*結・追*
結論から言えば、二本目の槍がオレを貫くことはなかった。届くことすらなかった。
そしてさらに、オレは髪の束縛からも解放されていた。
理由は簡単。
槍も束縛も、『言乃刃』で斬り裂いたからだ。
もちろん、オレを助けたのはヴィアン――ではない。
あいつはさっきから一歩も動くことなく、それどころかポケットに両手を入れて、ただこちらを見ているだけだ。
戦闘能力皆無の戦闘不参加。
あの吸血鬼の『能力』には、攻撃力がない。優れているのは、異常なまでの防御力だ。
だから、オレを助けたのはヴィアンではない。
ならば、一体誰が?
答えは簡単。
唯一の武器『言乃刃』を落とした身動きできないオレを、唯一の武器『言乃刃』を持った自由に動ける『オレ自身』が助けた。
……………。
……まぁ、念のため言っとくと、オレは電波さんでも、ファンキーな脳みその持ち主でもない。
それはキャラ的に『オレ自身』の方だ。
正確には『ボク』。
春休みにオレを殺そうとした張本人。
オレと全く同じ姿をした、もう一人のオレ。
オレの影――オレの自己像幻視。
そいつが文字通りオレの影から現れ、落ちゆく『言乃刃』を掴み、勢いよく足元から飛び出して、槍も束縛も斬り裂いた。
「お、『ミチル』くん、久しぶり」
ようやく片手をポケットから出して、ヒラヒラと手を振るヴィアン。
「久しぶり、じゃないじゃないですか、ヴィアンさん。ついこのあいだボクと会ったばかりじゃないですかぁ」
と、言いながらもオレの隣に立ち、大きく手を振り返すミチル。
「相変わらずミチルくんは元気が良くて素直だねぇ。チルチルくんにも少しは見習ってほしいもんだよ」
「うるせぇ、黙れ、殺すぞ」
「“殺せる”ものなら是非」
と、ニッコリ笑うヴィアン。
「チルチル。それはヴィアンさんに失礼だよ」
そう言って隣のミチルはオレをたしなめる。そして続けて、
「降り注ぐ日光の下で、とりあえず銀の銃弾で手足を撃ち抜いてから、さらに十字架を見せて動けなくして、そこに聖水でニンニクを胃に流し込ませて、最後に白木の杭で心臓を突き刺すぞ、って言わなきゃ」
満面の笑みで言った。
「……相変わらずミチルくんは残忍残虐だねぇ」
と、ヴィアンは笑っていた――ような気がする。
「……なんなのよ、そいつ?」
とても低い声と突き刺すような視線で、完全に除け者にされていたサキュバスがミチルを睨みつけていた。
「ボク? ボクはチルチルの影――チルチルのドッペルゲンガー」
「お前の言うところの、同族、ってヤツだ」
そうやって、オレとミチルは二人で一つの質問に答えた。
「……あはは、なぁんだ、あんたもこっち側の存在なんじゃない。それなのに、そのくせに、私の邪魔をする気なんだ」
「まぁねー。ボクはチルチルの影だから、本体に従うしかないんだよぅ」
ボクだってホントは嫌々なんだよぅ、とミチルは絶対オレがしないような表情を見せる。
「あははははは、じゃあそれなら、もう手加減してあーげない」
サキュバスがそう笑うと、その後頭部から無数の黒い髪の槍が伸びた。
そして次の瞬間、それが彼女の周りを高速で回転し始めると、あっという間に黒いドームとなり、その身体を包み隠した。
「あはは、これが私の絶対防御。そしてこれがこの状態での――絶対攻撃!!」
途端、ドームからいくつもの槍が飛び出し、オレたちは槍の雨に包まれた。
「あはっ、あはは、あははは、あははははは」
黒いドームの中から、笑い声が響く。
槍を伸ばしては戻し伸ばしては戻し、雨を降らせ続けながら。
