表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
不死なる竜と使い魔の物語 改訂版  作者: きどころしんさく
2/40

こわいゆめ

     第2話 こわいゆめ


 厳しく寒い冬を越え、芽吹きの春を過ぎ、短い夏を惜しみつつ、再び実りの秋が巡ってくる。

 西方暦2683年。リッリッサ(リル)・アウレリウスとモカイッサ(モカ)の双子の姉妹が魔法の練習を始めて、丸1年が過ぎるころには、2人の実力差は、いよいよ顕著になっていた。モカは、一通りの普及魔法を習得して、中級魔法を習い始めていた。今まさに、アウレリウス邸の裏庭にある簡易な標的に、右手に練習用の杖を構えたモカが「炎の玉(ファイア・ボール)」の魔法を命中させたところである。「炎の玉」は、「炎の矢(ファイア・ボルト)」よりも広範囲の敵を一度に攻撃できる火属性の中級魔法だ。

「できたできた。ねぇねぇ、お兄ちゃん、すごい?すごい?」

爆音が轟くのを聞きながら、モカは、指導役を務める長兄のオルティヌス(オッティ)に成果を報告した。とても自慢げだ。オッティは、モカの頭を優しくなでながら、

「ええ。すごいです。この1年の練習の成果ですね。」

 一方のリルは、未だ普及魔法の練習で足踏みしていた。「炎の矢」や「解毒(デポイズン)」などの使用頻度の高い魔法は習得しつつあるが、なにせ普及魔法だけでも両手の指に余るほどの種類が存在するうえに、9つもの属性に分かれているのである。5歳児がたった1年で覚えろというのも無茶な話なのであるが、その理屈はリルには通用しない。騎士の中の騎士(ナイト・オブ・ナイツ)の子であり、なにより、同時期に魔法を習い始めた双子の姉という比較対象がすぐ側にいる。この状況で、うまくできない自分にいら立つなというのは、6歳になったばかりの子供には酷なことであった。ただ、感情を表に出すのが下手なリルは、ただ黙々と練習に励む以外、できることがなかった。


 秋も深まり、肌を刺す風の冷たさが身に染みるころ、アウレリウス家の食卓では、オッティの将来、といっても半年後のことだが、の話題になった。父のエルヌスは、食事の手を止めて、オッティに尋ねた。

「あなたも春には学園に入学する年です。やはり騎士学科にするのですか。」

家族の中では、オッティが剣や魔法に傾倒しているのは、周知の事実だ。その動機が、魔獣狩りという彼の独特な趣味にあることも含めて。

「はい、父様。騎士学科に入学し、将来的には魔法騎士(マジックナイト)を目指します。」

オッティから返ってきたのは、期待通りというか予想通りの返答だ。

 実はオストニアには、9歳から12歳までの3年間、義務教育期間がある。その間に、読み書き算盤だけでなく、初歩的な武術や魔法も教え込まれる。オストニア人の大人なら、普及魔法程度は使えるのが当然だ。

 このような、被支配階級である平民、とりわけ農奴に対し、戦う術を教えることに対しては、当初、支配階級である貴族から少なからず抵抗があった。しかしながら、国内に無数の魔獣を抱えるオストニアにあって、小型魔獣の出現に対してまで、貴族領の守護騎士団が出ていかないとなると、大変な手間である。現実的には、農村部に現れた中小型魔獣に対しては、村人が武器を持って対抗した方が、はるかに効率がいい。それが義務教育制度を採用した理由である。

 この意図は、果たして、目論見通りうまくいき、各地の守護騎士団の負担は激減した。のみならず、この義務教育制度は、オストニア人の国民意識を醸成した。オストニアは、多数の貴族領に分割され、国王直轄地以外では、当地の領法が優先適用される中世的な国家である。領主が違えば、裁判の結果も課される地代も異なる。守護騎士団も、各貴族領ごとに組織される。そういった環境で、被支配階級の人々が「国民」であることを意識するのは難しい。義務教育がそれを可能にしたのである。

 そして、国民意識が醸成されると、これを媒介に、貴族と平民との間にある種の信頼が生まれる。平民は、地代その他租税を課される代わりに、貴族は、守護騎士団を率いて領民を守る、ということが、当然のこととして受け入れられる。このことが、オストニアを過酷な環境の中で生き永らえさせた所以であった。

