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BARクロノ・ロード  作者: TimeBender


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九杯目 リリー・フィズ ――やり直しへ橋をかける――

 BARクロノ・ロードには、端の席が自然に空いている夜がある。

 中央の明るさが眩しい人が来るかもしれないからだ。

 鈴蘭は、そういう夜の空気を読むのが上手かった。


 ベルが鳴り、扉が閉まる。

 その人は、まっすぐカウンターの端へ向かい、腰を下ろした。

 上着はきちんと着ているのに、背中だけが小さく丸い。

 失敗を抱えたときの姿勢だ。


 鈴蘭が近づく。鈴の形をした小さなブレスレットが、手首で控えめに揺れた。

 笑顔はやわらかいのに、軽すぎない。


「こんばんは。今日は……やり直したい夜ですね」


 その人は頷いた。

 言葉にする前に、頷きが出る。

 やり直したい理由はひとつじゃない。ひとつじゃないから、言いにくい。


「何を飲めばいいか分からなくて」


「分からないままで大丈夫です。

 でも“明日へ橋をかけたい”なら、軽いフィズが合います」


 鈴蘭は、ロンググラスではなく、少し背の低いグラスを選んだ。

 高いグラスは「頑張る夜」に似合う。

 今日は「続ける夜」。続ける夜には、手の中に収まる形がいい。


 氷は大きめを二つ。

 ジン、レモン、シンプル。

 量は控えめ。甘さを増やさない。

 まず軽く混ぜて冷やし、最後にソーダを静かに足す。

 泡を立てすぎない。泡が元気すぎると、気持ちが置いていかれる。

 鈴蘭はグラスの内側を滑らせるように注いで、泡の高さを指先で整えた。


「リリー・フィズです。やり直しへ橋をかける一杯」


 その人は受け取って、一口飲んだ。

 レモンの明るさが先に来て、炭酸が舌の上を洗う。

 次にジンが背中を支える。

 軽いのに、きちんと芯がある。

 “明日へ行ける味”がする。


 その人は、グラスを置く前にもう一口飲んでしまった。

 喉が勝手に求める。

 求めるのに、越えない。

 その加減が、ちょうどいい。


「……今日、うまくできなかったんです」


 声が小さい。

 鈴蘭は頷くだけで、続きを促さない。

 失敗の話は、押すと崩れることがある。


「何度も確認したのに、最後の最後でミスして。

 “なんでこんなことも”って言われて、笑ってしまって。

 笑ったら、余計に情けなくなって……」


 その人は自分の手を見た。

 笑った手で、失敗した手で、明日も何かをする手。


 鈴蘭は、グラスの水滴をそっと拭きながら言った。


「失敗した日は、今日のうちに罰を終わらせようとしがちです」


 その人が顔を上げる。


「……罰?」


「“自分に厳しくする”のも罰です。

 今日のあなたはもう十分やりました。

 罰まで今日に詰め込むと、明日の分の力がなくなります」


 鈴蘭の声はやさしいのに、甘くない。

 やり直しを“根性”にしないための言い方だ。


 フィズは飲むほどに薄まる。

 薄まるのに、明るさは残る。

 氷が角を取っていくのと同じ速度で、胸の奥の固さも角を取られる。

 やり直しは、削り取って作るものじゃない。角が取れていく結果として現れるものだ。


「……明日、もう一回だけやってみます」


 その人が言った。

 “絶対”でも“必ず”でもない。

 “もう一回だけ”。

 その言い方が、いちばん続く。


 鈴蘭が微笑む。


「“もう一回”って言えたら、だいたい勝ちです。

 成功するかどうかは、明日のあなたが決めます。

 今夜のあなたは、橋をかけるだけでいい」


 その人はグラスの底を見つめ、最後の一口をゆっくり飲んだ。

 泡はもう少ない。

 でも、泡が少ないほうが落ち着く夜もある。


 会計を済ませて立ち上がるとき、鈴蘭がひとつだけ提案する。


「明日、うまくいったら“よくやった”って言わなくてもいいです。

 代わりに、帰り道で好きなものをひとつ買ってください。

 やり直しの橋は、そういう小さな板を重ねると強くなります」


 その人は頷いた。

 ベルが鳴り、扉が閉まる。


 外の空気は冷たかったが、胸の奥はさっきより少しだけ軽い。

 明日へ渡る橋は、派手じゃない。

 でも、確かにここにある。

 その人は歩幅を整え、夜の道をゆっくり進んだ。

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