第十三話 『偽り』
「確かに、そうですが。ですが、その関連性は私には解りません」
そんな事は重々解ってはいた、自分自身の気持ちを押し殺して生きているなど。
「関係はありますよ、十分にね。理由はこれから説明します」
自分と和馬が合わない、偽って生きる事になんの関係があるのだろうか。
人は誰もが演じながら生きている。そうであるからこそ、社会は混乱を来さず調和と言う
バランスによって立っているのが事実だ。自分が思っているものと、祐樹が言った『偽り』
その概念が違うのか。
「真希さん、自分自身のパーソナリティーと言うものを考えたことがありますか」
パーソナリティー、個性と騒がれていた時代に良く聞いた言葉である。
「その人の意識や行動の主体を指す概念。難しく言えばそうですが、簡単に言えば自我です」
「えぇ、それは解ります」
「では、真希さん、あなたの今の自我はどこから来ていると思いますか」
彼は一体何を言っているのか、その問いは何を示しているのか、真希は首を傾げた。
「本の主人公、それとも、映画の影響」
答えを探している時に、先読みされてしまう。
「少なくても、影響はあると思います。恋愛小説の主人公と自分を重ねたり。映画のヒーロー
がヒロインを助けたりする事を憧れたりと」
「それは、私にもですか」
否定したい考えだった。
「えぇ、先ほど熱く映画を語っていたのではないのでしょうか」
開いた口が塞がらない。あの時、主人公に自分と重ね合わせ挙句の果て否定してしまったの
だろう。
「正直、真希さん、いえ、自分やみんなにも言えるはずです。自分自身の事がまったく解って
いない」
祐樹の言う通りであるが、何か説教受けている気分であった。
「和馬さんは、一歩進んでいるようですね」
祐樹の言う通り、その点で言えば和馬は素人目でも優れていると解る。
「それはその通りですけど。それでは、祐樹さんは私が劣っているからが原因と」
上からの目線なのか、
「いいえ、言いましたよね。真希さんは和馬さんと同じくらい魅力的な人だって」
けど、とすぐに付け加えた。
「それは一体、どこからなんでしょう」
「どこからって」
自分の人格形成がされた場所や時など解る訳は・・・・あった。
そう、園に来る前、両親との生活そこで作られたのか。
「大変だったそうですね、毎日脅えながら暮らしていたと聞きました」
その言葉に驚愕の色を隠せなかった。
「な、な、なぜ。それを知っているのですか」
聞いたとたん心臓が止まるほど驚いた。この事を知っているのは園長先生と園の職員さんの
一部だけなのだから。
「良いではないですか、そんな事。それよりも、真希さんらしさを見つけるそっちの方が
大切な事です」
良いで済ませてもらいたくない問題なのだが、話は先に進んでいる。
「良いって・・・・。 では、私らしさって一体なんですか」
何かが変だ、奇妙な物で渦巻いている物にはまっていっている気分そんな錯覚を覚える。
「知りません。それは、人それぞれ形が違いますから」
知らないくせになぜこんな事を。確かに、自分が扇動したのだがこのような事を言われる
筋合いは無い。真希は祐樹の深層部に触れたことを初めて後悔した。この話は打ち切った方が
良いと勘が知らせる。
「ごめんなさい、聞いてはいけない事だったかもしれませんね」
今日はありがとうございました。と言おうとすると、
「現実から目をそむけるのですか」
と、遮られた。
「現実って何を、祐樹さんが知らない事を。私がなぜ知っているのです」
感情的な口調になる。だが、その問いかけは、祐樹は答えを口にすることはしなかった。
「だから、和馬さんとは合わないのです。何も知らないから、知っている人にとっては魅かれ
る要素はありません」
「ちょ、ちょっと」
一般的な人がやると無礼になるのだろうか、だが祐樹はその様なことを微塵と感じさせない
変わりに奇妙な物を感じさせた。
「子供の頃、和馬さんと裕子さんのそばにずっと居たそうですね」
「・・・・・」
