謎のクラスメート
「お祖母様、行ってきます。」
「お祖母ちゃん、お祖母ちゃん、行ってきます、ます。」
「・・・いってきます。」
可愛らしい3人の声が、アウレリウス家の玄関に響く。出発のあいさつだ。
「3人とも、気を付けて行ってらっしゃい。」
それに応えるのは、老婆というにはまだ早い女性の声だ。3人の祖母であるティナイッサ・アウレリウスだ。
「ふふふ、お兄ちゃんと一緒、一緒に、学校、学校♪」
双子の姉、モカイッサが、4兄弟の長兄であるオルティヌスの右手をとって、いつものごとく落ち着きなくてとてとと歩いている。自作のデニムのジャケットに、同じデニムのホットパンツの下に生足を晒した、活動的なスタイルだ。背負っているピンクの小さなリュックサックも自作である。
「モカ、あんまりはしゃぐと転びますよ。」
と、オッティは落ち着きのない妹を気遣っている。フリル付きの空色のブラウスに丈の短いプリーツスカート、ニーハイソックスといういつもの男の娘スタイルだ。そのオッティの左手を握り、無言、無表情を貫いているのが、双子の妹、リッリッサだ。白いブラウスにジャンパースカートという、いつもの黒ロリスタイルに身を包んで、黒い背嚢を背負っている。ちなみに4兄弟の次兄マルセルスは、兄弟そろって学園に登校するのが恥ずかしいと、先に出発してしまった。
モカがはしゃいでいるのには、理由がある。今日がモカとリルの入学式の日なのだ。3人は揃って、この日特有の初々しい雰囲気が漂う、王立魔法騎士学園へと向かった。
第5話 謎のクラスメート
1
西方暦2687年春。大陸を南北に走る巨壁山脈の東方、オストニア王国の西部に位置する街エカテリンブル、そこにある王立魔法騎士学園では、新入生を迎える入学式が行われていた。リルは、今日から正式に学園の初等部騎士学科に通う児童となる。
晴れ舞台だというのに、リルは縮こまってオロオロしていた。リルは極度の人見知りである。そして周りは知らない顔ばかり。入学前までは、常に家族の誰かに着いていたから、このような状況に対応できていないのだ。双子の姉のモカは、鍛冶師学科に入学したため、離れた席にいる。壇上では、今年から学長に就任した4兄弟の祖父マチウスが、新入生を迎えての講話をしているのだが、気もそぞろで、頭に入ってこない。結局リルが落ち着きを取り戻さないうちに入学式は終わってしまった。
入学式の後は、各学科に分かれてのガイダンスである。リルは、なるべく目立たないように、そして何かあったらすぐ逃げられるように、教室の一番後ろの、一番出入り口に近い席に座った。ガイダンスでは、騎士学科で受けるべき授業の内容や、成績評価の方法、年間のスケジュールなどが教示されたが、人見知りの激しいリルは顔を上げられず、ずっと配布資料とにらめっこをしていた。
入学初日は式典とガイダンスで終了である。リルは、ガイダンスが終わると、風のような速さで教室から飛び出し、鍛冶師学科の教室に向かった。鍛冶師学科では、モカが持ち前の人懐っこさを発揮して、他の児童に話しかけまくっていたが、リルはなるべく目立たないように、モカの後ろに隠れた。
「・・・もう、かえろう。」
リルは、モカにしか聞こえないような小声でそう言ったが、モカは、
「そだ、そだ、この子私の妹、妹のリルリルっていうの、の。騎士、騎士学科だけどけど、仲良くしてあげてね、ね。」
と、大声で鍛冶師学科の同級生たちにリルを紹介した。自然リルに周りの注目が集まるが、とにかく人前が苦手なリルは、
「・・・あ・・・う。」
と、ろくに話もできなかった。
学園からの帰り道、モカは、
「友達、いっぱい、いっぱいできた、できた。明日から楽しみ楽しみ。」
と、楽しげだったが、リルは家族が近くにいない日常が明日から始まることに不安しかなかった。
2
翌日、仕事に行く両親と祖父を見送った後、4兄弟も学園に登校した。やはりマルセルだけ、先に行ってしまったので、前日と同じ3人での登校だ。
リルは騎士学科なので、入学式翌日は、実技科目のクラス分けのための試験を受ける。午前が魔法の試験、午後が戦技の試験だ。
祖父で学長のマチュが、初等部1年の教官にリルを危険人物と扱うよう警告していたため、通常名前順に行われる試験だが、リルは最後に回された。試験会場となった初等部用の演習場で、リルは自分の順番を待つ間、なるべく目立たないよう、木の陰に隠れるようにしていた。なるべく人と目が合わないようにしていたため、同級生がどんな魔法を使っていたかは見ていなかった。
ようやくリルの順番が回って来て、試験官役の教官から名前が呼ばれると、リルはおずおずと、木の陰から出た。自然と同級生たちの注目がリルに集まる。顔から火が出そうだ。教官は、リルが魔法の杖を持っていないことを見とがめ、
「リッリッサ君。杖はどうしたんだね?」
と、聞いてくる。正直なところリルは杖なしでも魔法を使うのに支障はないのだが、そのことをうまく説明できず、
「・・・あ・・・う。」
