ぱぱとままのおしごと
第3話 ぱぱとままのおしごと
1
年が明けて西方暦2684年初頭、銀嶺騎士団団長エルヌス・アウレリウスは、スベルドロ砦に向かわず、王都のウラジオ城に参内していた。王都ウラジオは、アウレリウス邸のあるエカテリンブルから、馬車で1時間ほどしか離れていない。通されたのは、城の奥の会議室で、謁見の間ではない。
エルが到着してからしばらくすると、現国王「征森王」ハルベストゥス・オストニウス(ハベス1世)が護衛も伴わず現れた。エルが国王直属騎士であることからの信頼もあるが、国王にはこの小さな騎士団長が謁見を求めるときは、大方ろくでもない話しかしないことが分かっているのである。エルは、座ったまま略式の礼で国王を迎えた。挨拶もそこそこに早速本題に入る。
「子供たちに砦を見学させたい、とな。」
「はい、長男のオッティが春から学園に入りますので、将来の参考に、親である僕たちの仕事を見せておきたいのです。」
「貴様にしては、まともな話だが、自分が何を言っているか分かっておるのか?」
国王の反応も当然である。砦というのは我々の世界でいうところの軍事施設、決して子供が出入りするような場所ではない。しかもスベルドロ砦を拠点とする銀嶺騎士団は、オストニアでも最新装備を運用する集団である。機密の塊だ。
「うちの子たちに限って、機密の心配をする必要はありません。将来的に何らかの形で国内の騎士団に関わることになる人材ですし、そもそも普段、僕やマギーと暮らしているのですから、銀嶺騎士団の技術についてはもう知っています。」
「全く、貴様の情報管理はどうなっておるのだ。」
国王があきれるのももっともだ。しかしエルは悪びれもせず、
「僕の魔導従士の素晴らしさを、皆に広めるのは当然ではありませんか。それに子供たちに教えているのは、国内では一般大衆にも広報されている情報がほとんどです。」
「むぅ。まあよい。そも銀嶺騎士団は貴様に任されておるからな。」
結局国王は、親になってもわがまま小僧のようなエルを前に折れざるを得なかった。とはいえ実のところ、騎士の中の騎士のエルには国内の騎士団に対して国王にも優先する命令権があり、銀嶺騎士団はほぼエルの私物のように扱える権限があるのは事実だ。今回の見学の話について事前に国王の許可を求めたのも、エルなりに筋を通したかったからに過ぎない。
2
というわけで、数日後、エルと妻で団長補佐のマルガリッサは、4兄弟をスベルドロ砦に連れて行った。夫婦が普段通勤に使っている魔導車で幌車を牽引して、家族で乗れるようにした。魔導車の機関室にエルとマギーが、幌車に4兄弟が乗る。スベルドロ砦はエカテリンブルの街の東側、魔導車なら10分ほどのところにある。軍事的要衝というわけではないが、この場所が選ばれたのは、街からの通勤の便を優先したからだ。ちなみに魔導車も銀嶺騎士団が開発、普及させた乗り物であり、エルが制御系の魔法の開発を、マギーが開発段階の試験機関士を務めた。
砦に到着すると、魔導車を屋外駐機場に泊め、正門ではなく団長用の通用門から建物の中に入った。
「入ってすぐのここが、工房兼駐機場ですね。僕とマギーは開発チームなので、ここが僕たちの主な職場です。」
この日は休日だったため、数人の当直魔法鍛冶師が待機しているだけだ。グルリと見渡すと開発中と思われる機材には覆いがかけられている。通用口から見て左側、工房の一番奥に鎮座しているのは、片膝をついた駐機姿勢のダモクレスだ。銀嶺騎士団、そしてオストニアの全騎士団を代表する機体であり、エルの専用機だ。その手前の入口からみて右側に、マギーの専用機、「シルフィ」が置かれている。もとは現役の空戦型魔導従士の原型となった、試作機だったが、その後、マギーに合わせた改良を積み重ね、現在は、外見も機能的にも、量産型とは一線を画す機体となっている。双子の姉のモカイッサは、魔導従士大好きなだけあって、両専用機を前に、
「すごいすごい、本物、本物。」
とはしゃいでいる。反対側には、広めのスペースがあり、覆いをかけられた機材もいくつかある、作業スペースだろうか。そのスペースの手前に製図台がある。
「この砦には団長室がないので、基本、この製図台で、騎士団長の仕事も開発もしてしまいますね。」
エルが補足する。銀嶺騎士団は、国王直属の騎士団として、国内のみならず状況によっては国外にも派遣される遊撃要員であるが、同時に、最前線で魔導従士を運用する者の視点から、新型機の開発や、既存機の改良も担う開発集団でもある。エルは、当直の魔法鍛冶師の中でも、背が低く代わりにかなりの筋肉質な体形の人物を指し、
「彼が、鍛冶師隊の隊長で、開発の責任者でもある親方です。銀嶺騎士団がここまで戦って来れたのも、彼がいたからといっても過言ではありません。」
「よせやい、坊主。俺はただの裏方だ。」
「親方」の本名はダレイウスという。体格は、彼が「ドワーフ族」という亜人であることを物語っている。ドワーフ族は、もともとは、巨壁山脈西方北部の山岳地帯で暮らしていた亜人だが、人間との交流が長く、人間社会に溶け込んでいる。洞窟暮らしに適応した低身長だが、力自慢が多く、鍛冶師として生計を立てている者が多い。オストニアでは、亜人はあまり見かけないのだが、ドワーフ族だけは例外だった。
