黒竜襲来
第15話 黒竜襲来
1
西方歴2693年春。人間のリッリッサ・アウレリウスがいなくなってから半年が経とうとしていた。
まだ春は名のみの3月1日。銀嶺騎士団に、新人騎士が入団してきた。第3、第4中隊に合わせて3名の欠員が出たため、その補充だ。
スベルドロ砦の屋内練兵場に整列させられた、3人の新人は、出迎えに現れた相手に困惑していた。2人組だが、そのうち1人があまり騎士らしくないのだ。
騎士らしい出で立ちの中年男の方が口を開いた。銀嶺騎士団第3中隊長カークス・ヴァリユスである。
「各中隊との顔合わせの前に、お前たちの実力を見る。この小娘もどきと戦ってもらう。時間は30秒。」
「あの、カーク隊長。小娘もどきとは僕のことでしょうか?」
「他に誰がいる。」
小娘もどきこと第0分隊長オルティヌスが、困惑の表情を浮かべた。
「小さいことは認めますし、性別を間違えられるのも慣れているのですが、さすがにもどきは、ちょっと。」
「男として扱われたければ、男らしくしろ。」
その後行われた新人とオッティとの模擬戦では、新人たちは全員8回「死亡」と判定され、各中隊との顔合わせの前に、スベルドロ砦の外周を8周させられることになった。銀嶺騎士団流の新人「歓迎」である。
新人歓迎の役割を終えたオッティを悪魔のリルが無言で出迎えた。
「戻りましたよ、リル。あなたは相変わらずモカの観察ですか?」
直前までリルが目線を向けていた先で双子の姉のモカイッサが、ガシャガシャ音を立てせわしなく動き回っている。試作機の完成が間近なのだ。リルは本来第0分隊員として、オッティの仕事の補佐をしなければならないが、残念ながら今オッティが取り組んでいる研究が難しすぎて、手伝えることがないのだ。
「オッティ、終わりましたか。」
そこへ、騎士団長にして4兄弟の父であるエルヌスが、声を掛けた。
「試作機の方はそろそろ大詰めですね。完成したら、君たち第0分隊には、試験を担当してもらいますから、その間は研究の方は中断して下さい。それと、僕は明日、国王陛下の呼び出しで王都に行きますから、そのつもりでいて下さい。」
「分かりました、父様。」
リルも無言でうなづく。
「マギー、僕が不在の間、砦の指揮は任せます。オッティが仕事をサボっていないかちゃんと見張っていて下さい。」
「はーい。」
団長補佐で4兄弟の母でもあるマルガリッサが、気の抜けた返事をした。ちなみにこの中で一番まともに仕事をしていないのがマギーである。
「お呼びに応え参上いたしました、陛下。」
翌日、エルは王城ウラジオ城の会議室で、国王ハベス1世と面会していた。
「ご苦労。今日貴様を呼び出したのは、銀嶺の今後についてだ。」
国王の目は未来を見据えているようである。
「私が王権の強化を図り、貴族どもを国王が支配する国を作ろうとしていることは、抜け目のない貴様ならすでに理解していよう。将来的には貴族の私兵である各守護騎士団もすべて王国騎士団として統合することを考えている。」
この会議室では国王とエルの様々な密談が交わされてきたが、国王の方から爆弾が投下されたのは珍しい。ただ、エルは、国王の野望を薄々感じてはいたので驚きはなかった。
「その上で新たな王国騎士団の指揮系統を考えたとき、現在王国直属の銀嶺騎士団の在り方が模範となろう。ただ、貴様らに任せていることは多岐に渡りすぎている。」
「そこで役割分担を明確化して、指揮系統を整理するわけですか。」
「相変わらず先を読むに長けたことだ。その通りよ。それに加えて戦力の拡充も同時に行う。手始めに銀嶺騎士団を魔法騎士30人と大隊長の合わせて31人の2個大隊へと拡充し、開発部門は、両大隊から切り離す。拡充に向けた人員の選抜は向こう1年で行い、来年の春には新体制で動き始められるよう手配せよ。」
今まで銀嶺騎士団が担ってきた役割は、大きく分けて開発と戦闘に分けられる。これを戦闘専門集団の2個大隊と開発チームに分けるというのが国王の決定だ。
「その際の人事は、これまで通り僕が担当するということでしょうか。」
「そうだ。父上の時代には、貴様らに期するものがあったのだろうが、新たな時代を迎えるに際して、いずれは開発部門をラボへ統合することも視野に入れている。貴様にとっては不満もあるだろうが、これが必要な措置であると理解してくれると幸いだな。」
「いえ、陛下の決定に不満はありません。謹んで拝命いたします。」
エルも自分の子供たちが騎士になる年頃になって心境の変化はあった。かつてのように、わがままのために騎士団を振り回す気はない。
「それと、銀嶺の古参団員はそろそろいい年になり始めている。私も譲位の準備を進めている時ではあるが、貴様らも次世代に続くことを考えるように。」
「心得ております。」
今回の決定で、銀嶺騎士団はかなり大掛かりな組織再編をすることになる。当然、騎士団長であるエルの仕事も増えるだろう。エルは覚悟を新たに、会議室を辞去した。
翌日、スベルドロ砦の会議室では、国王の決定とそれを受けた今後の方針を伝えるため、会議が招集された。出席者は騎士団長のエルと団長補佐のマギー、そして各隊の隊長たちである。
「というわけで、まず魔法騎士は現在の4個中隊から、大隊長含め31人編成の2個大隊になります。第1大隊長にはディオさん、第2大隊長にはエドさんについてもらうつもりです。第1、第3中隊は第1大隊に、第2、第4中隊は第2大隊に編入して、さらに足りない人員を採用しないといけませんね。」
「大隊長か、荷が重い気もするが引き受けよう。」
第1中隊長のディオゥス・パショヌスが、内示を受諾した。同じく第2中隊長のエドゥワルス・ブランクスも、
「われらが団長の差配だ。是非もない。」
と意欲を示す。