 ところでエカテリンブルの街にある王立魔法騎士学園は、義務教育年齢の子供が通う初等部、それよりもやや高度な教育を求める12歳から15歳の子女のための中等部、成人(オストニアでは15歳以上が成人と扱われる。)した者に、より専門的な教育を行う高等部に分かれている。高等部はその名の由来となった魔法騎士学科と飛空船学科からなり、その道では、オストニア国内最高峰の教育が施される。さらに特徴的なのは、将来の専門を見据えて、初等部の時点から複数の学科に分かれており、早い時期から専門教育が受けられる点である。件の騎士学科というのもそうした学科の一つであり、初等部の時点から、騎士になることを意識して、通常の義務教育学校よりもやや高度な武術や魔法の教育が施される。

 話をアウレリウス家の食卓に戻そう。オッティは、現在8歳だが、来春の入学式直前に9歳になる。そこでこの話題だ。

 彼は、自他ともに認めるカワイイ男の娘である。そこだけ見ると到底荒事を生業とする騎士に向いているとは言えないが、彼の魔法の才能は、騎士の中の騎士と称される彼の父以上かもしれないとまでアウレリウス家では考えられていた。そもそも騎士の中の騎士であるエルからして、外見は10代の少女と見間違えられることもある。小柄で華奢という身体的ハンデは、彼らの魔法力でどうとでも解決可能な問題なのだ。オッティは続ける。

「魔法騎士になれば、前線に出る機会も増えるはずです。そしたら、まだ見ぬ超級魔獣さんと遊ぶ機会にも恵まれようというものです。ああ、今から想像しても胸が高鳴ります。」

と、花の咲くような笑顔で、顔を顔を赤らめる。彼が騎士になりたという動機は、結局魔獣狩りという趣味にある。使命感とか、名誉欲とか、単純な子供らしい魔導従士(マジカルスレイブ)への憧れとか、普通の動機でないところが彼らしいというか、アウレリウス家の人間らしい。

「私はね、私はね、魔法鍛冶師(マジック・スミス)になってねぇねぇ、お兄ちゃんのために最強の魔導従士を作るの、の。」

と、モカが、聞かれてもいないのに、この話題に突然割り込んだ。魔法鍛冶師とは、魔導従士の開発、生産、整備を専門とする鍛冶師のことである。

「なるほど、まだ先の話ですが、モカは鍛冶師学科志望ということですね。

 ただ、最強の魔導従士作りは、そう簡単ではありませんよ。なにせ僕たち銀嶺騎士団が手塩にかけて開発した『ダモクレス』がありますから、最強を名乗るには、ダモクレス以上の傑作機を作らねばなりません。」

と、エルが6歳児に対して大人げない返しをしている。ダモクレスとは、エルが若かりしころ(まだ学園の学生だった!!)、彼が達成した数々の勲功に報いる形で、当時の国王から賜与された高出力の魔力(マナ)転換炉を用いて銀嶺騎士団で開発された魔導従士である。史上初の双発機でもあり、開発当初の数字で、オストニアの現正式量産型魔導従士「スコピエス」の8倍ともいわれる最大出力を誇っていた。その反面、非常に扱いづらい機体でもあり、実質的に動かせるのはエルだけとも言われている。しかも、開発後、数多の激戦を潜り抜ける中で改良が施され、現在はさらに強力な機体となっている。

「でもでも、私はパパに子供のころからいっぱい魔導従士のこと教えてもらってたもん、もん。ダモクレスより強い魔導従士だって、作れるんだからから。」

モカは、父の大人げない対応に、理屈の伴わない子供の言い分で対抗した。

「結局両方ともうちの国のモンになるんだから、どっちが最強とか関係なくね?」

「うーん、僕は、あまり強い魔導従士だと、魔獣さんとの遊び甲斐がないので、普通でいいんですが。」

と、モカの兄2人は、空気の読めない発言をしている。これが魔導従士狂いのエルとモカに火を着けてしまった。ここから、オッティとマルセルスは、

「君たちは本気で言っているのですか?だとしたら再教育が必要ですね。」

「お兄ちゃんもちい兄も、全然、全然分かってないない。」

と、強力な魔導従士がいかに素晴らしいかをステレオで聞かされることとなる。エルの父、マチアス(マチュ)は、また始まったとばかりに、あきれ顔である。エルの母、ティナイッサ(ティナ)と妻、マルガリッサ(マギー)は、さすがは母の余裕か、ニコニコしながら4人のやり取りを見守っていた。その実、マギーは、カワイイ夫と子供たちのやり取りを楽しんでいるだけだったりする。

 このやり取りを他とは違う心持ちで聞いている人物がいた。リルである。

(なんでおねえちゃんは、さいきょうのまじかるすれいぶを、わたしじゃなくて、おにいちゃんのためにつくるの?いつもおねえちゃんといっしょにいるのは、わたしなのに、わたしじゃだめなの?)

