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不死なる竜と使い魔の物語 改訂版  作者: きどころしんさく
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野外行動実習

     第8話 野外行動実習


 王立魔法騎士学園中等部は、義務教育を終えた子女を受け入れることもあり、初等部に比べ学科ごとの個性が強くなる。また、座学中心だった初等部と違い、卒業後には社会に出る生徒が多いことから、実践主義である。初等部にあったような共通講義は、中等部ではなくなる。

 その中でもやはり花形は騎士学科であろう。卒業後に各地の騎士団に入る生徒も多いことから、ほとんどの授業時間が戦技と魔法の実技に充てられる。座学は、魔法に関するものが週に3コマと、礼節が週1コマのみである。

 実技科目全てと、魔法に関する座学を免除されているリッリッサ(リル)・アウレリウスは、必然、週1コマの礼節の授業しか、騎士学科に行かなくてよくなる。リルは残りの時間、鍛冶師学科にいるモカイッサ(モカ)と過ごすつもりだった。

 その鍛冶師学科では、中等部になると、「強力鍛冶師(パワー・スミス)」という、搭乗型の作業機械を使った鍛冶作業並びに強力鍛冶師自体の生産、整備が実技の中心となる。強力鍛冶師は「強力従士(パワー・スレイブ)」と呼ばれる機械の一種で、人間より一回り大きく、鎧のように着込むことで搭乗する。人工筋肉の力で鍛冶師を補助し、また工房内の危険から鍛冶師を保護する役割もある。それ自体に魔力(マナ)供給機能はないので、搭乗している鍛冶師自身が持つ魔力で動いている。熟練の鍛冶師になると、自分の強力鍛冶師をカスタマイズして、自分の使いやすいようにするのが定番だ。実は強力鍛冶師を普及させたのも銀嶺騎士団の実績の一つである。

 中等部進学が決まったころから、モカは自分で材料を調達して、体格にあった強力鍛冶師を制作していた(リルも半分くらい手伝った)。授業で使う強力鍛冶師は、1人1機学園から貸与されるが、カスタマイズできないのが気に入らないらしい。モカは、専ら自作の強力鍛冶師を使って授業を受け、暇を見つけてカスタマイズを繰り返すことになる。

 リルに対しての鍛冶師学科の授業の聴講許可は、すんなり出た。これでモカと一緒にいられるとリルはとても安心した。

 中等部での授業初日、鍛冶師学科の実習室で、生徒たちは自分の強力鍛冶師を前に、今や遅しと授業開始を待っていた。聴講生のリルだけ強力鍛冶師がなかったが、リルは特に気にしていなかった。むしろ飛び級したせいで昨年までの見知った顔がいないことに不安を覚えていた。

 予鈴が鳴り、教官が実習室に入ってきた。そもそもが周りの生徒より1つ年下の11歳であり、しかも同年代の中でも一際小柄なモカとリルの双子は、小さすぎて目立つ。しかもモカの性格上、どうしても最前列の真ん中に行きたいらしく、教官の正面である。さらにリルは到底鍜治場に相応しくないロリータファッションなのだ。教官はすぐ2人に気付き、

「これが噂の。」

と、小声で呟いていた。

 初回の実習では、強力鍛冶師についての、基本的な注意点が告げられた後は、ひたすら乗って、起動して、停止して、降りる、という過程を繰り返した。モカは持ち前のすばしこさと要領の良さで、すぐに強力鍛冶師の起動方法を習得してしまった。聴講生のリルはそれを観察するだけだ。実習が終わるころには、魔力切れ気味になり肩で息をしている生徒もいた。

「強力鍛冶師は、自身の魔力で動くけん、鍛冶師じゃからって魔力の鍛錬を怠っちゃいかんぜよ。」

と教官から注意がなされ初回の実習は終了となった。


 中等部に進学したリルの日常はこんな感じだ。朝起きたら、モカと2人で水汲み、その後長兄で現役の準騎士見習いのオルティヌス(オッティ)を相手に朝稽古、朝食をとり、仕事に行く両親とオッティ、祖父のマチウス(マチュ)それから先に学園に行ってしまう次兄のマルセルス(マルセル)を見送り、モカと一緒に学園に登校。学園では大体鍛冶師学科の授業をモカと一緒に聴講する。週1コマ、金曜日の1限目だけ礼節の授業で騎士学科の教室に行く。土曜日は半ドン。学園の授業が終わると大体すぐ帰宅して、モカと一緒に読書や裁縫をして過ごす。両親とオッティが帰宅したら、夕飯までお喋りの花を咲かせ、3世代8人で食卓を囲んで夕食、その後も少しだけおしゃべりを楽しんで、モカと一緒に床に就く。中等部に入ってもリルとモカはなかなか体が大きくならないので、子供のころと同様1つのベッドに2人で寝ていた。騎士学科の授業を免除されている分は、オッティとの朝稽古で充分おつりがくるくらい、鍛錬になっているのでよしとする。日曜日は休日で、モカと二人で、オッティにじゃれついているうちに、日が暮れてしまうことが大半だ。

 ある日、その日も相変わらず鍛冶師学科の実習を聴講していたリルだったが、その日の実習内容は、強力鍛冶師を使った鈑金作業だった。鍛冶師学科の生徒ではないため、強力鍛冶師を貸与されていなかったリルは、鈑金作業を素手でこなしてしまい、教官や他の生徒を大いに驚かせた。なにせリルは、未就学児と言われても信じてしまいそうなほど小さく手足も細く華奢な体格だ。とても力があるように見えないが、その実、悪魔の腕力を持っているため見た目に反して怪力である。そこにほぼ無尽蔵の魔力で「筋力強化(マッスル・ブースト)」の魔法も使っているので、素手でも鈑金作業くらい出来てしまうのだ。モカは、

「私の妹、妹、すごいでしょでしょ。」

と、自分のことのように得意げだった。

 また別の日、この日は金曜日だったので、リルはモカと鍛冶師学科の教室に一旦登校した後、1限目開始の予鈴に合わせて、騎士学科の教室に滑りこんだ。初等部のころと同じように、教室のドアに一番近い席に着き、礼節の授業を受ける。飛び級したので周りは知らない顔だらけだ。結局リルは人見知りを更にこじらせてしまっていた。授業が終わると風のような速さで教室から退散し、モカのところに向かった。


 そんな日常を送っているうちに、いつの間にか時は過ぎる。

「・・・さんしゃめんだん。」

夕食の席で、珍しくリルが話題の口火を切った。

「去年もありましたが、飛び級したので2年連続でやるんですね。」

「うん、うん。連続、連続。」

1回もその機会がなかったオッティがまず感想を言った。モカは相変わらず落ち着きがない。

「去年はマギーに行ってもらいましたから、今年は僕が行きましょう。」

と申し出たのは4兄弟の父のエルヌス(エル)だ。マギーとは母のマルガリッサのことである。

「父さん、仕事はいいのかよ。」

マルセルは心配するが、

「陛下からちょうど溜まっている休暇を消化するよう言われていたところです。心配いりませんよ。」

と、エルは答えた。

「エル君がいない間、砦の方は私たちに任せて。」

と、マギーは言っているが、マギーは事務処理能力ゼロに近い。騎士としては優秀なのだが。そんなわけで今年の三者面談にはエルが保護者として出席する運びとなった。


 面談の順番はリルの方が先だった。教官側の席には中等部の主任教官が着くが、リルは面識がない。教官は保護者の席に座ったエルを見るや

「あ、アウレリウス騎士団長閣下・・・?」

と言って驚愕の表情を浮かべた。しかしすぐに我に帰り、

「しょ、初等部の時のさ、三者面談では、魔法騎士(マジックナイト)志望とのこと、でしたが、そ、その後も、お変わりありませんか。」

と明らかに緊張していることが分かる声で、リルの進路志望を確認した。

「はい、そのように聞いています。リルもそれでいいですね?」

「・・・うん。」

面識のない教官の前でこちらも緊張してたリルは、噛まなかったことで少しほっとした。うなづいただけだが。

「そ、それで、銀嶺騎士団、に入れる予定とのこと、でしたが。」

「はい、オッティの悪い前例もありますし、中等部卒業後はうちで引き取ることになると思います。」

「悪い前例」とは、オッティが高等部魔法騎士学科に進学して早々、実習用の魔導従士(マジカルスレイブ)を壊して退学処分になったことを指す。

「わ、分かりました。それで、では、閣下、今後の指導方針、ですが、基本的に今免除されている科目は、ちゅ、中等部の間は、免除、のままです。た、ただし、秋の、野外行動実習だけは、さ、参加して、いただきます。」