「すごいすごい、『もう1人の天才』親方も本物、本物。」
「おチビちゃん、だから俺はそんなんじゃねえって。あと、人を珍獣みたいに扱うな。」
実際のところ、銀嶺騎士団での開発は、機構的な部分は親方が、魔法に関してはエルが担う分業制でこなされていて、彼らが手掛けた数々の名機も、エルと親方、どちらが欠けても完成しなかった。単なる裏方、というのは謙遜である。
通用口の右側には、陸戦型の正式量産機スコピエスと、空戦型正式量産機「ピクシス」が向かい合わせで置かれていた。
「この2機は、新装備の試験用に、開発チームに割り当てられた機体ですね。」
4兄弟の長兄オルティヌスは、スコピエスを前に、
「実機を間近で見るのは初めてですが、無駄がなくていい機体です。さすが正式量産機ですね。」
と、未就学の児童らしからぬ冷静さで、知った風なことを言っている。次兄のマルセルスは、工房の中を見ても、ピンと来ていない感じだった。双子の妹、リッリッサは、モカの後ろの定位置にいて、魔導従士の実機を前にはしゃぐ姉の様子を観察している。工房はさらに奥へ続いていて、
「試験用の機体の奥は、各中隊が実際に使っている機体を置いておくところです。一応、第1から第4まで、中隊ごとに縄張りみたいなものはあります。」
と、エルが説明を加えた。実際、スコピエスやピクシス、魔導車などが所狭しと並んでいる。
工房の、ダモクレスの左にあるドアを通ると、その先は飛空船のドックになっていた。
「現在、銀嶺騎士団で運用している飛空船は、飛翔母艦2番艦「テバイ」と、戦闘艦クラス3隻、揚陸艦クラス2隻、輸送艦クラス2隻の計8隻です。船の運用は、飛行大隊が担っています。飛行大隊の隊員は、大体砦内の隊員宿舎に住んでいるので、今日は、ドックには誰もいませんね。」
現在オストニアで就航している飛空船は、基本的に国内で研究、実用化された技術で飛んでいるが、空征く船を作ったのは、オストニアではなく、西方の「帝国」である。この話は別に機会があれば、することとしよう。
4兄弟の中で、マルセルだけはテバイの威容に、「おお!」と声を上げていたが、他の3人は、興味がなさそうである。エルから一通りの説明を聞いて、次に移動しようとしても、マルセルだけは、名残惜しそうだ。
その後も、会議室や、倉庫、隊員宿舎など、砦の施設の見学が続いた。
「この砦には、応接室がないので、ブリーフィング以外に、来客の応対にも会議室を使います。」
「倉庫にいあるのは、魔導従士用の素材や戦利品ですね。『魔王の心臓』もありますよ。」
魔王とは、過去に銀嶺騎士団が討伐した最大級の超級魔獣であり、「魔王の心臓」とは、その魔王の心臓から採取した魔力結晶のことである。魔王はあまりに巨大で、心臓が8個もあったので、すでにダモクレスとシルフィに使われているが、まだ6個は魔力結晶が残っている。
「ここから先は、主に単身の隊員が暮らしている宿舎です。プライベートスペースなので、覗くのは止しましょう。」
「ここは、屋内練兵場です。魔導従士の動きも基本的には人間の動きの延長ですから、魔法騎士は、生身の騎士としても戦技を鍛え理解を深めることが、魔法騎士としてのレベルアップにつながるのです。」
屋内練兵場は、主に剣などの武器を使った戦技を鍛える部屋である。放出系魔法を使うには狭いが、剣を持っての立ち合いをするには充分な広さがある。
廊下を抜けると、天井がない広い場所に出た。
「ここは、演習場です。魔導従士の操縦訓練、新装備の試験、その他いろいろな用途に使いますね。」
演習場は魔導従士用の法撃装備、魔法兵装を使用できるぐらい広い。今は、訓練している団員もいないので、ガランとしている。演習場の高い周壁の側に、壁より高い櫓が組まれていた。見張り櫓にしてはおかしな場所にある。
「あの櫓は、降下訓練用の櫓です。空戦型の魔導従士から脱出するとき無事着陸できるように、あそこから飛び降りる訓練をするんです。」
演習場は、工房兼駐機場に直結していて、演習場側の入り口から近い順に、第4中隊から第1中隊の縄張りがあるらしい。
「第3中隊と第4中隊の縄張りの間にある大きな扉が、この砦の正門です。街から通勤している団員は、ここから入ります。」
工房に居並ぶ魔導従士や魔導車を横目に、奥へ進むと、見学のスタート地点だった、開発チームの縄張りに戻った。
「これで1周しましたね。他にも、休憩室と炊事場、それに倉庫があと2カ所あります。
僕とマギーは、騎士団長としての雑務の他に、ここで普段は開発の仕事をしています。でも、必要があればダモクレスとシルフィで出撃することもあります。」
銀嶺騎士団は、通常の守護騎士団とは異なり、活動範囲が特定の貴族領に限られない。開発を行いながら、救援要請があれば、国内のどこでも駆け付けられるように、訓練をしながら待機している。
「それなら、銀嶺の一員になれば、国内全土の魔獣さんと遊・・・退治できるということですね。ああ、想像しただけで胸が高鳴ります。」
「兄貴、魔獣にさん付けはねえだろ。」
オッティの物騒な妄想に、マルセルが冷静にツッコんだ。
