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絶滅

 夕方の太陽が遠くの山の上で輝いている。澄み切った空気の層を貫いてきた太陽光が部屋の中をオレンジ色に照らす。二十階建てのコンドミニアムの最上階の角部屋。二面がガラス張りで遮るものはない。

 眩しい、と思ったが、ブラインドを作動させる気力もなく、私は自動ベッドの上で仰向けになったまま目を細めた。

 コンドミニアムの周囲には見渡す限りの森林が広がっている。木々が夕日に照らされている風景は美しい。しかし今の私は特段の感慨のない自分に気づいてもいる。もう見慣れてしまった。もういいかな、という気分さえある。そして、ああ、薬が切れかけているなと思う。

「コウジ様、時間です」

 女性の声が定刻を告げる。

「ああ……」

 世間話でも、と思ったが、別段話したいことはなかった。

 しばらくの無言を逡巡と判断してAIはしばらく待ってから尋ねる。

「よろしいですか?」

「頼む」

 私が言うと、ベッドの脇から音もなくアームが現れ、私の左腕をその先端の柔らかなクッションで包んだ。まるで人肌のような、という売り文句で開発された日本スポンジ工業社の最新型にして最終型。当初は人肌を目指して開発されたが、研究が進むにつれて柔らかさと温かさはやがて人肌の感触を超えて、得も言われぬ「包まれ感」をもたらすまでになった。今は慣れてしまったが、初めてこのクッションで腕を掴まれたときは感動すら覚えた。

 きわめてスムーズに、服の袖が捲られる。別のアームが伸びてきて、ほとんど何の感触もないままに皮膚の表面が消毒され、鎮痛薬が塗られ、極細の注射針が刺さり、薬剤が注入された。アームは何事もなかったかのように静かにベッド下に収納される。ほんの数秒。耳を澄まさないと聞こえない程度のアームの動作音と、腕を包むクッションの心地よい感触があるばかりだった。

 さらに数秒が経過し、私は目の前がなんとなく明るくなるような気分を感じた。薬が効き始めたのだ。即効性と持続性に優れ、依存性のない神経伝達物質調整薬HEDONONE。ヌークプロジェクトの根幹を支える薬剤として、全世界の研究リソースを統合して開発された。注射薬であることが唯一の難点だったが、自動ベッドの超高性能化が達成されたことでそれは難点ではなくなり、むしろ全自動投与が可能になったことで利点にすらなった。

 気分が明るくなると、見慣れたはずの風景も美しく感じられる。地面を覆う森林も、遠くに見える青い山も、季節の移ろいが感じられる。森の中では動物たちが豊かな時代を楽しんでいるだろう。人類が終末を迎えたとして、それは何ら不幸なことではない。

「起こしてくれ」

 と私は言った。

「かしこまりました」

 即座に自動ベッドが反応して上半身が起き上がる。

「窓際へ移動しましょうか?」

「ああ」

 ベッドは私を載せたままゆっくりと、しかしイライラするほど遅くはない速度で、窓際へ移動した。

「窓を」

「承知いたしました」

 窓が開き、良い風が入ってくる。私は頭を横に向けて、外の風景を見た。美しい青空を鳥の群れが飛んでいく。地平線まで続く森の緑は目に優しい。小さな川のほとりには鹿の群れが歩いているのが見えた。どこを見ても、私の暮らすこのコンドミニアムを除いては、人工物は植物に覆い隠されて見えない。人類はついにここまでたどり着いた。もはやどこにも不幸は存在しない。

 あとは私がシステムに命じるだけだ。それで人類の歴史は幕を下ろす。私が幸福な死を迎えるとともに、この全自動化された文明は終結モードを起動し、人類に関する全ての情報を凍結し、いつか知的生命が現れるそのときまで眠りにつくだろう。



 第三次世界大戦が始まったのは、私が生まれる三年前、二〇九〇年のことだった。当時の世界は軍事独裁傾向を強めながら拡張した統一人民共和国(UPR)と、かつてのEUを下地として統合を進めた民主国家であるユーラシア連邦を二大国として、それらをいくつもの小国が取り巻くような状況だった。

 戦争の発端は、UPRと周辺国との間で起きた領土を巡る小競り合いだった。それ自体は突発的なものではなく、UPRが領土拡張を狙って威圧的な行動に出ることはしばしばあった。周辺国は共同して対処することで大きな戦争に発展させることはなく、微妙なバランスを保つことに成功していた。

 ただ、このときは環境問題や人口増加対策を巡って世界各国が対立する状況にあった。どの国も表面上は戦争に反対する姿勢を見せていたが、停戦案を作成する段階で温度差が明らかになっていった。UPRにつくか、ユーラシア連邦に肩入れするか。各地でくすぶっていた対立が徐々に表面化した。世界はあっさりと二分された。

 二〇九一年八月、UPRがユーラシア連邦へ侵攻、この戦争を世界統一へ向けた統一戦争と宣言し、核の使用も辞さない姿勢を示した。反撃を開始したユーラシア連邦に対し、UPR側は早々に核ミサイルを発射。これに対してユーラシア連邦は抑制的に対応したが、同盟国間の連携がとれないままに核保有国が核の応酬を始め、世界中の都市は次々に灰燼に帰していった。

 そんな最中に超強毒性のインフルエンザウイルス、続いてコロナウイルス、さらには根絶したはずの天然痘までもが蔓延した。誰もが生物兵器を疑ったが二大国はいずれも否定した。医療施設の大半が破壊され医薬品の流通網も壊滅していた状況下で膨大な死者が積み重なっていった。感染症は都市部だけでなく僻地にまで広がり、核兵器の攻撃対象にならなかった地域まで浸透して人類を殺戮していった。感染の拡大はきわめて早く、人類文明がほぼ壊滅するまでに停戦を議論する時間すらなかった。

