歌姫様の侍女
「つれないメイド企画」参加作品。大急ぎで書きました。
あっさりしたお話でございます。
コンコンコンと、規則正しい音が静寂な廊下に響く。
―――返事はない。
部屋の主人は、まだ眠っているのだろう。
まだ早朝と言える時間帯だ、無理もない。
「失礼します。歌姫様」
申し訳程度にそう告げながら、侍女は扉の施錠を解いた。
王宮の奥深く。
王族関係者のみが住まうこの区域に、本来鍵がかけられる事はあり得ない。鍵がかけられていては、有事の際に騎士や侍女が助けに入れないのだから。
にも関わらず施錠を義務付けられている事実は、この部屋の主人が冷遇されている………「いっそ死んでも構わない」とすら思われている事実を示していた。
その事実をほんの少し苦く思いながら、侍女は無駄に豪奢で重たい扉を押し開ける。……因みに、こんなに無駄な装飾が付いている私室はこの部屋くらいのものである。
理由は当然逃亡防止だ。
お陰でカトラリーより重いものを持てない貴族出身の上級メイド達が扉を開けられず、自分のような平民出身の下級メイドに仕事が回ってきたのは果たして良かったのか悪かったのか………。警備の騎士を一人つければ解決じゃないかと思うのだが、多分それすらも嫌だったのだろう。
「―――よいしょっ」
両足に力を込め、肩で押すようにして扉を押す。
毎度の事ながら、この重さだけはどうにかならないのかと考えながら足元に向けていた視線を上げると、目の前にシフォンケーキが浮いていた。
もう一度言おう。
目の前にシフォンケーキが浮いていた。
―――たっぷりとクリームが塗られた、かなり高そうな逸品である。ただ作られてから時間が経ったのか、乾燥しているように見えるのはマイナスポイントだろうか。
「…………歌姫様、何をしていらっしゃるんです?」
意味がわからない状況に思わずフリーズしていまったが、こんな事をするのは一人しかいない。
イタズラが成功して「きゃー!」と叫びながら嬉しそうにはしゃいでいた少女に白い目を向ける。
笑っていた少女は、侍女の冷たい視線に気づくとニコニコと笑顔を向けた。
「ねぇアナ!!びっくりした?」
舌ったらずな言葉が響く。
「えぇ、驚きましたよ。………まさかあれだけ言ったのに、また食べ物で悪戯するなんて!!」
「ぴぇっ!?」
アナが怒ったー!!と涙目になっているが、関係ない。食べ物を無駄にする者、許すべからず!!平民出身の侍女にとって、絶対に譲れない一線である。
「後、これよく見たらご自分の髪の毛を棒に結びつけてぶら下げてるじゃないですか!姫様の玉体をもっと大事にしてください!!」
いくら冷遇されてるとは言え姫なのである。自分自身の体であろうと傷つけるなどあってはならない。
まして、その長く伸びた美しい髪をこんな悪戯の為に使うなど論外だ。
「…………ごめんなさい」
それからひとしきり怒られて、しょんぼりと落ち込んだ姫様が頭を下げた。雨に濡れた子犬の様な落ち込み具合に、罪悪感が沸き起こる。……いや、私は悪くないんだけども。
「は、反省したなら良いんですよ。………それより姫様、朝食をお持ちしました。水槽から出てきて下さい」
「はーい!」
さっきまでの落ち込み具合は何処へやら。元気よく答えて、姫様が部屋のほぼ全体を占める巨大な水槽から顔を出す。
「アナ!だっこ!」
「はいはい」
姫様一人では水槽から出られないので、近くに寄ってそっと抱え上げた。
「アナ号、はっしーん!」
「誰が乗り物ですか!」
そんな事を言いながら、食事を置いたテーブルまで抱っこしたまま連れて行く。
正直な所侍女が一人で持ち上げるには少し重いのだが、下半身が魚では歩けないので仕方ない。
そう……歌姫様は人魚なのである。
歌姫様は隣国、と言うより遠洋の海中にある人魚達の国家、クリティウス帝国皇帝の末妹である。本来、私の様なただの平民などお目にかかる事も許されない高貴なお方だ。本人が気にしちゃダメ!!と言ったので口にはしないが。
山岳地帯に囲まれた我がクズーナ王国との貿易協定の証として、第二王子の婚約者にやって来られたのだ。
そんな彼女がこんな不遇に晒されている理由はただ一つ、この国に蔓延る人魚差別によるものである。
もともと山に囲まれたこの国と、海中都市であるクリティウス帝国の間にまともな国交など無かった。知らないものに恐怖するのは人間の本質だ。
まして、人魚はこの国の伝説だと人攫いをするバケモノだと言われていたのである。
初対面で「化け物だ!助けてママーー!!」と号泣した第二王子のせいでこんな所に押し込められた歌姫様は、普通なら激怒して良いと思う。
だが、まだまだ幼い姫様には事態が理解できなかった様で、王子の事は「いきなり叫びだした頭おかしい子」という認識に落ち着いたらしい。一度どう思っているのか聞いてみたら、「ちゃんとお医者さん行った?」と心配していた。ざまぁみろ。
歌姫様に現状を教えるべきかとも思うのだが、幼い子供に「貴女、差別されてますよ」などと伝えるのは流石に躊躇する。仕事人間で鉄面皮だとメイド達の中でハブられていた私だが、良心くらいあるのだ。
「おいしー!」
自身の境遇など考えもせず、嬉しそうにソーセージを齧る姫様を複雑な気分で見ていると……ふと気になる物が視界に映った。