「エル君、ちょっとこんな場で悪いんだけど、」
第4中隊長のグラスィッサ・ケリユスが発言した。
「私は、騎士団再編を機に騎士をやめようと思うの。女だてらに長々やってきたけど、そろそろ潮時かなって。」
「そうですか、グレースさん。寂しくなりますね。逆にエドさんは覚悟を決めたということでしょうか。」
グレースの引退表明に、エルはその理由を慮ってエドに話を振った。
「敵わんな。」
エドは、あっさり認めた。
「それから鍛治師隊も3つに正式に分けて、第1大隊付属、第2大隊付属、開発部門に3分します。飛行大隊と第0分隊は今まで通りの運用になります。」
「おう、坊主。しかし、開発に残りたい奴らがもめそうだな。」
「大丈夫です、親方。そのときは、僕が仲裁に入りますから。」
「それが聞けりゃあ、安心だ。」
「質問も出尽くしたようですし、今日の会議はこれまでとします。あ、言い忘れていましたが、ディオさんとエドさんには、新人の選抜を手伝ってもらうことになりますから、そのつもりでいて下さい。」
「面倒な役目だね。カーク、君が代わりにやってくれないか。」
「そうは参りません。」
これにて会議は終了した。
2
エルと親方待望の試作機がついに完成した。
「過去の例もありますから、名前は正式採用を申請するときに付けましょう。」
試作機はスコピエスをベースにしていて、「騎士形態」という陸戦形態と、「鳥形態」という飛行形態に変形するのが最大の特徴だ。鳥形態時に翼になる部品は、騎士形態時には、可動式装甲として使用する。そのため防御力に優れるため、騎士形態時も盾を持たず、格闘武器二刀流又は、肩部砲と併せて魔法兵装4連装形態での運用が基本となる。鳥形態時にも格闘戦に対応できるように、変形後は後足になる脚部に、「トー・ブレード」と名付けられた、つま先から斜め上に飛び出た刃物と備えている。騎士形態時にも、トー・ブレードを用いた足技も使えるよう調整済みである。
試作機の試験騎士は、リルが務めることになった。指揮を執るのはオッティである。以前にエルから注意されたこともあり、試験項目を順番にこなしていくことになった。まず騎士形態での、歩行から。
「・・・あるいた。」
「はい、よくできました。背中が重いので、やや前のめりな姿勢になりますね。」
そのあと走行、格闘武器を持っての素振り、足技使用時のバランス確認と、試作機の陸戦型としての出来をチェックする試験が続く。
「・・・ふう。」
リルは、普段魔導従士を直接操縦しているため、通常の操縦方法が意外と難しいのに、苦労していた。一応この試験に備え、スコピエスで練習済みではあったが。
「蹴りを使うと片足立ちになるので、バランスをとるのが大変そうですね。その辺りは、父様が魔導演算機に用意した術式で何とかなるのでしょう。次は標的を用意しますから、実際に蹴りを当ててみてください。」
オッティがスコピエスで標的を演習場の所定の位置に配置する。標的と言っても丸太を立てただけの極めて簡素なものだったが。
「・・・ん。」
リルが試作機の右足で華麗な冗談回し蹴りを決める。丸太製の標的はトー・ブレードに切り裂かれ上部が宙を舞った。
「切れ味はいいですね。片足立ちでのバランスも問題なしと。リル、今日の試験はここまでです。機体をもとの位置に戻して下さい。」
「・・・へんけいは?」
「それはもうちょっと後ですね。試験項目を飛ばすとまた父様に怒られてしまいます。」
リルは言われた通り、試作機を片付けた。片膝をついた駐機姿勢をとらせ、魔力転換炉を休眠状態にしてから機外へ出た。
「お疲れさまでした。報告書は僕が仕上げますから、リルは帰りの時間まで休んでいていいですよ。」
そうオッティに言われたので、リルは、椅子に座って休んだ。そこにモカが寄ってきて、
「リルリル、どうだった、どうだった。」
と、試作機の出来を尋ねてきた。
「・・・おもい。」
「そかそか、スコピエス、スコピエスより部品、部品が多いもんね、ね。」
そうして、モカと喋っているうちに終業時間になった。
翌日も、騎士形態での基本的な動作の確認が続いた。リルは、てすと・ないと、いがいとたいくつ、と思った。
試験3日目にして、ようやく鳥形態への変形と飛行の試験が行われることになった。変形機構は極めて簡素だが、ジャンプの滞空中のわずかな時間に変形を終えて飛行に移れる利点がある。鳥形態の試作機が飛ぶ様は、地上から見上げると巨大な鳥が遊弋しているような優雅さがあった。しかし、コックピットの中では、
「・・・おそい。」
デモン・サーヴァントのスピードに慣れたリルには、試作機はほとんど空中で止まっているように感じられた。旋回半径も大きい。その上燃費も悪く、飛行時間も短い。
飛行試験を終え、地上に戻ったリルは、報告のためにオッティのところに駆け寄った。
「変形機構は問題なし。さすがは父様と親方です。リル、実際飛んだ感想はいかがでしたか?」
「・・・おそい。・・・せんかいも、おおきい。・・・ねんぴも、わるい。」
「そうですか。サーヴァントの様な大出力機なら翼ももっと小さくできるので、スピードを上げたり急旋回させたりできるのですけど、量産炉1機で、変形機構もある分重量がかさむ機体を飛ばすのは、ちょっと実用的ではないのかも知れませんね。」
オッティは、リルの感想を翻訳して報告書に記載していく。そこへモカが寄ってきて、
「リルリル、変形、変形どうだった?どうだった?」
と感想を尋ねてきた。開発に関わった一員として真っ先に感想を聞きたいようだ。
「・・・おそい。」
「そかそか、重い、重いもんね、ね。がっかり、がっかり。」
リルの感想を聞いて、モカは意気消沈していた。
その日の夕食の席でも、試作機の話題になった。
