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不死なる竜と使い魔の物語 改訂版  作者: きどころしんさく
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みんなでおかいもの

     第4話 みんなでおかいもの


 夏休みも終わりに近づくと、里帰りしていた学生たちも、寮に戻ってき始め、エカテリンブルの街は、徐々にいつもの賑わいを取り戻す。そうして、日常へと戻っていくころのことである。

「次の日曜日、みんなでお買い物に行こ?」

朝食の席で、4兄弟の母であるマルガリッサ(マギー)・アウレリウスが提案した。彼女たち騎士には、夏休みはない。主に魔獣相手に出撃することが多いためで、魔獣は夏だからと、お休みしてはくれないからだ。

 ところで、オストニア王国を含め、この世界の人間の国では、七曜制が採用され、最後の曜日である、日曜日が休日という慣例がある。日曜以外の曜日にも、魔法の属性式(エレメント)に因む名前がついている(毒曜日と闇曜日はない。また雷属性に因む曜日は金曜日という名になっている。)。交代で当直はあるものの、日曜日は騎士にとっても休日である。

 マチウス(マチュ)ティナイッサ(ティナ)の、祖父母夫妻は、「若い者だけで楽しんできなさい。」と、始めから、同行はしないつもりだ。

「やった、やった。お買い物ёお買い物♪」

「そうですね。せっかく母様が誘ってくれているのです。行かないわけにはいきません。」

と、モカイッサ(モカ)オルティヌス(オッティ)は、母の提案に俄然乗り気である。リッリッサ(リル)も、無言でうなづいた。エルヌス(エル)もとくに反対は口にしなかった。こうなると日曜日のお買い物は、決定事項だ。マルセルス(マルセル)だけは、「お買い物」の主目的を想像してか、

「俺は、パス。」

と、同行を拒絶していたが。

 件の日曜日、お出かけの支度を整えて、マルセルを除く兄妹3人は、両親を待っていた。リルとモカは、いつも通りの黒ロリスタイルだが、オッティは男の娘スタイルではあるが、いつもよりシンプルにまとめている。しばらくすると、エルとマギーが現れた。平日スベルドロ砦に出勤するときと同じ服装で、マギーがエルに後ろから抱き着いている。つまりいつも通りで、特別感はない。

「お待たせ〜。」

「お待たせしました。では、行きましょうか。父様、母様、行ってまいります。」

「お祖父様、お祖母様、行ってきます。」

「行ってきます、ます♪」

「・・・いってきます。」

というわけで、週末のお買い物に、5人は出発した。

 一応食料品も買う予定だが、お買い物のメインはお洋服である。この時代のオストニアでは、既製服というのは売られていないので、一般家庭では、生地屋で布地を買い、糸屋で縫い糸、針屋で縫い針、釦屋で釦といった具合に手芸用品を買い集め、自宅で洋裁をする。庶民の着る服の素材は、綿や麻などの植物性繊維が多い。肉が貴重品なのと同様の理由で、羊毛などの動物性繊維は、貴重品だ。寒冷地である巨壁山脈中腹の気候には残念ながら適していない。

 アウレリウス家は、平民としては裕福なので、自宅で服を作るまではせず、街の仕立て屋に任せることが多い。この日の買い物では、まず生地屋で布地を見繕い、釦屋などでその他の素材を買い揃え、贔屓にしている仕立て屋に持ち込む予定だ。

 生地屋では、

「あれ、あれも可愛い、これも可愛い。」

と、はしゃぎながら店中を見て回るモカの後ろに、リルがピタリと着いて回る。リルの定位置だ。それを横目に、

「これもカワイイな。こっちはオッティに似合うかな。エル君にはやっぱりそれかな。」

とマギーが、店主に勧められた生地を吟味していた。その実、この買い物の目的は、マギーが、夫のエルと、子供たちをカワイく仕立てるための、洋服作りであった。

「ねえ、エル君、何か希望とかある?」

「僕は、いつも通りでいいですよ。」

服装へのこだわりが薄いエルは、マギーに任せきりだ。

「もう、せっかくカワイイんだから、お洋服にも気を使ってよね。オッティは欲しいものとかある?」

「母様が選ぶものは、全部素敵です。なので、母様が選ぶものが欲しいです。」

オッティは、いうなればカワイイ教の信者で、教祖はマギーである。これは盲信と言って過言ではない。そのくせ、商品を目立たせるために、敢えていつもよりシンプルなスタイルで買い物に来るあたり、かなりあざとい。

「ふふふ、愛い奴め。じゃあ、オッティにはこのシルクの生地がいいかな。」

と、高級品を選ぶマギー。オッティはやはりあざとい。

「モカとリルは、いつも通りでいいかな。というかいつも通りがむしろベストかな。」

と輸入品の黒染めのウールの織物を手に取っていると、

「ママ、ママ、これ、これ買って、買って。」

と、モカが、主に作業着に使われる藍色で分厚い木綿の生地を、店の奥から持ってきた。リルは、黙ってモカの後ろに着いているが、毎日見ている家族しか分からない微妙な表情の変化で不満を訴えている。モカのセンスは独特、一方リルはオッティ同様カワイイ教の信者なのだ。マギーは、

「うーん、あんまりカワイくない。」

と、娘のおねだりを却下した。モカが不満げに、

「え〜、いいでしょ。買って、買って。」

としつこく食い下がるが、結論は変わらない。リルは安心したと、表情を和らげた(他人である店主には終始無表情に見えただろうが)。

「マルセルは・・・めんどいから適当でいいや。」

この場にいないもう一人の息子の扱いが雑である。

 生地屋の次は、釦屋に行った。釦屋と言っても、釦だけでなく、リボンやフリルなど、服を装飾する雑貨は大概揃う、結構な大店だ。マギーはここぞとばかりに、カワイイ装飾品をどんどん選び取っていく。エルは、

「さっきも言いましたけど、僕はいつも通りでいいので、そんなに買わなくてもいいのでは?」

とマギーの買いすぎを止めようとしているが、オッティの

「母様が選んだものは全部素敵です。だから全部買うべきです。」

という援護射撃もあり、マギーは止まらない。モカは、ここでもごつい真鍮制の釦を手に取り、買って買って攻撃を繰り出すが、

「カワイくない。」

の一言で、撃沈されていた。

 素材を一通り買い揃えたら、いよいよ仕立て屋である。贔屓にしている仕立て屋は、街を東西に横切るオストニア街道と学園前商店街が交差する角に面していて、建物の造りも立派である。この仕立て屋は、その立地上、貴族の子女なども顧客に有しているため、見栄えに手を抜かないのだ。

