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TIP OFF  作者: なかお ゆうき
4/8

果し状

 四月も二週間を過ぎると、成条高校には早くも浮ついた雰囲気は無くなり、新入生勧誘もすっかり下火となっていた。

 そんな中バスケ部では、少々物足りないが、高岩を含め九人の一年生が加わり、初々しい活気に溢れていた。例年に倣い、この先、途中で辞める者が出てくることを考えると、決して多いとは言えない。だが、半数近くが帰宅部になってしまうこの学校では、これだけ集まれば上出来といったところか、と、高岩は先輩達から聞いていた。

 しかし、高岩にはそれよりはるかに気になることがあった。

「いつ来るのだ?」

 練習後、フロアをモップがけしながら、高岩はつぶやいていた。全中優勝の男は、なぜいまだに姿を見せないのだろうか?

「そうだよなあ、もう仮入部期間も終わったし。どうしたんだろうなあ」

 良野が高岩の独り言に答えた。

「あ、これは先輩殿、聞かれていましたか」

 高岩は失礼のないよう手を止め、姿勢を正した。

「ああ、すごく良く。近くにいたからな」

「あ、こ、これは失礼しました……」

「まあまあ。いや、確かに俺も思ってたよ。どんだけすごいのか見てみたいし」

「いやあ、入るつもりないんじゃないですか? やるなら、やっぱ強いとこ行くでしょうし。うちに来た時点で、もうやるつもりなかったんすよ」

 戸田が話に加わった。高岩や良野と違い、あまり残念そうではない。

「そ、そうでしょうか? 全国で優勝するほどの人が、簡単にやめられるものでしょうか?」

「簡単かどうかはわかんないじゃん。なにか大きな理由があるのかもよ?」

「大きな理由ねえ、確かに……」

「……自分は納得いきません」

「高岩ちゃんは純だからなあ。あるいは、単純にやり過ぎて飽きただけかもしれないし。一応頂点は極めたんだし」

「それこそ納得いきません!」

「おいおい、そんな熱くなるなよ。例えばの話だよ」

「あ、す、すみません……」

「見境ねえなあ……あ!」戸田がなにかを思いついたように手を叩いた。「怪我は!? そうだ! 膝とかやっちゃって、もうできないんじゃないの?」

「け、怪我……?」

 確かにそれなら……。高岩は反論が思い浮かばず、急激に気持ちが落ち込んだ。

「うーん、そういう理由なら、雑誌に載ってるんじゃないかなあ?」

「! そ、そうですよね!?」

 なるほど、その通りだ。高岩の気持ちが再び高まった。

「ま、なにかあるにせよ、一度聞いてみるか。そうすればわかるさ」

 わずかな間無言が続いたところで、良野は言った。

「あ、それなら自分が聞いて参ります! なんという名でしょうか?」

「お、そうか、えっと…………なんだっけ? 戸田、覚えてる? そっか。なあ、岸! あの噂の一年、名前なんだっけ?」

 良野は、少し離れたところで遊んでいた岸に、声を張り上げて聞いた。岸も同じように大声で答える。

「千葉ですよ! 千葉隼人!」

ーー千葉隼人!?

 高岩は自分の耳を疑った。

「そ、それは本当ですか!?」

「え、ああ、うん。そうそう、千葉隼人君……ん、どうした高岩?」

ーーなにが、体が弱いだ……。愚弄しおって……。

 高岩にとって、愛するバスケットボールのことで不誠実な態度をとられることは、なによりも耐え難い屈辱である。

「おい、どうしたんだよ?」

 戸田が不思議そうに尋ねる。

「……い、いえ、わかりました。明日にでも聞いて参ります……」

「お、おう、まあ頑張れよ……」

 高岩は取り乱さないよう我慢するのが精一杯で、それ以上何も言うことができなかった。



              * * *



ーーん?

 翌日、教室に入った千葉は、すぐにその異変に気がついた。

ーーなんだ、この重い空気は?

 そして高岩を見て納得する。

ーーあれか……。

 険しい顔で目をきつくつむり、歯をぎりぎり言わせ、体を小刻みに震わしてそこに留まっている様は、まさに限界ぎりぎりまで空気を入れた風船といった感じだ。いつ爆発しても不思議ではなさそうである。

ーーなにがあったか知らんが、えっらいキレてんじゃねえか。近づきたくねえなあ。

 いまだかつて、これほどまでにその場を立ち去りたい衝動に駆られたことがあっただろうか。しかし千葉は、別に自分がなにかをしたわけではないと強く自分に言い聞かせ、席へと向かった。

ーーそのままずっと目を閉じていてくれよ……。

 だが、その願いは虚しくも打ち砕かれた。高岩が急に目を見開き、千葉を向いた。

「千葉あああああ!」

「えっ!」

ーー俺えええええ!?