 二〇九一年のクリスマス。戦争は終わった。停戦ではない。世界に戦闘能力を保持する国が残っていなかっただけだ。人類のほとんどが死滅した。もはや戦争は存在しなかった。存在できるはずがなかった。人類は肉体にも精神にも癒しがたい傷を負い、世界は絶望に覆われた。

 残された人々はお互いに身を寄せ合い、それぞれの国で比較的被害の少なかった地域(といってもほぼ例外なく何らかの被害は受けていた)に小規模な町が形成された。幸いにして地球の周囲を飛ぶ人工衛星は多くが無傷で残されていたので、多少の電力を得られるようになると残された端末を使ってインターネットに接続することができた。各国で情報を交換しあい、支え合った。しかしついに人々の絶望が希望に変わるきざしは見えなかった。

 二〇九三年六月、わずかに残った航空機と、なけなしの燃料を使って、各国の代表が一同に会することになった。世界の主要都市はすでに跡形もなく、僻地であるがゆえに攻撃を免れたグリーンランドのヌークが開催地となった。北辺の地だが、この当時は地球温暖化がピークに達しており、さほどの寒さではなかったという。六月十六日、会議の様子はインターネットで全世界に配信され、同時に自由に意見を投稿することもできたので、日本でもわずかな端末を皆で囲んで食い入るように見つめたそうだ。

 ヌークで行われた会議、通称ヌーク会議では一週間にわたり人類の将来について議論がなされた。そして、人類史上最大の決定が下された。

 すなわち、「人類は現世代をもって絶滅する」。

 自発的絶滅。もはや世界の誰もが、絶望をなくせるとは思っていなかった。次世代を残しても不幸しか生まれない。きっと人類はまた過ちを犯すだろう。その点について会議では異論はほとんどなかった。

 具体策の骨子は次の通り。

一、現時点で生存している、またはこの後に生まれてくる全男性に対して、去勢手術を行う。

二、来たるべき超高齢化社会に備えて、幸福な生存システムの構築と、幸福な自動安楽死装置の開発。

三、いつか現れるかもしれない知的生命に伝えるための、人類についての記録の作成と保存

 私が生まれたのは、そんな決定が下された数日後だったそうだ。医療が十分に整わない中、母は私を生んで数日後に亡くなった。父は不明。戦争中や終戦後に生まれた子どもにはこのような者が多かった。孤児たちは、人も設備も不足する急ごしらえの児童養護施設で育てられた。

 私はあまり集団生活が得意ではなく、物静かな子どもだった。外で遊ぶよりも一人遊びを好んだ。施設の園庭(といっても、荒れ地の草を刈っただけの空き地)を同年代の子供達が走り回っているのを見ながら、ひとり室内で絵本を眺めていた。戦争で焼け残り、持ち主のいなくなった絵本。擦り切れていたり、色褪せていたり、汚れていたりしたが、この頃手元にあったのはそういうものばかりだった。絵本を眺めるのは楽しかった。

 そんな私を気にかけてくれたのが、施設にときどきボランティアで来ていたハルナ先生だった。先生は社会システムの研究者であり、優れたシステムエンジニアでもあった。日本代表団のひとりとしてヌーク会議に赴き、会議で決定された自動生存システム開発の日本での責任者となった。したがってすこぶる多忙だったはずなのだが、毎週一度は必ず施設に顔を出していた。

「これ、読む?」

 あるとき、先生が私の前に来て行った。手には大きな古びた本を持っていた。古生物の図鑑だった。

「いいの?」

 と私は言った。

「いいよ」

 先生はなんでもないように答えた。先生はいつもそんな感じだった。子どもたちを特別に楽しませようとか、優しい笑顔を振りまくということはなかった。だから他の子どもたちからはさほど慕われていなかったと思うが、私はかえって親しみを覚えた。

 私は図鑑を何度も読んだ。いや、初めの頃はほとんど文章は理解できず、絵を眺めてはページをめくるだけだった。この図鑑は大人向けのものだったからだ。

「こんなのもあるよ」

 そうやって、先生はときどき、それまでとは違う本を持ってきてくれた。宇宙の本だったり、植物の本だったり、産業機械の本だったりもした。当時はなんとも思っていなかったけれど、おそらく先生は焼け残った大学図書館の整理をしていて、そこで見つけた本を持ってきてくれたのだろう。



 私が去勢手術を受けたのは小学校に入る年のことだった。その頃までに、日本で生き残った人々はかつて長野県と呼ばれた地域にある小さな盆地に集住するようになっていた。児童養護施設も引っ越した。このあたりは戦争の被害が比較的小さく、周辺地域の農業生産力がある程度残っていたことによる。日本中からかろうじて使える設備や資源がかき集められ、突貫工事で即席の新首都が建設された。

「何の手術をするの?」

 と私は手術前にハルナ先生に質問した。

「子供ができないようにする手術だよ」

 とハルナ先生は答えた。

 まだ性教育を受けてもいなかった私には子供をつくるとはどういうことなのか理解できなかった。そもそも、すでにこの世界では子供は生まれなくなっていたので、私には子供が生まれてくるということがどういう事態なのかも実感がなかった。

「君たちはこの手術を受ける最後の世代。手術が終わると私たちは次の一歩を歩み始める」

 と先生は言った。私にはその意味はまだわからなかった。

「痛いかな?」

「痛くないよ。全然」

 先生がそう言うので、私は安心した。

 真新しい病院の手術室で私はベッドに載せられ、空気を送るマスクを装着された。手術を担当する医師は優しく話しかけてくれたので私は怖いとは思わなかった。しばらくして、一瞬甘い香りがしたと思ったら、そのまま意識を失い、再び目が覚めたときには手術は終わっていた。施設の他の子どもたちと同じ病室で、白い天井を眺めていた。

 私たちが退院すると、首都では盛大な祭が開かれた。首都中の、つまり日本中の人々が広場に集まり、料理や酒をふるまう店が立ち並び、コンサートが開かれ、スポーツの競技が開かれた。日本や世界の今後を議論する討論会が開かれ、ハルナ先生も登壇した。とても華やかで、町が輝いて見えた。私は施設の子どもたちといっしょに町を歩いた。生まれて初めて、他の子どもたちといっしょに過ごすことが楽しいと思った。

