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いつか雪崩れそうな執務室

 右を向いてみると目に入るのは真っ白い紙の山。左を向いても目に入るのは以下同文。

 晶樹は自身の執務室の中、深々とため息をついた。


「書類に埋まりそうだ……なんでこのご時世に紙媒体……」


 聞き惚れるほど耳に心地よい美声は、けれど鬱屈とした感情を内包して部屋に拡散する。床面積は二十畳以上ある部屋なのだが、今はところ構わず書類が木のように積み上げられていて、その広さは実感できない。目の前に立ちはだかる人の身長より高い紙の木が「さあ仕事しろ」と威圧してきているようで、晶樹は相当憂鬱になっていた。


 晶樹と書類しかないのではないかと思われた部屋だったが、思いがけず、誰かの応えがあった。


「仕方ないでしょう。アイズのネットワークシステムは魔法を併用しているから、今の地球の状況ではいつ落ちても不思議じゃないんです。データが消える危険を冒すよりは、ちょっと面倒でも書類を提出する方がまし。――ほとんどはそう考えますよ」


 書類の森をすいすいと避け、その発言の主は晶樹の机のそばにたどりついた。その人物が抱える新たなる書類に、晶樹はうんざりしたように溜息をつく。


「……それは優先処理の書類かい、(みのる)?」

「はい。できれば一時間以内に処理をお願いしたい書類です」


 戸籍上は晶樹の甥となる十九歳の青年、真藤稔(しんどう・みのる)は、深緑の瞳に少しだけ同情の念をにじませながらうなずいた。否定してくれないかなーと思って質問した晶樹は、一縷の望みが断ち切られてがくっと頭を落とす。


「ああああああ……こんなことになるんだったら早めにネットワークシステムの改良を命じておくんだった……」


 発言に若干涙がにじんでいるような気がするのは、きっと気のせいじゃない。


 晶樹はアイズの最高司令官だが、彼がアイズ最高司令官に着任したのは一年前――つまり、大洋を挟んだ西大陸と東大陸で戦争が勃発した直後だ。時期が悪すぎた、といえばそこまでだが、彼はやや柔軟性を失ってきた組織の改革にいそしむより先、日々報告と称して上げられてくる書類(イヤガラセ)(晶樹談)の決済にいそしむ羽目になっている。ほかにも、地球にいる魔法族(アイズ)のリーダーとして人間の国家元首なんかを相手に会談をしたり、脅しをかけたり、前線に行って救助に参加したり、戦時中でもルーティンワークとして処理しなければならないことがあったり、やるべきことは多くあって――少し気を抜いたら、こんなふうに自室が書類の森になる。晶樹は長期化はすまい、と判断した一年前の自分を心底呪った。欲ボケした人のあきらめの悪さをナメ過ぎた。


 嘆きながらも稔がもってきた書類に目を通し始める。根が真面目なだけ、損をすることになってしまっている上司をさすがに哀れに思ったか、稔が口を開いた。


「耳だけこちらに向けてください。――ローゼンクランツ伯から連絡がありました。近く、時間が空いたときにでも寄ってほしいとのことです」

「ディーターが?」


 本当に目を通しているのか、と疑いたくなるスピードで書類をめくっていた晶樹が、耳だけでなく視線も稔に向けた。


「何の用か言ってなかったかい?」

「はい、ただ、来てほしいとだけ」

「……変わった様子もなかった?」


 稔がうなずくと、晶樹は「……そう」ともらして書類に目を戻した。けれど数秒してもそれがめくられることはなく、彼の意識がそちらに向いていないことは明白だ。


「……何も言わなかったってことは、悪い知らせじゃない、のかな……?」

「たぶん、そうだと思います」


 ふむ、と晶樹は考えた。

 ディーター・フォン・ローゼンクランツは西大陸のとある国で貴族をやっている晶樹の友人だ。その彼から呼び出し……晶樹が真っ先に考えたのはディーターの愛娘、エーリカの誕生日はいつだったっけ。ということだった。今年で七歳となる友人たちの娘を、晶樹もかわいがっているのだが、ここのところ忙しさにかまけて遊びに行けていない。その間に誕生日が過ぎてしまっていたのではないか、と危惧したのである。


「稔、今日は一九三三年の二月十日だよね?」

「え? ええ。午後七時を回ったところです」

「じゃあやっぱりエーリカの誕生日まであと一週間ある……クリスの誕生日は八月だし……」

「そこでなぜ誕生日という発想になるんです……」


 それはいくらなんでもローゼンクランツ伯をばかにしすぎだろう、と稔はあきれかえったようだった。彼に向け、晶樹はふっと妙に遠い目で笑みを浮かべてみせる。


「ディーターは馬鹿で間違いないんだよ。あれは、重度の親馬鹿だから」

「人間の世界では遺伝子工学における世界的権威で、魔法世界においてもいくつも重要な論文を発表なされている貴重な科学者です。さすがにこの状況で個人的な事情に走るほど、短絡な方ではないでしょう」