 四階中を突き抜けんばかりの怒鳴り声とともに、勢いよく立ち上がった高岩は、クラス全員が恐怖に戦き行方を見守る中、憤怒の表情で千葉の眼前に立ちはだかった。

「……俺を愚弄したな」

 高岩の口から、底知れぬ低い声がにじみ出てきた。

「ちょ、ちょっと待てって!」

 千葉はとっさに両手を突き出し、距離をとった。なんでこいつはこんなに怒ってるんだ? まったく心当たりがないのが、千葉を余計不安にさせる。

「いや、待たん! ただではおかんぞ!」

 高岩が千葉の手を払い、胸ぐらをつかんだ。教室の所々で女子の小さな悲鳴が起こる。

「待て、待てって! 話し合おう! なにか誤解があるって! なっ! せめて、その拳を振り上げる前に、わけを聞かせてくれよ! なっ!」

「む……ご、誤解などない!」

ーーお、なんか勢いが少し落ちた。よ、よし……。

「そ、それに、ここじゃ周りの迷惑になるし、あとで場所を変えてにしませんか?」

 バカ真面目だから聞き入れてくれるかもしれない。とりあえず引き延ばし、その間になにか対策を考えよう。

「……いいだろう」

 高岩は手を放した。

ーーやった……。

「まあ、少し頭を冷や……」

「ついてこい!」

「え?」

 高岩は言ったきり、千葉の返答も聞かず、廊下に向かって歩き出した。それと同時に、他クラスの生徒で塞がっていた出口が開き出した。

「……今から?」

ーーさっさと行っちゃったけど、あれでついて行かなかったら、余計怒るんだろうな……てか、授業サボる気か?

 千葉は、行きたくないのと、これ以上刺激したくないという葛藤に苛まれたが、結局ついて行くことにした。



「入れ!」

 壊れるんじゃないかというくらい激しい音とともにドアが開かれ、千葉は無人の室内へと連れ込まれた。

高岩はドアを閉め、ご丁寧に鍵までかける。

ーーこいつ、マジで俺を血祭りにあげる気じゃ……。

 短い間ではあるが、千葉は高岩の実直な人となりを知っていた。だから、殴られることはないだろうと高をくくっていた。が、今その自信が音を立てて崩れていく。

 しかしその不安とは裏腹に、高岩は殴りかかってはこなかった。そしてさっきよりは幾分落ち着いた様子で口を開いた。ただ、その声からは、高岩の怒りが収まったわけではなく、必死に冷静さを保とうとしているだけなのが、ありありと伝わってきた。

「膝は……体育であれだけ動いているんだ。故障しているとは言うまい」

「え?」

「ここが……ここが、おまえが嘘をついてまで避けているバスケットボール部の部室だ」

「あ……」

「監督、先輩方、俺だって、おまえにはすごく期待していたんだ。それを…………きさまは愚弄した! なぜあんな嘘までついて避ける!? バスケットボールを愛しているんじゃないのか!?」

ーーなるほど、そういうこと。おまえらしいよ、このバスケバカが……。

「全中のことを聞いたんだ。こんな学校でも、知ってる人は知ってるんだな。で、その先輩方はなんて言ってる?」

「なに? だから、全国で優勝するほどの男はどんなプレイを見せてくれるのか、チームの一員になったらどれだけ頼もしいことかと、おまえが来るのを楽しみにしている」

「なるほど……」

 千葉は先輩からの勧誘を懸念した。いや、それより今はこいつか。

「まあ、嘘をついたのは悪かったよ。でも、それはバスケを愛しているおまえを気遣ってのことなんだ」

「なんだと? それはどういうことだ?」

 高岩の怒りのトーンが少しだけ下がった。慎重に言葉を選びながら続ければ、そのまま怒りを静めてくれるかもしれないという淡い期待が、千葉の中に芽生えた。ただ、まずい方向へと向かいそうではあるが。