リルは、姉のモカのことが大好きだ。多分生まれた時から大好きだ。生まれた時から一緒に育って、そしてこれからも一緒にいるのが当然と考えていた。だから、モカの夢がダモクレスをも上回る最強の魔導従士開発であることも知っていたし、その魔導従士には、当然自分が乗るものと思っていた。だから、先ほどモカの目標を聞かされて、言葉にできないほどショックを受けた。同時に、魔法の実力でも姉に水を空けられつつある自分の不甲斐なさが悔しかった。ただ、この時まだ幼かったリルには、今感じた長兄に対する感情が、嫉妬と呼ばれるものであることは、理解できなかった。そんな考えにとらわれ、家族の会話を聞き流していると、突然、

「今日のところはこれくらいにしておきましょう。ところでリルは、将来の夢とかあるのですか?」

と、父から質問された。エルとしては、話題に入れないことが多いリルに気を使ったのだろうが、リルは話題が自分に向いたことに驚き、

「・・・まじっくないと。」

としか、答えられなかった。

 なにかモヤモヤしたものを抱えながら、リルはその晩を過ごし、いつもの時間に床に就いたのだった。


 暗い。前も後ろも、右も左も、上も下も真っ黒な闇に覆われた空間。リルはそこに立っていた。立てるのだから地面はあるのだろう。他には誰もいない。ただ、目の前にある、初めて見る異物だけが、この闇の世界の例外だった。その異物は、リルの知識にはなかったが、立棺、あるいは「鋼鉄の処女」と呼ばれる拷問具のような外見をしていた。

 怖い。1人は怖い。暗いのも怖い。でも目の前にあるものがなにかは知りたい。そう思っていると、その立棺から声が聞こえてきた。棺の観音開きの扉が閉まっているので、声はくぐもって少し聞き取りづらい。

「・・・やっときづいた。・・・まってた。」

 だれが?だれを?いつから?なんで?そもそもここはどこ?様々な疑問がリルの頭の中を渦巻く。ただ、それ以上に気になるのは、声の響きに対する違和感、扉越しではっきりしないが、なぜか聞き覚えがある。リルは、声の違和感は後回しにして疑問をひとつづつ片付けることにした。

「・・・あなたは、だれ?・・・そのはこのなかに、いるの?」

「・・・うん。・・・わたしは、あくま。」

どうやら本当に棺の中に誰かいるらしい。しかし悪魔とは。今よりもっと幼かったころ、お祖母ちゃんが読み聞かせてくれた絵本に出てきた気がする。たしか「わるいひと」だった。それ以上は、覚えていない。