「オッティ、報告書は読みました。部品の多さや大きな翼が、低速度や旋回半径の大きさにつながっていることは理解できます。ただ、親方とも設計を練りに練って、出来るだけ構造を単純化して、現状の機体に仕上がったのです。変形する魔導従士の原型として、その辺りは飲み込んで下さい。」
「と、父様は言っていますよ、リル。」
「・・・でも、もっとはやく、とびたい。」
「父様、ダモクレスの設計を流用して、転換炉を2つに増やすことはできないでしょうか?」
「確かにそれで出力を上げれば、重い機体を速く飛ばすこともできますが、その方法だと、肝心の変形機構を組み込めないのです。親方もさんざんそれで苦労しましたし。」
「そうですか。でもそうすると、試作機はお蔵入りの可能性が高くなりますよ。」
「えー、えー。お蔵、お蔵入り、入り。やだやだ。」
「モカ、そうは言っても、実用性にかける機体をラボに持ち込むわけにはいかないのですよ。」
駄々をこねるモカをオッティが諭す。
「ところで、気になってきたのですが、変形する魔導従士の用途は何を想定しているのでしょう。今まで通り陸戦型と空戦型の分業ではまずいのでしょうか?」
「地上戦力を迅速に展開するのが、変形型のコンセプトです。ただ、オッティの報告書通りだと、今までの魔導車と貨車でスコピエスを牽引するのと、展開力において大差がないですね。困りました。」
エルは悩んだ末、
「試験は予定通り続けて下さい。この失敗を糧に本格的な変形型が完成するかも知れませんし。」
と、決断した。
3
翌朝、いつも通りの時間に起きたリルは、モカを起こし、着替えて、顔を洗い、オッティといつも通り朝稽古をした。マルセルスは、いつになく眠そうだった。昨晩、オッティに勉強を見てもらっていたからそれが原因だろう。その割に、オッティはいつも通り元気なのは鍛え方の違いだろう。
朝食の席で、リルはオッティの様子がいつもと違う気がした。
「父様、最近何か変な気配がしませんか?」
漠然とした問い。エルには心当たりがないようだった。
「さあ?心当たりはありませんが、オッティ、何かありましたか?」
「変な気配というか、うまく表現できませんが、異常を感じるのです。リルは何か心当たりはありませんか。」
リルは突然話を振られて驚いた。が、すぐ立ち直ると、いろいろ思い返してみた。オッティが自分を頼るなら、悪魔か魔界がらみだろう。
「・・・いわれてみると。」
「何かありますか?」
「・・・かみ、のびてない。・・・にんげんのわたしが、いなくなってから。・・・いつもは、おねえちゃんと、いっしょに、きってたのに。」
オッティは一瞬肩透かしを食らったような顔をしたが、すぐにいつもの笑顔に戻ると、
「それはそれで問題ですが、僕が感じているのは、もっと世界自体にゆがみがあるような感じなのですが。」
「・・・あくまとにんげんがわかれるのは、ぜんれいがない。」
リルはオッティの言うゆがみと、人間のリルがいなくなったことが、なぜか無関係ではないような気がしてきた。
「うーん。すると、人間のリルがいなくなった約半年前からゆがみが始まっていて、最近になって僕でも感じられるくらい大きくなったということでしょうか。」
「・・・かのうせいは、ある。」
「2人とも、あんまり深刻に考えなくてもいいんじゃない。」
マギーが能天気に2人を励ました。
スベルドロ砦に出勤すると、据え置き式の魔力通信機の呼び出し音がけたたましくなった。
「こちら、スベルドロ砦、銀嶺騎士団長エルヌス・アウレリウスです。・・・グランミュールから・・・黒い竜ですって・・・分かりました。大至急向かいます。」
通信を横で聞いていると、エルの声色がみるみる険しくなった。漏れ聞こえてくる内容も穏やかではない。
通信機の受話器を置くと、エルはすぐに行動に出た。
「親方、それにマギーも。ダモクレス・シルフィードを動かします。すぐに準備を。」
「父様、黒い竜さんなら僕が。」
オッティが、エルに言いかけるが、エルはこれを遮っていった。
「今朝話していた、変な気配は、これかもしれません。オッティ、万が一に備えて君は砦に残ってください。今日予定されていた新型の試験は僕が戻るまで延期です。それから、ディオさんとカークさん、バレアルス艦長を呼んで来て下さい。」
「分かりました。その代わり。」
「分かっています。戦利品は必ず持ち帰ります。」
「お願いします。それと、竜さんは翼の付け根が弱点です。」
オッティは珍しく素直にエルの言うことに従うと、飛行大隊が朝のミーティングをやっている飛空船ドックの方へ駆けて行った。
エルが指名した人員が集まると、エルはてきぱきと指示を出す。
「艦長、輸送艦を1隻、手配して下さい。行先はグランミュールです。カークさん、第3中隊から3人とスコピエス3機を輸送艦に同乗させて下さい。人選は任せます。ディオさん、僕が不在の間、砦の指揮を任せます。」
「おーい、坊主。ダモクレスの準備が整ったぞ。」
親方が大声で告げる。
「では、僕とマギーはダモクレス・シルフィードで先行します。輸送艦も準備ができ次第追って来て下さい。現場で合流しましょう。」
エルの指示に代表してディオが答えた。
「命令は了解したが、そこまで急ぐ事態なのかい?説明を求めるよ。」
「黒い竜がグランミュール領内に出現したそうです。それも突然。対魔獣戦闘の経験がないグランミュールの騎士団から救援要請がありました。ランファンの判断でしょう。被害を最小限にとどめるために、足の速い機体のみで船より先行します。」
「そういう事情か。わかった。団長の武運を祈るよ。」
迷いのない決断と迅速な行動は、魔獣対策の鉄則である。エルは出撃準備が整っていたダモクレスに乗り込むと、すぐさま機体を砦から発進させた。マギーのシルフィも続く。