 入店すると、店主が丁寧な礼で、5人を出迎えた。挨拶もそこそこに、マギーはどこからともなくスケッチブックを取り出し、店主に、

「こんなイメージでお願いしたいんだけど。」

と、完成イメージを伝える。そこから、洋服のデザインについて、店主とマギーとで、打ち合わせを始めた。これが、かなり時間がかかる。毎度のことなので、同行していた4人には、分かっていたことだが。モカだけは、打ち合わせに首を突っ込んで、ああしてこうしてと、何とか自分好みのデザインに変えようとするが、マギーの

「カワイくない。」

の一言で、却下されていた。ちなみにエルの「いつも通り」という希望は、ちゃんとマギーに聞き入れられていた。モカとリルの服もいつも通りがベストというマギーの判断で、割とすぐにデザインが決まった。時間がかかった原因は、オッティの男の娘スタイルである。

 デザインが決まれば、次は採寸である。既に大人であるエルとマギーは、体形の変化がほとんどないので、採寸は省略した。オッティとモカ、リルの3人は、前回採寸した時から、あまりサイズが変わっていなかった。子供服はすぐサイズが合わなくなるといわれ、成長した際も仕立て直しで、ある程度大きくできるあそびを持たせるものなのだが、父親似で同世代と比べて極端に小柄な3人は、成長が遅かった。この場に来なかったマルセルだけが順調に大きくなっているのだが。彼のサイズは、事前にティナに採寸してもらって、それを店主に伝えた。

 受け取りの日にちを聞き、手付を支払って、仕立て屋での買い物は終了である。その後食料品店によって、普段より少し贅沢な食材を買って、帰宅した。


 夏休みが終わり、学園都市エカテリンブルが日常を取り戻すころには、高原地帯の短い夏も終わり、秋がやってくる。

 その日は、リルとモカにとって特別な一日だ。7歳の誕生日を祝い、一家そろっての夕餉にはささやかなパーティーが、催された。テーブルに並ぶのは、川海老の唐揚げを葉物野菜とオリーブ油で和えたサラダ、赤蕪のスープ、メインディッシュの「兎」肉の香草焼き、そしてふわふわの白いパン。「兎」はもちろんオッティが狩ってきた新鮮なものだ。モカはハラミ(横隔膜)が、リルはカシラ(脳みそ)が好きで、主役の2人にはそれぞれの好物の部位が取り分けられた。

「お祖父様、二人も7歳になったからには、剣の稽古を始めるのですよね。」

「オッティ、剣の稽古は強制ではないぞ。2人の意思次第だ。」

「俺の時は半ば強制だった気がするけど。」

マルセルが妹たちとの扱いの差に不満を述べるが、全員から無視された。

「剣の、剣のお稽古、やりたい、やりたい。」

「・・・わたしも。」

魔法騎士(マジックナイト)志望のリルはともかく、魔法鍛冶師(マジック・スミス)志望のモカが剣の稽古をする意味はあまりなさそうなのだが、本人は乗り気だ。

「じゃあ稽古をすることは決定として、二人が使う得物はどうしましょう。今はウェラヌスを使っていますよね。」

と次の問題を口にしたのはエルだ。

「パパと、パパと同じウェラヌス、ウェラヌス。」

「・・・おねえちゃん、いっしょ。」

と、2人の希望ははっきりしているが、

「うーむ、そうなると私は銃剣を使ったことがないから、指導できんな。」

元戦闘実技教官のマチュも、自分が使ったことがない武器の扱いまでは指導できない。アウレリウス家でウェラヌスを愛用しているのは、エルだけだ。

「それなら、僕が練習メニューを考えましょう。」

とエルは乗り気だが、

「父さんの作ったメニューなんて、やな予感しかしねえ。」

と、マルセルが心配する。実際エルは非常識の塊だから、その感想もむべなるかな。

「失礼な、僕だってちゃんと2人が短期間で強くなる練習メニューを考えますよ。」

「ああ、もういいや。」

マルセルの心配とエルの答えはかみ合っていない。マルセルは父の説得をあきらめた。結局翌日から、モカとリルは、エルの考えた練習メニューで銃剣の扱いを覚えることになった。

 その後も一家団欒が続き、テーブルに並ぶ料理もすべて誰かの胃袋に納まったところで、パーティーはお開きになった。リルは、いよいよ剣の稽古が始まるのを前に、高揚した気分のまま、床に就いたのだった。


 暗い。前も後ろも、右も左も、上も下も真っ黒な闇に覆われた空間。リルはそこに立っていた。立てるのだから地面はあるのだろう。他には誰もいない。ただ、目の前にある、異物だけが、この闇の世界の例外だった。その異物は、リルの知識にあったが、今の今までなぜかそのことを忘れていた。そして、その異物には、前見た時と、僅かにに違う点が一つあった。これまでの2回の悪魔との邂逅を反芻する。前回は、悪魔の態度にとても腹を立てていたはずだが、なぜか怒りは湧いてこなかった。