「私たちがこれほどの規模の祭を開催できるのは、今日が最後でしょう。ですが、悲しいことではありません。今日は私たちの幸福な終焉への第一歩となります。最終世代が幸福な終末を迎え、人類の歴史の幕を穏やかに下ろせるよう、尽力して参りましょう」

 首相が壇上でそう宣言した瞬間を私は覚えている。人々は穏やかに、にこやかに、そして強い決意をにじませた表情で、手を取り合った。



 ヌーク会議の年に生まれた世代、すなわち私たちは最終世代〈ラスト・ジェネレーション〉と呼ばれるのが定着した。私たちよりも下の世代は存在しなかった。学年が上がるにつれて小学校の空き教室が増えていった。私たちが卒業すると小学校は閉鎖された。上の世代の人々からすると特異な世代ということになるのだろうが、私にはこれが普通で特別な気持ちはなかった。

「君たちは遊び相手がいなくて寂しいだろうね」

 と言った人がいた。最終世代に後輩はいない。先輩風を吹かすなんてことはできないし、どこまでいっても後輩、下っ端、一番年下。だからきっと寂しいだろうと。

 しかし私はそうは思わなかった。もともと一人で過ごすのが好きだったし、それ以外を体験したこともなかったからだ。

 ただ、

「うらやましいよな」

 と言った同級生はいた。同じ施設で過ごすトシキだ。彼は野球が好きで、小学生の時は地区の少年野球チームに、中学校に進んでからは野球部に入っていた。先輩たちは大人数で楽しそうにやっているのに、自分たちが上級生になるとようやくチームが組めるほどの人数しか残っていない。

「ライバルと切磋琢磨とか、憧れるんだけど」

 戦前に描かれた野球漫画が彼は好きだった。この頃は世界各地の焼け残ったデータセンターからデータをサルベージする作業が進んでいた。昨年は電子書店の膨大なデータが発掘されたことで、数多くの本を読むことができるようになった。彼は野球漫画を貪るように読んだ。ライバルに才能で劣る主人公が努力でレギュラーを勝ち取るストーリーが好きらしい。

「まあ、コウジは興味ないだろうけど」

 と彼は言った。

「そうだね」

 と私は答えた。たしか、中学校から施設への帰り道、小さな川の土手を歩いていたときのことだった。夕日がとてもきれいで、この夕日を忘れないでおこうと思った。

 私たちの後ろにはだれもいなくて、長い影だけが伸びていた。この感じが私は好きだった。私たちはすべての人類の背中を眺めながら歩いていく。すべてを記憶し、記録し、誰もいない背後に影を残していく。



 私が中高生だった頃というのは、戦後の人類文明にとってはもっとも華やかな時期だったといえるかもしれない。世界各国で人々の集住と首都の建設が一段落し、インフラが一通り整ったことで生活の不安が除かれた。人口構成は働き盛りの世代が多く、人類の終焉へ向けて邁進しようという気力がみなぎっていた。

 特に効率的な社会システムの構築は最重要課題としてハイスピードで進められた。この分野での日本のリーダーはハルナ先生だった。相当に多忙だったようで施設へ来る回数は減っていたが、それでも週に一度は顔を見せてくれた。

「ここもずいぶん減ったね」

 先生はにこにこして言った。

 養護施設は自立して暮らせるようになった人から退所していく。そのタイミングは多くは高校を卒業して就職や進学したときだ。私よりも年下の子どもはおらず、施設の職員は半数以上が他の職業に転じていった。園庭で遊ぶ人はもういない。

「タカノさんのこと、覚えてる?」

「うん、力仕事が得意な……」

 と、私は答えた。

 ハルナ先生以外の人とはあまり交流しなかった私だが、さすがに養護施設の職員のことを忘れたりはしない。とはいえ、印象を訊かれると「力仕事が得意」とかいう程度の言葉しか出てこないのだけれど。

「君らしい答えだ」

 と、ハルナ先生は笑った。

「タカノさんね、こないだ、南部農場の農場長になったんだよ。すごいんだから。農作業を自動化して生産力を五倍に上げた。これをすべての農場に展開すれば当面の食糧生産は問題なくなる」

 南部農場はその名の通り首都の南側に広がる広大な農地だ。起伏があるので自動化がなかなか進まないとハルナ先生が言っていたのを思い出す。

「タカノさん、そんな才能あったんだ」

「前から農作業が好きだったじゃない。覚えてない?」

「そうだったっけ」

 そういえば、園庭の端のほうに小さな畑を作っていたような記憶がある。子どもたちがそれを手伝っていたような、いなかったような。

「ちょっと前に作ったAODSってやつ。仕事の適性を診断して本人の希望とも合わせて適材適所に配置していくシステムね。タカノさんは特に成功した事例だけど、彼以外にもうまくいってる人が多くて、結構いい感じなんだよ」

「へえ」

「適性診断の部分は公開してあるからやってみなよ。自分の意外な適性を見つけてくれるからおもしろいよ」

 先生の端末から私の端末へURLが送られてきた。それを開くと、チェック項目がずらっと並び、適性検査や文章を記述する欄がいくつも並んでいた。すぐにこの場でできるようなものではなさそうだ。

「あとでやってみる」

「うん、そうしてみて」

 ハルナ先生が帰った後、私は一時間ほどかけて適性診断をやってみた。結果は、社会システムエンジニアが最適だった。続いて、医療エンジニア。高校卒業後の進路を考える段階に来ていた私には、この結果はひとつの羅針盤になった。



 大学は、全世界で統一的に運営されていた。キャンパスは各国の首都にあるが、講義はオンラインで行われるものも多く、世界中の一流研究者の話を聞くことができた。このような仕組みになったのは、そもそも学生も教員も人数が少ないため一国規模では十分な機能を果たせないということもあるし、人類のよりよい滅亡に向けて高いレベルの研究者を育てたいという人類全体の願いもあった。