「・・・あくまって、なに?」

だからリルは「あくま」に直接尋ねた。

「・・・あくまは、せかいの、ことわり。・・・ちえあるものに、ことばをさずけ・・・まほうを、おしえた。」

意味が分からない。この疑問はとりあえず後回しにする。

「・・・いつから、まってたの?」

「・・・あなたが、わたしの、ちからをもとめたときから。」

心当たりがない。ただ、自分にもっと実力があったら、それこそお兄ちゃんにも負けないくらいの力があったらと常々思っていたのは事実だ。

「・・・ここ、どこ?」

「・・・あなたの、ゆめのなか。」

「・・・じゃあ、わたしは・・・いま、ねてるの?」

「・・・うん。」

なんとなく悪魔が棺の中でうなづいたのが分かった。

「・・・どうしたら、ここからでられる?」

「・・・あなたが、めをさませば・・・このゆめは、おわる。」

閉じ込められたわけではないらしい。悪魔の言葉を信じれば、だが。

「・・・どうして、わたしを、まってたの?」

「・・・けいやく、するため。」

「・・・けいやくって、なに?」

新たな疑問がわく。リルは、それを素直に悪魔にぶつけた。

「・・・ただうばわない。ただあたえない。それがあくまのきまり。・・・けいやくは、おたがいあたえ、もらうための、やくそく。」

これはなんとなく分かった。悪魔にもルールがあるらしい。

「・・・なんで、わたし?」

ただ契約するにも、もっと相応しい相手がいるのでは、とリルは思った。だから、これも悪魔に直接尋ねてみた。

「・・・あなたが、わたしのちから、もとめたから。」

重ねて心当たりがない。ただ、お兄ちゃんやお姉ちゃんのような強い人は、あくまのちからなど求めないだろう。

「・・・あなたは、わたしの、なにがほしいの?」

「・・・あなたの、だいじなもの。」

漠然としすぎた答えだ。この時、だいじなものと聞いてリルの頭をよぎったのは、モカの顔だった。すると悪魔が、

「・・・あんしんして。・・・わたしは、あなたいがいのひとから・・・なにかもらったりしない。」

と、こちらの頭の中を覗き見たようなことを言ってきた。気持ち悪いが、リル以外の誰かが悪魔との取引材料にされないのは、確かに安心材料だ。

「・・・じゃあ、けっきょく・・・だいじなものって、なに?」

「・・・それは、まだきめられない。・・・わたしは、あなたが、もとめるちからに、つりあうものをもらうから。」

つまり、リルの要求を明示しないとその対価も分からないということらしい。

「・・・もし、おにいちゃんに、まけないちからが、あったら・・・おねえちゃんは、わたしのこと・・・みてくれる?」

リルの問いに対し、少しの間沈黙が流れる。そして突然、棺の中で、悪魔がクスッと嗤った気がした。

「あなたが求める力の水準は、分かった。」

悪魔の口調が突然変わった。


「・・・こたえて。」

「大丈夫、あなたのお姉さんは、あなたのことを見てる。」

悪魔から返ってきた答えを、リルは肯定と受け取った。幼いリルにとって姉のモカとの関係こそが全てに優先する。正直、それ以外は二の次三の次だ。

「・・・わたしが、おにいちゃんに、まけないくらいの、ちからをもらうには・・・あなたに、なにを、あげればいい?」

モカに振り向いてもらえるなら、リルが差し出せる物などいくらでも差し出す。

「あなたの願いは分不相応。だから、あなたの人生と引き換えに、わたしの力を全てあげる。」

「・・・え?」

ぶんふそうおう、リルには意味が分からなかった。それに人生と引き換えとはどういうことか。リルの疑問を知悉しているかのように、悪魔は続ける。

「わたしとあなた、2つの精神が一体化して一つの人生を共有するの。別にあなたが消えてなくなってしまうわけではないから大丈夫。」

この段階で、リルが選べる選択肢は、「おねえちゃんにふりむいてもらえるかわりにあくまといったいかする」と「このままおねえちゃんにみむきもされない」の2つになっていた。そう考えると悪い取引ではない。悪魔と一体化しても今の自分も残り続けるなら、これからも姉と過ごせるということである。果たしてリルの心は決まった。決まってしまった。

「・・・けいやく、する。」

「クスッ。契約成立。もう、あともどりは、できないけど・・・けいやくのあかしに、このこのとびらをひらいて。・・・あなたからみて、みぎがわの、とびらのかぎを、あけたから。」

リルは、悪魔に言われるがままに、棺の右の扉を開く。しかし、棺の中は真っ暗で何も見えない。

「・・・これで、わたしはあなた。・・・あなたは、わたしのちからの、いちぶを・・・つかえるようになる。」

扉が開いたことで、悪魔の声がはっきり聞こえるようになった。そしてそこから感じる違和感。

「・・・いちぶ?・・・ぜんぶじゃないの?」

「・・・あなたは、まだちいさい。・・・わたしのちからを、ぜんぶは、うけいれられない。」

聞いたことがある、などという次元の話ではない。

「・・・これから、あなたが、せいちょうするにつれて・・・だんだん、わたしのちからが、かいほうされる。」

小さな声で、たどたどしくどもりがちな喋り方まで完全に同じだ。

「・・・わたしのちからが、かんぜんに、かいほうされたとき・・・わたしとあなたは、ほんとのいみで、ひとつになる。」

悪魔は、リルの声で喋っていた。

「・・・まだ、すこしだけ、じかんがある。・・・なにか、きいとくこと、ある?」

リルは、悪魔に質問するようなことが思い浮かばなかった。しばらくの沈黙が闇の世界を支配する。

「・・・ざんねん。・・・じかんぎれ。」

悪魔の口調は、いつの間にか元に戻っていた。


 リルの朝は早い。リルに限らず、この世界の人々は、我々に比べて早寝早起きだ。夜明かりをとる蝋燭や油も安くはない。ならば太陽の出ている時間を無駄にしないのが合理的だからである。