「ダモクレス、やっぱりやっぱりすごい。でもでも、私もっとすごい魔導従士、作っちゃうんだから、から。」
「はっ。おチビちゃんの成長が今から楽しみだな、坊主。」
モカの決意表明は、親方には子供のたわごとと取られたらしい。
「・・・きょうは、これで・・・おしまい?」
相変わらず、4兄弟の感想は四者四様だ。
「はい、リル。それでは、帰りましょうか。マギー、帰りの操縦もお願いしていいですか?」
「もちろんOKよ、エル君?」
見学の間中、エルに後ろから抱き着いてニコニコ又はニヤニヤしていたマギーが答える。
一家は、屋外駐機場にあった魔導車で、家路についた。
3
雪解けも進み、いよいよ春本番という季節に、学園の入学の季節がやってくる。エカテリンブルは、冬の間、巨壁山脈から吹き下ろす乾いた季節風が吹くため、寒さのわりに雪は少ない。雪解けを実感させるのは、近くの川の増水くらいだろうか。
この年、オッティは、学園の初等部騎士学科に入学した。騎士学科の児童には、入学式翌日、剣と魔法の試験が行われる。試験といっても成績評価のためのそれではなく、クラス分けを目的としたものだ。貴族や大商家の子女のように、裕福な家庭では、初等部入学前から、家庭教師をつけるなりして、それなりの教育を受けている者がいる。そういった子供たちは、入学時点で、簡単な魔法が使えたり、剣を握ったことがあったりするため、そういった教育を受けていない子供たちとの実力差がそこそこある。そこで、入学時点の実力を確かめ、実技科目のクラスを、上級、中級、初級に振り分けるのだ。
午前中は、魔法の試験が行われた。試験をする実技教官には、事前に副学長であるマチウスから、彼の孫のオッティは危険人物として扱うよう警告されていた。そのため教官は、基本名前順で行われる試験だが、オッティだけ最後に回した。
試験は例年通り滞りなく進んだ。時折、貴族の子女などで、「炎の玉」などの中級魔法を成功させる者もいた。彼らは、間違いなく上級クラスだろう。
さて、いよいよオッティに順番が回ってきた。今日もバッチリ男の娘スタイルできめている。
「実力試験ですからね、手は抜けません。」
と全力宣言だ。オッティは、木の板で作られた標的が3つあることを認めた。
「『落雷』、3発同時展開、それぞれ目標設定、散開。」
この世界の魔法は、呪紋を思い浮かべ魔力を流すだけで発動する。呪文の詠唱は必須ではないが、次の3つの理由から、呪文を詠唱することが推奨されている。一つ、呪紋と呪文を関連付けて記憶することで、魔法の成功率が上がる。一つ、呪文を唱えることで集中力が増し、魔力操作の精度が上がる。一つ、魔法を使うこと及びその種類を周囲の味方に宣言することで、無駄な巻き添えを防ぐ。
オッティがいつもの冷静な口調で宣言すると、電撃がそれぞれ3つの異なる目標に一直線に飛び、直後に命中、爆発。標的3つは、過たず木っ端微塵になった。教官その他その場にいる皆が一瞬我を忘れた。「落雷」は魔導従士用の魔法兵装に使われる魔法として知られている。
魔法騎士は通常はコクピットの中で機体制御で手一杯になるため、攻撃魔法を使用する余裕がない。そこで作り出されたのが魔法兵装である。攻撃魔法の呪紋を予め刻んだ銀板、紋章を備えた大砲のような形をしており、魔力を通すだけで法弾が発射できる。呪紋を予め用意できるため、上級魔法や、場合によっては戦術級魔法を小さな負担で使用することができる。
「落雷」は大型魔獣にも有効な上級魔法である。通常大型魔獣には魔導従士で対応するし、魔法兵装もあるので、上級魔法を独力で使う必要はほとんどない。必然、上級魔法を使える騎士は少数派である。
オッティは、初等部新入生にして、現役の騎士でも簡単ではない上級魔法を使って見せた、それも3発同時に。とんだ危険人物がいたものである。しかも目の前で起きた惨劇に目を奪われ、誰も気付かなかったが、オッティは魔法の杖を使っていなかった。この瞬間、オッティの魔法実技と魔法に関する座学の授業免除が決定した。
ちなみに、長い学園の歴史の中で、新入生の魔法試験で上級魔法を使用した人物が過去に1人いて、それがほかならぬエルである。ただし、エルが使った魔法は「闇の帳」という、かなりマイナーな闇属性の防御魔法であったので、オッティが起こしたような惨事は起きなかった。
午後は、剣の試験である。もちろんオッティは、魔獣狩りで磨いた剣術を惜しげもなく披露し、剣術実技の免除も勝ち取った。
4
オッティが学園に通うようになって、アウレリウス家の日常にも変化があった。次兄のマルセルがモカとリルの練習に付き合うことになったのだ。モカは魔法の練習を始めた当初から、なかなかの魔法の才能を見せていた。以来、順調に実力をつけ、2時間ほどは魔法を使い続けても魔力切れを起こさなくなった。リルは、本人も含めその事実には誰も気付いていないが、悪魔の力を得て以来、ほとんど無尽蔵に魔力を使えるようになっていた。必然、2人の練習の時間は長くなる。その上でマルセル自身の稽古もある。サボると学園から帰宅したオッティに厳しい折檻を受けるので、これもかなり時間を食われる。マルセルは、仲の良かったジャイユスが学園に入学してしまったといっても、他にも悪ガキ仲間はいる。遊びに行く時間が減ってしまって、かなり不機嫌かと思えば、意外にも、先日のスベルドロ砦見学以来やる気を出していた。