「・・・おもったより・・・はやくきた。」

リルの姿をした悪魔が言った。悪魔にとってリルとの3度目の邂逅は意外に早いものだったらしい。ただ、リルは別のところが気になっていた。

「・・・あし、はずれてる。」

悪魔を棺に拘束していた枷のうち、足枷が外れていたのだ。

「・・・ふういん、とけたから。」

「・・・こんどは、どんな・・・ちから。」

封印が解けたということは、悪魔の力がまた一つ解放される。最初の2回は魔法の力だったが、魔法の力はもう終わりらしい。

「・・・あしが、はやくなる。」

「・・・それだけ?」

「・・・あと、つかれにくくなる。」

人生を代償に得られる悪魔の能力としては、えらく小粒な気がした。そんなリルの内心を見透かしてか、悪魔が補足する。

「・・・さいごにたよりになるのは、じぶんのたいりょくだけ。・・・はしれないきしに、せいかんのみらいはない。」

今までで一番長いセンテンスかも知れない。最後に頼りになるのは、自分の体力だけ。走れない騎士に、生還の未来はない。なにかからの引用だろうか。悪魔の話はまだ続く。

「・・・わたしは、まじっくないとに・・・なる。」

悪魔の言葉は、まるで自分自身がリルであるかのようだ。ただ、なぜかリルにはすんなりその言葉が受け入れられた。

「・・・わたしは、なるべくながく・・・じんせいを、たのしみたい。」

その通りだ。早死にしたいわけがない。

「・・・・まじっくないとは、せんじょうにでる。・・・せんじょうにでたら、せいかんしないと。」

「・・・せんじょう?」

言葉の意味を知らない。

「・・・たたかう、ところ。」

あくまのわたしが教えてくれた。

「・・・だから、はしれるのは・・・だいじ。」

少し難しい話だったが、納得した。

「・・・このゆめ、いつまでつづく?」

「・・・わたしが、めをさますまで。」

「・・・じゃあ、もっと・・・おはなしして、いい?」

「・・・もちろん。」

人間のリルは、夢が覚めるまでの間、悪魔のリルとおしゃべりをすることにした。

「・・・おにいちゃんは、とくべつだった。・・・わたし?あなた?がいったとおり。」

前回の会話を思い出すが、お兄ちゃんは特別と言ったのが、人間のリルか、悪魔のリルか、はっきりしない。

「・・・あくまの、わたしも、もってないちから・・・もってた。」

「・・・まなを、みる、ちから?」

人間のリルは無言でうなづいた。

「・・・あれも、あくまのちからの、ひとつ。」

「・・・え。」

疑問が2つ噴出した。

「・・・じゃあ、わたしも・・・まな、みれるようになるの。」

「・・・できない。・・・わたしは、あのちから、もってない。」

もう一つの疑問も尋ねる。

「・・・おにいちゃんも、あくまが・・・ついてるの?」

「・・・たぶん、もう、いない。・・・かくしんはない。」

新たな疑問が湧いた。

「・・・あくまって、いなくなることも、あるの?」

「・・・ある。・・・わたしは、けいやくのだいしょうに・・・じんせいを、きょうゆうした。・・・だから、いなくはならない。・・・でも、けいやくのだいしょうが、べつなら・・・いなくなることも、ある。」

リルは最初から分不相応な力を求め、悪魔に人生を渡した。オッティはそうではない、と言いたいのだろう。

「・・・でも、おにいちゃんは・・・あくまのわたしより、つよい。」

「・・・おにいちゃんは、てんさい。・・・あくまのちからが、なくても・・・じゅうぶん、つよい。」

話している間に、リルの中の、オッティへの想いが、その輪郭を露わにしていく気がした。

「・・・たぶん、わたし・・・おにいちゃんに、しっとしてた。」

「・・・うん。」

嫉妬などという言葉、初めて使った。

「・・・おねえちゃんを、とられちゃうって。」

「・・・うん。」

リルが悪魔の契約に手を染めたのも、結局はそれが原因だ。

「・・・でも、おにいちゃんは、やさしくて・・・いつも、わたしたちのこと、みててくれる。」

「・・・うん。」

「・・・おねえちゃんも、おにいちゃんのことばっかり、みてるとおもってたけど・・・いつも、わたしのこと、きにかけてくれてた。」

「・・・うん。」

幼く、浅はかな自分への嫌悪と後悔が溢れてくる。

「・・・ねえ、わたし・・・どうしたら、いい?」

「・・・すなおに、なる。」

それができないかったから、今もできないから・・・。

ぐちゃぐちゃな感情の渦の中で、リルの意識は闇に溶けていった。


 翌朝、リルはいつものようにモカを起こして、着替えている途中、

「・・・こわいゆめ、みた。」

「また?もうもう3回目だよだよ。気にしない、気にしないё」

と、モカに、いつも通り励まされた。


 マルセルの心配は現実のものとなった。もちろん、モカとリルの稽古についてである。エルが考えた練習メニューは、「加速(ヘイスト)」の魔法を常時展開しながら、銃剣突撃の構えを維持して、走りまわる、というものだった。エル曰く、「これで、魔力も体力も剣術も鍛えられて一挙三得です。」とのことだ。さすがにアウレリウス邸の裏庭でも、この練習をやるには手狭なため、市壁に跳び乗って街の外周を走ることになった。

 ただ、これまでの魔法の練習で、双子の魔力(マナ)は、エルの想定以上に成長していた。それに加えて、モカなど、その底なしの体力でいつも街中を走り回っていた。結局、初日の練習メニューをこなしても、息一つ上げなかった。リルも、いつもモカの後ろをついて回っていたからか、ほとんど負荷を感じなかった。

 銃剣の稽古を始めて、3日目、午後のことである。モカが、庭でバスタードソード型の木剣の素振りをしていたマルセルに声をかけた。バスタードソードとは、片手でも両手でも使えるよバランスを調整された両刃の直刀である。

「ちい兄、ちい兄、模擬戦しよ、しよ。」

モカは、練習の成果を試したいらしい。

「模擬戦たって、まだ始めて3日目じゃねえか。まだ早い早い。」

「え〜、模擬戦、模擬戦!」

この状態のモカを黙らせられるのはマギーくらいだろう。

「ったく、しゃあねえなあ。」

マルセルは、モカを適当にあしらって黙らせることにした。

「やった、やった。じゃあ始めるよ、よ。リルリル、合図して。」

「・・・はじめ。」

というわけで、マルセルとモカの模擬戦が始まったのだが、意外にもいい勝負になっていた。

 ちょうどその時、

「ただ今帰りました。」

と、いつもの丁寧なあいさつで、オッティが学園から帰宅した。リルは、

「・・・おかえり。」

と、あいさつを返したが、マルセルとモカは、模擬戦に集中して気付いていない。オッティは、なぜか縁側まで来ず、居間のソファのマルセルたちから見づらい場所に座り、庭の方に目をやった。

 モカの戦法は、ヒット・アンド・アウェーである。持ち前のすばしっこさと銃剣のリーチを生かして、常に位置を変えマルセルの急所目掛けて突きを繰り出す。防がれたら、剣の間合いの外まで下がりつつ、また位置を変えて突きを繰り出す。マルセルは、モカの予想外に理にかなった戦術と、執拗な攻撃に、守勢を強いられていた。だが、そこは一日の長と兄の矜持がある。モカが何発目かの突きを繰り出そうとした瞬間、マルセルは剣を放り捨てて一気に間合いを詰め、銃剣の間合いの内側に飛び込むと、左手でモカの体に組み付き、右足で足払い。モカが勢い余って前に倒れるところ、自分の体を下敷きにしてモカをかばいつつ、開いている右手で受け身をとって、自身も地面の転がった。

「・・・これは、俺の勝ちでいいんだよな。」

「・・・うん。・・・ちいにいの、かち。」

「あ〜あ、負けちゃった負けちゃった♪」

模擬戦は、いい勝負だったが、結果的にマルセルの勝ちに終わった。

「俺も一日どころか1年半の長があるからな。たった3日の練習で倒せるほど甘くねえぜ。」

と、マルセルが大人げなく勝ち誇っていると、

「・・・ちいにい・・・つぎは、わたし。」

「へ?」

「じゃあじゃあ、2人とも準備して、して。・・・始め、始め!」

マルセルが木剣を拾い上げるや、モカが、開始の合図をした。次の瞬間、マルセルの視界からリルの姿が掻き消える。否、目で追えないほどの速さで動いたのだ。次にマルセルがリルの姿を見た時には、モカの突き出した銃剣の刃が、オッティの喉のところで寸止めされていた。