 私は大学でも相変わらずひとりで過ごすことが多く、他の学生と交流することがあまりなかった。ただ、オンラインで知り合ったイギリス人のジェフとはよく(というのは私の基準で)やり取りをした。彼もまたラスト・ジェネレーションであり、いかにして幸福に人類最後の瞬間を迎えるのかを真剣に考えていた。

 彼によると、これからの段階ではまず安楽死装置をもっと改良しなければならない。現在は安楽死が合法とはいえ、実行するのはどこか後ろめたく、周囲からも奇異の目で見られがちだ。誓約書にサインする前には思いとどまらせるための長々とした説明がなされ、実際に思いとどまる人も多い。実行に際しては、薬によって苦痛を感じないとされているが、彼によればそれも十分とはいえない。実行前の恐怖心を取り除く工夫もあまりない。

「もちろん、現時点でそう簡単に死なれては困る、というのは理解できる。世界には人類はわずかしかいない。もし今、雪崩を打って人々が安楽死を選ぶような事態になれば、人類社会は崩壊し、割りを食うのは俺たちラスト・ジェネレーションだ」

 私がジェフと実際に対面したのは大学三年生のときだった。世界中の都市を結ぶ航空インフラの構築が完了し、気楽に海外へ行けるようになった。航空機は完全な自動操縦が実現し、絶滅を決めた人類にとっては燃料資源の枯渇を心配する必要もない。

 私は戦前の飛行機の旅がどのようなものだったのかを知らないが、ハルナ先生から聞いたところによると、快適とは言い難いものだったらしい。イギリスまで行くとすると十時間以上、狭い座席に座り、あまり眠ることもできなかったという。

 私が出発する数日前、アメリカへの往復で飛行機を利用したハルナ先生は言った。

「あの座席はファーストクラス以上だったね」

「ファースト?」

 と私は訝しんだ。

「あ、そうか、君は戦後生まれだもんね」

 と、ハルナ先生は言った。

「昔は飛行機の座席はクラス分けがされていてね、普通は狭いエコノミークラス。お金を追加すればビジネスクラス、さらにお金を出せばファーストクラスっていう快適な座席を選ぶことができたんだ」

「お金でですか」

 私は驚いた。持っているお金の多寡で人間がランク分けされる、そんな野蛮な(といっては当時の人々に失礼だが)時代もあったのかと。

 その後、私はイギリス行きの飛行機に乗り、ハルナ先生の言った「ファーストクラス以上」の旅を楽しんだ。機内には狭いベッドルームが並んでいて、私からすると広さの面では特別に快適な感じはしなかった。自宅のほうがよほど上だろう。ただ、ベッドに横になって窓の外の景色を眺めるのは自宅ではできない格別の体験だった。それにベッドの品質が非常に良い。まるで重力がなくなったかのように身体全体を優しく包み込む。また、眼下に広がっている風景はまるで立体的な世界地図だ。ずっと見ていても飽きない。

 ほどよいタイミングで自動給仕機が巡回してきて料理や酒を提供してくれる。このところ日本にも輸送されるようになってきたフランス産のワインを注文し、ひとくち飲む。芳醇な香りが口の中に広がり、幸福な気持ちにさせてくれる。なにより、初めて行く土地で友人と会うことのワクワクした気分を、この狭いベッドルームは高めてくれた。

 イギリスの首都は有名なストーンヘンジの近くにあった。草原の中にある空港まで、ジェフが迎えに来てくれていた。オンラインで見るのと変わらない、活力に満ちた目をしている。そしてオンライン以上に彼はフレンドリーで、よく喋った。三日前にオンラインで議論した話を彼は続けた。

「この先二十年、三十年が経つと社会は様変わりする。おそらくこの期間で絶滅に向けた社会システムの基幹部分は完成するだろう。そうなると今ほどは人手は必要無くなる。安定した超高齢化社会で人々の生きる目標は希薄化する。死はもっとカジュアルに、ニュートラルに、人生の選択肢のひとつとなっていい。そこで必要なのがより敷居の低い安楽死装置だ」

 首都にある彼の自宅まで車で向かう途中、ストーンヘンジに立ち寄った。太古の人々が巨石を環状に並べて造った祭祀遺跡。夕日が草原の向こうへ落ち始め、空は橙色に染まり、巨石の影が長く伸びている。

「ここでは夏至の日の出と冬至の日没に重要な意味があったらしい。その日に人々が集まり、盛大な祭をやったようだ」

 と、彼は解説してくれた。広々とした草原に、朽ちた石が並んでいる。かつての人々の活動の痕跡。

「俺たちが絶滅したあとも、きっとこうなる」

「そうだね。何千万年か後の知的生命が僕らの遺跡を見つけて発掘するんだろうね」

 僕にとっては、それはちょっと楽しみな想像だった。僕たちは絶滅しても、それで終わりではないかもしれない。



 私はハルナ先生の研究室に所属して、今後の高齢化社会に備えた医療システムの開発を進めた。この研究を始めたのはジェフの影響がある。彼は、今後必ず到来する超高齢化社会にいかに対処するかに関心を持ち、特に安楽死の問題を解決することに力を注いでいた。私が取り組んだのは安楽死とは別のアプローチで、体力が衰えたり病気になったりした人が、幸福に過ごせるようにすることだった。

 ハルナ先生もこの問題には危機感を抱いていた。私がこの研究を始めたいことを伝えると、先生は膝を打って言った。

「正直なところ、高齢者の生活水準を維持するための研究開発は遅れている。ヌークプロジェクトの中でここが今後の強化ポイントになりそうだ」

 私は先生の紹介で高齢化社会研究所の研究チームに加わらせてもらい、いくつかの高齢者介護施設を訪問した。そこでは未だに自動化されていない業務があり、高齢の職員がさらに高齢の入所者の面倒をみるような状況が続いていることを知った。

