第十七話 『出来ること』
「祐樹君が悪魔みたいな、男」
明美は、祐樹君をはっきりと悪魔と言った。今まで私はそれを認めていなかったのか、
悪魔を違和感として転換し都合の良いような解釈をしていたのか。
頭が痛かった、もし私があそこで気がついていれば、余計なお節介をしなければ、たら、
れば、言っても仕方が無いが悔いてしまう。
ただ、今では確信できる。祐樹君とマキちゃんは何かあった。そして、それによって根本的
な部分から変わってしまった、間違っては無いだろうきっと。
裕子は迷っていた。これを和馬に説明すべきか、それとも、
『しばらく、様子見たほうがいいだろう』
和馬の言葉が、頭の中を駆け巡る。マキちゃんの中で何か起こっているのは確実だ、和馬
に言えば動いてくれるのだろうか、それとも
無意識に、首を横に振った。止めよう、今は一番最善事をやるだけだった。
どうすれば、一体どうすれば、考えても考えても良案は浮かばない、マキちゃんは苦しんで
いるのに。一体何で、その焦燥が自分を襲う。
もう夕方だ、子供達の食事の用意をしなければ。考え事ばかりしていると時間が経つのが
早い、部屋から出て食堂に向かった。
食堂に着くと、園長先生と職員さんが夕食の用意をしていた。
「ユウちゃん、顔色悪いよ」
勘の良い、園長先生はすぐに気がついたのだろうか、言われても否定はしない。
「ごめんなさい、ちょっと調子が悪くて」
心配をかけてしまった、反省をする。
「そっか、いいよ、休んでて。無理はしないで」
「いいえ、大丈夫です。今日は和馬は」
「カズちゃんは、さっき電話あって。少し遅くなるって、何か搬入に手間取ってるらしい」
「そうですか」
心細い、その言葉が頭の中に浮かぶ。
「マキちゃんも、友達と勉強会らしいよ」
「・・・・・」
今はなるべく彼女の名前を聞きたくない。対策が練られてないうちは、憚りたい言葉だ。
「ユウちゃん」
相談はしたくは無いが、和馬にそばに居て欲しい。
「マキちゃんも、頑張ってるんですね」
「うん、そうよ。保育士目指すって」
園長先生はうれしそうに語る、後継者が出来たその喜びだろう。
「そうですね、マキちゃんは優しいですから、きっと良い先生になれますよ」
「ユウちゃんもね」
私も先生を目指す身だ、しかし、いつも傍に居た子を間違った道へと進ませている。そして
それに気がつかなかった。いいや、気がつかなかった訳ではない、無関心だったのだ。
私達に見せていた笑顔の下は、苦しみだったのかもしれない。私は、そんなマキちゃんを
全然見てなかった。
悔いてしまう、激しい後悔が自分を襲った。こんな私が教師を目指そうとはお笑い種なのだ
「ユウちゃんは完璧主義者」
園長先生の突拍子も無い言葉で少し驚いた。
「いいえ、そんな事は」
そんなつもりは一切無い。
「じゃあ問題、ユウちゃん。子供達って無知だとおもう」
自分は、その言葉に被り振った。
「そうよ、子供は無知じゃない。大人より深い知識がある」
大人より深い知識。
「えぇ、大人になる毎に、要らない知識を捨ててしまうの。物事の興味をなくすと言ったほう
が良いのかな」
確かに、言えている。大人になり、用意されていたレールを歩くことにより物事の興味を
無くした。
「柔軟な考えを、私たち大人が奪っているの」
「園長先生」
「この世話しない世の中では、それが普遍的なのかもしれないね。それでも私達教育者は足掻
かなければならない」
もし型通りの教育があるとすれば、それはきっと偏った教育となるのだろう。
「えぇ、同感できます」
「考えているの、マキちゃんの事でしょう」
言われた途端、思考が停止した。何で園長先生が、自分はその事を一切洩らした覚えは無い
「彼女に何か起きているのは、分かるわ。」
園長先生は、作業の手を止めた。
「ただ、それがマキちゃんにとって必要な事なのかは分からない」
そうだ、一般的な恋愛ならいくら苦しんでいても、必要な事だった。しかし今は、
「園長先生、相談が」
ここまで言っておいて、口ごもってしまった。
言うべきなのか、言わずにおくべきなのか自分の中では、未だ葛藤に苛されている。だが、
園長先生は
「言えないと言う事は、何かあるという事かな」
痛い所を突いてきた。
「ねぇ。ユウちゃん、先ほど言ったよね、私達教育者は子供達を正しい道に進ませなきゃなら
ないと」
「はい」 マキちゃんは何処へ行こうとしているのだ。
「ユウちゃんは、どう思う。マキちゃんは間違った道へと進もうとしている」
自分は、素直に頷いた。
「なら、止めなきゃ、首根っこつかんででも」
「で、でも。それが、マキちゃんが望んでいるのかどうか」
そう、そこが問題だった、彼女が望んでいなければ意味が無い。だが園長先生は意外な事を
吐く。
「関係ないわ、そんな事」
「関係ないって、ちょっと」
流石に驚いた。園長先生からその言葉が出るとは思わなかった。
「問題は、愛情を持って接することが出来るのかという事でしょ」
確かにそうだが、
「外部の力によって、今別の方向に進もうとしている、そうマキちゃんは耳と目を塞がれて
いるの」