「・・・かった。」

「・・・負けた?」

マルセルの兄の矜持はいともたやすく砕かれた。

 このタイミングで、オッティがようやく縁側に顔を出した。

「3人とも、精が出ますね。」

「げ、兄貴。帰ったんなら声くらいかけろよ。」

「あ、お兄ちゃん、お兄ちゃん、お帰り、お帰り♪」

「2人は模擬戦に集中してましたからね、邪魔しては悪いかと。それと、あいさつはちゃんとしましたよ。」

マルセルは、リルに負けた瞬間をオッティに見られて気まずそうだ。ただ、オッティはそんな弟をスルーして、リルに声をかけた。

「傍で見ていて、リルにはウェラヌスは合わない気がしました。」

そういうと、オッティは、物置から木製のショート・スピアを取り出し、リルに渡した。

「・・・?」

「これを使ってみて下さい。」

そう言うと、自身も木製の短剣を両手に構えた。アウレリウス家の物置には、マチュが戦闘実技教官だったころに買い集めた、練習用武器がたくさんあり、大概の格闘武器はそろっている。

 リルは、オッティに言われるがまま、ショート・スピアを構えた。本来は片手で使う武器であるが、リルの体格では無理なので両手で構えると、まるで長槍のようである。

 そのままリルとオッティの立ち合い稽古になったのだが、傍で見ているマルセルとモカには、リルが消えたように見えた。しかし次の瞬間には、リルの槍は、オッティの左手の短剣で押さえられていて、リルの頸動脈の直上で、オッティの右手の短剣が寸止めされていた。

「うん。思った通りです。リルには、長物の方が合っている。」

「・・・おにいちゃんが、いうなら。」

1合の間に何があったのか、傍観者には分からなかったが、2人の間では何事かあったらしい。 

「すごいすごい。私、全然全然、見えなかったよ、よ。」

「リルが攻めて、僕が反撃したんです。始めて持つ武器としては、とてもいい筋でした。」

オッティが解説するが、多分解説になっていない。

「ほぇ〜。お兄ちゃん、私は、私は?」

分かったのか分かっていないのか分からない相槌の後、モカが、意図の分からない質問をオッティにした。しかし、ちゃんと伝わったようで、

「モカは、今のままウェラヌスを使えばいいと思いますよ。」

「分かった、分かった。そうする、そうする。」

と、会話が成立した。

「それでは、僕は、ちょっと出かけてきます。」

と言い残し、オッティが市壁を跳び越して外出すると、

「リルリル、行くよ、よ。」

と、モカがリルを連れて家の中に入った。

「何だよあれ。人間の動きか?っていうか、俺、途中から完全に忘れ去られてなかったか?」

マルセルはひとり庭に残された。


 リルが7歳になって変わったことは、銃剣(途中から槍)の稽古を始めたこと以外にもいくつかある。

 まず、小遣いが貰えるようになった。オストニアでの貨幣の流通は未だ道半ばといったところで、物々交換も普通に行われているし、農村部ではむしろそちらが主流だ。もちろん小遣いを貰える子供はそう多くない。ただ、アウレリウス家の家計を支えるマチュ、エル、マギーの3人はいずれも国から俸給を貰える立場だ。現金の使い方を学ばせるために、7歳から小遣いを渡すという教育方針が採られていた。リルは、特に欲しいものがなかったので、小遣いは貯まる一方だった。モカは、何か欲しいものがあるようで、小遣いを貯めていた。

 いま一つの変化として、リルに、発語教育の家庭教師が週1回来ることになった。きっかけは、マチュが、リルの、言葉が出るのが遅く、ぶつ切りに話す原因が、発語障害にあるのではと疑ったためだ。しかし、リルは度を越した人見知りである。発語教師の前でも、焦ってしまって、「・・・あ・・・う。」などとしか言えず、ほとんど発語訓練にならなかった。結局、半年ほど発語教育は続いたが、

「彼女の場合、性格的な問題ですね。発語障害は多分ありません。」

と発語教師が結論付け、終わったのだった。

 最大の変化は、文字を覚えたことだ。といっても、リルは6歳の時に既に読み書きできるようになっていて、リルがモカに文字を教えたのだが。文字を覚えたことで、モカは空いた時間、エルの部屋から魔導従士(マジカルスレイブ)に関する本を持ち出して読むようになり、外に遊びに行く機会が減った。リルは、読書をするモカを観察して過ごした。基本、リルは「おねえちゃんと、いっしょ」が行動原理であり、主体性がほとんどない。得物を槍に変えたことは、「おねえちゃんと、いっしょ」の行動原理には反するが、オッティに言われるがままで、主体性のなさという点では変わらない。


 リルが、槍の稽古を始める決心をしたその日の夕食時には、その旨の報告が、オッティからマチュにされた。そしてその晩のうちには、マチュは、槍の稽古のメニューを作ってくれた。一流の武人にとって、槍とは突くだけの武器ではない。切り、払い、叩き、絡め捕り、石突で打ち、持つ長さを変えて、遠近の間合いに対応する。多数の歩兵による槍衾も強力だが、騎士として槍を得物とする以上、そういった変幻自在の戦いが求められる。

 翌日の朝、リルはモカと一緒に水汲みを終えて、両親を起こしに向かう途中、オッティから声をかけられた。

「リル、槍を持ってく庭に出て下さい。僕が稽古を見てあげます。」

「・・・」「お、お兄ちゃん、リルリルばっかりズルい、ズルい。私も、私もー。」

リルはオッティに答えようとして、話し出すタイミングをモカに取られらた。

「モカには、母様を起こすという大事なお役目があるでしょう。・・・まあ、マルセルに勝てたら考えてあげましょう。」

「そこで、俺に飛び火すんのかよ。」

「うー。それじゃあちい兄、今日の稽古の後に模擬戦だからね。」

モカの口癖の繰り返し言葉が出なかった。いつも一緒にいるリルは、これがモカが焦っているサインだと知っている。言い残すと、モカは、てとてとと2階へ駆けあがって行った。リルは、オッティに無言でうなづくと、庭に出て、槍の準備をした。オッティも井戸で顔を洗うと、すぐにリルのところに来て、

「それでは稽古を始めましょう。まずはお祖父様のメニュー通り、基本の型から行きますよ。」

と、リルに言うと、自分もダガーナイフを両手に持ってゆったりとした動きで型の稽古を始めた。リルもマチュの作ったメニュー通り、型を順番にこなしていく。ただ、魔力も体力も槍術も同時に鍛えるという、エルの発想は合理的に思えたので、「筋力強化(マッスル・ブースト)」の魔法を常時展開していた。

 そろそろ、朝食の時間かと思ったところで、

「それでは稽古のしめは、立ち合いです。」

と、オッティがナイフを構えて言った。リルは槍を構えなおすと、今しがた覚えた型通りに、オッティに打ちかかったが、やはり、リルの攻撃はオッティには届かず、オッティの右手のナイフが、リルの首筋で寸止めされている。

「うん。その調子です。」

その日から、毎日朝食前に、リルの槍の稽古をすることが決まった。

 その日の午前、リルは、縁側に座って、剣の稽古に励むマルセルを眺めていた。朝自分の稽古を済ませてしまったので、やることがなかったからだ。しばらくすると、裏の市壁の上からモカが飛び降りてきて、