「死んじゃえ。私の魅力に気付けないヤツなんか、穴だらけのボロ雑巾みたいになって死んじゃえばイイ。美しい私の前に、醜い姿で跪けばイイ」
そう言って笑いながら、雨を降らせ続ける。
「ねぇ、まだ生きてる? ギブアップしてもイイよ。私みたいに美しくて魅力的な女性は見たことない、って言ったら許してあげてもイイよ」
そんなことを言いながらも、雨は止まない。
「限界なら限界って言ってイイよ。あはっ、無理か。もうとっくに死んじゃってるもんね」
「……あぁ、限界だ」
オレがそう唸るように呟くと、突然雨が止んだ。
そして全ての槍がドームに引き戻された。
――約束を守った、わけじゃないだろう。
おそらく、自ら降らせた雨で見えなくなっていたオレたちの姿を、確認するためだろう。
もうとっくに死んでると思っていた、オレたちを。
「な、なんで? なんでまだ生きてるの? なんで傷一つ付いてないのよ!?」
黒いドームから、叫びにも似たそんな声が響いた。
「よく見ろよ。一発かすったから、制服破けちまってんだろ」
オレの言う通り、袖が少し破けてる。
ま、服ならあっち側に帰っても影響ないから、どうでもイイけど。
「ウソでしょ!? あれを全部かわしたっていうの!?」
相変わらずドームから、ヒステリックな声が響く。
「あぁ、かわした。オレ一人なら無理だけど――」
「――ボクたち二人なら、なんの問題はない」
そう言ってオレは鼻で笑い、ミチルはニヤリと笑った。
「だけど攻撃されっぱなしとか、オレの性格的に無理。もう、限界」
「それに、いつまで経っても埒が明かないしね。だから一気にカタをつけさせてもらうよ」
そう言い切ると、オレたちは駆け出した。
ただしドームじゃなくて、ヴィアンに向かって。
「何か知らないけど、させてあげない!!」
再び槍の雨が迫る。
しかしそれを一瞥することもなく、オレは駆ける。
――見る必要は、ない。
全てミチルがなぎ払うから。
そのためにさっきの雨の中で『言乃刃』を渡しておいたから。
オレの『オレ自身』に対する絶対的な自信があるから。
「ヴィアン、血をよこせ」
ヴィアンの前に立つと、オレはそう言った。しかしヴィアンは、
「何度も言うようだけど、あんまり短期間で連続は君の体に悪影響だよ」
お決まりのように渋った。
「分かってる。だから今回は少しだけでイイ。それと……ちょっと耳貸せ」
オレのその言葉を聞くと、ヴィアンは少しだけ屈んだ。ホント、少しだけ。
身長差があるので、そうするしかないのだ。
念のため言っておくが、オレが小さいのではない。ヴィアンが大きいのだ。
……あくまでも、念のため。
「えー、それはダメだよ。約束を破ることになるよ」
オレの耳打ちを聞き終えると、ヴィアンはそう言った。
「知らねぇよ、お前が勝手にした約束なんか。それにオレ、約束は平気で破る主義、だから」
そして続けて、
「それにお前、腹ペコ、なんだろ?」
と、オレは悪い笑みを浮かべた。
「ねぇ、まだ? そろそろボク一人で相手するのキツいんだけど!」
ミチルがそう急かした。オレたち三人に向かって飛んでくる槍を全て捌きながら。
「……まったくチルチルくんは性格が悪い上に、ヴァンパイア遣いが荒い」
ホントやれやれだよ、と一度肩をすくめるヴィアン。
そしてオレの両肩を後ろから固定してから、ガブリと首筋に咬みついた。
「――っ!」
鋭い痛みが体を走る。
だけど三度目ともなると、少し慣れてきた。
「はい、終了」
吸血鬼の牙を引き抜くと、ヴィアンはそう言った。
オレは咬まれたところをさすってみる。
傷痕は、もうすでに、ない。
準備は、完了だ。
「ミチル、行くぞ」
「りょーかい」