モカとリルの魔法の練習は、もはや未就学児のレベルを疾うに超えていた。2人が手に持った魔杖「ウェラヌス」からは、中級魔法が当たり前のように飛び交う。指導役のはずのマルセルは、ようやく普及魔法全種を覚えた段階なので、力関係は完全に逆転していた。双子の魔法の練習は、リルがモカに新しい魔法を教え、
「リルリル、すごい、どこで新しい魔法覚えたの?の?パパの本?でしょ、でしょ。」
「・・・?まえから?・・・しってた。」
「??」
というやり取りが繰り返される、といった具合だ。マルセルは完全に蚊帳の外だ。2人がサボらないか見張るのが唯一マルセルの役割だが、真面目な2人が練習をサボるのは考え難い。マルセルは、自分の剣の稽古をこなしながら、たまに横目で双子の様子を見るだけでよかった。ちなみに、ウェラヌスとは、先端に刃物を取り付けられる、銃剣型魔杖で、エルが、幼少期から今に至るまで愛用している逸品である。名称は開発者にちなんでつけられた。魔法の練習を始めてしばらくしたころ、モカが、「パパと同じ杖が欲しい、欲しい。」と言い出し、リルも「・・・おねえちゃんと、いっしょ。」と行ったため、2人分用意されたものである。今のところ、刃物部分は木製の短剣が付いている。
ところで、この世界では、魔法を使うとき、杖を持つのが一般的だ。杖は「ミトス」という白樺に似た外見の木材で作った棒の先端に、魔力結晶を嵌め込んだ構造である。ミトスは木材の中で特に魔力を通しやすい性質があるため杖に使われる。魔力結晶は、魔力を集中させるための触媒になるほか、杖の先端から魔力を放出するイメージを持ちやすくする役割もある。上級者になると、杖なしで魔法を使うことも可能だ。
学園の授業は午前4コマ、午後2コマが基本である。そのため、午後3時前には、オッティは、帰宅する。その時間にマルセルが自宅にいると、オッティは、模擬戦形式の稽古をする。マチュの作った稽古のメニューにはなかったが、「マルセルも剣の稽古を始めて1年たったのですから、もう模擬戦ができるはずです。」との理屈だ。体格的には、1歳年下のマルセルがすでに兄のオッティより大きくなっていたが、模擬戦の内容は、一方的だった。モカが、
「お兄ちゃん、ちい兄、準備いい?いい?じゃあじゃあ、始め、始め。」
と、合図すると、次の瞬間、マルセルの頸動脈の直上で、オッティの短剣型の木剣が寸止めされており、
「これで、1回死にましたね。」
と、オッティが花の咲くような笑顔で言うのである。マルセルには、全くオッティの動きを目で追えないし、ピクリとも動けない。
模擬戦をやってもやらなくても、オッティは、今まで通り夕暮れ前に魔獣狩りに出かけてしまう。両親が帰ってくる前に、家に戻らないと、怒られるため、オッティもそこまで遠くには行っていないようだ。
一度、エルがオッティに、
「授業免除されている時間、君は何をしてますか?」
と尋ねたことがあった。オッティは、
「図書館で、魔獣さんや魔法のことを勉強しています。」
と答えた。この答えにエルが不満を持ったようで、
「魔導従士の勉強はしないのですか?」
と畳みかけるが、
「僕は、魔獣さんと遊びを楽しめればいいので、スコピエスで充分です。それよりも魔獣さんの生態や新しい魔法の勉強をした方が、いろんな遊びの仕方が楽しめていいのです。」
と、暖簾に腕押しだ。魔導従士狂いと、魔獣狩り狂い。似たもの親子なのだが、興味の方向性が微妙にすれ違っている。
リルとモカの魔法の実力は逆転したが、2人もいつも魔法の練習ばかりしているわけではない。練習は大体午前中に終わり、午後は外に遊びに行くこともあるが、そんなときは、人見知りの激しいリルは、やたらと人懐こいモカの後ろに隠れるように着いていく、というのは、今まで通りだ。リルは、できれば家の中でモカと2人で遊んでいたい。
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王立魔法騎士学園は、その道の最高峰の教育機関だけあって、全土から入学者がやってくる。そういった学生のための寮もある。そしてエカテリンブルの街の商工業者にとって、学園や学生相手の商売なくしては成り立たない。
学園にも長期休暇はあり、夏休みと年末年始の休みがそれだ。それらの休暇の時は、寮生たちは里帰りをしてしまうため、学園が長期休暇に入ると、エカテリンブルの街は一気に静かになる。だからといって、気軽に旅行にも行けない国情なのである。
西方暦2684年の夏休みがやってきた。アウレリウス家では、関係があるのは、児童のオッティと教員のマチュの二人である。モカは、昼間もオッティと一緒にいられるからと嬉しそうだが、リルは複雑だ。
ところが、オッティは夏休みにもかかわらず、学園の図書館通いを止めなかった。オッティは自宅にある本を、エルとマチュの蔵書だが、読みつくしていたため、新たな知識の海である図書館が気に入ってしまったのだ。