「ちい兄、ちい兄。模擬戦、模擬戦。」

と宣言通り、マルセルに模擬戦を挑んだ。結果的には今回もマルセルの勝利。だが、リルから見ると、2人の実力差は僅か。マルセルの連勝は、運が味方した部分も大きいだろう。

その後も毎日のように、モカはマルセルに挑んだが、妹に負けないよう必死になったマルセルが、何とか勝ちを拾い、連勝を続けた。


 季節は過ぎ、長い冬を迎え、例年通り年を越して西方暦2685年。寒さのトンネルを抜けると、その季節が巡ってくる。

 春を迎えようかという時期に、王立魔法騎士学園では、学長を含めた全教官が参加する教官会議が招集された。通常、教官の会議は、初等部では担当する学年ごと、中等部、高等部では学科ごとに行われ、副学長のマチュは、それぞれの主任教官との打ち合わせのみに参加する。教官会議が招集されるとは、余程の案件だが、その原因はマチュの身内にあった。

 初等部の1年と2年の主任教官が起立し、

「オルティヌス君は、過去に類例がないほどの高成績を収めています。前例はありませんが、1年飛び級して、初等部3年に進級させるのも、充分に可能と判断します。」

「初等部2年担当としても同意見であります。」

と、それぞれの意見を述べた。オッティは、全実技科目と魔法の座学を免除されているので、高成績を収めたのは、教養の座学、つまり読み書き、算盤、地理、国史、西方史、それに騎士学科固有の教養としての礼節である。免除されている授業の間、図書館通いをして自習していることも、初等部の教官たちは把握しているだろう(何の自習かまでは知らないだろうが)。確かに飛び級は前例がないが(エルでさえ飛び級はしなかった)、教務の実質的責任者である副学長のマチュは、オッティの祖父であり、彼が(性格には難があるが)充分に初等部3年でも通用する教養を身に着けていることは知っている。マチュは、両教官を着席させると、

「オルティヌス・アウレリウスは、異例ではあるが、1年飛び級させる。異議のある者は?」

と、全職員の意見を求めた。しばしの沈黙。異議なしと判断して、学長の方へ向き直り、

「学長、ご決済を。」

と、決断を促した。

「アウレリウス副学長の方針に決しましょう。」

会議は結論を得た。会議に無駄な時間をかけないのも、騎士の国らしさである。

 というわけで、オッティは初等部3年生として新年度を迎えることになった。年度が変わる直前に9歳になったマルセルも初等部騎士学科に入学する。アウレリウス家の日常は、また少しの変化を見せる。

 その日の夕食の席でのこと、マルセルがエルに尋ねた。

「前から気にはなってたんだけど、なんで飛空船なんてもん、作ったんだ?」

「うーん。飛空船を最初に作ったのは、前に説明したかも知れませんが、オストニアではなく帝国なのですよね。」

マルセルはてっきり国内で様々な技術革新を生んできたエルたち銀嶺騎士団が、飛空船を開発したと思っていた。

「帝国が初めて飛空船を投入したのは西方大戦の最中でしたよね。」

「そ。私たちは戦争に、グランミュール側で参戦したんだよ。」

オッティの言葉をマギーが引き取る。帝国とグランミュール王国は、北方のノルラント王国、南方のイルリック国と並んで西方四大国家と呼ばれている。オストニアは四大国家の中でも地理上も人口も1番の大国であるグランミュールと同盟関係にあり、両国は王族同士が姻戚関係を結ぶなど、「血の同盟」と言われる関係にある。

「その際、帝国から奪い取って戦利品として持ち帰った飛空船をもとに、我が国で独自に改良したのが、今の飛空船です。」

「奪ってきたんなら、それをそのまま使ってもいいんじゃねえか?」

マルセルは素朴な疑問を口にする。

「帝国製の重力遮断魔法で飛ぶ飛空船は燃費が悪かったのですよ。それに足の遅い起風装置(ブロワー)しか、推進力がありませんでしたし。今のオストニアの飛空船は、余程旧式の輸送艦(カーゴ・シップ)を除いて、飛行魔法で飛び、魔導推進器(マギ・スラスタ)を積んでいます。」

エルは、技術者でもある。オストニア製飛空船の優位性について、誇らしげに説明した。

「そんなもんかね。」

技術的な話が苦手なマルセルは、分かったのか分からないのかあいまいな返事をした。


 入学直前のマルセルが、例のごとくモカ相手に辛勝を拾った直後、長く疑問に思っていたことを尋ねた。

「なあ、モカ。お前は魔法鍛冶師志望なのに、なんで剣の稽古をするんだ?別に義務じゃねえだろ。」

「ちい兄は分かってないなあ、なあ。私、私、魔法鍛冶師といっても、ただの整備士じゃなくてじゃなくて、魔道従士の開発をしたいんだよだよ。魔道従士は、騎士の肉体の延長。騎士の肉体の延長。そのその開発するんだからから、私も騎士の動きが分かんないとだよだよ。」

と、剣術の稽古をする理由をモカは説明した。モカのヒット・アンド・アウェー戦法は、実はエルから聞き出しその真似をしているのだが、エルの真似をするのも、得物にウェラヌスを選んだのも、モカの中では、全てダモクレスを超える傑作機を生み出すのに必要なこととしてやっているのだ。

「お前、能天気に見えていろいろ考えてんだな。」

「ちい兄、ちい兄、それすごくすごぉく失礼。ぷんぷん。」

マルセルは妹の不興を買った。


 いよいよ新学期になった。オッティとマルセルが学園に行ってしまい、モカも銃剣の稽古で街の外周を走り回っているので、リルは1人手持無沙汰になってしまった。そこで、井戸端で洗濯をしていた祖母のティナのところに行き、

「・・・おてつだい、する。」

と、家事の手伝いを申し出たのだった。ティナはリルが1人で暇を持て余していることを察し、

「ありがとう、リル。じゃあ、物置から洗濯板をもう1枚持ってきて。」

と、リルに家事を手伝わせることにした。それからリルは、モカが稽古から戻って来るまで、ティナに教わりながら洗濯に勤しんだのだった。その日以来、家事の手伝いが、リルの日課になった。


 4月の小遣いを貰った日、モカが、自室で意外にも几帳面に、小遣い帳に記帳して、

「うん、うん、これであと半分、はーんぶーん。」

と、つぶやくのが同室のリルに聞こえた。モカは、買いたい物のために小遣いを使わずに貯めている。リルは使う機会がないので、自然と貯まっている。多分同額のはずだ。リルは閃いた。自分の貯めた小遣いをモカに差し出すと、

