第十話 『七年前の出会い』
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「みんな、集まって」
七年前のある日、突然レクリエーションルームに召集をかけられた。こう言った場合は大体
が想像できる、新しい仲間が増えるのだろう。そして、今回もそうであった。
レクリエーションルームに着くと、自分より年上の男女が一人ずつが紹介されるのを待って
いる。兄弟そろっての入園だろう別に珍しくもない。
ただ、女性のほうは照れ屋なのか男性の後ろに寄り添い警戒をしているのが気にはなってい
た。
職員の先生が全員集まったことを確認すると。
「みんな集まったね、誰か抜けている人は居ないよね。では、注目。今日からみんなと一緒に
住むことになった。ほら、」
職員の先生が促すと男性のほうから、自己紹介を始める。
「瀬戸 和馬。十三歳。中学一年です。よろしくお願いします。ほら、姉ちゃん」
言い終わると、軽く会釈をした。小さな子はそれに倣って『よろしくお願いします』と
声を合わせて返す。
続いては、女性が自己紹介と思ったが、和馬の後ろにピッタリとくっついて動かない。
「・・・・・・」
まるで、小動物が肉食動物の檻に入ったように怯えてしまっている。場は肩透かしを
喰らっていた。みんなは今か今かと言葉を発するのを待ち望んでいるが一向に何も喋らない。
しばらくの沈黙後、痺れを切らした職員の先生が再度和馬を促した。
「えぇと、彼女の名前は。高木 裕子 年齢も自分と同じ十三歳で学年も自分と同じ中学一年
ってそれは当たり前か。二ヶ月早く生まれた分姉ちゃんと呼んでます。兄弟ともに仲良くし
て下さいお願いします」
と、和馬は裕子の分も頭を下げた。裕子は相変わらず自分らに対して警戒心を持っているの
か和馬の後ろから出てこようとはしない。
「みんな聞いてこの子らは苗字は違うけど本当の兄弟と思っていいからね、仲良くしてあげて
ね」
何か深い理由があるだろうが、別にここでは珍しくない。みんなそれぞれ何かを背負って
ここに来た人達ばかりなのだから。
「舞子ちゃんは、裕子ちゃんをお願いね。和馬くんは一人で何でもできそうだけど、武明くん
しばらく面倒見てあげてね。慣れてきたら武明くんの監視役という事で」
「ちょっと待ってくださいよ、先生。俺ってそんなに信用ならないですか」
「何か、悪いこと教えなければね。じゃあ、和馬くん早速だけど頼めるかな」
もちろん、場を和ませる冗談である、その証拠に武明は嫌な顔をひとつしない。これは、
そのようにしてくれと言う武明の要望なのだ。傷が深い子達へ少しでも笑いをと武明が道化師
を演じているのである。無論、ここに居るみんなそれを解っており、その為にのぞみ園はいろ
んな冗談が飛び交う笑いがあふれる場へと一役かっている。
「自業自得ね」
舞子は、笑いながら追い討ちをかけた。この冗談は成功したらしい和馬はみんなと一緒に
笑顔を見せ笑っている。ただ、裕子は和馬の後ろに隠れたままでだったので表情は解らない。
「それじゃあ、早く名前覚えてもらえるように、みんなも自己紹介お願いね」
和馬との出会いは印象が薄かったのが事実だ。当時は多分、お兄さん役として自分と接して
くれるのだろうなと思っていたのかもしれない。
「お疲れ様です。秋山先輩、ちょっといいですか」
部活動が終わり、冬期講習に行こうとしたとき三人の後輩達に呼び止められた。
「お疲れ様。いいよ、どうかした」
「あの、ほら。ユキ。自分で言うんでしょ」
ユキと呼ばれた後輩は戸惑っていた。彼女は部活でも自己主張をあまりしない引っ込み思案
な性格であると記憶している。
「うん、でも。やっぱ無理よ」
全て話すのに時間がかかりそうと判断した為に、
「無理かどうか話してみなきゃ解らないよ」
園の子供に話すみたくやさしく彼女に催促する。あまり時間をかけていると冬期講習に遅れ
てしまう。
彼女は、黙り込み付き添いの子と目を見合わせた。付き添いの子も『言っちゃえ』と目で
合図を送っている。覚悟を決めたのかようやく要件を話し始めた。
「秋山先輩、和馬さんを紹介してください。お願いします、私好きになっちゃったんです、
朝、一目見た時から。だからお願いします。」
と言い頭を下げた。熱意の凄さを感じる。だが、それに驚くより自分自身が、