「……まあ、そうか」


 間髪を入れない稔の切り返しに晶樹はわずかに自身の考えを修正した。そう――ディーターなら、テレビ電話で盛大に文句を言いこそすれ、この大切なときに「来い」とは言わないだろう。


 しかし本当に、いったい何の用だろう? 改めて考えた時、晶樹は自分の中に懸念ではなく昂揚があることに気付いた。久々に会う親友の悪い報告ではないらしい話を楽しみにしているのだろう。先ほどよりずっとやる気がみなぎってきて、彼は唇の端を吊り上げる。


 このチャンス、無駄にすまじ。


「よっし、やる気出てきた。稔、僕のとこに来た書類、これで全部? 応接室のほうにあふれてるなんてことないね?」

「え、はい。十分前まではこれですべてでした」


 突然意欲を見せ始めた上司に驚いたのか、稔は瞬きをしながらも答える。晶樹は彼に壁際まで下がるように言い、引き出しからインクを取り出してふたを開けた。それから首の鎖をたどって服の下からペンダントを引っ張り出す。

 銀の鎖の先、親指の先程度の大きさの石が露わになる。自ら炎を閉じ込めているような石を握りこみ、稔が壁際にいるのを確認して――晶樹は石を軽くはじいた。


「補助を頼むよ、アイディン」


 答えるように、きらりと石が光った。


 晶樹が目を閉じる。その黒髪が、ふわりとあおられる。


 稔は知らずに息をつめた。空気がどろりと濃密さを増す。締め切られた部屋であるのに、確かに風が彼の髪を揺らす。

 何をするつもりだ、と、注意深く晶樹を見ていると――。


「……っ!」


 鼻先をひゅっと何かがかすめて、稔は思わず壁に背中を押しつけた。白い「何か」を目で追う。


(……紙!?)


 それは所狭しと積み上げられていた書類だった。一枚だけではない。次から次へ、書類は強風に巻き上げられたように宙に舞い、晶樹の周囲で渦を巻く。超局地的な竜巻でも起こっているような光景だが、それほど強い風は感じられない。書類を巻き込み、渦を巻いているのは――晶樹から放たれた魔力だ。


(検索魔法? いや、その応用? てか何しようとしているんだ、晶樹さん?)


 検索魔法。文字通り、大量の物品の中から特定のものを探し出すための魔法であるのだが、稔にはここでその魔法を使う意図がわからない。いったい何をしているのか考えていると、竜巻から支流(・・)がのびた。

 風がほどける。巻き上げられていた書類が一枚一枚丁寧に重ねられ、再び書類の木となる。

 稔が手を伸ばして書類を抜き取る暇もなく、あっという間に部屋のなかは再び白い木が乱立した。先ほどと異なるのは、その木の高さがまちまちになっていることぐらいだろうか。理解に困った稔が晶樹を見ると、彼はちょうど、インクのふたをしめたところだった。


「いったい何をしたのです、晶樹さん?」

「……ん、稔、これ見るの初めてだっけ?」


 意外そうな顔をした晶樹が手近の木から書類を一枚抜き出し、差し出す。こわごわとそれを受け取った稔はそこに先ほどまではなかったはずのサインを見つけて眉を跳ね上げた。


「待った待った、適当にサインしたわけじゃないからね」


 渡したのが悪かったかな、と晶樹は別の書類を引き抜いた。まさか見る手間省いてサインだけ入れたんじゃあるまいなと怒る準備をしていた稔は、新しく見せられた書類に修正が入れられているのに気づいて口を閉ざす。内容を把握していなければ修正は入れられない。ということは。


「……晶樹さん、まさか……さっきの魔法って……」

「文字を頭の中に直接流し込む魔法」


 まさか、と思ったことが肯定され、稔は苦虫をかみつぶしたような顔をした。


「なんでいつも使わないんだって顔しているけどね、稔。この魔法ってリスクが高いんだよ。情報量多ければ頭の方が先に壊れるし、大量に魔力食うし。よほど並列処理に慣れている人じゃないと使えないから、普及率低いしねー」


 なだめるような笑みを浮かべる晶樹。魔力消費が大きいということを証明するように、彼はおもむろに栄養ドリンクの瓶に似ている小さなガラス瓶を取り出した。

 中に入っているのはアムリタと呼ばれる魔力回復薬だ。副作用が大きく、普段は口にしたがらないそれを、晶樹は一息で飲み干した。


「よーし、これで時間が空いた。ディーターのとこ行ってくるね」


 ようやく書類から解放され、晴れ晴れとした笑顔を浮かべる晶樹。久々にイイ笑顔をした上官に対し、稔は口に出したい百万語を押し込め、ただ――いささか乱暴にだが――頭を下げた。


「……お疲れ様です」


 よくできた部下に、晶樹は小さく笑って移動魔法を展開した。

 



2015/02/10 副題設定。雪崩れたら書類がごっちゃになって、晶樹はきっと数日寝れない。

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