 まだ夜の明けきらない時間帯、目を覚ましたリルが決まってすることは、同じベッドで寝ているモカを起こすことである。

「・・・おねちゃん。・・・おきて。」

「ん〜。もうあさ?」

モカの体をゆすりながら起こすと、寝ぼけた反応が返ってきた。モカは上体を起こすと、

「リルリル、おはよう、おはよう。」

と、朝のあいさつ。モカの口癖の繰り返し言葉が出たら、それが完全覚醒のサインだ。モカもリルほどではないが、寝起きはいい。

 モカとリルは、起床すると、寝間着を脱ぎ、体をさっとぬぐって、いつもの黒ロリファッションに着替える。これがいつものルーティンなのだが、今日は、珍しくリルが話始めた。

「・・・こわいゆめ・・・みた。」

「夢?夢ってどんな夢?」

モカが聞き返す。しかし、リルの返答は、

「・・・おぼえてない。・・・でも、こわかった。」

と、要領を得ない。

「ん〜、覚えてないような夢なら大したことないない。気にしない、気にしないё」

それでもリルは不安だったが、頭を振って、着替えを再開した。

 着替え終わると、2人の寝室がある2階から階段を下りて、1階の台所に行く。台所では、いつも祖母のティナが朝食の支度を始めていて、

「おはよう、モカ、リル。」

「お祖母ちゃん、お祖母ちゃん、おはよう、おはよう。」

「・・・おはよう。」

と、朝のあいさつをする。そのまま勝手口から外に出て、すぐそばにある井戸で水を汲み、顔を洗う。朝の寒さがピリッと肌を刺す季節、井戸水で顔を洗うのは気持ちがいい。

 ちなみに、オストニアは巨壁山脈の山麓にあって地下水は豊富だが、街の広さを有効利用するため、共同井戸が一般的だ。アウレリウス家のように、平民ながら自宅に専用井戸があるのは、珍しい。

 モカとリルは、顔を洗うと台所にある桶いっぱいに水を汲んでおく。この世界でも水汲みは、子供の仕事だ。水汲みをを終えると、ティナに、

「お祖母ちゃん、お祖母ちゃん、お手伝いすることある?ある?」

と、モカが聞き、対してティナは、

「じゃあ、エルとマギーちゃんを起こしてきてちょうだい。」

と、応じるのもいつものことだ。祖母に言われた通り、両親を起こしに向かう途中、1階の廊下で、バリエーション豊富な男の娘スタイルできめたオッティと、まだ眠そうなマルセルにすれ違う。

「お兄ちゃん、ちい兄、おはよう、おはよう。」

「おはようございます、モカ。今日も元気ですね。リルもおはようございます。」

「ふぁ〜、おはよう。」

「・・・おはよう。」

4兄弟は、あいさつも四者四様だ。

 てとてととかわいい足音を立てながら落ち着かない足取りで階段を上るモカについて、2階にある両親の寝室に着くと、モカはドアをノックしてから、返事も待たずに部屋の中に入ってしまう。リルは、一応父の声で「どうぞ」と返答があるまで待って、モカを追いかけるのだ。

 両親の部屋はそこそこ広く、入って右手に、マギーが使うドレッサー、エルが使う書き物机と可変式の大きな書架があり、左手には、大きなベッドがある。リルたちが起こしに来るころには、エルは目覚めているが、マギーが抱き枕の刑を執行中であり起き上がれない。