「野外行動実習ですか、懐かしいですね。僕も中等部の時、参加しましたよ。」

教官は緊張しきりだが、エルはいつも通りの態度だ。

「ほ、本日は、以上です、閣下。」

人見知りのリルは「保護者の面前で緊張する教官」の存在に、少し安心した。もっとも件の教官も、「騎士の中の騎士(ナイト・オブ・ナイツ)」の面前でなければ、あれほど緊張しなかっただろうが。


 モカの三者面談では、授業でよく見る中等部鍛冶師学科の実習担当の教官が相手だった。

「騎士の中の騎士と名高いアウレリウス騎士団著閣下とお会いできるとは、望外の幸運じゃけえのお。」

「いえいえ、こちらこそいつも娘たちがお世話になっています。」

「先生、先生。よろしく、よろしく。」

こちらの教官はエル相手でも緊張はしていない様子だ。ただ、喋り方に変にドスが効いている。モカは相変わらず落ち着きがない。

「で、中等部卒業後、魔法鍛冶師(マジック・スミス)として銀嶺に入れるちゅう話じゃけど、変わらんかのお?」

「ええ、その予定です。」

「そう、そう、予定じゃなくて決定事項、決定事項。」

モカの中ではいつの間にか決定事項になってしまっている。まあ、人事権を持つエルがその予定といっている以上、決定事項と大差ないが。

「今後の指導方針じゃけぇど、中等部の授業は普通に受けてもらうけん、そのつもりでの。」

「どんと、どんと来い、来い。」

「だそうです。」

「じゃ、以上じゃけえのぉ。」

モカの三者面談はつつがなく終わった。


 三者面談が終わると、前期試験である。と言ってもリルが受ける試験は礼節の筆記試験だけだ。勿論満点だった。モカの鍛冶師学科の方が筆記試験が多いが、モカは全科目1位の成績だった。初等部の時点でもリル以外には負けていなかったのだから当然と言えば当然だが。マルセルも健闘して、中等部騎士学科2年の次席だった。本人は悔しそうにしていたから、次席でも悔しいくらいには、本気になっているという証拠だ。

 前期試験が終わると夏休みである。エカテリンブルは高地にあり涼しい気候のため、この季節が一番過ごしやすい。

 夏休みのある日、リルはモカに連れられて鍛冶師学科の実習室に来ていた。事前に使用許可は貰っている。

「じゃあじゃあ、強力鍛冶師を改造、改造しちゃうよ、よ。」

「・・・かいぞう。」

と言って、モカは設計図を広げた。設計の試験でも1位だっただけのことはありよく描けている。強力鍛冶師の腰に道具箱を増設するようだ。よく見ると腕も1本増えている。

「・・・さんぼんうで?」

「そうだよ、そうだよ。手が多い方が、方が作業が捗るでしょでしょ。」

「・・・うごかせるの?」

「うん。魔導従士の補助椀と、補助椀と同じ要領で動かすの、の。動かし方は、パパ、パパに聞いてるからだいじょぶ、だいじょぶ。」

道具箱の増設は、溶接するだけだからすぐ終わった。腕の増設は、内骨格、人工筋肉、外装と内側からつないでいき、最後に、銀製の神経線維を強力従士用小型魔導演算機(マジッキュレーター)に接続して、ハード面は完成。その後第3の腕を動かすための術式を魔導演算機に描き込んでソフト面も完成した。モカが試しに乗って動かしてみる。3本腕がすべてスムーズに動いた。

「成功、成功。リルリルも乗ってみる?乗ってみる?」

「・・・のってみる。」

リルが乗ってもスムーズに動いた。悪魔のリルには魔導演算機に侵入して、内部に格納されている術式を覗き見たり書き換えたりといった能力もあるのだが、実際覗くと、悪魔の知識にもない術式が大量にあった。多分作ったのはエルだろう。リルは父の天性の魔法の才能を改めて知り、衝撃を受けた。改造強力鍛冶師を降りると、モカが尋ねてきた。

「どしたの?どしたの?驚いた顔してたけどけど。」

リルの表情は、ほとんど変わらないが、いつも一緒にいるモカならそのわずかな変化を読み取れる。

「・・・すごかった。」

「ね、ね、パパに聞いといて正解だったでしょでしょ。あ、そだそだ、この子の名前、名前考えないと。」

カスタマイズした強力鍛冶師に名前を付けるのも、ベテラン鍛冶師の中ではよく行われていることだ。

「ん〜、決まった決まった。手がいっぱい、いっぱいだから、マンティス君、マンティス君。」

マンティス=蟷螂。モカのセンスは独特だ。

 それからというもの、モカは、

「マンティス君、マンティス君の練習、練習。」

と言って、夏休みの間中、マンティスでガシャガシャと走りまわっていた。


 夏休みが空けた。秋学期最初のイベントが、中等部騎士学科全学年を挙げての野外行動実習である。実習は、シバリス平原中部、ヴァルトフの街の郊外にある、ケトティムの森で、4泊5日の日程で行われる。

 ヴァルトフは、王都ウラジオから東に向かって伸びるオストニア街道を進むと、シバリス平原の入り口にあたる位置にある大都市である。オストニア街道と、南方大洋から北の地獄の入り口まで、シバリス平原を南北に縦断するシバリス街道が交差する地点にあり、オストニア全土の物産が集まる商業都市でもある。その発展ぶりからオストニアの経済首都ともいわれ、ヴァルトフをその所領に収めるヴァルトフス伯爵は、オストニア一の大富豪との異名で知られる。

 そして、意外にも、シバリス平原は、あくまで比較の問題ではあるが、巨壁山脈東麓地方と比較して、魔獣の生息密度が低い。その事実が判明したころから、シバリス平原は積極的に開拓され、多くの街や農村が作られた。今ではシバリス平原中部地方だけで、17もの貴族領に細分化されている。

 実習が行われるケトティムの森は、大型魔獣が生息していないことから、中等部の実習に最適と、以前から実習の場所として使われている。

 エカテリンブルからヴァルトフまでは、魔導車が牽引する幌車(ワゴン)で移動する。朝エカテリンブルを出発すれば、夕方にはヴァルトフに着く予定だ。学園では魔導車を所有していないので、銀嶺騎士団から魔導車と機関士を借りて、牽引してもらう。魔導車が普及するまでは、馬車での移動だったので、野外行動実習も今より長く時間がかかり、半分近くが移動時間に費やされていた。