と、下を向いたまま、赤面するだけだった。早くこの場を逃れたい一心で、リルは標的が3つあることを確認すると、呪文を詠唱することなく「豪炎の槍」の魔法を3発同時に、3つの標的目掛けて放った。直後、「豪炎の槍」が命中した木の板で作られた標的は、灰すら残さず消滅した。「豪炎の槍」は、火属性の戦術級魔法で、超級魔獣にすら有効、大型魔獣であれば、1撃で斃せる破壊力特化の単体攻撃魔法だ。リルは、魔法を放った後、戦果の確認もしないで、逃げるように木の陰に下がった。
この状況を見ていた教官やリルの同級生たちは、唖然とする外なかった。長い学園の歴史においても、このクラス分けのための試験で、戦術級魔法を使用した者はいない。というか、国内でも余程限られた人間しか戦術級魔法の実物を見たことはないだろう。学園始まって以来の天才(又は天災)と言われるオッティでさえ、上級魔法を3発同時に使っただけだ。リルはそれより高度な戦術級魔法を3発同時展開したのだ。目の前の光景に理解が追い付かないのも、不思議ではない。しかもその元凶が今、木の陰で俯きプルプルと震えている。
数分間の静寂の後、ようやく教官が我に帰り、リルの魔法実技と魔法に関する座学の免除が決定した。
午後からの戦技の試験は、標的の木偶人形を前に、得意の型を披露し、それを教官が採点する方法で行われる。リルは、この試験でも最後に回された。
自分の順番を待つ間、リルは、午前中と同じように、演習場に生えた木の陰に隠れていた。同級生が戦技を披露するところは見ていなかったので、どんなレベルかは分からなかった。
ようやく順番が来て、リルの名前が呼ばれると、リルはおずおずと、俯き加減に木偶人形の前まで移動した。集まる視線、顔から火が出る。
担当教官は、事前に危険人物と聞かされていたリルの姿に、別の感慨を覚えた。1年生の中でもひときわ小さく華奢な体躯、リボンやフリル、レースなど、装飾過多な衣装に身を包む。ショート・スピアという本来は片手で使う槍を両手で構えているが、本人が小さすぎるため、長槍のようだ。木偶人形を前に、俯き加減のまま赤面し、構えらしい構えも取らず、プルプル震えている。事前に聞かされていたような危険人物には見えない。というか、到底戦いに向いているとは思えない。
リルが震えたままいつまでも構えないので、仕方なく、教官はそのまま、始めの合図をした。すると次の瞬間リルの姿が、1瞬きの間ほどブレたように見えた。一拍置いて、木偶人形がバラバラに崩れ落ちる。
「は?」
教官を始め、成り行きを見守っていた一同は、目の前で起きたことが理解できず間抜けな声を出していた。その間に、リルは、風のような速さで、木の陰に下がってしまう。
数分後、ようやく我に帰った教官が、崩れ落ちた木偶人形を検分すると、人形を作る際の継ぎ目がことごとく破壊されていた。木偶人形は、1本の丸太から胴体を削り出し、頭や四肢などを継いで作る。乱暴に扱われても壊れないよう素材は丈夫な樫の木だし、継ぎ手の形も工夫されている。それがこの惨状だ。継ぎ手の壊れ方を見て、教官は、3年前、同じように継ぎ目を壊して木偶人形の首を切り飛ばした児童がいたことを思い出した。学園始まって以来の天才(又は天災)と言われるオッティだ。今木の陰に隠れて、赤面したまま震えている、リルの兄である。あの時も異常事態に腰を抜かすほど驚いたが、今回はそれを上回る事態である。リルがどんな動きでこれをやってのけたかは全く見えなかったが、この小さな怪物は、到底学園の教官たちの手に負える相手ではないのは間違いない。
結局、リルは、戦闘実技の授業も免除されることになった。
リルは、試験が終わると、急いで鍛冶師学科の教室にいたモカと合流し、家路を急いだ。「明日、明日から、本格的に授業開始だねだね。楽しみ、楽しみ。」
モカは相変わらずはしゃいでいるが、リルはモカと合流できてようやく不安から立ち直ったところだ。
3
学園の初等部には、共通講義棟と呼ばれる、大教室が集まった棟がある。初等部のカリキュラムには、全学科共通で行われる教養の講義が多い。そのため学科を問わず学年全員が入れる大教室が必要なのだ。
入学3日目にして、本格授業初日、この日のリルの予定は、午前中4コマの教養講義、午後は魔法学基礎と魔法実技だが免除されているので、その間はモカのいる鍛冶師学科に行くつもりだ。モカと一緒に、共通講義棟の大教室に入ると、人懐っこいモカは、教室にいる児童たちに、
「私、私、鍛冶師学科のモカ、で、この子が、妹の、妹の、騎士学科のリルリル。よろしくね、ね。」
と、声を掛けまくっていた。リルはモカの後ろに隠れるようにくっ付いたまま、相手と目が合わないよう俯いていた。
そうこうしているうちに予鈴が鳴る。モカは最前列中央、一番目立つ席に着いた。リルもその隣に座る。後ろからの視線が痛い。教官が入って来て授業が始まった。1時限目は地理。
「1年生の間は、国内地理を勉強します。早速講義に入りますよ。
オストニア王国は、巨壁山脈東麓地方、シバリス平原、北の地獄に分かれ、さらに、巨壁山脈東麓地方、シバリス平原は、中部、北部、南部に3分されるので、7つの地方があることになります。一つの地方に3つから17までの貴族領がありますが、貴族領の数は分家で増えたり、血筋が途絶えて減ったりするので、あまり気にしなくて大丈夫です。私たちのいるエカテリンブルや、王都ウラジオがあるのが巨壁山脈東麓地方中部なので、そこから始めますよ。」