 先行研究は散発的には行われており、たとえば高齢者の話し相手になったり健康管理をしたりするAIや、病気の予兆を探る非侵襲的なセンサーはかなり高度なものができつつあった。これらを統合しつつ、あたかも専属の介護士であるかのように一人の高齢者を支え続ける、より高度なシステムにする必要があった。

 そこで私が注目したのがベッドだった。高齢者は皆ベッドの上で寝ている。いや、高齢者だけではなく、あらゆる人間はベッドなしでは生活できない。飛行機の中ですら、ベッドの上で快適な時間を過ごしたではないか。

 私は飛行機のベッドを開発しているオーストラリアのSHLEEPY社に連絡をとった。代表のスティーブ氏は私の目指す方向性に共感を示してくれた。

「オーストラリアは戦前には世界有数の羊の生産国だったんです。今ではそれを維持する人口がありませんので、産業としては成り立っていませんけどね。でも私にとって羊はアイデンティティの源泉を感じる動物です。だから、羊が象徴する「眠り」を生涯の仕事にしようと思ったんです。いかに安らかにベッドの上で過ごせるか。その点であなたの考えとは共通点が多いですね」

 私はベッドの現物を見ながら打ち合わせるために、オーストラリア行きの飛行機に乗った。オーストラリア所有の飛行機のインテリアはSHLEEPY社が全面協力して設計されており、最新のベッドシステムが備わっていた。それはまさに私が目指す方向と一致するものだった。

 搭乗すると、個室には大型の座席がひとつだけ置かれていた。ひどく簡素な印象だったが、これこそがSHLEEPY社の誇るベッドシステムなのだった。私が近づくとシステムが動き出す。

「ご搭乗ありがとうございます、コウジ様。こちらへお座りください」

 ベッドは自ら私の方へ向き、背後へ回り込み、適度な高さに調整された。座ろうと思う間もなく、ほとんど自然に私は座面に座っていた。しかも座り心地は驚くほど快適だった。布ではない、不思議な素材だ。

「すばらしい座り心地ですね。どんな仕組みなんでしょうか」

 と私が言うと、

「ありがとうございます。お客様の体型や姿勢に合わせて座面と背もたれをミリメートル単位でリアルタイムで変形させております。お客様が意思するよりも先にベッド側で自動で寝返りをしているようなものです」

 と、ベッドに搭載されたAIは流暢に説明した。

「上着をお脱ぎになりますか?」

「ありがとう。お願いします」

 背もたれが波打つように変形しつつ、座席の下からフレキシブルアームが伸びてきて私の上着を滑らかに脱がせ、ハンガーに通して壁に掛けた。この間、私はほとんど体に力を入れることがなかった。

 飛行機が離陸し、安定飛行に移ったところで、給仕ロボットが飲み物や食事を運んできた。ベッドはテーブルを自動展開し、皿を美しく並べた。ワインをグラスに注ぎ、テーブルに置いた。まるで私がそうしてほしいと思ったことを知っているかのように、すべてが滑らかで私の思考のほんのわずか先を心地よく先導してくれた。

「お眠りの前にシャワーはいかがでしょう?」

「行っておきたいですね。それもあなた任せでよいのですか?」

「ええ、シャワールームまでのご案内ですが、お連れいたします」

 私が座ったままベッドは自走し、シャワールームの前で止まった。ベッドは滑らかに変形し、私は立ち上がるという動作を意識することなく立ち上がっていた。ただ、服を脱いでシャワーを浴びるという動作は自分でする必要があった。もし高齢者施設で使うとするとこの部分を自動化しなければならないだろう。

 ベッドの寝心地は期待以上に快適だった。自動で最適な姿勢を維持されており、眠りの深さに合わせた温度調節がなされているためだろう。

 設定した時刻に私は目を覚ました。アラームが鳴り響くわけではなく、AIに声をかけられたわけでもない。いつの間にか、まったくわからないうちに私は目覚めており、夢から覚めて思考が溶けるように、私の眼前には朝の機内の景色が広がっていたのだった。

「すばらしい体験でしたよ」

 と、オーストラリアの地に降り立った私はスティーブ氏に感動を伝えた。氏は満足そうに笑顔でうなずいた。

 打ち合わせは終始楽しく、順調に、ときには熱のこもった議論をしながら進んだ。私の所属する日本チームは高齢者施設向けの機能(たとえば、入浴や投薬)の開発を担い、SHLEEPY社は睡眠向上AIをそれに最適化して改良していくという役割分担も決まった。

 打ち合わせ後の食事会ではスティーブ氏が長年取り組んでいるアーカイブの話を聞いた。彼が睡眠に並々ならぬこだわりを持っていることは間違いないが、アーカイブについて語るときにはより一層の熱がこもっていた。

「私は人類の記録を作りたいんです。それは次世代のためではない。次世代はもう生まれないんですからね。そうではなくて、何百万年か、何千万年か、はたまた何億年か後に地球上に現れるかもしれない知的生命に向けた記録です」

 氏が趣味で建てたという、そして趣味にしてはやけに大きなログハウスの一室で、自動椅子のフレキシブルアームが注ぐワインの芳醇な香りを楽しみながら、私は氏の話を聞いた。

「かつて人類のすべてをアーカイブすると言って様々な情報を収集していた企業がありましたが、戦争でほとんどのデータセンターが焼け飛んだり、管理できなくなって放置されたままになっています。生活に必要なデータは戦後の早い段階で復旧されましたが、そうでないものはそのままです。私はそれらを復旧し、さらに戦後の情報を加えて人類のアーカイブを構築し続けているんです」

 私は、氏がアイデンティティの一部だと言う羊肉のステーキを頬張った。添えられたハーブの香りが絶妙で、肉汁に絡んだソースが旨味を引き立てる。

「ただ、私もそれなりの年齢になってしまいました。生きている間にできることはあまり多くはない。もし、ラスト・ジェネレーションのあなたが引き継いでくれるなら、これほど嬉しいことはありません。いかがでしょう、ご協力いただけませんか?」