 魔導車には、主に騎士団で使われる牽引力に優れた(セー)型という、動輪が4対あるタイプと、主に商人に普及しているГ(ゲー)型という動輪が3対の牽引力には劣るが生産性の高いタイプが存在する。学園が銀嶺騎士団から借りたのは、「S-02」という型の魔導車で、貨車(コキ)を繋ぐと、魔導従士を1度に2機まで牽引できる。今回の実習では、魔導車1両で1学年分の生徒とその荷物を牽引するので、魔導車3両の隊列で移動する。

 移動時には、魔獣の襲撃も考えられるので、高等部魔法騎士学科から5機のスコレスが護衛戦力として随伴していた。

 馬車より魔導車の方が圧倒的に速いといっても、半日幌車の中で座っているだけというのは生徒たちにとって退屈である。しかもこの幌車の乗り心地があまりよくない。車輪が固い鉄輪のため、道の凸凹が直接幌車の揺れにつながるためだ。空気の入ったタイヤは、この世界ではまだ開発されていない。

 移動時間、リルは幌車の屋根の上で、猫のように体を丸めて居眠りをしていた。なぜ屋根の上かといえば、人見知りのいリルにとって、あまり接点のない同級生たちと過ごすのが苦痛だったからだ。幸い天気は快晴、「大気の幕(エア・カーテン)」の魔法で前方からの風を遮れば、絶好のお昼寝日和だった。

 全学年参加なので、中等部2年のマルセルもこの実習に参加していた。移動時間中、マルセルは揺れる幌車の中で、学友たちとカードに興じていた。やっているのは我々の世界でいうポーカーに似た、5枚のカードで役を作って競い合うゲームである。

「4のワンペア。」

「2と10のツーペア。」

「くそ、また役なしだ。」

今日のマルセルはついていない。最後の一人が手札を公開した。

「風の4から8のストフラ。」

「げ、そんなすげー役、初めて見たぞ。」

「そんなことより、マルセル、お前、焼き鳥だぞ。」

焼き鳥とは、1度も勝っていない者を表す隠語である。

「くそ、もう1回。」

泣きの1回も、マルセルは役なしだった。

 夕刻、魔導車の車列がヴァルトフに到着した。夜の移動は危険なので、今日は物資の補給をしつつ、野営する。生徒たちには、夕食として保存食の類が配られた。生徒たちが寝るのは幌車の中だ。音に聞く経済首都の街並みを見られないことに、一部の1年生から文句が出たが、この対応は例年通りである。リルは、よく知らない生徒のに交じって寝るのがどうしても苦痛で、荷車に移動し、生徒たちの荷物に埋もれるようにして寝た。

 翌朝、朝食時間よりもかなり早く起きたリルは、日課である槍の朝稽古をした。一通り型の練習をした後、2年生の幌車の中でまだ寝ていたマルセルを無理やり起こして連れ出し、立ち合いの稽古をする。普段の相手はオッティだが、この際仕方がない。結果はマルセルが一瞬で「死んで」終わった。

 保存食での味気ない朝食を済ませると、いよいよ目的地のケトティムの森に出発する。ケトティムの森は、街道を外れ、ヴァルトフの街の南東にある。シバリス平原でも、東の端に行けば、魔の森から迷い出た凶暴強大な魔獣に出くわすこともないではないが、ケトティムの森まで、魔の森の魔獣が押し寄せたのは1度だけだ。その1度がたまたま学園の実習中で、当時中等部1年生だったエルが大活躍して、後に竜殺しの騎士(ドラゴン・スレイヤー)と呼ばれるようになったきっかけになったのは、また別のお話。

 実習の内容は野外活動全般に及ぶ。拠点の確保、天幕の設営、水源と食料の調達、炊き出し。2、3年生はこれに加えて、森の中に実際に入って、中小型魔獣との実戦も行う。

 生徒たちは、基本3人1組の班に分けられ、班ごとに行動するのだが、班分けを決めた時、教室にいなかったリルは、1人どの班にも入れられなかった。3人に満たない班ができることはよくあるので、そういう場合、教官が1人補助に入る。

 到着してまずやるのが拠点の確保であるが、例年拠点として使う場所は決まっている。教官が1年生を集め、どういう基準で拠点を選ぶかを講義している間にも、2、3年生は、天幕の設営に移っている。リルは、生徒たちの最後列に隠れて講義を聞き流していた。その後1年生も天幕の設営に移る。早々と天幕の設営を終えた2、3年生は、班ごとに森に入っていくが、まだ慣れていない1年生は、天幕一つに悪戦苦闘している。リルは教官の手を借りないで、1人で自分の天幕を張ってしまった。悪魔の知識の賜物である。教官は、まさか出番がないと思っていなかった様子で唖然としていたが。リルは、他の生徒が天幕を張り終えるまで、自分の天幕に引きこもっていた。

 天幕設営が無事終わると、次は水源の確保である。と言っても、森の近くに川が流れているので、川の水を汲んでくるだけだったが。

 続いて食料の確保。森には魔獣以外の野生動物も生息している。1年生はそういった動物を狩って食料にするのだが、万が一魔獣に遭遇した時は、教官に助けを求めるよう指導された。リルは、森に入ってすぐ小型魔獣の角兎(ホーンド・ラビット)を見つけた。瞬時に間合いを詰め、愛用の槍で兎の首を落とす。その後オッティに教わった通り血抜きをして、薪の調達し、さっさと自分の天幕に戻ってしまった。

 食料の確保ができたら、炊き出しである。革製のエプロンをして、捕って来た「兎」を捌く。なかなかの手際だ。これも悪魔の知識の賜物である。捌き終わったら、落ちている石を並べて簡易な竈を作った。これで準備万端。後は他の生徒たちが戻って来て夕食の時間になるのを待つばかり。エプロンを外して、お気に入りの服に返り血が着いていないか確認する。問題なし。ところが、なかなか他の生徒が戻ってこない。退屈だ。

 日が傾きかけたところで、ようやく他の生徒たちが、パラパラと戻ってきた。収穫のなかった班もあるようだ。教官から収穫のなかった班に、肉を分けてやるよう言われた。拒否して怒られるのも面倒なので、リルの好みでない部位を適当に渡しておいた。ちなみにオストニアには、一般的に、魔獣の肉を食べる習慣がない。教官もまさかリルが採ってきた獲物が、角兎だとは思わなかったらしい。

 ようやく夕食の支度が始まる。3年生は、炊き出しをしながら、交代で拠点の周りを歩哨に立っている。それに構わず、リルは、好物の「兎」のカシラ(脳みそ)を焼いて食べた。もう少し塩を振った方が美味しかったなとリルは思った。ただ、周りからの好奇の視線に耐えられず、すぐ火の始末をして、天幕に引きこもってしまった。

 1年生には歩哨の交代はないので、そのまま天幕に引きこもって寝てしまった。

 実習3日目の朝、本来の起床時間よりだいぶ早く起床したリルは、川で水を汲み、朝稽古をした。昨日と同様、マルセルを起こしてこようかとも考えたが、あまりいい稽古ができないと判断して、一人だけでやった。

