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TIP OFF  作者: なかお ゆうき
3/8

気になるあの人

「どうだ、少しは気が変わらないか?」

「……おい」

 翌日、千葉が教室に入ると、すでに登校し着席していた高岩はいきなり声をかけた。こいつは本気で聞いているのか?

「あのなあ、昨日の今日だぞ?」

「時間の問題ではない」

 高岩が毅然と返してくる。どうしてそんなに偉そうなんだ?

「変わらないな」

「……そうか」

「なあ、おまえ、明日もまた聞いてくるつもりか?」

「別にいつと決めているわけではない。千葉の気持ちが変わっただろうかと思ったら聞くのだ」

「そいつは、そいつは。たくっ、まいったのに惚れられたもんだぜ」

 うかつな最後の言葉は、高岩から平常心を奪い去った。

「な!」

 高岩が烈火のごとく立ち上がった。

「げっ!」

「なにを言う! 惚れてなどいない! 俺はただ、部のために少しでも有望そうな人材を……」

「わかってる! わかってるって! ったく冗談にくわえて比喩まで通じねえのかよ! とにかく落ち着けって!」

 高岩が真っ赤な顔で見境なく怒鳴ったため、今やクラス中の注目がふたりに集まっている。

 その後どうにか怒れる高岩をなだめると、千葉は懇切丁寧な交渉の末に、気が変わったら自分から言うから、それまではもうそのことに触れるなという約束を取りつけることに成功した。



       * * *



「高岩さん!」

 教室で自分の席に座っていた高岩香織の前に、ひとりの男子が立った。

「はい!」

 急に声をかけられた香織は、驚いて必要以上に大きな声で返事をしてしまった。その男子だけでなく、離れた所にいる他の男子達もちらちら香織を見ている。香織の緊張が一気に高まった。

「あ、あの、ア、ア、アドレスを、お、教えてもらって……い、いいですか?」

 目の前の男子がぎこちなくしゃべった。その緊張が伝わり、香織の体がますます熱くなる。

「あ…………は、はい……」

 なにかと思ったらアドレスか。恥ずかしさをごまかそうと、香織は急いでバッグからスマホを取り出す。

「やった」

 男子が声をあげた。すると、

「あ、俺もいいですか!」

 別の男子、また別の男子と、クラスの男子がどんどん香織のもとにやってきた。

「え!? あ……は、はい……」

 予想もしていなかったことに、香織の頭がどんどん真っ白になっていく。

―ーああ、なんかすごいことになっちゃったよ……。

 この恥ずかしい状況から早く脱しようと、香織は急いでアドレス交換をしていくが、男子の数が多くてなかなか終わらない。

「はいはい、そこまで、そこまで! ほらあ、困ってるでしょ!」

 男子の元気なお礼を打ち消すような女子の大きな声がした。美樹の声だ! 

吉井(よしい)美樹(みき)は同じ女子バスケ部志望ということもあって、香織と初日からすぐ打ち解けることができた。

 三日目にしてもう私服になっていた美樹の頑とした態度に、まだアドレスを交換していない多くの男子が、ぶつぶつとなにか言いながら戻っていく。

「香織ぃ」男子がいなくなると、美樹は思いきり眉をしかめた。「嫌ならちゃんと断らないと。香織のアドレス、学校中に知れ渡るよ?」

「そ、それは困る……。別に嫌ってわけじゃないんだけど……。でも、どういう風に言えばいいかわかんないし……」

「笑顔で、うーん、また今度ねえ、とか言って、適当にあしらっちゃえばいいのよ。ふふ」

 美樹がいじわるな笑顔を浮かべた。

「それじゃあ、また今度来るじゃん」

「そしたらまた同じように言えばいいの。そのうちあきらめるでしょ」

「うーん……」

―ーそれって、相手に失礼なんじゃ……。

「にしても、まだ三日目だってのに、もうこんなに男が寄ってくるなんて……」

 美樹は香織をじろじろと見つめる。

「え、なに?」

「ううん」美樹がにこっとする。「お昼は? お弁当?」

「あ、今日は買わなきゃ。購買行ってくる。先食べてて」

 香織ははっとして立ち上がり、かたつけ途中だった机の上の教科書やらノートやらを手早く机の中に放り込んだ。

「あ、わたしもだから、一緒に行こ」

 うん、と答えて慌ただしく教室の出口に向かう。この学校の購買は争奪戦だ。自分達はすでに大きく出遅れてしまっている。急がないとお目当ての物がゲットできなくなる。

「あ、あの!」

「えっ?」

 教室のドア付近で、香織はまた声をかけられた。さっきアドレスを交換できなかった男子のひとりだ。

「ア、アド……」

「ちょっと」

 男子が全部を言う前に、横から不機嫌な声が飛び込んできた。その声の迫力に、香織が思わず顔を向けると、茶髪でかわいい髪型をした小柄な女子が立っていた。まだ話したことはなかったが、制服のチェックのスカートがかわいかったから印象に残っている。