リルは、悪魔の知識を持っているので、学園の中等部で習うくらいの知識までは、聞かなくてもわかる。なので、「ほ〜、へ〜」とコロコロ変わる表情で先生の講義に反応するモカを観察していた。モカはモカで天才肌なので、机の上に広げられたノートには、まだ1文字もメモを取っていない。
「巨壁山脈東麓中部は、ほとんど国王陛下直轄地、いわゆる天領で貴族領は3カ所しかありません。ただ、このエカテリンブル周辺は、エカテリンブルフス公爵領という貴族領になります。エカテリンブルフス公爵閣下は、国王陛下の弟君で、陛下が即位なされた時、臣籍に降下して、新たにエカテリンブルフス公爵家を作った、まあ要するに、王家の分家なんですよ。・・・(以下略)」
こうして、1時限目の授業が終わった。休憩時間の間中、モカは落ち着きなく動き回りながら、いろいろな児童に話しかけて回っていた。リルは、モカの後ろにくっ付いて、相手と目を合わせないようにしていた。
2時限目は、これまた共通講義の読み書きの授業だ。といっても、学園に入学する児童のほとんどは、入学前に文字の読み書きを覚えているので、この授業は教官の方も至って気楽だ。教科書代わりに配られたのは、「銀嶺騎士団物語(1)」という、実話に若干の脚色を加えた作品だ。出版から10年以上経っているが、今も品薄の、人気作である。この本を、1年かけて、読み合わせていく。
少し脱線して、オストニアの出版事情について触れておきたい。オストニアで出版される本は、西方由来の木版活字で印刷される。稚拙な技術ではあるが、手書きで写本を作っていた時代と比べると、版木さえ用意できれば、大量印刷が可能なので、出版もかなり楽になった。ただし、まだ紙自体の供給が需要に追い付いていない状態なので、本自体は高価である。余程のことがない限り買わない。庶民の娯楽は、貸本屋である。学園の児童、生徒に配られる教科書も、貸与品であり、書き込み厳禁で、年度の終わりに学園に返却する。
話を戻そう。「銀嶺騎士団物語(1)」は、銀嶺騎士団結成から、西方大戦に派遣され勝利を手土産に帰国するまでの史実をもとにしたフィクションである。何を隠そう、銀嶺騎士団結成以来騎士団長とその補佐を務めるのがアウレリウス4兄弟の父母、エルヌスとマルガリッサである。リルとモカも、入学以前に、兄のオッティから「銀嶺騎士団物語」シリーズを借りて、胸躍らせながら読んだものである。授業内容は聞くまでもなく頭に入っている。モカはそれでもコロコロ表情を変えながら、授業にリアクションをしていた。リルは、そんなモカを観察していた。
2時限目の授業が終わった。モカはやはり教室中を移動しながら、他の児童に声を掛け、リルは相手と目が合わないように、それに着いていた。モカが教室の中でも前列の窓際に固まって談笑していた児童の集団に話しかけようとした時、予鈴が鳴り、モカとリルは席に戻った。
3、4時限目は西方史の授業である。何せ文字の記録がある時代だけでも2700年弱の歴史があるので、勉強することは、教養科目の中では1番多い。そのためこの授業は、多くの時間が割かれるのだ。それでも、編年体的に歴史を見るのは不可能なので、いくつかのテーマについて、その歴史を見るという授業の構成になっている。最初のテーマは魔法だ。
「人間が魔法を使い始めたのは西方暦元年前後というのが通説だが、何せ記録の乏しい時代の話だから、はっきりとしたことは分からん。誰がどういう経緯で魔法を発見したかも不明。ただ、始めのころの魔法は今より簡素で、わが国でいう普及魔法程度のものしかなかったらしい。」
悪魔の知識があるリルには、教官が分からないといったあたりも大体わかっているのだが、あえて口には出さない。目立ちたくないからだ。
「始めのころの魔法じゃ、小型魔獣を追い払うのが関の山だ。でも最初に魔法を使い始めたバルバル族は大いに栄えたらしい。今じゃ西方でも西の果てに小さな王国を残してるくらいだがな。・・・(中略)・・・じゃあ、いったん休憩に入るぞ。予鈴が鳴ったら席に戻れ。」
教官が言うと、3時限目と4時限目の間の休憩時間になった。モカは、先ほどの休憩時間話しかけ損ねた窓際に集まる児童たちの集団に声を掛けた。
「私、私、鍛冶師学科のモカ。で、この子が妹、妹のリルリル。お友達になろ、なろ。」
しかし件の児童たちの態度は友好的ではなかった。集団の端にいた女子児童が答える。
「あなた、ご自分の身分がお分かり?」
別の児童が、それに続く。
「これだから、下賤な平民の子は。」
明らかにこちらを見下している。リルは、児童たちと目線を合わせないようにしながらも、彼らを観察した。明らかに他の児童たちより身なりがいい。児童たちの輪の中心にいた一際着飾ったやや小柄な女子児童が口を開く。
「皆さま、そこまで邪険に扱わなくても・・・。」
「ユフェミッサ様、下々の者と付き合う必要はございませんわ。」
最初の女子児童が言った。拒絶の態度は明らかだ。そうこうしているうちに、予鈴が鳴り、モカとリルは席に戻った。