 実習3日目は、丸1日、各班に分かれての野外活動を行う。朝食の後、教官から1年生にあまり森の奥に入らないこと、魔獣に遭遇したら、戦わず教官を呼ぶことが指導されたが、リルは聞いていなかった。森の中に入ると、魔犬(ヘル・ハウンド)を1頭見つけた。群れでいないことから若いはぐれオスだろう。リルは臭いに敏感な「犬」に気付かれないうちに、「風の刃(ソニック・ブレード)」の魔法で、「犬」の首を切り落とした。血抜きをし、ついでに薪も拾ったら獲物を担いで自分の天幕に戻った。それから、エプロンをして「犬」を捌く。エプロンを外してお気に入りの洋服に返り血が着いていないことを確認した。そういえば、オッティは魔獣を捌くときエプロンをしていないが、服を返り血で汚すところを見たことがない。やっぱりおにいちゃんはすごい、とリルは思った。

 まだ午前中だが、今日のノルマを終えてしまった。退屈だ。天幕に入ると、こんな場合に備えてオッティから借りてきた「銀嶺騎士団物語2」を取り出し、読書を始めた。銀嶺騎士団が魔の森で遭遇した最大最強の魔獣「魔王」と戦うところが、この物語のクライマックスだ。両親から真相を聞いているリルは、物語としても少し脚色が過ぎると思った。「銀嶺騎士団物語2」は、「銀嶺騎士団物語(1)」(出版当初、続編の予定がなかったため、厳密には1巻にはナンバリングがされていない)ほどには売れなかったと聞いている。確かに1巻の方が2巻よりおもしろい、というのがリルの感想だ。

 リルが「銀嶺騎士団物語2」を読み終わった時点でも、日暮れまではまだ時間がありそうだった。拠点には、万が一大型魔獣が現れた際に備え高等部の魔法騎士が待機していたが、中等部の生徒や教官は戻っていない。退屈だ。仕方なく、リルは2冊目の本を取り出した。「銀嶺騎士団物語3」である。これは飛空船が開発されたのち、南方大洋の上空に発見された「空の大地」という文字通り空に浮く島で、先住民である「翼の民」と西方人の間で勃発した紛争を、銀嶺騎士団が活躍して鎮めるというストーリーである。当事者である両親から聞かされた事実に沿っていて、しかも盛り上げどころも心得ている。2巻がそれほど好評でなかったため、3巻もそれほど部数が出ていないが、隠れた名作といってもいいと、リルは思っている。当時銀嶺騎士団飛空船団の旗艦だった飛翔母艦(キャリア・シップ)クラス1番艦「コリントゥス」が空の大地に到達したところまで読み進めた時点で、日が傾きだし、徐々に、森に散らばっていた生徒たちや教官が、拠点に戻ってきたので、リルは読書を中断した。生徒たちや教官は、リルの天幕の横に大型動物の肉(本当は中型魔獣の肉)が解体され山積みになっているのを見て大変驚いた。ちなみにコリントゥスは、現在近衛騎士団飛行連隊の旗艦である。

 全ての班が無事戻ったところで、例によってリルは、教官から収穫のなかった班に肉を分けてやるよう言われたので、素直に従った。その後の夕食では、リルは「犬」のカシラを焼いて食べた。前日の教訓を生かし、塩を多めに振って焼いたら、とても美味しかった。「犬」のカシラは「兎」のそれより大きいので食べ応えも十分だった。しかし周りからの好奇の視線に耐えられず、食事が終わったらすぐ火の始末をして自分の天幕に入った。

 リルの食事風景を見ていた同級生は、その異様な光景に恐れ戦いていた。何せロリータファッションに身を包んだリアルロリが、獣の脳みそを焼いて食べているのだ。しかも、その表情は調理中も食事中も一貫して無表情。この世のものとは思えない光景だった。

 日が完全に沈むと、天幕の中に闇が訪れる。実は、リルは暗いところが苦手だ。人見知りなのに1人になるのも苦手だ。この実習中、何とか我慢してきたが、そろそろ限界だ。そして、この場にはリルが安心して話せる相手は1人しかいない。リルは天幕を抜け出すと、「魔法灯火(マジカルランタン)」の魔法で自分の周りだけを明るくした。「魔法灯火」は、光属性の普及魔法だが、光の属性式自体それなりの教育を受けたものしか知らないので、明り取りの魔法としては「松明の火(ファイア・トーチ)」の方が一般的である。そしてリルは、目的の人物を探しに、2年生の天幕がある方向へ向かった。

 天幕の外に漏れ聞こえる話し声に耳をすませば、目的の人物はすぐに見つかった。リルは2年生の天幕の1つに入り込み、その中で学友と談笑していたマルセルを無言で天幕の外に、引きずり出した。マルセルも、リルが見た目に似合わぬ怪力の持ち主と知っているので、逆らわずについて行った。天幕の外に出ると、リルは、頭一つ以上大きいマルセルを見上げて言った。

「・・・ちいにい、おはなしして。」

マルセルも末妹の臆病な性格は分かっていて、応じることにした。が、天幕から同じ班の生徒が出て来たので、リルはサッとマルセルの後ろに隠れた。マルセルは大柄なので隠れやすい。