―ー三島紗耶香さんだ……。

 なぜ怒っているんだろう、男子を見る彼女の目がとても恐かった。

「どいてくれる? 出たいんだけど」

 その声には、特にこれといった感情が感じられなかった。

「あ、ご……ごめん」

 男子が慌てて場所を空けた。

 香織も、道をふさいでいたわけではないが、一緒にはじによける。

 しかし、三島は動かなかった。

「たくっ」さっきまでの冷めた態度とは打って変わって、三島が急に声を荒げた。「なんなの、そのおどおどした態度は? もっと男らしい対応はできないの? そんなんだったら、逆ギレされた方がまだ張り合いあるわよ」

「えっ、なっ、えっ……?」

 突然強い口調で言われ、言葉に詰まる男子。

 そんな困惑する男子に、三島の容赦のない不思議な説教が続く。

「そんなんじゃ、アドレスを教えてもらったところで、なにもできないわよ? 男なんだからもっとしっかりしろ!」

 叱りつけると、今度は香織を向いた。

「カマトトぶってるの?」

「え?」

 言ったきりそのまま数秒間、見定めるように香織をじっと見つめていた三島は、「ふん」と小さく漏らし、再び男子をひとにらみし、不機嫌な様子のまま教室を出て行った。

教室は三島がいなくなってなお、重苦しい雰囲気に満ちていた。

「ビックリしたあ……」

 香織は小さくつぶやき、難しい表情を浮かべていた美樹と顔を見合わせた。

「なんか、爆弾みたいな子ね。あのタイミングで爆発するとは思わなかったわ……。三島さんだっけ? 香織、あの子は要注意ね」

「え、あ……う、うん」

「しっかりしろなんて、まさにツンデレじゃない。要注意だ」

「え、なに?」

「あ、ううん、別に。さ、行こ! 早くしないと、欲しいのなくなっちゃうよ」

「あ、うん!」

 香織は美樹とともに急いでドアに向った。

「ところでさあ……」

「ん?」

 教室を出たところでふいに思い出し、香織は尋ねた。

「カマトトってなに?」

「……さあ」



       * * *


 千葉は一階の購買にいた。

ーーようやく買えたよ……。

 成条高校には食堂が無い。そのため、四時間目の間に地元のパン工場の人達に設置される、この学校唯一の購買には、毎日多くの生徒が殺到し、軽い地獄絵図が出来上がる。

 千葉は、そんな地獄で長い時間もみくちゃになりながら最前列までたどり着き、どうにか照り焼きバーガーとホットドッグを買うことができた。そして押し寄せる人間の波をかきわけながら、やっとの思いで人混みを抜け出し、階段に向かった。


「美樹ー、早くしないと売り切れちゃうよ!」

 一段飛ばしで軽快に階段を駆け下りる香織は、追いかけてくる美樹を見上げた。

 出がけに思いもかけないハプニングに見舞われ、ふたりは大幅に時間をロスしてしまった。

 そこでふたりは、めぼしいパンが売り切れてはいけないと、美樹の提案で走って購買に行くことになったのだが、香織はまったく本気を出していないのにもかかわからず、美樹を大きく引き離していた。

「ちょっとお、あんた速すぎ!」

「美樹が急ごうって言ったんだよ?」

 一階分上の手すりから顔をのぞかせて不満を投げつける美樹に、香織は下から笑顔で応えた。

「あなたがそんなに飛ばすとは思わなかったからよ! いいわ、先行って、ラスクとカスタードコッペをキープして!」

「任せて!」

 香織はにっと笑って親指を立てた。にしても、甘いのばっかだなあ。

 そんなことを思いながらも、香織は顔を引っ込め、再び駆け出した。


「きゃっ!」

「おっと」

 踊り場を回ると、突然千葉の目の前に女子が現れた。

 トン。

 千葉は気配に気づき慌てて止まったが、止まりきれなかった相手の肩が自分の腕に軽く触れてしまう。

「あ、ご、ごめんなさい……」

「あ……あ!」

 とっさに一歩引いた女子と目が合い、千葉はすぐに認識した。入学式で会ったあの子だ。

「え?」

 千葉の反応に、女子が目を丸くして驚いた。まずい、不審に思われる。

--と、とりあえず、ぶつかったことを謝ろう。

 しかし、突然のことと、相手に触れてしまったという緊張から、千葉は言葉が出てこない。

「あ、あの……」

 千葉がする沈黙は、たいてい、いや、ほとんど場合で相手の印象を悪くしてしまう。まだほんの数秒も経っていないが、すでに変な人と思われてしまっているだろうか……?