「まあ、その、なんて言うか……。中学時代、それはもう必死に練習して、まあ、最後の年に全中獲れたわけだけど、そしたら……」

「なんだ?」

 高岩が早く言えと言わんばかりに言葉をぶつけてくる。

ーーこれ、こいつに言っていいのかなあ……。

 千葉は、これから言おうとしていることが、高岩には受け入れがたいものではないかと不安を感じた。しかし、他に言いようもなかった。

 千葉は緊張気味に続ける。

「自分の限界が見えたんだよ。そしたらさ、もうバスケへの熱意がなくなっちゃったんだよ」

 千葉の予想通り、高岩が信じられないといった様子で目を見開いた。

「なに? そんなバカな! もう成長できないというのか? より高いレベルに身を置き、日々研鑽を積めば、いくらでも成長できるはずだ! おまえは、全中制覇で終わっていいのか?」

「成長しても、届きゃなきゃ意味ねえよ……」

 千葉はぽつりと言った。

「どういう意味だ?」

「別に、ただ本当に悪いけど、俺のバスケは終わったんだ。頼むからそっとしておいてくれ。俺の自由だろ?」

「し、しかし……バスケをやりたい気持ちはあるんだろう?」

「いや、もう半年近くやってないけど、そんな気持ちは出てこないな。最後の方は、やるのも苦痛だったし」

「まさか……」高岩は数秒言葉を失う。「嘘だろ?」

「いや、本当だよ。部活にもこんな気持ちの人間は入れない方がいいだろ? じゃあ、まあ、そういことだから」

 千葉は、呆然としている高岩を置いて部屋を出ようとした。

「待て!」

 千葉はびっくりして思わず足を止めてしまった。あの吹っ切れたような力強い制止、嫌な予感しかしない。おそるおそる振り返ると、高岩が、なにかを決意したような強い眼差しで千葉を見つめていた。

「おまえがどんな壁に直面したかはわからない。限界が見えたとまで言うのだから、とてつもなく大きな壁なのだろう。しかし、俺は、お前ならその壁を越えられると信じている。そして、バスケットボールへの情熱を失ったというのなら、俺が思い出させてやる!」