「女の子の方から夜這いとか、モテる男は違うね。」

「よ、色男!っていうかそのロリっ娘、誰?可愛い!」

と囃し立てた。家族内での扱いはともかく、マルセルが「モテる」「色男」なのは事実である。マルセルは、

「勘違いすんな、妹だよ、妹。」

と、悪友に釘を刺す。

「マルセルの妹ってことは、あの謎の美少女か。まさか本物に会えるとは。」

「妹にしては、似てないな。」

「似てねえのは、自覚してるよ。」

どうやら、リルは上級生にまで都市伝説扱いされていたらしい。

「リルも隠れてねえで、自己紹介ぐらいしろ。」

「・・・り、りる・・・。」

リルの対人恐怖克服計画は絶賛継続中である。リルは上級生相手に自己紹介ができて満足した。全く新しい情報がなかったがそれは置く。

「お前ら、先に天幕に戻っててくれ。俺は甘えん坊の妹を寝かしつけたら戻るからよ。」

マルセルがそう言うと、学友たちは素直に従った。リルはマルセルを自分の天幕に連れていく。

 リルの天幕に着くとマルセルはドッカリ胡坐をかいた。リルはしゃがみ込む。こうすると目線の高さが合って話しやすい。

「で、騎士学科の授業はどうよ。」

マルセルは無難な話題から入ったつもりだったが、

「・・・?」

リルの反応は芳しくない。

「そうか、そういや、ほとんどの授業、免除されてたな。すると、普段どうしてんだ?」

「・・・おねえちゃんと、いっしょ。」

リルは口数が少ないので、何を言いたいか理解するのに苦労する。

「モカと、鍛冶師学科の授業を受けてんのか?」

「・・・うん。」

マルセルの推測で正しかったらしい。

「鍛冶師学科の授業、楽しいか?」

「・・・べつに。」

「てことは、何だ。モカと一緒にいたいから鍛冶師学科の授業を受けてるってこと?」

「・・・うん。」

「鍛冶師学科の授業、分かってんのか?」

「・・・?きかなくても、しってることばっかり。」

「どんだけ天才なんだよ。」

マルセルは頭が痛くなってきた。何せ昨日この小さな妹に瞬殺されたばかりだ。

「そういや、魔法習いたての頃は、リルもモカに置いてかれて悩んでたよな?」

「・・・?・・・そうだったかも?」

「なんで疑問形なんだよ。小さかったから覚えてないのか。」

リルは覚えているが理由を話せないのでとぼけただけなのだが、マルセルは気付かない。

「そうすると、俺もリルみたいに急成長する時期が来んのかなあ?」

「・・・ちいにい、どんどん、せ、のびてる。」

「そっちじゃねえよ。剣とか魔法の話。」

「・・・そっちは、たぶんむり。」

「バッサリだな。」

これでもマルセルは学科随一の実力者として、教官たちの評価も高い。今のままでも充分いい騎士になれる器なのだが、他の兄弟が規格外すぎて劣等感が隠せない。

「ま、凡人は凡人らしく足掻くしかねえってことか。」

「・・・ぼんじん。」

「お前に言われると地味に傷つく。」

「・・・ちいにい、きいていい?」

リルは話題を変えたいようだ。

「何を?」

「・・・なんで、せいらー?」

リルは、マルセルがなぜ魔法騎士ではなく船乗り(セイラー)を目指しているかが疑問のようだ。ただ、

「その話はしたくねえな。」

マルセルとしては、触れられたくない部分だった。

「・・・なんで?」

「それも含めて。」

「・・・なら、いい。」

リルもその話題にはそこまで拘泥しないらしい。マルセルは、

「じゃあ、そろそろ俺は戻るぞ。夜更かししないで寝ろよ。」

と言って、リルの天幕を出て、自分の天幕に戻った。

 リルは、マルセルと話して幾分落ち着いたのか、そのあとすぐに眠りについた。

 実習4日目。朝食後には、拠点の撤収作業である。リルは、もともと少ない荷物を手早くまとめ、天幕を1人で畳んで荷車に乗せ、魔導車の機関室の上に乗って、他の生徒の作業を見ていた。1年生は相変わらず悪戦苦闘している。すると機関室から突然声を掛けられた。

「おチビちゃん、うちのダンチョーんとこの娘何だってな。ダンチョー補佐が心配してたぜ。」

「・・・え・・・あ・・・うん。」

下から声を掛けられてビクッとなってしまったが、返事はできた。

「うん。いかにもダンチョーの娘って感じだな。ちっこくて可愛い。」

「・・・え・・・あ・・・ありがとう。」

褒められたので、お礼も言えた。

「そんなにビビらなくても取って食いやしないよ。どうせおチビちゃんも御曹司と一緒で、うちに来るんだろ。」

「・・・?」

おんぞうしってだれのことだろうとリルは思った。

 そんな会話をしている間に、撤収作業が整ったようである。生徒たちが続々と幌車に乗っていく。リルは魔導車の上に乗ったままっだたので、教官に怒られた。

 魔導車の車列がケトティムの森を出発すると、昼頃には、ヴァルトフの街に着いた。この後は生徒たちお楽しみの経済首都ヴァルトフの自由観光である。教官から、夕刻までには幌車に戻るよう言い渡された後、生徒たちは我先にと、街の中に入っていく。リルもヴァルトフの街に興味があった。悪魔の知識にないことに出会えるかもしれない。内心ワクワクしながら、いつも通りの無表情で、愛用の槍を携えて背嚢を背負い、生徒たちの最後尾で、街の中に入った。

 ヴァルトフの街の中心は市場になっていて、資格のある商人しか入れない。市場を取り囲むようにオストニア街道とシバリス街道の交わる環状交差点がある。その外側に大小の商店が所狭しと軒を連ねる商店街があった。環状交差点の内側を場内市場、外側を場外市場と言い、場外なら一般客も買い物ができる。

 リルは特に当てもなかったが、場外市場に行ってみた。すると、平日の昼過ぎにもかかわらず、人、人、人の海ができていた。人見知りのリルには刺激が強すぎる。特に当てもなかったので早々に退散して、街の外側の人気のない方へ向かった。

 てくてく歩いていると、人気のない路地に入っていた。人心地着いたところで、当たりを見回してみると、路地の奥からぬるっと怪しい男が現れた。

「お嬢ちゃん、ヴァルトフに来てこんな路地裏に足を運ぶとは、なかなか通だね。」

突然声を掛けられびっくりしてしまった。

「怖がんなくても怪しい者じゃねえ。ここで会ったのも何かの縁だ、うちの店によってってくれよう。」

正直怪しいし怖いが、興味もある。それにモカからお土産を頼まれていた。手ぶらでは帰れない。リルは無言でうなづいた。

 怪しい男の店は、路地裏に隠れるように存在した。何の店か分からないがとにかく雑多なものが並べられている。その中に一つ気になるものがあった。

「・・・これ。」

リルが手に取ったのは、ちぎれた人工筋肉(アーティ・マッスル)の繊維のようだった。どこかの騎士団の放出品だろうか。壊れているが、直せば、強力従士(パワー・スレイブ)の腕1本分くらいにはなるだろう。

「こんなジャンクに目を付けるたあ、お嬢ちゃん、トーシロじゃないね。で、いくら出す。」

値段は交渉次第ということだろう。リルはお土産を買うために、それなりの金額を持ってきている。持っていたがま口の中身を見せると、店主の男は、

「こんなに貰えねえ、その4分の1くらいでいいぜ。子供からぼったくるのは趣味じゃねえからな。」

と、リルのがま口からコインをとっていった。確かに4分の1弱だ。

「じゃ、商談成立ってことで。」

リルは、人工筋肉の繊維を持って、怪しい店を出た。

 お土産を買えたので、まだ時間は早かったが、リルは街を出て魔導車の車列に戻った。それから時間までは、読みかけの「銀嶺騎士団物語3」の続きを読んで過ごした。

 この日も初日同様ここで野営をする。

 実習最終日。この日は、ヴァルトフからエカテリンブルまで半日かけて移動だ。行きは下りだったが帰りは上りなので、少しだけ時間がかった。それでも夕刻にはエカテリンブルの街に帰りつき、街に入ったところで解散となった。

 リルは愛用の槍と背嚢、それにお土産の人工筋肉の繊維を持って帰宅した。リルが帰宅した時には、もう両親とオッティ、それにマチュも帰宅していて、そのまま夕食となった。

「・・・おみやげ。」

リルが人工筋肉の繊維を差し出すと、モカが、

「すごい、すごい、人工筋肉。これでマンティス君、マンティス君の腕をもう1本、1本増やせる。」

と、相変わらず落ち着きなく喜んだ。

「リルが気を利かせてお土産を買ってきたのです。マルセルは何かないんですか。」

オッティの冷静な問いかけにマルセルは冷や汗をかいた。マルセルは学友たちとヴァルトフの場外市場を楽しんだが、家族へのお土産などという発想はなかったのだ。

「相変わらず気が利かない。」

マギーの軽蔑の眼差し。痛恨の一撃。マルセルは力尽きた。

「お土産もいいですが肝心の実習はどうでしたか。」

エルが話を軌道修正する。

「・・・うさちゃんと、わんちゃんを、とった。」

「兎さんと犬さんですか。羨ましい。美味しかったですか。」

「・・・わんちゃん、おいしかった。」

「なるほど、犬さんは平原までいかないと遊べないですからね。リル、いい経験をしましたね。」

「・・・うん。」

リルは舌足らずだが、オッティはリルの言いたいことをなぜか過不足なく理解していた。普段は会話に割り込んでくるモカも今はお土産の方に夢中である。

「なるほど、リルはいい経験をしたんですね。マルセル、君はどうでしたか。」

へんじがない。ただのしかばねのようだ。


 リルとモカの12歳の誕生日がやってきた。

 この世界ではなぜか12という数字は特別な意味を持っていいる。時間の数え方も午前と午後を12時間とするし、1年も12カ月に分けられている。他にも方角や、黄道12星座、果ては神話に出てくる神々の武具の数などである。西方史の教官は歴史上の謎の一つと言っていたが、悪魔の知識を持つリルは知っている。西方暦元年前後、人間に知識を与えた悪魔が、2、3、4、6の公倍数で扱いやすい数として12という数字を教えたのだ。分秒の60進法も似たようなものだ。

