第十一話 『誘い』
「あの、神崎さん。勉強は本当に大丈夫なんででしょうか」
今、自分らが居る場所は駅前の喫茶店にしては珍しく静かな場所である、駅の裏通りに密や
かにやっている店であり、祐樹の一押し場所であった。本人曰くキリマンジェロのコーヒーが
お勧めらしい。
「気にすることはないですよ。」
知り合う前に、予備校の入試実践模試で全国上位の成績をとったと風の噂で聞いた覚えが
ある、もしかしたら、彼にとって大学入試は赤子の手を捻るより楽なのかもしれないが、
どうしても気が引ける。
「そんなことより、そろそろ神崎さんはやめにしません他人行儀っぽくて変に感じませんか、
真希さん」
「いいえ、そんな」
『真希さん』と呼ばれたのが気にはなったが、そんな事より祐樹を下の名前で呼ぶと言う事
に抵抗を感じざるえなかった。まだ、どこかで彼のことを信用してない事の表われだろうか。
「気軽に、祐樹と呼んで下さい」
祐樹は自分の緊張を解かせるように笑った。
「けど、年上ですし、それに」
「関係ありません、社会に出れば年齢の差なんて微々たる物です」
「それも、そうですが」
「それとも、僕は園の皆様みたく信用できませんか」
図星を突付かれる。けど、それは祐樹だけではなくすべての男性に言える事なのだ。
「すべてを預けろとは言いません、ただ、少しでも信用してください。そうでなければ何も
話すことは出来ませんよ」
確かに、その通りだった。自分は一歩引き礼儀を尽くしていたつもりが逆に無礼を働いて
いた可能性がある。
「解りました。それでは、ゆ、祐樹さんで」
真希は照れながら、祐樹の名を言った。祐樹は先ほどの笑顔を真希に見せる。『さん』は
慣れてない証拠の表われだ、いずれ取れる日が来るのかもしれない。
「はい、真希さん」
真希は赤面する、やはり慣れる日は遠い。
「あのぉ、一つ聞いていいですか」
クリスマスから思っていた疑問が一つあった、丁度良い話題なので聞いてみる。
「何でしょう」
「裕子さんと、和馬さんどうして最初から名前で」
礼儀正しい祐樹だからこそ感じた疑問だ。いくら微々たる物であっても、初対面で名前で
呼ぶ人は少ない。
「裕子さんは、初め高木さんと呼んでたんですが、聞き慣れてないのか変だからやめてくれ
と言われました。和馬さんは、真希さんがドレスから着替えている時、裕子さんから紹介
されたのですが名前だけしか聞いてなくて」
多分、紹介されたがいいのが。『マキちゃんが男の子連れてきてる』と言う乗りで裕子が
一方的に話したんだと推測できる、祐樹と和馬はそれに戸惑ってたのかもしれない。
「和馬さんは、瀬戸と言います。浅瀬の瀬に、引き戸の戸です。瀬戸物の瀬戸とでも、」
「瀬戸さんですか、和馬さんのイメージにぴったりの苗字ですね」
何がぴったりなのかは解らない。ただ、たまに見るニュースで瀬戸と言う地域がよく出るが
不意に目が止まってしまう、地理はそんなに詳しくないが愛知県にあった記憶している。
「それは、どんなイメージなんです」
「ほら、ステレオタイプになりますが。陶芸をやってる人は寡黙じゃないですか余計な事は
まったくしない、そんな感じです」
イメージをするが似つかない。園の子供たちとサッカーをするし、武明よりとは言えないが
三枚目も演じる。桃香ちゃんにするお話は映画のストーリーだし、なにより、朝、立って寝る
のが印象としても強い、祐樹の言ってるイメージとは縁遠いものであった。
「いいえ、そんなこと無いですよ、物凄く面白い人です」
これらを思い出すと不意に笑ってしまう。それを見て祐樹は怪訝の表情をしていた、何か
可笑しい事言いましたか、と言いたげそうでもあった。
「ところで、どうかしました。電話では思い詰めていた様でしたが」
言われて口籠もった。電話では何も言ってない、ただ、先輩から電話番号を教えてもらい
ましたという報告と雑談だけのつもりで掛けた。しかし、それは一発で見破られてしまう。
「いえ、大丈夫です。大丈夫ですよ」
自分でも言い聞かせるように二度言う。そう祐樹にすがろうとしたのは一時的な気の迷い。
「解りました、深くは聞きません。けれども無理はしないで下さい、体に毒ですよ。」
