる距離ではなかった。

――パスは回せる。

 良野はパス候補をふるいにかけた。ただひとりを除いて。


――センターへのボックス・ワンか。

 制限区域付近でポストアップ(ポジション取り)しようとする高岩の真ん前に立ち、高岩へのパスが供給できないようにしている千葉を見て、国見は悟った。確かに、高岩というビッグマンがいる以上、まずはそこをなんとかしなければならない。千葉は、成条のような学校に、高岩を超えるようなプレイヤーはいないだろうと予想していたかもしれない。そして悔しいが、その予想は当たっている。ただ、負け惜しみではないが、高岩なら、強豪校だって彼中心のチーム作りをしたくなるだろう。

 良野達もボックス・ワンに気づき、インサイドで攻めるのは難しそうだと思っているに違いない。

 そうなると、とるべき手はひとつ。

 単純明快、アウトサイドからの攻撃だ。


 良野は、左ウイングにいた戸田を見た。自分達のショット精度は高いとは言えないが、中を固められているのなら、マークの甘い外から打っていくのがとりあえずベター。何本か入れば、自然とディフェンスは外に出てくるだろう。そうすれば、ドライブも有効になってくるはずだ。

 そう判断し、良野はほぼノーマークの戸田にパスを出した。

――まずは、あいさつ代わりの一本頼むぞ。外すにしても、せめてひやっとさせろ。

 

 パスを受けた戸田は驚いた。ボールを受けたら、そのままシュートしようかと考えていた。だがボールに合わせて、前衛のひとりが、戸田に対して急激に間合いを詰めてきたのだ。その間合いは、腕一本分よりも近い。

「なんだよ急に!?」

 いや、ゾーンディフェンスのセオリーからすれば、ボールマンにプレッシャーをかけるのは当然か。

でも、これだけ前に来ているなら……、

――抜いてやる!

 戸田は右側から左方向へスイープ(ボールを、下半円を描くように振ること)した。そしてボールが体の中心、床に一番近くなったところで急激に右方向に切り返し、そのまま強くボールを突き出し、ディフェンスの右を抜きにかかった。


――ばか! 周りを見ろ!

 国見がそう思った時には、すでに手遅れだった。

 パスを受けてからドライブに入るまでの一連の動作において、不注意にも、戸田は周りを見ていなかった。そのため、千葉がカバーに来ていることに気づくことができなかった。

 戸田は、ドリブルを開始して前を向いた時になってやっと、猛ダッシュで接近してくる千葉の姿を目にすることになったのだ。


「マジかよっ!?」

 戸田は思わず叫んでしまった。

 ドライブのコースは消されている。

 だからパスを探したが、その間に目の前まで来られてしまった。有望そうだった良野へのパスルートも消されてしまった。そして、千葉の鬼気迫る激しいディフェンスに、軽いパニックに陥ってしまった。ついには、為す術なく両手でボールをつかみ、後ろを向いてしまう。ダブルチームをかけられたプレイヤーの最悪のパターンだ。

――くそっ、やべえ、パスができねえ。

 千葉は、戸田の動きに合わせて、パスコースを切りながら、背後からでもボールを狙ってくる。戸田はボールを奪われないよう、懸命に体を入れて抵抗する。が、

「あっ……」

 千葉に意識を向けすぎたあまり、戸田はもうひとりのディフェンスにボールをはたかれ、スティールを許してしまった。


「戻れえっ!」

 良野は自陣に走り出しながら大声で叫んだ。高い位置でボールを奪われると、簡単な速攻を決められる可能性が高くなる。経験者として、当然のごとくそのことを理解しているチームメイト達も、良野の声と同時に走り出す。

 しかし、千葉は速攻を選択しなかった。ボールを奪い、ドリブルで駆け上がろうとした一年を制すると、パスを受け、ゆっくりと前戦へと運んでくる。


――高岩だけをマークするんじゃないのか……。

 不覚にも国見は、千葉のダブルチームを予想していなかった。なるほど千葉にとっては、こちらのアウトサイドショットの精度は未知数のはず。だから前衛に経験者を置き、ますはトップ、ウイングを広くチェックさせる。そしてシューティングゾーンで相手がボールを持ったら、厳しくディフェンスさせる。至極自然なことだ。