 それはともかく、オストニアには12歳の誕生日を他の歳より盛大に祝う風習があった。

リルとモカも、12歳の誕生日プレゼントとして、好きなものを貰えることになった。

 モカは迷わず答えた。

「え〜とね、えーとね、強力鍛冶師のね、左手、左手の内骨格と外装!それとそれと、銀線繊維も、も。」

「完成品をねだらず、材料を欲しがるのが如何にもモカらしいですね。」

「うん、うん、お兄ちゃん。作る、作るのも、使うのものも、楽しいんだよだよ。」

ちなみにオッティは、「毎日魔獣さん遊びに行ける権利」をおねだりして両親を微妙な空気にさせた。マルセルの希望は飛空船だったが、さすがに本物は無理なので、銀嶺騎士団の旗艦テバイの模型がプレゼントされた。マルセルは模型でも充分喜んでいた。

「リルは、何か欲しいものない?」

「・・・ほしいもの。」

リルは考え込んでしまった。欲しいものがなくて今までもらっていた小遣いのほとんどをモカに譲っていたくらいだ。物欲が、あまりないのだ。

「例えば、リルの目標は魔法騎士ですよね。魔法騎士に関する物なんてどうですか。」

オッティがヒントをくれる。

「・・・まじっく、ないと。」

そのキーワードから連想して、欲しい物が閃いた。

「・・・りゅうの、うろこ。」

「竜の鱗ですか。確か砦の倉庫にありましたが、一体何に使うんですか。」

「・・・よろいに、する。」

魔導従士のコクピットは、「操縦者保護(コクピット・シェル)」の魔法で守られているが、全ての衝撃を殺しきることはできない。魔法騎士は、軽鎧を装備して魔導従士に乗り込むのが一般的だ。オストニアでは、魔獣の皮革を用いた皮鎧を着るのが一般的である。

「なるほど、鱗鎧ですか。竜鱗を使うので、さしずめドラゴンスケイルと呼ぶべきものですね。」

昔エルが退治した竜の死骸は、研究用に残らず回収された。その後、スベルドロ砦が完成した後、竜鱗だけ持ち込まれたのだ。なにせ、魔導従士の武器でも傷つけられなかった竜麟である。何かに使うにも加工が難しく、使い道がなかったのだ。今は砦の第3倉庫でほこりをかぶっているはずである。

「分かりました。リルの誕生日プレゼントは、竜の鱗にしましょう。全部だと量が多いので、鎧に適したサイズのを、見繕ってきましょう。」

 その日の夜、モカは早速、強力鍛冶師の改造案の設計図を描き上げていた。

「これで、これで、マンティス君も、4本腕、4本腕♪」

早く改造に着手したくて堪らないといった雰囲気が伝わってくるが、モカはマンティスを普段の授業でも使っている。改造に着手できるのは早くても次の長期休暇、年末年始になるだろう。

 数日後、仕事から帰宅したオッティが、大き目の麻袋いっぱいに竜の鱗を持ち帰ってきた。

「鎧に使えるサイズということで、尻尾の部分の鱗を全部持ってきました。」

「・・・ありがとう、おにいちゃん。」

「お礼は父様に言ってください。竜さんは、父様の獲物ですからね。」

「・・・ぱぱ、ありがとう。」

「どういたしまして。何なら加工の方もこちらでしてもよかったんですよ。」

「・・・それは、じぶんで、したい。」

「そうですか。それならいいです。」

「リルリル、私にも手伝わせて、お願い、お願い。」

モカの趣味は物作り全般に及ぶらしい。最近は、ティナから料理も習っている。

「・・・おねえちゃん、いいよ。」

 それから年末年始の休暇まで、モカはリルからお土産で貰った人工筋肉の修復を、リルは鱗鎧作りを、暇を見つけては進めることになった。竜の鱗は噂通り固く、針金を通す小さな穴を開けるだけでも難儀したが、リルは根気強く加工に取り組んだ。


 秋も深まり冬の気配が近づくころ、夕食の席でのことである。

「僕とマギーは明日から、勅命でグランミュールまで出張に行ってきます。1カ月弱家を空けるのでそのつもりでお願いします。」

と、唐突にエルが言った。

「西のグランミュール王国と言えば、母様のお兄様のランファン伯父様がいる国ですね。父様と3人、学園の同級生だったのですよね。」

「ん?兄貴なのに同級生なのか?」

「マルセル、君は相変わらず物覚えが悪いですね。」

オッティは、残念な弟に呆れていた。

「私とランファンは生まれた時期はほぼ同じだけど、母さんが違うの。私の母さんが第2夫人でランファンの母さんが第1夫人。」

普段はマルセルの発言をスルーするマギーが、珍しく彼の疑問に答えた。マルセルの傷が回復した。

「所謂腹違いですね。マギーのお母様はシバリウス侯爵の妾で、マギーが生まれた後、正式に婚姻したんですよ。それでマギーはシバリウス侯爵の準正子になったのです。」

「ジュンセイシって、何じゃらほいほい?」

「・・・うまれたときは、しせいじで、そのあと、おとうさんとおかあさんが、けっこんして、ちゃくしになった、このこと。」

「シセイジ?」

「・・・けっこんしてない、おとうさんと、おかあさんの、こ。」

「すごい、すごい。リルリル、物、物知り、しり。」

「私とエル君が出会ったころは、母さんはまだ妾だったけどね。で、ランファンの乳母でもあったの。」

昔を振り返りマギーが言った。

「それで、奥様が嫉妬深くて、母さんと私をいじめるものだから、見かねた父さんが、領地でも王都の下屋敷でもない私と母さんが暮らす家を、エカテリンブルに買ってくれたってわけ。奥様よりも乳母の母さんになついてたランファンも着いて来ちゃったけどね。」

「そのランファンも今や西方一の大国、グランミュール王国の王婿殿下ですからね。」

エルも懐かしそうに言った。

「ん?いくらオストニアの侯爵の子でも、グランミュールの女王様とじゃ身分違いじゃねえか?」

「マルセル、君は、本当に物覚えが悪いですね。」

「ランファンとロッティちゃんはね、なんと恋愛結婚なの、王族なのに。」

「僕たちと同じですね。」

若干の惚気。ちなみに「ロッティちゃん」とは、グランミュール王国の女王、シャルロット・ヴァロワ・グランミュール(シャルロット2世)のことである。マギーから見たら義理の姉に当たる。