「うーん。私のこと覚えてくれたかな?かな?まあいいか、また、また話せば。」
モカは彼らとも友達になりたいらしい。
「よし、戻ったな、再開するぞ。・・・(中略)・・・というわけで、バルバル族から他の人間にも魔法が伝わったのか、他の人間たちが独力で魔法にたどり着いたかも、分かんねえんだな、これが。もうこんな時間か。よし、今日はここまで。」
4時限目の授業が終わると少し長めの昼休みに入る。オストニアにはまだ昼食を食べる文化はないので、学生たちは昼休みの間、お茶を飲みながら、のんびりして過ごす。と言っても紅茶は高級品なので、薬草茶だが。
モカとリルは、オッティのいる高等部魔法騎士学科に向かった。が、高等部の校舎に着く前に、オッティに会った。オッティも妹たちを迎えに行くつもりだったらしい。合流すると、3人は連れ立って、自宅に向かった。オストニア街道に面するアウレリウス邸は、学園と目と鼻の先である。昼休みを自宅で休憩して過ごす程度はわけない。家に着くと、祖母のティナイッサが、お茶を淹れて待っていてくれた。
昼休みも終わり、午後の授業である。リルは、騎士学科の授業を免除されていたので、モカに着いていった。着いたのは意外にも共通講義棟だった。なんと騎士学科以外も5時限目は、魔法学基礎の講義だったのだ。そもそも、オストニアで義務教育が始まった理由が、平民に魔獣に対する防衛力をつけさせるという目的だった。騎士学科以外でも、3年で普及魔法程度は使えるようになるよう、魔法についての教育が行われる。そのため、モカのいる鍛冶師学科でも、魔法の座学や実技はあるのだ。
予鈴が鳴り、教官が入ってくると、最前列中央に陣取るモカとリルを見つけ、
「モカイッサ君、リッリッサ君、君たちはこの講義を受けなくってもいいよ。学長からのお達しだ。」
と、暗に教室から出ていくよう指示した。モカは渋々といった感じで、リルはホッとした様子で教室を出ていった。
共通講義棟を出た2人が向かったのは、鍛冶師学科の実習室だった。着くなりモカは、どこかからか集めてきた鉄屑を溶鉱炉に放り込み、製鉄を始めてしまった。
「ふふふ〜。何ができるか、お楽しみ、お楽しみ♪」
まだ実質授業初日で、溶鉱炉の使い方など習っていないはずであるが、モカは当たり前のように、使いこなしている。
しばらくすると熱い鉄ができた。モカは、学園から支給されている槌で鉄を打ち、剣先型に伸ばしていく。出来上がると、
「リルリル、何だと思う?思う?」
と尋ねてきたので、リルは完成品をよく観察して、
「・・・やり?」
と答えた。
「当たり、当ったり〜。これ、これ、リルリルのために作ったんだよだよ。」
出来たのは槍の穂先であった。その後、槍の柄をねじ込む穴を加工してつけ、槍の穂先が完成した。
「リルリル、付けてみてみて。」
モカは、リルが学園にいつも持ってきていた訓練用の槍を指して言った。リルは槍から木製の穂先を外し、今しがた完成したばかりの、鉄の穂先を取り付け、構えてみた。木製のよりしっくりくる。
「・・・おねえちゃんが、わたしのために、つくったやり・・・♡」
「今は鈍だけど、そのうち刃もつけてあげるからね。」
実に物騒なサプライズだが、リルは感極まった。相変わらず表情には出ないが。
4
その日の夕食時、教室の窓際に陣取っていた一団のことが話題になった。
「それは、あれだ、貴族サークルってやつだ。」
「貴族サークル、まだそんなものが残っていたんですね。」
「あいつらも懲りないね。」
珍しくマギーが嫌悪感を隠さず言った。
「ちい兄、ちい兄、貴族サークルって、何じゃらほい?ほい?」
「それは、俺より母さんの方が詳しいんじゃねえか?」
「あいつらの話はしたくない。」
マルセルが、マギーが不機嫌な理由を考えず、彼女に話を振ったが、マギーは件の貴族サークルが、言葉にするのも嫌なくらい嫌いらしい。
「では、母様に代わって、僕が説明しましょう。貴族サークルというのは、学園に通う貴族の子女の集まりを指す俗称です。」
「へえ、へえ。お兄ちゃん、物、物知り、しり。」
「・・・ものしり。」
マギーに代わって説明を引き受けたのはオッティだ。
「まだ説明の途中です、モカ。最後まで聞いて下さい。貴族の中には選民意識が高い人がいて、あまり、平民と仲良くしようとしないのです。それで貴族の子女だけで、固まっているのですね。貴族サークル内部でも、序列みたいなものがあって、学年より親の爵位が優先します。例えば子爵家の子で中等部の生徒でも、貴族サークル内の序列は、伯爵家の子で初等部の児童に劣ります。」
「人の価値を生まれでしか判断できないなんて、サイテー。」
「僕も母様と同感です。現在貴族サークル内で序列1位なのは、初等部1年のエカテリンブルフス公爵令嬢だったはずです。」
「兄貴、よくそんなことまで知ってんな。」
「マルセル、エカテリンブルフス公は、この街の領主様ですよ。そのくらい知っておいて下さい。」
国王の名は知らなくても、自分の住む地域の領主のことは知っているという人は、この時代では珍しくない。言うまでもなく、オッティは、国王ハベス1世の名前はおろか、その人となりまで知っているのだが。