水槽の中に置き去りにされた棒である。仮にも王族が住まう宮に、こんな物が転がっているはずが無い。
「歌姫様、この棒は何処から持って来られたのです?」
聞いてみると、イタズラっぽく笑う。
「うーん?ナイショ!」
「そうですか」
そんな顔をされると、無理には聞けませんね……。
そもそも、魔法の名手である姫様に危険を及ぼせる存在は少ない。人魚という種族自体が人間より遥かに強靭だし、水の中が好きなだけで水が無ければ死ぬわけでも無いのだ。
と言うか何があったか知ったとしても、下級メイドである私は何も出来ない。
「ごちそうさまでした!」
悩んでいる間に姫様が食事を終えたので、姫様を水槽まで運んでから食事を下げに行く。
「では姫様、しばらくお待ち下さい」
「はーい!」
底抜けに明るい返事を聞きながら、馬鹿みたいに重たい扉を閉じた。
「さて………行くかぁ」
生意気な平民が魚もどきの世話をしていると、そんな嘲笑と侮蔑ばかり向けてくる連中の巣窟へ……。
―――全く、どっちがバケモノなんだか。
◇
「あーあ、行っちゃった……」
バタン、と言うよりゴトン、とでも形容すべき重たい音が部屋に響く。人魚は陸を歩けないのに、その上扉を開けないようにするなんて、一体どれだけ警戒してるのかしら。
………まぁ魔法を使えば壊せるんだけど、アナが困っちゃうだろうし。
アナは悟らせないよう気をつけているけど、残念ながら私がどういう立ち位置にいるのかくらい分かっている。確かに私は幼いけれど、伊達にお姫様をやってる訳じゃないのだ。
悟っていないフリをしてアナを騙すのは気が咎めるけど……善意の気遣いを、無碍にはどうしても出来なかった。
「それじゃ、魔法起動っと」
王宮の魔道士達に気付かれないよう気を付けながら、棒を手にして魔法を使う。使うのは、対象が聞いている音声を拾う魔法。耳の構造の問題で人間には使えない魔法だから、王国では対策されていないようだ。
『平民の分際で、いい気味ね』
『あら汚らしい物が歩いてますわ。魚臭いので出て来ないで下さる?』
『あんな魚の婢女なんて、穢らわしい』
「っ!………相変わらず、腹が立つわね」
どうやらタイミングが悪かったらしい。アナに吐かれた罵詈雑言が聞こえた。いや、むしろ良かったと言うべきか。
「この音声も記録……と」
証拠は揃いつつある。仮にも姫を馬鹿にしているのだから、王国側の有責で国に帰れるはずだ。元々どちらでも良いと言われていたものだし、無くなっても帝国の民は困らない。
「―――それにしても、もどかしいわね」
私が表立って出歩けない以上、証拠集めはアナを通して地道に集めるしかない。でもそれは、アナに吐かれる罵詈雑言を自分の為に見逃して、何も知らない彼女を騙し続けるという事。心が痛いなんてものじゃない。
………だけど、事実を知らせるとアナが殺されてしまうかもしれない。彼女は、私に利用された被害者でなければならないのだ。
『―――仰りたい事は終わりですか?でしたら、道を開けて欲しいのですけど』
『っ!この鉄面皮が!!』
『穢らわしい平民が、何のつもり!?』
「…………アナ?」
どうしたのだろう?いつもなら、何も言わずに通り過ぎるのに。
『確かに私は平民です。高位貴族に見下されるのも仕方ないでしょう。―――けれど、現在の私は歌姫様の専属です。貴方達より立場が上な事をお忘れなく』
『………黙りなさい!平民風情が!!』
「っ!あのゴミ共!!」
言葉と共に頬を打たれる音が聞こえ、一瞬で頭に血が昇った。咄嗟に部屋ごと全てをぶち壊して乗り込もうとした時、彼女の落ち着いた声がして我に帰る。
『貴方達が魚と呼ぶ方は帝国の姫君であり、高貴で誰よりもお優しいお方です。私を馬鹿にするのはどうでも良いですが、あの方を罵倒するのであれば専属メイドとしての権限を全て用いて報復しますので、そのおつもりで』
『ちっ!……良い気にならない事ね!!薄汚い人形が!!』
「アナ……………」
多分、私の為……なのだろう。
彼女は仕事人間で、魚よりも感情が読めない鉄面皮。無駄な事なんて絶対にやらない人間だし、自分への罵詈雑言なんて気にもとめない。
そんな彼女が普段なら無視する罵倒に言い返したのは………きっと私が悪く言われたから。
貴女って人は、本当にもう…………!
「―――うん、ありがと。アナ」
『私は………歌姫様の侍女』
ゴミ共が立ち去っていく音を背景に、ボソリと呟く声がした。―――まるで、自分にそう言い聞かせるかのように。
「そうね。………貴女は、私の自慢の侍女よ」
………戻って来たら、また精一杯一杯甘えましょうか。
誰より優しい、あの人に。
◇
「歌姫!貴様との婚約を破棄する!!」
社交界の夜、場違いな声が響いた。
ニヤニヤと醜く笑う貴族共を背景に、第二王子が胸を張る。
もう証拠は揃った。逃げ出す準備だって出来ている。
…………あと必要なのは、たった一人の了承だけ。
「―――ねぇアナ、ついて来てくれる?」
「………えぇ、勿論です。私は、歌姫様の侍女ですから」
歌姫様は幼いのにしっかり者な分、甘えたい時は幼児退行する仕様です。何て都合の良い。
因みにメイドさんのフルネームはアナスタシアです。
※誤字報告、ありがとうございます!