「恋愛結婚、恋愛結婚。すごいすごい。」

「・・・れんあいけっこん。」

「それで父様と母様は、旧交を温めに行くのですか。」

「それもありますが、あくまで主目的は、国王陛下の親書を女王陛下に届ける特使です。公用での出張ですからね。」

「もちろん、分かっていましたよ。」

そんなこんなで、1ヶ月弱4兄弟は両親が不在の状態で過ごすのだったが、特に大きな問題は起きなかった。


 年末年始の休暇を目前にしたある冬の日、

「・・・できた。」

リルが作っていたドラゴンスケイルが完成した。しかしその見た目は、鎧というよりも、コルセットのようだった。

 その日の夕方、リルは帰宅した両親とオッティに、

「・・・できた。」

と言って、完成品のドラゴンスケイルを披露した。

「小さくありませんか。それでは服の上から着られないですよ。」

とオッティが質問してきしたが、リルは、

「・・・きがえてくる。」

と言い残し、居間から出て行ってしまった。しばらくして戻ってきたリルは、いつも通りの黒ロリファッションに見える。

「鎧、鎧はどうしたの?の?」

「・・・ぶらうすの、した。」

リルは下着の上に鱗鎧、その上にブラウス、ジャンパースカートと重ね着したのだ。見た目通りコルセットの位置である。

「・・・きしには、ぼうぎょりょくも、だいじ。・・・でも、カワイくないと。」

という理屈でこんなことになったらしい。台所からチラチラと居間の様子を伺っていたカワイイ教祖のマギーは、

「さすが、リル。カワイイと防御力の両立。天才。」

と感動している。誰もこのロリロリが、魔導従士の攻撃も防ぐ竜の鱗の鎧を隠しているとは思うまい。

「なるほど、コルセット型の鱗鎧ですか、考えましたね。」

リルと同じカワイイ教徒のオッティも感心している。リルは少しだけ自慢げだった(家族以外には相変わらずの無表情に見えただろうが)。

 年末年始の休みに入り、モカもいよいよマンティスの改造に着手した。人工筋肉の修復は既に終わっている。後は3本目の腕を増やしたのと同じ要領だ。完成したマンティスに乗り込み、4本腕の動作試験を終えると、

「よしよし、これで完成、完成。名付けてマンティス君改だよ。リルリルも乗ってみるみる?」

「マンティス君」までが正式名称だったらしい。それはともかく、リルは、無言でうなづくと、マンティス君改に乗ってみた。まず起動する前に、魔導演算機の中を覗く。以前と中身が大幅に変わっていた。

「・・・だいれくと・こんとろーる?」

 直接操縦ダイレクト・コントロールとは、エルが編み出した魔導従士の操縦法で、魔導従士の神経線維と魔法騎士の体を繋ぐことで、魔導従士の頭脳ともいえる魔導演算機と魔法騎士の脳が直接つながり、思考だけで魔導従士を動かせる、という操縦法だ。魔導従士のコクピットは2本の操縦桿と2つのペダル、それに機種にもよるが数個のボタンがあるだけの簡素なつくりだ。それでも複雑な動きができるのは、魔導演算機に組み込まれた制御系の魔法のおかげである。エルは初めて魔導従士に乗った際、あまりに小柄で操縦桿やペダルに手足が届かなかったため(今でも届かないが)この操縦法を編み出したのだ。直接操縦は非常に高い魔法能力を要求されるので、実際にこれをしているのは、エルとマギー、それにオッティくらいだろう。余談だが、エルと同じく小柄なオッティも乗機のスコピエスの操縦桿やペダルに手足が届かないので、普通の操縦法では動かせない。

 モカは、リルの疑問に自信満々で、

「あ、気付いた、気付いた。すごいでしょでしょ。」

と肯定した。直接操縦は初めての経験だったので、少し緊張しながら、マンティス君改を起動した。無事起動。その後4本ある腕を同時に動かしてみる。動いた。意外にできるものだ。

「・・・うごいた。」

「とーぜん、とーぜん。」

これまで3人しかいなかった直接操縦の使い手に、密かにモカとリルの名が加わった。


 年が明けて、西方暦2690年。

 年明け授業で、モカはマンティス君改の4本腕を駆使し、今まで以上の大活躍を見せていた。同級生たちは、ひとりカスタマイズされた強力鍛冶師に乗っているモカのことをっ大変羨ましがった。

 1ヶ月ほどの年明け授業の後は、恒例の学年末試験である。リルは例によって礼節の筆記試験だけを受験し満点だった。モカも全科目で1位。マルセルは科目別ではともかく、総合点で主席の座を取り戻し、ご満悦だった。

 その年は、リルとモカに関して、飛び級させるかの判断材料が揃っていないということで職員会議は招集されなかった。リルは中等部騎士学科2年に、モカは同じく鍛冶師学科2年に、マルセルは騎士学科3年に進級した。


10

 学年が変わってもリルたちの生活に大きな変化はなかった。リルは相変わらず礼節以外の騎士学科の授業を免除されているので、モカのいる鍛冶師学科の授業を聴講していた。対人恐怖克服計画も絶賛継続中であるが、さして効果は見られない。モカは、マンティス君改の4本腕を駆使し、2年生になっても大活躍である。授業が終われば家に帰り、モカは、裁縫をしたりティナに料理を習ったりしていた。家にある本はほとんど読んでしまったらしいので、読書はしなくなった。リルは、モカの裁縫を手伝ったり、料理に悪戦苦闘するモカを観察していた。

 前期試験の成績も例年通り。リルは、礼節だけ受験し満点。モカは全科目1位だったが、2位との差がさらに開いた。マルセルは総合点で次席に後退し、悔しがっていた。実技科目の成績はいいが、座学が足を引っ張った。

 夏休みも平和だった。モカがマンティス君改に更に工具箱を増設し、いよいよプロ顔負けの仕様に仕上げたくらいだ。


 秋学期には4泊5日の野外行動実習がある。リルは昨年と同様の理由で1人で1班扱いになったが、教官の手を借りる機会はなかった。

 2年生になると魔獣との実戦も経験するが、中小型魔獣など、今のリルの敵ではない。見つけるなり瞬殺して、一番おいしそうだった「犬」を、血抜きして、薪と一緒に、拠点に持ち帰った。魔獣を食べるなどと想像もしていなかった同級生たちはリルの奇行にギョッとしていたが、逆にリルは同級生たちが狩った獲物をその場に放置していく理由が分からず頭に?を浮かべていた。

 モカの料理を観察していたリルは、自然と料理スキルが身に付き始めていた。「犬」の肉は煮込みにして食べた。いい出汁が出ていて美味しかった。リルが山積みにしていた肉が魔獣の肉と判明したからか、今年は収穫がなかった班に肉を分けるように教官から言われなかった。

 実習4日目のヴァルトフ自由観光では、いろんな路地に入ってみたが昨年のような掘り出し物には出会えず、家族へのお土産は、「犬」の干し肉にした。オッティがとても喜んでくれた。


 リルとモカの13歳の誕生日は、例年通り、ささやかなパーティーでお祝いされた。パーティーの時にしか食べられない白いふわふわなパンは、ふすまが混じっていないからこの色と食感になると勉強した。

 年末年始の休みもいつも通り過ごした。年が明けて西方暦2691年。

 マルセルは、落ち着かなかった。彼は中等部3年生、今年で卒業である。その前に控えるのが、高等部への入学選抜だ。マルセルは高等部飛空船学科船乗専攻への進学志望届を、書き損じがないか何度も見直して、提出した。

 王立魔法騎士学園高等部は、中等部からの内部進学以外認めていない。入学試験も行われない。選抜の際には、初等部から中等部までの全科目の成績が評価の対象となる。もちろん3年生の最終試験も例外ではない。

 1ヶ月ほどの年明け授業の後、学年末試験、3年生にとっては最終試験が、行われた。リルはいつも通り満点、モカも全科目2位に大差をつけての1位。マルセルは普段以上に気合を入れて臨み、総合点では主席となった。喜ぶというより、ほっとしたといった感じだ。