「ふーん、ふーん、初等部1年ならなら、私たちと一緒だねだね。」
「・・・いっしょ。」
それを聞いてふと疑問に思ったのか、マルセルが、
「待てよ、エカテリンブルフス公だったら、祖父ちゃんと同じくらいの歳のはずだよな。なんで、モカたちと同い年の子供がいるんだよ?」
とオッティに尋ねた。
「はあ、マルセル、同じことを2度言わせないで下さい。エカテリンブルフス公の前妻は、流行り病で早逝し、そのあと嫁いできた後妻の子が、現在初等部1年なのです。
実は、爵位の高い上級貴族の子女は、それほど選民意識が高くない場合が多いのです。ただ、取り巻きの下級貴族の子女は大抵強い選民意識を植え付けられています。地位が低いほど、平民に自分の地位が脅かされないよう、無意識に選民意識を強くしてしまうみたいですね。」
「そんなからくりがあったんだ。」
マギーはアウレリウス家に嫁ぐまで、上級貴族である侯爵家令嬢だった。それで、親の爵位だけで自分にすり寄ってくる他の貴族の子女が嫌いだったのだが、爵位の違いによる考え方の違いまでは、意識していなかったらしい。
「ふーん、ふーん。じゃあじゃあ、そのコウシャクレイジョウと友達になればれば、みんなと友達になれるね、ね。」
昼間ひどい扱いを受けたのに、モカは前向きである。
5
翌日の授業前、モカは鍛冶師学科の教官に呼び出された。リルも着いていく。昨日、学園の設備を無断で使用したことを叱られたのだ。
「ええか、今度からは学園の設備を使うときは、ちゃんと事前に許可取りんよ。」
変ななまりで喋るドワーフ族の教官が言った。
その日も午前中は教養の講義だった。モカは相変わらず、リアクションは大きいが、ノートを取っていない。リルはモカを観察するのに夢中で、授業を聞いていなかった。
休み時間に、モカは貴族サークルの中心にいる、一際身なりのいい児童、先日の一件でユフェミッサと呼ばれていた児童だ、に
「ユフェミッサ、ユフェミッサ・・・んとユフィちゃんでいい?いい?コウシャクレイジョウなんでしょでしょ?私モカ、でこの子は、妹、妹のリルリル。よろしくね。」
と、取り巻きを無視して突撃した。
「あなた、平民の分際で、ユフェミッサ様に・・・。分を弁えなさい。」
と、取り巻きの女子児童の一人が言うが、当のユフェミッサは、モカの勢いに押され、
「よ、よろしく、お願いします。」
と、答えていた。
「じゃあじゃあ、私たち、今日からから、友達ね、ね。」
「平民が公爵家令嬢と友達なんて片腹痛いですわ。」
別の取り巻きが言うが、当のユフィは、
「は、はい。」
と、どちらに同意したのか分からない答えを返した。プラス思考のモカは、これで公爵令嬢と友達になったと考え、自席に戻った。その間リルは、モカに隠れるようにして、誰とも目を合わせないようにしていた。
昼休みを前日同様、オッティと自宅でティナが淹れてくれたお茶を飲んで過ごし、午後の授業に向かう。リルはこの日の午後の戦闘実技の授業は免除されているので、モカに着いていった。場所は鍛冶師学科の実習室である。
予鈴が鳴り、教官が入ってきた。教官は、リルとモカに気付き、
「どっちがモカイッサ君で、どっちがリッリッサ君?リッリッサ君は、騎士学科だらぁ。なして、ここにおるだい?」
「私がモカで、で、こっちがリルリル。髪の結び目、結び目が左右違うからから、それで覚えてね、ね。」
モカは、教官の質問に答えられたが、りるは、
「・・・あの・・・その。」
と、口ごもってしまう。
「リルリルはね、ね、戦闘実技の授業を免除、免除されてるんだよだよ。」
と、モカが助け舟を出すと、教官は、
「そいで、こっち来たん?ま、そいなら、えよ。」
と、リルが聴講することを簡単に許可してしまった。他の児童たちは「それでいいのかよ。」と心の中で総ツッコみだったが、口に出した者はいなかった。
その後2コマじっくり使って、実習室の設備の使用方法や注意点が説明された。鍛冶師学科のドワーフ教官のなまりは相変わらず独特だった。
6
入学5日目、本格授業に入って3日目。その日はリルにとっては鬼門の金曜日である。1時限目の授業が、騎士学科固有の教養、礼節の授業なのだ。共通講義ではないからモカはいない。免除もされていない。リル1人で授業を受けなければならない。リルは、予鈴の直前まで鍛冶師学科の教室にいるモカと一緒にいて、予鈴とともに、騎士学科の教室に滑り込んだ。座るのは最後列、教室のドアに一番近い席だ。
年配の教官が入ってくると、それまで騒がしくしていた児童たちもさっと潮が引くように静かになった。教官は、オストニアにおいて、騎士が如何に尊敬される職業か、そんな騎士に礼節を守ることが如何に重要かを訥々と講義した。
実際のところ、騎士となれば、その騎士団の雇い主である貴族の前に出ることもある。近衛騎士ならば、王族と会うこともあろう。そう言った貴人の面前でも無礼なく振舞えるよう、騎士学科では、礼節の授業は、週1コマながら、とても重視されていた。リルは、授業の間中誰とも目が合わないよう、机とにらめっこをしていたが。