 そうしておいて、さらに敵がドライブをすると判断したら、中央の千葉は素早くヘルプに行き、ダブルチームを完成させる。戸田に油断があったとはいえ、奇襲としてはこれ以上ないというくらいにはまった。千葉は個人技ごり押しでなく、思った以上にプランを詰めてきているようだ。

「ふ……」

 国見は、後づけでしか分析できなかったことを苦笑してしまった。

――いくら全国最優秀でも、相手の方が不利なんだ。奇襲を想定できなかったのは俺のミスだな…………にしても……。

 軽いジョギングのような速度でドリブルをしている千葉に、国見の目がくぎ付けになる。たった今したばかりの反省は、すでに頭の片隅に追いやられていた。

――ヘルプに入るタイミングとスピード、ドライブや、パスコースを消す絶妙な位置取り。片鱗を見せてくれるじゃないか。


――くそっ! 今のは油断だ!

 戸田は大きく舌打ちした。ダブルチームが前もってわかっていれば、ボールを取られることはなかった。それだけに、ボールを奪われたことが腹立つ。

――ディフェンスで必ずリベンジしてやる。


――悔しそうだなあ……。

 マッチアップの相手として千葉を待ち受ける、八番のビブをつけた戸田は、悔しさを隠すつもりがないのだろうか、表情にそれが思いきり出ていた。年下にボールを取られれば、悔しがるのも無理はないが、それくらいであんなに悔しがっていたら、この先どうなることやら。

――同じコートの上に立つ以上、先輩後輩なんて関係ねえからな。俺の引退試合だ。一切遠慮はしないぜ。

 千葉はトップから右ウイングに入るようにして、スリーポイントラインに近づいた。

ラインの手前で止まると、少し腰を落として自分をにらみつけている戸田と目が合った。

 千葉はその目をそらさず、ボールを突いている左手の側をほんの少しだけ引いた半身の状態で、ほぼ棒立ちのままドリブルをついた。

 静寂に包まれた体育館に、千葉のドリブルの音だけが響いていた。

「目に物見せてやるぜ」


――え……?

 それは一瞬の出来事だった。

 マッチアップしていた戸田は、身動きひとつできなかった。

 自分の頭越しにコート全体を見た千葉が、その視線を落として、再び戸田と目を合わせる。

 次の瞬間には抜かれていたのだ。


 左手でドリブルしていた千葉は、戸田と目を合わせた瞬間、崩れるように左足を外側真横にスライドさせた。そして、その超低空高速飛行から着地した左足を、床を踏み抜かんばかりに踏ん張った。同時に、右足を左へ、すでに進行方向を向いていた左足のはるか前方へと投げ出すと、その右足が着地する頃にはもう、戸田の姿は、完全に千葉の視界から消えていた。

 ディフェンスをわずか一歩で抜き去り、中央に切り込んで行くにつれて、千葉はさらに加速する。周りは十分に反応できていない。いける。

「うおおおおお!」

「!」

 視野外からの雄叫びに、反射的に千葉の目線が引っ張られる。

「危ない!」

 どこからともなく声が上がった。それでも、千葉は得点のために攻撃を止めることはしない。千葉はフリースローラインとリングのほぼ中間で、高く跳び上がった。

 そして、横からブロックに跳んできた高岩と、空中で激突した。

「くっ……」

 ブロックというよりほとんど体当たりの衝撃に、千葉の顔が歪んだ。

 しかし、鈍い音とともにふっとんだ高岩とは対照的に、千葉は歯を食いしばり、右手を懸命に伸ばし、ボールを直接リングに叩き込んだ。

1-0



「げほっ……」

 千葉はリングを放しコートに降り立つと、ふらつき、膝が崩れそうになった。危なかった。もう少しでボールを離してしまうところだった。 

――右手でダンクいってよかった。まさか、あそこからあれだけ詰められるとは……。

 試合前、千葉はチームメイトにいくつかの指示を出していた。

 そのひとつが、高岩に関してのものだった。高岩にマークされたプレイヤーは、インサイドとアウトサイドの出入りや、左サイドから右サイドへといったサイドチェンジなどを頻繁に行い、千葉のドライブに対する高岩のカバーを阻止することになっていた。

