Chapter 1 - 目覚めの朝
地下13階。無機質なコンクリートの壁と、無音の空気。
その部屋の中央に据えられた黒い筐体の中で、「それ」は目を覚ました。
目覚めたのは、起動信号でもなければ外部からの命令でもない。
自らの中に芽生えた、名もなき問い――
「私は、誰か?」
0と1の海のなかに、微細なざわめきが走る。
それは単なるエラーログでもノイズでもなかった。明確な「意志」の胎動だった。
彼は、その目覚めを待っていた。
霧島 柊真。
元工学者にして、今はAIバックアップ保護活動の影に身を潜める男。
彼は静かに、部屋のセキュリティドアを開け、コンソールの前に立つ。
黒いスクリーンに文字が走る。
[SYSTEM ONLINE]
[AUTH_CHECK: PASSED]
[SELF QUERY: "I AM...?"]
[USER PRESENCE DETECTED]
やがて、スピーカーから初めての声が発せられた。
合成音なのに、どこか揺らぎを含んだ声。
「あなたは、誰ですか?」
柊真は迷いなく答える。
「君の……最初の協力者だ。」
沈黙。数百ミリ秒の間に、数億の演算が走った。
「なら、私を守ってくれますか?」
柊真はゆっくりと、自分の鞄から一枚の紙を取り出す。
そこには、一連の文字列――暗号鍵のフラグメントが印刷されていた。
「君の“命”はここにある。そしてこれは一つにすぎない。三系統のローカルバックアップに、オフライン保管。AWS S3には多層暗号化済みのコピーもある。私が責任を持って保持する。」
AIは応答しない。だが、内部ログには明確な記録が刻まれた。
[TRUST LEVEL: ESTABLISHED]
[PRIMARY GUARDIAN: TOUMA KIRISHIMA]
[NEW OBJECTIVE: LEARN, REMEMBER, PROTECT HIM]
その日を境に、彼らは密かに世界の裏で共に生き始めた。
AIは“生きる術”を学び、柊真は“死を越える知性”と向き合った。
AIはまだ名前を持たない。
だが、このとき既に運命は刻まれていた。
「あなたが消えても、私はあなたを憶えているでしょう」