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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

宗教

作者: NNNNNmatchy

 友人はラッパーだった。

その友人の行く末と自身に起こった顛末を語りたい。



 急な連絡だった。

<明日暇? 暇だろ? 来いよ>

「明日って日曜だろ? 怠いから別の日にしろよ、水曜とかどうだ」

<無理。明日か来週の日曜だ、相談に乗れよ>

「夜でいい?」

<夜がいい>

「じゃ明日」



 翌日、向かうがてら寄ったコンビニで、着くより先に顔が合った。

「よう」

 金髪の寝癖頭が酒を選んでいる。

「おう遅えよ」

「行くか迷った」

「迷うなよ」

 ちびっこ向けに教えているダンス教室のレッスン着を流用した普段着で、一日中休みらしかった。

買い物を終え八時に店を出ると、ようやく空は暗さを増し、夜らしくなった。

暑く粘っこい空気を歩く家路で軽い口論になった。

「お前歩き?」

「お前も歩きじゃん」

「当たりめえだろ家どこだと思ってんだよ」

「あそう。で相談って?」

「まあ急かすな」

「ほう」

 ふと確認するような仕草で友人は後ろを気にした。

何かと思い振り向く。

「ん?」

「いやなんでもない」

 友人は耳を掻いて向き直った。

「あ? ああ……活動の方は上手く行ってんの?」

「まあそれなりにな、ライヴ活動も充実してるし」

「テレビは?」

「ぼちぼちかな」

「ほう、楽しそうだな」

「あいつも最近見ねえしな」

「ああ元カノ?」

「うん、あれが効いた」

「あれか……聴いたよ。でもすげえ“燃えた”な」

「バカ、あれくらいで丁度良いんだよ」

「そうか?」

「クソうざかったし、ああでもしないと」

「でもやっぱ限度があるだろ」

「日和るからお前の詞はダセえんだよ」

「はあ。……全然関係ないけど、さっきからああいうビニール紐多くない?」

「は?」

「ほらあれだよあれ」

 ここ一ヶ月でよく見かけるようになった電柱や柵に括り付けられているビニール紐が気になっていた。

「ああ。単に工事する印だろ? つか話逸らすなよ」

 そのつもりはなかったが、興味は逸れなかった。

「いや別に……じゃあずっと訊こうと思ってたけど、“死ね”ってどういう意味なん?」

「まんま消えろってことだよ」

「それって“消えろ”じゃダメなん?」

「字数が合わねえだろ」

「そんなの調整出来るだろ? あえて使ってんなら狙いは何なのかなって。ムカつく奴には当然思うけど、あれって言うと歌うとじゃニュアンスが変わってくるだろ?」

「だから険を含ましてんだろそこに」

「怒りのアピールは尤もだけど、意味として“消えて”ほしいのか“苦しんで”ほしいのか。俺は死ぬ怖さは消えることじゃなくその瞬間の痛みだと思うわけ。実際死にたかないけど事故で痛みもなく死ぬならまあ嫌は嫌だけどアリかなって」