エルたちを見送ったリルは、オッティに、
「・・・へんなけはい・・・まだする?」
と、問いかけた。
「変な気配もしますが、嫌な予感がしてきました。リル、それにモカも。僕たちもすぐ動けるように準備しておきましょう。」
オッティはリルの問いに応えつつ、双子に指示を出した。リルは、おにいちゃんのよかん、あたらないといいな、と思った。
4
グランミュール王国は、巨壁山脈西麓をほぼすべて版図に組み込む西方世界4大国家の1つである。面積ではオストニアに世界一を譲るが、世界最大の人口と、広い国土が持つ農業生産力で、世界一の超大国とも呼ばれるほどである。
エルとマギーは、ダモクレス・シルフィードの魔導従士の規格に納まらない速度と航続距離で、一飛びに巨壁山脈を飛び越し、田園風景が広がるグランミュール東方領上空を抜け、王都シテに到着した。王都郊外にある近衛騎士団の詰め所に機体を預けると、出迎えの騎士に王宮の謁見の間の前室へ通された。
エルとマギーの夫婦が前室で戦意を高めながら待機していると、エルたちと同年代の長身の男が、入ってきた。
「あ、ランファン、おひさー。」
その人物こそ、超大国グランミュール王国女王シャルロット2世の婿にして、マギーの異母兄、エルとも幼馴染であるランファヌス・ヴァロワ・グランミュールである。
「これは、王婿殿下、救援要請に応じ馳せ参じました。」
「止せよ、俺とお前の仲じゃねえか。堅苦しいのは無しにしようぜ。」
「そういうわけにもいきません。君も立場のある人間ですし、僕はオストニアを代表してこの国に来たわけですから。」
「エル君、真面目〜。気楽なほうがいいじゃん。ランファンもそうでしょ。」
「マギーの言う通りだな。」
この兄妹はエルと出会った時から貴族らしさというのがほとんどない。
「はあ、分かりました。そちらの調子に合わせます。それで、ただのあいさつに来たわけではないでしょう。」
かつてはオストニアの騎士でもあったランファンがわざわざ謁見の間の前室に顔を出したのだ。女王との謁見の前に、戦況報告といったところが本題だろう。
「ああ、そっちに連絡は言ってると思うが、黒い竜が突然現れた。4日ほど前のことだ。」
グランミュールには、オストニアの最新技術であるリレー通信網は、まだない。というか、魔力通信機の存在自体、他国には秘匿されている。長距離の通信は早馬か伝書鳩かだが、確実性を重視するなら馬だろう。4日前なら、早馬を全速力で飛ばして何とかオストニア王都ウラジオにたどり着けるぐらいだ。それほど火急の事態ということである。
「竜が現れたのが、幸いにも人のいない原野だったから、人的被害は出てねえ。今はうちの国の魔導従士隊が距離を取って監視してる。竜は暴れながらその辺をうろついてるみてえだが、どこに向かうかは予想がつかねえ。」
「竜はどのくらいの大きさでしょう。」
「俺も実物を見てないんで何とも言えねえが、報告だと、全長50メートルくらい、翼長80メートルくらいらしい。あの時と同じくらいだな。」
ランファンが言うあの時とは、まだ3人が学園の中等部1年生だったころ、エルが大活躍して魔の森から現れた竜を退治した時のことを指す。
「オストニアには最近も黒い竜の群れが現れました。その竜も報告では同じくらいの大きさでしたね。」
「報告ではってことは、エルがやったんじゃねえのか?」
「竜の群れを退治したのはオッティとリルだよ。」
「親子そろって竜殺しの騎士ってわけか。すげえな。」
「んふふ、もっと褒めていいよ。2人とも強いだけじゃなくてとってもカワイイんだから。」
マギーは重点がずれた我が子自慢をする。能天気だ。
「それはそうと、呑気に話をしていていいんですか?放って置くと被害が広がりそうですが。」
「それが、何故か、竜は同じところをウロウロするだけでどこかに移動しようとしねえんだ。もし動きがあったらすぐ俺のところに報告が来るようにしてあるから、戦いの前に、ロッティに会っていってくれねえか。」
「まあ、謁見の間の前室に通された時点で、女王陛下に謁見することになるとは思っていましたが。」
「ロッティちゃんかあ。久しぶりだね。」
「謁見の準備が出来たら呼びに行くから、それまでくつろいでてくれ。」
そう言い残してランファンは前室から出て行った。
数分後、近衛騎士が呼びに来たので、エルとマギーは謁見の間へ向かった。正面の玉座には、エルたちと同年代の女性が腰かけている。彼女こそグランミュール王国女王シャルロット・ヴァロワ・グランミュールである。その隣にはランファンが貴人というよりも騎士の出で立ちで同伴している。ランファンは、「婿入りしても俺はロッティの1の騎士だ。」と言って、公の場でも騎士の格好のままでいることが多い。エルとマギーは、女王を前に、片膝をついた最敬礼の姿勢をとった。
「お久しぶりです、エルヌス様、マルガリッサ様。楽になさって下さい。」
「それではお言葉に甘えまして。」
エルとマギーは姿勢を楽にし、顔を上げた。
「やっほー、ロッティちゃん。久しぶりー。元気だった。」
「はい。マルガリッサ様もお変わりないようで。」
「マギー、ちょっと砕けすぎですよ。」
「ロッティもあの能天気に様付けは必要ないぞ。」
これがこの4人の平常運転である。ただ、謁見の間にいた近衛騎士はマギーの突然の変わりようにぎょっとなった。
「では、改めまして、救援要請に応えオストニアを代表して参上いたしました。」
「ありがとうございます。こう何度も皆様のお力に甘えたくはなかったのですが。」
女王の方がむしろ恐縮している。