1時限目の礼節の授業を何事もなく乗り切ると、リルは、風のような速さで、教室を飛び出し、鍛冶師学科の教室にいるモカのもとに向かった。2時限目から4時限目までは、免除されている戦闘と魔法の実技なので、このまま鍛冶師学科の授業を聴講した。材料、設計、工業史と、授業が続き、昼休みになった。ドワーフ教官のなまりは相変わらずだった。
午後の授業は、共通講義が2コマ続いた。5時限目の国史の教官は、
「というわけで、我が国は西方に比べて歴史が浅いのね。でもその分密度の濃い授業にするから、手は抜かないでね。」
と言って、オストニア王国建国にいたる経緯から編年体的に講義を進めていった。6時限目の算数の授業は、悪魔の知識があるリルにはもちろん、モカにも退屈だったらしく、途中から船を漕ぎだした。
「おチビちゃん、最前列で居眠りとはいい度胸だ。」
と、座学の教官が似つかわしくない偉丈夫の男性教官が言うと、モカは、
「ね、寝てないよ、よ。」
と、下手くそに誤魔化していた。
入学6日目の土曜日は、半ドンである。共通講義が、3コマで終了。帰宅した後リルは、モカと一緒に、読書したり、裁縫をしたりして過ごした。
7日目の日曜日は、休日である。朝食の片づけが終わると、モカが銃剣の稽古のために、街の外周に行ってしまったので、リルは、入学前と同じように、祖母のティナの家事を手伝った。モカが帰ってきた後は、いつも通り2人で過ごし、両親の帰宅を待つ。
こうして、入学後最初の1週間が終わった。
7
入学式の翌週の火曜日(この世界の7曜制では、週の始まりは火曜日である)、いつも通り妹2人と学園に登校してきたオッティは、高等部魔法騎士学科2年の先輩3人から、
「ちょっと顔貸せ。場所は演習場だ。」
と因縁を付けられた。オッティは特に断る理由もなかったので、いつも通りの花の咲くような笑顔で、
「はい、先輩。」
と答えると、高等部の演習場まで着いていった。
高等部の演習場は広い。鎧騎士を5倍スケールに拡大したような外見の魔導従士での戦闘訓練も行うからだ。演習場に着く直前、オッティに因縁をつけた3人組のうち1人が魔導従士のある工房兼駐機場に向かっていった。演習場に着くと、残った2人のうち1人が、
「学長の孫で、アウレリウス騎士団長の子供だからって、随分調子に乗ってるみてえじゃねえか?だから、この高等部の厳しさを優しい俺たちが、教えてやるよ。」
とオッティに明らかに友好的でない態度で言い放った。
「調子に乗っているつもりはないのですが、僕の態度がなにか気に障りましたか。教えていただけるなら改善しますが。」
とオッティはいつもの態度を崩さない。それが癇に障ったのか、先ほどの学生が、
「この野郎、余裕ぶりやがって。」
と今にもオッティに殴り掛からんとしたところを最後の一人が、
「待て、お楽しみはこの後だ。」
と制止した。そして、
「あれを見てもその余裕が続くかな。」
と工房の方を指さすと、魔力転換炉の奏でるけたたましい給排気音とともに1機の魔導従士が姿を現した。現役の量産機スコピエスではなく、1世代前のスコレスで、学生用の実習機だ。3人組は、さすがに魔導従士で脅せば、オッティも怖気づくと思ったのだろう。しかし当のオッティは、
「1度魔導従士とも遊んでみたかったのですよね。スコピエスでないのが残念ですが、いい機会です。魔法騎士の先輩、あなたに決闘を申し込みます。僕はオルティヌス・アウレリウス、高等部魔法騎士学科1年生です。」
と決闘のルールにのっとり名乗り上げをしてしまった。学生同士の喧嘩はご法度だが、ルールにのっとった決闘だけは例外扱いされる。
3人組は一瞬唖然となったが、すぐに、
「魔導従士と決闘?生身で?馬鹿かこいつは。」
と、馬鹿笑いを始めた。オッティは、
「僕はちゃんと名乗りましたよ。決闘を受けるのか、尻尾巻いて逃げるのか、決めて下さい。」
と、火に油を注ぐ。挑まれた決闘を受けないのは、騎士の恥と言われているため、一方が名乗り上げをしてから決闘が成立しなかったことは、騎士学科や魔法騎士学科に関する限りない。魔導従士に乗る1人が馬鹿笑いを止め、
「決闘は受けてやる。ただし貴様に名乗る名前はない。」
と、スコレスの拡声器を使って言い放った。かくて決闘は成立した。
「では、審判は俺が務めよう。」
残り2人のうち最後まで冷静さを保っていた方が申し出た。オッティは腰の剣帯からダガーナイフを2本引き抜き、両手に構える。スコレスは無手だ。
「決闘のルールは理解しているな。両者構え。始め。」
決闘開始の合図の直後、オッティの姿がスコレスのコックピットにある魔晶映写機から掻き消えた。魔法騎士役の学生が慌ててオッティの姿を探していると、今度は魔晶映写機の映像自体が消え、コックピットは闇に包まれた。
審判役の学生が見たのは、常識を逸脱した光景だった。決闘開始の合図とともにオッティの姿が消え、再びその姿を発見したのは、なんとスコレスの肩の上だった。魔導従士の肩は、到底人間が跳び乗れるような高さではない。審判役の学生が驚愕していると、オッティが右手に構えていたナイフを一閃。一拍の間をおいて、スコレスの頭部がゴロリと落ちる。