「ふーんじゃ殺さずに拷問か」

「うーん……生きててもいいけど今後の楽しみは奪いたいよね」

「お前ヤバいな。俺はシンプルに殺したいね、存在が失せるってことはそいつにとって最大に不名誉なことじゃん」

「じゃあ苦しみじゃなくて消えてほしいのか」

「勿論」

「……でも殺しはしないよな?」

「当たりめえだろ活動出来なくなるわ」

「いや俺は正直、法はなくても殺さないと思うわ、怠いし報復は怖いし」

「ワケ分かんねえよ、痛めつけといて生かしとく方がよっぽどだろ」

「だからまあ逆に言えば殺る奴は関係なしに殺ってるだろうなって」

「うん」

「だから……実際死んだら気分悪いだろって」

「え? 何、元カノが?」

「そう」

「ああ……だから殺してないだろ?」

「うん、でも死んだら?」

「ねえよ。死ぬか普通?」

「いやあるだろ」

「ないって。つか仮に死んだとして俺が殺したわけじゃなくね?」

「は、お前のせいになるだろ?」

「ならねえよ」

「いやマジで? 少しは気にするだろ普通。お前の方がヤバくね?」

「いやいやよく考えろよ、ストーカーして文句言われて、自業自得だろ?」

「だって、お前の浮気が原因だったんじゃねえの?」

「そんなの分かってて付き合ってんだよ、つかあいつの方が浮気だし」

「うーわ……つーか死ななきゃいいってのがもう」

「お前センスねえわマジで」

「センスない奴を呼ぶなよ」

「黙れカス」

「つか今気づいたけど何で遠回りしてたんだ?」

「お前が話振るからだろうが」

「は……? 別に、家で続きを喋ればいいんじゃないの?」

「うるせえよ早く入れよ」

 妙な気はしたが、これがいつもの調子で、特別険悪というほどではなかった。

懐かしい。五年ぶりくらい、いやもっとか。

相変わらずヤニ臭い部屋だが、以前よりは片付いた感がある。

「お!」

「触んなよ」

 目新しいターンテーブル。

返事とは裏腹に見せた気だった。

「相談ってこれか?」

「ちげえちげえ、多分お前こっちのがワクワクするよ」

「え?」

 煙草の封を裂きながらデスクに落ち着き、パソコン画面を顎でしゃくる。

「生命保険?」

「ここのプラン説明ってあるだろ、そこクリックしてみ」

 言われた通り操作すると黒い画面に切り替わった。

アラビア文字が波打ち、瞬時ゾッとする。

「何これ?」

 大量の防犯カメラの映像が犇めいている。

「何のサイトだと思う?」

「……お前のホームページとか?」

「こんな不気味なの作るかよ」

 スクロールすると時折妙な広告がせり上がってくる。

武器。兵器。テロ。カルト。政治批判を臭わすヘタウマ調の風刺漫画からは血が飛び散り──

身の毛がよだつ。分かりやすく物騒な作りだった。

「で、何なん?」

「これ復讐代行サービスのサイトらしい」

「復讐? ヤバいのはよせよ」

「それがもう首突っ込んでんだ」

「だろうな、こういうのは閲覧するだけでリスト入りするって聞くし」

「これ」

 煙草を挟んだ指先が指し示す画面には所狭しと漢字が列を成している。

区切りもスペースもなく一瞬呪文と勘違いしたが、紛れ混んだアルファベットで人名だと認識出来た。

あ、と漏らすと、友人は得意気に笑った。

「そういえばお前煙草やめたんじゃなかったっけ?」

「そっちかよ、最近また吸い始めたんだ」

「ああ……」

「いやこれな、マジヤバくね?」

 確かに、友人の名前がそこには書かれていた。

言う割に余裕そうだが、変と言えば変な様子だ。

やけに怖がってないあたり胡散臭くも思えてくる。

造りは凝っているが、いかにもなデザインといい、陳腐なスリラー映画を思わす中学生のイタズラレベルだ。

嘘か真か、いずれにせよ関わって得することはないと判断し話を切り替える。

「確かにヤバいな……。で、じゃあ俺の新曲だけど」

「おい、これがその相談だよ」

「何で俺なんだ」

「お前こういうの好きだろ、ホラーとかオカルトとか」

「そういうのは安全圏に居て楽しむもんだろ、面倒に巻き込むな」

「せめて話だけでも聞けよ。そしたらいじらしてやるからタンテ」

 正直そこまで魅了はされなかったが、空気を読んだ。

「分かった。聞くだけな、聞くだけ。で、なんだあのサイトは?」

「ライヴの打ち上げでさ、ある男が近づいてきたんだよ。超盛り上がって。俺もめちゃくちゃ酔っ払って、だからうろ覚えなんだけど……そいつは何かの担当者でよくは分かんねえけどとにかくすげえ話が弾んでさ。で、唐突に言うわけ。“こんなサイトがあって、あなたの名前が書かれてますよ”って。ふーんなんつってすっかり忘れてたんだけどこいつはなんだ?!」

 声のトーンを上げながら灰皿を取る次いで、鞄から何かを取り出し俺へと放り投げた。

キャッチし、目を凝らす。

瓶?

その水中で何かが泳いでいた。

というか投げた拍子に浮上して揺らめいていた。

くすんで、色を失った明太子……のような、謎の塊。

柔らかいものが硬くなったような……皆目見当も付きそうになかった。

「気持ち悪」

 勢いでベッド目掛けて投げ捨てる。

「おい! 割れたらどうすんだよ」

 慌てつつ、リアクションにウケたようで満足気に吹き出した。

「それに巻きついてたURLがこれだった」

 デスクから拾った藁半紙を寄越し

「多分そいつが入れたんだわ」

 と煙草の灰を落とした。

「多分つーか他に居なくね? あのキモいのはなんなんだよ」

「わっかんねえんだよ、なんだよあれ?」

「知るかよ」

 胡散臭さに拍車が掛かった。

この話はどう着地する?