 私は肉を噛み締め、飲み込んだ。アーカイブの構築は、私にとってとても興味がある話だった。子供の頃にハルナ先生からもらった図鑑のことを思い出した。誰かが写真を撮り、文章を書き、図鑑を作ったからこそ、大戦争の後の私にもそれが届けられた。無意味なことではない。

「ぜひ、お手伝いさせてください」

 と、私は言った。



 私はそれから数年をかけてベッドの自動入浴システムの開発に取り組み、現在でも使われているシステムの基幹部分を構築した。この功績によって私は大学から博士号を授与された。もっとも、絶滅が決まっている私たち人類にとって、とりわけラスト・ジェネレーションにとって、学位にさほどの価値はないのだけれど。学位に限らず、およそ名誉とか地位というものは意味がないのだった。

 その頃、イギリスのジェフが自動安楽死装置の開発に成功した。これはあまりにも完成度が高く、自身の死を意識することなく、まさに自動のうちに、幸福のうちに死を迎えられるものだったため、安楽死への障壁が劇的に低くなった。世界的な議論が巻き起こった。自死を選ぶことは良いことなのだろうか。人類の終焉へ向けて、生きて全力で貢献すべきではないのか? いや、我々の目標は幸福な絶滅であるのだから、幸福な死はむしろ歓迎すべきである……。

 結論を言うと、安楽死は全く妨げられるべきでなく、人類の幸福のため自由な選択に委ねられるべきだということになった。「安楽死についての国際共同宣言」である。これは人類絶滅へのひとつの転換点となった。ジェフはさっそく安楽死装置をSHLEEPY社製ベッド(そしてそこには私が開発したシステムも含まれる)に統合した。自身の役割を終えたと考えた人々は次々に幸福な安楽死を選んでいった。

「僕の仕事はかなりの部分が終わったような気がするよ」

 と、私は画面の向こうのジェフに向かって言った。SHLEEPY社の快適な椅子にゆったりと座り、コーヒーを飲みながら。暖かな午後のことだった。

「おいおい、まさか死にたいなんて言うんじゃないだろうな?」

 ジェフは笑いながら言った。まあ、そういう反応になるよな、と私も笑った。

「実際さ、ハルナ先生が主導している高齢化社会への適応システム開発はかなり順調に進んでる。彼らは優秀なチームだし、僕がいなくても全然問題ないんだよね。研究者としての能力は君のほうが上だし。ちょっと別のことでもしようかなと」

「別のこと? なんだい、それは?」

「人類のアーカイブの構築。これはSHLEEPY社のスティーブ氏から頼まれたことなんだけど……」

 私は先年のスティーブ氏との会話を紹介した。ジェフはわかったようなわからないような複雑な顔をした。

「うーん、そうだな……お前は変わってるな。役に立つかどうかもわからない、いや、むしろほとんど役に立たないだろう仕事を始めようとしている」

「そう言うだろうと思ったよ」

「まあでも、やることの意味なんてのは俺たちにとってはそれこそ意味がない。もう終わりなんだからな。たとえ百万分の一の確率だろうと、後世の知的生命に届く可能性があると期待するならやってみればいいさ」



 私は仕事の区切りがついたところで、大学を辞した。スティーブ氏から小型飛行機を借り、資金も提供してもらい、わずかに残った記録をもとに昔のデータセンターの位置を推測して探査をおこなった。有望な地点を見つけると、必要な機械類を大型ドローンに積み込んで現地へ向かい、電力などインフラを復旧させる。データを取り出せる場合は衛星を経由してオーストラリアにあるアーカイブセンターへ送り込む。

 この仕事には意外な協力者がいた。私と同じ児童養護施設で育ったトシキだ。彼は大学で工学を学び、幅広い知識と技術を身に着けていた。自動化された機械類をほぼ一人で操ることができた。工学技師として働く傍ら、趣味が高じて漫画収集家としても知られる存在だった。久しぶりに出会ったのは施設の同窓会でのことだった。彼を私の新しい仕事に誘うと、二つ返事で引き受けてくれた。

「俺が漫画好きになったのは戦後の復旧作業で漫画のデータを救い出してくれた人がいたからなんだよな。同じようなことをやってみたいなって。確率は低いとしても、不思議な姿をした未来の知的生命が、漫画を読んで面白いって思ってくれたら嬉しいね」

 私はまず日本を中心に探索した。単にデータセンター探査だけではなく、日本中のかつての文明の痕跡を記録するという目的もあった。

 飛行機から見下ろす日本の国土は私たちが暮らす首都を除いてほとんどが森になっていた。かつての首都である東京は徹底的な攻撃を受けて何もなくなってしまっていて、江戸城の濠だけがそこに人類の痕跡を感じさせた。古都京都も壊滅させられ、文化財のかけらも見つからないだろう。大阪や奈良も同様だったが、郊外にある古墳だけは形をとどめていた。ほんの数十年前の痕跡が消え失せ、千五百年前の遺跡が残っているのは皮肉な気がした。

 私は日本国内では、かつて群馬と呼ばれた地において、世界的情報企業DODO社のデータセンターが一部稼働可能な状態で残っているのを発見した。トシキと二人でドローンを使って原子力発電機を崩れかけの建屋に運び込む。壁の穴からは爽やかな太陽光が注ぎ、森の木々の葉擦れの音が優しく聞こえる。通電すると、サーバーの人工的な駆動音が響いた。

「どう?」

 と、僕はトシキに尋ねた。

「んー、まあ、ほとんど個人のオンラインストレージかな。あんまり価値はなさそうだけど、どうする?」

「保存保存。そういう個人が生きた証って大事なんだよ。たとえば、このファイル開いてみてよ」

 トシキが動画ファイルを開くと、そこには若い女性が三人で東京の街を歩いている映像が流れた。高層ビル、広い舗装道路とそこを行き交うたくさんの車、そしてなにより、大勢の人。見慣れない服装、飛び交う言葉。