マキちゃんには私達の言葉は届かないのだろうか。
「届かないわ、だからこそ、心で語らなければならない、後悔させないためにも」
ここまで話すと、園長先生はまた作業を始めた。
「それが今出来るのは、マキちゃんの傍に居た、ユウちゃんとカズちゃんだけよ」
その時見せた、悲しそうな表情が印象的であった。
夜の十時、マキちゃんはまだ戻ってこない、食堂は不穏な空気に包まれていた。
連絡あった和馬も今日は遅い、不安や焦りが自分の中を蠢いている。
園長先生は、お母さんの看病でもう居ない、ここは私に一人に任されていた。
「まだ、真希お姉さんは帰ってこないのですか」
入り口から声がしたので振り向く、入り口に立っていたのは実穂ちゃんであった。
「うん、まだ」
もう消灯時間が過ぎているが、それを咎める気は無い。
「そうですか、心配ですね」
小学生ながら、彼女はかなりしっかりしている。
「えぇ。きっと大丈夫だと思うけど」
『きっと大丈夫』そんなの付け焼刃的物だ。
しかし。実穂ちゃんは自分の不安を中和する様な、笑顔を見せた。
「じゃあ、不安な顔やめましょう、裕子お姉ちゃん」
一瞬思考が停止した。そうだこんな時ほど笑わなきゃ
「そうだよね、ごめんね」
その時、いきなり携帯が鳴った。メール、いや、電話だ。マキちゃんかと思い電話を取る
しかし、違っていた。
『姉貴、わるい』
和馬である。予想は外れたが安堵の息が漏れた。
『搬入が遅れたから、遅くなっちゃって、今から帰るわ』
相当遅れたのだろう、疲労している声に聞こえる。
「そう、分かった。気をつけてね」
実穂ちゃんは、電話をしている自分を見て、手を上げてこの場を去った。自分も手を上げて
それに答える、そして実穂ちゃんが去るのを見計らった。
「和馬、マキちゃんがまだ帰ってこないの」
電話先の声が一瞬止まった。
『まだ、帰ってこないのか』
「うん」
帰ってこない、それを示す答えは
『祐樹君の所に連絡は取ったのか』
和馬と同意見である。しかし、
「ううん、連絡先は知らないの」
取ろうと気がついたのだが、手詰まりである。
「どうしよう」
祐樹君に連絡が付けばと思ったがそれさえも断たれてしまった。
「確か、マキちゃんに友達が居ただろ。確か川口さんと言った」
記憶を探った。たしか、
「うん、居た」
居た、実穂ちゃんに雰囲気が似た子が。何度かこの園にも来た事がある。
「その子の連絡先は分からないのか」
「うん、多分マキちゃんの部屋に行けば、緊急連絡網があると思う」
同じクラスだから、それを見れば分かるだろう。
「じゃあ、姉貴は、そっち頼む。自分は駅前の繁華街に居るかどうか見回ってみるよ」
駅前、もし外に出ているのならそこにいる可能性はでかい。
「分かったわ、何かあったらすぐ連絡入れて、私もそうするから」
「了解」
今はすぐにマキちゃんを見つけなきゃ、不安はますます深くなっていった。
「姉貴、こんな時に言うべき事なのか分からないけど、きっとマキちゃんは平気だから」
「うん」
そう信じたい、だが、心の中では危険アラームが鳴り響いている。
「大丈夫だよ、きっと。自分の勘はそう訴えているんだ」
「うん、そうだね、ありがとう」
少し楽になった気がした。
「じゃあ、後で」
和馬が後ろについている事で、これほどまで気が楽になるとは思わなかった。何とかなる
そんな錯覚まで覚える。
心で語る、私の声がマキちゃんに届くのか、それだけは未だに自身が無いのだ。
マキちゃんの部屋は性格が著しく現れており、整理整頓が行き届いている。
流石に勝手に入るのは躊躇したが、あれこれ言ってる場合ではない。
机の上に置いてあった本に目が止まった。
[保育士 資格教本]
今から、勉強しているのだろうか。軽くページをめくって見てみたら、児童心理の論理が
詳細に書いてある。
この前の桃香ちゃんの心情を汲んだのも、こう言った努力の表れなのだろう。
探していた連絡網は、すぐに見つかった。
「えぇと、加藤 河合、川口 みゆき。これね」
目的のものを見つけたのでメモを取ろうとしたら、隣に携帯番号が書いてあった。
時計を見ると十時半過ぎを針が指している。流石に緊急と言えども今の時間家に電話するの
は失礼に当たる。その為、携帯番号の方をチョイスした。
部屋に出て、園の電話から掛けようと思った時、ベットの上に置いてあったあるものを見つ
けた。いいや、置いてあるのではない、投げてあると言った方が良いのだろう。
(何、これ。布切れ)
カシミヤ生地の布、洋裁で使ったのだろうか。
ズタズタに引きちぎられており、見るも無残な姿になっている。元は、一体。考えてみて
すぐに思い立った。これは、マフラーだ。
見たと同時に、自分は硬直した。祐樹君のプレゼントのお返しに購入した物なのか、想像が
膨らむと同時に不安も比例する。嫌な予感が膨張し自分と言う殻を破りそうだった。
勘が危険信号をずっと鳴らしており、もう限界点を越えている。
お願い、マキちゃんに何も無いで居て、お願いだから。神様に懇願するように願いを繰り
返す。
それは通じるのか分からない、ただ、今は祈るしか出来なかったのだ。