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おじさんの言葉

 おじさんのことかい? おじさんはね、野球が好きでもないのにシャドーピッチングをするのが趣味なんだ。ほら、見ててね。こうやってセットポジション。バッターに対して体を横に向けて静止する。ここが肝心なんだ。心を落ち着ける。バッターの目を睨みつける。呼吸を整える。そして静かに左足を踏み出すんだ。クイックモーションでね。絶対に一塁ランナーを走らせちゃいけない。走る隙も与えないくらい速く体を動かす。コンパクトに腕を折りたたんで体の回転で一気にボールを投げ飛ばす。シュゥーッ! パアァァーンッ! 気持ちいい音を立ててボールはキャッチャーミットに吸い込まれる。バットは空を切る。三振だ。バッターのヤツ、もうこればっかりはしょうがないって諦め顔で帰っていくのさ。さすがにおじさんの前では手も足も出ないってことだね。でもね、次が強敵なんだ。ネクストバッターズサークルから余裕綽々で歩いてくるアイツさ。イィーッチロォォォーゥッ! スゥッズゥッキィーッ! 派手なアナウンスとともに場内は大歓声だ。もう誰もおじさんのことなんか見ちゃいない。みんながあいつに釘付けさ。俺はいつものセットポジションから素早くボールを投げつける。もちろん最高のボールをね。バッターの手元で少しだけ曲がるんだ。大抵のバッターは気づかずに打っちまう。そしたらサード・ゴロさ。ワンナウトのいっちょ上がりってね。ところがアイツは違うんだ。曲がるのを見越したかのようにバットの軌道を変える。ボールは磁石に吸い寄せられたみたいにアイツのバットの真ん中に当たっちまうんだ! カアァーンッ! 木でできてるくせに金属バットみたいな音がしてボールはスゴい勢いで天高く舞い上がっていく。もう振り向く余裕すら無かったさ。何か音がしてそっちを見たらボールが外野スタンドで転がっていた。ホームラン。なんて思う間もなく二点献上だ。カッコつけた顔でダイヤモンドを一周するアイツを見ながら、ああ才能ってのはこうなんだ。努力じゃ埋めようもないんだ。残酷なもんだなって、おじさんは思ったんだ。


 そうだ、ひとつ言っておくよ。おじさんの言うことを聞いちゃいけない。耳が腐るからね。何年か前におじさんの言うことを熱心に聞いてくれた若者がいたよ。でも彼は案の定、耳が腐ったね。みみたぶが真っ黒になってタール状に溶けた。そのあと耳の穴からアスファルトみたいな黒い塊がいくつもいくつも出てきて、最後に八本足のゴキブリの子供が何十匹も這い出してきた。そのときにはもう体中が蟻の巣になっていたみたいだよ。骨髄が蟻に食われて空っぽだったんだ。妙な音がして彼の体がいきなり崩れ落ちた。骨が穴だらけで体を支えられなかったんだね。崩れ落ちた彼の体からは意外なことに蟻は出てこなかった。かわりにどこに潜んでいたのやら、大量のシロアリが我先にと逃げ出した。中々壮観だったよ。何しろこの公園の半分くらいがシロアリの背中で白く見えたんだ。それから、偉いのは蟻たちだよ。彼らは骨の残りかすをせっせと砕いては砂に還元した。タールやアスファルトや八本足のゴキブリの残骸も同じように砕いては砂に還元した。おかげで若者の体は姿形もなく砂になった。ほら、いまそこにある砂場は黒っぽい色をしているだろう? つまりそういうことさ。


 そうだ。君はマレーシアに行ったことがあるかい。あそこはとてもいい国だ。どこかわからないって? それもそのはずだ。あまり有名ではないからね。でもタイランドの南だって言えばなんとなく分かるんじゃないかな。タイランド。あの国もいいところだ。ある種の天国って言ってもいいんじゃないかな。じつはおじさんはタイランドで生まれたんだ。とても裕福な家庭でね。おじさんは美少女だった。とても優しい母親と、とても頭のいい父親に育てられた。二人は熱心な仏教徒だったから、おじさんも一緒によくお寺に行ったよ。お寺に来た人たちはみんなおじさんのことを褒めてくれた。お母さんに似て優しいね。お父さんに似て賢いね。何よりおじさんは美少女だった。とっても可愛かったんだ。誰もがおじさんを見て幸せな気持ちになった。おじさんも幸せだった。それなのに、世界はおかしくなってしまった。おじさんは美少女ではなくなってしまった。おじさんになったんだ。おなかのあたりに脂肪がいっぱいへばりついてぷっくりと膨らんでしまった。肌はしわくちゃになってぼろぼろさ。それなのに妙に脂ぎってギトギトするんだ。髪の毛は少なくなって地肌が見えるようになった。体中から下水道みたいな臭いが漂い始めた。誰もおじさんのことを褒めてくれない。みんな不幸だ。おじさんも不幸だ。君のような若者を捕まえて面白くもない説教をすることしかできない。こんなのはもう嫌だ。嫌だよ。当たり前じゃないか。でももうおじさんにはこれくらいしかできないんだ。助けてくれよ。お願いだ。助けてくれ。もう嫌なんだ。助けてくれよ。

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