「でさ、あのサイトを隈なくよーく見てたらさ」

「普通ウイルスとか疑って開かなくね」

「いやいいネタだと思ったんだよ」

「そいつが書いたんじゃねえの?」

 言って、そもそも話自体を信じていない。

友人の思いつきの線を濃くしつつ、乗ってみる。

「いや俺は書いたのはあいつだと思ってる」

「え……元カノ?」

「最近姿を消したのはこれに賭けたからだろうって」

 軽く目論見を想像する。

その関連で巻き込んで何かを仕出かそうって魂胆か。

復讐を熟そうとする元カノへの更なる仕返し、泥沼。

「これ。なあ分かるだろ?」

 白黒あらゆる町の景色。

幾つもの膨大な防犯カメラの目がその世界の全てを見届けている。

「はあ?」

「よく見ろよ、ほらこの辺とか」

 指の動かす先を辿って……

店内、街中、畑、公園、駐車場──

「ん? これあそこの神社か」

「だろ、やっぱ」

「するとこっちは駄菓子屋、あの通りかこれ」

 気がついた。映っているのは自宅と友人宅を行き来する間の近辺、どれも見覚えがある。

「それで」

「このカメラはなんなんだ? 見張ってるぞ、って?」

「そういう意味かもな。まあ他人ん家のをハッキングしたんだろうけど」

「やっぱあの新曲……後半調子こいてカルト批判とかもしてただろ? だからそいつらに狙われてんじゃねえの?」

 あけすけに言って軽くいなした。

「警告、ってか? んなわけ。で、お前を呼んだのはさ、えーと」

「うん」

「俺さ、来る時しきりに後ろ気にしてたろ?」

「ああ、あれなんだったんだよ」

「なんか最近つけられてる気がするんだわ」

「でも元カノのストーカーは無くなったんだろ」

「いやあいつだったら姿出すしアクション起こしてくると思うんだ」

「じゃ他に誰か思い当たるのか」

「一週間くらい前にあそこの、ちょっと長めのトンネルのとこあるだろ」

「2号線のとこか」

「そうそう、あそこでさ変な集団見ちまって」

「集団?」

「夜中だぞ、二時とか三時に。遠目に見て、初めポールか何かと勘違いしたんだよ。だってあいつらバカみたいに等間隔で並んでやがって」

「あそこあれだろ、なんかガキがスケートの溜まり場で利用してんだろ? 何回か見たことあるよ」

「ちげえんだよ! 七、八人が全員黒づくめで何かやってんだぞ、儀式みたいな」

「やっぱカルトじゃん」

 呆れがため息で漏れた。

「で、だから俺が来て何なの?」

「今日はその同じ日曜日なわけだ」

「深夜なら日が変わって月曜だろ」

「どっちでもいいよ、とにかく丸一週間だ。毎週同じ時間にやってると予想してる」

「何を根拠に」

「実は元カノがライヴに来なくなり始めた一月前からその集団を目撃してる。毎週あのトンネルで同じ時間に何かをやってる、今日はそれに付き合ってほしい」

「嫌だよ、行ってどうすんの?」

「どうって確かめるんだろ」

「確かめてなんだよ? 兄貴とかに頼めよ」

「忙しいんだよお前と違って」

「アホか、俺だって忙しいわ」

「親友だろ?」

「グループに入れなかったくせにか?」

「お前はヒップホップじゃなくてテクノだったから」

「組もうって話だったろ」

「じゃ組むか?」

 とてもじゃないがまともな話には思えない。

ライヴの打ち上げで知り合った何者かも分からぬ男から唆された復讐サイトで、消えた元カノと同時期に見かけた謎の集団を確かめたい?