 その思惑通り、高岩がインサイドからスリーポイントライン付近まで引っ張られるのを見計らって、ドライブを開始するまでは問題なかった。

 だが、高岩の機敏さと、ファウルのタイミングでも突っ込んでくる無謀さは、千葉の想定をはるかに超えていた。おかげで、余裕をもって決められたはずのダンクが、左から飛び込んできた高岩に対して、左腕をガードとして用いることで、ようやく決めることができたギリギリのダンクになってしまった。


「おい! 大丈夫か!?」

 国見はリング下に駆け寄った。千葉は大丈夫そうだが、吹き飛ばされ、コートに打ちつけられた高岩は心配だ。他のプレイヤーも倒れている高岩のもとに集まって来る。

「だ、大丈夫です……」

 国見の手を借り、ゆっくりと起き上がった高岩は、立ち上がった時に少しふらついたが、すぐに体勢を直した。

「できるか?」

 国見は高岩の背中を少し強めに叩いた。もうふらつきはなかった。

「問題ありません! ご迷惑をおかけしました!」

 高岩が頭を下げた。

「そうか」国見はひとまずほっとした。「でも、今のはおまえのファウルだぞ?」

「はい! 異論ありません!」

 遅ればせながらと右手を高々と挙げる高岩。生真面目さに、国見は思わず笑ってしまった。

「よし、じゃあ1-0で、千葉チームのスローインから再開だ」

 高らかに再開を宣言したものの、国見の頭の中では、先ほどの千葉のプレイがこびりついて離れなかった。あのスピード、バネ、ボディバランス、あれがつい最近まで中学生だったやつのドライブかよ?

 

――あいかわらずのバカげた身体能力。それに、どうやら腕も錆びついてないようね。

 千葉のプレイを数々見てきた三島に驚きはなかった。体をぶつけられながらの得点は腐るほど見てきた。

――一応、負ける気はないようね。

 三島の視線に気づき、千葉が照れ笑いのようなものを浮かべた。

 三島はそれがすごく気に障ったから、「バカ」という口パクで応えてやった。



「すごい……」

 ギャラリーで言葉を失っていた香織は、弟が立ち上がり、プレイに戻ると、ようやく一言発した。

 千葉のスピード、ジャンプ力、力強いダンク、なにより、いつもははじき飛ばす側の弟がはじき飛ばされるという、これまでにただの一度すら見たことのない光景に、香織のドキドキは止まらなかった。


 

 ゲームは、エンドラインからのスローインで再開した。

 千葉は、トップからボールサイドへのLカット(Lの字にカット――スペースへの飛び込み――するプレイ)を行い、パスを要求した。が、パスのタイミングが遅かったために、慌てて追ってきた戸田にパスをインターセプトされてしまった。

「ちっ」

 千葉はすぐに自陣へと戻った。つられるように、他のプレイヤーも急いでバックコート(自陣)に戻っていく。


 良野は、戸田からボールを受けると、まず速攻も検討した。しかし、千葉の戻りの早さを見て、セットからじっくり攻めることにした。

 オフェンスは前回と同じ。トップに良野、左ウイングに戸田、右ウイングに伊藤、右コーナーに橋本、そしてポストに高岩というフォーメーションだ。

――今回は簡単に失敗するわけにはいかない……。

 良野がスリーポイントラインに近づくと、左前衛のディフェンスが出てきた。良野は、フリーになった左の戸田にパスをした。フリーならば、やはり戸田が第一オプションだ。


パスに合わせて、再び左後衛が戸田に寄ってきた。

――今度こそ!