「・・・これ、つかって。」

と申し出たのだ。

「え、え。これリルのお金でしょでしょ。わたしが使っちゃ悪い、悪いよ。」

「・・・おねえちゃんが、ほしいものが・・・わたしの、ほしいもの。」

と、遠慮するモカに、リルは強引な理屈で自分の金を押し付けた。どうせ使い道がないから貯まっていた金だ。

「うーん、うーん。それじゃあ、じゃあ、お言葉に甘えることにするする。」

と、モカは差し出された金を受け取った。

「じゃあ、じゃあ、早速お買い物だよ、リルリル♪」

なんだかんだで、欲しかったものが手に入るのは、モカも嬉しそうだ。それが何かリルは知らないが。急いで街に出ていくモカを、リルは遅れないように追った。

 モカが向かったのは、意外にも糸屋だった。リルは、モカのことだから欲しいものは魔道従士関係だろうと思っていたのだ。モカは、編み物用の糸を指さし、店主に、

「これ、これ下さい、下さい。」

と、言っている。靴下用の番手の細い木綿の糸だ。気のいい店主はかわいい双子を見て、お代を少しまけてくれた。お目当ての物が手に入ったのが余程うれしいのか、モカは、

「買えた♪買えた♪」

と、はしゃぎながら、てとてとといつも通りの落ち着きのない足どりで、自宅に駆け戻った。リルも、いつも通り、モカの後ろに無言でひっついていた。

 自宅に戻ると、モカは、掃除をしていたティナを見つけるや、

「お祖母ちゃん、お祖母ちゃん。編み物教えて、教えて。」

と、お願いした。エルが騎士団長になるまで、アウレリウス家も、着る服全てを仕立て屋に頼めるほどには裕福ではなかった。そのため、ティナには、手芸の経験が一通りあるのだ。

「あら、モカ。何か作りたいの?」

「へへ、秘密、秘密。」

ティナは掃除の手を止めて、モカに編み物を教えてくれた。番手の細い糸は、あまり初心者向きではないのだが、器用なモカはみるみる上達した。リルも、ただ見ているだけなのも退屈なので、いっしょに編み物をした。その日以来、モカは空いた時間、本を読むのに飽きたら編み物の続きを、編み物に飽きたら、本の続きをという生活を始めた。それから数日、

「できた、できた♪」

リルの編んでいる靴下はまだ片側の半分もできていないうちに、モカが編んでいた靴下は完成してしまった。完成したモカの靴下を見て、リルは、なんかへん、と思った。リルとモカが(というか家族のほとんどが)履いている靴下は、ニーハイであるが、モカが作った靴下は、くるぶしまでしかないスニーカーー丈だったのだ。

 翌日、朝食後、早速自作の靴下を履いたモカを見て、マギーが

「・・・!カワイイ。生足は盲点だったわ。」

と、感想を述べていた。以後、モカは、小遣いを貯めては素材を買い、ティナに習いながら自分の服を作るということを続けていくことになる。マギーに買って買って攻撃が通じないので、自分の小遣いで何とかすることにしたのだ。それに付き合っているうちに、リルの裁縫技術も上がっていった。ただしリルはカワイイ教の信者なので、マギーの選んだ服を着続けたが。


10

 季節は巡る。夏休みは平穏無事に過ぎ、双子の誕生日を目前に控えた日、リルはいつも通りの生活をして、いつも通り床に就いた。


 暗い。もう4度目だ。見飽きた光景、同時に今の今まで忘れていた光景。目の前には棺に拘束された悪魔のリルがいる。

「・・・ちょっと、まった。」

確かに前回から1年近く経っている。

「・・・やりは、いがいだった。」

「・・・こんどは、て。」

会話はかみ合っていないが特に気にならない。悪魔の手枷が外れている。

「・・・どんな、ちから?」

主語のない問いだが、意図は正しく伝わった。

「・・・かいなぢからと・・・けんじゅつ。」

腕力。見て字のごとく腕力のことである。が、それはいい。

「・・・でも、わたしのぶき・・・やり。」

「・・・だから、いがいだった。」

会話が成立した。悪魔の力に剣術があるとは知らなかった。

「・・・いまから、けんに、かえる?」

「・・・たぶん、だいじょうぶ。・・・やりにも、おうようは、できる。」

悪魔の剣術は、槍術にも応用できるから、今から得物を変える必要なない、ということのようだ。

「・・・ん。・・・ききたいこと、きけた。・・・でも、だんまりも、たいくつ。・・・おはなしきかせて。」

人間のリルと悪魔のリルの邂逅は4度目だが、悪魔に話をせがむのは初めてかもしれない。

「・・・あくまには、からだがない。・・・だから、けんじゅつとか、かいなぢからとかは・・・むかし、あくまのけいやくをした、ひとから、もらった。」

「・・・どんな、ひとだった。」

「・・・しらない。」

自分から貰ったと言っておいて知らないとはどういうことか、人間のリルは混乱した。

「・・・あくまには、こたいのがいねんがない。・・・けいやくしゃによって、かたちをかえる。」

個体の概念がない。人間のリルはますます混乱した。

「・・・わからない。」

「・・・じきに、わかる。」

直に分かるなら焦る必要はない。話題を変えることにした。

「・・・これで、つよくなって・・・おにいちゃんに、かてる?」

「・・・むり。」

「・・・やっぱり。」

期待はしていなかった。だってお兄ちゃんは特別だ。

「・・・でも、たぶん、ほめてくれる。」

「・・・おにいちゃん、いつも、ほめてくれるよ。」

「・・・うん。・・・おにいちゃん、やさしいから。」

優しいから、優しさに甘えたくない。

「・・・たぶん、あしをひっぱることは・・・なくなる?」

「・・・ぎもんけい。」

「・・・かくしんが、ない。」

最低限、その確信が欲しかった。

「・・・おにいちゃんが、けいこを、つけてくれるのは・・・わたしに、きたいしてくれてるから。」

「・・・だから、きたいを、うらぎりたくない。」

だんだん、人間のリルが喋っているのか、悪魔のリルが喋っているのか、分からなくなって来た。でもなぜかそのことが気にならない。

「・・・のこりふたつは、じかんがかかる。」

話題が変わった。

「・・・なんで?」

「・・・そういう、きまり。」

そういえば1回目の時、悪魔のルールの話題が出た。これもルールなのだろう。

「・・・きまりなら、しかたない。」

「・・・でも、わたしの、がんばりしだいで、はやまることもある。」

棺に固定された悪魔のリルをもう一度よく見る。残る枷は首と腰。腰の方が頑丈そうなので次は首だろうか。首の封印が象徴するもの、それは、

「・・・がんばって、べんきょう・・・すればいい?」

悪魔のリルは無言でうなづいた。

「・・・そろそろ、めがさめる。」

そういうと、昏い夢の空間は、完全な闇に包まれた。


11

「・・・こわいゆめ、みた。」

「それ聞くの、聞くの久しぶりたけど、けど、夢なんて気にしない、気にしないё」

モカにこうやって励まされるのは、覚えているが、夢の中身がなぜか思い出せない。そのことを少し気にしながら、リルは朝のルーティンをこなす。着替え、顔を洗い、準備運動をしたら、オッティとの朝稽古だ。いつも通り型の練習をして、締めくくりはオッティ相手の立ち合い。