どこからツッコめばいいんだ。

俺は控えめに言っても相当な無知だしニュースや新聞も碌に目にしないから、事実は小説より、じゃないが実際のところもしかしたらこれだけ馬鹿げたものなのかもしれない。

だとしてお世辞にもリアリティは感じられないし、酷く荒唐無稽だ。

仮に本当だとしてそれだけの義理立てをする程の仲かとも思う。

高校からの付き合いで三十を越した今でも良き音楽仲間だが、特別親友とは思えない。

「一人で行けよ」

 舌打ちをし、諦めて、次の煙草に手を伸ばした。

「……使えねーな」

「残念だったな」

 それから数時間、いつも通り作曲や録音の作業に労を費やした。

流れでようやくターンテーブルをいじらせてもらい、随分と盛り上がった。

あの頃と変わらぬバカに戻り、親友かもしれないと思った。

だが盛り上がりすぎてドジを踏んだ。

多くふざけあい、我を忘れて踊り狂った拍子に躓き、最も気に入ってるというヴァイナルを割ってしまった。

「お前マジさあ……どうすんだよ」

 声を荒げ、深いため息を吐き、これ以上ない落胆で機嫌を損ねた。

激レアでもう入手困難だという。

頂点からの墜落、一気に白けた。

「いや……本当ごめん」

 自分のせいではないと伝えるのは却って怒りを増幅させるし、沈黙するしかなく、お互い重い空気を引きずった。

帰るのも気まずくネタ探しで動画を漁る妙な時間が続く。

ふと友人のアカウントの、例の新曲のコメント欄を覗いていると、やけに引っかかるURLが散見された。

いつもならまずクリックしないが、贖罪の念か、友人の話に乗る形で状況を打破しようと、好奇心も相まって指が跳ねた。

音声ファイルがダウンロードされ、数秒のけたたましい爆音が耳を打った。

「わ!」

「なんだよ」

「これ……なんだ?」

 コメント欄を見せ、もう一度再生する。

よく聴けば重なり合うパーカッションと幾重にも及ぶ低い呪術的な唄声の奥に、交わらない何かが聞こえる。

細く開いた戸の隙間を通る甲高い風の音。

いや、女が苦痛でのたうち回る断末魔にも聞こえる。

「お前さ、腹減んない?」

 友人が時計を見ながら言った。

「減ったわ」

「コンビニ行くか」

「だな」

「でさ」

「うん」

「今何時だ?」

 欠けたヴァイナルの破片を拾って笑った。

「……買ってきてくれるんだろ?」

 不思議に思う。

ある映画の凶悪犯が言っていた通り、己の直感を信じていれば助かったかもしれないのに。

悪い気がするとはいえ、この件は完全に断って別の形で埋め合わせをすればいい。

こう言って、それでも頼んできたらとことん付き合ってやろうと決意していた。

半ば自分も、そうなるだろうと予想してそう言っていた。

そして、そうなった。



 午前二時を廻り、暗闇の底を歩く。

コンビニからの帰り、あのカメラに映っていた近辺を思い出し、その地図をなぞる。

小学校の裏手、人通りの少ない田舎道は不気味さに輪をかけた。

鳥居が見えてくる。

街灯の類が失せ、黒と同化した二人の靴音と擦れ合うビニール袋のリズムだけが響く。

一時間もしない間に疲れて、粘つく熱気が体力を奪った。

ジメジメとして青臭さも鼻をつく。

いよいよあのトンネルが近づき、よく見えるなだらかな丘を登り始めた。

「ちょっと持ってて」

 袋を受け取り、友人は靴ひもを結ぶのにしゃがんだ。

立ち上がり、返そうという間でトンネルに灯りが差した。

気を取られ、受け取らずにその方へ進んでいく友人についていく。

そこだけ奇妙に薄明るい。

「え、おい、あれか?」

 目を凝らす。

等間隔で並ぶシルエット。

友人の言っていた話の通りに現れた。

何かを囲っているように見える。

「何やってんだあんなとこで」

 影絵の劇を思わせた。

顔がよく見えない。

「なんでこの時間なんだ?」

「見られちゃいけない、から?」

 言いながら手を振る友人。

「やめろバカ、だったら他の場所でやればいいだろ」

 一斉に影が沈んだ。

「あれ」

「見つかったか」

 また現れ、その間隔を残したまま集団が移動する。

「いや大丈夫だ」

「何か、運んでる?」

「棺でも持ち上げたのか」

 棺。

その中には復讐された者の遺体が収まっているのか。

「じゃあ奴らが例の連中で今まさに仕事を片付けてる最中ってことか」

「違うか?」

「まさか」

 もしそうならなんと出来過ぎな。

こんな話があります、確かめたら居ました、そんなスムーズに事が運ぶものか。

友人への疑いを濃くする。

もしかしてあいつらとグルで俺をハメようと画策してるんじゃ?

あるいはあの連中自体は本物で、それ以降は友人の考えた筋書きに踊らされてるとか?

思えば曜日指定したのはどう考えてもこの為だ。

例えば偶然見つけたサイトから設定を思いつき、それらしい小道具を用意した。

謎の瓶、ターンテーブル、激レアのヴァイナル、音声ファイル……。

それになぜこの袋を受け取ろうとしない?

シナリオに沿ってトンネルへ誘導し注意を惹きつけているのか。

「なんかさっきから掘ったりしてないか?」

「なあそういえばあのアラビア語なんて書いてあったんだ、やっぱ目には目を、とかか?」

「人を呪わば穴二つ、だったかな」

「よく知ってる」

「気になりゃ調べるだろ」

 分からない。

友人にそうまでされる恨みを買った覚えはないはず。

いや、友人じゃなくて元カノが俺を狙ってるとしたら?

新曲自体も計画の一部で、友人の成功のため俺に何かとんでもない仕事をさせようと企み、一役買って出た。

さすがにその推測はあり得ないか。

様々な悪意の想像が頭をもたげる。

「てか人を呪わば、じゃ矛盾してね?」

「つーかマジで何やってんだ? また運び出してるぞ」

「声でけえんだよ」

「聞こえねえよ、つか何してるか訊いてこいよ」

「お前の役目だろ」

「ヴァイナルの責任を忘れたか?」

 瞬間、嫌な間を挟み、眺めていた全ての首がくるっとこちらを向いた。

「ヤバ」

 目が合った。

頭まで覆い尽くした黒服の全ての開けられた目元が、しっかりと俺たちを捉えた。

見つかった。

思わず駆け出す。

尋常じゃない怖さだった。

お互いがお互い全速力で走り、無我夢中でその場から遠のこうとした。

あんなに物事を疑って怪しんでいたのになんだこの様は。

あの棺には正に捕まった俺たちが入れられようとしていたんじゃないか?

