9.こうして私はいなくなった
「あの、ここは……どこなのでしょうか?」
「あー……王都の平民街だ。アリアは平民の生活を知らないって言ってたから、いきなり王都から出る生活はキツイだろ?……嫌だったか?」
なんだろう。一瞬ノアの頭の上に、垂れ下がった犬の耳が付いているように見えた気がしたが、気のせいだと思う事にした。
「いえ。気遣っていただいて本当に感謝しています。ノア、改めて本当にありがとうございます。あの、でも一つお聞きしたい事があるのですが……」
「なんだ?やっぱり部屋が狭いのか?」
「い、いえ!そうではなくて。そうではなく、むしろ逆で……あの平民の皆さんはこんなに立派なお家に住まわれているのでしょうか?」
私はこの部屋に来てからずっと疑問だった事をノアに聞いてみる事にした。今いるこの部屋は、私の住んでいた侯爵邸の自室より広くて豪華絢爛だったからだ。
ここは王族の部屋だと、そう言われても納得してしまうような広さと豪華さがあった。
いくら私が世間知らずだと言っても、これは流石におかしいと分かる。でもノアは、
「そうかぁ?みんなこんな感じのところに住んでるけどな。アリアの情報が間違ってんだろ」
と真面目な表情でノアが言うものだから、もしかして本当に私の方が間違っているのかもと思い始めていた。
「じゃ、今日からアリアは平民って事で。生活のサポートは俺がするから、何かあったら隠さず言えよな」
「っ!はい、これから二年間どうぞよろしくお願いしますね」
「おー。平民の生活は大変だと思うけど、まぁ頑張れよ」
そう言って何故かノアは私の手を取り手の甲にそっとキスを落とした。
「っ!?」
突然の事態に、私は慌てて手を引こうとした。でも逆に引き寄せられ、彼は妖艶に微笑んだ。
「……おまじない。平民として、きちんと暮らせるように」
「あっ、そ、そうですわね」
一体何がそうなのか。酷く動揺していた私は、自分で何を言っているのかすらよく分からないまま、ひたすら頷くしかなかった。
たった数刻で貴族から平民になってしまった。
しかも横には禁忌とされる悪魔がいる。
普通なら、恐怖したり己の未来に悲観したりするのかもしれない。
でも何故だか私はとてもワクワクしていた。
自分の力で生きていく。
きっと私が想像しているより、ずっとずっと過酷だと思う。
でも駒としての貴族令嬢でも、お飾りの婚約者でもない。
価値のない貴族令嬢ではない、自分で決め、自分の力で生活していく。その事に私は生まれて初めて心からの喜びを感じていた。