嫌な気分だ、自分の内面を探られている。
「和馬さんをお兄さんと見て、裕子さんをお姉さんと見ていたとか」
「えぇ。その通りです」
目が合わせられなかった。
「何故、傍に居たのでしょうか。他に頼る人など沢山居ますのに」
「なんでと言われても、あの時、自然と傍に居たから」
「舞子さんや、武明さんは元々居たのに」
確かに自分が来る前から舞子と武明は居た。
「居たのに、って言われても」
知らない意思で和馬を頼りにしているのか。確かに両親に頼らず生きてきた私が何故、あの
時から失う怖さを誰よりも知っている私が、
『小学生なのにミステリアスな雰囲気持っていて』
裕子が持っていた私の第一印象を思い出す。ミステリアスと印象つけたのは私がみんなより
数歩離れていた為、そうすれば得る事はなかった。
和馬が来て変わったのか私は。
「和馬さんが来て変わったのでしょう、真希さん」
「そんなことは」
祐樹の話し方は、きっと客観視すれば何かを超越したものだろう。だが気にはならなかっ
た。先ほどの遠慮しがちな祐樹とは違う、違和感、それが喩え難い何かを生み。自分はそれに
引き込まれている。
「いいえ、裕子さんの面倒を見る、和馬さんを見てからですね」
それを見てどうと言うのだ、あれは、仲の良い兄弟の姿、助け合うのが家族の本当のあり方
なのだから。
「えぇ、普通はそう思うでしょう。けど、あなたは正直羨ましかった違いますか」
多少戸惑った為、次の言葉を発するまで時間を要した。だが、そこで出た答えは、
「違います」
きっぱりとした否定だ。
「そうですか。では、違った方面で考えて見ましょう。苗字と血がつながってない二人を不審
と思っていた」
「それも、違います」
二人は、仲の良い兄弟。兄弟のはず。
「悪いのですが、それは否定します。あなたは言ったじゃないですか。和馬さんと裕子さんは
想いあってると」
「確かに、言いましたが。それは」
何なんだろう、解らない。
「元々、普通の兄弟ではないって事が薄々気がついていたのでは」
その言葉に対しては、流石に頭に来るものがあった。兄弟愛の美徳を汚されたのである。
「普通じゃないって、苗字が違うことですか。血縁関係じゃないことですか。けどそれは珍し
い事ではありません。色んな事情があの園にはあるんですから」
再度、口調が感情的になっているのが解った。本音の反動なのか、もし、このままこの場を
離れればどんなに楽な事なんだろう。しかし、それは出来ない。今、祐樹と話すことは自分自
身の内面に語りかけているのである、それを蔑ろにはしたくなかった。『迷い』なのかもしれ
ない、和馬を諦めると決めた迷い。自分はそれに打ち勝たなければならない。
「いいえ、特別な絆で結ばれていることです。そう、血よりも濃いつながり」
「絆って」
「仕方がありません、あの二人にはあの様な事があったのですから」
あの様な事。それは、きっと。二人の両親を亡くした火事、
「その事が、二人を強く結ぶことになりました」
「けど、それが普通です。和馬さんや裕子さんは深い傷を負いましただからこそ、助けあわな
ければならなかった」
二人の会話とは別に、駅前は先ほどとは何も変わってはいない、先ほど祐樹に抱いた好意
はもう無かった、現在、彼の雰囲気は、隠された違和感によって占められている。
「本来ならそうでしょう、しかし裕子さんの傷は思っていたよりも深かった。そう元々の自我
が壊れるほどに」
あの時の場面が脳裏に蘇る。裕子は、父親と新しく出来た母親を亡くしたショックで心神
耗弱状態に陥ってしまった事、和馬はそんな裕子を献身的にずっと支えていた。
「そして、和馬さんは。仕方が無くずっと付き添いをしなければならなかった」
「仕方が無く」
注意しなければ聞き流してしまう言葉を無意識に反芻してしまう。
「そう、仕方が無くです。本来ならあなたがそこに居たはずなのですから」
その言葉に驚愕する。私が居たって一体何の事、一体どこからその話が出てきたの。
「私が居たって、そんな。私は裕子さんみたいになっていませんし」