ちなみに、オストニアに限らず、この世界の人々は同じ言葉を話し同じ文字を使う。人間のみならず、亜人も同じ言葉を使う。人間とのかかわりの歴史が長いドワーフ族や獣人族、翼の民ばかりでなく、近年まで互いの存在を認識していなかった、人間と森の民すら、同じ言葉を使う。ただし、亜人の中には文字を使わない種や、識字率がまだ極端に低い種もいる。文字は、表音文字で、母音字8種、子音字23種からなる。オストニアの街で暮らしていると、看板などで文字に親しむ機会が多く、また綴りと発音の不一致もほとんどないため、未就学のうちから文字の読み書きを覚えてしまう子供が大半である。オッティも、6歳くらいの時には、文字を読めるようになった。弟妹たちも似たようなものだ。
ある日のこと、昼過ぎに学園の図書館から帰ってきたオッティに、モカとリルが寄ってきた。
「お兄ちゃん、お兄ちゃん、これから狩りに行くんでしょ?でしょ。私たちも連れてって、お願い、お願い。」
「・・・おねがい。」
魔獣の縄張りに、6歳の幼女を2人連れていくのは、常識的な判断としては、危険である。しかし、モカとリルは、見た目通りの幼女ではない。また、オッティも、常識が欠けている。
「分かりました、モカ、リル。せっかくですから、2人の好きな木苺の実も摘んできましょう。」
と、妹2人の同行を簡単に承諾してしまった。
市壁を跳び越すと、すぐ近くにちょっとした森があった。木苺の実もすぐ見つかった。モカが木苺の実を積んでいると、
「あ、兎さんがいました。」
と言って、オッティが飛ぶような速さで、駆けていった。確かに、よく見ると茂みに隠れるようにして、角兎がこちらの様子を覗っている。ただ、オッティは、リルたちか見えている角兎の、少し横で、愛用の短剣を振った。直後、角兎の姿が掻き消え、代わりにオッティの手元に現れた首のない兎から、鮮血が吹き出す。
「クスッ。兎さん、捕まえました。モカ、リル、覚えておいてください。魔法を使う獣さんが、魔獣さんです。本物の兎さんがいる場所より少しズレた所に、兎さんの姿が見えていたでしょう。これは兎さんが使った幻影の魔法です。兎さんは、人間にとっては危険ですが、魔獣さん同士の食物連鎖では、むしろ食べられる側です。だから身を守るための魔法を進化させたのです。」
と、オッティが説明してくれた。
「すごい。すごい。お兄ちゃん、物知り、物知り。」
と、モカは感心しきりだったが、リルは臆病なので、他の魔獣が現れないか、警戒していた。
「苺も採れましたし、遊びもできましたから、帰りましょうか。」
オッティは、今しがた首を切り落とした角兎の後ろ足を持って、逆さ吊りにする。すると兎の首のところから、さらに血が流れだした。
「こうやって、捕ったらすぐ血抜きをしないと、肉が獣臭くなってしまうんですよ。」
と、聞いてもいないことを教えてくれる。3人は、苺と兎を持って、来た時とは逆に市壁の中に飛び入り、自宅に帰った。
「ただ今戻りました。お祖母様、今日も兎さんが捕れましたよ。」
と、オッティは、祖母に狩りの成果を報告している。モカとリルは、大人たちに内緒で街の外に出たことに、少しだけ罪悪感があったので、採ってきた木苺を、兎の解体をしているオッティに預け、何食わぬ顔で、家の中に戻った。
6
別の日の夕食前の時間、いつも通りモカがエルを質問攻めにしている。リルも口は挟まないが、話は聞いている。
「結局、結局、ダモクレスの強さの秘密って、何?何?」
「それは、(中略)双発の魔力転換炉が、高出力を誇るところに、集約されます。」
読者諸兄にも分かりやすくなるように、正式量産機スコピエスとの比較で説明しよう。
鎧騎士を5倍ほどに拡大した躯体に、両肩の肩部砲、頭部の単眼と、両機種に共通する意匠は、多い。肩部砲とは、魔法兵装を機体の主腕を使わずに発射できるようにした機構のことで、機体背部から延びる補助椀によって、支持され稼働する。
外見からもわかる決定的な違いは、スコピエスにはない魔導推進器という装置が、ダモクレスの両肩と腰の両側の計4機、ついていることだろう。魔導推進器は、爆炎と大気圧縮の複合魔法により、爆発の反作用を受けて機体を加速させる装置である。推進器に用いられる魔法自体を魔導推進器と呼ぶこともある。ダモクレスの推進力は規格外で、垂直上昇も余裕でこなせるほどである。噴射方向も自在で、繊細な出力調整も可能であり、超高機動空中戦闘が可能である。ダモクレスが完成した当時、飛空船や空戦型魔導従士はまだなかったため、この世界で初めての実用航空戦力となったと同時に、世界初の空陸型魔導従士でもある。ただし、消費魔力も非常に多いのが難点である。
外見からは分かりにくいが、ダモクレスの肩部砲は「豪炎の槍」という火属性の戦術級魔法の魔法兵装が使われており、大型魔獣も1撃で仕留められる。最も普及している火属性の上級魔法「熱の弾丸」の魔法兵装と比較すると数倍の威力がある。戦術級魔法は、その威力にふさわしく消費魔力も桁違いなので、量産型転換炉単発式のスコピエスでは、使うことができない。
主腕には、格闘武器や盾を持つのが標準的で、人間用の武器を5倍スケールに拡大した多種多様な魔導従士用格闘武器が作られている。スコピエスは魔法騎士の好みや、討伐対象の魔獣の特性に合わせて、様々な装備を使い分ける。しかしエルは、必ずダモクレスの両手に「熱の弾丸」の「刃付魔法兵装」を持たせている。これは、魔法兵装の先に剣を取り付けた装備で、エル愛用のウェラヌスの魔導従士用とも言える、遠近両用の武器である。ただし、魔法兵装は構造的にあまり強くないため、格闘時、「武器強化」の魔法を併用する必要があり、燃費が悪い。