「う〜ん。意外に切りごたえがないですね。断末魔の悲鳴もなければ、血も出ません。やっぱり魔獣さんと遊ぶ方が楽しいですね。」
と、オッティはわけの分からないことを言っているが、審判役の学生はあまりの事態に腰を抜かし、聞いていない。
「審判の先輩、首をとったのでスコレスは戦闘不能のはずです。僕の勝ちでいいですよね。」
と、オッティが判定を求めてきて、ようやく自分の役割を思い出したのか、
「あ、ああ、お前の勝ちでいい。」
というや、脱兎のごとく逃げ出した。オッティに殴り掛かろうとした学生はもう逃げた後だった。
翌日の朝、学長のマチュは、副学長、魔法騎士学科の主任教官を前に難しい顔をしていた。通常教官同士の打ち合わせには学長は同席しない。学長は対外的に学園を代表する役職で、副学長が教務の責任者だからだ。しかし今回は問題を起こした学生の中にマチュの身内がいたため、特別に同席した形だ。
学生が私闘のために実習用の魔導従士を持ち出したのも、生身の学生が魔導従士に勝ったのも前代未聞の事態だったからだ。ただし、マチュは前日の夜、オッティから事の次第を聞かされていた。その上で、マチュは自分の結論を告げる。
「本件にかかわった学生4名は、全員退学処分とする。副学長、異存はないな。」
話は前日の夜にさかのぼる。
「生身で魔導従士を斃すって、どんだけだよ。」
マルセルがあきれるのも無理はない。マチュも同じ気持ちだ。
「お兄ちゃんすごいすごい。スコレスより強い強ーい。」
「・・・すごい。」
双子は素直に感動している。
「なあ、エル。オッティを銀嶺騎士団で引き取れないだろうか。もはや学園では面倒を見切れない。」
「そうですね、国王陛下には僕から話を通しておきましょう。ただ、オッティは未成年なので、準騎士見習いということになりますが。」
「オッティ、お前もそれでいいな。」
「はい、お祖父様。」
オッティは騎士団に入れることが心底嬉しそうだ。
「お兄ちゃんすごいすごい。まだ12歳なのに、騎士団に入っちゃうなんて、なんて。あれ、でもそうするとすると、お兄ちゃんと一緒に学校行けなくなちゃうよ、よ。」
「・・・さみしい。」
双子は、オッティと一緒に登校できないことに気付き、ショックを受けたようだ。この2人の感性も相当ズレている。
「う〜ん。こればかりは2人に我慢してもらうしかないですね。」
「分かった、分かった。我慢するする。」
「・・・さみしい。」
リルは同じことを2度言った。珍しい。
「はあ、どんどん遠くなるな。」
「マルセル、何か言いましたか。」
「独り言だ、兄貴。聞き流してくれ。」
などというやり取りがあったのだ。
副学長は、
「因縁を付けられた側のオルティヌス君まで処分するのは行き過ぎでは。」
と、マチュの決定に異議を唱えたが、マチュは、
「学園の機材である実習機を1機壊したのは事実だ。お咎めなしでは済まされん。それに、退学後は、銀嶺騎士団で引き取ってもらうことになっている。」
と、説明し、決定を覆す意思がないことを告げた。マチュの説明を聞いて察したのだろう。副学長も、それ以上異議を言わなかった。
8
初等部の基本的な時間割は、火曜日、水曜日、氷曜日、風曜日の4日は、午前中共通講義4コマ、午後は各学科に分かれての講義や実習。金曜日は、午前中は各学科の講義や実習4コマ、午後共通講義2コマ。土曜日は半ドンで共通講義3コマ。日曜日は休日、というものである。リルは魔法に関する座学と実技全部を免除されているので、金曜日の礼節の授業以外は、学科の違うモカと一緒に過ごすことができた。礼節の授業も、予鈴とともに教室のドアに一番近い席に着き、授業終了とともに風のような速さで騎士学科の教室を出て、鍛冶師学科の教室にいるモカのところに戻っていたから、騎士学科の同級生とは、ほとんど会話はなかった。そして人と目を合わせないよう、基本、俯き加減で行動していた。
立場を変えて騎士学科の同級生から見たリルは、どう見えていたかというと、謎の塊である。騎士学科の授業にほとんど出ておらず、共通講義で見かけても、そっくりな双子の姉の後ろに隠れて目を合わせてくれず、話しかけても無反応、週1コマの礼節の授業だけ、1人でいるが、予鈴とともに教室最後列に着席し、授業が終わると瞬く間にいなくなる。
そしてなにより、入学式翌日のクラス分け試験の時に、前代未聞の惨劇を引き起こした張本人である。いつしか、騎士学科の中では、リルは、「謎のクラスメート」と呼ばれ、都市伝説のような扱いを受けることになっていた。
それからしばらくたった、ある金曜日の礼節の授業の時間、教官が、
「では、リッリッサ・アウレリウス君、今説明した立礼を実際やってみたまえ。」
と、リルを指名した。突然指名されたことに驚いたリルは、
「・・・あ・・・あう。」
とオロオロするばかりで、全く教官の指示に応えられなかった。教官は、
「全く、授業はちゃんと聞いていたまえ。」
と、あきれ顔だ。リルはとことん対人関係が苦手なのだった。