言うや否や、ミチルから『言乃刃』を受け取り、オレは駆け出した。
さっきまでとは比べものにならないほど速く。
速く、疾く、迅く。
前に身を屈み、ヒョウの如く。
「来ないでよ!!」
途端、黒い槍の集中豪雨がオレに降り注ぐ。
だが、オレは立ち止まらない。むしろ、さらに加速する。
頬や、腕や、脚に、槍がかすめる。
だが、そんなことを気にせずオレは駆け続ける。
確かに痛いもんは痛い。だけど、その痛みを感じたときにはもう、そんな傷は『治癒』している。
だって今のオレの身体には“ほぼ”吸血鬼の血が流れているから。
だから致命傷になりそうな槍だけ、最小限の動きでかわし、『言乃刃』で払い、一気に距離を詰めていく。
そして、
「まずは防御を崩させてもらうよ!」
黒いドームに一閃を見舞う。
瞬間、ドームは大きく裂け、その中のサキュバスが見えた。
サキュバスは――笑っていた。
「あはっ、そう来ると思ったぁ」
そう言ったときにはすでに、槍が身体を貫いていた。
裂けるほど吊り上がったサキュバスの口角のすぐ横から伸びた一本の槍が、正確に心臓を貫いていた。
「あははははは、残念でし――」
「なんちゃって」
串刺しになったままの『ボク』が、そう笑った。
直後、オレはミチルの背後から飛び出し、ミチルの背を跳び越した。
「終わりだ!!」
動転した表情を見せるサキュバスに『言乃刃』を振りかざす。しかし、
「私はまだ終わらない!!」
瞬時にその目に殺気を宿し、もう一本の槍を、ミチルを貫く槍の反対側から突き伸ばした。
大きな金属音と衝撃。
その一撃を『言乃刃』で弾いたオレは、その反動で遠く吹き飛ばされていた。
「あはっ、あんたなんかに私のこの絶対防御は破れない」
そう言いながらドームの裂けた部分が、あっという間に再生していく。
サキュバスのその姿が、あっという間に隠されていく。
だから親切なオレはそれが閉じきる前に、
「なんちゃって」
そう教えてあげた。
途端、ミチルの身体が黒い水のように崩れ落ち、本来のオレの影に戻った。
そしてミチルの身体によって隠されていた光景を、サキュバスも見たんだろう。
まだ開いている絶対防御のわずかな穴から。
その驚きの瞳で。
ミチルを貫いていた槍の切っ先に咬みついているヴィアンを。
突き立てたその牙から、自分自身の存在を吸われている光景を。
次の瞬間、黒く艶やかな髪は急速に牙から侵食され、瞬く間に白く染め上げられていった。
そして、力なく、音もなく、色もなく、絶対防御は崩れ去った。
髪も肌も真っ白で、まるで干からびたような身体で跪くサキュバスの存在だけが、その中心に辛うじて残っていた。
魅力が一欠片もなく、そして何より結城の要素が一欠片もないサキュバス“もどき”が。
「ねぇ、お願い。なんでもするから。なんでもしてあげるから。だからお願い、殺さないで」
「……………」
そんな言葉を無視して一歩一歩、跪く彼女に近づく。
「嫌、来ないでよ。私はまだ、死にたくない――まだ消えたくない!」
「……………」
涙を流す彼女の目の前で立ち止まり、音もなく右手を振り上げる。
「やめて、やめてよ。冗談でしょ? 私を斬るの? そんな刀で、そんな刃で――」
流れていたことがまるで見間違いのように彼女の涙が止まり、その瞳に明確な殺意が宿った。そして、
「そんな綺麗な刃を、この私に見せつけないでよ!」
ヒステリックに叫びながら、彼女が飛びかかってきた――いや、飛びかかろうとした。
だから、なんの躊躇いもなく、
「へぇ。お前には、そう見えんのか」
そう言って、オレは結城真実を――サキュバス“もどき”を斬り下ろした。