「はは、思い出させるって、どうやって?」

「俺と、いや、バスケットボール部と勝負しろ」

「勝負? そっちが勝ったらバスケ部へ入れってか?」

「いや、どっちが勝とうが、千葉にバスケットボールへの情熱が戻らなければ、入部しなくていい。そして俺も、もう何も言わん!」

「へえ、全国大会でもダメだったんだぜ?」

「過去は過去だ! 成条高校バスケットボールが、全身全霊をかけてバスケットボールの素晴らしさを思い出させてみせる! だから、おまえも全身全霊ぶつかってこい!」

「はっ」千葉は思わず笑ってしまった。「いいね! その勝負が俺の引退試合になるわけだ! おまえらをぶっつぶして、正真正銘バスケを引退してやる」

「決まりだな」



              * * *



 体育館が使えないこの日、バスケ部は地下のトレーニングスペースで筋トレをしていた。

「勝負だあ!?」

 戸田はその言葉を大声で繰り返した。一緒に聞いていた良野が、驚いて戸田に顔を向けた。

「おお、なんだ、なんだ?」

 高岩を含めた三人は隅で話していたが、戸田の声があまりに大きかったため、筋トレをしていた部員も手を止め、次々と集まってきてしまった。

 戸田はかまわず続ける。

「なんでそんなことを勝手に決めてくんだよ! やるならひとりでやりゃあいいだろ? なんで俺達まで!」

「で、ですが……自分は部で一丸になってこそ……」

「それなら、なぜ前もって言わない? それが筋じゃねえか?」

「う……。そ、それは、自分が未熟でした……。熱くなってしまい……」

「はあ? やるなら、おまえひとりでやれよ! 俺らを巻き込むな!」

「そ、そんな……」

 高岩が直立不動のままうなだれた。

 それまで黙っていた良野は、落ち込む高岩の腕を慰めるように叩いた。

「まあまあ、戸田。確かにいきなりだけど、別に突っぱねることもないんじゃないか?」

「先輩!? やるんすか!? 一年が勝手に決めたことっすよ!?」

「別に、高岩はそんなつもりじゃないだろう。今回は結果としてそうなるかもしれないけれど、俺は悪い気はしないな。そんなに責めるなよ」

ーー高岩はいいんだよ! 問題はその男だよ! 高岩はセンターだし、どうせマッチアップは俺なんだろ。全中優勝なんて…………恥かくだけだ。

「ちょっとお、先生いないからって、なにさぼってんのよ!」

 三島とともに、遅れてトレーニングスペースにやって来た山原の大声に、全員が一斉に振り向いた。

「あ、いや、これは、実は……」

 良野が事情を話した。戸田は、話を聞く山原の眼が、みるみる輝いていくことに不安を募らせた。

「いいじゃない! おもしろそう! ビシっと打ち負かしちゃいましょ!」

 話を聞き終わった山原は、力強く言った。戸田の背中に嫌な汗が流れる。

「いや、でも、山原さん……そんな、一年が勝手に決めたことにいちいち付き合っていたら、先輩としての示しが……」

 試合をしたくないという気持ちが、必死に拒否する理由を探す。だが、山原は微塵も揺らいではくれない。

「なに言ってんの? そんなのどうでもいいわよ。いや……そうよ! 試合で示しをつければいいじゃない! あんた、負ける気がしないって言ってたよね? それを証明しなさいよ!」

「確かに」

「ああ、言ってたねえ」

 良野と岸がおもしろそうに同意する。

「それは頼もしい! これでマッチアップは決定だな!」

「全中優勝を相手に強気だねえ」

「なんか、俺、楽しみになってきた!」

 他の部員達からもからかい半分の歓声が上がった。まさに四面楚歌。周りもすっかりその気になってしまった。 

「ほら戸田! まだぐだぐだ言うつもり?」

 部員達の言葉を代弁するように、山原が戸田にダメ押しをかける。

「いや……」シャンプーの匂いがわかるくらいに、山原に顔を近づけられ、戸田の心拍数が急上昇する。「お、俺は別に……」

「もお、しっかりしなさい! うちのエースなんでしょ!? やるの? やらないの? YES OR YES!?」

ーー選択肢ねえじゃん! ちきしょう、なるようになれだ!

「やります! やりゃあいいんでしょ!」

「よろしい、それでこそエースよ!」


ーーまたこの感じ……。

 バスケ部が作る輪の一番外側で、三島は人知れず苦々しい表情をする。

「なによ……」

 苦い記憶が甦り、三島は思わず拳を強く握りしめた。



               * * *



「薫ー」

 下校途中、高岩が声に振り向くと、双子の姉である香織が、笑顔で小さく手を振っていた。

「薫も今帰り?」

「ああ」

 高岩は無愛想に答えた。そんな高岩とは対照的に、香織は明るく続ける。

「わたしも! 帰りが同じになるのは初めてだね。学校でもほとんど顔を合わせることないし。中学の時とは大違い」

「そうだな」

 高岩は、たとえ姉弟でも、女性と一緒に歩くのが気恥ずかしかった。周りが気になって、香織をまともに見ることさえままならない。しかし、久しぶりに姉弟で帰れることを喜んでいるのか、香織は高岩の態度に不満を見せた。

「なによー、せっかく久しぶりに姉弟で帰るんだから、もっとしゃべりなさいよ」

「む……すまん。いろいろあって……」

「へえ」香織が目を丸くした。「珍しいね! 薫がそんなこと言うなんて。なになに? お姉ちゃんが聞いてあげるわよ?」

 いたずらっぽい笑みだ。お姉ちゃんが、と言う時にいつもする顔だ。

「な、なにが姉だ! たまたま先に……」

「いいから、いいから、言ってみなさいよ。ふふ」

  姉弟のお決まりのパターンになってしまった。もはや抵抗しても無駄か。

「むう…………実は今日……」



              *  * *



「おい、嘉人。練習付き合ってやる」

「え?」

 夕方、嘉人が学校から帰るとすぐに、千葉は弟をバスケに誘った。バスケ歴六年、嘉人にとっては四年目で初めてのことだ。さぞ驚いただろう。

「な、なに? どうしたの急に?」

「いいから、行くぞ」

 千葉は嘉人の質問には答えず、代わりにその背中を押してせかす。

「え、今から?」

「ああ、早くしろ。茜が帰って来たら面倒だ。今日から四日間だけ付き合う」

「……なに、その限定?」

「いいから、早く!」


「よし、誰もいないな」

 千葉の家の近くにある高速道路の高架下には、人口の芝生を敷いた公園や、小さな噴水のある広場のほかに、金網に囲まれたバスケットボールのコートもある。夕方の五時に鍵がかかるため、もう中には入れないのだが、千葉は金網のへこみに足をかけ、多くの悪い先輩達が踏みならして築き上げた歴史ある金網のハシゴを苦もなく登った。