以上に見たとおり、ダモクレスは超強力な代わりに大量の魔力を必要とする機体に仕上がっているのだが、これを可能にしているのが、「竜の心臓」と「魔王の心臓」と呼称される、特注品かつ双発式の魔力転換炉である。魔力転換炉の出力は、それに触媒として組み込まれている魔力結晶の大きさと純度によって決まる。問題の魔力結晶だが、この世界の生物は、必ず魔力結晶を持っていて、動物や魔獣の場合、それは心臓にある。量産型転換炉には、中型魔獣の心臓から採取した魔力結晶が用いられるのだが、「竜の心臓」及び「魔王の心臓」は、超級魔獣である竜及び魔王の心臓から採取した、魔力結晶を使っている。いずれも、非常に大きく高純度の魔力結晶であるため、最大出力で比較して、「竜の心臓」は量産炉の5倍、「魔王の心臓」はそれ以上、合計10倍以上の魔力供給能力があることになる。
これこそがエルが「双発の魔力転換炉が、高出力を誇るところに、集約されます。」と述べる所以である。ただし、これは操縦の難しさを度外視した話である。
モカもリルも、もっと聞いていたかったが、
「そろそろご飯にしましょう。」
と、ティナイッサの声がかかり、話は中断となった。
食卓でも、モカの質問攻めはいつも通り続く。
「パパ、パパ、ママのシルフィのことも教えて、教えて。」
というとで、シルフィについても触れておく。
もともとは、空戦型魔導従士の試作機だったことは既に述べたとおりだが、とある事件の際、大破して、その後大幅に設計変更された上に、とっておきの新機能を追加して、再建された。
下半身のない半人型で、背部に飛行魔法や前進の際に風を受け揚力を得るための大きな翼があるのは、量産型の空戦型魔導従士ピクシスと同様である。「尾部推進器」と呼ばれる、獣の尻尾のように動く尾部の先端に、魔導推進器がついている機構も、共通である。
シルフィの最大の特徴は、胸部に格納された1対の補助椀で、これで、ダモクレスの脇を抱えるようにして「合体」する。通常、魔導従士の胸部には、コクピット・ハッチがあるが、シルフィは、胸部が補助椀で塞がっているため、コクピットが背中側にあり、首の後ろにハッチがある。コクピットが背中にあるため、肩部砲用の補助椀はつけられず、代わりに、アーム・オン・アーム方式と呼ばれる、両前腕部のハードポイントに魔法兵装を固定する方式を採用している。マギーの好みで、魔法兵装は「落雷」を使用することが多い。単発式の魔力転換炉は「魔王の心臓」が採用されており、最大出力は、量産機の5倍以上である。
「すごい、すごい、パパとママの合体、合体!」
「・・・がったい。」
と、モカもリルも、興味津々で、聞いている。だが、シルフィの話が終わるころ食事も終わりになった。
「合体状態の『ダモクレス・シルフィード』については、機密のなので、モカにも話してあげられないのです。ごめんなさい。」
と、エルは謝るが、本当は自慢したくてたまらない様子だった。モカもリルも、父の話の続きが聞けなくて残念だったが、いつも通りの夜を過ごし、床に就いた。
7
暗い。前も後ろも、右も左も、上も下も真っ黒な闇に覆われた空間。リルはそこに立っていた。立てるのだから地面はあるのだろう。他には誰もいない。ただ、目の前にある、異物だけが、この闇の世界の例外だった。その異物は、リルの知識にあったが、今の今までなぜかそのことを忘れていた。そして、その異物には、前見た時と、明らかに違う点が一つあった。
「・・・そろそろ、くると・・・おもってた。」
異物は棺だった。前見た夢では、右側の扉をリル自身が開けた。しかし目の前の棺は、両側の扉が開いていて、中がはっきりと見えた。
「・・・あなた・・・あくま?」
棺の中の人物は、とても小柄な幼女で、癖のないプラチナブロンドのセミロングの髪を左側で結んだサイドポニーにしている。服装は白のブラウスに黒いジャンパースカート、ニーハイソックスを履いている。見間違うはずがない、瓜二つの顔をした双子の姉といつも一緒にいるのだ。その人物は、声だけでなく、姿かたちも、リルそのものだった。
「・・・おどろいた?・・・でも、わたしは・・・あなた。」
リルの問いに対しては、否定も肯定もない。棺の中の悪魔は、首と腰、両手首と両足首に枷をはめられて、棺に固定されていた。
「・・・とびら、あいてる。」
リルも、悪魔の問いには答えなかった。ただ、自分の姿をした者が、棺に閉じ込められているのを見るのは、驚きより気持ち悪さが先に立つ。
「・・・そう。・・・あいた。」
ようやく会話が成立した。そうなってくると、様々な疑問がリルの頭に湧いてくる。
「・・・これも、ゆめ?」
「・・・そう。・・・あなたがみてる、ゆめ。」
「・・・とびら、あくと・・・どうなる。」
「・・・ふういんが、もうひとつ・・・とけた。」
よく分からない。だからさらに説明を求める。
「・・・ふういんって、なに?」
