戦争は、いろいろめんどくさい
『魔法使いの世界も戦争が絡むと大変だな』
『魔法使い同士の戦争ならいっつもやってんだけどね……相手が人間になると勝手が違う。どこまで関わっていいのやら』
手探りになるしかないよ、とアイズを指揮する男はあながち大げさとも言い難い表情で嘆いた。
〈……僕らは、この世界にとって、異物なんだよ〉
ひっそりと落とされたささやきはこの世界のどこにも存在しない言語。
聞こえないようにと絞られた自虐的な一言は、狙い通り相手に届いた様子はなく。しかし、それとは無関係にディーターの表情はふ、と陰りを帯びた。
『どうしたの?』
『……なあ、マサキ。わが国が、戦争の前から遺伝子工学の分野に力を入れているってことは知っているだろう?』
『ん? うん。君がものすごく感謝してたよね』
ローゼンクランツ家の遺伝子異常を調べる上で、この国の遺伝子工学の分野が世界最高峰でよかった!! と何度も言っていたのはディーター自身である。そして彼は、そんな世界最先端の学問の頂点に立つと言っても過言ではない学者だ。いくらアイズが彼の研究を全面的にバックアップしているとはいえ、愛の力はすごい、と晶樹はしみじみと感じさせられているのだ。
『俺の研究も戦争が始まって間もない頃に接収されたことがある』
『そうだったの?』
これは初耳だ。晶樹は驚いてディーターを見た。
『接収といっても元データはちゃんと手元に残っていたし――持っていかれたのは、遺伝子研究の分野だけだからな。魔法関係の論文はちゃんと別のところに隠してあるし』
なんせこの古城で隠し部屋は事欠かない。なんでもないように言う貴族に、晶樹はぱかりと口を開いて、閉じた。
『……なんだ?』
『いや、そういえば僕のとこも人のことは言えなかったな、と思って』
晶樹が当主である高麗邸も、アイズの本部も、似たり寄ったりだ。
誤魔化すように杯に口を付けた晶樹である。
『……まあ、それで……』
ふといいよどむディーター。晶樹が首を傾げて見守る先、彼はええい、とばかりに一気に酒を喉に流し込んだ。
『極秘だ、マサキ。西側も東側も、今おそらくそれ関係の兵器を開発している』
晶樹はちょっと目を見開いた。
相手につられるように囁くような声で応じる。聞いている人は他にいないが、気分的に、大きな声でできる話ではない。
『……確かかい?』
『間違いない。東大陸からはなんと引き抜きがきた。西も――研究に加わるようにと召集があったが、どちらも拒否した』
『突っ込みどころがいろいろあった気がするけど、大丈夫なのかい?』
今度はぐぐっと眉根を寄せた晶樹にディーターは『無論、問題にならないようにした』と答えた。
『まあ、厳密に言えば大問題なのだろうが――俺は幸いなことに、研究の全面的なバックアップをお前たちから受けている。それが大きな防壁になったな』
『……つまり、東にとってみれば君やローゼンクランツを誘拐したら援助している僕らを怒らせて、完全な敵に回すことになる。西にしてみればそれに加えて、研究のバックアップを僕らがしているから脅迫の材料がない、ってことか』
『こう言う場合、研究費の打ち切りというのが定番の脅迫だからなあ』
しかもバックアップ先が世界的な影響力を持っている高麗一族ということで、そちらに圧力をかけて援助を打ち切りにさせることもできないし、下手な手を打てば最悪亡命の可能性すら浮上する。この国にしてみれば打つ手なしで、いやはや他人事ながら交渉役が哀れだった、とディーターは首を振った。
『この時期に、君を招集するのだったら、確かに軍事開発の可能性が高いけれど……遺伝子研究、だって……?』
まさか生命操作に手を出してるんじゃないだろうな?
深い懸念をにじませた声に、ディーターは曖昧に首を振った。
『正直なところ、わからん。……そこまで馬鹿なことは考えないと思いたいのだが……今は、戦争中、だからな』
どんな考えが出てきてもおかしくないし、どんな馬鹿なことをやってもおかしくない。それが戦時というものだ。平和な時には様々なブレーキがかかっているのに、戦争という言葉一つでそれらが全て取り払われてしまっても不思議ではないのだ。
『うん……わかった。こっちでも気をつけてみる。情報ありがとう、ディーター』
『本当に気をつけろよ。魔法使いというのは詳しく知らないものたちからしてみれば宝の山のようなものだ。我がごとながら、人間というのは時々常軌を逸する』
『それは魔法使いもだよ。……大丈夫。僕らアイズは地球にいる魔法族の保護、監察機関だ。わざわざ徒党を組んでいるのは相手がどれだけいても負けないためだよ』
だから、大丈夫。いくら人間に関わりたくなくても、泣き寝入りなんてしないから。とにっこり笑う相手に対し、ディーターはほっとしたように息を吐いた。
『そう願うよ。心の底からな』
『……本当にいいやつだね、君は』
『は、今更気付いたのか?』
にやり、と笑ってグラスを持ち上げる相手に晶樹は笑みを深めた。互いのグラスに酒を継ぎ足し、唐突に。
『治療法が実際に使えるようになるまであとどのくらい?』
『うん? ああ……そうだな、だいたい一月から一月半というところか』
晶樹はそれを聞き、よぉし、と気合いを入れた。
『一月半か。やっぱり僕らは手をこまねいている場合じゃないな。クリスたちがちゃんと療養に集中するためにも、嫌な予感が当たらないようにするためにも、さっさと終戦してもらおうか!』
『は? いや、うれしいんだが、そんな理由でいいのか……?』
『もちろん。それにこれ以上書類漬けが続いたら僕の我慢が限界になる』
力強く続いた言葉に、思わずそれが本音かと突っ込みそうになるディーター。確かに晶樹がデスクワークが得意だと聞いたことはないが、いやしかし。
『……まあ、終わるに越したことはないか……』
いろいろ考えていた彼は、緋の目を見て結局そう呟いた。いたずらっぽい笑みを含んだ目を見ていると、その裏にいろいろあるのであろう思惑を考えるのがバカバカしくなってくる。振り回されていることを承知で言葉を額面通りに受け取ることにし、グラスを持ち上げた。
『次に会う時は今日よりもっといい報告をしよう。そっちもほどほどに頑張れよ?』
晶樹は笑顔のまま、応じてグラスを上げた。
『もちろん。――次は、こっちこそいい報告をしてみせるさ』
キン――。
グラスを軽く触れ合わせ、二人は同時にそれを干した。
――けれども、その挑戦とも言える約束が果たされることは、結局なかったのである。