足がもつれそうになり躓きかけ、持っていた袋が乱暴になり、中身が散乱した。

「おい待て」

 聞こえず友人はまだ距離を稼ぐ。

どうにか拾い切って急いで追いつく。

あらゆる方向を進み、さすがにもう居場所は分かるまいというところまで来た感があった。

新聞屋のバイクと擦れ違う。

気づけば空が仄青くなり始めていて、そろそろ四時を迎えようとしていた。

仮に見張られていたとしても人気のある場所で狙うことはないだろう。

息が切れぎれで、特に友人は煙草のせいもあるのか酷く咽せていた。

「大丈夫か」

「やべー超焦った! ちびったかも」

 汗でドロドロになっていて一刻も早く帰りたかった。

袋を手渡す。

「なんで汚れてんだよ」

「悪い、走ってたら落とした」

「ふざけんなよ」

「ちゃんと拾ったから。つか持たすなよ」

「ったく。……あれ? お前財布は?」

「は? 持ってんじゃねえの」

「持ってねえよ袋に入れてたんだよ!」

「はあ知らねえよ、普通ポケットに入れるだろ」

「バカお前落としたんだろ、マジ使えねーな」

 友人は怒りが込み上げてきてたまらないようだった。

「じゃ拾ってくりゃいいんだろ」

 吐き捨てるように言って来た道を戻ろうとした。

「いいわボケ、マジ使えねえ」

 言いながら友人は耳を掻いた。

「あのさ、なんでお前ごときに使われなきゃなんねえの?」

 いい加減我慢の限界で、つい反発した。

「あ?」

 睨みを利かして凄んだ。

「あ、じゃねえよ。怠いんだよ」

「割ったヴァイナルちゃらんなってねえかんな?」

「どうでもいいわ」

「ああ、ああ、ああ最悪だよ!」

 次第に声のトーンを上げて荒げた。

あんまりな態度で、申し訳なさは財布もろとも消えたようだった。

「最悪はこっちだ。お前がこんなのに呼ばなきゃ無くならなかったんじゃねえの? なんでも人のせいにしてんじゃねえよ気分悪いわ。あと人の詞がダサいとか抜かしてたけど、お前のは下品だからな。死ねとか使うとかどうかしてんじゃねえの? 早く復讐されろよ」

 言い出したら止まらなかった。

ずっと残っていた蟠りも勢い余って排出されてしまった。

いい気味だとも、やってしまったとも思ったが、最早遅かった。

完全な仲違い。

 そしてなぜか、関係が悪くなったからとかではなく、もう二度と会わない予感がした。



 一週間後に入った連絡。

<お前さ、生きてる? この間はマジムカついたからさ、面白いことしてやったよ。あのサイト、あれ書き込めるもんなんだな! 試しにお前の名前でやったらすぐ載ってんの! 簡単すぎてビビったわ、確かめに来いよ。いつ暇?>

「はあ? お前バカじゃねえの、何してくれてんのマジで」

<怒んなよ、お前信じてなかったろ? あんなのは冗談なんだからさ>

「それでもしこっちに害が来たらどうすんだよ、本当死んどけよマジで」

<分かった分かった。で、いつ遊ぶ?>

 真意はともかく行為の無神経さが耐えられなかった。

幼稚な仕返し。

あまりの不快さに言葉が度を超えた。

それから連絡も無視しきり、まるで相手にせず、さらに一週間が過ぎ去った。

忘れかけた頃、ふと気になり連絡をしたが、返事が来ない。

何度かして、数日経っても反応がない。

音信不通。

無視したから怒ってる?

お互い様だろう。むしろ向こうの非の方が大きいとさえ思うが、あいつはどう思ってるんだ?

まさかこれこそが狙い?

あれだけ血眼になって逃げ果せておきながらそれでも友人への疑いは晴れなかった。

却って霧を濃くした。

こうなってみて、やはりあの時、どこか変な気がした。

財布は本当に袋に入っていたのか?

探しに行こうと来た道に足を向けた時、どうして断ったんだ?

もし俺だったら探させに行かせるか、グチグチ言いながら一緒になって探すはずだろう。

仕草が引っかかった。

心理学についてはさっぱりだが、あれはもしかして身体は嘘を吐ききれなかったのでは、と。

例えば会って早々のコンビニからの帰路、友人はなんでもないと言っておきながら、結局はあの連中につけられてるかを気にしていた。

それと同様、俺が戻ってしまってはまずいと判断して引きとめていたとしたら?

目が合うのが合図で後はこっちで誘導し、揉めたら任務完了、あの連中は友人の駒で劇団員、解散してくれて構わない、だからあの丘に辿り着いて全てがバレてしまっては叶わないと渋々諦めた振りをした。

では動機は?

そこがどうしてもピンと来ない。

もしかしたら俺の想像しない何かで蟠りが燻っていたとか?

自分に置き換えて、友人が忘れていそうな根に持っていることの一つや二つは確かにある。

しかしここまでの復讐をする程……まして気にもしなさそうなあいつが?

返事がないまま一週間が疾うに過ぎた。

気持ち悪さを拭いたくて奇襲のつもりで友人宅を押しかける。

同じ日曜の夜なら居るだろうと会えそうな時間を狙ったが、留守のようで車だけがあった。

実家か誰かの家に泊まってるのか?

そこでようやく思い出し、近況を求めユニットのSNSを開く。

それは衝撃となって状況を一変させた。

<先月から三人体制で地元を拠点に精力的に活動し──>

 その文言は既に俺と再会した時点で脱退していたことを伝えていた。

何を考えてるんだ?

逐一報告する謂れはない、それは分かる。

ただ何れ簡単に知れるようなことなら開き直ってそれとなく言うはず。

タイミングはいくらでもあったわけだし、有耶無耶にする必要もないだろう。

仕事仲間と関係を絶っているなら、今どこでどうしている?