「・・・わたしのちからの、ふういん。・・・まえに、せつめい・・・した。」
まだ分からない。
「・・・ふういん、とけると・・・どうなる?」
「・・・それも、まえに・・・せつめいした。・・・わたしのちからが・・・かいほうされる。」
つまり、前回同様悪魔の力の一部を使えるようになるということだろうか。
「・・・どんな、ちから?」
「・・・まほう。」
前回は、中級魔法までの魔法が使えるようになって、魔力量も増えた。今回は、それ以上に魔法力が強化されるということだろう。他の疑問も尋ねてみる。
「・・・なんで、うごけないように・・・されてるの?」
「・・・これも、ふういん。」
またよく分からない。
「・・・ふういんって、いっぱいある?」
「・・・あと、4つ。」
ということは、悪魔の力を完全に使えるようになるには、まだまだ成長が足りないということのようだ。
「・・・のこりの、ちからも・・・まほう?」
「・・・ちがう。・・・まほうのちからは・・・これで、おわり。」
「・・・じゃあ・・・どんな、ちから?」
「・・・おしえられない。」
悪魔の力は魔法だけではないが、今はまだ分からないらしい。
「・・・つぎは・・・いつ?」
「・・・あなたしだい。」
リルが頑張って早く大きく強くなれば、悪魔の力が早く解放されることもあるようだ。
「・・・なにを・・・がんばればいい?」
「・・・あなたしだい。」
教える気はないらしい。
「・・・なんで、まえのこと・・・わすれちゃってたの?」
「・・・おしえられない。」
前回と違ってあまり質問に答えてくれない。
「・・・きょうのことも・・・わすれちゃう?」
悪魔は無言でうなづいた。理由は分からないが、悪魔との会話は記憶に残らないようだ。
「・・・わすれちゃうなら・・・はなすいみ、ない。」
「・・・それは・・・こまる。」
悪魔が予想外の反応を見せた。
「・・・なんで?」
「・・・しゃべってないと・・・たいくつ。」
言葉の意味は分かるが、意図は分からない。リルは、悪魔を困らせて見ようと、しばらく黙っていた。すると悪魔が沈黙に耐えられないとばかりに口を開いた。
「・・・なにか、しゃべって。」
無視して、だんまりを決め込む。
「・・・なら、わたしが・・・はなす。」
悪魔はよほど沈黙が苦手らしい。
「・・・おにいちゃん、すごい。・・・あんなにんげん・・・わたし、しらない。」
「・・・あなたの、おにいちゃんじゃ・・・ない。」
リルは、思わず反応してしまった。
「・・・わたしは、あなた。・・・だから、あなたのおにいちゃんは・・・わたしのおにいちゃん。」
そういえば前回悪魔は、一体化すると言っていた。すでに悪魔とリル自身を区別する意味はない、ということだろうか。
「・・・あなたは、まだこども。・・・おにいちゃんへのきもちを・・・りかいできない。」
そうかと思えばリルを子ども扱いしてくる。それにしても、悪魔の興味は、なぜかオッティに向いている。リルはそこに違和感を覚えた。
「・・・さっきから・・・おにいちゃんのことばっかり。」
「・・・だって、おにいちゃんは・・・とくべつ。」
違和感が消えない。
「・・・わたしの、とくべつは・・・おねえちゃん。」
「・・・さっきも、いった。・・・まだ、りかいできないだけ。」
あくまで悪魔は、モカよりオッティが特別という主張を変えないらしい。しかもそれを理解できないのは、リルが子供だからだという。無性に腹が立った。リルは感情表現が苦手なだけで、実は感情的になりやすい。
「・・・あなたは・・・わたしじゃない。」
「・・・そんなことない。・・・まえに、いった。・・・あともどりは、できない。」
完全に上から目線だ。余計に腹が立つ。
「・・・おこらせたいの?」
「・・・ちがう。・・・おはなししたい。・・・でも、あなたがおこってるのは、わかる。」
「・・・なら、あやまって。」
「・・・あなたは、わたし。・・・あやまるいみは、ない。」
すれ違っている。とても一体化が進んでいるようには感じられない。
「・・・やっぱり、あなたは・・・わたしじゃない。」
「・・・いくらひていしても、わたしはあなた。・・・それは、かわらない。」
付き合いきれない。下手に反応すべきではなかった。もう1度だんまりを決め込む。するとすぐに悪魔が口を開いた。
「・・・よがあける、みたい。」
その言葉をきっかけに、リルの意識は、闇に溶けていった。
8
夏の日の出は早い。リルがいつも起きる時間には、もう東の空が白み始めていた。いつも通り、隣で寝ているモカを起こす。
「・・・こわいゆめ、みた。」
「夢?夢ってどんな夢?」
「・・・おぼえてない。・・・でも、こわかった。」
モカは、数か月前同じやり取りがあったことを思い出した。
「前も言ったけど、けど、夢なんて気にしない、気にしないё」
と、前回と同じようにリルを励ました。
その日の朝食の席で、エルが言い出した。
「父様、お願いがあります。」
「エルが、私にお願いとは、珍しい。なんだい?」
「はい、マルセルのことです。今日、父様は休日ですよね。彼に、剣の稽古をつけてあげて欲しいのです。」