 戸田はディフェンスが近づくタイミングを見計らって、ショットフェイクをした。後衛の、バスケ初心者である一年が、ショットを防ごうと慌てて片手を挙げてジャンプする。戸田は、ディフェンスが必死に跳び上がるのを横目に、その右脇をドリブルですり抜けた。

こ れなら間に合う。戸田は落ち着いて千葉の動きも確認し、三歩でストップし、ジャンプショットを放った。

――入れっ!

 しかし願いは虚しく、戸田の放ったショットはリングにはじかれてしまった。

「ちっ!」

「リバアァン!」

 高岩の声とともに始まったリバウンド勝負は、高岩が勝利した。千葉が完全に高岩の前に立っていたために、高岩が簡単にスクリーンアウト(リバウンドをするためのポジション取り)をできたのが大きかった。千葉はポジションを奪おうといろいろと試みていたが、高岩の敵てばなかった。

 高岩は、ボールを肩より下には下げず、すぐに再び跳び上がり、ダンクを叩き込んだ。ショットが外れた戸田の嫌な気分を吹き飛ばすような派手なダンクだ。

「あいかわらずとんでもねえ野郎だ」

 高岩は、練習の時から、いけるとなると常にダンクをかましていた。だが、それでも二本連続でダンクによる得点という、これまでの成条高校バスケ部にとってはありえなかった展開に、観戦していた部員達からはどよめきにも似た歓声が上がった。

 1―1



――やっぱ、リバウンドは相当分が悪いな……。

 千葉チームのメンツでは、多少遠くに落ちるボールでも、根こそぎ高岩に持っていかれてしまうだろう。体格、身体能力にくわえ、それぐらいリバウンドがうまい。

――まあ、覚悟はしていたけど。にしても……。

 千葉は忌々しく高岩をにらみ、小さくつぶやく。

「期待を裏切らないセンターっぷりだよ」

 ボールを受け取った千葉は、気持ちを切り替えるために、少し遊びを入れたドリブルを始めた。そのままゆっくりと前線へと上がっていく。

「寄ってるねえ」

 千葉がフロントコート(敵陣)へ入ると、ディフェンスが一斉にコートの中央に寄った。千葉はオフェンス時の全員への指示として、基本的には外に開き、中にスペースを作るように言っていた。しかしその指示の効果は、さっきのプレイでなくなってしまったようだ。バスケ部からすれば、その分だけ自分のマークマンとの距離が空いてしまうことになるのだが、どうやらそんなことはおかまいなしらしい。

 千葉はドリブルでトップに入り、左ウイングでほぼノーマークとなっていた一年にパスをした。

 パスを受けた一年は、バスケ経験者と言っていたが、緊張しているのか、あるいはパススピードが速すぎたのか、ファンブルしてボールを前に落としてしまった。

 彼のマークマンである良野は、一瞬ボールを獲りにいく素振りを見せたが、距離が空いていたのが幸いし、行動には移さなかった。

 千葉はトップの位置から、戸田の背後をとるようにリングに向かう動き、バックカットを行った。

「ちっ……」

 戸田が千葉を追いかけようと、ボールマンに背を向けながら、千葉と同じようにリングに向かう動きをする。

 千葉はフリースローライン付近をすぎた位置で急ブレーキをかけ、急反転し、再びスリーポイントラインの外へと向かった。戸田が、最初のカットよりもはるかに小さいタイムラグでついてきた。当然だ。スピードを調整して、あえて振り切らないようにしていたのだから。

 スリーポイントラインの外でパスを受けると、千葉はギアを一気に上げた。ボールを受けた時に出した左足を軸にターンしてリングに向き、一瞬だけ相手との間合いとタイミングを見計らい、ジャブステップ、右足を小さく右前方に踏み出し、ドライブすると見せかける。