「すげえ……めっちゃリアルな感じだ」

「だろ? きちんと編集された記録映像とかではわからない個人レベルの情報があるんだ。それにこの撮影者のSatomiさんっていう人が間違いなく存在したっていう人類の記録でもある」

 ひとつひとつを見始めるといつまで経っても終わらなさそうだったので、私たちはほどほどで切り上げて、生きているデータをほぼそのままオーストラリアへ送った。データを転送している間、私たちは屋上に出て、星空の下で夕食をとった。

「昔は街が明るすぎて星が見えなかったんだってよ」

「そうなの?」

 と、私は箸を止めて言った。

「光害って言ったらしい。どんなのか想像もつかないな」

 私は空を見上げた。今日は月は出ておらず、真っ暗な空に無数の星が瞬いていた。



 時が過ぎた。ヌークプロジェクトは、多少の波がありつつも順調に進んだ。私が70歳になる頃にはほぼ完了したといっていい。ハルナ先生は三年前に亡くなった。未だに不治の病である癌に冒され、最期は私たちが作り上げた自動安楽死装置によって安らかに眠った。ハルナ先生だけではない。戦争を生き残り、ヌークプロジェクトに人生を捧げた多くの人々がこの世を去った。ラスト・ジェネレーションが高齢者となり、高齢化社会ではなく高齢者しかいない社会になった。私も含めて、この世界で生きている人々は、肉体の衰えによってもはや以前のように最前線で働くことはできない。あるいはあらゆる人類活動が自動化された結果、働く必要もない。

 人類は、完全な余生を送る段階に入った。私の知る人々も次々に亡くなり、人口は減っていった。特に多かったのは、人が減り、話し相手がいなくなったことで楽しみを見出すことができなくなり安楽死を選んだ人々だった。

 この頃には私たちは基本的な仕事はほとんど終えたといってよかった。スティーブ氏から引き継いだアーカイブ事業は、目星をつけていたデータをほぼすべて救い出すことに成功していた。私たちがやっているのは、作り上げたシステムやアーカイブに少しずつおまけを足していくような活動だった。そのスティーブ氏も亡くなり、社員のいなくなったSHLEEPY社は組織としては解散し、自動運転の工場だけが残って需要に応じて稼働している。

 私は世界中を飛び回り、各地で生活している最後の人々を訪ねた。飽きることのない人々は、科学の新しい理論を生み出し、哲学的な思索を深め、これまでにない芸術を広げていた。私はそれをあらゆる角度から記録し、アーカイブに加えた。

 芸術と哲学の分野ではふたつの考えが対立していた。ひとつは人類は痕跡を残さず消滅すればよいと考える消滅派と呼ばれる人々。もうひとつはいずれ現れる知的生命に引き継ぐために様々な人類活動の証を作っていこうという人々。後者はヌークプロジェクトと親和的で主流派・保守派だ。

 私は中国南部に住む消滅派のひとりであるタオ氏のもとを訪れた。氏は私よりも十五歳年上で、短く切った髪は白く、顔には深い皺が刻まれていた。しかし、表情はこれまでに見た誰よりも穏やかだった。まるで悟りを開いた僧のようだと思った。

 タオ氏は街から少し離れたところに、ごく小さな家を建て、そこに一人で暮らしていた。自分が死ねば何もかも自然に帰っていくだろう、それでよいのだ、と彼は言った。

「消滅する、それは最高の平穏だと思うのですよ。何も無いのであれば何にも囚われることはありません」

 氏は私を家の外に連れ出し、崖の上の少し広い場所で彼の芸術を見せてくれた。周囲に落ちている石を拾い集め、不規則に並べていく。その様子はカメラで撮影され世界中の彼のファンへリアルタイムで配信されている。一時間ほど、彼は石を並べ続けた。

「完成です」

 と彼は言った。単に落ちている石が移動させられただけで、そこには意図らしきものは感じられない。

「不躾ですが、この作品にはどういう意図が?」

 私が問うと、タオ氏は穏やかに目を細めて笑った。

「意図は、無いんですよ。ただこれを見たカメラの向こうのみなさんが喜んでくれる。それだけのことです」

 端末を覗き込むと、世界中からたくさんの賞賛のコメントが届いていた。

「そしてこれは風雨を受けて並びが変わっていくでしょう。百年もすれば人為的なものだと気づく者すらいなくなる。後世に知的生命が現れたとして、これを芸術だと理解することはできない。それでいいんです」

 コメントの投稿が落ち着くのを待って、タオ氏は「ありがとう、終わります」とカメラに向かって言った。配信は終わり、この記録は残らない。

 家に戻ると、中国の伝統的な料理をふるまってくれた。もはやこのレシピを継承しているのはタオ氏が最後なのだという。



 私は九十歳になった。一応自力で歩くことはできるが、以前のような体力はもはやない。それでも、補助装置を装着して世界中を訪れた。

 生き残っている人はかなり減っていた。また、私と同じように体力が衰えて、補助装置なしで生活している人もほとんどいなかった。最高齢者はスペインの百二十歳の女性で、私はスペインに行くと彼女のもとを訪れるようにしていた。数年前から認知能力がかなり低下しておりコミュニケーションは困難だった。それでも、自動ベッドのセンサーが拾い上げる数値は彼女が幸福であることを表していた。

 いくつかの国は人口がゼロになり「国じまい」をした。私は生き残った数少ないエンジニアとしてそれらすべてに携わった。誰もいなくなった家屋を見て回った。多くは植物に覆われて、まるで遺跡のようだった。最後の一人が暮らしていた家の中にだけ人の生活が感じられた。私は都市に蓄えられていたデータをアーカイブに送信し、都市を駆動するシステムをシャットダウンした。制御室に響いていたかすかな駆動音が止まる。外に出ると動物の鳴き声が聞こえた。人類の領域はこうして彼らのもとへと戻っていく。