 試験の成績発表から1週間後の2月末日に、卒業式が行われる。この1週間の間に様々な会議が持たれ、様々なことが決まっていく。

 中等部騎士学科では担当教官会議が開かれていた。主任教官が口火を切る。

「2度の野外行動実習での実績を見ても、リッリッサ・アウレリウス君に学園で指導できることはもうないと考える。」

「主任のおっしゃる通りです。まるで野兎でも狩るように魔犬を斃していましたからな。」

「魔獣の肉を食べていたことには驚いたが。」

そんな中、礼節担当の年配教官だけは懸念を口にする。

「小生が見たところ、リッリッサ君は、人見知りが激しすぎる。普通の騎士としてやっていけるかどうか。」

しかし主任教官が遮った。

「リッリッサ君は、確か銀嶺騎士団入りを希望していたな。」

「はい、そのように聞いております。」

「ならば、教官の心配は杞憂だ。あそこは良くも悪くも普通の騎士団ではない。それにアウレリウス騎士団長閣下は、リッリッサ君の父君だ。悪いようにはなるまい。」

「いえ、小生は小さな懸念を口にしたまで。主任の意見に反対ではない。」

礼節の教官もリルの飛び級卒業に反対まではしていなかった。

「それでは学科の総意は決まった。後は教官会議に掛けるだけだな。」


 同日、中等部鍛冶師学科の担当教官会議ではモカのことが議題になっていた。

「モカイッサ・アウレリウス君の成績は本学科始まって以来かもしれんな。」

主任教官が言うと、実習担当教官も、

「強力鍛冶師を自作した生徒は前にもおらんではないけえのお。4つ腕?わしも長おこの仕事しとるけえ、あんなん初めてじゃけえ。」

という。その他の教官も、

「座学の成績は試験の席次が示す通りです。」

同調した。

「それでは学科の総意は決まった。後は教官会議に掛けるだけだな。」


 同日、高等部飛空船学科では入学者選抜が行われていた。飛空船学科船乗専攻は、定員10人の非常に狭き門である。9人は決まった。そして2人の生徒が当落線上に残った。マルセルともう一人。しかし、教官たちの議論はマルセルを合格させて良いかに集中した。

「この生徒は、初等部では中の下あたりを彷徨っているのに、中等部ではいきなり主席争いをしているな。」

ちなみにマルセルと主席争いをしていた生徒は魔法騎士学科に合格していた。

「初等部教官が書いた身上調査書には、初等部では明らかに手を抜いていた、とあります。」

「ふむ、では、中等部で主席争いをしていたのがこの生徒の本当の実力ということか。」

別の教官が口を開く。

「私は、この生徒、実技の成績は抜群だけど座学が苦手なところが気になります。我が学科は座学中心ですからな。」

「飛空船学科の座学は特殊だからな、中等部までの成績は当てにならんよ。入ってからの努力次第でどうにでもなる。むしろ、合格したことに安心して、初等部の時のように手を抜かれる方が困る。」

議論は色々出たが、最後に主任教官が結論を出した。

「今から仮定の話をして不合格にするのはよくありませんな。実力があることは間違いない。最後の合格者はマルセルス・アウレリウス君で良いでしょう。」

マルセルはギリギリのところで合格ラインに滑り込んだ。本人にはその事実を知る由もないが。


 翌日、教官会議が招集された。議題はリルとモカの飛び級卒業についてであるが、特に異議は出ず、学長のマチュの決裁を経て、正式決定となった。

 その日の午前中、マルセルは、中等部の演習場で剣の稽古をしていた。最終試験から卒業式までの間、3年生の授業は行われないので、わざわざ登校してくる生徒はほとんどいない。中等部卒業後の就職先への引っ越し準備に追われている者がほとんどだ。ただその日だけは高等部の入学選抜の結果を待つ生徒がちらほらいた。何名かの生徒が名前を呼ばれ魔法騎士学科の校舎に連れていかれた。名前を呼ばれず泣き崩れる者もいる。しばらくして、セーラー服姿の、飛空船学科の教官が来て、マルセルの名を呼んだ。マルセルは、「よっしゃあ!」

と、大声を出して喜び、生き生きとした表情で、飛空船学科の校舎に向かった。

 通された部屋で、飛空船学科の主任教官からマルセルを含む10名の生徒に入学許可証が、1人ずつ手渡される。主任教官の短い訓示の後、解散となった。

 その日の夕食の席で、マルセルは、

「じゃーん。」

といって、午前中に貰った入学許可証を、家族に見せびらかした。

「ちい兄、ちい兄、おめでと、おめでと。」

「・・・おめでとう?」

「おめでとうございます、マルセル。夢に1歩近づきましたね。でも、合格したからと言って気を抜いてはいけませんよ。飛空船はまだ新しい技術です。勉強すべきことは山のようにあるんですから。特に君は体が大きく力も強いですが、座学が苦手な傾向があります。飛空船学科は座学中心ですから心してかかって下さい。」

マルセルが座学が苦手という話題が食卓に上った覚えはない。あと、飛空船学科は座学中心という話も初耳だ。マルセルはオッティの言葉に戦慄した。

「オッティの言う通りだ。マルセル、くれぐれも高等部では手を抜かないように。」

かつて鬼教官と恐れられた祖父のマチュは厳しい。

「何はともあれ、合格して何よりです。」

「ええ、エルの言う通り。頑張ったわね、マルセル。」

母のマギーは食べるのに夢中でマルセルを見ていない。マルセルはショックを受けた。

「うむ。めでたいついでに、私からも報告だ。今日の教官会議で、モカとリルの飛び級卒業が決まった。」

「お祖父ちゃん、ほんと?ほんと?じゃあ、パパ、パパ、私も騎士団に入れる?入れる?」

「・・・とうぜん。」

モカは半信半疑だが、リルは珍しく自信満々だった。

「はい、こうなることは見越して陛下の許可を貰ってあります。卒業式の翌日からでも、早速モカは鍛冶師隊に、リルはオッティと同じ分隊に所属してもらいましょう。」

「うちの子なんだからうちの騎士団に入るのは当然よね。」

銀嶺騎士団は国王直属特務騎士団のはずだが、アウレリウス家 (というかエルとマギー)による私物化が激しい。

「それとな、エル。それにみんなも、4年間学長職を務めてきたが、この春を以って退任することになった。」

「そうですか、お疲れさまでした、父様。」

「お祖父ちゃん、お祖父ちゃん、お疲れ、お疲れ。」

「・・・おつかれさま。」

大役を務めあげたマチュを家族が労う。

「それでね、エル。夫も退職するし、いい機会だから、家督はあなたに譲って、私たち夫婦は隠居しようと思うの。」

「隠居、そうですか。分かりました。謹んでお受けします。そういうわけで、明日から僕が、アウレリウス家の当主となります。みんな、よろしくお願いしますね。」

「ま、ずっと騎士団長だったわけだし今更だけどね。」

「お祖父様、お祖母様、これからは、ゆっくり余生をお過ごしください。」

「ありがとう、オッティ。でも、私が休んでしまったら家事をやる人がいなくなるでしょう。夫はともかく、私の生活は今までのままよ。」

「それもそうですね。」

「兄貴が間違えるなんて珍しいじゃん。」

マルセルは無視された。マルセルはショックを受けた。


 卒業式当日、式典も無事終わった。いつのころからか、高等部の魔導従士が講堂から正門までの道の左右に並び、剣を掲げて対面と道の上で交差させ、花道を作って卒業生を送り出すのが学園の伝統になっている。リルとモカは、手をつないで花道をくぐって正門を抜けると、回れ右して、学園にペコリと頭を下げる。

 明日から、リルは準騎士見習いとして、モカは魔法鍛冶師見習いとして銀嶺騎士団に入る。マルセルは送り出す在校生側にいた。4月からは高等部飛空船学科船乗専攻1年生だ。


 アウレリウス家の日常は、大きな変化を迎える。

〈第2章完〉

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