 うっ、という声にならない声とともに、戸田が後ろに大きく一歩を出した。

 その足が着地した時にはもう、千葉はショット態勢に入っていた。

 千葉の右手から放たれたボールがゆるやかな弧を描き、リングに吸い込まれていく。

 観戦していた部員達からどよめきが起こった。

 3―1



 国見は、スリーポイントショット(このゲームでは二点)の成功を示すジェスチャーをしながら、千葉の能力の高さにただただ驚いていた。

 アウトサイドショットの、セットからボールを放つまでのスピードや、その正確さが、高校レベルでは群を抜いている。

 しかしなによりも驚いたのが、千葉がボールをもらうために行った、カットプレイからフェイントまでの、一連の動きにおける緩急のつけ方だった。

 さっきのプレイで、千葉と戸田の動作は美しいくらいにワンテンポずれていた。その証拠に、戸田は千葉のショットに対して、チャレンジショット(手を伸ばし、千葉のショットにプレッシャーをかけること)すらできなかった。

 フェイントを成功させるのに最も大事なことは、相手をデフェンスにか(、、、、、、、、、、)かりやすい状態にする(、、、、、、、、、、)ということだ。

 カットプレイでボールをもらいに行く時、普通はトップスピードで行う。ディフェンスも、経験的にそれが体に染みついているから、敵のボールをもらいに行くスピードを、そのプレイヤーの最高速であると無意識に認識する。必然的に脳は、相手の次の動作も、そのスピードを材料に想定することになる。

 だから、相手の次の動作が、その想定を上回るスピードだと、脳は驚く。

 そうして焦った脳は、想定外の動きに対応しようと、次の動作を全力、フェイントに対応できなくなるほどのパフォーマンスを、体に要求してしまうのだ。戸田の動きでいえば、ドライブに対応しようと、後ろに一歩下がった動作がそれである。

 フェイントの〝型〟は、練習を重ねれば、誰でもある程度形になるが、緩急のつけ方となるとそうはいかない。明確な指標がないし、有効なタイミングが紙一重であるため、そもそも完璧に決めること自体が容易ではない。

 完璧なフェイントができるということは、千葉が莫大な量の活きた練習を積み重ねてきたことに他ならない。


「ゆっくり!」

 フロントコートに入った良野は、味方を落ち着かせるように言い、戸田にパスをした。

「動かせっ」

 良野が腕を振って、積極的にパスを展開するように指示する。

(それでいい)

 国見はその様子を見て静かにうなずいた。

 ゾーンディフェンスに効果的なのは、速いパス回しとギャップ、つまりディフェンス間の隙間をつく飛び込みだ。そうやって揺さぶることで、ディフェンスの陣形が崩れ、オープンスペースも生まれるのだ。相手が組んで間もない、初心者も含むにわかチームならなおさらである。いくらでもショットチャンスを作れるだろう。

 ボールは左ウイングの戸田から、左コーナーの橋本に渡った。

 橋本は戸田にボールを戻し、エンドライン沿いに逆サイドへ走って行く。

 戸田にボールが渡ると、トップにいた良野がハイポスト(フリースローライン付近)に飛び込み、右前衛を引きつけた。戸田が、その良野の頭を越えるようなパスを、逆サイドでワイドオープン(完全にノーマークの状態)になった伊藤に送る。いいテンポだ。

 ボールを受けた伊藤は、すぐさまショットを放った。

「リバーーーン!」

 高岩の声とともに始まった二度目のリバウンド勝負は、最初の時よりも接戦になった。

 高岩と千葉の真上に落ちるボールをめがけて、両手でそれを取りにいった高岩に対して、千葉が懸命に片手を伸ばして跳び上がる。その片手の分だけわずかに高岩の上をいき、千葉がボールをはじいた。

 だが、同じくリバウンドに入った橋本が、こぼれ球の確保に成功した。

 ボールをつかんだ橋本は、密集を嫌ったようだ。そのままショットを打たずに、外でフリーになっていた戸田へパスをした。

 戸田の放ったスリーポイントショットは、あまり弧を描かない、きれいな軌道のものではなかったが、リングにぶつかりながらもその内側に落ちていった。

戸田が、練習でも見せたことのないような力強さで拳を握りしめた。

 3―3



(くっそぉ……覚悟していたとはいえ、こうもディフェンスリバウンドが取れないと、さすがにイラっとするな……)

 一般に、ディフェンスとオフェンスのリバウンドでは、オフェンスとリングの間に体を置くディフェンスの方が有利だ。千葉には、これまで試合において、自分のマークマンに二回連続でオフェンスリバウンドを取られた記憶がなかった。リバウンドの重要性を充分認識している分、余計にフラストレーションが溜まる。

(……まあ、今のところプラン通りだけどさ)



(さあ、次はなにをやる?)

