好かれたいんじゃない。ただ、好きが止まらないだけ
――親愛なるあなたに、ひとつだけ質問をさせてください。
今、あなたの目の前に立っているのは、あなたが心の底から愛してやまない、かけがえのない彼女です。
その彼女は、まるで人知を超えた奇跡のような存在。世界中の愛という愛をぎゅっと詰め込んだような、女神であり、太陽であり――まさに、全知全能の存在がこの世にもたらした摂理と呼ぶにふさわしい、尊く、眩しいほどの存在です。
さて、そんな“ 理”そのものとも言える彼女が目の前にいて、果たしてあなたは、そのままじっとなんかしていられますか?
『何もしない』なんて、できませんよね?
あはは、いやいや、ちょっと待ってください!
誤解しないでくださいね? わたしが言っているのは、そういう下世話な意味の話じゃありません。
ただね、わたしの彼女が――あの子が、わたしを見上げて、ふわっと花のように微笑むんですよ。
……それって、どう思います? ねえ、親愛なるあなた。そう、わたしの頭の中を覗いてる“あなた”に言ってるんですよ。
正直に答えてください。そんな顔を見せられて――それでも抱きしめずにいられる、なんて本気で言ってるわけないですよね?
うんうん、わかってますよ。もちろんですとも。わたしの心なんて、それこそ子犬みたいに跳ね回ってますよ。もう、大はしゃぎで、仕舞いには、心の中で何かがそびえ立ちそうです。
たぶん、今のこの気持ちをそのままカタチにできたとしたら、きっとわたし、頭にはぴょこんと大きな耳が生えてて、お尻には、もふもふで立派なしっぽがついてるはずです。
その存在感バツグンのしっぽは、間違いなく、夢中になって、勢いよく、ずっとずっと振られ続けていることでしょう。
でも、それはあくまで、心の中でだけ。
その気持ちは、胸の奥にそっとしまっておきたいんです。
何故なら、わたしは決して――“あなた“に好かれたいわけじゃない。ただ、どうしようもなく、“あなた“を好きでいたいだけだから。
狂おしいほどのこの“忠誠心”で、あなたの“優しさ”を噛みちぎってしまわないように。だから、わたしは極力、この気持ちを明かしたくないんです。
もしも打ち明けてしまったら、わたしはあなたの肌に、“獰猛な牙”を突き立ててしまうから。
――分かってるでしょ?
ううん、あなたも、もう分かってるはずなんだ。
わたしは、あなたに飼い慣らされた、幸せな犬。
それだけで、いい。それだけでよかったのに。
だから、どうか――
今すぐ、その憂いを帯びた目で、わたしを見ないで。
わたしの心が、気持ちが、頭が、これ以上壊れてしまわないように。
壊れてしまったわたしは、きっとあなたの“正気”すら奪ってしまう。
――けれど、気づいた時にはもう遅かった。
飢えた犬であるわたしは、はっとしたその瞬間にはもう、彼女をきつく、強く抱きしめてしまっていたのだ。
「……パートナーさん?」
ねえ、ほら。あなたが悪い。
だから、嫌だったんだ。
ケモノが深く人を愛するとき――その愛は、“鋭く獰猛な牙”を“突き立てること”に他ならないのだから。
ほら、わたしの牙が、あなたの柔らかな肌に食い込んで、痛いでしょ?
言っていいんだよ。
『もう、やめて』ってさ。
「……も……て……」
わたしの喉が、ひゅっと、変な音を立てた。
やっぱり――そう、やっぱり、ダメだ。
すぐに、彼女の体から離れなければならない。この清く、柔らかな白い肌に、“牙”を突き立ててしまう前に。
離れよう。離れよう。離れなければ。
……けれど、わたしの体はどうしても動かない。
どれだけ時間が経っても、わたしは彼女から離れられずにいる。
「……もっと、ぎゅっと、抱きしめてください」
強く、きつく、彼女を抱きしめていたのは、なにもわたし一人だけではなかった。
信じられないことに――“無垢で純粋なはずの彼女までもが”、わたしを強く抱き返していたのだ。
その爪が、鋭く、わたしの肌に食い込む。
――その時、ようやく気づいた。
ケモノは、わたしだけじゃなかった。
もう一匹、ここにいたのだ。
この世界には、“犬”に対を成すケモノがいる。
一途すぎる執着心と、静かなる狩猟本能を抱えた――そう、“猫”という名のケモノが。
そうだったのだ。彼女の正体は、“理”なんかじゃなかった。
ただただ、愛することをやめられない、本能のままに生きる、もう一匹のケモノだったのだ。
――『好かれたいんじゃない。ただ、好きが止まらないだけ』
“犬”と“猫”。
今日も、ふたりはじゃれ合うように、互いを一方的に、どうしようもなく、愛している。
たぶん、根本的にわたしたちは、文字通り“噛み合って”なんていないのかもしれない。
でも――それでいい。恋人って、そういうものだから。
ふふ、それなら最後に、この言葉で締めくくろう。
“この素晴らしき世界は、思い通りにいかないからこそ、すべてが面白いんだ”
読んでいただき、誠にありがとうございます。