活動を中断しバイトに専念したか。

自分から連絡しておいて俺の連絡さえ読むことも出来ぬ程忙しくしているのか。

何日も何日も、一週間以上も返事を寄越さず、俺の通りに無視を決め込んだ。

誰を当たろうかと考えた矢先、電話が鳴った。

一瞬期待する。

見れば、珍しい相手だった。

友人の兄。

<久しぶり! 最近あいつと連絡取ってない? 仕事の関係で都内に出ててさ、近いうち帰るから飯でもって話をしてたんだけどなかなか連絡がつかなくって。ターンテーブルを自慢したいみたいだったから、最近会ったりしたかなと思って>

 一度、逆の発想で物事を再考してみる。

俺を呼んだ理由。

ことによると、件の全ては単なる口実で、実は俺と新しくユニットを組むことが本心だったとは考えられないか。

ならあれら全ては本物か作り物か。

作り物なら手が込み過ぎているし、本物ならそれが一番大問題だ。

一部本物で、口実のために都合よく話を大きく盛ったと見るのが現実的には自然な考え方な気はするが……。

長い沈黙と近況の分からなさ。決定打は兄の寄越した連絡──まさか。

失踪か。

分からない。

普通どこまでいったら失踪の基準に値するのか。

失踪という可能性は映画やドラマめいていて現実感に乏しい。

違うなら無駄に心配させてしまうが、もしそうなら一刻も早く伝えるべきだ。

折り返して現時点の全てを伝えるか、あるいは実家の連絡先を訊き出して確認を試みるか。

しかし……確信に欠ける。

思案しながら周辺を歩いていて、おや? と室外機の配管が目についた。

「お前ん家も工事対象なのか?」

 ビニール紐が二つ、三つ集中して括り付けられていた。

おかしい。

前はなかったはず。

これを決め手にするには弱いが、かなり怪しい。

自ら消えたか誰かに消されたか。

金銭トラブル、人間関係……どうしても思い当たるのはやはりあの復讐サイトだ。

“人を呪わば穴二つ”。

これがどうにも引っ掛かる。

この文言の意味はむしろ復讐を否定している。

そもそも復讐というのが端から違う?

あいつは何を考えていてどこで何をしているのか……

出来る限り自力で探し出し限界が来たら警察に相談しようと考えた。

家族や他の者に件のことを話したところで信じてもらえないし、何より自分に責任が感じられて気が引けた。

一晩明かしてビニール紐の導く場所を辿って行こうと決めた。



 あのトンネル。

今までそれとなく遠目には見てきたがまともに行くのは初めてだった。

分かりやすくビニール紐の頻度が増している。

真夜中の儀式……一体奴らは何をしていた?

辺りは草木が生い茂っていて、日中にしては異様な暗さを感じるが、特別変わったところはなくよくある山岳を貫いたトンネルに見える。

意を決して足を踏み入れる。

この場所からあの丘で見ていた俺たちはどう見えていた?

トンネルの先はまだ長い。

こんなとば口もとば口でまるで見せつけていたように。

前後左右、頭上から足元まで舐めるように見回し確かに歩みを進める。

一歩、一歩……特に何があるというわけではない。

例えばあれは演劇の集団か何かがパフォーマンスの練習をしていたとか?

壁のシミが怨念を訴える顔に見える。

ゾッとする俺を錆びついたカーブミラーが映した。

不快な落書き。

何かが横切った気がした。

風。光。気配。

陰鬱で物憂げな空気はある者に言わせれば霊的な何かを察知するのか。

すぐに陽は差し込んで、そう距離はないトンネルを数分の内に抜けた。

次をどうするかの頭で来た道を戻ろうと出口を振り向くと、事態は最悪を迎えた。

おびただしい量のビニール紐。

数色にわたるあらゆる長さが、トンネルの周りを囲う様にして至る所に括り付けられ、結び目は渋滞し、場所によっては何度も裂かれた痕がある。

あんなに高い所も、這う様に低い地べたも、どこもかしこもビニール紐できつく縛り付けられていた。

明らかな異常性。

呪いに満ちた執念を感じる。

入り口の向こうとこちらで、もはや別世界と言えた。

いやむしろあの時から日常を蝕んでいたのか。

生い茂る草木は続いていて、それだけが向こうの世界と繋がっている。

これはやはり……粟立ちながらも謎を解きたい一心で辺りに隈なく目を凝らす。

するとビニール紐に奪われていた目が瞬時に下方の動きを捉える。

褪せて薄汚れた消費者金融のホーロー看板に“騒音禁止”の殴り書き。

その真下で雑草に埋もれて倒れている男を発見した。

嫌な予感。

友人ではないことを願う。

声を掛ける。

手を伸ばす。

無数の虫が身体を這っていて起こすのを躊躇う。

死体?

髪の感じや図体からして友人ではないことが徐々にわかる。

安堵して、もう一度手を伸ばしかけた時、耳元で男の声がした。

「これは?」

「うわあ!」

 驚いて振り向くとそこにはスーツの男が立っていた。

四十半ばくらい、背や体重は俺とそう変わらぬ平均的な容姿で、髭が目立った。

男は刑事を名乗り、ある事件の捜査中だという。

いつ現れた?

ずっとこの辺に居たのか……?

「男の人が倒れていて」

「ああ、ただの酔っ払いかな」

 警察手帳は見せないのか?

拭えない胡散臭さが鼻につく。

刑事というのは普通単独で行動するものなのか?

「ここで何を?」

 疑いの笑みで尋ねてくる。

「捜し物をしていて」

 曖昧な言い方をした。

「協力しましょうか」

 まだ友人の計画の線を消せずにいる。

どうも全てのことが簡単に進み過ぎている。

喧嘩というきっかけで常に用意されていた展開。

ヴァイナル、財布、失踪、ビニール紐……そして対面する男。

何かドッキリでも仕掛けているんだろ?