自分は、きっと嫌な女なんだろう。和馬の事で思い悩んでいるのに、その助けを求めた先が
祐樹なのだから。
「お待たせ致しました、こちらがモカで、こちらがキリマンジェロになります。」
トレイを持った、店員さんが白いカップを差し出した。中には白磁器のコーヒーカップに
引き出された黒々としたコーヒーが芳ばしい匂いを立ち上らせている。見渡してみると客は
自分らの他に数名の大人しかいない。
「先ほど言いましたが、ここの喫茶店はキリマンジェロがお勧めなんですよ」
コーヒーと言われても自分はそんなに詳しくない。
「けど、初めの方は、ブレンドやモカをお勧めします。飲みなれてない方でも受け入れやすい
と思いますので」
先ほどのモカは自分の前にある。本格的なコーヒーは始めてと言ったら祐樹がこれを頼んで
くれた。
「詳しいんですね、コーヒーは好きなんですか」
「はい、もちろんです。昔は苦くて駄目でしたが今では毎日、自分で淹れるほどなんです」
イメージ通りだ、多分、百人いれば百人そう思うだろう。
「かっこいいですね。自分は缶コーヒーしか飲んだことなくて」
正直、言うと結構好きだ。試験勉強とかではなくてはならないものであった、あの甘さが
脳を活性させ長丁場の勉強を乗り越えさせていた。だが目の前にあるのは本格的な物なのだ。
「砂糖とか、入れちゃ変でしょうか」
「大丈夫です、香りを楽しむものなので。まぁ、もしよかったら一番初めは何も入れずに
飲んで欲しいのですけど」
「はい、解りました」
祐樹は、コーヒーをまず一口飲んだ。香りがこっちまで届いてくる錯覚を感じた。自分も
それに倣い一口飲む。
やはり、苦い。しかし、ビールの苦さと同じような嫌な苦さではない、これなら将来慣れる
事が出来る。苦さのあと、コーヒーの香ばしい匂いが鼻いっぱいに広がった。
「どうです」
心配そうに訊ねてくる。
「やはり、駄目です苦くて。砂糖入れますね」
祐樹は、安堵した表情で「どうぞ」と言った。
「そうですね、もし良かったら、クリスマスプレゼントのお返し今度貰えません」
その提案は、一日付き合ってくれと言うことである。
「映画でも見ましょうか。どうせ、年が明けると僕は自由がなくなりますので」
少し迷ったが、その提案に乗ることにした。日にちは三十日、三十一日にそのついでに初詣
と言う案も挙がったが、大晦日は園の大掃除があるのでさすがに遠慮してもらう。
「こんなんで、良いのですか」
出来れば、物でもらったので物で送り返しをしたかったが、
「もちろんです。それでは、楽しみにしてますね」
やんわりと断られた。そして、待ち合わせ場所と時間を取り交わし今日は解散となった。
会計は、祐樹が済ませてしまい、自分の分を出そうとすると瞬時に制止する。
「大丈夫」
いつも通り、それ以上何も言えなかった。
「ただいま、戻りました」
裕子と園長先生、職員さんが食事の準備をしていた。
「おかえりぃ。部活に学業お疲れ様、今日はちょっと遅かったね」
門限前だが、今日はいつも帰ってくるよりかなり遅い。
「ごめんなさい、ちょっと帰り寄り道を。今手伝いますね」
と、かかってるエプロンを手に取る。
「じゃあ、お皿並べておいてね。今日はカズちゃんは忘年会だから一枚少なくして」
年末となると、忘年会などの付き合いが忙しくなる時だろう。
「はい」
と言うと、早速取り掛かった。
食事が終わり後片付けが完了すると、子供達はそれぞれの部屋へと戻っていく。
自分らは、明日の準備と厨房の掃除が残っていた。
「今年も、そろそろ終わりだね。なんか高校卒業してから早い気がする」
シンクを念入りに水洗いしている、自分は調理器具を殺菌消毒していた。
「そうですか、自分はまだ長い気がします」
大人特有の口癖なのか、自分はまだそのように感じない。
「うん、マキちゃんも高校卒業したら解るよ。ほら、子供の成長って早いじゃん、桃香ちゃん
や美鈴ちゃんをを見てると。いつのまに大きくなったのって驚くくらい」
「そうですね、それは私も感じます」
子供の成長は早い、自分もいつの間にって思うことが多い。