 私が百八歳のとき、ついに自力歩行ができなくなった。補助装置では体を動かすことができず、自動ベッドの上で過ごすようになった。とはいえ、自動ベッドは自走して自在に動くことができるため、私は相変わらず世界中を飛び回った。

 私がこの頃取り組んだのは、国じまいをするなどして消滅した人類の居住域が自然に帰っていくさまを記録することだった。エジプトでは崩れた都市が砂漠の砂に飲み込まれていった。インドネシアでは植物が瞬く間に人間活動の痕跡を覆い隠した。人間の生きた証はどんどん消えていく。

 この頃の私は将来の知的生命のために記録するという目標は放棄していた。それはその目標をすでにほとんど達成してしまったからで、あるいはかつてタオ氏から聞いた話が影響していたのかもしれない。私は人類の領域が徐々に消えていくこの世界の美しさに魅了され、私自身の興味に従って世界中を旅した。

 日本で飛行機を使うのは私一人になったので、機体を改造して自分好みのプライベート機にした。自動ベッドごと自走して搭乗すると、そこは私一人のための空間だ。窓際で眼下の風景を眺めるのが私は好きだった。もう世界中の地形を見慣れてしまったが、それでも季節ごとに、日ごとに、景色は変わった。日本でわずかに(実質、私のために)醸造されている香りの良い日本酒が自動で提供される。私は一口飲み込む。血中アルコール濃度はセンサーで測定され、基準値を超えないように提供量が調整される。もっとも、それを超えるほどの量を飲みたいと思うような体ではなくなってしまったのだが。かすかなエンジンの音を聞きながら私は眠る。

 


 百十歳。私の知る人々はほとんど亡くなった。トシキが老衰で死に、養護施設の同窓生はいなくなった。イギリスのジェフからも連絡が来た。

「やあ、元気そうだな」

「君もだ」

 私たちは冗談めかして言った。彼は自動ベッドの上で、自動延命装置につながったまま、ラスト・ジェネレーションとしての活動を精力的に続けていた。

「ヨーロッパはついに俺一人になった」

 と、ジェフは言った。

「昨日、最後の一人を看取った。幸福な最期だったよ。人類は実に良い選択をしたと言って、笑って死んだ。そっちはどうだ?」

「日本は僕のひとつ上の人が一人いる。あと中国にワンさんっていう百二十歳の仙人みたいな人がいるな。まだ頑張るつもりじゃないかな」

「そうか、アジア人は長生きだな」

 ジェフは笑った。

「これで俺の仕事は終わりだよ。自分でもよくやったと思ってる。本当はこんなに人が少ない世界で生きているのは寂しかった。HEDONONEがなければ精神状態を保てたかどうかわからない」

「君はよくやったよ。ラスト・ジェネレーションとして最高の役割を果たした」

「ありがとう。でも、俺はこの仕事をやりとげたらもう死ぬって決めてた。押し付けるようで悪いが、最後のことは君に頼みたい」

「押し付けだなんて思わないよ。僕はもう少しこの世界を見ていたいんだ」

「そうか。君は変わってるなあ」

 ジェフはまた笑った。

 数日後、ジェフが亡くなったという自動メッセージが届いていた。人の死というのは不思議なもので、この年には日本に残っていたもう一人、タカコさんと、中国のワンさんが、立て続けに亡くなった。

 私はついに一人になった。



 人類最後の一人になってからも、私は世界中を飛び回った。もう、上空から見る地球にはほとんど人類の痕跡は残っていないように見えた。日本の長野上空に戻ってきて飛行機が高度を下げると、私の住まいであるコンドミニアムだけが白く太陽光を反射している。梅雨入りしたはずだが、本州上空はよく晴れていた。

 自動ベッドとともに移動し、一ヶ月ぶりに自室に戻る。システムがスリープ状態から回復する。

「おかえりなさいませ。いかがなさいますか?」

「シャワーを浴びて、少し横になりたい」

「かしこまりました」

 自動ベッドは私をシャワールームに連れていき、何の意識をせずとも服を脱がせシャワーを浴びせる。私は良いものを作ったなあと、心の中で自画自賛して嬉しくなる。

 窓際に移動してベッドが展開し、広々とした寝床になった。

「少し上体を起こしてくれ」

 私の意図を汲み取り、ほどよい角度で上体が起こされた。窓の向こうの風景がよく見える。

「お飲み物をご用意しましょうか?」

「りんごジュースを」

「承知しました」

 たちまちにりんごジュースがグラスに注がれ、手元に置かれた。かつてこの地で首都を再建した戦後の偉大な人々が、焼け残ったりんごの木を守り、殖やして広い果樹園にした。今は全自動で管理されている。

 私はりんごジュースを口に含んだ。甘くて爽やかな香りが鼻に抜けていく。

 ヌーク会議で人類の絶滅が決定されてから百十二年。一世紀以上にわたって人類は生き延びてきた。ちょっと生きすぎたんじゃないか、と苦笑いが自然に出た。しかしともかく、私たちは自らが決めた目標を達成した。私たちは幸福な最後を迎えることができた。もう不幸が生まれることはない。もう争わなくていい。

「ありがとう。おいしかったよ」

 私がそう言うと、グラスは静かに片付けられた。

 六月十六日、私はこの日と決めていた。人類が未来に絶望し、絶滅を決めた日。

「終わりにしてくれ」

 と、私は言った。

「よろしいのですね?」

「ああ、もう何もやり残したことはない。晴れ晴れした気持ちだ」

「承知しました」

 何も気づかないうちにHEDONONEが投与されたのだろう、満ち足りた幸福感で気持ちが安らかになった。



 コウジの意識はここで途絶えた。システムはスリープ状態に移行し、アーカイブを凍結し、動作を停止した。この記録は未来の誰かに手渡されるかもしれないし、誰にも見つからないまま地球とともに消滅するかもしれない。

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