 中に降り立った千葉に続いて、嘉人も、三メートル以上ある金網を乗り越えた。

「ほら」

 片方のスリーポイントラインまで行くと、千葉は嘉人にボールを渡し、ディフェンスする低い姿勢を取った。

「一対一?」

 夢だとでも思っているのだろうか。まだどこか唖然としている嘉人が尋ねた。

「練習つけてほしいんだろ? これが一番手っ取り早いじゃねえか。ほれ、さっさと始めようぜ」

 千葉は手を叩いてせかした。変に突っ込まれて聞かれるのは面倒だ。

「よし……」

 ようやく嘉人の顔つきが変わった。嘉人は、やや広めにスタンスをとった、ボール保持時の基本姿勢であるトリプルスレットから、左に一回ボールを振った。

ーーフェイントか。

 千葉が反応をするのを見て、嘉人は逆方向にボールを振り、右へのドライブを開始した。

「見え見えだよ」

 ブランクがあっても、これくらいはついていける。千葉は大きくクロスステップし、嘉人のドライブをフォローした。

 嘉人がバックステップで距離をとった。

 千葉は思わず口を開いた。

「フェイクがフェイクの動きになってるな」

 嘉人はドライブの機会をうかがい、小刻みに肩を振っているが、千葉はかまわずしゃべり続ける。

「プレイをあらかじめイメージするのはいいけど、ただそれを再現するだけなのは良くないなあ。計画半分、アドリブ半分だよ」

 千葉はアドバイスをしながらも、小刻みにショルダーフェイク(肩を揺さぶってドライブすると見せかけるプレイ)をする嘉人の動きを読み、細かいスライドステップで出足を確実につぶしていく。

「もちろん、逃げのアドリブじゃなくてだぞ?」

 萎縮し、いくら千葉を警戒しているとはいえ、出足を塞がれると簡単にバックステップをしてしまうのは不甲斐ない。バックステップに合わせて距離を詰めたら、簡単にスティールできそうだ。きれいには抜けなくとも、強引に突っ込めば、なにかしらの突破口が開けるかもしれないのに。実際、試合ではそういうケースは多い。

「おい、いつまでそれを繰り返すんだ? 少しは強引に行ってみろよ」

「くっ……」

「おっ」

 きっと口を結んだ嘉人は、強引に千葉の左側を抜きにかかった。千葉は両手を広げて併走する。

 体をあずけながら切れ込んできた嘉人は、ミドルポスト付近で外側の足を大きくスリーポイントラインの方へ投げ出した。そしてその足に体を素早く引き寄せながら、嘉人はショット態勢に入った。

「おい、また、逃げ……おっ」

 千葉は、消極的と言えないこともない嘉人のプレイ選択を嘆いた。が、そのステップバック・ジャンプショットから放たれたボールが、きれいな放物線を描き、リングに吸い込まれたのを見届けると、不覚にも言葉を失ってしまった。

「ちっ」

 一瞬の感嘆から我に戻った千葉は、悔しさに顔をゆがめた。油断していなかったら、絶対に止められた。

「どうだ!?」

 嘉人が珍しく語気を強めた。

「まあ、ショットは悪くないけど……」千葉はボールを拾いながら答えた。「それ以外はボツだな」

 嘉人はなにも言い返えさなかったが、思い切り不満の表情を浮かべた。

「さ、ディフェンスしろ」千葉はボールを無造作に嘉人に投げ渡した。「少しは感覚取り戻さなきゃいけねえんだ」

「え、なに?」

 嘉人は受け取ったボールを投げ返しながら聞く。

「なんでもねえよ」千葉は棒立ちのままドリブルを開始した。「行くぞ?」

 しかし、まさにドライブに行こうとした瞬間、思わぬ邪魔者が現れた。

「おーい、わたしも入れろお!」

「あねき……」

「ちっ、見つかったか」

 ふたりが声の方を見ると、茜はすでに金網を登っていた。

「おい、大丈夫なのかあいつ?」

 登り方がぎこちない。

「さあ……」

 千葉の心配をよそに、茜は金網のてっぺんまで登ると、ぶら下がり、ためらうことなく飛び降りた。

「あにき! ついにやる気になったな!」

 全速力で駆け寄ってくる茜は、とてもうれしそうだ。

「そんなんじゃねえよ……」

「じゃあ、なによ?」

「うっ……嘉人がどうしても練習見てくれって言うから……」

「あ、なんだよそれ? あにきが誘ったんじゃん!」

「ちっ…………合わせとけよ……」

「まあまあ」茜はなだめるように千葉の肩を叩いた。「とにかく、バスケをする気になったのは大きな前進よ」

「……」

 その後、千葉は鬱憤をプレイにぶつけた。黙って感覚を取り戻す作業に専念することにした千葉は、一対二ながら、特にオフェンス時には、文字通り手も足も出させず、妹達を大いに悔しがらせた。