 今までリルの攻撃は1度も届いていないが、後手に回ってもオッティの攻撃に対処できないので、先手を取るしかない。穂先での突き、と見せかけて槍を半回転させて石突で打つ。オッティの左の短剣で防がれた。右の短剣での反撃が来る。剣筋が見えた気がした。リルは、状態を大きくそらせた姿勢、マトリックスとかイナバウアーとか言ったら読者諸兄にも分かりやすいだろうか、でオッティの短剣の下をくぐって避けた。避けられたのは初めてかもしれない。しかし悪手だった。相手から目線を切ってしまった。リルは慌てて飛び退り体勢を立て直そうとするが、オッティはそれより早く追撃に出た。結局立ち合いはリルが「死んで」終了となった。

 短時間のうちにすごく集中力を使った気がする。リルが呼吸を整えていると、

「強くなりましたね、リル。初めて避けられてしまいました。・・・何かありましたか。」

「・・・がんばったから?」

オッティは何か疑問を抱いているようだが、リルには心当たりがない。

「・・・そうですか。」

珍しく歯切れの悪いオッティだったが、ティナが朝食ができた旨を伝えに来て朝稽古は終了となった。

 その日以来、リルは少しだけだがオッティの動きについていけるようになった。とはいえリルの攻撃はまだ1度もオッティに届いていないが。


12

 リルたちが8歳になって変わったことは、小遣いの額くらいだ。変わらない平和な日常が続いた。モカは、貯まった小遣いで木綿の生地を買い、ワンピースの制作に勤しんでいる。リルも、ティナの家事を手伝ったり、モカの裁縫を手伝ったりしている。マルセルの成績は、実技、座学とも中の下らしい。座学はともかく、実技に関しては明らかに手を抜いているが、本人曰く「兄貴みたいに、悪目立ちしたくねえ」とか。オッティは、初等部3年でも断突に優秀な成績らしく、免除されている授業時間の図書館通いも続けていた。

 そうこうしているうちに、いつものように年が明け西方暦2686年。春が巡ってくる。モカは完成した(リルも半分くらい手伝った)ワンピースをお披露目したが、かなりシンプルなデザインだったため、マギーからは、

「いつものモカの方がカワイイ。」

と不評だった。ちなみに木綿のワンピースと生足では、春とはいえかなり寒そうだ。オッティは、中等部2年への飛び級進学が決まった。11歳のひときわ小柄な男の子は中等部2年では目立つこと間違いなしだろう。マルセルは普通に進級した。

 そんな日常での一コマである。

「ねえねえ、パパ、ママ。パパとママは、恋愛結婚だったんでしょでしょ?いつから両想い、両想いになったの?の?」

モカが夕食の席で、突然言い出した。魔導従士大好きなモカが女の子らしい話題を口にするのは珍しい。

「恋愛結婚って、そんなすごいことなのか?」

「何を言っているんですか、マルセル。母様はシバリウス侯爵家の次女、貴族令嬢だったのですよ。ふつう貴族なら結婚どころか自由恋愛すらできません。」

「私は、出会った時からエル君一筋だったけどね。」

ただマギーの片思い期間が長かったのも事実だ。

「パパ、パパはどうだったの?」

「そうですね、流されてなんとなくという感じなのですが、結婚まで意識しだしたのは、魔の森で2人、遭難したころからでしょうか。」

「魔の森で遭難?」

「魔の森で遭難、なんて羨ましい。」

「兄貴、そうじゃねえだろ。」

「私は、エル君と一緒ならどんなとこでもへーきだけどね。」

「母さんも、そういう問題じゃねえよ。」

アウレリウス家はツッコみ役が少ない。

「私は、2人の遭難を聞いてさすがに肝を冷やしたぞ。」

「あら、あなた。私はエルなら無事帰って来ると信じてましたよ。」

マチュの反応が正常だろう。ティナはさすがエルの母親という感じだ。

「飛空船団を組織して、魔の森上空を調査しに行ったことがありまして、その時、飛行魔獣の群れから船団を逃がすために、僕とマギーは船団からはぐれてしまったのですよ。」

「あの時はダモクレスもシルフィも壊れちゃって大変だったよね。」

この時大破したのをきっかけにシルフィの大幅改造がされたのだ。

「迎えの船団が来るまで2か月、僕たちは森で過ごしました。」

「すごい、すごい。魔の森で二人きりで、きりで、生き残っちゃうなんて、なんて。」

「・・・ふたりきり。」

「ところがそうでもなかったんです。森の中で先住民ともいえる『森の民』と出会いましてね。彼らの村で厄介になってました。」

「カワイイ子ばっかりだったよ。」

マギーはブレない。

「その迎えの船団が来た時に、最大最強の魔獣さん『魔王』と戦ったんですよね、羨ましい。」

「だから兄貴、そこじゃねえから。」

オッティもブレない。

「まあそんなこんなで、魔王も倒して、オストニアに帰還したんですよ。」

「そんなこんなで、まとめていい話じゃねえだろ。」

エルも呑気すぎる。

「帰ってきた後、私が逆プロポーズしたんだよね。」

「ええ、いろいろ準備を整えてプロポーズするつもりが、先を越されてしまいました。それから陛下のお許しを得て、無事結婚となったのです。」

「ふーん、ふーん。危ない目に合うと相手がかっこよく見えるナントカ、ナントカ効果ってやつ?」

「・・・つりばしこうか。」

「そうそう、それそれ。」

「いや、多分それも違うぞ。」

マルセルは、ツッコみすぎで、力尽きた。


13

 年度が変わっても、兄2人と違って就学年齢に達していないリルとモカの日常は変わらない。モカは、例の買い物の時、買ってもらえなかった作業着用の分厚い木綿の生地を目指して、小遣いを貯めている。小遣いが貯まるまでの間は、ハギレを使って小物を作っていた。その間リルは、カワイイリボンやフリルを作っていたが。モカが読書をするときは、リルはモカのことをいつも通り観察していた。

 オッティは、中等部2年になっても座学は完璧、実技は免除である。中等部になると実技の時間が増えるので、オッティが図書館に詰めている時間はますます長くなった。マルセルは相変わらず中の下らしい。そんな日常が続く中、夏休みを目前にしたある日のことである。

「三者面談、ですか。」

初等部2年と中等部1年の児童、生徒には、将来の進路を確認し、本人と保護者、教官たちとが共有し、今後の指導方針を決めるため、三者面談が行われる。とりわけ、オストニアでは義務教育が12歳までなので、初等部2年の三者面談は、中等部進学の意向を確認するという重要な意味がある。