「いえいえ、女王陛下が気に病むことではございません。魔獣の相手は専門家である僕たちを頼っていただいて構いませんよ。その代わりというのは何ですが、件の竜を仕留めた暁には、竜の死骸を研究資料として持ち帰らせていただきたくお願いいたします。」
「は、その様なことでいいのですか?」
女王はエルの交渉上手ぶりを知っているだけに、肩透かしを食らった思いだった。
「あ、失礼しました。今のは、救援の条件の一つでして、その他の点に関しましては、竜の討伐がなった折に、改めて協議させていただければ。」
「は、はい。その際はお礼は惜しみません。」
結局、女王は勢いで高くつきそうな約束をしてしまった。隣でランファンが呆れた顔をしている。
「エル、あまり我が国を困らせてくれるなよ。」
「困らせるなんて滅相もない。オストニアとグランミュールの『血の同盟』にひびが入るようなことはしませんよ。」
「ならいいんだが。」
「それでは、竜の討伐に向かいます。吉報を期待していて下さい。」
「またねー。」
エルとマギーは謁見の間から辞去すると、近衛騎士の詰め所に預けてあった、ダモクレス・シルフィードのもとに戻った。
近衛騎士の詰め所で、竜の出現場所や、監視しているグランミュールの騎士団の陣容を聞き、エルとマギーは、ダモクレス・シルフィードを、現場へ向かわせた。途中、後発してきた輸送艦が通信圏内に入ったので、不用意に竜に近づかないよう厳命して、付近の空域に待機させた。いよいよ巨大な黒い竜が目視圏内に入る。そうなったらダモクレス・シルフィードのスピードなら接敵まで一瞬だ。
「オッティは翼の付け根が弱点と言っていましたね。そうすると、今地上にいる竜を上空におびき出して、墜落させて斃すということでしょうか。いずれにしろこちらに注意を向けさせないといけませんね。マギー、あちらさんの鼻先を飛び回ります。旋回準備。」
エルは一気に黒竜の前に飛び込むと、ダモクレスの肩部砲「豪炎の槍」を2発、立て続けに、竜の眼球めがけて発射。いずれも命中、巨大な爆発が起こる。しかし、爆炎が晴れた後には、全くの無傷の状態で、黒竜がダモクレス・シルフィードを睨みつけていた。
「うそ、『豪炎の槍』が効いてない。」
「豪炎の槍」は、威力に特化した戦術級魔法で、大型魔獣でも一撃で焼死させる威力がある。それを眼球に2発。それでも黒竜に対しては何の戦果もなかった。
「目も何らかの方法で守られているのでしょうか。とりあえず相手の注意を引くことはできました。マギー、急上昇しますよ。」
「おっけー。」
エルは、竜の視線が自分たちに向いていることを確認して、機体を縦に90度旋回、一気に高度を上げた。それを追うように竜は首を持ち上げると口を大きく開ける。
「口を開けてるよ。」
「オッティの報告にあった黒炎の吐息が来ます。回避しますよ。」
エルは、吐息が放たれる瞬間まで直線的に上昇を続け、瞬間、機体を右へ横跳びするような軌道で黒炎を回避する。吐息がかわされたとみるや、竜は、大きな翼を打ち下ろし、空へと舞いあがった。
「掛かりましたね。後はうまくひきつけながら高度を上げていきますよ。」
エルはダモクレス・シルフィードを、一旦減速させ、地面に対して直立する姿勢に戻した。竜は羽ばたく度にどんどん加速して、ダモクレス・シルフィードに迫る。鋸状に歯が並んだ大きな口で、ダモクレス・シルフィードに噛みつきにきた。スピードを上げて、逃れる。
「大きい分、攻撃も大味だね。」
そこへさらに高度を上げた竜が前肢の爪を振り下ろす。高度を上げつつ逆進を掛けながら回避。
「そろそろ充分でしょう。マギー、一気に決めますよ。6連装形態準備、フェザー・ダーツもお願いします。目標は右の翼の付け根。後ろに回り込んだところで合図しますから全弾発射して下さい。」
「はーい。」
エルは、ダモクレス・シルフィードを一気に加速させつつ急旋回。竜の後ろを完全に捉えた。
「今。」
両肩の「豪炎の槍」2門、ダモクレスの刃付魔法兵装2丁、シルフィの「落雷」2門の6連装形態に加え、シルフィの翼の先端から発射される4連装有線誘導式魔導投矢機、通称フェザー・ダーツが、竜の翼の付け根1点めがけて襲い掛かる。破壊の嵐が過ぎ去った後、今にももげて取れそうになっている竜の右翼が、ダモクレスの単眼に写った。
「まだ落ちませんか。ならばこれで。」
エルはダモクレス・シルフィードのスピードを落とさず、竜の背中に突撃させると、刃付魔法兵装の銃剣で、竜の翼の付け根をえぐる。そのまま発法。爆発。法弾は、大気中のエーテルの影響で、距離に反比例して威力が落ちるので、逆に近づいて法弾を浴びせるためにエルが考え出した戦法である。名付けて、
「零距離法撃!」
この必殺の一撃を受け、もげかけていた竜の右翼がついに背中から切り離され宙を舞った。空中でバランスを崩した竜は、きりもみ回転をしながら、吸い込まれるように地面に激突、圧壊した。潰れた竜の死骸から、黒い液体が周囲に漏れ出す。血液だろうか。直後、黒い液体がゴボゴボと泡立ち始め、骸となった竜を溶かし始めた。立ち込める異臭。
「これは。給排気口閉塞。マギー、有毒ガスです。『解毒』を。」
「分かった。『解毒』。」
エルは、今も解け続ける竜の死骸から距離を取って、ダモクレス・シルフィードを着陸させた。
「ねえ、エル君、これって。」
「ええ、黒き穢れに似ています。」
黒き穢れとは、かつてエルたちが魔の森で遭遇した魔獣「ルーチェ」が使っていた物質を溶かす有毒な液体のことだ。ルーチェはその性質から「穢れの獣」とも呼ばれ、森に住む全ての者にとっての災いとして恐れられていた。
竜の死骸が溶け終わり、有毒ガスも完全に拡散したと判断したところで、エルとマギーは、改めて竜の墜落場所を検分した。土壌が黒く汚染され、その部分には植物も残っていなかった。その中に、無数の竜の鱗と思しきやや黒みがかった半透明な欠片と、大きな黒い結晶質の物体が残されていた。