「おはようございます、二人とも。」

「パパ、パパ、おはよう、おはよう。」

「・・・おはよう。」

エルは、マギーに抱き着かれて寝た体勢のまま双子にあいさつをする。

「ママ、ママ、起きて、起きて。」

「マギー、いい加減起きて下さい。」

エルとモカが協力してマギーの体をゆすって起こそうとすると、

「ん、あと3じかん。」

と、寝惚けた反応が返ってくる。リルも加わって、いよいよ強引にマギーを引っ張り起こすと、朝が弱いマギーもさすがに目覚めて、

「もうちょっとエル君を堪能したかったよう。」

とのたまうのだ。それから双子と朝のあいさつを交わし、

「支度ができたら下に行くから、先に行ってて。」

と、身支度を整え始める。モカとリルは、それを確認してから、また階段を下りて、1階の居間に向かう。

 下りてくると、居間のソファで、マルセルがうとうとしている。窓越しに、裏庭をみると、祖父のマチュが、素振り用に重く作った木剣を振っている。マチュは、若かりしころ、近衛騎士団の団員で、代々教育者の家系だったアウレリウス家に婿入りしたのをきっかけに、近衛騎士を辞めて、王立魔法騎士学園の戦闘実技教官になった過去がある。騎士の中の騎士と呼ばれるエルほどではないにしろ、彼もまたひとかどの武人なのだ。現在は学園の副学長の職にあり、事務仕事が多いポストではあるが、武人の誇りとして朝の鍛錬は欠かさない。最近下腹が出てきたのが悩みらしい。

 素振りをするマチュの横で、オッティが丸太で作った簡易な標的相手に投げナイフの練習をしている。オッティが愛用する魔獣の革製の剣帯は特別製で、ダガーナイフと呼ばれる刃体の両側に刃のついた刺突に優れる短剣を、6本差すことができる。リルは、オッティが投げたナイフが標的から外れるところを見たことがない。

 エルとマギーが身支度を整えるのを待つ時間、モカは、台所で朝食の支度をするティナの姿をじっと見ている。いつも落ち着きがないモカが黙ってじっとしているのは、起きている時間ではこの時くらいだ。リルは、モカの真剣な横顔をいつも観察している。

 若い夫婦が、支度を終えて食卓に来るころ、ちょうど朝食の支度が整う。というか、ティナがタイミングを見計らっているのだ。食卓に並ぶのは、灰色がかった固くモソモソした食感のパンと、塩味の野菜スープ、意外に質素である。パンがモソモソするのは、小麦粉にそれなりの割合でふすまが混ざっているからだ。リルは、パンに木苺のジャムを塗って食べることが多い。モカの真似だ。オッティのパンだけは、魔獣の干し肉がサンドウィッチになっている。マルセルは、パンをスープに浸して食べる。甘いものが得意ではないらしい。大人たちは、オレンジに似た柑橘系の果物のマーマレードを好んで食べる。この果物は、シバリス平原南部で栽培されている。

 食卓に肉類が少ないのは、魔獣の縄張りが国土の大半を占めるオストニアにおいては、家畜を放牧できるような広い土地がほとんどないのが理由である。オストニアで肉類といったら、鶏のような広い土地がなくても飼育できる家禽類がほとんどで、それすらも、庶民にとってはハレの日のご馳走である。そう考えると、オッティが狩ってきた魔獣の肉が、ほぼ毎日食卓に並ぶアウレリウス家は、食の面でも恵まれている。真似したい、というか真似できる者は皆無だろうが。実は、モカとリルが好む木苺のジャムも、オッティが狩りのついでに取ってきた実を、ティナが煮詰めて作った自家製のものである。

 朝食を終えると、エルとマギーは揃って銀嶺騎士団のスベルドロ砦に出勤していく。そのすぐ後に、マチュも学園に出勤するので、家に残るのは、ティナと子供たちだけになる。アウレリウス家の朝は大体こんな感じだ。


 その日の午前中のこと、縁側に腰かけたオッティに見守られながら、下3人の弟妹たちは、それぞれの訓練をこなしていた。

 マルセルは、ブロードソードという身幅の広い剣を、両手で持って、素振りをしていた。本来は片手剣だが、体格に恵まれているといっても7歳の子供、大人用の武器を片手で扱うのはまだ無理だ。ちなみに、アウレリウス家では、7歳になると剣の稽古を始める。これもオッティが1年ほど前、

「父様が、7歳から、剣の稽古を始めたのですから、僕もしたいです。」

と、言い出したのがきっかけだ。

 マルセルは遊びに行きたそうな様子で、稽古に身が入っていない。オッティの檄が飛ぶ。

「マルセル、真面目にやってください。」

「でもよ、兄貴、ジャイと遊びに行く約束があるんだよ。稽古は明日でもいいだろ、剣は逃げていかないんだし。」

ジャイというのは、ジャイユスという、近所の悪ガキのリーダー、いわゆるガキ大将である。学年はオッティと同じで現在9歳だが、マルセルはケンカが強いという理由で、彼から一目置かれている。苗字はない。オストニアでは、平民で苗字を名乗れるのは、領主の許しを得た家だけである。