「僕は初等部2年も中等部1年も飛び級してしまいましたからありませんでしたが、そんなイベントがあるんですね。」

「問題は保護者として誰が行くかだが。」

一般的にどちらの親が来ることが多いという傾向はない。エルとマギーは夫婦そろって騎士のため、出席するなら休暇の申請が必要になる。

「どうでしょう、お祖父様が出るというのは?いつも学園にいますし。」

とオッティが言うと、

「それは妙案です。」

とエルが食いついた。しかしマチュは副学長である。

「あのな、エル、それにオッティ、私の立場を考えてくれ。」

とマチュが、否定的な意見を述べるが、

「父様の立場を考えての結論です。」

「そうです。副学長の孫となれば、マルセルの学園内での立場も安泰です。」

と、常識のない似た者親子の前に、頭を抱えるしかなかった。

 マルセルは三者面談の場で、中等部進学の意思があること、将来は飛空船乗りになりたいこと、そのためにできれば高等部飛空船学科へ進学したいことを述べた。家族であるマチュも初耳の情報である。担当教官とマチュからは、今の成績のままでは高等部進学は難しいと、マルセルに発破をかけたのだった。

 夏休みも何事もなく過ぎ、秋が訪れると、リルとモカの誕生日がやってきた。9歳になって小遣いの額が多少増えたが、これと言って日常に変化はない。モカはようやくお目当ての作業着用の生地を買ったが、この生地を縫うためには専用の番手の太い縫い糸と縫い針が必要で、ティナもそれは持っていないことが分かり落胆したが、切り替えて、糸と針を買う金を貯めることにしたらしい。結局糸と針を買って、洋服作りに着手できた時には季節は冬になっていた。リルはモカが自作の服を着るようになってから着なくなったカワイイ服をさらにリボンやフリルで飾って改造した。教祖マギーの評価は、

「合格。ばっちりカワイイ。」

というリルを満足させるものだった。

 そして年を越し西方暦2687年。春の訪れが近づくある日のことだった。


14

 暗い。前回から1年以上たっている。予想通り時間がかかった。もう一つ予想通りなのは、悪魔のリルの首枷が外れていることだ。

「・・・ようやく、きた。」

「・・・うん。・・・こんどは、くび。」

そして、人間のリルの予想通りなら、

「・・・かいほうされるのは、ちしき?」

「・・・そう。・・・あくまのちしき。」

「・・・せいかい。」

「・・・どんなことが、わかる?」

「・・・いっぱい。・・・あしためざめれば、わかる。」

「・・・なら、まつ。」

ただ、どうしても聞いておきたいことがあった。

「・・・ここでのはなし、なんでおもいだせないの。」

「・・・それも、あしたわかる。」

この場では答えてくれない。話題を変える。

「・・・おにいちゃんには、やっぱり、かなわない。」

「・・・しってる。」

ふと、あの日の稽古の後の、オッティの歯切れの悪い態度が気になった。

「・・・おにいちゃん、わたしが、あくまなの・・・きづいてるかな。」

「・・・たぶん。・・・おにいちゃんも、あくまのけいやくしゃ。」

悪魔の契約者なら、急に強くなったリルと悪魔の関係に気付いても不思議ではない。

「・・・げんめつ、されちゃう?」

「・・・それは、ない・・・たぶん。」

始めは嫉妬していて、それが憧憬にかわり、今は・・・。オッティはリルに優しすぎるのだ。

また、話題を変える。

「・・・がっこう、いくの。」

「・・・しってる。」

「・・・わたしは、きしがっかで・・・おねえちゃんは、かじしがっか。」

「・・・ひとりで、さみしい?」

人間のリルは無言でうなづいた。

「・・・なら、おねえちゃんと、いっしょにいればいい。」

「・・・どうやって?」

「・・・おにいちゃんも、やってた・・・じゅぎょうめんじょ。」

最初の試験で授業免除を勝ち取り、免除された時限は、鍛冶師学科にもぐる。たしかにそれならできそうだ。

「・・・わかった。・・・ありがと。」

「・・・どういたしまして。」

話題はあっさりなくなってしまった。夜明けまでまだ時間がある。

「・・・おはなし、きかせて。」

悪魔のリルは少し考えると口を開いた。

「・・・さいしょ、あくまが、にんげんにまほうをおしえたとき・・・まほうは、もっと、たんじゅんだった。」

「・・・うん。」

「・・・にんげんは、あくまがおしえた、まほうのげんりを、おうようして・・・あたらしいまほうを、つくった。」

長いセンテンスにも少しずつ慣れてきた。悪魔のリルは続ける。

「・・・とくに、ぱぱは、すごい。・・・あたらしいまほうを、たくさん、つくった。」

「・・・でも、おにいちゃんは、もっとすごいんでしょ。」

「・・・うん。・・・まだ、がくせいなのに・・・あたらしいまほうづくりを、はじめてる。」

家ではそんな様子は見ないから、学園の図書館に籠っているときにしているのだろう。

「・・・けんも、つよくて・・・まほうも、すごくて・・・おにいちゃんは、やっぱり、とくべつ。」

話題はいつもそこに収束している。

「・・・べつの、はなしも、きかせて。」

「・・・あくまにも、ふるさとが、ある。」

「・・・どんなとこ。」

「・・・ぱんでもにうむ。・・・たいくつな、せかい。」

「・・・ぱんでも・・・にうむ。」

「・・・たいくつだから、あくまは、おもてのせかいに、きたがる。」

「・・・おもての、せかいって?」

「・・・わたしが、いるせかい。・・・ぱんでもにうむは、せかいのうらがわに、ある。」

世界の裏側の異世界パンデモニウム、おとぎ話に出てくる魔界のようなものだろうか。

「・・・ん。・・・もうよあけ。」

いうや、空間が闇に包まれる。


 冬の朝はまだ暗い。リルはいつも通り、モカを起こして、着替えを始めた。

「・・・ゆめ、みた。」

「あれあれ、怖くなかった?」

「・・・うん、私が2人いて、お話しした。」

「ふーん、ふーん。自分と話すの、面白そう、面白そう。」

「・・・べつに。・・・たいくつはしない。」

今回ははっきりと夢のことを覚えている。今回だけではない、悪魔のリルと話した内容は1回目から全て思い出せる。これも悪魔の知識の一部のようだ。


15

 春になると年度が変わる。オッティは3度目の飛び級を決めて、高等部魔法騎士学科に入学した。マルセルは普通に初等部3年に進級した。そして、モカは初等部鍛冶師学科に、リルは初等部騎士学科にそれぞれ入学する。それから、マチュが、副学長から、学長に昇進した。アウレリウス家の新しい年度が始まる。

〈第1章完〉

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