「えっと……」

--やばい……。俺、見過ぎだよな? くそっ、なんでしゃべれないんだ! やばい、やばい、やばい。

「どうしたの?」

 何十分にも思えるような沈黙を、別の女子の声が破った。

「え!? あ、いや、あ、あの、ごめんなさいっ!」

 友達の言葉で、困惑していた女子が慌てて一歩下がり、深々と頭を下げた。

「あ、いや…………気にしないで下さい……」

「本当にごめんなさい!」

 もう一度頭を下げて謝ると、その女子は友達とともに階段を下りていった。

「ふう…………緊張したぜ……」

 見つめていた女子達の姿が見えなくなると、千葉はようやく金縛りのような状態から解放された。

--でも、やっぱりかわいいなあ……。

「なに見とれてんのよ」

「え?」

 不意の声にびっくりして、千葉は顔を上げた。三島が階段の上で腕を組んでこっちを見下ろしていた。

「なんだ、おまえか」

「あの子が気に入ったの?」

「おまえには関係ないだろ……」

「……まあ、確かに。あんたがどこの誰に惚れようと知ったことじゃないけど……」

 三島は苦々しく言い放つ。

「じゃあなんだよ……」

 何か嫌な感じだ。別に悪いことをしているわけではないのに、なぜか三島の顔が見られなかった。女子に見とれていたところを見られたのが恥ずかしかったからだろうか。

「わたし、男バスのマネージャーになったから」

「え?」千葉は思わず顔を上げた。「……なんで?」

「あんたが逃げ出さないように監視するためよ」

「はあ?」わけが分からない。「いや、そもそも俺は入んないって」

「はあ? いつまで逃げ回ってんのよ? 悔しいなら勝てるよう練習すればいいじゃ……」

 千葉が思い切りにらむと、三島は言葉を詰まらせた。それができるならどれだけ楽だったか。できないからバスケを辞めたのだ。

 中三の夏、千葉にバスケとの関係を断たせる原因となった試合は、都大会の二回戦。チームの誰もが、苦戦すらしないだろうと考えていた試合だった。

 結果として、その試合は圧勝した。

 しかし、千葉がマッチアップした相手のキャプテンは、千葉をほぼ完璧に押さえ込み、逆に、千葉はそのキャプテンを止めることができなかった。

チーム単位で見れば、相手はそのキャプテンのワンマンチームだったため、ダブルスコア近くの完勝。だが、千葉対そのキャプテンでは、誰の目にも千葉の完敗は明らかだった。

 このマッチアップは千葉にかつてない甚大なショックを与えた。

 千葉のいた明華(めいか)高校付属中学校のバスケ部は、普段から明華高校はもとより、他の高校や大学とも練習試合を行っていた。

 それらの試合を通じて、千葉は、自分が高校のエース級にも引けを取らない、大学のエース級にも肉薄できることを実感していた。そしてそれは、これまで誰よりも多く練習してきた成果だと考えていた。さらに、自分はまだまだ上を目指せるとも確信していた。

 その過程で負けるのはかまわない。次は絶対に負けないという強烈なモチベーションになるから。

 しかし、完敗、それも同じ中学生相手の完敗は、自分のこれまでの積み重ねを否定し、これからの上達を絶望させてしまった。

 三回戦以降、千葉は自分の中に生まれた疑念を確認するように、がむしゃらにプレイした。

 その結果、都大会の三回戦から全国大会決勝までの千葉の平均得点は、区大会一回戦から都大会二回戦までより、十三点もアップした。

 しかし、七十パーセント近くもあったショットの成功率は、一気に五十パーセント前半まで落ちてしまった。これは、バスケットボールプレイヤーとしては、大きなパフォーマンスの低下と言わざるを得ない。少なくとも千葉はそう考えていた。

 そして全中決勝後、自分に心底幻滅していた千葉は、バスケ部を引退すると同時に、バスケそのものからも引退してしまった。

「もうほうっておいてくれよ」

千葉自身、自分がこうなるとは思いもしなかった。小三から毎日のようにしていたバスケだ。去年の夏以降も、時間が経つと、まるで禁断症状のようにバスケをしたいという気持ちが湧いてきた。

 しかし、その都度家の近くのコートで、ひとりでバスケをしてみたが、感じるのは楽しさではなく、もやもやとした苦痛だった。今はもう半年近くまったくボールに触れていないが、禁断症状は起こらなくなっていた。

 千葉は、何も返せずにいる三島の横を通り過ぎた。

「さ、さっきの子!」

「え?」

 突然投げつけられた言葉に、千葉は足を止め振り返った。三島は、怯えと怒気をないまぜにしたような瞳で、千葉をにらみつけている。

「あ、あんたがさっきぶつかった子、あの子、うちのクラスの子だから! 奥手なあんたの代わりに、わたしがあんたの気持ちを伝えてあげる」

「な! えっ……? おい、余計なことすんなよ!?」

 急に何を言いだすんだ? 話が急転し、千葉はそれまでの鬱々としていた気持ちが一気に消え去った。変わりに、混乱が頭を支配する。

 千葉の動揺を見て取った三島は、ようやく満足そうに笑みを浮かべた。

「わたしがそんな面倒なことをするわけないでしょ。言いたいことがあるなら、自分で直接言いな」

「えっ……」

 三島がわざとらしく千葉を追い抜き、振り返った。

「私の親切を踏みにじるのと、女々しく逃げ回っていることへの仕返し。まあ、今日はこれくらいにしといてあげるけど、あきらめないから」

 そこまで一気にしゃべると、三島はぷいっと歩き去っていった。

「おい……」

 なにか言おうとしたわけではないが、自然と千葉の口から言葉が漏れた。

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