「竜の鱗は、穢れにさらされても溶けないと。それから、この黒い結晶が黒竜の魔力結晶でしょうか。」
エルは、安全空域で待機していた輸送艦を呼び、残された鱗と結晶を回収するよう指示し、王都シテに帰還した。
エルとマギーは、近衛騎士団の詰め所にダモクレス・シルフィードを預けると、再び王宮に参内した。通されたのは謁見の間の更に奥にある王族のプライベートスペースである。
エルたちを出迎えたのは女王とランファン、それに2人の子である王子と王女だった。とはいっても、王子も王女もまだ幼児である。
「こんなにも早くあの竜を退治して下さるとは、感謝の言葉もありません。」
「ああ、さすがはエル。やってくれるぜ。」
「いえ、当然のことをしたまでです、陛下。お顔を上げて下さい。」
「そ、エル君と私にかかればあんな竜、ちょろいちょろい。」
「マギー、それは調子に乗りすぎです。」
「そうだぞ。それにお前は後ろでくっついてただけじゃねえのか。」
調子に乗るマギーに夫と兄からダブルツッコみ。
「アンリとルイーズも、叔父さんと叔母さんにお礼を言おうな。」
「エルヌス叔父様、マルガリッサ叔母様、この国を守っていただきありがとうございます。」
「ありがとうございます。」
王子と王女、アンリとルイーズは、大国の世継ぎだけあって、幼いのによく教育されている。
「エルヌス様、マルガリッサ様、今日はお疲れでしょう。この後宮の客間を用意させましたから、お使い下さい。」
エル、マギー、ランファン、ロッティの4人は、後宮の応接間にて、思い出話に花を咲かせた。お喋りが一段落したところで、両夫婦は、それぞれの部屋に戻り眠りについたのだった。
5
リルは、「創生の秘術」を使って、上がった息を整えながら、竜王様の様子を見ていた。もう、表の世界に送りだされた黒竜が、何頭目になるか分からない。7頭目までは数えられたが、その後は数えるのが面倒になって止めてしまった。
黒竜が門の中に消えてから、数分ほどたった時に、竜王様が地鳴りのような声で言った。リルが理解したところでは、黒竜が1頭、死んだらしい。竜王様が黒竜の死を口にするのは、これが初めてのことだった。
「みぃ、みぃ?」
リルが黒竜を殺したのは何だったか尋ねると、竜王様は、青く鎧われ白き翼に抱かれし傀儡であったと、教えてくれた。リルは、ぱぱとままの、だもくれす・しるふぃーどだ、と思った。
「みゅ、うみゅ。」
リルは、死の救済が達成されたことを竜王様と喜び、死んだ黒竜の魂の死後の安寧を祈った。その後は眠りに落ちるまで、いつも通り、竜王様の側でぐうたらしながら過ごした。
「うみゅう・・・。」
竜王様は、いつもより多めにリルのことをナデナデしてくれた。気持ちよくて自然に声が漏れる。
このころからリルは、不死なる竜全てに命を授け、竜王様の婢としての役割を果たした後のことを考えるようになっていた。竜王様自身も死を望んでいるような気がしたからだ。それでも、リルは、りゅうおうさまは、まだちせいがあるから、しなせてはいけない、と思った。それに、リルは竜王様と離れ離れになりたくはなかった。ただ、一方で、早く家族の下に帰りたい、おにいちゃんやおねえちゃんにあいたい、という思いもある。竜王様と一緒にいられて、家族との再会も叶う方法。リルは頭を悩ませたのだった。
6
エルとマギーが、後発してきた輸送艦にダモクレスとシルフィを積み込むと、輸送艦の船長が、国王からの追加の命令をエルに伝えてきた。内容は、今回の救援の対価に関する交渉役をグランミュールに駐在する大使に一任するので、交渉上手のエルが、大使の監督をする、というものだった。
グランミュールの王都シテに駐在するオストニア王国の大使は、国王ハベス1世の次男である、レムリイェウス・オストニウス王子である。彼は、かつてオストニアが西方大戦にグランミュール側で参戦した際、銀嶺騎士団とともに西方に派遣されたのでエルとも面識がある。身の丈2メートル超で筋肉質の巨漢で、王族らしからぬ粗野な言動も相まって、知らない者には、山賊に間違われかねない外見をしていた。頭を使うより体を動かす方が、得意なタイプでもある。そんな王子も、西方大戦直後に大使としてグランミュールに赴任しているから、一応、20年以上外交に携わっていることになる。それでもエルにレムレス王子の監督が命ぜられるのは、レムレスが父王の信頼を勝ち得ていなからである。簡単に言えば、素行が悪い人物なのだ。
エルとマギーがシテの中心市街にあるオストニア大使館に向かうと、件の王子が出迎えた。
「おお、銀嶺の長。久しいな。」
「殿下もお変わりないようで、幸いです。」
「若旦那、おひさー。」
それからエルが来訪の要件、レムレスにグランミュールとの交渉を一任するという国王の命令を伝えると、レムレスは心底嫌そうな顔をした。
「親父も相変わらず人使いが荒い。銀嶺の長、お前が代わりに片付けてくれ。」
と、自らの役割を他人に丸投げしようとする王子だったが、
「殿下、それでは僕は国王陛下に、殿下が仕事を放棄したと、報告することになりますよ。」
と、エルが言ったため、
「冗談、冗談だ。俺に任せろ。」
と、レムレスは前言を撤回して、交渉役に付くことを承諾せざるを得なかった。国王がエルにレムレスの監視役としてグランミュールに残るよう命じたのは、この辺りを見越してのことである。
場所を王宮の謁見の間に移しても、レムレスは相変わらず王族らしかぬ態度を変えなかった。
「ロッティ、それにランファンも。今回の救援の対価について、俺が交渉役になった。よろしく頼むぞ。」
「は、はい。レムレス様、お手柔らかにお願いします。」