「だめです。剣の道は一日にしてならず。毎日続けることに意義かあるのです。今日の稽古が終わるまで、遊びには行かせませんからね。」

「そういう兄貴はどうなんだよ。何もしてねえじゃん。」

マルセルは自分のことを棚上げして、オッティに食ってかかる。

「僕は、朝食前の時間に、今日の稽古のメニューは済ませています。サボっているわけではありません。」

それを言われると、ぐうの音もでない。マルセルは諦めて稽古に集中することにした。その方が早く解放されて、遊びにいける。

 剣の稽古のメニューを考えているのは、元戦闘実技教官のマチュである。マチュは、主に高等部で、剣などの戦技を教えていたので、7歳の少年には厳しい。それでも非常識の塊であるエルが考えるメニューよりはマシであった。

 モカとリルは、引き続き魔法の練習だ。モカが昨日までの復習をしている間に、リルは、次々と各属性の普及魔法を成功させていた。

「知らぬ間に、随分上達しましたね。これなら、そろそろ中級魔法の練習に入っても大丈夫でしょう。」

と、オッティは、あくまで冷静に、リルを指導しようとした。しかしリルは、オッティの指導を待たず、

「ん。」

と、庭の簡易標的に「炎の玉」の魔法を炸裂させた。

爆炎が舞い散る中、オッティは、

「『炎の玉』、もう教えましたか?」

と、リルの行動に疑問を抱いたらしい。でもリルには、疑問の理由が分からない。このくらい出来て当然だと思ったからだ。その後も、次々に「雷光の矢(ライトニング・ボルト)」や「落とし穴(ブライヤー・ピット)」など各属性の中級魔法を成功させるリルに、モカは、

「リルリル、すごいすごい。」

と、歓声をあげている。オッティは何か思い当たることがあるのか、その場で考え込んでしまった。リルは、姉に褒められて上機嫌だが、相変わらず感情表現が下手で、いつもの無表情のままだ。

「お兄ちゃん、お兄ちゃん、私にも、もっと魔法教えて、教えて。」

「ああ、そうですね。モカもリルに負けないように、頑張らないといけませんね。」

と、我に帰ったオッティは、モカへの指導を始めた。


 オストニアの暦は、この世界における太陽暦である。1年で最も日の短い冬至の翌日が、正月朔日であり、12ヶ月、3の倍数の月は31日、その他の月は30日の364日で1年である。冬至には、墓参りをする習慣がある。葬送は火葬が一般的で、遺骨は、地下納骨堂に納められる。西方諸国では土葬が一般的なのだが、オストニアで火葬の習慣ができたのは、限られた人間の活動領域を墓地として使うのが難しいという、切実な問題からである。

 西方暦2683年大晦日、標高1000メートルを超える高地にあるエカテリンブルの、平野部の比ではない冬の寒さに中、アウレリウス一家も、先祖代々の遺骨が納められている納骨堂にお参りした。現当主であるティナは、両親の遺骨に手を合わせた。他の一同もそれに倣う。ただ、じっとしているのが苦手なモカだけは、きょろきょろしていた。

 ティナの父、リルたちからみれば曽祖父にあたる人物は、学園の学長まで務めた教育者だったと同時に、亡き先代国王の学友でもあった。エルが先王から特別目をかけられ、騎士団長にまで任ぜられたのは、そういった人間関係も無関係ではないだろう。

 地下納骨堂は当然ながら暗い上に、死者が眠る場所というイメージから、独特の不気味な雰囲気がある。お参りが終わった時である。

「・・・なんか・・・ここ、こわい。」

リルが突然言い出した。

「あれ、あれ、どうしたの?どうしたの?」

「そうですね。去年まではそんなこと言いませんでしたよね。」

大晦日の墓参は、年中行事である。リルにとっては赤ん坊の時も含めれば7度目である。今になって突然怖いなどと言い出すのは、確かに不自然だ。リル自身もそのことは認識している。ただ、今年に限っては、理由は分からないが、恐怖を感じる。リルの様子がおかしいため、一家は早々に地下納骨堂を退散した。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