 わくわくする。ドリブルしながらフロントコートへと上がって行く千葉を、国見は熱烈な好奇心とともに見守った。

 ディフェンスリバウンドにくわえ、オフェンスリバウンドも期待できるとなると、断然こちらが有利になる。単純に、攻められる回数が増え、守る回数が減るということもあるが、なにより、心理的要因の大きいアウトサイドショットを、精神的に余裕をもって打てるというのが大きい。言葉は悪いが、こちらは下手な鉄砲数打ちゃ当たるでいけるのだ。

 それは反対に、千葉には一本も外せないというプレッシャーがのしかかることも意味する。

 これは、どんなショットの名手の手をも狂わしうる、まさに呪いのようなものだ。

 さらには、今は対応しきれていない戸田だって、ディフェンスを重ねれば、多少は相手の動きにも慣れてくるだろう。

 これらの要素は、ゲームが進むほどに大きな効果となって現れてくるものだ。

(千葉よ、果たしてこのままの得点力を維持し続けられるかな?)



 戸田と対峙した千葉は、ドリブルしていない方の手で自分の肩を触った。

 あらかじめ決めていたサインを見たウイングの一年が、思い出したようにピック・スクリーン(ボールマンへのスクリーンプレイ――対象プレイヤーのデフェンスに接するように立ち、そのデフェンスの動きを阻害するプレイ――)を仕掛けに行く。

「スクリイイイン!」

 その一年にマッチアップしていた伊藤が、慌てて千葉のマークマンである戸田に声を上げた。

「え……? あ!」

 戸田がスクリーンを確認するために、視線を千葉から離した。

 千葉は素早くボールを額の前にセットし、跳び上がった。

「マジかよ!?」

 目を戻した戸田が、慌ててチャレンジショットをしにくる。が、もう遅い。ワンテンポずれている上に、こっちはクイック。どうしても止めたいのなら、ファウルを割り切って体ごと突っ込むくらいでないと。まあ、それでも決めてみせるけど。

 5―3



「またかよ!」

「連続スリー……」

「うめえ……!」

「信じらんねえ!」

「むう……これほどとは……」

 千葉は束の間感傷に浸った。ものすごく久しぶりだ。この、コートの内外から出る驚嘆の声。面白いのは、一口に驚嘆の声といっても、プレイの種類で反応も変わることだ。ここで打つのかっていうショットは、打った瞬間にえっというような小さい声が上がり、どよめく。これがドライブだと、ショットが決まるまでは声が一切出ず、決まったあとで一気に歓声が上がる。どちらも試合中はほとんど気づかないが、あとで試合を見返すと、けっこうはっきりパターンがわかれている。

 ショックなんだろう、敵のプレイヤー達が、なんとも言えない重苦しい空気をまとって上がってきた。

しかし、千葉にとっても、ここまではほぼプラン通り順調に試合が運んでいたが、相手の虚を突き、自分のペースでショットを打てるのはおそらく次まで。

 しかも次のは、成功する確率がグッと下がる。

 そしてそれ以降は、作戦もなにもない、強引さを必要とする真っ向勝負になる。

 千葉は、この試合は自分で全得点を上げるつもりでいた。それは、決して自信からの決心ではない。

 バスケと決裂するためのけじめだ。ここで勝ちきれば、バスケに対してミクロの未練も残らないだろう。今後、誰かと真剣勝負をしようという気も起きなくなるはずだ。

 だからこそ、俺が十点取るんだ。五人を相手に、一人で得点していくには、選択肢がかなり限られる。なにより、リバウンドがこの有様であるから、毎回必ず得点しなければ厳しい。

 それでも、千葉の頭には勝つことだけしかなかった。

 なぜなら、これだけの不利な状況にあってなお、自分の負ける姿がまったく想像できないから。


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