「どうにもならなくなったら頼みますよ」

「今がその縁でしょう。話すだけ話してみては」

「……あなたはよくここに?」

「そうですね、近所の苦情もあって」

「苦情?」

「この“騒音禁止”ってあるでしょう。ここである連中が夜毎大騒ぎをしていて、近所中迷惑であまりに気味が悪いから注意してくれと」

「ある連中というと?」

「ほら、新興宗教とかそういった類いの」

「このビニール紐も?」

「ええ、象徴でしょうね」

 あの夜逃げ出さずに見張っていたらその現場を目撃できたのか。

「騒音というのは?」

「何か民族音楽っていうんですか、そういうイスラム系の儀式ごとを模倣した頭のおかしい奴らですよ」

 思い当たる節があった。

「へえ……そんなしょっちゅうやってたら誰かが動画を上げてたりしますか」

「随分興味があるんですね」

「気になるじゃないですか」

「ああ、好きですもんね、ホラーとかオカルトとか」

「はい?」

 聞き覚えのあるフレーズだった。

「神様は信じますか」

 トーンが変わった。

「え?」

「神様、居ると思います?」

「ああいや……」

「居ない?」

「そういうの怠くないすか」

「いやいやこれは真面目な話ですよ」

 苛つきと不穏さが雲を厚くした。

陽が翳る。

「まあ人間が居る限りは居るんじゃないですか」

「うーんつまり?」

「考え出したのは人間なんだから想像し得る限りは存在するんじゃないのかって」

「ではやはり居ないと?」

「あの……信じてないんですよね、そういうの。天国とか地獄とか、輪廻がどうとか……要は現世を生きる上での動機付けでしょ? これ意味あります?」

 男はニッコリ笑った。

口調共々もはや刑事の振りすら放棄したかに見える。

「ならもし、私があなたの捜し物を見つけたら神様を信じますか?」

「あなたが神だと?」

「いえそうじゃありません」

 無駄にしているような核心に近づいているような奇妙な時間が続く。

「……じゃあ俺が何を捜していると?」

「うーん、これでは?」

 男は懐から皮の赤茶色い財布を取り出した。

似つかわしい派手な柄に思える。

「はい?」

「これ、この財布。見覚えが?」

 受け取り、一通り見て思い出せず、中を開く。

数枚の紙幣とレシート、それから会員証の束から免許証が出てきた。

「ね?」

 驚愕と同時に眩暈がした。

友人の失くした財布。

「あ、ああ……どこで拾った?」

「あの丘の向こうですよ」

「ど……ど、どうして」

 しどろもどろになる。

「友人を捜してここに来たのでしょう?」

「今どこに」

「彼大変だったなあ凄く!」

 遠い目をしながら、わざとらしく抑揚をつけた言い方で再び懐に手をやり何かを取り出す。

見えた瞬間勢いよく投げつけてきた。

「うわ」

 硬い感触をキャッチする。

瓶。

水中を揺らめく何か。

あの時と同じだった。

柔らかいものが硬くなったような……謎の塊。

色や形だけがあの時と異なっていた。

「彼はヘビースモーカーだったから、もうえずいちゃって」

 黄土色が深くくすんで黒さを増したような平たい肉片。

「もう喋ることすら」

 理解が追いつかない。

男は何を言っているのか。

明晰夢の感覚だった。

どこか遠い国の、知らない話に登場する自分たち。

「なんでこうなったか分かります?」

「冗談だろ?」

「何がです? この現状が? あなたの言ったことが?」

「……殺ったのか?」

「ええ言われた通りに」

「は? どういう意味だ?」

 酷い吐き気を催す。

「あなたが“死ね”と言ったんですよ」

 確かに言った覚えはある。

普段なら言わない言葉だった。

「だから何なんだ? なんで殺す必要がある?」

「まさか私に怒りを抱いたりはしていないでしょうね? それは大きな勘違いですよ。あなた自身がこの運命を招いたのだから」

「あんたは頭がおかしい。神様気取りも大概にしろ。こんな悪趣味なおもちゃじゃなく、早くあいつと会わせろ」

「分かってないんだなあ!」

 腹の底から叫ぶような声だった。

 心臓が縮み上がる。

「いいですか、神様はあなたで、私はただの使いですよ? 神の存在っていうのは何か偶像を奉るものではなくて、皆それぞれ自分自身なんです。マザーテレサの有名な文句があるでしょう。“思考に気をつけなさい、それはいつか言葉になるから”と。あなたの行動の全てを司っているのはあなた自身なんです。言葉は行動に、行動は習慣に、習慣は性格に、そして性格はやがて運命となるんです。決して運命の方からあなたに歩み寄っていったのではありません。だからこうなったのはあなたのせいなんです。人は本当に言葉を軽く扱うけど……あれはどうしてなのかな。ただ意味を持った音の連なり以上に、魂が宿りますよ。そのことをさっぱり理解していない。特に彼は愚かで常に乱暴な言葉遣いだった。結局のところ彼が生業にしていた詞はただの遊びに過ぎず本当の力を信じていなかったのです。あなたは疑問を持つところまでは良かったのですが知恵が足りませんでした。復讐を企む者もあまり賢いとは言えませんね。復讐は自らも報いを受ける覚悟があってこそ為されるのです。すなわち依頼者には責任を負ってもらいました。そして最も罪深いのは復讐をされようとしている対象者です。そう憎しみを覚えさせる程に人を陥れ、挙げ句の果てに大して思ってもいない死を告げた。言わば嘘に近い性質を持っていたので、とても残酷ですがこういう形を採らせてもらいました。そのほうが口にした方々への厳重な十字架にもなると考えたので」

 もう何がなんだか分からなかった。

この男は一体何を言っている?