             * * *



「三島……」

 翌日の放課後、千葉が下校しようと廊下を歩いていると、三島が立ちはだかった。ただならぬ剣幕で千葉をにらんでいる。

「ちょっといい?」


「なんだよ?」

 屋上に出るドアの前まで来ると、周りに人はいなくなった。三島は千葉を振り返ると、腕を組んで静かに口を開いた。

「あんた、バスケ部と勝負するみたいね?」

「え、ああ……そうみたいだな」

「なんで?」

「え? なんでって…………不満なのか?」

 意外だ。茜のように、自分がバスケをすることを喜び、暑苦しい、うざったい歓迎の言葉を聞かされると思っていたからだ。

「ええ、そうよ!」三島の声が大きくなった。「バスケが嫌になったんじゃないの!?」

「……そうだよ」

「じゃあ、なんで勝負なんて受けるのよ?」

「なんでって言われてもなあ」千葉はばつが悪くなる。「というか、なんで怒ってんの?」

「うるさい! いいから答えろよ!」

 ずっとイライラしていた三島の顔は、今やどうかすると泣きそうにも見える。千葉の困惑が大きくなる。

「な、なんだよ? えっと……その、流れというか成り行きというか……。俺だって、そんなつもりはなかったんだけど……」

「なによそれ! まったく答えになってない!」

 三島が千葉に詰め寄る。千葉は壁際に追い詰められた。

「そんなこと言われても…………断れそうな空気じゃなかったんだよ」

「嘘! あんた、そんなタマじゃないし!」

 三島がブンブンと苛立たしげに頭を振る。

「ま、まあ、引退試合だと思えば、ちょっとくらいいいかなって。それに、高岩っていうバスケバカが少しおもしろそうだったから……」

「やっぱり……」

 三島はつぶやいた。

「ん、なに?」

「なんでもないわよ!」

 怒鳴り、三島は階段を下りていった。

「なんだよ……」

 千葉には三島がなぜイラついていたかまったく理解できなかった。だが、頭痛の種がひとつ増えたことだけはなんとなくわかった。



――あいつは、いつも悪気もなく私のブライドを傷つけやがる。

 小一からバスケをやっていた三島は、バスケでは千葉の先輩である。

 小三で千葉が同じチームに入ってきた時、当然ながら、バスケのスキルは三島の方が上だった。上達が早かった千葉は、間もなく三島と同等のレベルにまでなるのだが、それでも、小学校の間は、千葉に技術的なアドバイスができた。そして、千葉もそれに耳を傾けた。

 中学生になると、完全に男女別の練習となったこともあって、千葉とバスケの話をする機会はめっきり減った。

 そして、気づいたときには、千葉の眼中にバスケットボールプレイヤーとしての三島はいなくなっていた。

 それを痛感したのは、中一の五月、千葉が初めて練習試合に出た時のことだった。

 たまたまその試合を見ていた三島は、試合中、千葉のオフ・ザ・ボール(ボールを持っていない状態)時の動きに、気になる点を見つけた。その日の帰り道、そのことを千葉に伝えた。小学校の時と同じように、そこから熱い議論に発展するものだと思っていた。

 だが、期待していた議論は一瞬で終わってしまった。いや、始まりすらしなかった。気のない返事と、どこか上の空のお礼。ふたりきりの帰り道、三島はいたたまれなくなって、学校に忘れ物をしたと嘘をつき、その場から逃げるように立ち去った。

 以来、千葉にバスケのアドバイスができなくなった。

 三島は、半年以上前から何回も、千葉にバスケを続けるよう言ってきた。しかし、効果はなかった。

 それなのに、高岩の誘いには乗った。

 違いはたったひとつ。

 バスケットボールプレイヤーとして魅力があるかないかだ。

――悔しい…………でも、

「あいつがバスケを続けるなら」

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