副学長となれば、夏休みの間にしかできない仕事、例えば施設修繕の立会いや、各授業の進捗状況の確認と必要があればリスケジュールの決裁など、学生のように夏休みの間中、休んでいるわけにもいかない。ただ、その日のマチュは、完全オフだった。
「ふむ、一人息子の頼みだし、かわいい孫のためだ。そのくらいお安い御用だよ。」
と、マチュは請け負う。
「マルセルもそれでいいですね?」
「あー、祖父ちゃんが相手か。分かった、いいぜ。」
ということで、その日はマチュがマルセルに剣術の指南をすることが決まった。マルセルは4兄弟で唯一の常識人である。マチュも立派な教育者であり、人格者だ。2人の相性の良さを考えての、エルの差配である。長年騎士団長を務めてるエルには、こういった人を見る目は、備わっている。
エルは、オッティの方を向き、
「オッティ、今日は、モカとリルの練習に付き合ってあげて下さい。勉強熱心なのもいいことですが、たまには妹の面倒を見ても、罰は当たりませんよ。」
「はい、父様。分かりました。」
「モカもリルも、それでいいですね?」
と、その日だけ、マルセルの代わりにオッティが双子の魔法の練習を見ることに決めてしまった。モカは、
「うん、うん。パパ、分かった。お兄ちゃん、お兄ちゃん、よろしくね、ね。」
と、オッティといられて嬉しそうだ。リルは無言でうなづいたが、内心は複雑だ。オッティが一緒だと、モカはオッティばかり見てしまう。モカが自分のことを見てくれないのはいやだが、逆に、オッティのいる前で自分の実力を示すチャンスでもある。悩んだ末、リルは今日のことを前向きにとらえることにした。
モカとリルが朝食の片づけを手伝い、その後、自室からウェラヌスを持って裏庭まで出てくると、マチュとマルセルは、既に準備運動を始めていた。そして、タイミングを計ったかのようにちょうどその時オッティが縁側に現れた。
「まず、2人のこれまでの練習の成果を確認したいので、それぞれ自分の一番の魔法を使ってみて下さい。」
「うん、うん。お兄ちゃん、一番の魔法だねだね。」
「・・・わかった。」
双子は、それぞれウェラヌスを構え、先端の魔力結晶に、魔力を集中させる。すると、
「ストップです、リル。」
と、オッティがリルを制止した。リルは魔法を中断する。
「その魔法は、さすがに、家の庭で使うには、強力すぎます。まあ、リルの練習が、僕の想像以上に順調に進んでいるのは、分かりました。」
多分褒められたのだろう、リルはいい気分になった。止められていないが、モカも魔法を中断し、話題に入ってきた。
「え、え、強力すぎる魔法?リル、何しようとしたの?の?」
リルが答える前に、オッティが説明した。
「あれは、上級以上の魔法でしたね。」
「上級魔法、上級魔法!リルリル、すごい。そんなのまでもう覚えてたんだ、んだ。」
リルは、モカにも褒められてさらに得意になっている。ただ、疑問も湧いた。
「・・・おにいちゃん・・・なんで、わたしの、まほうのしゅるい・・・わかったの?」
「種類までは分かりません。魔力の流れから、推測しただけです。」
「・・・おにいちゃん・・・まな、みえるの?」
「ええ、見えますよ。」
リルには、他人の魔力など見えたことがない。自分の中の魔力の流れを感じられるだけだ。
「魔力、魔力が見えるって、お兄ちゃん、すごい、すごい。」
本当にすごい。りるは、やっぱりおにいちゃんはとくべつだと思った。
「2人の、練習が順調に進んでいるのは分かりました。その調子で練習を続けて下さい。」
「うん、うん、頑張っちゃう、頑張っちゃうよ。」
リルは無言でうなづいた。すると、オッティは押し黙って、何事か考え事をはじめてしまった。リルとモカは、いつも通りの練習に戻った。ただ、リルは、言葉にはしなかったが、
(わたしがやろうとしてたまほうは、じょうきゅうまほうじゃなくて、せんじゅつきゅうまほうの、「ぼるかにっく・さんだー」だったんだけど。)
と、モカの過小評価が、ほんの少しだけ不満だった。「火山雷」は、地属性と雷属性の複合戦術級魔法で、無軌道な雷撃を発生させ、広範囲の対象を敵味方無差別に攻撃する危険な魔法だ。威力も「落雷」を上回る。
その日の夕方、エルたちが帰宅すると、午前中の練習の話題になった。
「父様、マルセルの出来はいかがでしたか。」
「ふむ、とても筋が良い。あれは、わたしの教え子の中でも十指に入る素質の持ち主だ。恵まれた体格に、両手剣という得物の選択もセンスを感じる。」
マチュの教え子は数多い。またマチュはとても厳しい鬼教官として知られていた。その彼がここまで褒めるのだから、マルセルの実力は本物なのだろう。当のマルセルは、ソファに座って舟を漕いでいたため、聞いてはいなかったが。
「オッティ、モカとリルは、どうでしたか?」
「二人とも順調でしたよ。リルに限っては、少しやりすぎかも知れません。」
オッティは午前の一幕を、オブラートに包んで、エルに報告した。
「リルは、魔法騎士志望ですからね、やりすぎくらいで、丁度いいと思いますよ。」
とエルは呑気なものだ。
「ねえ、パパ、パパ、私は?私は?」
「オッティが順調とまで言うのです。その調子で続けて下さい。」
という調子で、モカとエルが話している間、リルはオッティからやりすぎとの評価をもらったことを密かに喜んでいた。相変わらず表情には出ないが。