「初めて話した時のマキちゃんの事覚えているよ。印象深かったな、小学生なのにミステリ
アスな雰囲気持っていて。大人になればどんな子になるんだろうって思った」
「ミステリアスって、一体」
ミステリアスの言葉に疑問符を浮かべる。ただ、家族関係が希薄の中に育った為、普通の子
とは違うと感じられても可笑しくはない子だったのだろう。
「うぅんと、どんなんだろ」
自分自身が言った事に疑問を感じれば、世話がない。
「私も覚えてます、裕子さんが来た時の事を」
裕子はそれを聞いて、軽くため息を吐いた。
「ごめんね、私の一番初めがあれで」
そう、和馬の後ろに隠れていたのが裕子だ。
「そんな事ないですよ。」
ここに来る子は、少なからず心に傷を持つ子が多い。もしかしたら、私みたいに虐待を受け
て育った子より、親と死別した子の方が傷が深いのかもしれないのだ。
そして、それを癒す機会が失われていおり、結果、一生背負っていかなければならない。
私の方はまだましなのだ、将来両親と分かち合える機会がたくさんある。
「ここに来て、マキちゃんと初めて話したのは、三ヵ月後くらいだったよね」
「えぇ。舞子さんに通訳して貰いながら、打ち解けていきました」
「あはは、そうだった。その時の私って引っ込み思案で可愛かったのかも」
確かに、小動物みたく可愛いと、言う人はいると思う。
真希はあることに気がつく、裕子と冷静に話している事だ。朝は顔を合わせるのが辛く、
少し体調が悪いと言うことにしておきあまり口を聞いていない。しかし、今は違う、嫉妬と
言う感情は消えているのか普段となんら変わらない。多分、原因は祐樹であろう。もし、祐樹
と話していなければ今も不安定な状態だったのかもしれなかった。
だが、和馬への想いはそんなに容易には消えないのも事実だ。現在、和馬が居た心の隙間に
祐樹が入り込んでる為に平静を装えている。真希は、複雑な気分になった。
「裕子さん。三十日、門限過ぎてもいいですか」
祐樹との約束の日だ。
「いいよ、クラスの友達とどこか行くのかな」
「いいえ、その友達じゃなくて。」
裕子はすぐ察したのか、すぐに折り返してきた。
「祐樹くん」
「はい、クリスマスプレゼントのお返しに。映画を一緒に見ませんかと」
裕子は感心したように言う。
「結構、粋な事するね、マキちゃん何もしてないんでしょ」
確かに自分からは何もしていない。
「えぇ。だから受けようか迷ったのですが」
裕子はその迷いに対して、背中を押す様に。
「迷うことはないよ、ある意味そこまで気遣いできる男性と知り合えたなんて、羨ましい
くらい。それとも、祐樹君のことは信用できないかな」
「いいえ、そんなことはありません。今日、祐樹さんにも同じことを言われましたけど」
学校で最後に出会った時よりは、かなり近い位置まで進んでいる、警戒心はまったく無い、
これでも自分は頑張っているつもりだ。
「そっか、ねぇ。マキちゃん」
「はい、なんですか」
シンクを洗い終え手を洗っていた、終わると手で水をきる仕草をする。
「この前、若いころたくさん悩んだほうがいいよって言ったよね。私」
「はい。確か、大人になれば悩む暇がなくなると」
「悩む暇はなくなったけど、後悔はたくさんある。特に若い頃の後悔はね」
裕子の表情が曇った。
「後悔って」
訊ねた後、軽率だと気づく。
「些細な事だよ、けど、内緒でいい」
自分はそれに対して軽く頷く、人の秘密を知りたがるほど悪趣味ではない。
「だから、マキちゃん何をしても良いけど後悔だけはしないで。大きな後悔ほどこの先
ずっと残るものだから」
後悔しないで、その言葉が深く胸に突き刺さる。そう言われてももうしている、だが、私に
はそこしか行く道がない。
「裕子さん、自分はもうしてますよ。この先ずっと残る後悔を」
いつか自分が身を引いたことを後悔する日が来ると思う、それはもう一生残るだろう。
「マキちゃん、それは一体。もし良かったら相談に乗るよ」
裕子の思いやりを、真希は、
「私も内緒です、恥ずかしいので」
一言で打ち切った。
★
とりあえず ここまで一通り目を通しました
まだあるでしょ・・・きっと(汗)