いくら幼児虐待を受けていたと言えども、裕子みたくあそこまで心に深い傷を負っていない
「気がついてはないだけなのです。真希さん、あなたは両親との接触により誰よりも深い傷
を負ってしまった。そう、自分を偽らなければ生きてはいけないほどに」
偽らなければ その言葉に胸が痛んだ。
「わ、私は偽ってない、何一つ 何一つも。」
感情的に訴えた。それは懇願にも似た様な物、心の奥底から否定したかった。一番偽りたく
無い場所、認めたくは無かった。これは、先ほどの祐樹が説明していた表面上のものではなく
根本的な部分、私自身の存在意義を示している物。
「小学生の頃、その時の担任の先生の同情も、切り捨てたとか」
「それは、家族を失いたくなかったから。先生に頼ると家族が離れ離れに」
今ここで初めて人に話した。この事は、本当は誰にも話したくは無かったのだ。
「いいえ、実際助けてくれる担任に寄り添いたかったのです。どうしようもない家族に愛想を
つかし頼りたかった。しかし、あなたはそれをする事は無く一切を拒否した」
気分が悪い、吐き気がする。それと共に、あの時の記憶がフラッシュバックとして蘇った。
そう、あれは偶然、職員室前で聞いてしまった事実。
「担任は自分から手を差し伸べてくれなかったらしいですね。PTAがうるさく言ったため仕方が
なく応じたとか」
忘れたかった、忘れていたかった。目の前の男に言われるまで、心の奥底に、なるべく触れ
ないように、記憶の引き出しにしまっておいて鍵をしておいたつもりだった。一生、白日の下
に曝け出さないように。
「だからこそ、倒れるまで先生の好意を否定した。結局は両親と同じ人間だと見損ない。
そして、自分自身も変わり。もう二度と人には期待を持たないように、裏切られない為に
人から一歩引きなるべく人に関わることは無かった。違いますか」
「違います」
精一杯の否定だ。だが一体何に否定したのか解らない。頭の中の判断機能が低下していた。
「人は、精神的に弱い生き物です。心などガラス細工のごとくすぐに壊れてしまう」
彼の坦々とした言語に、もうなす術が無かった。マリオネットの糸が繋がれ自分は傀儡に
陥っている。
「虐待によって壊された人格、あなたは、一体誰なのですか」
「わ、わたしは。私は」
「和馬さんは、偽りの人格から自分自身を取り戻す唯一の手だった。しかし、それは裕子さん
の存在によって遮られた」
「ちがう 違います、ちが。」
大きく首を振った。しかし、目から大粒の涙があふれ出た。和馬に魅かれたのは純粋な恋愛
それだけは信じていたかった。だが、それでさえも偽りなのか。
「本物にはどう背伸びしても届くわけありません、今の真希さんは贋物なんですから」
祐樹に対して背中を向けた、もうこれ以上目を合わせたくなかった。そう、言ってる事は
事実。すぐに諦めが付いたのも、私が持っている負い目のせい。
和馬が来て、私は性格が随分明るくなった。みゆき達と楽しく話すことなんて、昔の私には
考えられないのだろう。陸上やってて楽しく思うことや、学校行事に興じることなど、あの時
の自分がそんな高校生活を描くことなど一切無かった。
「届かない」
そう、和馬を求めることは我侭なのだ。解っていた、そんな事など、最初から解っていた。
一度、収まった涙が、堰をはずしたように流れ出る。続けて何かを言おうとしたが言葉が
出なかった。
「僕は、そんなあなたを救いたい、それが理由です」
彼は、自分の目の前に回り手を差し伸べた。先ほどの怒りや戸惑いはもう消えている。
うつむいた頭を上げて祐樹を見た。彼の端整な顔立ちは、神のような暁光をもたらし。悪魔
のような邪悪な誘惑を兼ね備えてる。もし、私の知り合いが同じ事になったら手を取るのを、
やめてと泣き叫びながら訴えるだろう。だが、もう自分にとっては、どうでもいい事にしかな
らない。
そう、これは、私自身の意思で手を取ったのではなく、きっと、堕ちたと言った方が良いの
かもしれないからだ。