「えっ」
一瞬、自分の周りが止まってしまう錯覚に陥った。みゆきからは聞いていたが実際に言われ
てみるとかなり動揺したという事だろう。
「お願いします。秋山先輩」
続けて、後輩二人も頭を下げ懇願してくる。
冷静になるまで少し時間を要した。自分自身もまだ受け入れてないのかもしれない、先ほど
の動揺がそれを如実に物語ってる。
そして、彼女も同じ事を受け入れなければならない。
「ごめん、多分あなたの希望に添えることはできない。諦めて別の恋を探してとしか」
この言葉は、不安で苛む不安定な心を崩す結果となるのは重々承知のうえだ。
その結果、ユキと呼ばれる後輩は大粒の涙をこぼし声を殺しながら泣き始めた。それを、
付き添いの一人が慰める。
「どうしてですか、どうして。和馬さんに彼女でも居るのですか」
「解らない」
自分の性格上曖昧な事は言えない。
「解らないんじゃ、紹介してあげても良いのじゃないんですか。何もしないで諦めろなんて
ユキが可哀相過ぎます」
友人を守る、その意思だろう感情的な口調で自分に問い詰めてきた。
「ごめんね、本当に。ごめんね」
自分は何も悪くないのは解ってる、けどその言葉しか言えない。クリスマスのあの日、食堂
での裕子と一部始終、あれを盗み見なければ気が利いた事が言えたのかもしれない。
実はあの時、和馬にプレゼントを渡そうとしていた、中身は自分の小遣いで買ったマフラー
だ。手編みにしようと迷ったがクリスマスまで間に合わないと踏んで今回は購入と形を
とった。朝いつも寒そうにしていたのが印象として強かったからが選んだ理由である。
だが、渡せなかった。別に渡して告白をしようとは考えてはいない、ただ、遠まわしに気が
つかせないように気持ちを伝えたかった。名目は何でも良い、いつも送ってもらってるから、
いつも手伝ってもらってるからのそのお礼にと感謝の意をカモフラージュにして。だが、食堂
の前を通った時、裕子と談笑している和馬の姿を見て二の足を踏んだ。別に話が終わるのを
待っていても良かったが、しかし、渡せない理由は他にあった。
女だから解る裕子の考え、それを目の当たりにして思い知らされる。
(裕子さんは、和馬さんのことが好きなんだ。きっと、和馬さんも。)
二人の会話がそのような内容だった訳ではない、傍目からみれば普通の兄弟の話だ。けど
自分には解った、それは靄がかかった様な曖昧なものではなく、はっきりと確信できると言っ
ても良いものだ。
だからこそ、自分は身を引いた。そうするべきだと自分の中で理解していたからだ、水が上
から下へと流れるがごとく自然の流れに近いものである。
そう、自分は何も主張はしない。だから、失うことは怖くない。自己防衛に近いのだろう
いいや、違う。失うのが怖い、死ぬことより怖いだからこそ求めない、求めたくない。
あの時、私が心の奥底から望んだ幸せなひと時、あれがあったからこそ今回は希望を持
てた。しかし、結果は希望とはまったく違う方向へと進み始めている。
真希は、自分自身の浅はかさを呪った。
「先輩・・・・」
黙ってると、逆に後輩に心配をかけてしまっていた。
「ごめんね。とりあえず伝えておく、ただ期待だけしないで。きっと別に好きな人が居ると
思うから」
嘘か真かは解らない。ただ、目の前の後輩のためについた優しさなのだから。
「よろしくお願いします。先輩、ごめんなさい」
「いいよ、気にしないで、じゃあ、講習があるから私は行くね」
客観的に見れば、彼女も私と一緒なのかもしれない。
「真希、どうかした。クリスマスの時から変よ」
講習の休み時間、みゆきは心配そうに声をかけてきた。
「ううん、大丈夫だよ。最近ちょっと疲れ気味かな、みゆきはクリスマスどうだった」
「とりあえずは、内容は最高のクリスマスだった。けど、最後の晩餐みたいで」
私の憂鬱がうつってしまったのか、みゆきまで沈んでしまってる。
「大丈夫だよ、みゆき、彼のこと信じてあげなきゃ」
「そうだよね、ごめんね。真希」
信じられる彼が居るだけで十分羨ましかった。
「秋山、ちょっと」
みゆきと話していると、聞き覚えのある懐かしい上から声が聞こえた。
「ご無沙汰しております、先輩どうかしたのですか」
受験前のこの時期、三年生がこの場に居ることは珍しい事である。