その後もリルの学園生活は、時々教官から指名されてオロオロすることはあったが、基本的にはつつがなく進んだ。悪魔の力と知識を得ているリルには、初等部で勉強すべきことはほとんどなかったが、モカにくっ付いて鍛冶師学科の授業を聴講したので、生まれつきの器用さも相まって、鍛冶師のスキルが身に付いた。
9
銀嶺騎士団で準騎士見習いとなったオッティは、初陣を迎えていた。
「これだけ短期間で訓練を終え、もう初陣とは、さすがは我らが団長の御曹司と言ったところか。」
母船となる輸送艦の船橋でオッティと話しているのは、銀嶺騎士団第2中隊長の、エドゥワルス・ブランクスである。輸送艦は文字通り輸送用だが、魔導従士6機までの運用能力を備えていった。現在輸送艦2隻に分乗して、第2中隊10機と、オッティのスコピエスが、目的地へ移動中である。
「しかし、初陣の相手が朱火女王とは、運がいいのか悪いのか。いや、御曹司の場合は悪運が強いのか。」
「うーん、僕も魔獣さんなら何でもいいわけではないんです。アリさんは苦手なんですよ。」
朱火女王は、朱火蟻の女王蟻である。朱火蟻自体は体長2メートルほどの中型魔獣だが、魔の森のシバリス平原よりの地域で営巣し、積極的に人間を襲う習性があり、しかも働き蟻数千匹からなる巨大なコロニーを作るため、その女王は優先的な駆除対象とされていた。
魔の森上空に差し掛かった時、
「今、山が動きました。」
「何?」
「いや、違います。山が動いたのではなくて、山のように大きな魔獣さんです。」
言いながら、オッティは目を輝かせて、格納庫に向かって走って行った。
「待て、御曹司。先走るな。艦長、僚艦に通達、隊を二つに分ける。そっちは目的地に先行し、女王蟻を炙り出せ。各員機乗して待機。こっちは御曹司のフォローに回るぞ。」
格納庫にたどり着いたオッティは、自分用にチューンしたスコピエスのコクピットに滑り込む。スコピエスには、降下翼という、空挺降下時の着地の衝撃を和らげる、簡易な飛行魔法の紋章を組み込んだ翼が、装備されていた。あくまで降下用装備なので、これで飛ぶことはできない。
「出ます。ハッチ開けて下さい。」
降下を開始すると、スコピエスが飛べないことなどお構いなしに、魔導推進器の魔法を使ってぐんぐん加速し、輸送艦を置き去りにする。
「獣種確認、やはり陸王亀さんです。甲長は、80メートルくらいでしょうか。」
オッティは、なぜか嬉しそうだ。そのまま陸王亀の背中の真ん中にスコピエスを着地させると、
「素晴らしいです。甲殻と骨格、別々に強化魔法がかかっています。では、まず外側から。」
と、スコピエスの右手に装備した剣を一閃。すると、攻城兵器にも耐えうると言われる陸王亀の甲殻が、いとも容易く四散した。人間には聞こえない低周波の悲鳴を上げながら陸王亀が暴れるが、オッティはバランスを保ったまま、
「次でとどめです。逆呪紋構成、解呪!」
そう言って、空いているスコピエスの左手を陸王亀の背中に付けると、直後、パキパキと細かい骨が折れる音が鳴り響き、ボキッと一際大きな骨折音が鳴ったところで陸王亀の体が大きく傾いだ。
逆呪紋及び解呪は、オッティが自ら開発した全く新しい魔法概念である。魔法の呪紋と鏡写しの逆呪紋をぶつけることで、対消滅し、魔法の効果が失われるというものである。オッティは、これを使って、陸王亀の強化魔法を無効化したのだ。強化魔法による支えを失って、その巨体を支えきれなくなった陸王亀は、自重で圧壊を始めたというわけだ。
四肢が完全に折れ、自らの作った血溜りに沈む陸王亀。輸送艦が、オッティに追い付くころには、万雷の拍手のように響いていた骨折音も止んでいた。代わりに、スコピエスの拡声器からクスクスと、声だけ聴けば花を愛でる少女のような声が漏れ聞こえてきた。
輸送艦の船橋で、エドは眼下の信じがたい光景に戦慄を覚えていた。エドは、オッティの父で騎士団長のエルが、竜殺しの騎士と呼ばれるきっかけになった事件に居合わせた。あの時も、当時学園の後輩だったエルの活躍に戦慄を覚えたが、今感じているのはそれとは別種の、悪寒に近い感覚だ。
「魔獣の死骸は、最寄りの守護騎士団に任せよう。御曹司を回収。すぐに僚船の後を追うぞ。」
エドは、努めて冷静に指示を出し、悪寒のような感覚を振り払おうとした。
10
西方史の講義の時間のことである。リルはいつも通り、隣に座るモカを観察していた。
「で、魔導従士の力で人間が安定した勢力を維持できるようになったころから、時々、異常に魔法の力に秀でた人間が現れるようになったんだな。安定の時代に、力のある奴は忌避されるもんだ。魔法の力に秀でた奴らは、『悪魔憑き』と呼ばれて迫害を受けたんだ。」
モカは、大好きな魔導従士の話題が出て嬉しそうだが、リルは「悪魔憑き」という言葉に嫌悪感を覚えていた。
夏休みを目前にした時期、学園では前期試験が行われる。さすがに試験の時まで鍛冶師学科に行くことはできないので、リルは、共通講義と礼節の試験時以外は、自宅でティナの家事を手伝っていた。
そして試験後はもちろん成績発表である。学園には学生たちの発奮を促すため、成績優秀者を公開する制度がある。リルは、受験した科目ほとんどで満点を取り、名前を公表された。ちなみにほとんどの科目で、次点はモカだった。