小心者
「やあ、アスリ。こんな所にいたのか」
「そういうあなたはどなたですか?」
「バレンの友人のセチだ」
「……バレンの」
「彼は君をさがしているぞ」
「ついにできてしまったんですね。どうか放っておいてください。できればここで私と会わなかったことに」
「おやおや、ずいぶんと困っているようだ。こちらはあいつ側の事情を知ってるから、君の相談相手にうってつけだよ」
「いいえ、けっこうです。ありがとう」
「まあそういわず、ほらポンボンの屋台もあることだし。一つ買ってそこのベンチでゆっくり食べよう」
「さすがはバレンの友人だけあって、自分の調子を崩さない人ですね」
「ぼくなんて彼の足元にも及ばないさ。ほらポンボンをどうぞ」
「……いただきます」
「ぼくの見たところ、君は心底彼を嫌っているわけではなさそうだな」
「だからといって特別好きというわけではありませんよ」
「バレンは、今度こそ君を振りむかせることができるといって、この三ヶ月の間麦つぶに聖句を書き続けていたよ」
「あぁ……」
「なんでも君はずいぶん風変わりな男が好みだそうだね」
「それは」
「腰より長い髪に、毎日手入れをして短い無精ひげを維持し、国家魔法運営法を全章暗唱できて、カタリンゴの皮を切らずにむけて、キョスリン大湖を一日で一周できる脚力の持ち主なんて、この大陸中をさがしてもバレン以外見当たらないと思うが」
「残念ながら、同感です」
「遠まわしに言っても彼には通用しないよ」
「私も痛感しています。バレンが麦つぶに聖なる書の全てを書き写してしまうまでに、いい案をこしらえようと考えていたところだったんです」
「そしてまたくりかえす気なのかい?」
「私になにができると?」
「はっきりと付き合う気はないと断ればいいだけさ」
「そんなこと私には無理です。できません」
「期待を持たせるほうがよほど残酷というものだよ」
「その通りです」
「なら、『嫌い』でも『好みじゃない』でもいいから、バレンを振ればいい」
「できないと言っているでしょう」
「そんなにあいつを振り回して楽しいのか」
「しょっちゅう胃が痛んだり眠れなかったりで、楽しいわけありませんよ」
「ならどうして!」
「告白されていないからですよ!」
ふたりの間に沈黙が降りる。
「なんだって? そんな馬鹿な。いったいなにをやってるんだあいつは!」
「されてもいない告白を先に断るなんて、あなたにできますか」
「いや、しかし、さりげなく伝えればいいだろう」
「遠回しにお断りしてきた結果がどうなったかは、友人のあなたがよくご存知では」
「もっと無理難題をおしつけたらどうだ」
「そんなことをして大ケガをしたり、とりかえしのつかないことになったら大変ですよ」
「だからといって……」
「ああ、こんなことを話している間に逃げそこねてしまったようです」
「バレンのやつ、はしゃいでるぞ。あの手に持った箱には、みっちり聖句を書き込まれた麦つぶがたくさん詰まっているに違いない。ほら、まっすぐこっちへ来る」
「やあアスリ! 君に見せたいものがあるんだ。ほら!」
「バレン、こんな小さな麦つぶの表面にこんな小さな文字で聖句を書けるなんてとても器用なんですね」
「それほどでもないよ。ははっ。それじゃ! また明日会おう」
「さようなら」
バレンが時折振り返って手を振り、離れていく。
「君の前だと、バレンはいつもあんな調子なのか?」
「いえ、何かを達成できた後は、たいてい理想の男性について色々と聞かれます」
「どちらにせよ、普段の行動とかけはなれていることに違いない。おれがいたことにさえ、気づいていなかった」
「みたいですね。やっぱり麦つぶのことで疲れてたんじゃないですか。なにしろ小さいものをずっと見ていたのなら目が疲れているでしょうし」
アスリと別れ、セチが親友のバレンを追って声をかける。
「おい、バレン。さっきの不甲斐ない調子を見ていたぞ。お節介を承知でいう」
「なんだ?」
「さっさと彼女に告白してしまえ」
「できるわけない」
「なぜだ」
「振られたらどうする!?」
「そのときはそのときだ」
「ま、まさかお前彼女と付き合ってるのか? さっき隣りにいたのはそのせいなのか? 二人で仲良くポンボンを分けあって!」
「ちがうちがう」
「ならいい。放っておいてくれ。おれは時が満ちるまでぜったいにアスリに告白したりしない。彼女がおれのことをなんとも思っていないのはよくわかってる。お前からみれば、さぞじれったいことだろうが、おれはこのままで充分幸せさ。なんといってもまだ振られていないっていう希望があるんだからな」