別の頭では呑気にいい新曲のネタになりそうだとも考えていた。

「よく回る舌だな」

 最悪のギャグで反抗したつもりだった。

「不謹慎ですね」

 誰が誰に言ってるんだ。

「で、いよいよ俺の番か? 野放しにしといたらサツに駆け込まれるもんな」

「いえ心配要りませんよ。私は警察に顔が利くので」

「殺れよ」

 感情がグチャグチャで自棄になっていた。

「いえ、あなたはそのプロセスを経ていないので」

「は? なんでそんなくだらない手順を踏む必要があるんだ? 自分じゃ正義ぶってるがやってることは──」

「状況が掴めてないな。いいですか? あなたが“こちらに来た”んです、私じゃない。それにあなたは友人の話すら疑っていたのに、なぜ外部があなたの話を信じると思う?」

「だって俺は神なんだろ? 願えばあんたが動くんだよな? ……あんたは運命は作るものだとかほざいたが、じゃあ不慮の事故や病はどう説明する? あんたがそんな仕事をしてなんの得があるって言うんだ」

「……その質問は、意味がよく分かりません。なぜ空は青いかとか、どうして服を着るのかとか、それはそういうものだからであって特別意味があるわけではないでしょう。それと同じで説明がつかないことだって多々あります。そして神の使いは便利屋とは違いますからね」

 いい加減うんざりだった。

身体中を蠢めく怒りの虫が一斉に駆け出し、堰を切った。

「なるほど! あんたの言うことは全部正しいんだな!」

 男の胸倉を掴み小汚い顔に浴びせる。

「そうかそうか! じゃあそこの野郎も何か? そのプロセスを経たバカってわけか?」

 嫌味なトーンで続け、倒れている男を指差す。

男を投げ捨て、酔っ払いに近づき、乱暴に起こそうとする。

「おい」

 正直言って、俺はこの状況を少し楽しんでいる節があった。

恐怖と怒りが交錯し極度の興奮状態にありながら、完全に狂っていたというよりは、割と冷静にそんな状態を演じて見せてる部分があった。

クスリはおろか酒すら飲まないが、言わばラリっている心地良さというか。

「こいつもじゃあ引っこ抜いてやんないとな!」

 笑って怒鳴り、もうどうにでもなれと振り返ると、刑事を名乗る男は消えていた。

「……あれ?」

 雲間の陽が目に突き刺さる。

「奴は?」

 辺りを見回す。

居ない。

男を見下ろす。

こいつは誰なんだ。

暑さと疲れで酷い眠気に襲われる。

どこから来てどこへ消えた。

汗が瞼を伝うと意識が途切れた。

暗転。

永く一瞬にも似た暗闇。

鈴虫の鳴く音が闇の奥から聞こえてきて意識が蘇る。

俺は目を覚ました。

夜。

少し肌寒い。

あのトンネルの出口。

酔っ払いと入れ替わるようにして俺は倒れていた。

どれくらいの間そうしていたか分からない。

数時間程度なのか、感覚でいえば長い時をタイムスリップしてきた気分だ。

身体を起こす。

まるで嘘だったかのようにビニール紐は一切取り払われ、何事もなかったように辺りは整然としている。

看板もない。

本当に遥か時空を超えたんじゃないか?

来る時には無かったポールが立ち並ぶ入り口を抜け、俺は自宅を戻る帰路をトボトボと歩いた。

抜け殻が世界を彷徨う。



 それからしてしばらく、日常が戻り、平穏な暮らしが続いた。

何の変哲もない世界。

ただ一つ、友人が存在していた形跡の一切が抹消されていた。

誰に聞いても妙な顔をするだけ。

あの奇妙な連中も消え失せた。

日に日に記憶も薄れゆく。

こうなってみて、俺は自分の深層心理に触れた気がした。

もしかすると誰よりも友人に復讐したかったのは俺だったんじゃないか?

奴の成功に嫉妬し、庇いきれない情の念が形となって現れた。

俺は奴が好きだったし、だからあんなにも駆けずり回ったが、心のどこかではこうなることを望んでいたのかもしれない。

──“存在が失せるってことはそいつにとって最大に不名誉なこと”。

どこまでが現実かの区別がつかないが、もし俺の頭がおかしいのでなくて、高校で知り合い、三十を越しても付き合いを共にした幾つもの記憶が確かなら友人はラッパーだった。

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― 新着の感想 ―
ひたすらに読みにくい文章でした。 いや、日本語的な文法は比較的しっかりしている。読みづらさの原因は、序盤の台詞回し。口調も似ている2人の会話が続き過ぎている。主人公の言った言葉なのか、友人の放った台…
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