「若旦那、あんまり無茶は言わねえでくれよ。」
と、王族同士のあいさつとは思えない雰囲気から交渉が始まった。
「それで、銀嶺の長。お前はどう考えている?」
レムレスは、早速考えることを放棄した。
「それを考えることも含めて殿下の仕事なのですが。まあ、いいでしょう。こういう場合、お金か物資でいいのではないでしょうか。」
「そうだな。いくらくらいだ。実際竜と戦ったのは銀嶺の長だ。お前の匙加減を聞きたい。」
「そうですね、こちらは被害なく黒竜を斃すことができました。そうすると、ダモクレス・シルフィードと魔導従士3機、輸送艦1隻を動かすのに必要な費用としては、グランミュールの金貨100枚くらいでしょうか。」
「だそうだ、ロッティ。」
レムレスとエルの話し合いを聞いていた女王は、要求が想像よりかなり安かったので驚いた。
「そ、その程度で良いのでしょうか。でしたら、すぐにでも用意させますが。」
女王が交渉を成立させそうになったところをランファンが止めに入る。
「ダモクレス・シルフィードが動いたといっても、それはちょっと盛りすぎだろう、エル。」
「む、さすがはランファン。吹っ掛けていたことがばれてしまいましたか。」
女王は軍事に疎いため、実際のところ相場が分かっていなかったのだ。ランファンは騎士でもあり、オストニアにいたころはエルの親友でもあったので、その辺りは抜かりない。
「金貨は50枚にして、残りはオストニアでは貴重な羊毛で払う。これでどうだ。」
「妥当なところでしょう。殿下、僕とランファンの意見はそういったところです。」
「うむ。お前を連れてきて正解だった。それでいこう。ロッティ、いいな。」
「はい。ランファンの意見でもありますし。」
交渉がまとまったところで、謁見の間に一人の騎士が入ってきた。
「お話し中のところ大変失礼いたします、陛下。火急の要件です。」
女王は騎士の無礼は咎めず、話の先を促した。
「火急の件とは、何ですか。」
「は。帝国より使者が参っているとのことで、その先ぶれが参りました。」
「帝国から!」
その場にいた全員が、思わず声を揃えた。
そのころ、オストニアのスベルドロ砦では、エルとマギーの不在を預かるディオが、オッティを呼んで話していた。
「今王都から連絡があってね、我らが団長と団長補佐は、グランミュールとの交渉に立ち会うから帰国が少々遅れるそうだ。バカ旦那のお守とはご苦労なことだ。」
「おや、通信機のないグランミュールから、もう戦果の報告があったのですか?」
「いや、それはまだないが、あの2人なら、何が相手でも、負けはすまいよ。」
先日からの嫌な予感を引きずるオッティは、ディオの言葉が意外に思えた。
「信じている、ということですか。」
「いや、御曹司よりあれらとの付き合いは長いからね、ただ知っているだけだよ。」
ディオの言葉にオッティはハッとなった。
「そうですね。父様と母様が竜さんなどに負けるはずはありませんでした。」
「そういうことだ。だから今から救援の対価で何を貰うか考えても、皮算用にはならんぞ。」
「はい。ディオ隊長の言う通りです。要件は伺いましたので失礼します。」
「ああ、ご苦労。」
オッティはディオの下を辞去した。と言ってもスベルドロ砦に団長室はないので、同じ工房兼駐機場のなかにある自分の机に戻っただけだが。オッティの中では、嫌な予感も、変な気配も消えてはいなかった。
それからしばらくして、スベルドロ砦の通信機が工房の喧騒にも負けないけたたましい呼び出し音を鳴らした。
「こちらスベルドロ砦、銀嶺騎士団第1中隊長ディオゥス・パショヌスだ。・・・魔の森に・・・また黒い竜と。こちらは団長と団長補佐が不在なのだが・・・分かった。現有戦力で対処しよう。」
通信機の受話器を置くと、ディオはすぐ側にいたオッティとリルに言った。
「魔の森に黒い竜が1頭、現れたらしい。その対処を命じられた。御曹司、それから末っ子も。君たちがあの黒い魔導従士で先行してくれたまえ。我々もできるだけ速く救援に行く。」
「了解です、ディオ隊長。また黒い竜さんと遊べるのですね。今度こそその肉を味わい尽くしてあげますよ。」
「・・・おにいちゃん、あれはたぶん、たべれない。」
「何故です、リル。」
「・・・からだに、どく。」
「分かったから兄妹でじゃれていないで早く出撃したまえ。」
ディオにツッコまれるまでもなく、オッティとリルは、それぞれマーカス・オブ・ザ・ヘルとデモン・サーヴァントに向けて走り出していた。手早く出撃準備を整えると、オッティ、リルの順で発進する。
「お兄ちゃん、お兄ちゃん。リルリル、行って、行ってらっしゃい、らっしゃい。」
「行ってきます、モカ。お土産を期待していて下さい。」
「・・・いってきます。」
砦から出るとすぐに、両機は合体する態勢に入った。
「リル、合体前にあなたの槍を貸して下さい。」
「・・・?・・・はい。」
「前回の戦闘で分かりました。パンデモニウムの高速機動時には、カタナより長物の方が使いやすいのです。」
リルは、なっとく、と思った。マーカスに槍を渡し、無手になったサーヴァントが、マーカスの脇を後ろから抱える。
(まじっきゅれーたの、せつぞくかくにん。きたいけいじょう、さいていぎ。きょうかまほう、うわがき。)
両機は合体しパンデモニウムになった。そのまま最大戦速まで加速。目指すは、魔の森、黒竜の出現地点。
魔の森が近づくと、サーヴァントの魔力探知機に巨大な白い影が映る。白は魔力探知機で探知できる限界を超えた密度で魔力が集中していることを示す。黒竜の影だ。オッティはパンデモニウムを旋回させ、一直線に黒竜に近づくコースに入った。魔力探知機の走査範囲は広いが、パンデモニウムのスピードなら一瞬だ。