「図書室で勉強をと思って来たんだが。そんな事よりも、これ」
と言うと、小さく折りたたんだメモ用紙を差し出す。見てみると十一桁の数字がこれが示す
答えは。
「祐樹の携帯番号だ。学校行った時、お前に教えておいてくれと言われてな。なんだ、聞いて
なかったのか」
目の前に居る先輩から、祐樹を紹介してもらった。
「えぇ、私、携帯持っていないので。聞く習慣がないんです」
「そっか、とりあえず。教えておいたからな」
と言おうと、去ろうとする。
「あっ、先輩」
真希は、去っていく先輩を呼び止めた、先輩は怪訝に想い振り向いた。
「受験、頑張って下さい」
それを聞くと笑顔で
「あぁ、ありがとうな。がんばるよ」
と言い教室から出て行った。大学でも陸上をやりたいと言っていた、その願いを叶えるため
頑張って欲しい素直に願う。
真希はメモを見つめた、090の文字が不思議な感覚を覚えさせる、慣れていない為なの
かもしれない。
「神崎さんの番号ね、真希、早速掛けてみればどう」
眺めていると、意識の外からみゆきの声が聞こえた。
「えっ。え、掛けるって」
「ほら、真希、最近元気ないじゃん。彼氏の声聞いて元気つけてもらいなさいよ」
正直この提案には迷った。クリスマスのすぐ後なら友人として気軽に掛けていたのかも
しれなかったのだ。
「元気つけるって言われても」
「そうだよ、何よりも効く薬だからね好きな人の声って。プラシーボ効果っていうのかな
なんでも頑張れる気がするカンフル剤よりも効くよ。」
無意識に和馬の顔が浮かんできた、それと共に悲しくなった。それは涙がでない悲しさであ
り何よりも辛いものであった。
「そうね、考えてみるよ」
真希は、みゆきに聞こえる微かな声で言った。
みゆきは真希に対して何か言おうとしたが、それと同時に教室に用紙の束を持った教師が
入ってきてしまい、教室は再び静寂に包まれた為に言いそびれた結果となってしまう。
帰り、まっすぐ園には帰りたくない気分であった。みゆきと別れて自然と園の逆方向へと
足を向ける、歩きながら考えをまとめるつもりだったのかもしれない。自転車を押しながら
駅の方面へと歩き始めた。
いつかは和馬も自分の前から居なくなる、そんな事くらい解っていた。ただ、認めたくない
葛藤も存在していた。
じゃあ、なんで言わないの 自分の気持ちを
解りきっている事である。初めて出会った時、和馬は裕子を必死に守ろうとしていた事を、
血のつながってない兄弟、しかし、血より濃い何かで二人はつながっていた。そう、自分が
立ち入ることはできない何かに。
もし、想いを伝えそれが成功したとしよう。しかし、付き合ったとしても、それは形式上の
物であり心の部分は裕子に縛られたままだ。
我侭であるがそれは嫌であった。兄弟としてのつながりはいいが、せめて目だけでも自分の
方に向いて欲しいのだ。
(私って、嫌な人間なのかな)
自己分析すればするほど、自己嫌悪に陥ってしまう。
あの時、最愛の父親を亡くした裕子にとって和馬は必要不可欠であり。和馬もそれを解り
尽くしている。
こうして見ても、二人の絆は強いものなのだろう。
何でそこに自分が居ないのか、そしてなぜ裕子なのか、悔やんでも仕方がない事なのだ。
嫉妬している、自分でもはっきり解る感情である。そして、
(何で出会っちゃったんだろう。神様、意地悪だよ)
辛かった、凄く辛かった。誰かにすがりたかった、けど一番すがりたい人にそれは出来な
い。
考えながら歩いてたのでかなり遠くまで足を進めていたようだ。駅前まで来てしまってい
た。そして、あるものに目を止める。
今では珍しい公衆電話ボックスだ。それを見ながら真希は胸に手を置いた、その下の胸
ポケットの中には先ほど先輩からもらった、祐樹の電話番号を書いたメモが生徒手帳に挟んで
ある。
解ってる、今はこれにすがってはいけないと言う事も。
しかし、今それを抑えることは出来なかったのだ。早く楽になりたいその気持ちが先行して
いる。
一瞬躊躇したが、受話器を上げた。そして、胸ポケットから生徒手帳を取り出すとその中か
らメモ用紙を取り出し、財布の中から硬貨を取り出す。
『何よりも効く薬だからね好きな人の声って』
ふと、みゆきの言葉が頭を過ぎった。矛盾しているかもしれないが、今一番聞きたいのは
和馬の優しい声なのだ。
本文修正の無限ループに陥ってます(汗