「見つけましたよ。今日は前回のように飛んでいませんね。高度を下げます。余興なしで1撃で決めますよ。逆呪紋、構成。」
黒竜も、接近するパンデモニウムに気付き、大きく口を開けた。黒炎の吐息の前兆だ。
(えーてる・しーるど、かほうに、てんかい。)
リルは、黒竜の吐息を「元素防壁」の魔法で防ぐ。
「いいタイミングです、リル。では、頂きます。」
パンデモニウムが黒竜の頭上すれすれを飛び越すと、目の前に翼の付け根という弱点が無防備に晒されている。槍を一突き。過たず、翼の付け根を貫いた。槍を通じて、オッティが構成していた、黒竜の骨格強化の魔法の逆呪紋が流し込まれる。直後、パキパキと小さな骨が折れる音が鳴り、それが雨のように響き渡ると、一瞬置いてボキリと、致命的な音がした。黒竜がその形を失って地面に沈む。今まさにその命を失おうとしている黒竜から、黒い液体が漏れ出た。最初はにじみ出るように、次第に噴き出すような勢いで、黒い液体が広がっていく。
(きゅうはいきこう、へいそく。きんきゅうりだつ。)
「リル、いきなり機体を下げないで下さい。竜さんが潰れる様子が観察できないでは、ないですか。」
オッティは、黒竜を1撃で仕留めた後も、その肉体が崩壊する様子を間近で見ようとしていた。そこにリルが強引にコントロールを奪って、機体を退避させたのである。その直後、黒い液体はゴボゴボと、泡を立てて、黒竜の死骸を溶かし始めた。
(あれは、けがれ。)
黒い液体は、見る見るうちに、黒竜の身体を溶かしていく。
「ああ、竜さんが!これでは肉の味を味わえないではないですか。」
そうしているうちに、竜の死骸は溶け終わったのか、ゴボゴボという音が止んだ。
(がいきの、せいじょうを、かくにん。おにいちゃん、もう、ちかづいて、だいじょうぶ。)
リルの言葉に従い、オッティはパンデモニウムを、黒竜の死骸があった場所へ移動させ、着陸させた。無数の黒みがかった半透明の鱗と、黒く大きな魔力結晶が、残されていた。土壌は黒く汚染され、その場に生えていたはずの植物も、完全に消滅している。
「鱗と魔力結晶は溶けなかったのですね。戦利品がなしではなかっただけ良しとしましょう。」
それからしばらくして、ようやく後発してきた銀嶺騎士団の揚陸艦1隻が、パンデモニウムに追い付いてきた。オッティは揚陸艦に通信を入れ、竜の鱗と魔力結晶、それに汚染土壌のサンプルの回収を依頼すると、
「リル、帰りましょうか。」
と言って、パンデモニウムを再び離陸させた。回収作業は後発隊に任せ、スベルドロ砦へと帰還した。
リルが竜王様の側でぐうたらしていると、竜王様が地鳴りのような声で、また1頭の黒竜が逝ったことを教えてくれた。
「みぃ、みぃ?」
リルが黒竜を殺したのは何だったか尋ねると、竜王様は、黒きに鎧われた黒き翼の傀儡であったと教えてくれた。パンデモニウムだ。
「うみゃ?」
デモン・サーヴァントには、特殊な生態認証が採用されていて、リル以外動かすことができない。生態認証を騙せるのは、設計図を盗み見たリルくらいだろう。じぶんはここにいるのに、とリルが考えていると、ある可能性が浮かんだ。魔界に来て以来その存在が感じられないもう一人の自分、悪魔のリルが、リルの肉体に宿って、リルとして振舞っている可能性だ。はやくかえらないと、わたしは、かんぜんにあくまになっちゃう、とリルは思った。それはそうと、
「みゅ、うみゅ。」
リルは、死の救済が達成されたことを竜王様と喜び、死んだ黒竜の魂の死後の安寧を祈った。
6
数日後、スベルドロ砦では、ディオにオッティが呼び出されていた。呼ばれていないがリルとモカも着いてきていた。
「ちょっと帝国まで、とは。君たちの両親はどういう頭の構造をしているんだ。」
するとオッティたちが、三者三様の反応した。
「黒い竜さんがもう1頭!羨ましすぎます。」
「帝国、帝国、出張、出張。」
「・・・もういっとう?」
「前言撤回。君たち家族はどういう頭の構造をしているんだ。」
ディオの嘆きもさもありなん。アウレリウス家の人間は、まだ学生のマルセル以外は、常識が通用しない。
「羨ましいのは置いておいて、真面目に答えますと、父様は、ここで帝国に恩を売っておくつもりなのでしょう。我が国と帝国には国交がありませんが、いずれこの恩が効いてくることもあるでしょうし。それに、グランミュールに現れた竜さんを問題なく退治できたなら、帝国に現れた竜さんも、父様と母様なら問題ないのでしょう。」
「最初から真面目に答えてくれれば話は早いのだが。なんにせよ、我々は団長殿の方針に従うだけだ。」
スベルドロ砦では、しばらく団長及び団長補佐不在が長引くこととなった。
そのさらに数日後、再びの知らせにディオはまた呆れかえっていた。
「帝国の次は、イルリック独立都市連合とは。これで西方四大国家のうち3つに黒い竜が現れたことになるね。」
例によって、ディオに呼び出されていたオッティと、それについてきた双子が三者三様の反応を示した。
「3頭目とは!あの時無理やりにでも僕が行っていればよかったと悔やまれます。」
「イルリック、イルリックって、どこどこ?リルリル、教えて、教えて。」
「・・・どっちも、めんどう。」
ディオは嘆息し、
「これでもうしばらく団長と団長補佐は不在か。ときにチビッ娘姉、君は教養はほぼ満点だったと聞いているが?」
と、どうでもいい気分で、どうでもいい部分にツッコんだ。
「そうだよ。そうだよ。リルリルが全部、全部、答えを、答えを教えてくれたしたし。」
「・・・かんにんぐ。」
「前から不思議に思っていたが、そんなからくりがあったのかね。」
そんなどうでもいい会話で時間が潰せるくらい、エルのいないスベルドロ砦は平穏だった。